コードギアス 反逆のルルーシュ LOST COLORS R2~蒼失の騎士~ 作:宙孫 左千夫
アーニャ・アールストレイムはナナリー・ヴィ・ブリタニアの護衛任務を自分でも驚くほど楽しんでいた。
というか気に入っていた。任務をではない、ナナリーという人間をだ。
ナナリーとの触れ合いは様々な意味で新鮮だった。護衛という任務はその対象と四六時中一緒にいる事になるので、仲良くなるのに時間はそうかからなかった。
それに、本人達も自覚していないのかもしれないが、二人には淡い共通点もあった。
ナナリーはスザクの事を、アーニャはロイの事を……。
そんな共通の課題・問題を抱える少女達が仲良くなるのは自然な流れでもあった。
いつしか、アーニャはナナリーを皇女殿下ではなく、一人の大切な友達として見るようになった。
と言っても、それはもちろん表には出さない。
アーニャはナイトオブラウンズ。ナナリーは皇女殿下。皇女とその臣下。地位が違う。しかし、お互い裏では友である事を無意識に了承していた。
だから、ナナリーがエリア11行きを決めた時、アーニャは自分もついて行こうと考えた。
別にナナリーから頼まれたわけでは無い。ただアーニャ自身が、友の理想のために何か協力したいと思ったのだ。
なぜなら、アーニャには、そのような理想などなにも無かったから。
○
ジノ、ロイ、アーニャの三人がエリア11に出立する前夜。
エリア11の新総督に就任することが決定しているナナリー・ヴィ・ブリタニアが暮らすべリアル宮では、とある会食がセッティングされた。
「では……偉大なるブリタニア、唯一皇帝陛下の御名の下に」
一人の男が上座で音頭を取ると、その場の全員が唱和する。
『御名の下に』
アーニャもそれに習って言う。同時に、手に持った果実酒をグイっとあおった。
――不味い。
それがアーニャの素直な感想だった。
酒は、ジノとロイがたまに二人で美味しそうに飲んでいるが、こんなものをがぶがぶ飲んでよく楽しい気分になれるものだ、とアーニャは思う。
「♪」
当のジノは、アーニャの隣で、鼻歌交じりで果実酒を飲み干し、美味そうに息を吐いた。
そんなこんなで会食は始まった、メンバーはシュナイゼル、その副官カノン、ナナリー、ジノ、アーニャ、そして、ローマイヤ。
ちなみに言えば、シュナイゼルとは、あのシュナイゼルだ。
第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニア。
宰相という地位にあり、世界の三分の一を支配するブリタニア帝国の実質ナンバー2に名を連ねる男である。そんな男も、今この場だけは、目の前の腹違いの妹に一人の兄として優しく微笑みかけた。
「大丈夫かい、ナナリー?」
声に従って、アーニャが顔を向けると、そこには、アルコールのせいで顔をぽっと赤くしたナナリーがいた。
さすがにアーニャと歳が同じなだけあって、果実酒に対する味の評価は一緒だったようだ。ただ、そのあとの仕草がちがう。
「は、はい。大丈夫です……」
アーニャはお酒を飲んでも、その苦痛があまり表には出ないが、ナナリーにはそれが如実に顔に出ている。
(……可愛らしい)
と、アーニャは同性でありながらも、今のナナリーにそのような女性特有の魅力を感じた。顔が赤くなってそれを恥らう様子など、心を鷲掴みにされるような保護欲をかき立てられる。
純粋に、アーニャは羨ましいと思う。あの魅力はどんなに頑張っても自分には出せないもの。だから、今、自分自身が抱く気持ちと同じ気持ちを、“あの人”が自分を見て抱いてくれる事は無いだろう。
「すみません。シュナイゼル兄さま……」
