コードギアス 反逆のルルーシュ LOST COLORS R2~蒼失の騎士~ 作:宙孫 左千夫
その男にとって、学校――アッシュフォード学園の屋上は大切な場所だった。
だから男はあの出来事から一年が経った今でも、定期的にこの場所を訪れるようにしている。
もっとも、その場所が大切な場所だったと思い出せたのはごく最近のことだったが……。
「今夜は冷えるな」
男――ルルーシュ・ランペルージは屋上の入口から転落防止用の手すりに向かう途中、通り抜けていく秋の夜風に対してそう評価した。
いや、冷えるのは風のせいだけじゃない。春だろうが夏だろうが、今のルルーシュにはこの屋上が酷く冷えたものに感じられただろう。
辺りは暗い。すでに一般の家庭では家族で食卓を囲んでいる時間だ。
屋上には当たり前のことだがルルーシュ一人しかいなかった。
やけに広く感じた。
かつてここは、よく三人で集まって他愛もない話をしていた場所だった。
『どうしたんだいルルーシュ。元気がないのかい? 珍しいね』
その時、ルルーシュの背後から声がした。ゆっくりと振り返る。
そこには一人の男がいた。銀の髪、端正な顔立ち、スラリとした体躯。
『本当だ。どんなに落ち込んでてもそれを人に感じさせないのが君だったのに』
そしてもう一人。見覚えのある男が現れた。
くせ毛、栗色の髪、こちらも顔は整っているが隣の男と比べると、多少童顔だった。
「ライ、それにスザク……」
二人はルルーシュにとってかけがえのない友人だった。しかし、ルルーシュは分かっている。いま目の前にいる二人は幻だと。
この場所に二人が居るはずがない。なぜなら彼らは遠くへ行ってしまったのだから。
『人をなんだと思ってるんだお前達は』
その時、二人の友人の前に立ちはだかるように“自分”が現れた。
自分――ルルーシュは二人に文句を言う。
『俺だって人間だ。元気がない時だってある』
まるで子供のようにムキになる自分に、ライは柔和な笑みを浮かべる。
『そういう時に限って、見た目だけでも強がるのが君じゃないか』
スザクもそれにつられて笑う。
『そうそう。君は意地っ張りなんだよ昔から』
『スザク。それについて、なにかルルーシュの面白恥ずかしい昔話はないのかい?』
『あるある。あれは七年前の神社の階段で――』
『ば、馬鹿! スザク!』
自分が早足でスザクに詰め寄る。
そして、決まりきった会話を交わした三人は楽しそうに笑って語り合う。少なくとも自分は本当に楽しくて笑っていた。
楽しくて、本当に満たされていた。
(しかし、それは過去のことだ)
そう心で呟くと、三つの影はふっと消えた。
また冷たい風が吹く。
ルルーシュは、改めて屋上から学園を眺める。
ブリタニアの皇帝から記憶を改変させるギアスを受け、ただC.C.をおびき出すために、それだけのために、そんなくだらないことのためだけに汚された学園。
鳥篭。その比喩はルルーシュ自身が言ったものだが、はまり過ぎていて思い起こすたびに逆に笑みさえ浮かんでしまう。
その鳥篭の中で、ルルーシュは約一年、実験マウスのように偽りの生を謳歌させられていた。
思い出した途端、ルルーシュの顔は苦痛に歪む。身体が痛いわけじゃない。これは心の痛みだった。
奴の――いや、奴らの手のひらで滑稽に踊らされた苦痛。
憤怒など生ぬるい。今にも怒りで顔の穴という穴から炎が湧き出そうなぐらいだ。
許せるものではない。許してはいけない。思い知らさなくてはいけない。復讐しなくてはいけない。
――スザク。友を売り払った男に。
――皇帝。全てを奪った男に。
復活したルルーシュ――魔人ゼロの手によって。
(……が、しかし)
次の瞬間には、その怒りは水を引くように消えていった。
(順序を間違えてはいけない)
いつもそうだった。どんなに怒りに身を囚われていようとも、そのことを考えるだけで怒りは潮のように引き下がる。
