コードギアス 反逆のルルーシュ LOST COLORS R2~蒼失の騎士~ 作:宙孫 左千夫
控えめなノックが数度。
「んっ? どうぞ」
執務席のロイが背筋を伸ばして応じる。木製の扉は小さな軋みをあげて開かれた。
現れたのは二人の少女だった。一人は車椅子の上で、高貴さを醸し出す長髪をなびかせている。その後ろで車椅子を引くのは見慣れた同僚、アーニャ・アールストレイムだった。
「こんばんは。ロイさん」
「総督!?」
純粋に驚く。深夜とも呼べる時間に意外な来訪者だった。
車椅子の少女に駆け寄った後、ロイは即座に膝を折り、律儀にその少女と視線の高さを合わせた。
「どうされたのですかナナリー総督。御用があるのでしたら、お呼びくだされば私のほうから参りましたのに」
「私的なことでお話したいことがありまして。アーニャさんにお願いして連れてきてもらいました」
別に何も悪いことをしたわけではないのに、いたずらをした子供のようにほほ笑む皇女殿下。そんな彼女を、ロイはとても愛おしく感じた。
「私的なことですか? ああ、いえ、それよりもすぐにお茶でもお出しますよ。アーニャ。総督をテーブルに」
「分かった」
「いえ、気を使わないでください。私は……」
「いまちょうど一仕事を終えてお茶にしようかと思っていたところです。よろしければお付き合いください」
「そういうことでしたら……」
と、ナナリーはアーニャの誘導に従って席についた。
アーニャはその隣の席に腰掛ける。
それを見届けて、ロイは馴れた手つきで紅茶を淹れ始める。その一方で、隣の冷蔵庫を開けると、席に座っている少女たちに声をかけた。
「総督。チーズケーキとショートケーキ、チョコレートケーキにシフォンケーキがありますがどれがよろしいですか?」
「あっ、私はどちらでも……」
「チーズケーキ」
「じゃあ、アーニャの意見に従って全員チーズケーキにしましょう」
そしてロイは、チーズケーキを特大、中、小に切り分ける。
紅茶もできたので、三つのカップに注ぐ。その中の一つだけは、カップを何度か交互に入れ替えて中身を冷ます。これはナナリー用だ。万が一、中身をこぼして、身体にかかってもやけどをしないように温度を下げたのだ。
それらをお盆にのせて、ロイはテーブルに向かう。
それぞれに、ケーキと紅茶を振り分ける。ちなみのそのケーキの内訳は、アーニャは大、ロイは中、ナナリーは小食なので小さいのだ。
「お待たせしました」
ロイが席に座ると、ナナリーが意外そうに聞いてきた。
「それにしても、ロイさんは甘党なんですか? 冷蔵庫にはたくさんケーキが入っているみたいですけど」
「ああ、あれは僕じゃなくてアーニャですよ。この部屋にわざわざお菓子を持ってくるのは面倒くさいからって買っては置いていくんです」
「そうだったんですか。それにしても、頻繁にアーニャさんとロイさんはこの部屋でお茶をご一緒するのですか?」
「ええ、大体はそこにスザクやジノも加わりますが。ねぇ、アーニャ」
「その通り」
すでにアーニャは小さな口を精一杯開けて、ケーキを食べ始めていた。
「ナナリー総督もよろしければどうぞ。ケーキは一口サイズに切り分けてありますし、紅茶は人肌の温度にしてありますので」
ロイは、ナナリー総督の手に優しく触れ、それを食器の位置まで誘導する。さらに口頭で説明して、彼女にその位置を認識してもらった後に、フォークを手渡した。
「ありがとうございます。ロイさん」
「いえ」
ロイは席に戻り、まず紅茶を飲むと、次いでケーキを一口含んだ。
ナナリーもフォークでケーキを刺し、口に運び、それを紅茶で流し込む。ナナリーの小さな口の動きが止まったのを見計らって、ロイは尋ねた。
「それで、ナナリー総督。僕に話とはなんですか?」
「あ、はい。行政特区でお忙しい時期に、お時間を取らせるのもどうかと思ったのですが……」
「それは総督も同じでしょう。それに」
ロイは、紅茶の湯気のぬくもりを鼻で感じながら、笑みを浮かべる。
「ナナリー総督。僕は先ほど休憩すると言いました。つまり、今はプライベートです。聞きたいことがあるのなら、遠慮無くお尋ねください」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます……」