ナナリーが更に恥ずかしそうに手で頬を挟む。シュナイゼルはそんな妹に穏やかな視線を送った。
「恥らう事は無いよナナリー。しかし、君の可憐さはいつ見ても損なう事は無いんだね」
歯が浮くようなセリフをサラリと言うシュナイゼル。
「兄さま……」
ナナリーはそんな兄の言葉に、今度は耳まで真っ赤にさせた。
そんなこんなで、会食は和やかに進んだ。会話も弾み、時には皆の顔に笑顔も浮かんだ。
会食開始から三十分が過ぎた頃。会話の話題はこの場にいない男の話になった。
「ところで、一つお聞きたいのですが、ナイトオブゼロは来られないのですか?」
シュナイゼルの副官。女性のような外見と気品を持つ男、カノン・マルディーニは首をかしげながら一同に問うた。
「てっきりこちらにいると思ったんですけどいらっしゃらないし、遅刻して入ってこられる様子も無いし。個人的にはお会いできるのを楽しみにしていたんですけど……」
艶やかな仕草で、頬に手をあて、残念そうに首を左右に振るカノン。
返答は、そのカノンの一番身近な男、シュナイゼルから出た。
「彼はいいんだよカノン。欠席の理由も聞いてるから」
「? そうなのですか殿下」
「ああ、彼には本当に悪い事をしてしまった。私は詫びねばならないんだろうね、兄としても、弟としても」
と言って、ヤレヤレと首を振る。
そのシュナイゼルの様子を見たジノが、小声でアーニャに話しかけてきた。
「なぁ、アーニャ」
「なに?」
アーニャは視線を向けずに答えた。
「何でロイは来ないんだ?」
アーニャは黙って、メインのヒラメのムニエルの脇に備え付けられたサラダを口に運ぶ。
それでもジノは構わず聞き続けた。
「あいつ、今日は来る予定だったよな? なのに急に欠席とはどういうことだ? 私は何も聞いてないんだが……」
「ロイは、来る“予定”だった」
ジノは怪訝そうに眉をひそめた。
「アーニャ。お前、どうせまた、ナナリー皇女殿下の公務の予定が入ってた昼までロイの執務室にいたんだろ。なんか聞いてるのか?」
「……ロイの来れない理由は」
アーニャは、少々棘のある口調で説明を始めた。
○
話は今日の昼前に遡る。
ロイの執務室は、一見すると図書室に迷い込んだのではないかと勘違いしてしまいそうになるほどの学術書に囲まれていた。
しかし、その本は乱雑に置いてあるわけではなく、全て丁寧に整頓されており、棚の外観からも、この部屋の主の几帳面な人柄がうかがえるようだった。
その部屋の一番奥に置かれた執務机の上で、ロイの指が的確にキーボードの上を渡り歩くのを横目で見つつ、アーニャはソファの上で、分厚い本のページをめくった。
アーニャは、日課のお勉強の最中だった。本来であれば、ロイが家庭教師のように勉強を見てくれるのだが、今日は自習だった。
それも無理はなかった。
今、ロイは一言で言えば忙しかった。忙殺されていると言ってもいい。
一ヶ月間の長期任務から帰ってきたばかりなので、その終了報告書を作成しなければならないのはもとより、急にエリア11行きを決めたのも相まって長期的にゆっくり片付けるはずだった仕事も数日で片付けなければいけなくなった。
それに、ロイにはナナリーの立ち上げる各種、福利厚生やそれに連なる事業の執務の取り纏めを一手に引き受けてもらっている。
ロイはスラム出身だが一体どこで勉強したのか、その政治的、内務的能力はあのシュナイゼルに「僕の秘書になってほしいぐらいだ」と言わしめる程で、面倒くさくて時間もかかる書類仕事でも文句一つ言わずに、しかも迅速に片付けてくれる。
そのお陰もあって、ナナリーの立ち上げた事業の運営経過もおおむね良好だった。しかし、それらはいつも時期的にギリギリでやっている事だった。
