スターダストテイル   作:米俵一俵

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23.Bluff on the table

 先達ってアヴドゥルがカイロまで二日と言ったのは、また船に乗る場合の時間だった。

「二人の敵が同時に来て失敗し、我々は合流している。立て続けで負けに来る馬鹿もおるまい」

 ジョセフがそう判断し、ルクソールからは寝台列車に決まった。それなら十二時間だ。

「九人の敵の内、四人…いや三人と一本を片付けた事になるな」

「一本はカウントされるんでしょうか…。残り五人か、六人か」

 アヴドゥルと花京院は、人数的にもう少しカイロの手前で迎え討ちたい様子だったが、こちらの都合で敵が来てくれるわけではない。

 千時はというと、少なくともグルグルガオンが館の中だという事は知っていて、つまり、計算上はもう一カウント少ないか? と思ったが、

「日数は順調だと思うよ」

 とだけ保証した。

 元の物語に対し、十日のアドバンテージを保ったままで来ている。ここで稼ぐ半日も、原作との比較情報が無いにせよ、最短に近いはずだ。

 

 ルクソールは先述の通り、カイロからそう遠くない。少し足を伸ばすつもりの観光客が多く立ち寄る。

 駅のホームは、多国籍にごった返していた。

「片方がコネクトルームになっとるんじゃが、どうするね」

 ホームでジョセフが面々を集め、チケットを見せた。彼が手配してきた寝台列車は一等で、二人用の部屋が三つ。内二部屋は仕切りがドアになっているのだそうだ。ファミリーや団体が利用しやすい造りである。

 花京院が軽く手を挙げた。

「アヴドゥル、たまには僕と組みませんか」

「おや。珍しいな」

「カイロへ入る前に、話を聞きたいと思って。僕が以前来たのはパッケージツアーだったし、恥ずかしながら、目的地を前に気が立っているんだ」

「かまわんよ。そういう事なら、コネクトルームの方にするか」

「ええ。人数の多い方が気も紛れる」

「なら承太郎とポルナレフじゃな」

 頷き、何気なくチケットを渡そうとしたジョセフの手を、千時が止めた。

「コネクトルームっていうの泊まったことない。そっちがいい」

「えっ俺も」

 ときたのはポルナレフ。

「えー。千時はジョースターさんとじゃあねえのオ?」

「こういう時こそレディーファーストじゃないのオ?」

 顔を見合わせ、二人してジョセフを見る。

「じゃあ雑魚寝と思ってさ、ドア開けとこうぜ。な? それならいいだろ、ジョースターさん」

「あ、香水付けすぎてたら却下で」

「こんにゃろめ。今日は失敗してませんー。ほれ」

「うむ。こんくらいなら許してつかわす」

「何様だよ」

「千時様だよ。紅一点だもの。なんだお前ら失笑すんな!」

 ここまで台本に無かったけれども、場が和んだので良しとしよう。

 ジョセフと承太郎を蚊帳の外に、四人は目配せして笑った。

 

「静かにね」

 抱いていたボストンテリアを椅子におろすと、彼は座面をわざとらしく踏みつけ、ボスボス歩き回った。

「心配ねえよ。そいつ、室内ならそんなに鳴かねえんだ」

「いい子!」

 言う間に、イギーは窓辺の隅へ丸まって、フスンと不機嫌に鼻を鳴らした。

「にしても、うまくいったなあ」

「どうだか。ジョースターさんの事だから、気付いてるかもよ」

「猿芝居しおってからに! とか?」

「フハハ! 似てる」

 座席の下へ荷物を押し込み、千時は笑った。

 無事ポルナレフと同室になり、ドアの向こう側には花京院とアヴドゥルが入った。ジジマゴを押し込んだもう一室は離れていて、二部屋挟んだ前方である。

「そうだ、アヴドゥルと替わってやろうか?」

 気を遣ってくれたのか、ポルナレフがドアを見た。

「ポルナレフがイヤじゃなければ、これでいいよ」

「あらそっ。さっすが俺、信用されてンなぁ」

 否定しても肯定しても続きに困る返しをせんでほしい。千時が苦笑したのを見計らうように、列車は走り出した。

 この部屋割りは、三十分ほど前、花京院が発案した事だ。

 エジプト観光のベストシーズンは、三、四月と十、十一月なのだが、間に挟まる冬季も次点として含まれる。ために日本人観光客も多かった。で、例によって承太郎が女性の団体に捕まり、ポルナレフが突撃しに行き、ジョセフがたしなめに…いやどうなんだろう、カッコいいおじさまァ! なんて黄色い歓声にだいぶ楽しそうだったけど…とにかく割り込んだりしている隙に、花京院が千時を捕まえて、提案してきたのである。

 カイロに入ってしまうと、またホテルなどの個室になるため、ジョセフは千時と同室だ。この列車を逃すと、承太郎が祖父と落ち着いて話をする場が無いかもしれない。コネクトルームは単なる偶然だが、これを利用してやれないだろうか。そういう話だった。

 一も二も無い、千時は賛成した。彼らが家族の話題を持ち出すことが、あまりに少なかったからだった。

 実のところ、この旅の最大の目的は、ホリィを救うことである。もし彼女のタイムリミットが無ければ、もう少し楽で安全な旅になっただろう。うっかりするとディオを追わなかった可能性すら微レ存と言える。

 現実には、かなり厳しいタイムリミットがある。そして各々、同行の理由があるにせよ、はたから見たら六人中四人が他人のために命を懸ける底抜けのお人好し、さらに一匹はただの巻き添えという、大惨事のパーティーだ。家族である二人…特にジョセフは、ほとんどホリィの事を語らなかった。その心情は察するに余りある。

「僕の方は、アヴドゥルなら引っ張ってこれると思う。少々苦しい言い訳になるが、先に話しておけば乗ってくれるだろう。だから、きみにポルナレフを連れて来てほしい」

 そう頼まれた彼女は、二つ返事でオーケーを出して、十分ほど頭を捻った。で、あの猿芝居が熱演されたわけである。

 ちなみに千時はちょっと楽しい。

「わ! すごい!」

 後でベッドに変わる大きな座席の横手を見て、思わずテンションが上がった時など、特に違う。

「ポルナレフ、ほら、電車なのに洗面台が!」

「マジだ! すっげェ! …いくらすンだろうな」

「ねー…」

 不動産王マジぱねえ。

 そう、こういう同調するような楽しみ方は、ジョセフとではできないのだ。彼ならフフーンと得意満面、他国で周遊した話なんかになってしまう。それはそれでおもしろいが、毎回だと若干、こう、…ね? つまらないとかいうんじゃあ、ないんだけれども。

「かなり広いよな。列車の中だぜコレ」

「イスもふっかふか」

「あとで係員がベッドにしに来てくれるんだってよ」

「ホテルでもないのに!?」

「ないのに!」

「すごい!」

 まあ揺れと音も凄いけれども。そこは列車なので仕方がないか。

 ナイトランプのスイッチがどこか探し回ってみたり、壁に張り付いていた折り畳みテーブルに気付いて驚いたり。

 一頻り部屋を楽しんでから、隣室と繋がるドアを見る。奥の壁際だ。

「ドア開けていー?」

「その前に腕見せな」

 ポルナレフはふと思い出したようで、最初に片付けたズダ袋をひっくり返した。

「えー…いいよメンドくさい」

「また捻りあげられてえの?」

「げッ」

 それは痛いので御免蒙る。仕方なくパーカーの袖を捲って、包帯の巻かれた腕を差し出した。彼はタコだらけの太い指で、しかし器用に包帯を解いた。

「他人の怪我は治せるくせに、自分は治りが遅いのな」

「きみね」

「ん?」

「よォーく考えてごらん? T・Tは、治してるんじゃあ、ないんだよ?」

「ああ。ん? だから?」

「巻き戻しと治癒ってえのは、時間のベクトルが逆じゃあないかい?」

「逆…あそっか! お前、頭イイなあ」

「ハッハッハ。…いや、ま実際大した事はないけど、それ位しか無いしね」

 軟膏を塗られ、綺麗に巻き直された包帯を撫でながら、千時は苦笑した。

「いろいろ持ってないからなあ」

「何をよ?」

「経験。センス。感覚。あと単純に力とか。ポルナレフが一番持ってる系のスキル」

「ああ、それで余計な事を考えていやがったのか」

 きょとんとすると、ポルナレフは千時の指を、指で叩いた。

「ロープだったか、T・Tの指。ハイエロファントの代わりに出してやればよかった、とか思ってただろ」

 ポルナレフはジトリと半眼を寄越している。

 千時はしばしポカンと口を開けっぱなしにしてから、ハッ! としてバッ! と手を構えた。

「あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!?」

「は?」

「何言ってんだかわからねーと思うが以下略ッ!!」

「い、以下略?」

「今ッ! 私はッ! ポルナレフに図星を指されたッッ!」

「…ジャポネよ、もうちょっと俺に親切に喋れ」

「ヌフフ! ごめん!」

 まさかの元ネタに向かって言っちゃったんだぜ! クスクス笑っていると、さすがに気味悪そうな顔をされた。

「何を考えてるんだか分かりゃしねえ」

「いやいや、確かに考えてた。子供を戦いに晒さなくても、落ち着いてればその方法に気付いたかもって。よく分かったね」

「あんだけ気難しい顔で考え込んでいりゃあな」

「ええ? いつ?」

「昼メシの時さ。なんであんなクソ野郎の話を蒸し返したのかと思っていたんだが、そのあとずっと、デコにシワ寄せてたからな」

 人差し指で眉間を突かれて、千時は横へよけた。

 ポルナレフは隣の席にどっかと座り、両手を組んだ。

「よく聞け。俺たちがお前に心底望んでいるのは、安全な場所でT・Tの手にでも籠もって、出てこないでくれって事だ。誤解するなよ、心配なんてチャチな事言ってんじゃあねえ。足手まといだからだ。そもそも、守るってのが、ただ戦うより難しいってのは分かってるか? 防がなきゃならない事が二つになる。敵の攻撃と、自分の挙動だ。俺は、敵に間合いを読まれないよう、剣を背中にまわす瞬間があるが、そこにお前が居てみろ。どうなる?」