と、ナナリーはフォークをケーキのお皿の上に乗せると。しばし間を置いた。
やがて、意を決したように彼女は話し始めた。
「あの、先日ロイさんはスザクさんの通うアッシュフォード学園に行かれたとか」
「ええ、行きましたよ。先日って言ってももう随分と前ですけど……アーニャから聞いたんですか?」
「はい、つい先ほどアーニャさんにお話していただきまして。それで私、いてもたってもいられなくて……」
言いたいけど言いにくい。そんな空気がナナリーには充満していた。
ロイは怪訝に思い、アーニャに補足を求めて視線を向けた。
しかし、当のアーニャはその視線に気づいても黙ってケーキを食べている。どうやら、は口を挟むつもりはないらしい。
仕方なくロイは、ナナリーが話し出すのを根気よく待つことにした。
「あの……その時、スザクさんにおかしなところはありませんでしたか?」
言われてロイは首をかしげた。ナナリーの質問の意図を理解しかねたのだ。
「スザクが、ですか?」
「はい」
「ふむ……」
ロイは当日の様子を思い出してみる。
自分とジノは馬鹿をやって、アーニャは積極的に学園のイベントに参加していた。スザクもとても楽しそうだった。そのスザクになにか変わったところがあったかと聞かれれば。
「そうですね。帰りは一緒だったのですが、少しなにかを考えているような感じがありました。呼びかけても何度か気付かないということもありました。僕は久しぶりに騒いでスザクも疲れたんだろうと思ってましたが」
「そうですか……それでは、その、学園内で、スザクさんがだれかと一緒にいたのを見かけませんでしたか?』
「スザクと一緒に?」
ロイは一瞬、総督はスザクと親密な女子がいなかったか。ということを心配して聞いているのかな、と思った。
ナナリーがスザクを想っているというのを、ロイはよく知っていたからだ。しかし、ナナリーの真剣な表情を見る限りでは、そんな類の悩みではないように思えた。
「心当たりはありませんか?」
さらに問われて、ロイは脳の中で記憶の棚をひっくり返して探った。すると、そこに一人の女性の存在があった。
歓迎会の時、ジノの暴走を呆れるロイの隣から、まるで元気なサラブレッドのように勢いよく現れたあの女性だ。
「確か、スザクはロイドさ――いえ、ロイド伯爵の婚約者の方と一緒におられました。名前は……」
名前が出てこない。記憶力は自分で言うのもなんだが抜群に良いほうである。いつもなら、こんなことはないのだが、仕事の後なので脳の回転が遅くなっているのかもしれない。
「ミレイさん」
ナナリーに言われて、ロイはジグソーパズルが正しくはめられた時の様な感覚を味わった。
「そうです。ミレイさんです。よくご存じですね。もしかしてお知り合いですか?」
「え、あ、はい……。昔、少し……。あの、それで他にはいらっしゃいませんでしたか? 例えば、男性とか」
「男性ですか? 申し訳ありません。そのミレイ嬢以外は記憶に残ってないですね。そもそも、僕たちとスザクは歓迎会開催中はほとんど別行動でしたので、一緒にいた時間も少ないんですよ」
「そうですか……。では、そのミレイさんは、スザクさん以外の誰かと一緒にいらっしゃいませんでしたか?」
「男性ですか?」
「男性です」
「う~ん。ミレイ嬢はスザク以外とはだれとも……」
とここで、ロイの頭の中に、
<よっしゃ~。待て待てスザクにルルーシュ~!>
という、あの時のミレイの言葉がよぎった。
「……ああ、そういえばルルーシュ」
「!」
ロイが思い出して呟くと、ナナリーの肩が震えた。ロイはそれに気付かず、指を額にあて、目をつむり、う~んとうなって、自分の記憶をさらに探る。
「ミレイ・アッシュフォード嬢が確かルルーシュという人物を呼んでいたような気がしますが」
「そ、それで、あの、ロイさんはそのルルーシュという人とお会いになられましたか?」
身を乗り出すナナリー。そのナナリーが勢い良くテーブルに手をついたせいで、テーブルが傾き、ナナリーの身体が車椅子から崩れる。
