「……じゅ、呪具の類かな?」
私は、部屋のベッドに腰掛け、延々と赤いマフラーを調べている。ジッと観察してみても、特に妖力とかは感じない。血染めのマフラーとかそういう類のものではない。
ならば物理的に針でも仕込まれているかと思ったけど、手触りはやっぱり抜群で、頬をすりすりしてみたくなった。実際にやってみたら、凄く気持ちよかった。これなら冬も安心って感じの見事な出来栄えである。
それに赤一色かと思ったら、端の方にワンポイントで向日葵模様が入っていた。逆側には小さな彼岸花模様。とっても可愛い。
「……ま、巻くことで発動するタイプかな?」
アヌビス神みたいなあれ。私の意識を乗っ取る系。でも違うだろう。私相手にそんなことをしても意味ないし。
私は覚悟を決めて、恐る恐る首に巻いてみた。いきなりぎゅーっと首が絞まるかと思ったけどそんなこともない。
うん、とても暖かい。これは作り手の技巧と経験が窺えます。さぞかし愛情を持って編んでくれた事でしょう。――ってそんなわけあるかい! 絶対にないよ!
思わず取り乱して一人ノリツッコミをしてしまった。一度落ち着く必要がある。
「赤いマフラーといえば」
ミカサとかストライダー飛竜とかV3だ。いや、V3は白かった。とにかくだ、マフラーを颯爽となびかせて闘うヒーローはとても格好良いのである。
私も見習ってベッドの上に立つと、適当にポーズを決める。鏡を見てみたら、なかなかサマになっている。うん、実に気に入ってしまった。
「どうしようかな、お礼。やっぱりした方が良いのかな。した方がいいよね。……でもなぁ。殴られるのは嫌だし」
言うべきか言わざるべきか。それだけが問題だ。
一般的なアットホームな家庭なら、「マミー、ありがとう! 一生大事にするYO!」と恰幅の良い母に抱きつけばよい。ダディが小粋なジョークを決めてくれ、ブラザーがツッコミを入れ、メリケンたちの笑い声が響くことだろう。
しかしウチは修羅の家だ。そんな真似をしたら、光速のカウンターでノックアウトされること間違いなし。
「うーん」
更に悩む。悩みまくる。最近部屋に閉じこもって何をしていたかと思ったら、もしかしてずっとこれを編んでいたのだろうか。
このマフラーは、“ついで”とかいう片手間でつくったものじゃないと思う。見るからに手間暇がかかってそう。
いつもの服ならば、耐久テストを兼ねてとか理由もつけられるんだけど。じゃあこれはどういうことなのかというと、もしかして、万が一にもありえない話だけど、私のために編んでくれたのではないだろうか。
「でも、違うだろうなぁ。そんな甘い話だったら、とっくの昔に仲良くなれてるし。10年の積み重ねがこの現状だよね」
ツンデレとかそういう簡単な話になれば良いのだけど、きっとならない。私には分かる。
とりあえずは、夕食のときにさりげなくお礼を言ってみようか。もしこれを切っ掛けに仲直りとかできちゃったりしたら、ハッピーエンドだ。
私はそんなことを考えながら、ベッドに転がってマフラーの感触を楽しんでいたのだった。
◆
「…………」
「…………」
そして夕食。会話のない寒々しい食事が始まる。カチャカチャと食器の当る音だけが部屋に響く。
――おお、寒い寒い。
恐る恐る顔を上げると、いつもの幽香の顔があった。特に何かを気にした様子すらない。こちらは全く持って平常運転だ。
ありがとう、なんてとても言える雰囲気じゃない。話しかけるなオーラがバリバリでてるし。よし、今日はやめておこう。
……いやいや、どうしてそこでやめるんだそこで。勇気を持って、ありがとうと言ってみようよ。何かが変わるかもしれない。宝くじにあたっちゃうかもしれない。ほら、買わなきゃ当らないし。買っても私には当らないけど。やぶれかぶれだ!
「あ、あの!」
「…………」
緊張していたせいで声が超擦れてしまった。しかも、何事もなかったかのように時は進んでいく。もしかして私は透明人間だったのだろうか。むしろ空気だったりして。確かめる為にパンをスープに浸して口に入れる。私はちゃんと存在していた。美味しいけれど、味気ない。
「あの、マフラー」
「ご馳走様。片付かないから無駄口叩いてないでとっとと食え。グズでもそれくらいはできるでしょう」
「は、はい」
勇気を振り絞った瞬間、行ってしまった。やっぱり駄目だった。いつものように罵倒され、楽しくない食事は無事終了。本当にお疲れ様でした。私は思わず天井を見上げる。
普通なら、照れ隠しのセリフだと思うのだろうが、全然違う。氷のように凍てつく視線は、いつも私の心に突き刺さるのだ。優しさの欠片もない。
やっぱり、あれは私のためじゃなかったのだろうか。練習で編んだけど、捨てるのももったいないし、まぁグズにくれてやってもいいかぁ、みたいな? そんなアレかもしれない。
しかし理由はどうあれ、私が嬉しかったのは事実である。誰かからプレゼントをもらえるというのはとても嬉しいものだ。
だからお礼を言おうと頑張ったというのに、結果はこれである。畜生!