「…うん」

 至極ごもっとも。アヌビス戦での承太郎も、千時を背後から外して戦いに行った。もっと遡るなら香港で偽船長を押さえた時も、ジョセフが彼女を待避させ、前方の彼らの邪魔にならないようにしている。いやそもそも最初に日本を出る際、戦闘となれば可能な限り待避するという約束をして出てきたのを、T・Tが出現した事で反故にしてしまっていた。

「勝手な事考えてごめん。もっと引っ込むように気をつける」

 殊勝に謝罪した千時を、ポルナレフは目を丸くして眺めたが、すぐに頷いた。

「大体お前、館の中の事を知ってるんだろ? 充分すぎてツリがくるってのに、リタイヤでもされちゃあ、こっちが困るんだぜ」

「ハハ」

 リタイヤね。千時は返事を濁して笑ったが、ポルナレフは勝手に解釈したようで、彼女の頭をグシャグシャにかき回した。

「無理なところでしゃしゃり出んでも、女子供は居るだけで良いもんさ。俺なんか、お前が機嫌良く歌ってんのを聞くだけで、妙にホッとするんだぜ」

「ふっは!」

 何ソレ!? 思わず噴くと、ポルナレフはニヤリとした。

「花京院なんか一曲おぼえてっからな」

「嘘!?」

「ホント。闇の夜空がーってやつ」

「のっ脳ミソ巻き戻すしかないッ!」

「真顔で言うな! コラ! ダメ! 行かない!」

 ドアノブに手を掛ける掛けないでギャーギャーやっている内に、扉は向こうから開いた。

「おい、騒がしいぞ」

「乗って早々何の喧嘩を」

「いいところへ! ノリさん頭貸せ!」

「ダメっつってんだろ!」

「…何の話だ?」

 花京院が盛大に首を傾げた。

 

 ちなみに彼が覚えてしまったのは、千時お気に入りの、ちょっと古い某有名アニソンである。九年後、リリースされたそれを耳にした花京院がものすごいテンションで電話をかけてくるのだが、それはまた、別の話だ。

 

 

 到着は、カイロの中央駅であるラムセス駅。

 この時期、カイロの気温は10度から20度だ。早朝の空気は雑踏をも飲み込むかのように、重苦しく一行を出迎えた。

 駅を出たところで、ジョセフは千時の手を取って繋いだ。仲間との言葉に困らなくなって以来、予告も無く手を取ることは稀になっている。どうしたのかと見上げたが、老人はただ真正面を向いたまま、珍しく小さな声で呟きをこぼした。

「カイロの人口が六百万人。建物だけでも二、三百万はある。本当に見つかるんだろうか」

 ああ、今この地に踏み入って、現実が押し寄せたのだ。千時はそう思い、繋いだ手をギュッと握りしめた。

「この旅は、みんながディオを倒す物語だよ。見つけてなかったら倒せない。つまり、もう館は見つかってるって事」

「フッ。とんだタイムパラドクスじゃな」

「そうそう」

 やっとジョセフは千時を見おろし、目を交わして笑った。

「さァてと。どっから探したもんかいの」

 顎髭を撫でる彼に、アヴドゥルが歩み寄った。

「カイロは広いですから、闇雲に探すより、端から中心に向かって探していくのが良いと思います」

「ではまず、車を手配しよう」

 ちなみにディーラーでまた一悶着、捜索範囲がバカ広いため、二台買って二手に分かれるかどうかでモメた。が、結局、大型のジープで全員、共に行動することとなった。ルクソールのように戦力を分割されると、面倒だからである。まあ何だ、ぶっちゃけ、マライア戦の際にたとえば超絶パワータイプのスタープラチナが同行していれば、引き剥がすだけでも早い内に済んだはずだし、アレッシー戦にジョセフが居れば、若くされても楽に勝てたという話である。

「敵が単独で複数を相手取ることのできる能力を持っていると、厄介じゃからな」

「そうですよ。ああいうのはもう二度とごめんだ…」

「こっちだって…」

 もの凄い顔でげんなりするジョセフとアヴドゥルに何があったか知らないが、まあ、千時はやっぱり、聞かないでおいた。

 ジープはナイルを渡り、環状線付近を辿ってギザの方へと南下することとなった。途中、人の多い各所で車を停める。現地のアラビア語はアヴドゥルしかできないため、聞き込みは彼を中心に、残る四人で英語のできそうな人物に片っ端から声をかけた。

 千時はイギーと車に残るつもりだったが、例によってジョセフに連れ出された。車上荒らしなどのくだらない犯罪で時間を食っては、割に合わないからだそうだ。

「じゃあイギーちゃん。悪いけど、今日は乗ったり降りたりするからね。ちゃんとついて来て」

 通じているか知らないが、千時はそう言い聞かせ、首輪とリードを着けた。彼は不服げではあったが、特に逃げ出そうとはしなかった。

 休憩したのはランチタイム、それもテイクアウトを交代で済ませただけ。いくら多少の日にちがあるといえども、アヴドゥルの言った通り、カイロは広いのだ。千時とイギーはジョセフにくっついてまわっただけなので比較的マシだが、それでも疲れていたくらいだから、五人の疲労は相当だったろう。

 夕日のオレンジ色がピラミッドを美しく染める頃には、彼らの声が掠れていた。

「これがギザのピラミッドじゃぞォ」

 いいかー、見たかー、と気抜けた声。せっかくの超有名観光地でありながら、ポルナレフがヘーイと軽く返しただけ。

「あー…。これが館を見つけるまで続くのか…」

 うなだれる電柱に、

「いやならさっさと見つけるしかない」

 前髪が普段通りの一刀両断。しかし声音は、やはり疲労の色が強く、辛辣になりきらない。

 当てどなく探すというのは、肉体より精神を削るのだ。

「おい。ラクダ引きに捕まるなよ」

 助手席のアヴドゥルが振り返った。彼も少々、喉が枯れている。

「乗ったら最後、自力で降りられないのを良いことに、法外な値段をフッかけてくる。払わなければ降ろさんと言い出すからな。時間を食うぞ」

「つーか、今この状態でラクダ乗ろうって奴居るか?」

「主にお前に言っているんだ、ポルナレフ」

「もー。なんで俺ばっかり」

 そういうムードメーク担当だからだよ。とは思うが、千時も口を動かすのが面倒でやめた。

「いくぞ。聞き込みを続けよう」

 観光地なのでさすがに駐車場へ停まり、ぞろぞろと外へ。

 早速寄ってきた駱駝引きを逆にとっ捕まえ、写真のコピーを配り、訊いて回る。後はアヴドゥルとポルナレフがピラミッドの方。学生二人は駐車場の案内人と、観光客。千時とイギーはジョセフに連れられ、あっちこっちと土産物屋を覗いた。

 三十分ほど経って再集合。成果が無いのは互いの顔色で分かる。

 ただ、花京院が一方を指さした。

「さっき観光客の一人が、少し離れた場所にカフェがあると教えてくれました。誰か行きましたか?」

「いや、わしらは行っとらん」

「そういやどっかに屋根が見えてたなぁ」

「もののついでだ。当たるだけ当たりましょう」

「本日最後というところじゃな」

 車に乗り込み、舗装なんて無い、踏みならされただけの道を進む。途中から砂に埋もれて途切れたが、件のカフェの建物まわりはちゃんと地均しされていて、どうやら、観光バスなどが使わないルートと繋がっているようだった。

 中にはいると、やはり地元民が多い。広い大屋根があるだけの全面テラス。カウンターの雰囲気からして、夜間はバーになるのだろう。あちこちのテーブルには、シーシャと呼ばれる水タバコも出されていた。

 余談だが、お国柄か酒も煙草も年齢制限が甘い。もう上陸しょっぱな、バナス岬近くの集落で花京院と二人、カフェの店主に勧められて困った。シーシャはエジプト発祥の名物らしい。ミント、アップル、オレンジなどのフレーバーが大量にあって、普通の煙草よりは取っつきやすそうなのだが、その場で花京院と千時は、実はとっても嫌煙派ですと暴露しあって意気投合。百害あって一利無し、それに何しろ臭いがなァ、いずれ世界的禁煙ブームくるよ、やはり承太郎にはやめさせよう、みたいな会話で盛り上がった妙な思い出がある。

 面々が各テーブルに写真を配り、回してくれと頼んでいる間、ジョセフはカウンターへ向かった。

「イギー、こっち」

 リードが絡まないよう呼び寄せれば、イギーはツンと鼻を上げ、ぴったりとついてくる。賢い犬だ。

 恰幅の良い、なかなか迫力のあるバーテンダーが、両手の拳をカウンターに着いた。千時は、何となくジョセフの手を取った。

「ようこそ、外国の方。何にします?」

「尋ねたいことがある。わしらはこの写真の建物を探している。どこか知らんかね」

「外国の客人。ここはカフェですぜ。何か注文してくださいよ」

「アイスティーを六つ」

 千時は振り返り、手を振って四人を呼んだ。

 のろのろと集まって、とりあえず冷たいコップを手に取ると、全員が安堵のような落胆のような、変な表情を浮かべていた。バーテンダーは案の定、知らないと言う。俺も知らねえなあ。写真だけじゃ分からんよ。こんな建物、どこにでもあるからなあ。周囲からも、今日は聞き飽きた返事が飛んでくる。

 だからこの一言も、一瞬は聞き流した。

「その建物なら、知ってますよ」

 言葉の意味が追いついた次の瞬間、六人は同時に振り返った。

 

「間違い無い。あの建物だ…」

 千時にすら分かる、流暢なクイーンズイングリッシュ。なんとも上品、かつ、胡散臭い男が一人、奥のテーブルでトランプをきっている。

 オーバーハンドから美しいカスケード。手遊びのワンハンドを挟み、スプリングで右から左へ。最後はテーブルに、丸くリボンスプレッド。なんて上手い。

 千時は男よりカードを見ながら、ジョセフに手を引かれて行った。

 彼女がシャッフルの名称を知っているのは、高校の頃、トランプ手品の本を見て図書館で練習したからだ。まーみんな一度はやってみるよね。結局、千時の手のサイズではうまくカードが隠せず、一番簡単な手品だけで終わってしまったが。

