「本当に、ごめんね」
薄ピンク色の手の中で懺悔の言葉を吐き終え、千時はドームの天井を見上げた。こちらを覗くトパーズの目は、きらきらとして興味深げだった。
「さ、手を開いて。あなたの出番は無い」
扉のように開かれた指をすり抜け、自分は部屋の戸を開く。大した重量も無いショルダーバッグの掛かった肩は酷く重く、階段を降りる一歩一歩に、背骨が軋むような気さえした。
それでも彼女は、階下の部屋へ向かった。真夜中だというのに、ドアの鍵は開いていた。
「場所はポルナレフから聞いた?」
開口一番、普段の調子で問いかける。振り返った五人は面食らっていたが、どうにか頷き、眉根を寄せた。
「ああ。だが、どういう事なんじゃ」
「ハイハイそれポルナレフに千度言われた。ちょっと待ってねー…」
男達を掻き分け、部屋の隅のテーブルを真ん中へ持ってきて、資料を広げる。彼らの驚愕を背に、肩に、頭上に感じながら、紙を並べ終えた千時は、両手を挙げて降参してみせた。
あの後、千時は地図の場所を、そのまま見に行こうとしていた。
そもそも、大学でディオと遭遇していなければ、それまでの三カ所と同じように一人で…いや一人と一匹で、見てくるつもりだった。ディオが本当に会いたがっているなどとは、露とも思っていなかったからである。
ジャスティス戦の後に現れた敵の言いぐさからして、エンヤは仲間に余計な事を言わなかったのだと思っていたし、ダービーが自分を質に取ったのも単なる作戦、ディオの事は方便だったと思いこんでいた。だから、一行の中で最も目を付けられていないのが自分とイギーであり、館を確認に行くくらいなら大丈夫だろうと、直線的に結論していた。
冷静に考えてみれば、千時の事を嗅ぎ付けていたエボニーデビルやエンプレスが、連絡をしなかったか或いはエンヤだけに連絡をした、と思うのが早計だ。それぞれが独自の経路で、直接の報告を入れていたかもしれない。そうなら、ディオが興味を持たないわけがない。だが千時は、常から自分の存在を軽く考え過ぎ、そこに思い至らなかったのである。まあ言ったって、自他とも認めるモブの筈でしたからね。周りは手練の屈強なスタンド使いだらけで、自分だけ言葉もままならぬ非力なチビ女。状況的に自分を軽視するのは当然で、これは彼女の考えがどうこうではなく、単なる事実に拠る。
そういうわけで多少、想定していた状況ではなくなっていたらしいが、それでも、やれる事は特段変わらない。ましてディオが館に居ないなら、絶好のチャンス。財団が絞った最終候補の物件を確かめるため、彼女は夜道を進んだ。
しかし、隣で二枚の地図を穴の開くほど眺めながら歩いていたポルナレフが、とある事に気付いた。
「待て千時、こっちの道だ」
「ええ?」
「見てみな。場所はここと、ここだろ?」
彼は立ち止まり、一枚を折り畳んで二枚を重ね、地図を合わせた。そして、二カ所の真ん中から少し外れたあたりを指さした。
「このあたりの建物に上れば、どっちの屋根も見える筈だ。お前はディオが大学に居るから今の内と言ったが、裏を返せば、帰ってくる時にそこらの道路で鉢合わせしちまうかもしれんてこったぜ。皆を呼ぶならともかく、俺らだけで行くには危険すぎる」
「そっか。そうだね、うん」
こと戦いの絡む場面となると、とんでもなく心強い味方だ。彼は、放り込まれた状況での臨機応変な対処に長けている。
「お前も冷静じゃあねえな」
「これでもさっきまで腰抜けてましたからねぇ」
大人しく付いていく千時に、ポルナレフは苦笑した。
目指したあたりに辿り着くと、ポルナレフは千時とイギーをその場で待たせ、路地のあちこちを覗いてまわった。一本の角から手招きされて入ると、アパートメントの裏手らしい。上方、二階あたりから外付けの非常階段がある。ポルナレフはひょいとジャンプして手をかけ、梯子を引き下ろした。洋画で見かけるやつだ、実物は初めて見たなあなんて感心する千時を先に上がらせ、梯子を戻して階段を上がる。
階段は最上階止まりで、屋上までは出られなかったが、ポルナレフは器用にドアの庇へ登り、千時を引き上げて屋上へ出た。
「うーん。ちょっと高さが足りねえな」
ポルナレフは地図を片手に確かめ、一方を指さした。
「隣へ移るが、どうする。ついてこれるか?」
