この地獄のような場所でも、深夜だけは私だけの時間だ。悪魔――幽香も睡眠だけはしっかりと取る。妖怪の癖に早寝早起きなのだ。美容のためだろうか。知った事ではない。
足音を限界まで殺して、自分の部屋を出る。部屋といっても、衣装棚とベッド、小さな机しかない殺風景なものだが。
どうやら、幽香は太陽の畑一帯になんらかの警戒線を張っているらしい。そこさえ越えなければ、悪魔を目覚めさせることはない。以前引っ掛かったので身にしみて分かっている。大体の範囲もだ。悪魔が気紛れで変えていなければ。
「…………いける」
息を潜めて、家を飛びだす。そのまま低空で飛行して、目的地である彼岸花地帯を目指す。ここは私の領域だ。
そういえば、最初に空を飛んだときは感動を覚えたものだ。自分が鳥になったような気がして、笑いながら飛び回っていた。もっと素敵な笑みを浮かべた幽香に対空技を喰らい、撃墜されるまでは。
涙が出てくる。あの女、いつかぶっ殺してやると思うのだが、実行に移せるときは来ないだろう。ぶっ殺すと心の中で思っても、手が動かないのだから仕方がない。私には覚悟も実力も足りないのであった。
そんなわけで、せめて実力ぐらいはつけようと、深夜に自主鍛錬を行なっている。
「よいしょっと」
幽香に見つからないように地中に埋めてある、手製の道具を取り出す。御札に見立てた葉っぱである。念を篭め、妖術行使の補佐をするためにたくさん作成している。なくても行使できるが、ぎりぎりの戦いのときに備えてのもの。
一度息を吐き、呼吸を整える。集中して、敵のイメージを作り出す。仮想敵はもちろん幽香。だって他に知らないのだから仕方がない。
目の前に、霞がかった幽香が現れる。やべぇ。もう勝てない気がする。しかし負けてはいられない。この世界で自由を手に入れるためには、絶対に乗り越えねばならない相手である。
集中したあとで、素早く手をかざす。
「呪縛!」
白い鎖が幽香もどきに絡みつき、雁字搦めにする。あの女の恐ろしいところは、圧倒的なパワーである。とにかく動きを封じなければ勝ち目はない。
さらに葉っぱを三枚使い、自分の周りに妖結界を構築。まずは防御を固める。幽香ならば、口から怪光線ぐらい容易く放つだろう。
両手を使って印を結ぶ。前の知識にあったのでまねてみたら、効果が倍増したのできっと意味のあるものなのだろう。邪を払うものだったはずであり、妖怪である私が使うのはどうなんだという話だが、今は神や仏の力も借りたいときである。エクソシストでも来てくれたら即座に泣きついてしまう。
「呼吸を整えて、精神を集中する!」
カッと目を見開き、固く握り締めた両手を幽香もどきへと向ける。
「魔界煉獄ビームッ……もどき!」
格好つけて本気で放ってしまうと私の大事な彼岸花地帯が大惨事となってしまうので、小さな火の粉を作成するだけの『必殺技もどき』に留める。魔界とつけたのは特に理由はない。なんか格好良さそうだし。魔界といえば魔王。魔王といえば第六天魔王。火属性につよくなりそう。エンチャントファイア的な意味で。
幽香は間違いなく草・格闘タイプなので、攻めるならば炎と術が良い。効果は抜群のはずだ。それに、ガチンコ対決だと勝てる気がしないので、搦め手を使って陥れなければならない。卑怯だろうがなんだろうが勝てば良いのだ。
と、自分では思っているのだが、幽香の教育方針は全く違う。力こそパワー。パワーこそ大正義。力なきものは死ねが幽香のモットー。その主義を私はいやというほど体に教え込まれている。子供にあった教育をしましょうと誰か注意してくれる人はいなかったのだろうか。うん、いない。
妖力の限界値を徹底的に鍛え、真正面から叩き潰すための鍛錬を私に課している。一体私をどうしたいのかと聞いてみたいところだ。予想では、幽香の遊び相手ぐらい務められるように、だと思う。そう、妖怪サンドバッグである。だって2Pカラーだから仕方がない。
ちなみに、目の前にいた幽香もどきのイメージは、私の魔界煉獄ビームを片手で容易く掻き消していた。呪縛が効いていたのは僅か3秒。本当に恐ろしい。実戦だったら十秒もたずにノックアウトである。化物め。
◆
翌朝、鍛錬を開始しようとしていたら、空から号外が降ってきた。『スペルカードルール制定』を大々的に知らせる内容だ。文々。新聞、射命丸文が作成している新聞。初めて見たので感動もひとしおだ。やはりここは東方世界なんだなぁとしみじみと感じる。