「きっきみか!? 今喋ったのは! 今、知っていると聞こえたが!?」

「はい。確かにその写真の館なら、どこにあるか知っていると言いました…」

「何だって! 本当か!!」

「そいつはありがたい」

 陽光差し込む端のテーブルを取り囲み、男達は口々に歓喜した。

「ィやった! こんなにあっけなく写真の場所が分かるなんて、俺達ラッキーだぜ!」

「どこだ!? 教えてくれ! どこなんだ!?」

 ジョセフは千時から手を離し、勢い込んでテーブルに身を乗り出した。

 男は答えず、丸く広げたカードの端をぴっと弾いた。ウェーブかと思ったが、カードは立ち上がり、二枚一組で頂点が合って、組み上がった。もしや本職の手品師だろうか。

「タダで教えろと、言うんですか?」

 ゆったりとした口調が、しかし、そこはかとなく怪しいのは何故だろう。

「そ、それもそうだな、悪かった。10ポンド払おう。さ、どこなんだ」

「フフフ…」

 取り合わず、トランプを一枚、ピタリと掲げる。

「私は賭事が大好きでねえ…」

 男は言った。

「くだらないスリルに目が無くって。やみつきってやつでして。まあ大方、ギャンブルで生活費を稼いでいるんですよ。あなた、賭事は好きですか?」

「何を言いたいのか分からんが…」

「賭事が嫌いなら嫌いと、ハッキリ言ってください」

「だから、何を言いたいのかと聞いているんだ」

「いえ、ねえ」

 苛立つジョセフに、男はもったいぶった調子で、ニタニタと笑った。

「私と、ちょっとした、つまらない賭をしてくれませんか。あなたが勝ったら、タダで教えますよ。その場所を」

「賭ェ? 賭なら自信はあるが、今、わしらはポーカーなんてやっている時間は無いんじゃ。もう20ポンドやるから教えてほしい」

「賭なんてものは、何ででも出来るんですよ。時間はかかりません。例えば…」

 男は周囲を見回し、背後の一点を指さした。

「あそこを見てください。猫が居ますねえ」

 言うなり、皿にあったジャーキーを掴んで投げる。二切れが、少し先に転がった。

「さあ、今からあの猫は、どっちの魚の薫製を先に食うか。賭けませんか。右か、左か。どうです? つまんないけど、スリルあるでしょ?」

 ガン!! とものすごい音をたて、ポルナレフがテーブルを殴りつけた。

「おい!! 面倒臭え野郎だぜ、さっさと30ポンド受け取って、さっさと教えろッ! テメー!!」

「ポルナレフ。教えてもらうのに、そんな口をきくんじゃあない」

 ジョセフが慌てて諫めたが、男の薄ら笑いに沸騰したらしく、ポルナレフは食ってかかる。

「オーケー、じゃあ俺が賭けて…」

「ストップ!」

 ハッとした千時は、ポルナレフの腹を押して後ろへ下げた。

「何だよ、千時はスッこんでろって」

「違う違う聞きなさいよ!」

 チューブトップの裾を引っ張ってテーブルを離れ、耳を貸せと爪先立ちになると、ポルナレフは仕方なさそうに体を屈めた。

「あんたは賭けちゃダメなんだってば」

 小声で言うと、面食らっている。完全に忘れた顔だ。まったくもう! 

「前に顔面コインて言ったでしょ。いつどこでなるか分かんないんだから、ゲームとか賭とかやめて。アヌビスの時も、持たないでって言った剣持って操られちゃったじゃない」

「…くッそ!!」

 疲労で苛立っているのか、悪態をついて体を起こす。

 肩をつつかれて千時が振り返ると、背後で聞いていたらしい花京院が、入れ替わりに顔を寄せてきた。

「僕はまだ病院に居るはずだったな?」

「え? うん」

「何かあれば後を頼む」

 止める間も無く切り上げ、彼はテーブルへ進み出た。

「僕が賭けましょう。右にします」

 ひどくあっさり、特に考える様子も無くそう告げ、男の正面の席に座る。

「グッド!」

 男は至極嬉しそうだ。

「楽しくなってきた。じゃ、私は左に賭けましょう」

 おいおい、とジョセフが呆れている隣で、アヴドゥルが承太郎に歩み寄る。二言三言交わし、承太郎が両ポケットに手を入れたまま、花京院の後ろへと構えた。警戒しているらしい。

「ところで」

 花京院は気配を察してか、軽く手を組み、にこりと笑った。

「僕が負けたら、何を支払えばいいでしょう? 見返りに釣りあうような、あなたに有用な情報なんて、僕らは持っているかどうか」

 柔和な雰囲気とは裏腹に、眼光鋭い花京院へ、男はニタッと笑い返した。

「魂、なんてのはどうです? 魂で…」

「おもしろい。どう支払わされるのか、僕自身も見ものです」

 何の躊躇もせず、花京院は同意した。

「それでは猫を見張るとしましょう。もう気付いたようですよ」

「おや本当だ」

 男が背後を見、全員の視線が猫へ向く。

 猫はのそりと塀を降り、こちらへ駆けてきた。まっすぐ、右へ。

「よし!!」

 ポルナレフが言うのと同時、猫はパッと進路を変えた。左の小さい方を先に取り、すぐさま右をくわえ、両方を持ってくるりと逃げていく。

 花京院は、ただ黙っていた。

「なっ!! アアッ…!?」

「見ましたね? 左、右と肉を奪って逃げましたねえ。私の勝ちだ。さあ、約束でしたね。払っていただきましょうか」

「払うったって、魂なんざどう払わせようってんだ!!」

 ポルナレフがまた突っかかったが、もうその時には遅かった。

「私は魂を奪うスタンド使い。賭というのは、人間の魂を出やすくする。そこを奪い取るのが、私のスタンドの能力…」

 花京院の背中がぐらりと揺らぎ、テーブルに額からゴンと音を立てて倒れ込んだ。

「かっ花京院!?」

 その体の上方に、白っぽい靄が立つ。それは花京院典明の姿を模して、唐突に現れた薄気味悪いスタンドの手へと捕まれた。

「なにいいいい!?」

「花京院!!」

「おーっと! 私を殺すなよ! もう遅い、私が死ねば、私のスタンドが掴んだ花京院の魂も死ぬ」

 慌てたアヴドゥルが花京院を抱き起こしたが、力の抜けた体は横へずり落ちるばかりだ。仕方なくそのまま一度床へ降ろし、体を抱えなおして、背後の柱の陰まで待避した。

「脈が無い…!!」

「何!?」

「死んでいるッ! 花京院が死んでいるッッ!!」

 背後の騒ぎと、ギャンブラーの隣のスタンドとを、視線が往復した。

 変な色。変な顔。肩から胸周りに黒い甲冑。千時は場違いにも、なんとなくこいつDBに出てきそう…なんて思っていた。不気味なスタンドは、花京院から掴んだ靄を引き延ばし、捏ねくり回してから、パチンと両手を閉じた。そこから落ちたのは、一枚のコイン。青と白に縁取られた中に、目を閉じた顔がある。

「これが花京院の魂だ…」

 男はテーブルに落ちたそれを摘み上げ、見せびらかした。

「早くも一人、ディオ様の邪魔者を消してやったことになる。間抜けな奴だったな。遅れたが、自己紹介しよう。私の名はダービー。D、A、R、B、Y。Dの上にダッシュが付く。…ところで」

 いつの間に来ていたのか、さっきの猫が彼の膝へ飛び乗った。

「こいつは私の猫さ」

 唐突に千時は手を引っ張られ、リードを放してしまった。ギャンギャアグオゥギイィィーッ!! と凄まじい声で吠え、イギーがテーブルへ飛び上がる。慌てふためいた猫が逃げ、それをあっという間に追いかけていく。だだっ広い砂地だが、猫が元居た塀を曲がっていったため、イギーの姿も消えてしまった。小さく吠え声は聞こえている。

「あ…ごめんなさい」

 千時は思わず条件反射で謝ったが、我に返ったのはアヴドゥルとポルナレフだった。

「キサマあああぁッ!」

「ふざけるな! 賭だと!? イカサマのくせにッッ!!」

 掴みかかり、詰め寄る二人を、ダービーは嘲笑した。

「イカサマぁ? いいですか、イカサマを見抜けなかったのは、見抜けない人間の敗北なのです。私は、賭けは人間関係と同じ、騙し合いの関係だと考えています。泣いた人間の敗北なのですよ。

 その腕で、このまま私を殺すのですか? いいでしょう、おやんなさい」

 男の手のコインが、ひらひらと指の間を踊る。

「この魂も死んでいいのならね」

「いいか! 貴様はこのまま無事で帰ることはできないッ」

「一九八四年の9月22日夜11時15分」

 アヴドゥルの怒声に、イカサマ師は見当違いな返事をした。

「あなたは何をしていたか覚えていますか? 私は覚えている」

 手を振り払い、襟元を正すと、男はテーブル脇のサービスカートへ手を伸ばした。

「カリフォルニアでその時刻、スティーブン・ムーアというアメリカ人が、私と賭けをして、あなたが言ったのと同じセリフを言ったのです」

 話しながら取り出したのは、重厚なリングファイルだった。愕然としない者は居ないだろう。開かれたそこには、花京院のものと同じように顔のあるコインが、所狭しと納められていた。

「その男が、こいつです。この下のやつがムーアの父親で、隣が女房です。…花京院の魂を取り戻したければ、続けるしかないんですよ。私との賭けをね」

「俺と勝負しろ!!」

 叫んだのはポルナレフだった。

 え、ちょ、おま!! せっかく人が回避してやったというのに! なんて言える剣幕ではない。

「本当なら俺がそうなるはずだったんだ、文句はねえだろうな!?」

「これは嬉しい申し出だ。いいですよ、私は賭けなら、どなたとでも楽しみます」

「俺が勝ったら、花京院を返せよ」

「もちろんですとも」

「待ってろ!!」

 叩きつけるように言って、彼はジョセフが尻ポケットにつっこんでいた30ポンドを取り、承太郎を連れてテーブルを離れた。

 カウンターの客に何事か交渉し、一人、中年の男がついて戻ってくる。

 ポルナレフは座りもせずに怒鳴った。

「賭は何でもいいんだろ。なら、コインの裏表を当てるやつだ。イカサマが出来ねえように、無関係のオヤジに自分の財布の硬貨を投げてもらうよう頼んだぜ。まさか、逃げたりしねえよな」