四脚のものではなく、中心から脚が伸びているデザイン重視の机なのがいけなかった。
「きゃっ!?」
「総督!?」
ロイは素早く動いた。前のめりに倒れるその華奢な体に手を伸ばし、一気に自分の胸元に抱き寄せる。
テーブルは倒れ、紅茶は飛び散り、チーズケーキはすでに胃の中に入っているアーニャの分を除いて、床に散らばってしまった。
ナナリーは無我夢中で、ロイにしがみ付いていた。
「総督。ご無事ですか?」
ロイは、ナナリーが硬い床に身をぶつけなかったことに安堵し、自分の胸の中で混乱し、小さく震えているナナリーに、穏やかな口調を心がけて尋ねた。
ナナリーはハッとして、自分が抱きかかえられていることに気付いたのか、顔を恥ずかしそうに赤くした。
「す、すみません、私……。部屋の中がメチャクチャになっていませんか?」
ロイが視線を上げると、頭にティーカップを被り、紅茶まみれになって、口にケーキを運ぼうとしたまま固まっているアーニャと目が合った。
「いえ、大したことはありません」
そう告げる。
「……」
アーニャが無言で抗議の視線を向けてきた。ロイはそれを無視して、アゴでお茶とケーキが散乱している床を示して、“早く床を片付けて”と伝える。
アーニャは納得いかないという様子だったが、ロイが視線で、“早く拭かないとシミになる”と訴えると、彼女はそれを正しく理解し、しぶしぶといった様子で立ち上がる。そして部屋の隅にあった雑巾を持ってきて、床の掃除を始めた。
それを見届けて、ロイはナナリーをお姫様抱っこの要領で担ぎ直した。
「あっ……」
ナナリーが、自分の身体の向きが変わったことに、驚きと戸惑いの声を上げた。
「申し訳ありません。驚かせてしまいましたか?」
「い、いえ。大丈夫です」
ナナリーはロイの腕の中でまた縮こまってしまった。
ロイの体格は、一見すると中肉中背で、どちらかと言えば細身に見える。しかし、そこは帝国最強といわれるナイトオブラウンズの一員。筋肉は程良く付き、胸板は厚い。ただでさえ体重が軽いナナリーというのもあり、その姿勢は微動だにしない。
その姿はまさに物語にでてくる、お姫様と、そのお姫様を抱きかかえながら城へと凱旋する騎士の一枚絵のように見えた。
この時、アーニャが床を雑巾で拭きながら少々うらやましそうな視線を二人に向けたのだが、ロイは気付かなかった。
ロイはナナリーを抱いたまま車椅子まで近づき、それこそ、姫様をベッドに寝かせる騎士のように丁寧に、そして優しく座らせると、ナナリーの手を取って、少女と同じ高さに視線を合わせた。
「総督。お怪我はございませんか?」
ナナリーは椅子の中でも体を縮めた。ちなみに顔が赤いのは申し訳ないのと、恥ずかしいのが約八割で、後の二割は恐らく違う感情が原因だろう。
「すみませんでした……」
「いえ、気になさらないでください。本当に大したことありませんから」
そう優しく言い、ロイがナナリーの手を乗せている上からもう片方の手を重ねると、ナナリーの頬は蒸気した。
「総督、しばしお待ちいただいてよろしいですか。少しですが、散らばったものを片付けますので」
「も、もちろんです。本当に重ねがさね……」
そう言いかけたナナリーの唇に、ロイが指を重ねた。
「それ以上おっしゃらないで下さい。本当に、少ししか汚れていませんから」
「は、はい……」
さらにナナリーは顔を赤くする。その傍から立ち上がり、ロイはアーニャの肩をたたいて、執務室に隣接する自分の私室に誘導した。
「アーニャ。とりあえずシャワーを浴びてこれに着替えるといいよ。あと、はいタオル」
ロイはタンスから自分のパジャマとタオルを突き出して、シャワー室を指差した。
アーニャはそれを黙って受け取ると、不機嫌そうな顔でロイを一瞥した。
「なにさ?」。
「なんか、態度が違う」
「なにが?」
ロイが不思議そうに尋ねると、アーニャは唇を尖らせた。
「総督には、口調に優しさがあった……」
「どういう意味?」
「別に」
アーニャはそう会話を強制的に終わらせると、シャワー室に歩いていった。
どうやら、自分はアーニャを不機嫌にさせてしまったらしいというのをロイは理解したが、不機嫌にさせてしまった理由がさっぱり分からなかった。