「ムリムリ。待ってる」
「今日は聞き分けのよろしいこと」
そりゃ、ここまで来といて屋根落ちエンドとか、どこのクソゲーだよっつー話にはしたくない。
ポルナレフは隣の建物の窓にひょいと飛びつき、窓枠を足場に、もう一段高い屋上へと上った。隣の窓枠までは1メートルも無く、千時でも飛びつくまではいけそうだが、いかんせん上るための背丈も膂力も足りないだろう。あとイギーちゃんが無理。
振り返ったポルナレフに手を振ると、彼は向こうへ姿を消した。が、少しして、どこから持ってきたやら、ロープを手に戻ってきた。
「イギーはそこに置いてこい。なんならそいつは空飛べるだろ」
いやあれは滑空だよ重量的にこの程度の気流で上へは…なんて話はどうでもいいか。
ロープを投げられた千時は、仕方なく、それを腰に巻いて…とは言え登山なんぞしないものだからやり方は知らず、ただ二重に巻いてぎゅっと結んだだけだが…、恐々、隣の窓枠へ飛び移った。
四苦八苦するのを腰のロープで引き上げられ、オエッとえずかされながら屋上へ到着。ニカッと笑うポルナレフに今更、これ帰りどうすんだとツッコみたかったが、それは後で考えることにして。
「どっちもあの丸屋根じゃあねえぞ」
ポルナレフは、左右の二カ所へ目を凝らした。千時はうんと頷きつつ、ポルナレフの手から地図を取って、自分も建物を確認した。
「館には幻影を見せるスタンド使いが居るらしくて、たぶん、外観も見た目まんまじゃないんだ」
「何ィ!? じゃ、あれだけ歩いたのは無駄足か!?」
「元の物語を知らないから、無駄かどうかは。ヘリの人が九人て情報持ってきてて、私も九栄神て知ってたのに、ここまでの人数足りてないしね。それにほら、ボインゴくん来たりしてるから。私が怪我を治してたからああだったけど、そうじゃなければ単なるリベンジ戦だったかも」
むぅと唸って、ポルナレフは眉根を寄せた。
「それに、この二件だって単なる候補」
「まあそうだが…」
「せっかく二人居るんだし、手分けして見てよう。ダメなら昼間に来直せばいい。ポルナレフそっち見て。私向こう見る」
「見てったって、何をだよ」
「分かんない」
物語ではイギーが見つけてくるらしい、というのは知っていた。だが、その詳細を知らない。彼がどういう経緯で見つけるに至ったか、なぜその場所へ五人を案内する気になったのかは、見当も付かなかった。
二人はしばらく、建物を見据えていた。
「…飽きる? 交代する?」
「別に。それより、どういう基準でピックアップされてんだ?」
「そういうのはメンドいから後で」
「ちぇっ」
雑談をポツリポツリ。
三十分も経ったろうか。ふと、ポルナレフが身を乗り出した。
「鳥?」
「ん?」
千時が振り返ると、いや、と首を傾げている。
「見間違いかな…」
下は街灯の明かりしかないが、上は晴れていて、半円から満月へ向かう月がそれなりに大きい。星も輝いている。
ポルナレフは頭を掻いて、独り言を繰り返した。
「いや。見間違いだな」
「何が?」
千時はもう一度、こちらを見たポルナレフの向こう、彼が見張っていた建物の屋根へ目を移した。
「鳥が飛んだような気がしたんだ。でも夜だし、飛ばねえやな」
「え、でも飛んでる」
千時が指さすと、ポルナレフは慌てて振り返った。
小さな影は建物の上空をふわっと旋回し、空中で木にでも止まるような体勢を取ったが、
「あれっ!?」
「あ! やっぱり!!」
唐突に消えた。
「アレだよ! さっきもあの辺で消えた! おかしいよな!?」
「おかしいね!!」
「もしかして」
「もしかしたらもしかするかも」
視線も合わせず問題の建物を凝視して、二人はそこからまた三十分、居ずっぱりになった。
鳥が見えたのはその二度だけだったし、建物の屋根が歪んで姿を変えた時も、写真の丸屋根とは似ても似つかぬ片流れのデザインだったが、それを両方が見た事を互いに確認した途端、二人は無言でその場を離れた。
ポルナレフは先に元のルートで隣の屋上へ降り、千時は、いいから飛べと言われて決死のダイブを敢行した。それでも良いほど、奇妙に興奮したまま、ホテルへと駆け戻ったのだ。
ホテルの四人は既に、二人と一匹の帰りが遅すぎることを心配し、周辺を捜索し始めていた。戻ってきたところを承太郎と花京院に見つかった二人は、それぞれの腕を引っ掴んで同時に叫んだのだ。