「ええ、勿論」

 ギャンブラーはにこにこと、相変わらず柔和、だが胡散臭い笑顔で、頷いた。

「だが、待ってください。始める前に、上乗せをしたい」

 意外な申し出に、全員が眉根を寄せた。

「上乗せだア?」

「その写真の場所に加えて、私が知っている仲間の能力を教えましょう。もちろん、これまでにあなた達が倒してきた奴じゃありませんよ。この先で待ち受けているスタンド使いです…。まあもっとも、彼に活躍の場は、無いでしょうがね。私がここに居ますから…」

 おかしい。これはおかしい。

「代わりに、あなたに賭けてほしいモノがあります。魂じゃあないんです」

 そらきた。

「それどころか、この賭けで私は、魂を取らない。どうです? 助かるでしょ? とってもあなたに有利ですよォ」

 …いやどう考えてもおかしいだろソレ。全員が同じ事を内心でツッコんだ筈だ。ポルナレフは噛みつきそうな顔をした。

「何をたくらんでいやがる」

「そこのお嬢さんを賭けてもらう」

「へ?」

 千時がきょとんとするのを、男は笑った。

「彼女には、用がありましてね」

「何だと!?」

「ディオ様が会いたいと言うもので」

 絶句の沈黙が、数秒。

「ね。だから危害を加えるつもりも無い。ただそのまま、来てくれればいいんです。条件イイでしょ?」

「フザけんじゃねえーッ!!」

 テーブル自体をひっくり返しそうとポルナレフが身を乗り出したものだから、千時は思わずそのブッとい腕に飛びついた。

「いいよ分かった賭けていい!」

「何ぬかす! 引っ込んでるって約束したばっかだろうが!!」

「ノリさん殺す気か!! 断ってどうにかされちゃったら、このまま死んじゃうかもしれないでしょうが!」

 おそらく、肉体が先に限界を迎えれば、コインの魂はただそれのみで存在する事になり、ダービーの能力が解除されても生き返れない。それでなくとも脈が無いというんだから、普通なら時間の経過につれて蘇生後の脳や心筋に障害が起きてくるはずだ。T・Tが居てくれて死ぬ程良かったなんてメタい事を思うが、とにかくどう転ぶにせよ、さっさと対処する以外に無い。

 千時は急いでポケットを探り、くるりと振り返ってアヴドゥルに抱きついた。

「なっ…」

「怖くなった!! ちょっとだけ!!」

 ローブに顔を埋めて叫びつつ、ダービーから見えないよう細心の注意を払って手に隠したメモ帳を、アヴドゥルの手へ押しつける。アヴドゥルは目を丸くしたが、千時が見上げた一瞬でそれを察して、受け取り、袖のどこかへとしまいこんだ。

 承太郎とジョセフにも目を向けたが、彼らは何かに気付いたらしく、口を閉じてくれた。

「よ、よしよし、例えポルナレフが負けても、必ず取り返してやるからな!」

「絶対だよ! 信じて待ってる!!」

 お互い、大根役者もいいところだが、咄嗟の対応にしては上出来だろう。一頻り頭を撫でられ、くしゃくしゃの髪になって、千時はテーブルへ向き直った。

 目を丸くしているポルナレフの腹に軽く拳を入れ、

「さーやろう」

 軽ぅく肩を回してみせる。

「…だ、大丈夫かァ?」

「うん。ほら、早くコイン投げてもらって」

「あ、ああ」

 所在無さげに突っ立っていた中年男は、ポルナレフに促されると、自分の財布から硬貨を取り出した。親指に乗せ、ピンと弾く。くるくる綺麗に回転しながら落下したコインは、お定まりの通り、手の甲と手のひらでキャッチされた。

「表に賭けましょう」

 間髪入れず、ダービーが言う。ポルナレフは一瞬、面食らったようだったが、承太郎の方へ一度目を向け、頷いた。

「いいぜ。なら俺は裏だ。オヤジ、見せな」

 上の手が、ゆっくりと甲から離れる。

「……なッ何イィィ!?」

 悲鳴を上げたのはポルナレフだった。

「どういう事だ!? 承太郎ッ!! 見間違えたのか!?」

「いや! 確かに裏だったはずだッ…!」

 承太郎もひどく焦った様子だから、恐らく、スタープラチナが見ている手筈だったのだろう。

「ハーッハハハハ!」

 ダービーは背を反らし、腹を抱えて笑い転げた。

「そんな事だろうとは思いましたが、いやはや! 運が悪かったですねぇー!」

「くッ…くそおッ!!」

 はてさて、どんなトリックがあったやら。敵は、うちひしがれる電柱頭を指さした。

「ポルナレフ、お前はひどく単純だ。全部顔に出ている…。それに引き替え、私は生粋のギャンブラーなのだよ。キサマになら、天地がひっくり返っても負けは無い。早々に仕掛けてくれて礼を言おう。どこかで誰かに、彼女を賭けてもらわなければならなかったのでね」

 ギャンブラーの指は、そのままスッと横へ動き、千時をさした。

「さ、お嬢さん。こちらへいらっしゃい。何、怖がることはありません。そこに座って、仲間が全員コインになるのを眺めていればいいだけだ…」

 ダービーは体を傾け、背後にあった椅子を勧めた。

「待て」

 止めたのはジョセフ。

「座らせておくだけなら、こちらの椅子でも構わんだろう」

「ああ、配慮が足りませんでしたね。警戒するのは当然です。ええ、どうぞ。お好きなところで構いませんよ。待っていてくれればね」

「千時、ここに座れ」

 ジョセフは隣のテーブルから椅子を取り、テーブルの左側へ置いた。

「言っておきますが…」

 大人しく椅子に座った千時を眺めながら、ダービーは飄々と花京院のコインを指に弄んだ。

「力ずくでどうにかという事は、考えない方が賢明です。抵抗されれば私は、仕方なく、彼女をこのファイルにコレクションして、ディオ様のもとへ連れていくことになる…」

「千時!! すまねえっ!!」

 たまりかねた様子でポルナレフが叫び、彼女の傍へ駆け寄った。が、

「いやすまんも何も、座ってるだけだし」

 あっけらかんと、両手であっちへいけと払ってみせれば、ポルナレフのほうがおろおろして、質に取られたような顔をしている。

「それよか早く誰か勝って、ノリさん何とかしたげて。そっちのがよっぽどヤバいよ、死んでんだから」

「おかしな子だ」

 ダービーが苦笑するほど、千時は平然としていた。

 悔しげなポルナレフの呻きと、沈思だけが、ぐつぐつと煮えるような時間に過ぎていく。

「どうするんです? ビビって帰ってもいいんですよ、花京院と、このお嬢さんを置いてね…」

 ダービーは彼らに向き直り、順にグラスやらコインやら、果ては脇に置いてあったチョコレートまで手に取った。

「ま、一杯やりながら、よぅく考えてください。チョコレートはどうです?」

「チョコ! 食べたい!」

 わざと素っ頓狂なトーンで言ってみる。全員が一斉に…ダービーまでが…目を丸くした。

「…あれ? ダメだった?」

「いえ、いいですよ。どうぞ」

 男は少々戸惑いながらも、ぶ厚い板チョコをパキリと割って、差し出す。千時は手を伸ばして受け取った。

「わーい。ありがとう」

 ジョセフが慌てて食うなと怒った。

「毒かもしれん!」

「魂取られるって時に毒もないでしょ」

「ハーッハッハッハ!」

 とうとうダービーが大声をあげ、手で顔を覆った。肩がクツクツ揺れているから、どうも本気で笑ってしまったらしい。

「本当におかしな子だ! 肝が据わっている。いやあ、女と聞いて正直、泣き喚かれるのじゃあないかと思っていたんですよ。どうしてなかなか、フッフ」

 彼女はお構いなしでチョコを放り込み、おいひー! と喜んだ。

「どこのかな、ベルギーかフランスな気が…当たり! ベルギー! さっすがァ。おいしい国は大体味でわかるよね。アヴさん食べる? 食べない? 個人的にチョコは日本ベルギースイスがおいしい。ゴディバよりリンツが好き。ああ、頭使う時って甘いもの欲しくなるよね、私、テストの時は一日中マーブルチョコをぽりぽり…」

「千時ッ!!」

 ジョセフの一喝で、やっと口を閉じる。

 祖父の肩を叩いた孫が、学帽の下からこちらを見た。彼は、千時がパニックの瞬間に喋り倒して落ち着くクセを、おぼえていたようだった。

 さてと。彼らが正面切って戦って、それで負けるなら仕方も無いが、こんなイカサマ師ごときに連れて行かれてたまるか。私だってバカじゃない。ノリさんにも後を頼まれた。

 一つ頷いて見せれば、ジョセフもぐっと言葉を飲んだ。代わりに彼は肩をいからせてカウンターへ行き、何か取って戻ると、唐突にテーブルの上を一掃した。太い片腕でトランプもグラスもコインもすべて、一撃に薙払う。グラスはガチャンと粉々になり、ブランデーとトランプが床に飛び散った。

