「一夏くん、おはよう」
「ああ、おはようございます簪さん」
『好きです』
「…………」
あの告白、から既に三日が経過していた。
だからと言って、織斑一夏に何か変化があった様子も無く。
…………少なくとも、表面上は。
『返事は、直ぐじゃなくても良いから』
その言葉に甘えて、絶賛保留中である。
と言うか、この状況で性急に回答できる人は何処かがズレているんじゃ無いだろうか?
感性が普通、とは言い難い一夏もそれを免罪符にしてはぐらかしていた。
「一夏くん、私先に食堂に行くね?」
「うん分かった、後で追いかける」
気を利かせてくれたのだろうか、簪さんは先に部屋を後にして、一夏だけが一人残る形になった。
ドアが閉まるのを見届けて、一夏はベッドに腰掛ける。
その表情からは貼り付けていた笑顔が消えて、全く感情の籠もらないマネキンの様な顔になっていた。
「……………ふぅ」
今更ながら自問自答してしまう。
何故、あの告白を冗談と流せなかったのだろうか、と。
何時もなら出来た筈だ。
実際に以前にも冗談か本気か、他のIS学園の生徒にそう言われた時は適当に流せていた。
なのに
「なんで?」
口に出しても、答えは出てこない。
空に霧散した言葉を見つめる様に虚空を眺めてみる。
思えば、更識簪には色々と話していた。
話し過ぎたと言っても過言でない。
それだけ接する機会が長くて…………
そう言えば更識楯無とも言葉を交わす回数は多かった気がする。
「絆されたとか?」
自分はそんなに情に流されやすい人間だっただろうか?
もっと、冷たい人間だと思っていた。
いや……考えてみれば、案外に自分は単純かもしれない。
幼少の頃は周りから散々疎外されて善意だとか愛情に無縁だったし、気付けば思春期の手前で死地に転がされていた。
その後に束さんとクロエと共に過ごして…………とても心地の良い一時を過ごした。
「愛情に餓えてた、って?」
ハンっと鼻で嗤ってみる。
しかし、直ぐにまた無表情に戻ってしまう。
「誰でも良かったなんて、そんな事…………」
強い否定と恐怖に苛まれながら声にして、そして少し後悔した。
誰が手を差し伸べてきても同じだった、なんて思いたくも無い。
束さんだったから、クロエだったから、だから今の織斑一夏がいると、その筈だ。
「…………」
力無く息を吐き出しながら立ち上がる。
そして、そのまま教室へ向かう。
今日は窒息感で朝食が喉を通りそうに無かった。
○
その日の授業は殆ど記憶に留まるようなことも無く、あっさりと放課後を迎えてしまう。
クラス代表としての諸々の庶務を片付けた一夏は寮の自室でも生徒会室でも無く、なんとなしに目的も無く屋上へと歩みを進めていた。
「よっ、と……」
屋上までやって来た一夏は更にキュービクルの上へとひょいと跳躍してしまい、そのまま仰向けで横になってしまう。
電磁波やら何かの余波が怖くない訳でも無かったが、その辺は左薬指で白く輝いている己のISを信頼して考えないことにした。
だから、目を瞑って身体の事はどっかに置き去りにする。
「ふぅ……」
溜息をつきながら、何をやっているのだろうと心の中でごちた。
未だに、先日のことでウジウジと悩んでいる自分がいる。
女々しいのなんの、どうせなら考えなければ良いのに……しかし、他のことに思考を切り替えようとしてもまたハモった姉妹の声が頭を過ぎってしまう。
感情が、妙に澱んでいる。
どうしようにも無いくらにグチャグチャしていて、スパゲティコードみたいなそれを解して整理する事はかなり困難を極めそうだ。
それをどうにかしたくて、どうもできないから気持ち悪くて……
「なんで……」
ぼやくように呟いてみる。
それで何が変わるって事もある筈が無くて。
逃避したくなって、少しでも楽になりたい一心で目を閉じた。
「なんでこんなことで悩んでいるんだろう、って?」
「!?」
ギョッとして勢いよく閉ざされていた眼を一気に見開く。
言い当てられたからじゃなくて、その声が──
そして視界には、見慣れた顔が今にもくっつきそうな位にまで迫っている。
尚更のこと動揺して動けないでいると、彼女はそれに満足したかのようにニッコリと満面の笑みを浮かべた。
「束、さん……?」
「はいはーい、束さんですよー!」
え、なんで?とか、そんな疑問を言う暇も無くて。
束さんは180°反転したまま、両手で僕の頬を覆う様に包み込んできた。
「いっくんが悩んでるかなーって思って」
「思って……?」
「来ちゃった♪」
実に愉快そうに。
いや、実際に愉快なんだろう。
太陽みたいな明るい笑顔で。
「ほら、いっくん頭を持ち上げて」
「え……こう?」
「そうそう、えいっ」
言われるがまま頭を少し持ち上げていると、束さんはその場で正座して……僕の頭を膝の上に乗せてしまう。
所謂、膝枕だ。
それで、少し落ち着いてしまう。
何ともまあ、単純なんだと呆れる。
でも不快じゃない。
「いっくんの事だからね、答えが出なくて困ってるんじゃないかな、って」
「…………束さんは何でもお見通しだ」
「うふふ、何時でもいっくんの事を観てるし聴いてるからね」
頭を優しく撫でながら慈愛の籠もった声を掛けてくる。
それを甘んじて受け入れながら思うこともあって。
少なくとも、自分はこっちの方が良かった。
「それで、どうして悩んじゃうのかは解った?」
「ううん……そこから、解らなくて」
「簡単だよ……それはね、いっくんが優しくて欲張りだからだよ」
欲張り…………?