ロイはいつも期限に追われている。そして今もだ。しかも今日は、明日の朝までに完成させなければいけない類のものも多かった。
夜にはシュナイゼル、ナナリー両皇族との会食も予定されている。これは、エリア11の情勢に対する対策会議も兼ねての会食なので、執務が終わらなくて出席できないのではシュナイゼル殿下にラウンズとしての資質も問われかねなかった。
「……」
アーニャはまたチラリと、パソコンの光に照らされるロイの真剣な横顔を盗み見た。
分厚い眼鏡をかけているから表情は良くうかがえないが、きっと眉をひそめて唸るような顔をしているのだろう。
ナナリーの手伝いをして欲しいと頼んだ手前、アーニャは常々、ロイの手伝いをしたいと思っているのだが、そうするにはまず勉強から始めなければいけなかった。
全くもって、今まで戦闘技術の習得や戦術ばかり熱心に学んでいた自分に少々呆れるが、だからと言って文句ばっかり言っていても仕方が無いので、いつかロイの作業の手伝いが出来る事を夢見て、アーニャはここ半年程、熱心に政治学と社会福祉学を学んでいた。
分厚い専門書と格闘していると、たまに意味の分からない単語が出てくるので、その本を一旦置いて、本棚から新たな本を取り出し、その単語の勉強をする。それの繰り返し。
アーニャの前の机に、次第に本がたまって行くのはそういう理由からだった。
「アーニャ。分からない事があったらいつでも聞いていいからね」
時々、ロイは思い出したかのように笑顔をこちらに向けてくれる。
アーニャはそれにコクリと頷いて返答した。
と言っても、実際それをするつもりは無い。それほどロイは忙しいし、邪魔などしたくは無い。
だったら、自分は家で大人しくしていればロイにとっては一番良いとは思うのだが、そこらへんはここ一ヶ月以上ずっと会えなかった訳だし、こうやって傍にいるぐらい大目に見て欲しい所だった。
アーニャはそのまま、ナナリーの護衛任務にあたる昼までロイの執務室で過ごしていた。ロイは構ってはくれないが、それでも一緒にいるという事実だけでアーニャは満足だった。そう満足だったのだ。執務室に、あの人が来るまでは……。
「ロイ様~♪ いらっしゃいますか~?」
木製の重い扉を勢い良く開けながら、一人の少女が部屋に雪崩のように入り込んできた。
突然の事にびっくりして、ロイは視線をその扉に移す。そして、その人物の姿を確認すると、目を丸くした。
アーニャと歳の変わらないぐらいの少女がそこにいた。ただ、その地位は全く違う。
「あっ、いらっしゃいましたわね。ごきげんようロイ様~♪」
その少女は、ロイを見つけると、嬉しそうに部屋の奥へと入っていく。
カリーヌ・レ・ブリタニア。ブリタニア帝国第5皇女。歳はアーニャと同じ15。個性的なドレスを翻し、大きな輪が付いた髪留めを愛用している。顔立ちはそれなりに整っており、どことなく妹のナナリーと似ていなくもない。
「こ、これはこれはカリーヌ皇女殿下」
ロイは素早く机の前に出て敬礼をし、膝を折るとうやうやしく頭を下げる。
ラウンズであり臣下であるアーニャもそれに習い、即座に頭を下げた。
しかしカリーヌは、そんなアーニャを無視して、というか眼中に無いといった感じで前を通り過ぎると、ロイに駆け寄った。
「お顔をお上げになってロイ様。私とあなたの間柄ではありませんか」
――ただの皇女と騎士の関係。それ以上でも以下でもない。
その言葉が口から出かかったが、アーニャはグッと我慢した。大変な労力だった。
そんなアーニャの苦労を尻目にカリーヌは嬉しそうに言った。
「帰国なさったと聞いてすぐに飛んでまいりました。でも、次からは会いに来て下さると嬉しいわ」
