溝口と真矢の乗った機体が偽装鏡面を越えようかという頃、灯華の感覚に紗が覆いかぶさり全てのものが鈍く感じられるようになった。自分自身が虚ろになりそうだと思う反面、どこか奇妙に郷愁を覚えるものだった。
「海底から接近する物体有り。6時方向、距離400」
「ソロモンに反応あり――ザインです!」
急いで戻ったAlvisのCDCから齎される緊急事態の警告も、その後慌ただしく動きを始める司令室を眺めるも映像だけで緊迫感はなぜか伝わらない。事実のみを感じ取り、データを読み取り、恐ろしいまでに冴え渡る頭でメインスクリーンに映し出される情報の解析をはじめた。相手は新国連。狙いはコアとフェストゥムと島そのもの。彼らにとってフェストゥムとまともに戦える戦力はなんとしても“奪取”すべきものなのだ。そう結論付けるまで恐らくコンマ1秒もかからなかっただろう。
「潜水艦からミサイル発射!!」
「――すぐに、ノルンが出るよ」
真矢たちが乗った小さな機体は歓迎しない客から狙われたようだが、それよりも前に迎撃用無人小型機が寸で全てを撃墜。次発のミサイルを打たないところから、ついでで撃っただけなのだろう。新国連の潜水艦を示す点は刻々と近づいている。焦れる総士がファフナーの出撃を直訴するも史彦に即却下されている。
「君たちを、人間と戦わせるわけにはいかん!」
その間にも何故か第2ヴェルシールドを無効化され防御壁が何もない状態に陥り総士が更に強く戦闘を求めるも史彦は最後まで人と戦う事を許可しなかった。そのせいか新国連側は着々と戦力を竜宮島へと上陸させてゆく。どうしよう、どうしようか。そう問いかけると応えが帰ってきた。
――じゃあ一緒に見てみよう。
耳の奥で天の岩戸の開く音が木霊した。
竜宮島が反撃をしてこないと判断した新国連は上陸作戦を決行しAlvis内にも侵入を開始したようだ。史彦がCDC内のスタッフも島民のようにシェルターに逃げ込むようにと告げるも大人2人と総士はこの場に残ると譲らなかった。何も殺戮までは新国連側も考えていないだろうと史彦は判断しそれに沈黙を持って答え、階下の弓子と灯華たちの後輩の理奈にはシェルターに向かうことになった。
「灯華はどうする?……灯華?」
「……私はここから出るよ」
ややのんびりした灯華の返事にどこか妙だと感じ取った総士はそのまま頷き背後の扉から出ていく灯華を見送った。
司令室から時折会話をしながらのんびりと目的地を目指した。
「何を着たの?」
――服大きいよ。
――おかあさん。はじめての言葉。
「早くお話したいね」
「誰といるの?」
――芹ちゃんは虫が好きなんだって
――ねぇ、景色を見たことあるの。
「美しいと思うよ」
1人迷路のようなAlvis内を新国連の兵士と全く会うことなく上へ下へと足を運び安全な通路を進む。どの道を通れば良いのか彼女が教えてくれるのでのんびりと時折休憩を挟みながら歩みは止めない。時折交わす短いやり取りは傍からみれば灯華の小さな独り言。それがわかったとしても灯華と彼女のそのやりとりは2人以外からすれば噛み合わないものに首をかしげただろう。他の人が聞けば言葉が足りないと思うだろう。だが彼女たちには支障がなかった。言葉にせずとも、何を共有せずとも全てを分かりあえる存在となっていた。