仕方なく、ロイは首をかしげつつもナナリーの元に戻る。
「あの、それで、先ほどの話の続きなんですが……」
ロイがナナリーの元に戻り、新しい紅茶を差し出すと、ナナリーはか細い声で遠慮がちに話し始めた。少し声が震えているのはまだ先ほどの恥ずかしさが残っているのかもしれない。
「ロイさんは、学園でそのルルーシュというかたとお会いになられましたか?」
「いえ、ミレイ嬢がその人の名前を叫びながら走り出したのを目撃しただけであって、僕はそのルルーシュという人物は見ていません。もちろんすれ違っていないとは断言できませんが……」
「しかし、アッシュフォード学園でルルーシュ。いえ、少なくともルルーシュと呼ばれる人物は存在するということですよね?」
「そうなりますね。あのミレイ嬢の言い様は明らかに学園にいる人を呼ぶときの喋り方でしたから。しかし、ナナリー総督。そのルルーシュという人物がどうかなさったのですか? もしかしてお知り合いですか?」
「それは……」
と、ナナリーは黙ってしまった。
ロイは、その無言を肯定と受け取って話を続けた。
「そういえばそのルルーシュという人物と一緒にスザクも呼ばれていましたから、もしかしてスザクの知り合いなのではありませんか? なんなら、いまからスザクに聞いてき――」
「ロイ。汚れた服を入れたいんだけど、ビニール袋とか無い?」
と、その時。アーニャが体をタオル一枚だけで隠したあられもない姿で執務室に出てきた。
ロイはそれを目撃した時、これ以上は無いほど瞳を大きく見開いた。
「なんて格好をしてるんだアーニャ!?」
勢い余って椅子から立ち上がると、状況が理解できない盲目の少女は首をかたむけた。
「アーニャさん? アーニャさんがどんな格好をしているんですか?」
「いや、このまま服置いたら、そこが汚れるし」
アーニャが片手をタオルがほどけないように押さえ、もう片方で、丸めた白い軍服を掲げる。いや軍服だけではない。その中には純白の……。
「そんなものを人に見せるんじゃありません! カゴにでも入れておけばいいだろ!?」
「はぁ?」
アーニャが眉を潜めた。どうやら、自分がなんで怒鳴られてるのか理解できていないらしい。
「そ、そんなものってなんですか? 一体なにが起きてるんですか?」
ナナリーだけが、不安そうに顔をいろいろな方向に向けていた。
「でも、ロイ。カゴに入れたらそのカゴに紅茶が付くけど」
「カゴなんか汚れてもいいから早く中に戻って!」
「汚れてもいいの?」
「いいから早く! 早くシャワーを浴びなさい!」
そして、アーニャは肩をすくめてスタスタと裸足を動かし、再びシャワー室に入っていった。
やがて、奥から水が流れる音がし始めた。
「あ、あのロイさん。一体何があったんですか?」
ロイは焦りで波打っていた心臓を整えて一息つく。次の瞬間には慌てなど様子も微塵も感じさせない態度で、爽やかに「いえ、なんでもありませんよ」と答えた。
ここら辺の変わりようはさすがで、シュナイゼルに「優れた感情制御能力を持っている」と評価されただけのことはあった。
「で、話を戻しますが総督。どうでしょう。ルルーシュのことを、スザクにも聞いてみては?」
ロイとしては当たり前の提案をしたつもりだったのだが、ナナリーの帰ってきた反応は“当たり前”からは程遠かった。
「……いえ、すみません。それはやめていただきたいのです」
「なぜですか?」
「あの、ここまで言っておいてなんなんですが。これは他言無用にお願いできませんか?」
「……へ?」
「もっと言えば。ロイさん。極秘でそのかたのことを調べてはいただけないでしょうか?」
「え~と。いや、あの、極秘で調べるって、そのルルーシュという人物をですか?」
「はい。調べる、と言っても別に探偵のように身辺を洗い出せとかそういうことではなく。そのルルーシュという人物の容姿や相貌、喋り方や、別に一般人でも分かるような経歴、その他の特徴を私に教えてほしいのです。それもスザクさん達には内緒で」
「スザク達にも内緒に? ジノにも、ですか?」