「申し訳ありませんカリーヌ様。わざわざ足をお運びいただいて恐縮の限りです」
「いえ、いいんです。ロイ様にも様々な事情がおありでしょうし」
アーニャはそんなカリーヌを冷めた視線で見つめる。
カリーヌはどうも、ロイの事を気に入っているらしく。この執務室にも良く来る。そう、アーニャにとって聖域であるこの部屋に来るのだ、この御方は。
(今回は一体何しに来たの、この人……)
そう思いつつ、カリーヌの猫かぶりの不快さに眉を歪ませた。
猫かぶり。と言うのはその通りの意味である。ここにいるカリーヌはあくまでロイに好かれようとして、可愛らしく振舞っている。
カリーヌの本性はそうではない。アーニャは忘れない。かつてこのカリーヌがナナリーに辛らつな言葉を浴びせた事を。
とは言っても、最近はそのような事は無くなった。だが、それはロイが「ナナリー殿下と仲良くして下さい」と何気なく頼んだからだ。
ロイは何の事情も知らず、ただ、友達のスザクがナナリーと知り合いだと知り、そして、そのナナリーとカリーヌの歳が同じだからという理由だけで、本当に何気なく言った言葉だったが、流石のカリーヌも大好きなロイの頼みとあっては軽く受け取る事は出来なかったらしく、以前のように直に辛らつな言葉を浴びせる事はなくなった。
だが、心の中では何を思っているか分かったものではない。
かつて、ナイトオブスリー。ジノ・ヴァインベルグはこう言った。
――この国の皇族は結構きついぞ。
その通りだった。この国の皇族は一部を除き、他の家族を陥れる事を何とも思ってない。
そして、このカリーヌという皇族はその“何とも思ってない”方の部類に入る。
気は抜けない。特にカリーヌはナナリーを嫌いに嫌っている。なのでいつ、その矛先をナナリーに向けるか分からない。
そうやって、瞳を鋭くするアーニャに全く気付かない様子で、カリーヌはロイを立たせると笑顔で言った。
「ロイ様。積もる話もございましょう。今から私、軽く買い物をしたあとレストランで昼食をとろうと思っていますの。よろしければご一緒してくださいませんか?」
「いえ、私は……」
ロイが仕事があります、と言う前に、カリーヌが口を挟んだ。
「ロイ様、行きましょ。行きましょうよ~」
「いえ、しかし……」
ロイは弱々しく否定を繰り返すが、カリーヌは一向に引き下がらない。いや、引き下がらないどころか、むしろ接近している。今にも鼻と鼻が触れ合いそうな距離である。
(……近い)
アーニャはそう心の中で呟くと同時に、体を起こして言った。
「カリーヌ様。ロイは仕事中」
その言葉が聞こえたのか、カリーヌはピタリと止まって。
「なに? あなた居たの?」
と、こちらに敵意丸出しの視線を向けて面倒臭そうに言った。
アーニャはそのカリーヌの赤い瞳を真っ向から見つめ返す。
「いた。しかも朝から」
「そう。別にそれはどーでもいいんだけど。で、あなた何か言ったかしら?」
「言った。ロイは仕事中」
「ふん。お父様の飼い――」
飼い犬が、またこの私に意見するの。とカリーヌは言いかけてハッとして言葉を止めた。
ここでのお父様の飼い犬。というのは皇帝の騎士であるナイトオブラウンズの事を指す。かつてカリーヌはこの言葉をアーニャに臆面無く言い放ったが、今は口をつぐんだ。
言えないだろう。なにせ今回は、飼い犬は飼い犬でも前回とは違い、隣には大切なナイトオブラウンズのロイがいるのだから。
「お、お父様の名誉ある素晴らしき騎士様如きが私に意見するの!」
「……」
卑下と尊敬語が入り混じりすぎて言葉がおかしくなった。
アーニャは、相変わらずの無表情面で言う。
「カリーヌ様。今ロイは大切な仕事に取り組んでる。しかもそれは明日の朝までに仕上げなければ関係各所に影響を及ぼす物」