「はぁ。なんだか疲れた」
夕食を食べ終えた私は部屋に戻り、気力を振り絞って手紙を書く事にした。口で言えない、または聞く耳を持ってもらえない相手には手紙が一番。反応はどうであれ、自分の考えを相手に伝える事ができる。私のことが大嫌いであっても、お礼の気持ちをもっているということぐらいは分かってもらえるだろう。それで十分だ。
『マフラーありがとうございました。私のためじゃないと思いますが、それでも嬉しかったです。ずっと大事にします。 燐香』
◆
真っ赤なマフラーに包まれた私は、ゲッコウガごっこを楽しんでいた。ルーミアが「それ、格好良いね」と言ってくれたから私の機嫌は花丸急上昇である。もう天界まで行っちゃいそう。行かないけど。
「そこおっ!」
アリスが用意してくれた、標的の人形に向かって、妖力弾を素早く叩き込んでいく。今のはちょっとニュータイプぽかった気がした。これはシューティングゲームみたいで面白い。というか、東方ってSTGだし。どんどん撃たないと! パンチとかキックはちょっと違う東方ゲームなのだ。私はSTGが良いです。格闘はノーセンキュー。
「当てるのは上達してきたね」
「ふふん。いつでも実戦に進めそうですね」
「もしかして、そのマフラーのおかげ?」
「そう思ってもらっても問題ありません。身につけると気合が+10されます」
腕組みをしてドヤ顔をしてみた。ルーミアに、その顔、幽香にそっくりだよと言われてしまった。それは嬉しくない。
幽香がドヤ顔をして腕組みをしていたら、と想像してみる。凄く似合っていた。なんだかんだで美人だし。あれで性格が良ければ完璧なのに。
私が勝利したときは、このポーズをとってみる事にしようか。格好いいし。ま、それはそれとして。
「必殺、タネマシンガン!」
両手の指を広げ、その先から種を模した妖力弾を連射。とにかくばらまくことで、相手の移動を制限し、ミスを誘って被弾させようというスペル。まぁ、これで勝負を決めようという意図はなく、挨拶代わりみたいなものである。後の布石にもなるので外れても問題なし。
ちなみに、人形たちに当てると白旗を上げて当ったことを教えてくれる。アリスは芸が細かい。匠の技である。
それにしても、弾幕を張るのって面白いなぁ。でも、相手が全く動かないのでちょっと物足りなくなってきた。そろそろ、アリスかルーミア相手に模擬戦をやってみたいものだ。実は何回かお願いしてみたのだが、楽しみは後にとっておくようにと言われてしまった。
最初は知り合い相手より、見知らぬ人妖とガチンコでやったほうがいいということらしい。その方が色々と学ぶことが多いとかなんとか。よく分からないけど、アリスが言うのだから間違いない。
「燐香、そろそろお腹すかない?」
「あー、確かに空きましたね。もうすぐご飯の時間じゃないですか?」
「よし、闇鍋やろっか。アリスも鍋の準備してたし。入れてしまえばこっちのもの」
闇の中から謎の食材(部位)をとりだすと、嬉しそうにアリス邸へと突入していくルーミア。私はそれを呆然と見送る。暫くすると、中から怒声と悲鳴、なにかの魔法が炸裂する派手な音があがった。
今日も賑やかで、本当に楽しい。でも、闇鍋は色々な意味で不味いので、今すぐに止めなければ。私はマフラーをなびかせて、家の中へと入るのだった。
「良い匂いですね」
「まだ駄目よ。半煮えだから」
「私は別にいいと思うけどなー。生でも十分美味しいよ」
「いいえ、私が許さないわ」
楽しい寄せ鍋パーティが始まった。
鍋奉行はアリス。補佐はルーミア、私は静かに出来上がるのを待つ役職なし。材料は、アリスが用意した鶏肉、野菜、豆腐にしらたき、餅の入った巾着とか。後はルーミアもちよりの魔法の森のキノコである。謎肉はアリスが取り上げて、別の場所へしまってくれたらしい。
アリスは分類上は一応妖怪だが、人肉を食べる種族ではない。この前、私は食べないし食べたこともないと言っていた。そもそも、人間を食糧としてみていたら、親切に家に泊めたりしないだろう。
アリスは、捨食だかなんだかの魔法をつかっているから、食事を取らなくてもいいはずなのだ。だが、そういうことを敢えて楽しむのがアリスなのだ。うん、実に優雅である。
「そろそろ良いかもしれないわね」
