コードギアス 反逆のルルーシュ LOST COLORS R2~蒼失の騎士~ 作:宙孫 左千夫
朝。
中華連邦総領事館。ゼロ復活と同時に合衆国日本の領土となった場所。
そのゼロに領土を明け渡した領事館の責任者であり、大中華連邦の権力者である宦官の高亥はすでにこの世にはいない。今、この場所の実質的取締役は、
「はっ!」
鍛練場では一人の男が拳を宙に突き出していた。
長髪の黒髪、鋭く隙の無い瞳、細身と言えば細身だが、その体は痩せているのではなく絞られているという表現の方が適切である。
黎星刻、中華連邦の武官であり、現在は高亥に代わりこの領事館内で采配を振るう人物である。
星刻の加速していく動きの中で、その鍛えられた拳は空想の相手を捉えた。後の動作は素早い。
崩し、投げ、追撃としなやかに拳と蹴りの連続技を放ち、最後に肘撃ちでトドメをさす。遅れて、艶やかな黒い長髪がふわり、と舞って元に戻った。
全て一人で行っている動作だ。だが素人が見ても、そこに実物の相手がいるのではと錯覚させるほど緻密で、滑らかでありながら躍動感に溢れた演武だった。
星刻は両手を重ね、足を揃えて静かに立つ。
「……」
息を整え、そのまましばらく目を閉じ黙想。
全ての気を静め、星刻が再び目を開くと、「お~~」という感嘆の声と共に、パチパチとした拍手が鳴り響いた。
星刻は、その対象を横目で見た。
「見世物では無いぞ。紅月カレン」
「いやいや。充分見世物になるわよ星刻。あなた剣の腕だけじゃなくて格闘術も大したものなのねぇ」
星刻の邪魔にならない位置で正座していた少女が立ち上がり、こちらに近づいてきた。
少女の名は紅月カレン。まだ十代後半かそこらの年齢だが、これでも先日復活した黒の騎士団のリーダーであるゼロの親衛隊隊長であり、ブリタニアからは“ゼロの右腕”“黒の騎士団のエース”などと呼ばれ、恐れられている女傑である。
赤毛の髪、大きく意思の強そうな瞳、無駄の無い筋肉に女性の特徴が豊満に表現された肢体、運動用のジャージを着ている所を見ると、彼女も鍛練をしようとここまで来たのだろう。
「いや~。本当にあなたと戦う事にならなくて良かったわ。っていうか生身なら絶対に勝てないし」
ははっ、と笑ってあっけらかんと言うカレン。
星刻もそれに釣られて、フッと笑う。
「それは、遠回しにナイトメアなら勝てると言ってるのかな?」
その皮肉に、紅月カレンは十代の少女には似付かわしくない、あらゆる修羅場を潜り抜けた者だけが持つ、ある種の余裕を持って不敵に笑った。
「ん~、そうね。否定も肯定もしないでおくわ」
「その顔で言われてもな」
少女の勝ち気な顔には、“あんたなんかに、私が負けるわけないでしょうが”と、大きくでかでかと書いてあった。
そんな中、カレンは「でも」と付け足す。
「あなたが、完全に私たちの味方になってくれるなら、正直に答えてもいいわよ」
「……」
星刻の顔から笑みが消えた。
いつの間にかカレンも真剣な眼差しをこちらに向けている。
星刻はそのカレンの視線に敵意も好意も混ぜず、相手に考えを悟らせないよう淡々と見据えてみせた。これは別に意識して行ったわけでなく、星刻が交渉の時に行ってしまう一種の癖のようなものだった。
しかし、裏を返せば、星刻は無意識にこれを交渉と認識したという事になる。
「……ゼロに頼まれたのか? 私を説得しろと」
先ほどまでと違い、やや暗く圧力を交えて星刻が尋ねると、カレンは、
「はぁ? 無理無理。あんたの説得なんて無理よ。私の仕事じゃないわ」
クスクスとした笑いで返した。
「……」
「信じてない顔ね」
星刻が淡々と見据えていたのを変に勘違いしたらしく、紅月カレンは、また真剣な眼差しに戻る。
「私が言った事は本当よ。今のところゼロからは、何の指示も受けていない。だから、あなたの事をどうこうするつもりなんて微塵もないの」
「ふむ……。では私に何か用なのか?」
「へ?」
「君の目には少々媚の色が見える。何かお願いしたい事がある人間独特の目だ」
それを聞いてカレンは小さく体を震わせた。どうやら図星だったようだ。
星刻はそのまま待つ。
カレンはしばらく迷っていたが、やがて意を決したようだった。
「武術を教えて欲しいの」
凛とした大きな瞳がこちらを向く。
星刻は色々言われる事を予想し、その答えをすでにいくつか頭の中で用意していたが、これは流石に予想外だった。
「武術だと?」
「ええ、武術よ」
星刻は一瞬呆然とした。だが、それは本当に一瞬で、すぐに思考は再開される。
紅月カレンの狙いは何だ?