「ロイ様は優秀だから私と多少遊んだぐらいでは仕事を遅らせたりしないわ」
「……」
アーニャは生まれて始めて盛大に舌打ちをする所だったが、これも我慢した。本当に大変な労力だった。
そのまま、戦いは無言の境地へと至った。
視線がぶつかっている。そりゃあもうバチバチと。
ある人の言葉を借りれば、女の「意地の張り合い、せめぎ合い~」と言った所だろう。
「あ、あの、二人とも……」
自分の執務室に、なんだか険悪な雰囲気が立ち込めていくのを感じたのか、ロイがおそるおそると間に入ろうとする。
しかし、
「ロイは黙ってて」
「ロイ様は下がっていて下さい!」
と凄まれて、ロイは何も言えずシュンと肩を落とした。
そんなロイの様子を尻目に、アーニャは瞳の鋭度を高めて、カリーヌに向き直る。
「カリーヌ様。我侭も程ほどに――」
アーニャが少々棘を含んだ口調で言いかけた所で、
『キャンベル卿。いらっしゃいますか』
という、女性の音声が部屋に響き渡った。
ロイはすぐに机に備え付けてあるボタンを迅速に押すと同時に話す。多少、助かったという気持ちがあったのかもしれない。
「キャンベルだ。何か?」
『キャンベル卿にプライベート通信です』
「プライベート通信?」
ロイは怪訝な顔をしたが、考えたからどうなる問題でも無いと判断したのだろう。すぐに返事をした。
「分かったモニターに出してくれ」
『了解しました』
すると、しばらくして、机に備え付けてある小さなモニターにある人物が映った。
ロイは、また目を丸くした。
「オ、オデュッセウス殿下!?」
映し出されたのは、ブリタニアの第一皇子。オデュッセウス・ウ・ブリタニアだった。
『やぁロイ。任務から帰ってきたって聞いてね。ああ、変にかしこまった挨拶はやめておくれよ』
それでも、ロイは背筋を伸ばし、恭しく頭を下げた。
オデュッセウスは気分を害した様子も無く、
『律儀な男だね君は。まぁ、君のそういう所は好きだよ』
と言って、軽く微笑んだ。
実を言えばこのオデュッセウスもロイを気に入っている皇族の内の一人だった。
『ロイ。良かったらまた私の悩みを聞いてくれないかな。……って何をしているんだいカリーヌ?』
オデュッセウスはロイの後ろに引っ付いていた妹を見つけて首を傾げた。
カリーヌはここぞとばかりに元気良くロイに抱きついて言った。
「いまからロイ様とデートに行くんです♪」
「えっ、ちょ、カリーヌ様!?」
素っ頓狂な声を上げるロイを尻目に、画面の中のオデュッセウスは柔和に微笑んだ。
『そうか、それは良かったねカリーヌ。なら、私の件は後回しで構わない。別に急ぎではないからね。悪いが頼むよロイ』
「え、いや、私、自分は……」
ロイはまた「仕事が」という単語を口に出す前に、言葉を挟まれた。
『最近、君のお陰なのか、カリーヌが我侭を言う事もすっかり減ってね、なによりナナリーと仲良くしてくれるようになったのは本当に良かった。昔なんか口を開けば悪口ばかり――』
「お、お兄様! そろそろよろしいかしら!」
慌てた様子で、カリーヌが言葉を挟む。
『ああ、そうだね。邪魔をしてすまない。では、ナイトオブゼロ。ロイ・キャンベルよ。君に我が妹、カリーヌのエスコートを命じる』
命じられてしまった。
これは皇族からの命令だった。しかも、その相手はいくら凡庸と言われていても、ブリタニアの第一皇子。
そんな方から命じられたのだ。それは、その内容はどうあれあのシュナイゼルに命じられたのと同じぐらいの効力を持っていると考えてよい。
いや、それ以前に、仕えるべき主に命令されたら、騎士の返す言葉は一つしかない。
「えっ、あ、い、イエス・ユア・ハイネス……」
