灯華が投げ出した後の戦闘で一騎が新国連の偵察機を見捨てられなかったため、隠して隠して隠し続けてきた竜宮島の存在があちらに知られてしまった。これについて戦闘を投げ出した灯華が何かを思うのはお門違いなのだが。それでも面倒臭い事になったとAlvisの自室のベッドの上で取り留めもなく考える。――もちろん、彼女は現在戦闘放棄による謹慎中だ。
二日も部屋の中に閉じ込められていたにも関わらず灯華の精神が堪えなかったのは、時折感じる乙姫の存在だろう。機械を通さずに乙姫の覚醒を感じ取れる事はまだ誰にも告げていない。灯華と乙姫だけの秘密だと頭に思うかべると、乙姫が小さく笑った感じがした。そんな穏やかな二日の後にはいきなり仕事を振り分けられた。
「あ、灯華一体どこ行ってたのよ!家にもいないし!」
「ご、ごめん咲良。ちょっと謹慎してた」
「謹慎!?何したのよ!」
「何って、戦闘放り出した…」
「放り出した!?何してんのよ!!」
連絡係だった総士に連れられて行った先にはクラスメイトの姿。その中でも咲良は怒髪天を突く怒りっぷりにどうも彼女をなだめるために総士は灯華をここに連れてきたようだ。そういえば謹慎は3日のはずだったのに1日早まったのだが、もしかしなくてもこのせいかもしれない。総士が後ろで深い、深いため息をついているのがその証拠だろう。
新国連とのやり取りも重要だが、それ以上に重要なクラスメイトの訓練は順調とは言わないながらも、着実にその成果をだしていった。一騎に比べてしまうとそれは遅いと表現しても過言ではないと分かっていながら、総士はそれに少々苛立ちを表し灯華はそれを宥める事も多々あった。一騎が特別なだけで他の友人達の能力が一般的なのだと一体何度総士に言い聞かせただろう。灯華とて、初の戦闘が一騎と共にだったために彼と同じように皆に指示を出すがそれが出来ないものだと反応を返してもらいそこで漸く分かったりしたのだ。総士と灯華、そしてパイロット達も共に手探りながら共に戦う術をみつけていっていた。しかし、時折
「――一騎なら」
「――一騎だったら」
このような一言が出てしまうのは仕方のない事だった。
「総士、しばらく一騎は禁止ワードにしない」
「…いいだろう」
「一騎って言葉を出したら罰ゲーム」
「何をするんだ」
「私は総士に手料理あげる。総士は三つ編み」
「僕の方が傷が深いから却下だ」
「えー」
「それより、要の変性意識だがどうにかならないのか」
「咲良に言ってよー」
それにしてもクラスメイトの変性意識のバリエーションの豊かさには頭が痛いと総士と2人で頭を抱えてしまう。元々個性の強いメンバーなのに、ファフナーに乗ってしまうとそのアクが更に強くなるというおまけつきだ。その中でも最も目につくのが翔子だ。彼女は元々体が強くない。だがファフナーに乗ってしまえばそれは関係なくなる上に、仄かな恋心を持っている一騎の隣に立てる喜びを爆発させてしまっている。彼女はこんなにも激しい想いをもっているのだとはじめて知ったのだが、それは羨ましいものでしかなかった。こんなにも綺麗な想いで一騎を思えるなんて、なんて羨ましい。
その翔子が、戦闘で死んだ。
次にいなくなったのは、甲洋だった。
果林が、翔子が、甲洋が。以前にも先輩が人知れず死んでいったのを目の当たりにしてきたが、その度なんとか堪えてきた。死んだ、また死んだ。次は誰が死ぬのだろう。虚ろな心で取り留めもなくそう考えながら自販機で買ったココアを口にする。購入してから時間が経っていた事にも気づかないぐらい惚けていたらしい。生ぬるい甘さが舌にまとわりつく。それに眉を寄せていると、総士が休憩室の入口に立っている事に気がついた。
「総士」
目だけで付いてくるように言われ、飲み干していなかったココアをゴミ箱に捨て総士の後をついてゆく。目的地は言わずもがな総士の部屋。部屋に通され、適当に椅子に座るとその向かいにあるベッドに総士が座った。
「結果はどうだった」
「見る?」
「ああ」