「ジョースターさん!? 何をするつもりなんです!?」

 アヴドゥルが慌てて問いかけるが、ジョセフは無言でダービーの向かいへ、どっかと陣取った。

 片手にしていたグラスを置き、ボトルからなみなみと、溢れそうなほどに注ぐ。

「表面張力というのを知っているかね? バービーくん」

 ジョセフはそう持ちかけた。

「ダービーです。私の名はダービー。

 …その酒の表面が盛り上がって、溢れるようで溢れない力のことだろ? 何をしようと言うのかね」

「ルールは簡単。このグラスの中にコインを交代で入れていく。酒が溢れたほうが負けじゃ」

「おいジジイ…!」

「まさかッ…ジョースターさん!?」

 やめろと止めたいのは分かる、が、止めても、ならどうする、が無いのも分かる。残る三人がやめろとは言えない内に、ジョセフは宣言した。

「賭けよう! わしの魂をッ!!」

「グッド!」

「やめろ! こいつはイカサマ師だ!」

 ポルナレフが思わずといった様子で叫んでしまったが、

「ポルナレフは黙っとれ!!」

 名指しで怒られたのは、さっき負けたからだろう。

「…イカサマはさせん。この賭けの方法はわしが決めたのだ。承太郎、イカサマを見張ってろ」

 指示を受けた承太郎も、黙って頷く。

 ダービーは大歓迎という笑顔で、両手を広げた。

「オーケー。いいでしょう。この賭け、受けましょう。だがその前に、コインとグラスを調べてもかまいませんかね」

「当然の権利だ。きみにも、イカサマを調べる権利がある」

 男はグラスを手に取り、コインを触り、一つ一つ確かめていく。ジョセフはそれを見ながら、訊ねた。

「一つ。きみが負けたら、花京院を必ず返してくれるという保証は?」

「私は博打打ちだ。誇りがある。負けたモノは必ず払います。負けんがね」

「いいだろう。君からだ。コインを入れたまえ」

 アヴドゥルが、ジョースターさん、と咎めるように呼びかけたが、ジョセフは任せておきなさいとだけ返して取り合わない。

「コインは一回に何枚入れても構いませんね?」

「一回で入れるならね」

 言う間にダービーは、コインを分厚く摘み上げた。

「ご、五枚も!?」

「おい! 水面に波が立つぞ!?」

 アヴドゥルとポルナレフの驚愕をものともせず、ダービーはコインを水面へと差し向けた。

「静かに!! …テーブルに手を触れないでくれ…」

 一秒。二秒。見ているだけでカフェのざわめきが消えてしまうほどの、凄まじい集中力で、ダービーはコインをグラスに入れきった。皮肉にもこぼれたのは、おおお…という、誰ともつかない感嘆の呻き声。

「フフフフフ。あなたの番だ」

「すごい心臓だ。五枚同時に入れるとは…。わしは一枚にしとこう。危ない、危ない…」

 そっと、そっと、かなりの時間をかけて、ジョセフはコインをそっと入れた。

「フーゥ。心臓に悪いわい。こぼれるかと思ったわい」

 …わざとらしいような、違うような。絶妙のテンションで、ジョセフは自分のターンを終えた。

「さ、きみの番だ。オービーくん?」

 その瞬間、指さそうとしたジョセフの手を掴み、ダービーは激昂した。

「ダービーだ!! 二度と間違えるな!! 私の名はダービーと言うんだ、オービーでもバービーでもないッ!!」

「ンーン? すまんねえ」

 老人はしらっとスッとぼけている。全てわざとだと、ここで全員が気付いた。

「賭けを続けようか。さ、きみがコインを入れる番だ。ダービーくん」

 ダービーは苛々とチョコを齧り、しばし熟考した。

 どうやってもこぼれる。誰もがそう思う水位。

「…陰になるから、この位置からはやりにくい。テーブルの右側から入れさせてもらうぞ」

「どこからでもお好きにどうぞ」

 一枚のコインを取ったダービーは、千時の前へ来た。あらこれじゃ見えないや。椅子ごとガタガタ移動したものだから、ダービーは一度、憤慨した顔で振り向いた。ごめんね、と、手元が見える位置で座り直す。

「…もう酒の表面張力は限界だ」

 グラスへ向き直ったダービーは、唐突に平静な声音でそう綴りだした。

「無理だと、考えているのだろう? …違うんだな、それが」

 ぽとり、と、コインが…中に。

 ダービーの喉から、くぐもった笑いが小さく響く。ジョセフは席を蹴るように立ち、絶叫した。

「ばっばかな! そんな! まさか! 溢れない筈はッッ!!」

「なァにが溢れないはずはなんだね? 見ての通りだ。入れたぞ」

 バッと承太郎へ振り向くも、孫は首を横に振った。

「イカサマをするような、妙な動きはしていない。スタープラチナで見ていたのだ。今こいつは、正々堂々とコインを入れた。間違いなく」

 ジョセフは口元を押さえ、驚愕に言葉を失った。

「Go ahead, Mr.Joestar」

 もったいぶった語調で、ダービーが元の席に座る。

「早くしたまえ。蒸発してしまうまで待つ気かね?」

 ジョセフは席に戻ったが、コインを持った指は、震えていた。

 時間だけがじわじわと過ぎ、やがて、ジョセフの体からは、白い靄が立ち上った。

「ああッ!! ジョースターさんッッ!!」

「ジョースターは賭けに負けたのを自らの心の中で認めたのだッ! だから魂が外へ出た!! ギャンブルはこのダービーの勝ちだ!!」

 承太郎達の声も虚しく、ダービーのスタンドの手からは、コインが転げ落ちた。同じく眠る顔のあるそれは、花京院のものとぶつかって、コンと軽い音をたてた。

 

 

「二個だ…。さて、ギャンブルを続けよう。きみらがこの三人を諦めて、しっぽを巻いて私との勝負から逃げださん限り、ね…」

 承太郎の舌打ちと、

「きさまああああッ!!」

 アヴドゥルが掴み掛かるのが同時。

 褐色の腕が難敵を軽々締めあげ、そのままテーブルを引きずり下ろして床へ叩きつける。相当背中を打った筈だが、ダービーは嘲笑混じりに口先で応じた。

「分からんやつだ。私を殺せば、今度は三人の魂が死んでしまうんだよ?」

「くっそおおお!!」

「やめろアヴドゥル!!」

 カウンターから一番遠い席だが、怒鳴り合いに留まらなくなったせいか、バーテンダーが飛んできた。

 面倒ごとなら店から出ていってもらうぞと言いかけたが、

「やかましいッ!! 引っ込んでろッッ!!」

 承太郎の怒声でピャッと竦みあがって逃げ出す。まあもう、大惨事だ。

 とにかくジョセフの身体をポルナレフが抱え上げ、柱にもたせかけた花京院のそばへ運んだ。アヴドゥルが脈も取ったが、やはり事切れている。

 承太郎はというと、テーブルに残ったグラスを手に中身を捨てて、指先で底を拭っていた。そして、ハッと床を見た。

 視線の先には、今の騒ぎで落ちていた板チョコがある。

「気づくのが遅かったな、承太郎」

 ダービーが笑い、ポルナレフが承太郎に駆け寄る。

「そのグラスになにかあるのか!?」

「これがあと1個、コインが入った理由だ」

 承太郎は難しい表情で、グラスの底を翳してみせた。

「チョコレートの、ほんの僅かな破片が、底の裏に付いていた。ゲームに入る前、グラスやコインを調べると言って、その時にくっつけていたな」

「承知していた筈だな? バレなければイカサマとは言わないのだよ」

 アヴドゥルも承太郎のそばへ寄り、グラスを覗き込んだ。

「ど、どういうことだ…なぜチョコの破片が、コインの入った理由なのだ!?」

「今は溶けているが、さっきまでは固体でグラスの底にくっついていた。グラスを、気付かないくらい僅かだが、傾けさせるためにつけたものだ。このチョコレートが溶ければ、傾いていた酒面も平らになる。限界だった表面張力が、あと一個くらいは入るようになる、というわけだ」

「はア!? 自分の入れる時に、チョコが都合良く溶けてくれるわけねえだろ!?」

「太陽の熱で溶かしたんだ。気付かなかったぜ…。テーブルの右側から入れると言って、直射日光をこのグラスに当てて、チョコを溶かしたのだ」

 承太郎の種明かしに、二人は絶句した。ははあなるほど。千時はフムフムと頷くだけ。得意満面のダービーもまた、特段の発言をしない。よく読めている。ここは黙っていた方が、それらしく思えるタイミングだった。

「いいだろう。ダービー」

 おもむろに、承太郎が敵を指さした。

「そのトランプカードを取りな。ポーカーで片を付ける」

「じょッ承太郎!?」

「おもしろい。ポーカーは私の最も得意とするギャンブルの一つだ」

「ポーカーだって!? こいつはジョースターさんよりうわての男なんだぞ!? 危険だ!!」

「分かってる」

 学帽の鍔を押さえて、彼は低く呻いた。

「暴力は使わないが、今まで出会ったどんなスタンド使いよりも危険な奴だ。だが、やらねえわけにもいかねえぜ」

 おもむろに椅子を引き、ピッとカードの束を指さす。

「ゲームに入る前に、ちょっと試したいことがある。そのカードをシャッフルしてみな」

 ダービーは請われるまま、ワンハンド数回、オーバーハンド数回、リフルを数回と手を動かした。

「シャッフルしたが。何をしようと言うのだね」

「上から何番目でもいい。自分の好きなところのカードをめくってみな。見るのは自分だけだ」

 手品みたいな事を言い出す。ダービーはピクリと眉を跳ね上げながら、無造作に上から少しばかりのカードを取った。

「見たが」

「当ててみよう。ハートの6」

 何、と呻いたのが誰だったのか。敵が見せた手の中には、確かにハートの6があった。承太郎は淡々と、早口に続けた。

「カードの一番上から順番に言うぜ。スペードの5、ダイヤのQ、スペードのJハートのAダイヤの7クローバーの6クローバーのKダイヤの2」

 ハッとしたダービーが扇に広げてテーブルに置いたそれは、まさに今、承太郎が言ったカードだった。

「当たっている! カードを混ぜたのはダービーなのに!! どうやって!?」

「カードは一番上から下まで全部言える。俺のスタープラチナの目が、シャッフルする瞬間のカードの並びを、全部見ることができたからだ」

「…なかなかおもしろいな」

 ダービーは感心したようだったが、小首を傾げた。

「だが、そんなのはカードをきる時に見えないように気をつければいいだけのこと」

「分からんのか? これからお前がイカサマするのが、容易じゃなくなったって事よ。それを断っておきたくてな」

「…グッド」

 ダービーはニヤッとして頷き、脇に置いてあったサービスカートの上の箱を一つ、テーブルへ移した。封の切られていないトランプの箱だ。差し出された承太郎は無言で受け取り、開封する。こちらも器用に、美しいリボンスプレッドでカードを並べた。

