いつかのそら   作:夕貴

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いつかのそら08

「さ、灯華ちゃんもお風呂入ってきなさい。私は乙姫ちゃんを入れてくるから」

「後でね、灯華」

「うん。後でね乙姫ちゃん」

 

ひとしきりの戦闘の後に灯華と乙姫は千鶴に連れられAlvis内へと戻った。乙姫は水溜りに入った汚れを落としに、灯華は長い間外にいたせいで冷え切った体を温めるためそれぞれのバスルームへと直行させられた。まだ上手く体が動かない乙姫は千鶴と一緒にお風呂に入るらしい。灯華は自分に宛がわれている部屋へと入り制服を脱ぎバスルームへと向かう。バスタブに湯が貯まるのを待つ時間が惜しいとばかりにシャワーを全開に熱いお湯を頭からかぶる。

色々な事がありすぎた一日だった。

新国連が島を占拠し、乙姫が目覚め、フェストゥムが島を襲い、一騎が帰り、灯華はーー。流れる湯に揺らぐ視界の中、自分の手のひらに見える緑色は事実か虚像か。一度目を瞑り視界をクリアにするともうそれはなくなっていた。だいぶ湯がバスタブにたまってきたため腰を下ろすも上からかかるシャワーはそのままにしておいた。

バスルームから出て時間を確認すると意外なほど長く篭っていたらしい。特に急ぎの予定はないが、戦闘の様子や情報を貰おうと新しい制服をロッカーから取り出した。自室から廊下に出ると所々で聞きなれた怒鳴り声が聞こえるも、新国連の兵士の姿は一切見当たらない。自分の戦艦にでも退避したのだろうか。いつもの道筋を辿り仮眠室の前まで来ると総士と乙姫の声が聞こえた。はじめての兄妹の語らいを邪魔していいものか迷い、灯華は入り口で立ち止まった

 

「…これは夢だよ」

「夢?」

「世界をこの目で見て、この手で触れたい。そういう夢が叶ったの」

「何でも望通りにしよう」

 

妹の言葉に兄は限りない優しい声で応えていた。

 

「家族皆で、暮らしたいな」

「…っ」

「安心して。只の我侭だから。そういう時はお兄さんらしく無理だって言っていいんだよ、総士」

「ああ」

 

 どこか余所余所しい、けれど互いに情が聞き取れる会話に灯華は小さく安堵した。彼等が兄妹として過ごせない一旦を担っていた身としては総士と乙姫がこんな風に会話ができることはとても喜ばしい。

 

「灯華、入ってきてもいいよ」

 灯華は仮眠室の中からかかった声に苦笑しながら姿を見せることにした。総士は表情を崩さず、乙姫は笑顔を湛え手招きをして向かえてくれた。

「ごめんね、立ち聞きしちゃった」

「灯華だから大丈夫」

「ありがとう」

 

 乙姫が飲みたいというジュースを選んであげ、それを手にしたままメディカルルームへと向かった。中に入る寸前、自動的に扉がひらき中から真矢が出てきた。どこか疲れた顔をしているのは長旅もあるが母親に怒られでもしたのだろう。

 

「お疲れさま。おかえり真矢」

「ただいまー…長かった…」

「皆心配していたんだからしょうがないよ」

 

 げっそりとした顔で俯いた真矢はそこで見慣れぬ顔に気づいたらしい。

 

「はじめまして真矢」

 

 満面の笑みで挨拶をしてきたのだが、一体誰だろうと聞く前に彼女はさらに言葉を重ねた。

 

「ねぇ、千鶴は中?」

 

 自然な様子で出された名前が自分の母親の名前だと気づくまでに少し時間がかかってしまったがうん、と肯定すると女の子は自分の傍を通り抜けて入っていってしまった。

 

「遠見先生―私もですか?」

「灯華ちゃんは明日の朝でいいかしら?」

「はーい。了解です」

 

 灯華が扉付近から声をかけると中から返事が返ってきた。灯華も時折健康診断を受けているらしいからその算段なのだろうと検討がついた。

 

「いまの子・・・誰?」

「皆城乙姫。僕の妹だ」

「皆城君の妹…?」

 

 知らない女の子の名前が乙姫だとはじめて知った。その存在もはじめて知った。ずっとこの島で暮らしてきていたがそんな名前の女の子の存在など一度も聞いたことがなかった。詳しく聞きたいがそれを総士ははぐらかしてしまった。まるで部外者は立ち入って欲しくないものだといわんばかりだが、事実そうなのだろう。灯華をつれて総士はその場を立ち去っていった。

 

「ちょっと冷たかったんじゃない?」

「事実だ。遠見は、昔の事を知らない。まだ、そこまで開放されていない」

 