「館を見つけた!!」
「地図はこれ。見取り図はこっち。消防署に爆弾、組立工場に紫外線照射装置…場所の地図これね、でアズハル大学の裏の学生用駐車場にバイクが三台停めてある。赤いタグ付いてるやつ。キーはコレ。
トランシーバーは今ここで渡しとく。電池が特殊で予備が無いんだって。一度だけ動作確認したらもう本番以外使わない方向でお願い」
千時はバッグから六個の無線機を取り出し、ポカンとしている彼らへ、テーブル越しに一つずつ手渡した。サイズは千時のガラケーを畳んで分厚くした程度で、どうにかポケットに収まる。技術の粋を集めた特注品だそうだ。千時にはピンと来ないが、まだ携帯電話が無い時点で、コンパクト化に際してはチップなどの問題があるのだろう。
「とりあえず動作確認して。アンテナ伸ばすの、使い方分かる?」
おー。男子さっすが。何となくカチャカチャやって、早、チャンネルいくつ? なんてやり合っている。
「チャンネルは1でいいじゃろ」
「音量どこよ?」
「このサイドボタンだ」
「ああ」
「電源を入れて…送信はここを押しっぱなしか?」
「みたいですね」
全員、交信を一度ずつ確かめる。トラブルも無く通信はクリア。各々が電源を切ると、千時はすぐに見取り図を指した。
「じゃあ次。この…」
「待て」
ストップをかけたのはジョセフだった。
「千時、お前さんのやりたい事は何となく分かるが」
「うん」
「その前に、なぜ館が分かったのか教えてくれ」
「ポルナレフに聞いたでしょ?」
千時はきょとんとしてジョセフを見た。
「幻影を使うスタンドに偽装されてたのを…」
「そうじゃなく、なぜ財団がポイントを絞れたのかという事だ。わしには連絡の一つも無かったんだぞ」
「あー、そこ」
そういえば屋上でもポルナレフに訊ねられたのだった。
千時はこれでも結構、慌てていた。パニックや混乱は収まっていたが、ポルナレフから言われた通り、さして冷静ではない。ディオに遭遇する事も、館がこんなにうまく見つかる事も想定しておらず、事態はまさに急転直下だったのだ。今更そんな話、頭からスッ飛んでいた。
「そもそもね、ジョセフさん。日本を出る前、財団の支部に連れてってもらったでしょ。作戦会議に。あの時、私、二時間近くジョセフさんと離れて、財団の人と話をした」
「お前さんが自分の行方を確かめてもらうために、プロフィールや何かの資料を作ってもらったというやつか」
「あれがもう嘘」
「なッ、いやいやいや! そんなワケが無い!」
ジョセフは首を横にブンブン振ってまくしたてた。
「ちゃんと調査報告が来ておる! まだ言わん方がいいかと思って…」
「そりゃ来るよ、出身地に転居先に家族構成とか全部、先に書いといて渡してきたもん。つまり資料を「作ってもらった」が嘘、渡してきたが正解で、残りの時間をこれに割いたってこと」
アワアワと口をわななかせつつも、ジョセフはまだ何か言いたそうだった。千時としては、それどころじゃあない。
「あの時点で別動隊を組んでもらって、直接カイロにいろんな準備してもらってきた。届け先もバラバラにして、できるだけ足が付かないように。館が大学の近くだって事も最初から知ってて、みんながへとへとになって聞き込みしてるのを横目に、ギリギリまで敵の数を崩したくないから言わなかった。
でも、これには根本的な理由がある。できるだけジョセフさんと承太郎に、知られたくなかったの。ジョナサン・ジョースターのスタンドが、正確には何なのか分からないから」
「ハーミットパープルじゃあないと言うのか!?」
アヴドゥルが眉根を寄せた。
「念写した写真には茨が写っていたし、血族である二人はディオから見られている瞬間が分かるのだ。それに何より、ジョースターさん自身が…」
「感覚や推測といった曖昧な話に過ぎない」
千時はわざと遮り、ぐるりと全員を見回した。
「むしろ、似たような能力を持ってるの自体は確か、ってのが気持ち悪い。そっくり同じハーミットパープルじゃなく、似てるだけで違うスタンドだったらどうする? 遠距離から相手の頭の中が読めちゃうとか、一方的に聴覚や視覚を共有するような事ができたとしたら?