「ダービーさん」

 ふと気付いて、千時は声をかけた。

「本めくって何してるの」

 何事かと全員の視線がダービーの手元へ行った。先ほどのサイドボードに置かれた本を、彼は、何故か横目にめくっていたのだ。

 ダービーは特になんと言うこともなさそうに答えた。

「指の感覚を確かめているんですよ。今日も絶好調だ」

「ふうん…」

「ジョーカーは一枚」

 不意に承太郎が言った。

「カードに異常は無いようだ。普通のカードだ」

 ざっとかき集めてひっくり返し、テーブルに伏せてぐちゃぐちゃにかき混ぜ始める。これも一応、ウォッシュやスクランブルなどと言うが、複数ある呼称の一つには、ビギナーシャッフルなんてのも含まれる。あれだけ綺麗にリボンスプレッドができるのだから、承太郎がこれを選ぶ理由は、普通にきるよりマシだと考えたからだろう。

 かき集め、揃えて、テーブルへ。

「Okay, open the game.」

 一枚ずつ、カードを引く。先に取ったギャンブラーは、

「ハートの10」

 学生は、

「クラブの7」

「ディーラーは私だな」

 ダービーが、カードの束…デックを手に取った。

「スタープラチナに見えない角度でシャッフルしないとね」

 オーバーハンドでよくきり、差し出す。

「カットをどうぞ」

 承太郎は一度だけカットし、またダービーへ差し返す。

「ではディールしよう」

 ダービーが札を配り始めた矢先の事だった。

 くあぁぁあああッ! と声にならない悲鳴を上げ、彼は手を止めた。いや、止められた。あらぬ方向へ曲がった右の人差し指を、スタープラチナが掴んで、止めていたのである。

「なっ何だ!? どうしたんだ承太郎!?」

「指を…スタープラチナがいきなりダービーの指をへし折ったぞ!?」

 アヴドゥルとポルナレフの驚愕をよそに、承太郎は淡々と述べた。

「言ったはずだ。これからのイカサマは見逃さねえとな」

「イカサマだって!? どこで!?」

「普通に配っていたぞ、怪しい動きはまったくしていないのに!?」

「いいや。奴の、左手に持ってるカード、よぉく見てみな」

 千時も目を遣ると、ダービーの左手のデックから、二枚目がズレてはみ出ている。どうやら、配られようとしていたのが、一番上ではなかったようだ。

「こっこの二番目から出ているカードは…!!」

「今俺に配ろうとしたカードだ。上から順番に配るように見せていて、実は上から二番目のカードを配ろうとしたのだ。つまり、一番上のカードは自分のところへくる…」

 スタープラチナの手がダービーの指から離れ、脂汗の滲む左手のデックから一枚目を抜き取った。そうして、ダービーの前に配られた二枚と共に、ひっくり返す。

「一番上のカードで、10のスリーカードが出来ているじゃあねえか」

「ひ、酷い奴だ、指を折るなんて!」

 さてどっちが酷いだろう。…うんちょっとやっぱ、指折るのはやりすぎかもしれない、止めるだけで良かったもんねぇ…。

 千時の僅かな同情はさておき、ダービーの目の前には、カードの一枚が鋭く突き立った。

「いいや、慈悲深いぜ。指を切断しなかっただけ、な」

 既に二人の命を取られ、一人が質に入っている。この上いきなりイカサマかまそうってんだから、ポーカーフェイスの承太郎でも激おこプンプン丸かもしれない…やばい承太郎がプンプン丸とか笑える。

 千時が一人で勝手にウケて噴くのをこらえていると、承太郎はため息をついた。

「やれやれ、もうお前にカードをきらせるわけにはいかねえな。ディーラーは無関係の者にやってもらう」

 周囲を見渡し、けれど海色の目は店内でなく、外に留まった。

「あそこの丘の上にいる少年に頼むか。アヴドゥル、連れてきてくれ」

「分かった」

 アヴドゥルがローブを翻し、ボール遊びをしていた少年に向かって行った。

「さすがだ」

 ダービーは、ハンカチで折られた指を中指とまとめて巻き、応急処置をしながら、承太郎を賞賛した。

「イカサマは心理的盲点を突く事…。目が良いだけでは、イカサマとは分からない。俺のセカンドディールを見破るとは、見くびっていたようだ。この指はその罰として受け入れよう。全身全霊を注いでお前とのゲームに挑むとするよ、承太郎。

 一九八六年5月17日以来の大勝負だ…。あの時は、マヤマショウゾウという日本人から、東京にある八つの不動産と奴の魂を奪い取った。奴は金持ちだったが、本当に強い男だった」

 コレクションにあるのだろうが何故そんな話を、ああ、同じ日本人だからか? 承太郎って日本人カテゴリでいいの? なんて思うが、まあ、外人から見て日本人は表情に乏しいなんて意見もあるらしいので、承太郎のポーカーフェイスで思い出したのかもしれない。

 アヴドゥルが少年を連れて戻り、テーブルに改めてまとめられたカードを手渡した。

 ダービーは腕を振りあげ、背後に、あの不気味なモスグリーンのスタンドを浮かび上がらせた。

「私はディオ様のために戦いに来たのではない。生まれついてのギャンブラーだから戦いに来たのだッ!」

 スタンドの手元に、二枚のコインが舞い上がる。

「なっ何をする気だ!?」

「こいつ! 花京院とジョースターさんの魂を…!!」

 スタンドが、吸盤のようになったおかしな指先で宙を切ると、テーブルにカララと落ちてきたコインは、とんだ数に増えていた。

「魂を、それぞれ6個のチップに分けた…」

 ダービーは取り澄ましてそれを見せ、承太郎にこう持ちかけた。

「ポーカーとは、自分のカードが相手に負けるかもしれないと判断したら、ゲームを降りてもいい賭だ。だが、一回ごとに参加料を払うから、チップが2個では勝負にならないのだ。チップを6個取り戻して、はじめて、魂を一つ取り戻すことにする。いいね? 

 …さて、承太郎。賭をするならきみの方にもチップを渡したいと思うが、まだ例の言葉を聞いていなかったなァ?」

「いいだろう。俺の魂を賭けるぜ」

「グッド!」

 ダービーは嬉しそうに頷き、カートからコインを取った。承太郎へと押しやられた六枚は、真っ白だった。

「その雪のように真っ白なチップが魂の象徴だ。それを6個、私がとった時、お前の魂はなくなる…。フフフフフ。

 では、きみ。配りたまえ」

 促された少年は、急に話を振られたからか、慌てて頷きカードを配り始めた。1、2、3、4、5往復。

「まずは、参加料に花京院を一個払う」

 ダービーが花京院のコインを一枚投げた。呼応して承太郎も、白いチップを一枚。

「勝負。さて、私は二枚チェンジしよう」

 花京院をもう一枚。

「承太郎、その白いチップはたったの6こでお前の魂だ。よーく思案して勝負にきてくれよ」

 緊迫する空気の中、唯一人、魂がどうたらなんて意味が分からないという顔の少年が、不安そうに左右の男達を見た。アヴドゥルがそっと少年の肩に手を置いた。

「坊や、きみは何も分からなくていいのだ。心配は無い。普通にきって、普通に配ってくれればいいのだよ」

 少年は頷き、ダービーへ二枚を配る。

「三枚チェンジ」

 白いコインが投げられ、そちらへも少年がカードを配った。

 承太郎が手札を揃えると、ダービーはニタニタと笑った。

「怖い怖い、その表情! なんか良い手が、揃ったんじゃあないのッかなーア? …ここは様子見で、花京院を一個だけ賭けようか」

「コール」

 すかさず承太郎が言い、テーブルにはチップが計六枚となった。

「よし。勝負だ、承太郎」

「8と9のツーペア」

 大きな手が、手札を開く。

「ンン…悪いなあ…。ツーペア。ジャックとクイーン」

 ポルナレフが、ああっと呻いた。

「危ない危ない、もうちょっとで負けるところだったよ?」

 挑発するような皮肉と嘲笑をこぼし、ダービーは全てのコインを取った。が、承太郎は完璧なポーカーフェイス…いや、フェイスだけでなく声も淡々と落ち着いたままで、残り3枚しか無いチップの1枚を、無造作に投げた。

「ネクストゲームだ。配ってくれ」

 ダービーが投げたのも、白いコイン。先ほど取られた承太郎の魂だ。

「ネクストゲームではなくて、ひょっとするとラストゲームかもな」

 揶揄の言葉と一緒にカードが配られ、

「一枚チェンジだ」

 引き続き白のコインが出される。

 ……承太郎は、微動だにしない。

 おや、と、ダービーは顔を上げた。

「どうした、承太郎」

 承太郎は目の前のカードを、配られたそのままにして、触れようとしない。

「早くそのカードを見て、チェンジするか降りるか、決断してほしいな」

「承太郎…?」

 ポルナレフに肩をつつかれた承太郎は、ようやく口を開いた。

「カードは、このままでいい」

「ええっ!?」

「何!?」

 ダービーすら驚愕を露わにして、聞き返した。

「…えっと、その、今、何て言ったのかね? 聞き間違いかなあ? このままでいい、と聞こえたが…」

 だが、承太郎は頑なに、カードへ触れない。

「言葉通りだ。このままでいい。この五枚のカードで勝負する」

「わかっているッ!!」

 とうとうテーブルを叩いて、ダービーが席を蹴った。

「私が訊いているのはッおまえはそのカードを見ていないだろうという事だッ!!」

「このままでいい」

「フッ…フザケるなよ!? 答えろ! おまえはそのカードをめくってもいないのに、何故勝負できる!?」

 激昂を平静に無視し、承太郎は軽く振り返った。

「ところでアヴドゥル、頼みがある」

「頼み? あ、ああ、それは分かっている、が…」

 アヴドゥルは頷きながらも、カードを指さした。

「なぜカードを見ないのだ?」

「答えろと言っているのだ承太郎!!」

 かぶせてダービーも繰り返す。当然の問いだった。

 が、承太郎は答えるどころか、突拍子もない事を言い出した。

「残り3個に加えて、アヴドゥルの魂を全部賭ける」

「ンなッ…! なにいィ!?」

 ダービーはギリギリと歯軋りをし、事態を飲み込もうと必死の様相だ。

 そんな敵に、アヴドゥルは声をかけた。

「ダービー、きみはクールな男だ。実に計算された行動を取る。パワーは使わないが、真に強い男だ」

 妙に買っているのは、ジョセフがやられたからだろうか。

「私は賭事向きの性格をしていない。けっこう熱くなるタイプだからな。勝負すれば私は負けるだろう。しかし、承太郎を信じている。この伏せてあるカードにどういう意味があるのかは知らないが、承太郎に賭けてくれと頼まれれば、信じて賭けよう。私の魂だろうと、何だろうと」