総士の部屋にある備え付けの端末から灯華のデータにアクセスをし、それを総士に渡した。そのデータを見て総士はひと言、言った。また同化が進んだな、と。端末の隅に表示されている時刻はもうすぐ日付が変わろうかというところだった。こんな時間に真壁の家を出てふらふらと夜遊びをしていたのではなく、真矢の母親に健康診断をしてもらっていたからだ。連戦に次ぐ連戦。いつの間にか灯華の指には聖痕のようにニーベルングの十個の指輪の痕がくっきりとついていた。その痕が濃さを増すように、灯華とその胎内に植え付けられているフェストゥム因子も濃く同化してゆくのだ。母の胎内にいる時にフェストゥムに襲われ、他の子供たち以上に濃くフェストゥム因子を胎内に取り込んでしまった過去を持つ灯華がクリエムヒルド・システムに搭乗する。その結果が総士の持つデータなのだが、それに後悔をするような事はない。
「濃く、なったな」
「そうだね。抑制剤も一番濃いやつ使ってるんだけど、そろそろ利かなくなるかも」
ベッドから立ち上がった総士は灯華の指にくっきりと見える聖痕に指で触れた。指と指を絡ませしばらく指を心の赴くがままに遊ばせる。ふ、と指から目をそらし総士を見上げると彼は此方を向いていた。指を絡ませたまま灯華の方を向く総士の表情を、彼は自身で認識していないだろう。指を絡ませたまま椅子から立ち上がり、目を閉じ灯華は総士にキスをした。総士が息を飲んだのがわかったが、絡ませた指に力が入った事で彼がこの行動を受け入れた事がわかった。何度も軽く唇を合わせ目を開けると総士も目を開けていた。
「――ぁ」
何を言いたかったのか自分でも把握していない。だが、それを切っ掛けに指は解かれ――灯華の腕は総士の首に、総士の腕は灯華の腰に回され一層密着し再び唇を合わせた。この行動が、これからの行為がまだ“子ども”の2人には過ぎたものだと分かっているも灯華も総士も止める事が出来なかった。世界で唯一、互いの立場と気持ちと考えと、そして痛みを分かち合える者同士縋りつきたかったのだ。
灯華の初恋は一騎だった。同い年で家族で従兄弟な男の子は誰よりも身近で、多分恋心よりも家族として妹としての好きが9割の好きだったがそれでも灯華にとっては誰よりも大事で大好きな人。そして目の前でぎこちない手つきで灯華のスカーフを緩めていく人は、本当に好きな人。総士の事がいつから好きだったのかは分からない。幼馴染の1人な事もあり小さな頃から一緒に行動していた。乙姫の兄という事もあり引け目もあるからこそ他の子より気を使っていた。それがいつからか彼に嫌われたくない、彼の役に立ちたい、彼の隣に立ちたい、彼を支えたいという明確な想いとして形作られていた。ああ、好きなんだなあと実感してからは坂道を転げ落ちるようにその想いは成長していった。
「総、総士…」
「泣くな」
「泣いてない」
「…そうか」
知らず流れていた涙を総士が指で拭ってくれる。けれどどうして自分が泣いているのか灯華も分からず、どうしようもない虚勢を張ってしまったが総士はそれを苦笑一つで流してくれた。そんな行動ひとつにも好きだという気持ちが薄皮一枚分増えてしまった事がわかった。これ以上この気持ちを育ててしまうと総士に気づかれてしまうのではないかと不安になる。この気持ちをどうすればいいのか分からないうちに当人に気付かれてしまうのは非常に困ることだった。それに、総士の視線の先にはよく真矢が居る。総士が彼女の事が好きなのかまでは確認できていないが、それでも他の同級生よりも気をかけているのは分かる。けれどそれ以上に嫉妬心を抑えきれないのは――
総士の左頬に伸ばした手を、取られ指を絡めて縫い付けられてしまう。
彼のアイデンティティを占める、一騎が付けた左目の傷。総士に、一騎にどちらに嫉妬しているのか分からない。口づけられ、規則的な律動を下半身に受け、初めて感じる微かな快楽のなか灯華は不意に咲良に会いたいと思った。彼女の全てを吹き飛ばしてくれる笑顔を見たいと思った。
∽