しかし、考えてもそれが分からない。仕方ないので星刻は真っ直ぐ尋ねた。
「なぜ私にそれを頼む。この前救出した藤堂とかいう男に教えてもらえばよかろう。手合わせした事は一度も無いが、あの男の強さは我が中華連邦でも相当有名だが?」
カレンは首を横に振った。
「藤堂さんは、落ちた体力を取り戻すので手一杯みたいだし」
「ふむ……」
星刻はまた思案に戻る。
確かに、藤堂は朝比奈、千葉、仙波とかいう団員と四人で鬼気迫る勢いで基礎訓練に明け暮れているのをよくみかける。しかし、その動きは武術の達人である星刻から見ればどうしても重く緩慢にうつる。
一年にも及ぶ投獄生活から助け出された後なので仕方が無いと言えば仕方が無いが……。
次に、星刻はカレンの体を頭の先から足の先まで、値踏みするように見た。
そして理解した。
まず紅月カレンは相当の達人だろう。足運び、人と接する間合い、気配の有無、体つき。その他あらゆる要素からそれが読み取れる。正直、体力の落ちた藤堂では、この紅月カレンの練習相手は務まらないかもしれない。
紅月カレン本人もそれに気付いているのだろう。だからこそ、この自分に頭を下げにきた。それは分かる。しかし、
「事情は分かった。だが悪いが他を当たってくれ」
星刻はクルリと踵を返した。
星刻だって暇ではない。“あの計画”の準備もしなくてはいけないし、執務だって腐る程ある。忙しさにかまけて、自身の鍛錬だってここ最近疎かになりつつあるというのに、この上他人にまで、
それも下手をしたら敵になる可能性もある人間に、時間を割く余裕など一秒も無いのである。
しかし、その場から去ろうとした星刻の手を、
「お願い!」
と、カレンが掴んだ。
「あなたを見たときこれだ! って思ったの! お願い! 私には強くなりたい理由があるの!」
星刻は足を止められて、その言葉に耳を傾けた。掴まれた手を振り払おうと思えばできない事も無かったが、カレンの「理由」という言葉に少なからず興味を覚えた星刻はそれをしなかった。
「理由とはなんだ? 個人的に言わせてもらえば、すでに君は女性の武術家として相当完成されている。それなのに、敵でも味方でもない私になぜ師事を請う」
「ナイトオブセブンって知ってる?」
カレンは憎々しげに呟いた。星刻は、もちろん頷く。
「ブリタニア最強の騎士団。その七番目の騎士。枢木スザクの事だろう?」
枢木スザク。日本人でありながら祖国の英雄であるゼロをブリタニアに売り、ナイトオブラウンズという帝国でも指折りの地位を得た男。
なるほど、確かに日本のために立ち上がった黒の騎士団の一員であるカレンが、日本の裏切り者であるスザクに憎しみを抱くのは当然と言えた。しかし、
「あいつに勝ちたいの」
その言葉には、日本への大儀とかそんなものを抜きに、もっと粘着質のある私怨にも似た響きがあった。
「勝ちたい? KMFではなく生身で、という事か?」
「ええ。そりゃあ、生身で戦う機会なんて無いかもしれないけど、でも」
カレンの奥歯がギリッと音を立てた。
「同じ失敗は繰り返したく無いの……」
「……」
「私、そいつに負けたの。それで……。私が、もっと強ければ、力が、あれば……」
カレンが手に力を込める。その手に腕を掴まれている星刻は、女性にしては桁外れの握力に小さく驚くと共に、ある種の悲しみの色をカレンから感じ取った。
「力があれば?」
無意識に聞き返す。いつの間にか、星刻はカレンの話に聞き入っていた。
「……一人ね、寂しがり屋な男がいるの」
そう答えたカレンの瞳からは、すでにスザクの名を出した時のような憎しみは無い。
「寂しがり屋のくせに、その人、私を守って一人でどっか行っちゃったの。でも私、そいつに約束したの。傍にいる。いてあげるって、それなのに……」
(……なるほど)
かつて、星刻はこの紅月カレンに「あなたに興味がある」と言った事がある。あの後、なぜ自分がそんな発言をしたのか分からず、首をかしげたものが、今の話を聞いて合点がいった。
この女性は自分と同じなのだ。いや、正確には自分と求めるものが……。
「理想と、欲望か……」
カレンはその星刻の呟きを聞いて、
「欲望?」と首を傾げた。
「取り戻したいのは日本、それは理想だ。そして大切な人と共にいたいというのは欲望だ。間違っているか?」