Alvisの出口から外に出ると空には夕焼けが広がりだしていた。思った以上にAlvis内を抜けるのに時間がかかってしまったようだ。時折聞こえる爆発音にどうやらフェストゥムが襲来したらしいと検討をつけると彼女から正解と答えがかえってきた。じゃあどこに向かおうかと聞けばここから反対側になる灯台に行こうと提案され灯華もそこへと向かう子とにした。島の中の住宅街はしん、と静まり返っていた。そういえば戦闘中に島内を歩き回ることは初めてだったな、と自宅の前を通り過ぎながら思った。誰もいない街中をゆっくりゆっくり歩き、しばらくしたら島をぐるりと周る道路へと出た。戦闘とは反対側に向かうためか段々と爆撃音が小さくなってきた。完全に日が落ちて薄墨が空を覆う頃灯華は灯台の元へたどり着いた。聞けば彼女はまだ時間がかかるようなので灯台の入口にこしかけ空を見上げた。本物の空。それを初めて目にしたのは灯華が岩戸から取り出されてからだった。
∽
フェストゥムと人間の独立融合個体を島のコアに、としたのは偶然と必然が重なったものだった。妊娠中の母体が研究中だった瀬戸内海ミールにより同化させられ胎内の子は半同化のまま成長する。母体は死を迎えることなく点滴により延命、その後人工的に子供は産まれることとなった。半同化されていることからその子は延命できるのか成長できるのか分からないままの誕生だった。以後のためにその子は経過観察という名の研究が行なわれる予定であったが、その子は産まれて数時間もしないうちに忽然と部屋から消え去った。何人もの職員や研究者、医師が居る前での出来ごとだった。総出で探し出した結果その子が居た場所は最終段階に入っていたとはいえ、当時開発途中だった後にワルキューレの岩戸と名付けられる機械の中だった。誰が何のために、見つけた職員が取り出そうとするもそれは意思を持つように拒まれ岩戸が開く事はなかった。直後その子の母体である母親の真壁灯里が息を引き取った事もあり、非科学的ながらも灯里の意思が働いたのではないかと誰かが口にしたためこの子、灯華はワルキューレの岩戸の中に居ることを了承された。
だがそれは心情からの配慮のためではなく、灯華が岩戸の中に居る事でシステム全体の動きが安定化されたからに過ぎない。灯華が同化するに至った瀬戸内海ミールは島に利用されているミールの元となるもの。そのため何らかの力が働いたのだろうと結論が出ないまま彼女はしばらくのあいだ岩戸のなかで過ごしていた。それが動いたのは、彼女が誕生して3年がたとうかという時だった。もし普通に生まれていれば言葉を発し、他との区別が生まれ、自我が発達しだす頃だった。
――だあれ?
だあれ?
――一騎
かずき?
――あそぼう
あそぼう
当時、真壁史彦は妻の紅音を亡くしたばかりで慣れぬ子育てを1人で必死に行いながら日々を過ごしていた。同時期しばらく凪いでいたミールの状態が急に不安定になり、結果友人の皆城梢が暴走したミールに同化され胎内にいた子も人工子宮に入れられるという騒動が起こっていたため、自分の息子が見えないお友達と楽しげに会話をしていたのを彼は気づいていなかった。
――おなまえなあに?
なまえ?
――おしえておしえて
おなまえ……
――おなまえ知らない?
しらない
その日、誰もいない情報管理区画のパソコンモニターが勝手に起動をはじめた。誰もおらず何も触らないはずなのに、どんどんと情報がモニター上を流れてゆく。人の認識が追いつかない速度で流れる情報がピタリと止まった。それはAlvis内でもある一定の許可を持つものだけが閲覧できる機密情報。それが表示されたのち画面はブラックアウトを起こしそれまでと何も変わらない静かな部屋へと戻った。
ねぇ
――なあに?
おなまえわかった
――おしえて!
灯華
――灯華あそぼう!