 きっと、語られた言葉が暑苦しかったせいだ。ダービーは逆に、少しばかりの冷静さを取り戻し、彼らをせせら笑った。

「こいつは、まあ…、二人ともあまりの緊張感で、頭がおかしくなったようだな。

 …小僧ッ! 一枚チェンジと言ったろうッ! 早くよこせッッ!!」

 怒鳴りつけて手札を揃え、確かめる。

 ダービーはしばし考え、ジロリと承太郎を睨めつけた。

「いいだろう。3個に加えて、花京院の6個でコールだ。しかしさらに、ジョースターの6個をレイズするッ! 全部だ! 計15個ッッ!!」

 全員がハッと息を飲んだ。さすがに承太郎の横顔も一瞬、驚きの色が走った。咄嗟に叫んだのはポルナレフだ。

「承太郎! 俺の魂も使えッ!」

「…そうだな。ああ。使わせてもらう。アヴドゥルの分と合わせて、白のチップを12個よこせ」

 チップの枚数を合わせなければ、賭は成立しないのだ。承太郎はカートを顎でしゃくり、ダービーに促す。

「おいおい、承太郎。気でも違ったか? 素直に降りれば…」

 ダービーが半笑いで止めた、その時。

 待っていた千時は、わざとガタンと大きな音をたてて、席を立った。

「ねえ。今の上乗せって、本当に成立してる?」

「何?」

 ポルナレフがきょとんとして千時を見た。

「なぜ今、降りろと?」

 言い募る彼女に、ダービーも胡乱げな視線を寄越し、顔を顰める。

「お嬢さん。何を言っているのかね」

「もしかして、私をコインにすることはできないんじゃあないか、って言ってるのよ」

 千時はテーブルへ歩み寄り、ダービーの真横に立って、彼を見下ろした。

「じゃなきゃダービーさん、彼らを一掃できるチャンスよ。賭けさせちゃいなさいよ」

「おい千時! どういう事だ!?」

 アヴドゥルの問いに、だがそちらは向かず、千時は答えた。

「ダービーさんのスタンドは、敗北を感じた心の隙を突いて魂を取るわけよね。なら、私は負けてないから、取れないでしょう。さっきの賭けで負けたのはポルナレフ。あなたがコインにできるのは彼。違う?」

 わざとらしく肩を竦め、テーブルにかがんで両肘を着く。千時は、イカサマ師のポーカーフェイスをじっと覗き込んだ。

「あなたがポルナレフに私を賭けさせたのは、私が賭けに参加しない可能性が高かったからよね。私のことがどんなふうに伝わってるのか知らないけど、戦うのが彼らだけってのは、知ってたんじゃない? 幸いなことに、花京院が最初の負けでコインになってくれていたから、それを方便に脅しかけ、あんなふうに私たちを騙した…」

「何をバカなことを」

「くだらないスリルに目が無い」

 遮るようにかぶせて、千時はニンマリ笑った。

「あなたはそう言った。でも、自分が勝つに決まってる時って、ただ時間が流れる事に退屈するか、相手が負けるまでの動向を楽しむくらいしか無いと思うの。ねえ、どうして私を最後まで放っておかなかったの? こんなチビ女、全員コインにしちゃってから、悠々と縛り上げてしまえばいいじゃない?」

 …ポーカーフェイス。さすが。微塵も動かない。

 だが千時には何となく、その内側が飲み込めていた。見ていた限り、このスリルクレイジーはここまで、計算ずくの動作の間、表情をころころ変えてみせている。なら逆に今は、必死で算段している真っ最中か、逆に頭が回っていないか。

「いつまでもポルナレフの席に座ってちゃ悪いから」

 にこやかにそう告げ、千時は体を起こした。元の椅子へは戻らず、承太郎の背後に立つ。正面で押し黙る敵を見下ろせば、気分は爽快だった。

「今度こそ私を賭けてもらいましょうか。さ、承太郎。どうぞ」

 承太郎はフッと息を吐いて笑った。

「こいつの魂を上乗せだ」

 次の瞬間、ボッと小さな音がした。

 妙な音に全員の視線が音源に集まり、承太郎の口元に釘付けになる。

「…お、おい承太郎、今何をしたんだ!?」

 ダービーは身を乗り出した。承太郎の口には、いつの間にやら煙草がくわえられ、ついたばかりと見える火がちろりと赤く光っていた。

「何をしたって? 何の事かな…」

 承太郎は素知らぬ顔。フーウ、といつも通りに紫煙を吐く。

「今、煙草を…!?」

「どうかしたのか。気分でも悪いのか」

 承太郎が平然とし過ぎているからか、横手の少年が、酷く不安そうにダービーを見た。ダービーは睨みつけて視線を振り払い、また叫んだ。

「きさまら! いったい何を考えてッ…」

「つまんないって考えてる」

 千時は遮り、チップの代わりの言葉を投げた。

「私、今、史上最高につまらない賭をしてるもの。スリルのカケラも無い、ものすごくつまらない賭」

 …承太郎の手元には、またいつの間にか分からない内に、ジュースが一杯。

「こいつジュースまで!! いつの間に!? き、き、きッ…キサマらッ!! ナメやがって!! いいだろうッ勝負だッッ!! 私のカードは」

「待ちな」

 ダービーの絶叫を、また承太郎の平静な声音が制した。

「俺のレイズの権利がまだ済んでないぜ」

「レレレレレレイズだとお!? もう賭けるモノが無ッ…」

「レイズするのは、俺の母親の魂だ」

 一瞬、場は静まり返った。

「なアァにいぃぃいイイイッ!?」

「母親だと!?」

「承太郎ッ! ホリィさんの魂を…!?」

 口々に男達が詰め寄る中、千時だけがケラケラッと笑った。

「笑い事じゃあないッ!!」

 怒るアヴドゥルを承太郎が肩で押し退けて席を立ち、テーブルをバンと平手で叩いた。

「俺はお袋を助けるために、このエジプトに来た。だからお袋は、自分の魂を賭けられても、俺に文句は言わない。だが、ダービー。お前にも、お袋の魂に見合ったものを賭けてもらうぜ」

 承太郎は最後通牒を突き付けた。

「テメエに、ディオのスタンドの秘密を喋って貰うッッ!!」

 敵が、椅子から転げ落ちた。う、あ、ア、ア、あ、と意味の無い呻き声が、一緒にぼろぼろと床へ転がる。

 あまりのことに絶句したアヴドゥルとポルナレフも、一歩、二歩と後退った。

 承太郎は煙草をプッと吐き捨て、追い打ちをかけた。

「さあ! 賭けるか! 賭けないのかッ!! 

 はっきり言葉に出して言ってもらおう! ダービイィィーッッ!!」

 怒声を浴びた敵の手が、カードをグシャッと握り潰す。

 ハア、ハア、と、酷く荒い息遣いに、コカカ、ココッ、喉で空気が詰まったような音が混じる。

 ギャンブラーは、ふらふらとおぼつかない足取りで、しかしどうにか身を起こした。テーブルに戻ろうとする姿は、妄執としか言いようが無い。ほとんど無意識とみえる様相で席へと戻った彼は、椅子に座る事すら忘れているようだった。やがて、過呼吸か引きつけでも起こしたように痙攣し、ピタリと止まる。脂汗やら何やら、染み出した体液が、ボトリ、ボトリと重たい音をたてて、テーブルに落ちていく。

「こっ…、この男、白目を剥いている…」

 アヴドゥルの呟きで、硬直していた少年が堰を切ったように絶叫した。立ったまま気を失っている! 

 気絶した体は、何かの僅かな振動でぐらりと倒れ、その拍子、テーブルが彼に引っかかった。ガァン! と嫌な音をたてて、一緒にひっくり返った天板からは、全てのコインが滑り落ちた。

 カラカラと床へ転がるそこから、立ち上る靄。

「花京院とジョースターさんの魂が!」

「戻ってくるぜ! 助かったッ!!」

 白い靄はふわりと宙へ広がり、花京院とジョセフ、それぞれの姿を象りながら、己の身体へと吸い付くように消えていく。

「T・T!」

 千時は慌ててネコミミマネキンに呼びかけ、二人へ駆け寄った。どちらもまだ目を覚ましていない。

「ど、どうした千時」

「アホ! 呼吸止まってたんでしょーが!!」

 思わずアヴドゥルにアホとか言っちゃったが、それどころではない。まずは先に死んだ…なんか変な言い方だが…、花京院。

「T・T、脳の損傷あるか見て、あったら傷つく直前まで巻き戻しお願い! あっ心臓も!」

 千時が分かる範囲で、後遺症が残るとヤバい二ヶ所を。その他は不具合が出てからでも何とかなるだろう。口に手を当て、首を触る。

「息はしてる…、うん、脈もある」

T・Tが指先を、赤みがかった髪と、制服の胸元へ順に突っ込んで、少しずつじっと止まる。その間にジョセフの方を確かめていると、碧の目がうっすら開いた。

「ジョセフさん! 良かった!」

「ン…ンウ…?」

 意識ははっきりしないようだ。T・Tは花京院から手を離し、今度はジョセフのソフトハットへ突っ込んできた。…この一件はボケ考察に記述など無かったがどうなのか。まあとにかく、ここにT・Tが居たのは本当に幸運だ。