全くの無欲であるつもりも無かったが、それでも著しく貪欲であるつもりも無かった。
どういう事なのだろうかと、束さんの瞳を見つめる。
「いっくんは、誰かの“好き”って云う感情を汲み取ったら別の誰かの“好き”を否定しちゃうんじゃないかって、それが怖いんでしょ」
「…………」
「ほら、そうやって誰にも嫌な想いをして貰いたく無いのと…………同じくらい、自分が引け目に思うのが嫌なんだ」
正鵠を射た言葉に、ぐうの音も出なかった。
言われてみればその通りで、否定したり拒否をするのが嫌なだけだ。
結局は、自分本位の考えでしか無い。
「良いんじゃないかな」
「……?」
「欲張ってさ、どれか一つを選べないんだったら全部装っちゃえば?」
「いや、でも……」
「あはは、固定観念に縛られ過ぎ。それに、それを受け入れてくれない“好き”なんて所詮その程度でしか無いんだから、一々応えてあげる必要なんて無くない?」
束さんの言葉は、時折極端になる。
それを実行に移すかは兎も角として、常識とか色んな観念を放り投げてしまう。
そうであるから、束さんは天才なのかもしれないが。
「んー……じゃあさ、いっくんはどう思ってるの?」
「何、を……?」
「何って、その女の子たちの事だよ」
どう、思っている……?
簪さんのこと、更識楯無のこと?
関係性の濃度がどれくらいなのか数字として推し量ることは出来ないが、薄っぺらく浅はかでは無いと思う。
少なくとも……気にかけられていたという印象は、ある。
特に簪さんとは過ごす時間も長かったから色んな事を話したし……話し過ぎたこともあった。
「自覚があるかは兎も角としていっくんはね、何とも思ってない人から“好き”なんて言われても歯牙にもかけないよ」
「…………」
「興味の欠片も無い輩がどうなろうと感情を揺れ動かしたりなんかしない、そう云う意味じゃ薄情だよね。……私が言うのも何だけどね」
そうなのかもしれない。
好きの反対は無関心とか何とか聞くが、それが確かに僕の拒絶の仕方だろう。
確かに、あの二人に無関心を貫くのは無理だ。
だけど、
「でも…………わからない」
「うん、何が解らないのかな?」
「だったら、僕はどうしたら良いの……?」
「それは──私が教えることでも、決めることでも無いなぁ」
そうだ。
そんなの、当たり前だ。
自分の事だ。
自分の身に降りかかった事だ。
誰かに決めてもらって、それに沿って進めることじゃない。
だけど、
その道筋が……決められない。
「あはは、そんなに難しいことじゃないよ」
「?」
「待たせれば良いじゃない、そんなの」
待たせる?
「良いんじゃないかな、悩んだって。人間なんだからさ」
「人、間」
「何でそこで言い淀むかな……大事な事なんだしさ、それに向こうだって急いで無いんじゃないかな」
「そう、なのかな……」
「そうだよ。女の子ってね、思ってるよりも辛抱強いんだよ?」
「…………」
「悩んで考えて、それでやっぱり嫌になって放り投げちゃってもいいさ。それが惚れられた方の強みだよ」
そういうものなんだろうか。
やっぱり、良くわからない。
愛とか恋とか、言葉で表すと理屈っぽいのに、直面したら形が無くて掴みどころが無くて……
…………触れたくないって、どこかで思ってる様な気がする。
「焦らなくても良いんだよ、焦る事なんかじゃないしね……」
束さんに頭を撫でられながら、暫くその温もりに浸っていた。
そうして、いたかった。
難産でございました。
とは言うものの、あまり出来に納得出来ていなかったり。