「うん、美味しそう。もう一品加えるともっと完璧になると思うな」
「それは後で一人で食べなさい。私の家では駄目よ」
「そうするね。でも、私は絶対に諦めない」
「そこは素直に諦めて下さい」
「いやだよ」
ニコリとこちらを見るルーミア。私に謎肉を食わせるのが、彼女の目標の一つになってしまったようだ。嫌だといったら、ちゃんと止めてくれるので問題ないのだが、ずっと断り続けるのもなんだか悪い気がする。多分、それがルーミアの狙いなんだと思う。ルーミアは頭が良い。
「ほら燐香、ぼーっとしてないで、食べなさい」
「いらないなら私が全部食べちゃうよ」
「あ、待ってください。というか肉ばっかりずるい!」
「早いもの勝ちだよ」
「まだ沢山あるから。行儀が悪いから肉を箸で取り合わないの! やめなさい!」
私とルーミアの仁義なき戦いは、アリスのお叱りにより中断された。友情も大事だが食欲も大事。妥協出来ないものもあるのだ。ルーミアに笑いかけると、相手も応じてくる。流石は心の友、阿吽の呼吸である。
「ふふん、通は野菜も楽しむものです」
「私は素人だから肉だけでいいかな」
「駄目です。早く通になってください」
「燐香はわがままだね」
「その言葉、そっくりお返しします」
おたまを使って御椀に汁を入れて、そこにうどんとか豆腐とか野菜を入れていく。湯気といっしょに、美味しそうな香りが漂う。醤油だしかな。なんというか、色々な食材がたくさん入っている鍋は、まさに芸術品だ。
早速あつあつの豆腐を食べる。そしておつゆを一口飲む。
「美味しいです!」
「うん、味がちゃんと染みてるわね」
「皆で食べるのも、中々楽しいね。取り合いになるけど」
「いやあ、会話がある食事は最高です。本当に美味しい」
暖かい食事風景。私の理想とするものが、現在目の前にある。ああ、本当に幸せだ。なんだか景色が滲んでくる。ほろほろと私の頬を流れ落ちていく。どうしてあの家ではこれができないのだろう。
「ちょ、ちょっと。何も泣かなくてもいいじゃない」
「ごめんなさい。ちょっと湯気が目にはいってしまって」
「燐香は泣き虫だね」
「恥ずかしいので、あまり見ないでください。あはは」
袖で目元を擦る。泣いている場合ではない。今、このときを楽しまなくては。長ネギを口に入れると、熱い液体が喉をうって思わず咽る。
「うぶっ!」
「あはは、面白い顔。ひょっとこみたい」
「全く、慌てて食べるからよ。ほら、お水を飲みなさい」
「あ、あ、ありがとうございまふ」
アリスからグラスを受け取り、水を一気飲み。うーん、とにかく満足だ。お腹だけじゃなく心も膨れてしまう。
と、折角の機会だから、皆に聞いてみよう。
「……あの、ちょっと聞きたいことがあって」
「どうしたの、急に改まって」
「嫌いな相手を、ずっと家に置いたりするものなのかなって。あと、服を作ってくれたり、マフラーまで編んでくれたりして。お母様が何を考えているのか、本当に分からないんです」
本当に嫌な相手を、傍に置くものだろうか。反応が面白いサンドバッグだから? 分からない。打ち解けようと近づくと、いつもパンチが飛んでくるし。
私だって最初は本当に努力したのだ。頑張って仲良くなろうと。でも何をしても、何を話しかけても無理だった。今ぐらいが、お互いの適正距離なのである。一緒の家にいるだけで、挨拶や会話も他人行儀。だから、寒い。
「さて。それは、貴方が自分で判断することじゃない? 私がここで答えを出したとしても、多分何の意味もないわ」
「私は嫌いな相手と一緒にいるのは嫌だな。だって目障りだよね。齧りたくなるかな」
アリスとルーミアの答え。二人とも正しい。だが、分からないのだ。嫌わないでほしいという気持ちはある。でも、無理なら迷惑になるので離れたい。幽香はそれを許さない。じゃあどうすれば良い。故に私は混乱する。
「目障りとは良く言われます」
「でも、家には置いてくれるんだ」
「はい」
「そうなんだ。良かったね」
「……はい。そうかもしれませんね」
ルーミアが笑い掛けて来たので、私も気分を変えて笑うことにした。悩んでいても仕方がない。
御椀が空になったと思ったら、鍋奉行アリスがどんどんよそってくれる。流石はアリス。できる女である。ルーミアは鍋を突いて直接食べ始めたので、人形に駄目を喰らっていた。私に似て、意外とせっかちなのかもしれない。