「やった~♪」
と、小さく万歳をするカリーヌの隣で、
「……」
アーニャは、ため息しか出なかった。
○
「それで、散々カリーヌ様の豪遊に付き合わされて、帰ったら見事に日が沈んでたって聞いた。それで、今ロイは自分の執務室で一生懸命書類の山と格闘してる」
「それは、それは……」
ジノはアーニャの言葉に対して苦笑した。
「私も手伝いたいけど……力不足。まだ部隊運用とか、指揮体勢の構築とかのレポートならまとめられるんだけど、それはロイがすでに終わらせた……」
それはつまり、もうアーニャが手伝える類の仕事は残ってないという事だった。
「ロイ。今夜は眠れないかも」
アーニャは俯いて言った。
ジノは困り果てた様子で、頭をポリポリと掻いた。
「そうか、それは災難だったな」
「ロイ。今夜は眠れないかも……」
アーニャは大切な事なので二度言った。
ジノは、そのアーニャの意図に、はたと気付いた。
「ロイ。可哀想……」
「いや、アーニャ。こう見えて私も結構忙しいんだよ、昨日も徹夜でさ。眠くて眠くて」
そう言うジノに、アーニャはそのやや赤めの瞳を初めて向けた。
「可哀想……じゃないの?」
わずかに首を傾げるアーニャ。
語尾の変化をジノは聞き逃さなかった。
「いや、それは、まぁ……」
「ジノは親友。ロイはそう言ってた」
「私だってそう思ってるけど、こればっかりは」
「親友だって、言ってたのに。ジノにとっては違う……の?」
そうアーニャは、どこか悲しげに瞼を歪める。
ジノは……諦めた。
「分かった、分かったよ、後で手伝いに行けばいいんだろ……」
そうジノが言うと、アーニャは顔を悲しげな表情から、いつも通りの無表情面に戻し、パッとその視線をジノから目の前の料理に戻した。
「そう。ならお願い。私もナナリー殿下を送り届けてから行く」
その表情の変わり様は、ある意味賞賛に値した。
ジノは呆れて、皮肉交じりの笑顔を浮かべた。
「……ったく、ロイと知り合ってから、そういう話術ばっか上手くなったなアーニャ」
「誉められたと思っておく」
と、ここでジノは「んっ、待てよ」と、
「アーニャ、お前やれる仕事も無いのに何しに来るんだよ?」
するとアーニャは少々自信ありげに言った。
「お夜食を作る」
「夜食? 何を?」
「おにぎりを習った。夜食にはこれが一番」
と言ってアーニャは、胸の前でおにぎりを握るような仕草をした。
しかし、ジノは、さらに疑問に思った。今までアーニャがおにぎりなんて作った所を見たことが無かったからだ。
「だれから習ったんだ?」
「“セシル”から」
ジノは少し考え込んで。
「……ほう、それは楽しみだ」
と、またセシル式料理を食べられるのかと素直に喜んだ。
「私は味見した事無いけど、味はセシルが保障してくれた」
この場にロイがいたら、顔が真っ青になっていたに違いなかった。
○
会食も終わり、全員が食後の紅茶を楽しんでいたころ。
「そろそろ、頼もうかな」
と、シュナイゼルがナナリーに視線を送った。
ナナリーは小さく頷き、
「ではローマイヤさん。お願いします」
「はい」
と、静かに返答をしたのは、今まで末席に座り、会食中もほとんど口を開かずに黙り込んでいた淑女風の人物だった。
緑を基調とした服を翻し、彼女がスッと腕を上げると、部屋の隅に立っていた給仕達が一礼して部屋を退出していく。
そして、その扉が完全に閉められた事を確認すると、ローマイヤは口を開いた。
「では、これより現在のエリア11、及び、周辺地域の情勢について説明させていただきます」
ローマイヤが言うと、上から巨大なモニターがゆっくりと降りてきた。
今回の会食の一番の目的が始まろうとしていた。