血が繋がってても、ジョセフさんに承太郎にホリィさん、それぞれが違うスタンドを持ってる。ジョナサンが完全にハーミットパープルと同一のスタンドである保証は無い」
まあ、ぐうの根も出ないのは分かりきっている。ディオ本人に確かめるわけにもいかないのだ。
「だから安全策のつもりで隠してきた。そういうわけで、謝る気は無い。これから詳細を説明するけど、先に一つ言っておく。財団はバカじゃないから、荒唐無稽と思ったらこれだけの資料と物資は出さない。いい?
館の場所は、大学周辺一帯の不動産情報を当たってもらった。ああ、ジョースター不動産が大活躍だったってよ」
ジョセフにウインク一つ。困惑しきりの不動産王は、ええっ!? と悲鳴のような声を漏らした。
「基準としては過去五年、家主が失踪してるとか、名義人と出入りの人が違うとか、価値に見合わない莫大な金銭が動いたとか、そういう単純な事。何故かというと、ディオが出所不明の莫大な金銭を保有している描写があったから。お金があるなら、下手な工作するより代理人立てて正攻法で買うほうが安全でしょ。ジョセフさんの潜水艦と一緒でね。
最終候補は五カ所あったけど、内二カ所はイタリアの会社が資金洗浄に使ったとかそんなのらしくて、もう一カ所は遺産問題で係争中の空き屋って訂正の連絡が来てたから多分シロ。残り二カ所を見張りに行ったわけ。
で、…えっと、次は何から話せばいいっけな…」
千時がぐるりと五人を見回し、何となく、ふんわりと沈黙が流れた。ですよね何からって言われてもね。千時は少々考え込み、口を開いた。
「じゃあ、後で話が前後しないよう、何をどう準備したか先に言っとく。
ジョセフさんが調査を頼んだ時点で、財団は、カイロの拠点としてペーパーカンパニーを幾つか作ってた」
「それは知っとるが…」
「で、中の一社が輸入販売代行業者だから、遠赤外線ヒーターを現地組み立てで販売するって事にして、紫外線照射装置を部品の状態で運び込んだわけ」
なッ、とか、ハァ、とか誰かがこぼしたが取り合わず。
「フル回転で組立てて86台間に合ったって。それが組立工場って言ったトコ。大学の近く。さっきのトランシーバーも、ここが輸入したかたちで届いてる。
えーと…で、あと消防署はそうだ! テレビ! ニュース!!」
千時はベッドに放り投げられていたリモコンを取り、テレビをつけた。一体何事かと目を丸くする彼らだったが、ポルナレフだけは途中で気付いて、テレビの前に来た。
「千時、ああいうのは、そう簡単に爆発しねえんだよ」
「そうなの?」
「ああ」
ポルナレフは顔だけで画面を見ながら、体を傾け、全員に話した。
「こいつが消防署に預けてるプラスチック爆弾、C4ってのは、それだけだとまず爆発しない。信管を刺してやらなきゃ、高温だろうが振動を与えようが無関係、火ィ付いたってぼんやり燃えてくだけの粘土さ。信管の中に別の爆薬が仕込まれていて、そいつが内部から爆圧を加えることで、C4本体がボーンといく。そういう仕組みだから、信管さえ別に保管されていれば、大規模な爆発は無い。何ならシチューの鍋あっためンのに使うかってなもんでな。
よく映画やなんかで、武器庫に火が付いて誘爆なんてシーンがあるが、あれは信管や他の爆薬が近くにあるからいけねえんだぜ」
千時も周りと一緒くたで呆気に取られ、しばし絶句。
「ポ、ポルナレフなんでそんな事知ってんの…?」
「知ってるから知ってんの。今それどころじゃあねえだろ、ほら、消防署は燃えてなさそうだぜ」
「ああ、うん、ハイ…。今ご説明いただきました爆弾さんが、消防署にあります…、の、は、どっからかバレにくいのが調達されたらしくて、頼んだ私も経路詳細とかは知らない。でー…」
困惑しつつもとりあえず、千時はテレビを消し、本筋に戻った。
「もう一つ、消防署には、財団が最新の防火服を寄付するついでに、一着、特別製のを搬入してもらってる。これは念のためのアヴさんの分」