その言葉に、カレンはキョトンとしていたが、
「欲望か……。そう、そうね、欲望ね。間違ってないわ。だって、私はどうしても、その人と一緒に居たいの」
納得し、迷いの無い様子だった。
「しかし日本も解放したい、という事だろう」
星刻が言うと、カレンは自嘲気味に笑った。
「おかしいでしょ? 私だって馬鹿な事を言ってるっていう自覚はあるわ。二兎を追う者は一兎も得ず。それは分かってる。でも、私この一年で気付いたの。理屈じゃ無いの。必要なの。私にとって、二つとも……」
「……理解できるものがあるな」
「えっ……」
星刻の答えに、カレンが小さく驚いた。
――シンクー
幼い声が星刻の中で響く、七年前のあの日から、その声が星刻の全ての原動力である。
(あの方のためならば、自分は何だってしてみせる)
それが星刻の誓い。ただ、同時に自分はそれだけに妄信したただの愚かな男なのではないかとも思う。
星刻は弱き民を救いたくて軍人になった。“あの計画”はそのためのものでもある。
しかし……。
本当はただ、自分の傍にあの方を置いておきたいだけではないのか?
理想はある。弱き中華連邦の民は確かに救わなければならない。しかし、民のためと銘うった“あの計画”は、本当は己の欲望を満たすため、それだけのものでは無いのか。
汚らしい欲望を隠すために、大義だの、誓いなどで言い訳しているのだけではないのか。
そのジレンマが、棘のように常に星刻の心を突き、責め立てている。
それはまさに、この紅月カレンと似た、ある種の人間としてあたりまえの欲望と、個人を離れた崇高な理想を持つ者が同時に抱える矛盾した悩みに他ならない。
星刻はその同種の悩みを、この紅月カレンからも感じ取ったのだろう。
ただ、この紅月カレンと星刻の違う所は、紅月カレンは理想も欲望も両方一緒くたに抱え込む決意をしている点だった。
(まさかこの私が。ゼロではなく猪突猛進と有名なこの紅月カレンに、言葉で感心させられようとはな)
中華連邦内でも不穏な話はいくつかある。そう遠くない内に、自分も決めなくてはならないだろう。色々と……。
「星刻?」
カレンの声。星刻は顔を上げた。
「ああ、すまない。少々考え事をしていた」
星刻は改めてカレンに視線を向けた。
「悪いが、私も人に何かを教えるというのは慣れてはいない。師を求めるなら他をあたってくれ」
「そんな……」
カレンは落胆したようだった。星刻はその様子を見て静かに笑んで見せた。
(このような女傑に勝ちたいと思わせる男、枢木スザクか。機会があれば一度打ち合ってみたいものだ)
星刻の心の中は、すでに決まっていた。
「それでも……教える事は無理だが。私の稽古相手ならいつでも募集中だ」
「へ?」
「言っただろう。私は教える事には長けていない。それに私だってヒマではないのだ。人に教えている時間など無い。だから、お前が私の稽古に付き合って、私の技を身に付けたいのならその過程で勝手に私の技を盗めばよかろう」
更に、星刻は言った。
「それが最大限の譲歩だ。味方でもないお前の向上心を満たす義理は本来こちらには無いのだからな」
カレンは、顔を輝かせた。
「構わないわ星刻!」
「その意気や良し。では早速組手にでも付き合ってもらおう。グローブは無しでいいな?」
「もち!」
「悪いが、私はその綺麗な顔が崩れても責任は取らんぞ」
「上等! ありがとう!」
カレンは輝いた顔のまま、距離を取り足を広げて構えた。その綺麗な顔が瞬時に戦闘用のそれに変わる。
対して、星刻は自然に立ったままだった。もっとも星刻にとっては普通の立ちがすでに構えにまで昇華されている。
逆に言えば、カレンはまだその段階にまで至っていないという事。
力の差は明らか。でも、だからこそだろう。カレンの顔は戦意を漲らせながらも、どこか嬉しそうだった。
「では、初手はこちらから行くぞ、紅月カレン」
言い終わる前に、星刻の体がユラリと揺れて動く。
カレンは、その場で腰を落としたまま動かない。いや、体を動かさないで足の指を動かし、間合いを測りながらジリジリと前進している。
カレンは腰を落として重く。星刻は掴み所無くゆらりと。お互いが近付いていく。
そして、二人の間合いが重なったその時――。
「た、大変です紅月隊長! C.C.さんが!」