(復讐より先にナナリー。それにアイツを……ライを助けなければいけない)
ナナリーは妹。ルルーシュの生きる目的。それを奪われた。ならば奪い返さなくてはいけない。絶対に。
そしてライ。ルルーシュが創設した黒の騎士団の幹部であり、ゼロとしてもルルーシュとしても信を置いていた男。
しかし、ルルーシュはそんなライに対し、意図的ではないとはいえ裏切りに近い行動を取ってしまった。
思い出すのはブリタニアへ連行される途中の、その輸送機の中での記憶。
スザクに捕まったルルーシュとライは別々に監禁された。拘束服を着せられ、猿轡を噛まされ、覆面を被せられた。
そんな中、ルルーシュはライと一度だけ顔を合わす機会があった。本当に一瞬の出来事だった。お互いブリタニアの兵士に挟まれて連行される途中の通路ですれ違っただけ。
ともに目だけが見える覆面と猿轡をさせられていた。だから声を交わすことは出来ない、表情も分からない。
ルルーシュは最初。通路の先にライの姿が見えた時、思わず目を逸らしてしまった。
怖かった。聡明なライのことだ。こうなった全ての元凶が自分だと気付いているに違いなかった。
しかし、この場が自分が心を許した数少ない人間との最後の対面になるかもしれない。自分達は遅かれ早かれ処刑される。だから……。
ルルーシュはそう考えて、恐る恐るライと視線を合わせた。
怒りの視線や軽蔑の視線を覚悟した。それは甘んじて受けようと思った。それだけのことを自分はしてしまったのだから。しかし、覆面から覗くライの瞳はそんな暗い色に染まっていなかった。
その瞳はとても柔らかで、とても優しげだった。
それだけではない。次の瞬間、ライの瞼は不規則に動いた。
ルルーシュはすぐに気が付いた。
それは、二人で作った遊びの暗号。瞼の瞬きの短長を1024通りにパターン化しその組み合わせで言葉にする暗号。
ブ ジ デ ヨ カ ツ タ
唖然とするルルーシュの隣を、ライは通り過ぎていった。
蔑視も怒りも無く、その瞳はただ優しくルルーシュ――友の身を案じていた。
最後まで。
処刑される可能性にも気付いていたはず、
最愛の人との別れも、その責任が誰にあるかも知っていたはず、それでも……
「最後まで信じてくれていた。案じてくれていた。俺のことを……」
風がルルーシュの前髪を弄ぶ。それでも、ルルーシュは微動だにせずにただ俯き続けていた。
その時、携帯の振動音が身体を揺らす。ルルーシュは懐から携帯を取り出し、そのディスプレイを見る。
画面には“Q-1”の表示。指で目元を拭い、一度深く呼吸してから携帯に出た。
「私だ」
『カレンです。二、三、打ち合わせしたいのですが、いまよろしいですか?』
電話の相手は紅月カレン。ルルーシュ――ゼロの親衛隊の隊長だった。
「構わない。なんだ?」
『はい。実は……』
二人はそれから数度、事務的なやり取りを交わした。
『では、私たちはこのまま領事館で待機していればよろしいですか』
「ああ頼む。ところで救出した藤堂達の様子はどうだ?」
『やはり一年近くも拘束されていたせいか、体調は万全ではないようです』
無理もないか、とルルーシュは心の中で呟いた。
一年にも及ぶ投獄。しかも、藤堂達は最重要な囚人として捕らえられていた。
おそらく一日中、身体すらまともに動かせなかったに違いない。
人間とは動かなければ衰退の一途を辿る。そんな落ちた体力を取り戻すには、どんなに努力をしても数ヶ月はかかるだろう。
「そうか。あまり無理はさせたくはないが、いつでも出撃できるよう体力を取り戻すように言っておいてくれ」
『わかりました』
「では……」
ルルーシュはそう言って携帯を切ろうとする。
『あの……』
再びカレンがなにかを言いたげに口を開いた。
「? なんだ」
『……なにか分かりましたか?』