「その通りです。調査は仕事の片手間でやっていただいてもかまいません。そして分かったことは私にこっそりと教えていただけないでしょうか」
「いえ、しかし……」
「お願いします。どうか……」
泣きそうな顔で頭を下げるナナリー。その切羽詰った頼み方に、ロイは困惑するとともに一定の懐疑を抱いた。
ロイはしばし、呆然と目の前の盲目の少女を見ていた。やがて咳払いを一つすると、眼鏡を指でかけなおし、表情を真剣なものにした。
「そうおっしゃる理由と、他の人物に秘密にしなければならない理由を伺っても?」
「……」
ナナリーは見ているこっちが哀しくなるようないたたまれない表情をした後、視線を下げて黙り込んでしまった。
「言えない、ということですか?」
さらに問うと、ナナリーはしばし躊躇った後、頷いた。
ロイは困り果てた。
ナナリー総督のお願いとあれば、どんなことでも叶えるつもりでロイはこのエリア11に来た。しかし、
(一体、何だというんだ……)
ロイは悩んでも結論が出ないので、意を決して言った。
「総督がそこまで思いつめている理由は僕にはよく分かりませんが。これはもしかして下手な方に転べば、少なくとも総督以外の人間にも災いが降りかかる。そういった類のものですか?」
「はい」
その返答はすぐだった。
やっぱりか、とロイは思った。
心優しき総督がこのような顔をするのは、他人に迷惑がかかる時だけだというのを、ロイは約一年の付き合いを通して知っていた。
(しかし……アッシュフォード学園か)
ナナリーが気にかけているルルーシュ。そして、そのルルーシュがいるあのアッシュフォード学園には機密情報局がいる。
あの皇帝陛下直属の組織の存在は、ロイの中であのナイトオブセブン歓迎会の夜からずっと引っかかっている。
(総督の奇妙なお願いと、機密情報局……共通するアッシュフォード学園という場所。あの学園には少なくとも皇帝陛下と、ナナリー総督というブリタニア内でも地位の高い人間が気にとめる要素があるということか)
ただの学園に機密情報局がいるというのは、異様なことだ。
それだけでも十分怪しいというのに、今回、ブリタニアで皇女という地位にあるナナリーがその学園にいるある人物を調べて欲しいと言って来た。
しかも、秘密裏に。
これにはなにか裏があるな、と考えないほうが無理だろう。
どちらにしろ、このお願いは軽い気持ちで引き受けてよいものではなさそうだった。
「総督。私は今の話を聞かなかったことにもできますが」
「……」
ナナリーは答えない。
「その上で聞きます。ナナリー総督の友達であるアーニャはともかく、僕は、あなたが被るリスクに比べて、信じるに値する人間ですか?」
このときばかりは、ナナリーはしっかりとした口調で応じた。
「はい。少なくとも私はそう思っています。だからこそ、お願いしました」
「……」
負けたな、とロイは諦めた。
ここまでこのかわいらしい少女に信頼されて、それに応えないのでは男が廃るというものだ。
「分かりました。しかし、調べるのは人物の断定と経歴、容姿。そして特徴のみです。いくら総督の頼みでも、理由を明かしていただけないのであれば、これが限界です」
ナナリーは、その顔にパッと笑顔を浮かべた。
「いえ、十分です」
「本当に、書類上のことしか調べませんよ? あと、他の人に教えられないというのは他の人を使えないということです。申し訳ありませんが、僕も行政特区日本の件で、正直忙しい身です。調査開始は特区設立後になる、ということだけご理解ください」
「構いません。我侭を言っているのはこちらなのですから。ありがとうございます。ロイさん」
その喜びようは、このもの静かな少女にしては意外なほど大きなものだった。よほど、この頼みを引き受けてもらえたのがうれしいらしい。
「わかりました。では、そのように。ちなみに、もう一度確認しますが、ルルーシュという人のことを調べている、というのは他の人に知られないほうがいいのですね?」
「はい。このことを知っているのは私とアーニャさん。それにロイさんだけということでお願いします」
「分かりました」
ロイが頷くのと、総督を探しに来たローマイヤが、執務室の扉をたたくのはほぼ同時だった。