「私?」
「そう。マスク付きの、溶岩の調査とかで着るやつ。クッソ重たいらしいんで覚悟して」
「あ、ああ…?」
「えーと、備品はこんなもんかな」
テーブルの書類を見下ろし、うん、一人頷く。
「そういうわけで、ブツが揃ったわけです。んで」
「ちょい待ち」
ストップをかけたのはまたジョセフ。気を取り直した老人は、腕組みをし、胡散臭そうに千時を見おろした。
「財団の予算も無限じゃあない。ましてや、主立ってわしらのサポートをしている部署は、秘密が多い分、規模としちゃあ大きくないのだ。わしが頼んだ事だって相当なのに、ここまでの事をさせるなど無理な筈」
千時はほんの少し、たじろいだ。ジョセフの剣呑な目の中に、出会った当初のような疑惑の色があったからだった。ほぼ一ヶ月ぶりに独りぼっちの感覚がして思わず苦笑いを浮かべると、ジョセフはますます渋い顔をした。
「これ以上、隠し事をするんじゃあないぞ。どこに何をさせてきたのか、はっきり応えろ」
「財団以外に味方なんて居ないよ。何て言ったらいいか、出世払いで代金払ってきた感じ。株が値上がりする会社教えてきた」
「かッ、株ゥ?」
仰天した途端に表情が戻ってくる。
千時は、内心、ホッとしながら、ニヤリと笑いの意味を変えてやった。
「こちとら未来から来てますからね。知ってる分野もあるんだ」
アップル、マイクロソフト、アドビ、カスペルスキーにマカフィー、グーグル、フェイスブック、ツイッター、ワッツアップ、ついでに個人的に知っていた父のIT企業。まず間違いなく値上がりすると思われる名前をずらりと並べてきた。だいぶ先の未来で作られる会社もあるし、この世界でそのまま普及するかどうかはしらないが、きっと幾つかは当たるだろう。
「あとね、もうちょっと即金になりそうな、便利グッヅのアイデアも教えてきたよ」
こっちは、まあ何だ、主に百均アイテムの話である。レジ袋を扉にかけてゴミ袋にするやつだとか、瓶の蓋を開けるシリコンゴムのひょうたん型のワッカとか。おたま立て。ごはんがくっつかないエンボス加工のしゃもじ。コロコロ…実はこれは83年から存在していたことが後で判明するのだが…、掃除用ワイパー。財団がどこか別のところに出資して作らせてしまうと、製品の歴史は狂うだろうが、千時にとってはどうでもいい。
「無事帰れたら、ジョセフさんにも教えるね。いや実はダイエットスリッパを忘れててさ」
「スリッパ!? 何言っとるんじゃお前」
「たぶん儲けられると思うよ」
あのけったいなスリッパが果たして海外へ進出していたかどうかまでは知らないが。
「前振りはこんなところでよろしいかな」
また五人を見回して、沈黙を了承と受け取る。
千時はテーブルに戻り、書類を指さした。
「館を爆破したいって意図は、もう伝わってるね?」
ああ、と答えたのが複数人。とりあえず聞く気はあるらしく、反論は出ない。
「じゃあとりあえず、私と財団の担当さんが、日本に居る間に大急ぎで考えただけの計画を話す。五人か、足しても私とイギーちゃんだけの少人数が前提なのと、候補の建物どれでも対応できるようにって事で、あんまり細かく煮詰めてない。後でご意見ご感想修正ツッコミを全員にお願いします。
まず、できるだけ嗅ぎつけられないよう、行動は開始直前から。時間帯は早朝。
大学へバイク取りに行って、その足で二台が組立て工場へ行く。紫外線照射装置はキャスター付きで、連結できるようになってて、これは今日私が顔出したから明日には運べるようにフック掛けてくれてる筈。で、引っ張ってきたら二手に分かれて、館をできるだけ包囲する。
三台目のバイクは消防署へ。爆弾と耐熱防護服を取ってくる。で、アヴさんに防護服だけ渡して、他のバイクと落ち合う。爆弾を分担して投げ入れたら待避。