ルルーシュはその言葉の意味をすぐに理解した。
紅月カレンは友が愛した女性。そして、その友を心から愛した女性。
公式には、ライはブラックリベリオンでゼロと共に死んだことになっている。しかし、そんなことを誰が信じるものか。
事実、死んだとされたゼロは生きていた。だからライも生きている。絶対に。それが黒の騎士団。そしてルルーシュとカレンの見解だった。
しかし、それを完全に信じられる人間などいるだろうか。もしかしたら、もうあの笑顔は二度と見れないのかもしれない。そう不安にならない人間がいるだろうか。
特に彼女はレジスタンスだからよく分かっているだろう。ブリタニアに逆らい、捕らえられた者の末路を。
処刑。
それを完全に否定できるほど、ブリタニアが甘い国ではないことを。
「……いや。私もまだなにも掴んでいない」
それが事実だった。ルルーシュはナナリーの捜索と同時進行でライを探しているが、その行方は掴めていない。
そう考えると、ナナリーはまだ良いのかもしれない。少なくとも絶対生きている。あとは取り戻すだけ。
しかし、ライはどうなのか。
ライは本当に殺されたのか、それとも生きているのか。それを確認する手段と力すら、復活したばかりの今の黒の騎士団には無かった。
「なにか分かったら、お前にはすぐに知らせる」
『はい、お願いします……』
カレンのその声からは虚勢と落胆、そしてわずかな悲しみが感じられた。
誰よりも傍にいて欲しい男の生死が分からないのだ。
そのカレンの苦しみや不安は想像に難くない。普通なら部屋に閉じこもってずっと泣いていても不思議じゃない。
しかし、彼女はそうしなかった。
一度は裏切られたゼロを助け出し。
再び日本解放を目指し。
ライを取り戻そうとしている。
自らの手で全てを果たそうと精一杯、不安と戦いながらしっかりと地に立っている。
しかし、ルルーシュは思う。それはとても脆いものなのではないかと。
カレンは決して強くはない。ただ普通の女性より、ちょっと身体と意志が強いだけ。ただそれだけで心は普通の女性と変わらない。
カレンは、きっとギリギリなのだろう。色々な物を背負いすぎてそれでも虚勢を張ってなんとか立っているのだろう。
ライはきっと生きている。その不確かな希望を支えに、息も絶え絶えで、心をすり減らしながら、ボロボロになりながら。
「カレン。ここから先はルルーシュからの言葉として聞いてくれ」
『? ……なに、ルルーシュ?』
カレンが困惑したような声を出した後、口調を緩めて聞き返してくる。
ルルーシュは静かに、しかし、絶対的な意志を込めて言った。
「ライは絶対に見つけ出し、助け出す」
受話器の向こうで息をのんだような音がした。
「俺が言いたいのはそれだけだ。切るぞ」
『……ありがとう』
電話が切れる。
ルルーシュは手に持った携帯を懐に戻しながら自嘲気味に笑った。
(ありがとう、か……)
そんなことを言われる義理は、少なくともこの件に関して言えば無い。
カレンがライと生き別れになったのは自分の責任なのだ。罵倒されたって文句は言えない。だというのに「ありがとう」ときた。
「決めたよ、ライ」
だから、ルルーシュは決意した。
「俺はナナリーを助け出す。絶対にだ。そして……」
ルルーシュの瞳に、強い意志の色が宿った。
ライがもっとも望んでいたのは何だ?
それはカレンの幸せだ。しかし、カレンの幸せは当然のことながらカレンとライが揃わなければ叶わないだろう。
だから、
「お前が帰ってくるまでカレンは俺が守る。支える。そして何があっても必ず死なせない。不幸にしない」
ルルーシュは誓う。かけがえの無い友に。
「それが、こんな俺を最後まで信じてくれた、お前に対するせめてもの……」
今夜も、屋上には冷たい風が吹く。そんな中、ルルーシュはいつまでも夜の空を眺めていた。