 T・Tがジョセフから手を離した頃合いで、花京院も目を開けた。

「ノリさん、気付いた? 大丈夫? 痛いとこあったら言って」

「…いや、ぼんやりとはするが、痛くは…」

「おい、敵はどうなったんじゃ…!?」

「ダービーは心の中で賭を降りた」

 承太郎が歩み寄り、フゥと一つため息をついた。

「負けを認めたから、二人の魂が解放されたというわけだ」

「承太郎がポーカーで勝ったよ!」

 不親切すぎる切り出しに、千時が説明を付け足して、花京院とジョセフは顔を見合わせた。

「どうやら助かったらしい」

「わしら、いいとこナシじゃのー…」

「フォアカード!!」

 突然、アヴドゥルの悲鳴が割って入った。

「こいつの手はキングのフォアカードだ!」

 ダービーの手から落ちたくしゃくしゃのトランプを拾い上げ、愕然としている。フォアカードというと、勝てる手は二、三の役しか無い。

「うえぇ! 承太郎、お前、この札は一体なんだったんだ!?」

 ポルナレフもさすがに青褪め、テーブルの天板の縁に手を伸ばした。縁には、承太郎が伏せっぱなしで触らなかったカードが、そのまま引っかかっている。

 …恐る恐るめくった二人が、同時に、へなへなと尻餅をついた。

 唖然としてこの場に居残っていた少年もまた、弾かれたようにそれを覗き込み、やっぱり! 配られていたのはブタだ!! そう叫んだ。

「フッヒャハハハ!! ブタかよ!!」

 千時が思わず噴き出して笑い転げ、承太郎はその広い肩を軽くすくめた。

「いくらスタープラチナでも、ダービーほどの男の目を盗んでイカサマは不可能だ。ビビらせて降ろす作戦は成功したが、ブタだったとは。やれやれ…。もし知ってたら、ゾッとしたぜ」

「ぞ、ゾ、ゾッとしただとお!?」

 アヴドゥルはピョコーンと伸び上がって、承太郎へカードを付き付けた。

「承太郎! きさま! ブタのカードにあそこまで賭けたのかアァッ!!」

「アーハハハハハ!! ひどい! これはヒドい!!」

「千時ッ! お前ッ! 笑うな! 命がかかってたんだぞ!!」

 腰を抜かしたポルナレフが、ギギギと音がしそうな具合に振り返って、一言。

「承太郎が一番のギャンブルクレイジーなんじゃあないのオ…!?」

 

 倒れたダービーのそばに落ちていたリングファイルからは、無数の白い靄が、キラキラと光を纏って、四方八方へ散らばって行った。恐らく、もう彼らに肉体は無いだろう。酷い話だ。なまじグロテスクでない分、それは凄惨に感じられた。

 当の人殺しは、目を開けるなり、唐突に笑いだした。床をごろごろと転がって、バックギャモンだのサイコロだのを、やろうよ、楽しいよ、なんて子供じみた言葉を吐き出し始めて、どうやら、気が触れてしまったらしかった。

「この様子では、もうディオの秘密は聞き出せないな」

「ああ。しかし強敵だった。たった一人で俺達を一度に倒そうとしたんだから、大した奴だぜ」

「本当に恐ろしい奴だった…」

 承太郎とアヴドゥルは、壊れたギャンブラーを、僅かな哀れみと畏敬の念で見おろしていた。

 大量殺人犯相手に、そんなのバカみたいだ。千時はそう思ったが、またアヴドゥルに怒られそうで言えなかった。もしかするとコインにされた人間達も、ダービーと同種の者ばかりなのかもしれなかった。終わってみればどうにも、馬鹿馬鹿しく、やるせない。

 ファイルに並ぶ、真っ白に変色したコインを見ていると、肩を叩かれた。

「千時! おッ前、ちょっとカッコよかったじゃあねえの!」

 ポルナレフが隣にしゃがんで、頭をガシガシ撫でにきていた。

「そー? じゃ、今回は怒らない?」

「許す許す!」

「何だ、池上さんはまた何かしたのか」

 花京院がジト目で割り込んできたが、ポルナレフはパッと振り返り、いやいや! と彼の肩に調子良く腕をまわした。

「ありゃー仕方ねえよ、なんたってあのイカサマ師に、承太郎と一緒になって一泡噴かせたんだからな、コイツ」

「へえ。一体どんな手品だい?」

「不安煽るの手伝っただけだよ」

 千時はそれで済まそうとして、ファイルを手に立ち上がったのだが、二人は、それで? と促してくる。

「いやポルナレフは見てたじゃん」

「実は俺、なんでお前のあのセリフでダービーが詰まってたのか、分かんなかったんだよねえ。あの野郎、表情こそ動かさなかったが、汗ダラダラだったぜ」

「何だソレ」

 千時は呆れつつも、まあいいや、と口を開いた。

「ダービーは、皆をコインにしちゃってから私を捕まえるか、なんなら、私もテーブルにつかせて、完勝すればいいわけよね。けど、一人で六人を相手に、一度も失敗できない。全員相手にするよりは、一度で二人減らして人質が増えれば一石二鳥。だからポルナレフに私を賭けさせて、私を減らした。ポルナレフが再挑戦するようなら、お前は後だって最後にまわして、コインにしちゃえばいいもんね。

 ただ、そういうのって、自分に確信が無いから考える手でしょう」

「確信?」

「自信て言ってもいい。自分のイカサマの腕を完全に信じきっていたなら、わざわざそんな橋、渡らないのよ。あの時、もうノリさんが捕まってたんだから、順当に勝てばいいだけだった。

 言ったでしょ、絶対の勝利を知っていれば、スリルは発生しないって。リスク回避したって事は、どんなにちょびっとでも、不安があったって事なのよ。

 私が、その小さな綻びを見透かしていますよ、ってほのめかした上、手札を見もせず全賭けするような薄気味悪い戦法を取ってる真っ最中の承太郎に、自分から自分を預けにいったら、すごく不安にならない?」

「なるだろうね」

 花京院が頷き、ニヤリとした。ふと見れば、残る三人も興味深げに、こちらの話を聞いている。

「ジョースターさんが魂を取られていたんだから、場に残っていたのはアヴドゥルか。ポルナレフは魂を保留されていて、チップにはなれない。承太郎が賭けようとした所で、きみがそれを暴露しに入った。そういう事かな?」

「おおう。さっすがノリさん」

 よくこれっぽっちで読みとれるものだ。電柱のてっぺんにクエスチョンマークを点灯させているポルナレフなんぞ、もう置いてけぼりである。

 花京院は腕を組み、顎を撫でた。

「誰にせよ、最後の一人に加勢すれば良かったんだな、きみは」

「その通り。だからアヴさんがテーブルのっかった時点で、これで勝ちだなと」

「お、おい、待ってくれ、どういう事だ?」

 目を白黒させて、アヴドゥルが手を挙げる。

「私を賭けた時点で勝ちだと?」

「彼女はたぶん、ここでは負けないと、そもそも知っていたんでしょう」

 花京院と、その後ろに居た承太郎が、低く笑った。

 千時はアヴドゥルを見上げて、こっくり頷いた。

「死人が出るなら、どこかで読んでるはずだからね。

 承太郎がテーブルについた時点で、アヴさんは実質、最後の一人だったでしょ? そのアヴさんを賭けたって事は、承太郎が負けたら全滅って事。だけど私は、皆が全滅しないって知ってる。だって少なくとも承太郎はディオを倒すんだから、そこまで残ってなきゃおかしい。て事は、あの場面は、承太郎が勝つって事。ね?」

「あ、ああ、そうか…」

 納得したようなしないような。まあ、敵の能力が本体、スタンド共に突拍子も無かったため、彼も混乱していたのだろう。

「千時…」

「ん?」

「お前、頭良いな」

 アヴドゥルがあまりにもあまりな顔で言うものだから、千時は堪えきれずに噴き出した。

「アヴさんポルナレフみたいなこと言ってる」

「なに!? あいつと一緒にしないでくれ!」

「ちょ、おいィ! アヴドゥルてめー!」

 笑いながら、千時は肩をすくめた。

「落ち着いてたとか言いたかったんでしょ」

「ソレだ!」

「あとさあ、ポルナレフ」

 ついでに千時は、二番手で負けた男に、種明かしをしてやった。

「あなたが…いや、スタープラチナが負けたのは、たぶん、連れてきたおじさんがグルだったんだと思うよ」

「はア!?」

 ポルナレフは慌ててアヴドゥルを押しのけ、身を乗り出した。

「あいつは俺がテキトーに選んだだけのオヤジだぜ?」

「ポーカーのディーラー頼んだ子がグルだったくらいだし、たぶん店内にも、相当数の仲間を配置してたんでしょ」

「待て待て待て! 何だって?」

「あの子、「やっぱり」ブタだった、って言ったじゃん」

「ああっ!!」

「そういえば!!」

 アヴドゥルとポルナレフが同時に振り返ったが、もう店内はガラ空きになっていて、ディーラーを勤めた少年も、コインを投げた中年男も、姿は無かった。

「そういやダービーの野郎、すぐさま表と決めていやがった…」

「ああ」

 承太郎が呻いた。

「スタープラチナが見ていたのは、キャッチの瞬間までだったからな」

「最初から、ダービーが言った方に合わせる手はずだったのかもね」

 実の所、店内どころか見渡せる範囲全ての人員が、ダービーの手配した一流イカサマ師だったのだが、そこまでは彼らも知る由は無い。

「はー…。ヤな敵だった…」

 何となく今更、千時はため息をついた。

「そうだ、これを返しておかなければな」

 横合いから褐色の手にメモ帳を差し出され、そういえばと受け取る。すっかり忘れてましたとも。

「ありがとう」

「あー! アヴドゥルに抱きついてたのはソレだったのかあ!」

 途端にポルナレフがころころ笑いだした。

「いや、ビックリしたぜー。いつの間にこいつ犯罪者になっちゃったのかと思ってよー」

「キサマ、ポルナレフ…お前もう一度火だるまにならんと気が済まんようだな…」

「ヘッ。寝床連れ込んだ言われるよりマシだろうが。そっちがしつこく言うからだぜ! 意趣返しってヤツよ」

「マジシャンズレッドッッ!!」

「うおわ! 本気で出すなバカ!!」

 疲れているだろうに、全力鬼ごっこで店を飛び出していく。

 残された四人は苦笑し合いながら、のろのろと車へ歩きだした。

 ジープからは、イギーの不機嫌な鳴き声が響いていた。

 


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