私も早く修羅の道から抜け出したいものだ。小指でケジメつけてもいいので逃げ出したい。とにかく、この号外は私の宝物に――。
「……ふん。弱者のお遊戯につきあえって? 馬鹿馬鹿しい」
号外は乱暴に取り上げられ、妖術の炎で燃やされてしまった。
「…………」
「何よ。私の行いに文句でもあるの?」
「いいえ。全くありません」
「もしかして、興味があったのかしら」
「いいえ。全くありません」
「本当に?」
「本当です」
「相変わらず嘘が下手くそね。まぁ、お遊戯のことなんてどうでもいいの。さぁ、今日も楽しい鍛錬を始めましょう。お前はもっと強くなる義務がある」
楽しくないし、そんな義務もないのでやめてください。心の中で叫ぶが聞いてくれる優しい人は存在しない。
それに、なんで嘘がバレたのか。表情は限界まで殺しているはずなのに。まさかさとり能力まで身につけているのでは。否定できないのが恐ろしい。なにをしでかしても、こいつならありえるという迫力がある。
しかし、はっきりと分かった。今はスペルカードルール制定直後。つまり、異変の数々はこれから起こっていく。実力主義が否定される、非修羅の世界がようやく到来するのだ! 平和万歳! やったね燐香ちゃん、友達が増えるよ! もう鼻歌でも歌いだしたくなるほどだ。
「私の話を聞かずにニヤついているなんて、随分と余裕みたいね。今日はお前が白目を剥いて気絶するまでやってみましょうか」
「……え」
話を聞き逃していたのか。致命的な失敗だ。殴られなかったことは幸いだが、その報いは大きい。
「反論は許さない。さぁ、新記録に挑戦しましょう。――構え、撃てッ!!」
幽香が隣で極大光線をぶっ放す。元祖マスタースパーク。凄まじい威力だ。私もそれに続いてぶっ放す。暫くすると、こちらの光は数本へと分岐する。いわば、拡散型マスタースパークである。力で幽香に劣る分、小手先の技術を用いている。真正面からでは打ち勝てないのであれば、こうするしかない。いずれ、幽香のふざけた脳天に叩き込んでやろうと決意している。もちろん意気込みだけだ。
ちなみに収束型も習得している。威力を重視した、確実に急所を貫くための螺旋を纏った必殺光線。これは奥の手なので披露していない。
「ようやく実戦レベルといったところかしら。最初にふざけたことをしたときは、捻り殺してやろうかと思ったけど、我慢した甲斐があったわね」
「はい。お母様」
顔を引き攣らせながら、深々と同意しておく。ちなみに、私の幽香への呼称は『お母様』である。心の中では、悪魔、鬼、あの女、外道、優しくない方の幽香、などなどバリエーション豊かなものが揃っている。さとり妖怪でもつれて来られたら私は軽く百回は死んでいることだろう。
幽香の妖力から生まれたのだから、確かに親に当る。しかし、私の自由は誰にも束縛されてたまるものか。全ては紅い霧がでるまでの辛抱だ。そのために隠形術もこっそり修行したし、逃走術や結界術も訓練している。幽香いわく、小手先の技術。隠れて修行しているのがバレたら百回殺される。だが止めない。自由を得る為に必要なリスクだから。
自由を手に入れたら、友達を沢山作るのだ。人里に遊びにいったり、幻想郷を見て回ったりしてほっこり暮らすのだ。こんな世紀末格闘ゲームの世界なんて真っ平ゴメンである。そういうのは鬼と好きなだけやっていればよろしいのだ。
「次ッ。敵は溜める時間なんて待ってくれないわよ。何度も言わせるな、グズが!」
「わ、わかりましたから、焦らせないでください」
「言い訳など聞く耳持たないわ」
「は、波アアアアアッッ!!」
弁解は罵声でかき消されるのだった。反応すれば三倍の罵声と鉄拳が飛んでくる。
しかし気合だけはのってきたので、両手で拡散光線をぶっぱなす。太陽の力もついでに借りておこう。フシギバナ先生のソーラービームへと変更だ。拡散ダブルソーラービーム。大空をのぼっていく多重光線。実に気分爽快である。残念なことに、太陽パワーは幽香には効果はいまいちである。うっかり使用して吸収されないように絶対に気をつけようと心に誓う。
ふと隣を見ると、幽香が満足気に頷いていた。仮想敵はお前なのだとにこやかに告げてやりたかったが、なんとか堪えることに成功した。私は実に親孝行である。