投げ入れるとこは、見取り図の赤く塗ってある箇所が目安。これはアメリカの解体業者に計算してもらっといた爆破ポイントで、館を効率的かつできるだけ内側へ倒壊させる箇所。但し、机上の予測に過ぎないから保証はしてない。本当なら現場を見て算出するんだって。しかも館の内部の位置はどうしようもないから、気休めレベルだろうけど。まあ一応ね。
で、そこまで済んだら他は一旦待避。アヴさんに全力放火してもらう。火が届いたらアヴさんも即時待避」
「それでわざわざ防護服…」
唖然としながらアヴドゥルが呟き、千時は頷いた。
「場所によっては危ないかもしれないと思って。
でねえ、コレ元々、初期設定で考えてあるんですよ」
「初期設定?」
「ああ、そうか」
花京院がハタと顔を上げる。
「確実なスタンド能力以外、使うつもりが無いんだな?」
「エクセレント! そう、日本出る時点で確定してたものしか入れてない。だからノリさんに頼むことは決まってる」
「どうぞ」
「カバー範囲一杯の結界で、逃走する敵の有無を見張って。直接の戦力じゃなく、戦況を監視して指示を出してほしい。そのためのトランシーバー。照射装置もノリさんに頼むつもりで、リモコンにしてもらった。あ、渡しとくね」
忘れてた。しゃがんで鞄の中の封筒を漁り、手の中に入るサイズの白い箱を取り出す。シンプルにボタンが付いているだけの、非常に軽いリモコンである。
「これくらい軽ければ、遠くてもハイエロファントで持てるよね。照射装置に届く位置まで」
テーブルへは置かず、花京院へ直接差し出す。が、彼はじっとそれを見据えた。
「参謀に徹しろと?」
「可能なのがあなたしか居ない」
即答すれば花京院は口の片端をつり上げて笑い、諦めたようにリモコンを受け取った。了承とも非難ともつかない色だが、千時としては、死亡予定の男を戦線には出したくない。これは他の死亡予定者も同列だ。…つーか三部の死亡率高すぎ。事が机上の空論でなくなる地点まで辿り着いたため、全員助けるとかどんな無理ゲーだと心底思うようになっている。ちゃんねる系二次創作はよく読んだが、それにしたって皆、どんなチートスタンドで戦ってたっけなあ。いやT・Tなんかむしろ破格のチートなんだが、こんなイレギュラーの筆頭格、危なくて計算に入れられねっつの。
…じゃなくて。
「爆破してから日が昇るまでには、若干の猶予があると良いと思う」
「奴を誘き出すのか」
「いやあ、どーだろ。希望的観測。確率1ナノグラム。しかし上手くして姿を見せたら、紫外線照射するか、日が昇るまで承太郎とポルナレフに全力で足止めしてもらって朝日でジエンド、といく可能性が無きにしもあらずかなぁと。ああ、いや、紫外線は包囲に使うかどうかノリさんの判断に任せるけど。まあ、これだけの事するんだし、試すだけは試しといた方がよくない?」
「迎撃に、全員でなく二人だけを名指しする理由は?」
「物語じゃ二人以外は死んでるから」
できるだけあっさり、流すように話したつもりだ。まあ、また沈黙に包まれるのは当然で、仕方がない。千時もさすがに視線を上げられず、テーブルの資料を見渡し、すぐに次を切り出した。
「物語であなた達が館に火をかけなかった理由は4つ。
1つめは、期日ギリギリで絶対にディオを取り逃がせなかったから。
2つめは、気の逸った誰かさんが突撃しちゃったらしくて」
「ポルナレフ」
「ポルナレフか」
「ポルナレフだな」
「ポルナレフきさま」
「してない濡れ衣着せんじゃねええぇーッッ!!」
「ハハハ。3つめはぁー」
「流すなッッ!! ちょっとオ!!」
うんいや詳細知らんけどどっかのまとめにアンタが行っちゃったからって書いてあったから! つーかさもありなんと思われる普段の行いがどうなの。
少しいつもの空気が戻って、和んだのは気分が良かった。気を引き締めるのがもったいなくて、千時は半笑いのまま話を続けた。どうせ、また途中で重たくなるに決まっている。