「もう少し、自分で考えて見ます」
「……そうね。それがいいわ」
「じゃあ、代わりに良いことを教えてあげようか」
「良いことですか?」
耳寄りな情報はぜひ教えてほしい。お買い得情報とか宝のありかとか。
「うん。美味しいお肉の見つけ方。極秘情報だよ」
「……それはまた次の機会に」
「分かった。絶対に教えてあげるね」
断言するルーミア。……しまった。これは、教えてもらうフラグが確実に成立してしまった気がする。だが、食べるとは言っていないのでセーフ。むしろ、ルーミアと遊びにいくフラグということにしておこう。
ルーミアは魔法の森に詳しいし、美味しい木の実とかキノコとかとってくれたりする。見かけは可愛い女の子なのに、野生生活の達人なのだ。
そんな彼女の家がどこにあるかを、私は未だに知らない。隠れ家がいっぱいあることは知っている。ルーミアいわく、本当の家の在り処を知られたら死んじゃうそうだ。私が更に追及すると、実は家が弱点なんだとか言っていた。これは絶対に嘘である。多分、食べ物を一杯蓄えてあるのだろう。いつか探し出してつまみぐいしてやるつもりだ。食べられそうなものだけ。
「今年の冬は、長いのかしらね」
「寒い間は食べ物が少ないから悲しいよね。でも、保存状態の良い死体が見つかるからそれは良いんだけど」
「今年の冬は――」
ルーミアの死体談義が始まりそうだったので、私はアリスの話を広げることにした。あからさまにがっかりするルーミア。冬に採れる美味しい肉について、これから長々と語るつもりだったのだろう。主に私に対して。
「多分、長くなりますよ。きっと、春が恋しくなるくらい」
「どうしてそう思うの?」
「ただの勘ですけど。私の勘は悪い方には良くあたるので、信用していいですよ」
「貴方が言うと、妙な説得力があるわね」
春がいくら待っても来ない春雪異変。後数ヶ月の間に起こるのは間違いないだろう。私は異変に向けてある準備を整えている。
それは“冥界への亡命”だ。異変解決時の混乱に乗じて、一気に冥界に忍び込んでしまうつもりだ。結界さえ博麗霊夢たちに破壊してもらえれば十分にチャンスはある。
幽香の家にいるのが嫌だという気持ちも大いにあるが、一度距離を置く事で頭が冷えるのではないかと思った。これはマフラーをもらったことが切っ掛けでもある。
私はあの家にいると、幽香への憎悪の感情に嫌でも囚われてしまう。湧き水が如く、負の感情が次々に溢れてくる。自分では止められそうにない。
だから、落ち着いて冷静になった上で、自分がどう思っているのかを考えたい。考えるには、冥界はうってつけだろう。なにせ生きてる者などほとんどいない。
それに、西行妖もちょっと見てみたいし。もちろんただ飯を食べる気はない。ちゃんと白玉楼で働かせてもらうつもりだ。駄目なら彼岸花に擬態して隠れていれば良いだろう。私の計画は完璧である。
「燐香、なんだか覚悟を決めた顔してない?」
「ぜ、全然してませんよ。気のせいです」
「ふーん、そうなんだ」
そうなのかーとあくまでも言わない。どうしてそこで言わないの。
そのルーミアは、試すような視線をまだこちらにむけている。アリスは特に何も言わずに、静かに料理を食べている。
ここはひとつ、適当に弁解をしておこう。アリスに心配をかけるのは嫌だから。
「えっとですね。強いて言うなら、美味しい料理も食べたし、明日から頑張ろうと気合を入れなおしたところですね。寒くても頑張るぞーみたいな」
「へぇ、そうなんだ。凄く嘘臭いね」
「oh……」
ルーミアの鋭いツッコミに、私はオーバーリアクションを取ってみる。それを見ていたアリスが苦笑する。
「全く、貴方達は本当に賑やかね。あ、うどんも食べる? 一応買っておいたのだけど」
「食べたい」
「喜んで!」
「はいはい、だから慌てないで。すぐに用意するわ」
なんという暖かい光景なのだろう。いつまでもこうしていたいが、終りが来るからこそ“幸せ”には価値があるらしい。だから、私は今を一生懸命楽しみたい。後で思い返したとき、あのときは楽しかったなぁと思えるように。そうすれば、一人でも多分大丈夫。寂しくないだろう。
――ああ、私は今、とても充実している。