 子供達、特にファフナー搭乗者に対するメモリージングの開放は他の子供に比べればその開放レベルは高いものとなっている。それはCDCに配属された真矢も同じレベルまで引き上げられたが、総士や灯華の様に全てを開放された分けではない。Alvisの成り立ちやAlvis最深部の構造など全員が知る必要でないものは大人でも解放されていない者もいる。その開放されていない部分に乙姫として灯華の過去も含まれるため総士は知らなくて良い事だと真矢を突き放したのだ。

 

「いつかは、知るよ」

「だがそれは乙姫とAlvisが判断することだ」

「そっか」

 

 Alvis内のエレベーターの中に入り移動階のボタンに触れるところで灯華は総士に提案した。

 

「一騎に会う?」

 

 すると総士は戸惑った顔をした。すでにシステムを介して再会しているというのに何を遠慮しているのだろう、と思ったがそれだけでない。緊張しているのだと、繋いだ冷たい手を引っ張りながら気づいた。なまじシステムを介してしまったために生身でどう対峙したら良いのかが分からないのだろう。

 

「大丈夫。一騎が帰ってきてくれたの。いっぱいお話し、しよう」

「…明日でも」

「そうやってずるずるしたら絶対できないよ。大丈夫一騎だよ。一騎だから大丈夫」

 

 止まりそうになる足を止めないために総士の手を引き一騎の入っている独房の前で放した。灯華も一騎に会いたい。だが今は二人で話すべきだろう、と断腸の思いでその場を離れてAlvis内の自分の部屋に戻った。

 

 

 

「気になる会いたい気になる…一騎ぃ…」

 

 と、ベッドの上でどれぐらいごろごろしているだろう。総士にはものすごく物分りの良い事を言ったのだが本音は一騎に会いたい。会って触って話して一騎が帰ってきた事を実感したいと心底思っていたのをぐっと我慢。自室に戻ってから会いたい会いたいーと愚痴愚痴していたのだ。明日の朝突撃しようかと思ったが、起床後すぐにメディカルルームに来るようにと千鶴からの通達が来たのでそれもできない。

 

「会いたいよー一騎ぃ」

 

 それからもごろごろとベッドの上で転がっていたのだが飽きた。既に湯も浴び、後は寝るだけなのだが神経が高ぶっているせいか睡魔が来ない。乙姫と竜宮島と唐突に繋がり、今は離れ、一騎が帰ってくるという強制イベントに体は疲れきっているはずなのにと制服を脱ぎ寛げる部屋着に着替えた。物語でも読もうかと情報端末を手にしベッドの上に座ろうとしたところで来訪者を告げるブザーが鳴った。特に確認する間もなくロックを解除し扉を開けるとそこには総士が立っていた。

 

「すまない、寝ていたか?」

「ううん。眠くなかったから起きてたよ」

「入ってもいいか?」

「いーよいーよ」

 

 何か飲むかな、とベッドから立ち上あがろうとしたのだがその前に総士が立った。ん、と見上げると天井の電灯が眩しく表情が見えない。目を細めたところで総士がベッドに登ってきた。

 

「どうしたの?」

「…」

「総士?」

 

 只々無言で総士はゆっくりと動き灯華を抱きしめた。体重をかけられ自分より上背がある人を支えきれるはずもなくずるずると体制は崩れベッドの上で二人重なる形になった。ごそごそと総士は少しだけ動き下着を着けていない胸元に顔を摺り寄せてきた。これはそういう流れなのかな、と思ったが総士はそれ以上動きをみせない。

 

「制服きつくない?」

 

「疲れた?」

 

「もう寝る?」

 

 全ての問いに頭を横に振るだけで何も答えない。その振動でなにやら妙な気分になるのだがしがみついた総士は離れてくれない。一体どんな表情をしているのやらだ。

 

「…一騎が」

 

 その名前を出したところで総士の体が少しだけ、撥ねた。

 

「一騎が帰ってきて嬉しいね。沢山お話し、できるね」

 

 腕を動かし総士の頭を抱えるように軽く抱きしめると総士がしがみついてくる力が強まった。そのまま互いの体温を感じていると急に睡魔がやってきた。このまま寝てしまうと風邪でも引いてしまいそうだがその心地よいぬくもりには適わず瞼を閉じた。

 

 

 

 次の日の朝、灯華は指示通りにメディカルルームで一通りチェックを受けあとは問診だけになったところで緊急指令が入った。メディカルルームからクリエムヒルドへの入り口が近かった事が幸いしてか一騎がファフナーに乗る前にスタンバイをする事ができた。

 

「マークザインってどんな感じだった?」

『特にマークエルフと変わらない。機体は違うようだが、同じ一騎だ』

「同化現象の塊って聞いてたけど同じなんだ」

 