「3つめは、幻覚のスタンドのせいで中が巨大な迷路に見えてて、下手に火を放つと中にいる自分達も危険と判断したから。
4つめは、中に人質が居るかもしれなかったから。
1つめの理由はもう無い。少なくともホリィさんのタイムリミットまで、十日の猶予が確実にある。最大の五十日計算なら二十日近い。期日は大丈夫。
2と3も、今この時点で作戦会議してるから無い。
4つめは私が知ってる。人質は居ない」
「本当か?」
ジョセフが訝しげにテーブルへ両手を置いて、身を乗り出した。
「特に4つめだが、出来すぎとりゃあせんかね。お前、エジプトでの事は詳しくないと言っとったじゃないか。まさかわしらを助けるために人質を見捨てようなんて、考えちゃあおらんだろうな」
「バカにすんな」
ジロリと見れば、彼は珍しくもたじろいだ。それをどこか他人事のように思いながら、彼女は淡々と続けた。
「つーか人質居たら他の方法考える。もし私が見捨てるような冷血だったとしても、人質ごと燃やしちゃって後でバレたら、私にとって一番肝心の今後のこと、ジョセフさんに助けてもらえなくなるじゃない。それに、火をかけないなら、紫外線照射装置なんか担いでいける数だけでよかった。
ここまで来たからぶっちゃけるけど、私は、こっち側のメンバーを殺す敵の事は知ってる。対策の方法は他にも多少あった。
でも、人質が居ないんだから、火をかけない理由は無い。館ごと焼いてしまえば、幾つかの危険を回避できる。残る敵を確実に減らせる」
それぞれが沈思した。千時もしばらく黙って待ち、ジョセフは、ぐずついた調子で口を開いた。
「取り逃がせばその先は」
「違う。そもそもこの計画は、旅のエンディングを想定してない。多少の敵が火の手を逃れる事を前提にしてる。
ディオについては、確定的とは言えないけど、そもそもここまで留まってこっちの到着を待ってた奴だし、そう簡単にはカイロから動かないと思う。一応、空港は財団の監視を配備してもらってるから、こっちも手分けして先回りで駆けつければ間に合う。陸路ならそう遠くへ行けないのは、通ってきた私達がよく知ってるでしょう」
「最終計画では無い、というわけか…」
ジョセフが顎髭を撫で、フゥムとテーブルの資料を睨んだ。
口を開いたのは、ここまで無言で居た承太郎だった。
「この図面」
長い指先が見取り図に伸び、ゆっくりと二カ所を示した。
「地下に逃げ道があるようだが、そこはどうするつもりだ」
「ああソレ」
とりあえず乗ってきてくれた事に安堵し、千時は鞄を漁った。
この地下通路というやつ、実際に図面で見たときは、ファンの考察に頭の下がる思いだった。どこだかのまとめブログで、地下室があるなら、土地柄、地下通路もあるだろうと書かれていたからである。深読みパねえ。ホントにあったよ。ファンの中にエスパーの悪霊持ちとか紛れ込んでたんじゃないだろうな。
「えーとね、こっちの調査書…」
言いながら書類を探し出し、テーブル向こうの承太郎へ差し出す。
「…日本語じゃあねえか」
「別動隊のリーダー買って出てくれたのが、話聞いてくれた日本支部の人だったから。英語できないって言ったら、全部日本語で送ってくれた。
私もさっき読んだばっかなんだけど、そこに書いてある。この建物は元娼館で、警察の手入れから逃げられるように、秘密の地下通路が作られてた。店が無くなった後のガサ入れで分かった通路だから、もしかしたら他にも隠されてるかもって。もうそれは仕方無い。
でも、通路の出入り口の一つが、屋敷の丁度真ん中あたりでしょ。そっから放火できないかな」
「…この、水路に繋がっている方、だな」
承太郎は書面と見取り図を交互に見、経路を辿って、別紙の地図へ指を移した。
「そう。外から燃やすより効率良いだろうし、爆弾への点火の時間差を減らせそうじゃない?」