総士と灯華は昔から幼馴染として一騎と一緒に居た。とはいえ男女の違いからか昔は家族だからとなにかにつけ一騎と共にいる灯華の事を鬱陶しく思った事もあった。総士にとって一騎は一番大事で大好きな幼馴染で一緒に遊んでいる時が何より楽しい至福な時間だったのだ。まだ遊び足りないと泣いて何度父親を困らせたか分からない。だがあの7年前の日、何も知らなかった総士たちが天啓に返事をしてしまった日から遠くない日、総士は思いもよらない場所で灯華に会ったのだ。メモリージングを開放され、実妹がいる事も知らされ頭の中が混乱している所にはじめてAlvisに連れられてこられた。その最下層のワルキューレの岩戸の中に妹がいると教えられその扉の先には、箱の中にいる妹とその前に立つ灯華。
「なんで灯華がいるの?」
「総士もなんでここにいるの?」
総士は自分をこの場に連れてきた父親を見上げると総士と灯華に訳を説明してくれた。総士には灯華の立場を、灯華には総士のメモリージングを開放した事を。公蔵の説明だけでは納得のいかなかった2人は暇があればお互いの立場を話し合った。メモリージングが開放された事で2人は他の子どもたちとどこか一歩すれ違うような感覚に陥る事が多々あった。それは島の秘密を知ってしまった事で大人ではないがそれでも子どもより一歩進んだ立場に立たされる事となったせいなのだが、その事を感じながらも言葉にできないもどかしさから総士と灯華はよく2人きりで話す事が多くなった。それに他の子どもが気づかないはずもなかったが、2人が最近自分たちよりぐっと大人びた印象を与えるためその関係をはやし立てられる事はなかった。おかげで2人はゆっくりと色々な事を話す事ができ、総士はそれまで知らなかった灯華の立場や考えを知り、また自分の考えも灯華に知ってもらう事ができるようになった。
「今日の予定は?」
「乙姫のところに行くけれど灯華はどうする?」
「私も行きたい。鞄置いたらすぐに行くね」
「そういえば今日は海野球するって誰か言ってたけどいいのか?」
「どうせまた西と東の対抗でしょ?普通にしたいから私はいいや」
パタパタと教室を出る灯華はそのまま隣のクラスの一騎のところに行くのだろう。昔は灯華より一騎の傍に居たのだが左目に傷をつけられて以来一騎と共に行動することは全くなくなってしまった。反動するように灯華と共に一緒に行動するようになったのだがそれは思ったより過ごしやすいもので拒む事はなかった。
「総士、今日は灯華をこっちに頂戴よ」
「なんで僕に言うんだ」
「だって灯華ってば最近は総士にばっかり着いていくんだもん。前は私と一緒にいたのに」
「灯華に直接言ってよ」
「言ったけどあんまりコッチに来てくれないから総士から言ってよ」
鞄の中に教科書を詰め込んでいると隣の席に座っていた咲良から文句が出たがそれを無視する事で断りそのまま小学校を後にした。その時心を占めた感情が何だったのか未だ答えは出していないのだが、今こうして灯華を腕に抱いている事が恐らく答えなのかもしれないとぼんやりと考える。子どもな自分たちには過ぎた行為だとお互い分かっていても止めなかった。互いにそう長い間生きられない身が齎した種を残そうとする本能なのだろうか。その機能は自分たちの世代には残されていないはずなのだが、本能がそれを促すのであればなんと滑稽なのだろう。だが、それは目の前の灯華だからそれが刺激されたのだろう。だがそれが口をついて出る事はなかった。
総士の存在意義がこの島と妹なのだと伝えたのは誰だっただろうか。否、伝えられなくとも自ら感じ取ったものだったのかもしれない。父は表向きは校長先生という立場であるが、一度地下に潜ればこの島の全てを任される総司令官であった。その息子はどのように立ち振る舞わなればならないか、教わらずとも気づいて分かって実行していた自分だ。もっと愚かであれば幸せだったのだろうと思う事が全てを物語っていると自覚しながらも口は開かない。
――僕は、僕のためだけに生きられない。
総ての言葉を飲み込み、総士は腕の中にいる灯華をきつく抱きしめた。