 先にジークフリードシステムの総士とクロッシングをして一騎を待っているのだが、その間も総士はシステムを介してカノンに奪われた戦艦のフェンリルの操作を奪取しようと流れるようにデータを構築しているようだ。その辺りは灯華には門外漢、言ってしまえば戦闘以外は特に役にたてないので静かにその時を待つ。

 

「あ、一騎だ」

『先にクロッシングしてくれ』

「了解」

 

 一騎がマークザインに乗り込んだ情報が目前に表示されたのでクロッシングシステムを起動させた。総士から同じだ、と聞いているもはじめての機体。不安も少し混じる。

 

「対象マークザイン。クロッシング開始」

 

 機体データはあらかじめ登録されているためシステムは順調に灯華と一騎を、クリエムヒルドとマークザインをクロスさせた。

 

「一騎、聞こえる?」

 

 いつものように言葉をかけるとあわてたような一騎の様子が分かった。自分では感じられないがどこかおかしい所があるのだろうか。数値を見直すもどこもおかしくない。容子からも通達が来ないはずなのにと首を傾げているとやっと一騎から返答があった。

 

 

 

 

「灯華、ちかい」

 

 

 

 

 ちかい。その一言が全てを言い含めていた

 

『どうした?』

「総士、変。おかしくないのにおかしいの」

『おかしい?』

「どうしてこんなに一騎がちかいの」

『灯華?』

「言葉が気配が…全部、ちかい」

 

 

「こんなにちかいなんて、どうして」

 

「これじゃ、ちかすぎる」

 

 

 

『灯華!クリエムヒルドとマークザインを切れ!』

「いや、一騎がそこにいるのに。離れたく、ない」

『っ、クリエムヒルド強制停止、続いてシステム搭乗者を強制退出』

「やだ、やだ…やめて1人にしないで」

『羽佐間先生、遠見先生。灯華をお願いします。僕だけで一騎と共に行きます』

「やめてまた1人はいやなの」

 

 灯華の懇願を無視しクリエムヒルドは音を立てて止まった。一騎と繋がっていた感覚は全て霧散した。漸く1人になったのだが、千鶴や容子が駆けつけるまでそこでうずくまって1人泣きじゃくっていた。あの一騎が1人出奔してしまった日のように。

 そのまま戦闘に戻れるはずもなく灯華は朝訪れていたメディカルルームにとんぼ返りをしてベッドに横たわっていた。クリエムヒルドから降りた直後の寂しさは薄れてゆくも自然と流れる涙は止まってくれない。一騎が居なかった日々は思った以上に堪えていたところに不自然なクロッシングで箍が外れてしまったようだ。

 

「大丈夫か?」

「うん」

「もうすぐ、一騎が来る」

「うん」

 

 カノンの説得をうまく終えたらしく思った以上にはやく総士はメディカルルームに顔を出した。灯華の頬を流れる涙を指でぬぐってやっているが、なかなか止まる様子はない。早く一騎が来てくれないかと思っていると入り口近くで声がした。一騎が来た、それを言う前に灯華はベッドから勢い良く起き上がり声の方向へと裸足で走り出した。

 

「うわっ、いてっ」

 

 一騎のあわてた声とどさっという音。総士がベッドを仕切るカーテンから顔をのぞかせると尻餅をついた一騎としがみ付き泣く灯華。

 

「泣くなよ灯華」

「ばかばかばかばかー。なんで出て行ったのよー」

「ごめん」

「私もごめんー。一騎が悩んでるのも知ってたけど何もいえなかった」

「今なら分かるよ。でもあの時、灯華に相談する事さえ思いつかなかった俺が悪い。灯華を1人にしちゃったな。…ただいま」

 

 灯華の頭を撫でながら優しい声で慰める一騎。今までと同じ、昔から変わらない光景。戻ってきた日常だったが、それをみる総士の顔は今までとは違いどこか固い。灯華と一騎は育ってきた境遇からか互いが互いを慈しんでいることが分かる。子供時分は仲が良いなとしか思わなかったが、ここ最近はその感情を揺らがせる事ばかりだ。有り大抵に言えば悋気、嫉妬をしているのだろう。だがそれを表にだせるほど総士は素直ではないが、隠しきれるほど大人ではない。

 

「一騎、灯華そこじゃ邪魔になる」

「良いのよ総士くん。別に…」

「いえ、もう大丈夫です。部屋に戻るぞ」

 

 千鶴の言葉に勝手に返事をして2人を引きずるようにメディカルルームを出た。

 

 その晩、灯華の部屋に総士が向かったのを知っているのは乙姫だけだった。

 


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