「アヴドゥル。水路の中から炎を放って、テメエは無事に戻れるか? 下見してからの判断とは思うが、どうせクソ狭いだろうぜ」
「あ、ああ…、うむ」
唐突に話を振られたアヴドゥルは驚き、しかし、すぐにグッと眉根を寄せた。
「上階が誘爆がした時点で待避、だったな、千時」
「うん。火さえついちゃえば、むしろ全力で逃げて」
「防護服とやらがどれだけか知らんが、まあ…、まあ、何とかしよう」
アヴドゥルは深く頷き、あらためて見取り図を覗き込んだ。
「やるとなれば、最初から命は懸けているんだ。自分の事くらいはどうにかする。しかし、もう一方の通路は?」
「ハイ!」
千時は挙手して、そのまま手をベッドの隅へ差し向けた。
「そっちは出口が地上なのでイギーちゃんで塞げます!」
「あっ! それでサンドなんて教えてたのか!」
ポルナレフがポンと手を打ち、やっと全体の空気が緩んだ。名前が出ただけなのに、動物の癒し効果パない。
「いやいや、正直、死なせないように何でもいいからと思って教えたんだけどね。あの子、予想より遙かに頭が良かったの。本当、普通じゃない。もうコマンドの成功率9割に届いてるから、穴塞ぐくらいはできる」
「集塵能力を使うとは考えたな」
花京院が目を丸くしたまま、窓際のベッドの隅を見た。一日中連れ回されたボストンテリアは、疲れきって寝入っている。
「しかし、彼がコマンドを覚えていなかったら、どうするつもりだったんだい?」
「覚えてなかったらと言うか、アテにしてなかったからね。スタープラチナに埋めてもらおうと」
「ディオの相手もしなきゃならないのに? 承太郎は大変だな」
花京院に苦笑され、千時は頭を掻いた。
「しょうがないよ。他にどうしようも無い」
また少し沈黙が訪れ、何となく瞑目する。胸が、苦しいような、透き通るような、妙な気分だった。
「真正面から行くと、こっちはろくな対抗手段を持ってない。そのせいで死屍累累。それでいいならもう知らないけど、みんなに死んでほしくないから、これだけの準備をしてきた。
私ができるサポートはここまで。
お願い。
信じて。
この一度だけ、私に頂戴」
自分で紡いだ声音すら、別人の、他人事のように聞こえる。
言い切ってから開いた目には、資料を押さえつける承太郎の大きな手が映った。千時は、まるでその手が彼女の身動きを封じているかのように感じながら、それに全力で抗い、顔を上げた。海色の瞳と視線を交わせば、火花が散るようだった。
「これまで信じろと言わなかったテメエが言うんだ。
俺達は、信じていいんだな」
「裏切りを感じたら、私を殺して逃げるといい」
彼女は、仲間にそう応えた。
この世界に迷い込んで、彼らを救えるかもしれなくて、やっと私は私を必要とできた。
だからね。
止められないから、謝っておくね。
もう二度と口にしない。私が全部持っていく。だけど、あなたが私と同体になってしまったから、私一人で背負えなくなってしまった。それを謝りたい。
摘み取る命を、私は背負う。
これからやろうとしている事は、誰をどれだけ巻き添えにするかわからない。そうでなくても、何人かを殺すためにする事だ。本当なら命に命を裁く権利は無い。善は存在しない。悪は相対でしかない。そして、この事はきっとあなたの方がよく知っているのだろうけれど、他の命を意図して奪う時に唯一許容される理由は本来、自らの生という原初のエゴだけだ。私はそれを破る。知っていながら破る。そうと知らずに破るのとは訳が違う。自分の命のためではないのに、この星の生命が形作る弱肉強食の名の下、殺しに行く。
まだ感情の分からないあなたは、理解しなくていい。
だけど、もしいつかそれを理解する日がきたら、私が居るのを…もしかしたら〝居た〟のを、思い出して。
これは私が犯す事。
私の背負う罪。
あなたじゃない。
覚えておいて。
本当に、ごめんね。