「へ?」
「隙あり!」
突如現れた第三者の声に視線を背けたカレンに対して、星刻は目も留まらぬ速さで身を屈め、猛烈な足払いをかけた。
「!」
カレンは、その足払いを見事に食らい、すっころぶ。何とか受身を取ってクルリと立ち上がる。
「なっ――」
驚いた顔で「何するのよ!」と言いかけたカレンの前に、目も止まらぬ拳が突きつけられた。
「油断でやられるのが一番下らんぞ紅月カレン」
言われたカレンは目を見開いた後。シュンと視線を下げた。
「ごめ……いや、ありがとう」
「いかなる時であろうとも、警戒を解くのは敵より後だ。自分より力量が上の相手と戦うなら尚更だ。今の隙で私はお前を殺そうと思えば殺せた事を覚えておけ」
「……はい」
「では、部下の話を聞いてやれ」
黒の騎士団の団員は戸惑いながらも駆け足でカレンに寄っていく。
「も、申し訳ありません。紅月隊長」
「構わないわ。何?」
「はい、実は、このような手紙が……」
カレンは団員から差し出された手紙を受け取り、目を通すと、
「あ、あ、あ……」
と、肩を震わせ始めた。
「あの女! 一体何、考えてるのよぉぉぉ!」
すぐに爆発した。
その時、カレンの手にあった手紙の文字が、チラリとこちらに見えた。
星刻は黒の騎士団の情報を覗き見るのは少し卑怯かな。と思って顔を背けようとしたが、その前に鍛えられた視力がその内容を読み取り、脳に認識させてしまう。
ちなみに、手紙は日本語で書いてあったが、やろうと思えば日本語でジョークまで言える星刻には読み取る事など造作も無かった。
手紙の内容は。
アッシュフォード学園に忘れ物を取りに行ってくる。
夕食にはピザを取っておけ。 C.C.
星刻は理解した。
カレンとの本格的な鍛錬は、明日からになりそうだと。
○
「う、う~ん」
朝日がロイの目に突き刺さる。頭痛が、思考を支配する。
ソファで寝ていたようだ。格好も軍服のまま。きちんと自室で寝るつもりだったのに、酒の勢いに負けて結局ジノの部屋で一晩を過ごしてしまったようだ。
「いつつつつっ」
再度の頭痛。痛みに耐えながら、もはや何度目になるか分からない後悔をする。
次の日が仕事の時は絶対にしないが、非番の前の日はいけないと分かっていてもついつい飲みすぎてしまう。
「悪い癖だ。直さないとなぁ……」
時間を確認しようと携帯を探す。いつもは懐に入れているのだが、テーブルの片隅にそれを見つけた。
「……げっ」
手にとって、思わず変な声が漏れた。
着信100件。
この着信というのが、三桁の表示まで可能というのを、ロイは今回初めて知った。
履歴は、
アーニャアーニャカリーヌアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャカリーヌアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャアーニャ〈以下略〉
ロイは、二日酔いとは違う頭痛を感じるハメになった。
次に、一通のメールが届いていた。ロイは、おそるおそる開封のボタンを押す。
――朝八時に政庁前玄関にて待つ。アーニャ。
時間を確認する。時刻、一二時三十五分。
「……」
ロイは、次に携帯のブックマークのページを選択し、とあるページに飛ぶ。
アーニャのブログである。
アーニャはこまめにブログを更新する。彼女の最新の心境などは、これで確認できるので、ロイはよく利用していた。
「!!」
ブログを見て、ロイは絶句した。
「うぅ、なんだ、朝かぁ?」
傍の赤い絨毯で大の字になっていたジノが、蘇ったゾンビの如く緩慢な動作で体を起こす。そしてロイを発見して、寝癖混じりの金髪を指で掻いた。
「おう、ロイ。おはようさん。ってどうしたんだ、顔が真っ青だぞ。飲みすぎたか? って俺もだな……」
呻くような声を出しながら、ジノはその指を額に持っていく。頭痛がするのだろう。
「ジノ」
「何だ?」
「あのアーニャが三時間もブログ更新をストップしている。その意味はなんだと思う?」
「あ~ん? あのアーニャがブログをそんな長時間更新しないって、そりゃあ……」
ジノの曇っていた思考が再開し始めたのか、彼は表情を深刻にして、
「あまり、考えたくないな……」
その言葉が、全てを物語っている気がした。