夜間急遽呼び出された史彦と公蔵はワルキューレの岩戸の前で1人佇む千鶴の傍に駆け寄った。
「岩戸が開きました」
そう伝えた千鶴の腕の中にはあたりを興味深くきょろきょろと見回す灯華が抱かれていた。以降更に落ち着きをなくしたミールの状況に誰かがイチかバチかだ、と公蔵に彼と梢の娘を岩戸へ向かわせてみては、と提案した。その案にだれよりも激怒したのは史彦だったが公蔵はその案を受け入れ娘をワルキューレの岩戸へと沈めた。すると次第にミールは落ち着きを取り戻すも、以降ブリュンヒルデシステムをはじめとする幾つかの機能は彼女と共に眠りにつく事となった。
∽
古い記憶に思いを馳せながらAlvis内の出来ごとを把握してゆく。総士はウルドの泉へと向かいもう一度ジークフリードシステムに乗る事を決めた。史彦たちは開放された第二CDCへと向かい人間ではなくフェストゥムとのみ戦う事を望んだ。皆が選んだことを教えてあげなければならない。
「灯華ちゃん、何故ここに」
閉じていた目をあければ千鶴と1人の少女。ところどころシャツに泥がついているのは彼女曰くの泥遊びのせいだろう。ヘルメットをその場に落とし彼女は灯華の目の前に立ち両手を差し出すのでその手に合わせるように灯華も手を差し出し指を絡めた。
「はじめまして灯華」
「はじめまして乙姫ちゃん」
途端奇妙な程霞んでいた己を急速に取り戻した事で乙姫が灯華を切り離してくれた事がわかった。
「私1人で大丈夫だよ」
「でも心配だから一緒に行くよ」
「わかった。千鶴は戻って。シェルターはまだ安全だから。ここまで一緒に来てくれてありがとう」
2人で向かうのは何も怖くなかった。だが千鶴は意に反して、
「私も行くわ。システムの研究者として…いえ、島に住む人間として見届けたいの」
と告げた。だがその言葉に満足そうに乙姫は頷いたので千鶴を含めた3人で灯台の上に登っていった。乙姫はこの島で唯一の、灯華は島の中では稀有な存在。それはこの竜宮島というものを構成するために切り離せないものだった。大人の勝手な行動で幼い子供を犠牲に成り立つ島に幾人もが疑念を呈した。その言葉を放ちながらも誰も手を打たなかった。それが大人たちの真意を表していると千鶴は懺悔するも乙姫は笑った。
「私は選んだの。心を持つという事を。それが私の…ううん、私たちの選択」
選んだのだ。灯華は彼に名を呼ばれる事で、乙姫はこの島を見つめ続けた事で。2人は母親の胎内に居る時に半同化された状況を生き抜いた、体の構造は人間に似ているも構成されるものは似て非なるもの。フェストゥムに非常に似た存在――島の人間はそれをコア型、もしくはコアと呼ぶ。そう人ではない者が人の心を持つ事に決めた。
「わたしたちは、ここにいるよ」
乙姫と灯華は手を繋いで海の先に表れたフェストゥムを見る。もう彼女の考えている事は分からない。ふ、と乙姫が此方を向いて笑った。
「歌おう」
歌いだしたのは乙姫からだった。岩戸の中で覚えた歌は少し聞いたら思い出し灯華の口をついて出てきた。この歌は誰が教えたのか誰が歌っていたのか、灯華も乙姫も何も知らない。もしかしたら遠いフェストゥムの歌なのかもしれないと滑稽な考えすら浮かぶほど神秘的な旋律が体から溢れ出す。
「総士が怒ってる」
「どうして?」
「灯華がここにいる事が理解できないみたい」
「総士には外に出るって伝えたんだけどなぁ」
「後で謝ろっか」
「そうだね」
2人でくすくすと笑っている間に先程のフェストゥムが段々段々と近づいてくる。やはり見れば見るほど美しい存在。恐怖を覚える美しい存在が目前にやってきたため、灯華は乙姫の手を強く握った。乙姫はミールを通して目の前のフェストゥムとそのミールに問いかけているようだ。だが乙姫の言葉は彼らには受け入れられなかったようで、フェストゥムは目を見開いた。
「逃げるのよ乙姫ちゃん灯華ちゃん」
千鶴が灯華と乙姫の前に立ち逃げるように促すも乙姫は動こうとしない。でもねだいじょうぶだから、と乙姫は小さく呟いた。
もう灯華と乙姫、そしてミールは繋がっておらず本来なら分からないはずだった。しかしその存在が近づいてくる度に増してゆく感覚。ああ、彼が帰ってくるのだと全身が喜びを感じる。
「おかえり」
「おかえり一騎」
目の前のフェストゥムが急に表れた見慣れぬファフナーによって殴り飛ばされた。今まで歯が立たなかった攻撃がおどろくほど通じ敵のコアまでも吸収してしまった。あんなに吸収して大丈夫だろうかと心配はすれど不安はない。彼は彼のための剣を手に入れ選んだのだ。この島を、総士を。総士の痛みを気持ちを分かるために一騎は総士と話をする事を選んだのだろう。それを知った総士が泣いちゃったね、と乙姫が面白そうに笑うのをみながら少し寂しかった。
一騎と総士、どちらにそれを感じたのか。それとも両方か。