それでも織斑一夏は怒らない   作:あるすとろめりあ改

38 / 43
38話 ワンサイドゲーム

 水で濡らされたハンカチをあてられる。

 柔らかい冷たさがじんわりと広がると呼応する様に赤い血が浸食するみたいにハンカチを赤く染めていく。

 それを見て漸く、ああ怪我をしたのかという実感が沸いた。

 

 

「……ごめんね」

「え、いや……簪さんは何も悪くないよ?」

 

 

 謝られるような事はされていない。

 客観的にも主観的にも、少なくとも一夏は簪に謝罪を求めるような考えには至らなかった。

 寧ろ、余計な事をして自ら怪我をした一夏の方こそ謝るべきでは無いかと。

 

 

「それこそ、ごめんなさい。勝手に飛び出してきて怪我して、ハンカチも汚しちゃって」

「そんな……!」

 

 

 簪さんの表情は「とんでもない!」と言わんばかりに眼を見開かれ、顔も横に何度も振られた。

 

 

「私が強ければ一夏くんがこんな怪我をしなかったのに……」

「うーん……そんな事、無いと思うな」

 

 

 それこそ、一夏が勝手に飛び出したのと、何も出来ずにされるが儘になるしか無かった己の弱さ故に為された結果ではないかと思えたが、それを口に出してしまえば延々と埒が明かなくなると考え、口を噤む。

 

 

「服も汚れちゃったし……」

「いや、服なんて大した事無いよ」

 

 

 実際、一夏は怪我をした事も服が汚れた事も気にしていなかった。

以前にもこんな事があったが、現役軍人による渾身のパンチとは異なり鼻も折れていないし、皮膚を切って出血が多く見えるだけだと思われる。

 服もどこで買ったのか碌に覚えていない様な代物だったし、そもそも一夏はよほど奇異な見た目にならなければ服装なんて何でも良いと考えてしまう程度に無頓着だ。

 今着ている服も束に選んで貰わなければもっと地味で殺風景な物になっていたであろう。

 

 尚も顔と服に付着した血液を拭き取ろうと懸命に試みていた簪だったが、突然それを止めたかと思えば意を決した様な顔をして口を開いた。

 

 

「じゃあ、お礼をさせて」

「お礼?」

「うん。一夏くんに助けて貰ったから……」

 

 

 少し、一夏は戸惑った。

 まさかそんな話になるとは想像もしておらず、あまり助けたという自覚も無かったから。

 

 

「だから、新しい服を買いに行こう」

「そんな寧ろ悪いよ。気持ちだけで充分――」

「……ねえ一夏くん、私ね、気持ちとか態度ってちゃんと形で表したいの」

「う、うん?」

 

 

 それは優しい声色ではあったが、表情と眼からは有無を言わさぬ意思が感じられた。

 驚きと言うか、その覇気の様な感覚に一夏は何も言えずに思わず頷いてしまう。

 

 

「行くよ、いいね?」

「あ、はい」

 

 

 一度埋められてしまった堀はそうそう簡単に掘り返す事は適わない。

 言われるがままに、再び一夏は簪に腕を掴まれ親に導かれる子供の如く従う事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 女尊男卑の現代社会、男性が女性に物を買うという行為が絶滅した訳では無いが、それでも女性が金銭を支払って男性に物を買い与えるという光景は日常茶飯事になっていた。

 一昔前ならまるでヒモだと揶揄されていたソレも随分と認知されている。

 だから、今の構図も世間的に見れば何ら可笑しくない行為なのだろうが…………

 

 

「Tシャツは……このボーダー柄のとかどうかな?」

「う、うん良いと思うけどね?」

「じゃあ、コレとコレと……ついでにコッチも」

「畏まりました」

「ちょっと……?!」

 

 

 血に染まった上着でも買い替えるのかと思って着いてきた一夏だったが、簪は店に着くやいなやTシャツを4つも5つも購入していく。

 殆ど服の値段など見てこなかった一夏は知らなかったが、簪の選んだブランド物のTシャツは5千円や物によっては1万円という額もザラだった。

 つまり、現時点で最低でも3万円は一夏に対して使われた事になる。

 

 

「それと……メンズのサマージャケットはどこですか?」

「此方になります」

「簪さん!?」

 

 

 しかもあろう事か、簪さんはその上に上着まで買おうとしている。

 

 一夏が値段を意識して服を買っていたのは小学生の頃までだったが、その頃の行き着けであったベージュと赤の衣料チェーン店ではTシャツが5千円もするなんて有り得なかった。

 更に次に覗いたサマージャケットのコーナー、チラリと見てみると値札には5桁の数字が刻まれている。

 

 

「ふ、服ってこんな……!?」

 

 

 これを自分の金で買うかと問われれば、丁重にお断りしただろう。

 例え所持金に余裕があったとしても幼い頃から染み付いた貧乏性がそれを許さない。

 しかし……恐ろしい事に、今回に至っては一夏が断っても簪の財布から勝手に買われてしまうのだ。

 一夏は物理的な暴力には屈しないし恐怖も感じない自負があるが、この金を積み上げられるような精神的な暴力には途轍もないプレッシャーを感じる。

 

 

「うーん……でもこのジャケットと組み合わせるとジーパンじゃアンバランスかな」

「え?」

「でしたら、此方のスキニーは如何でしょうか?」

「あ、良いですね」

「ま、待っ──」 

 

 

 一夏が衝撃を受けている内に話はとんとん拍子に進んでいく。

 まさか全身を着替えるが如く買い物が発展していくとは思ってもみなかった。

 促されるがままに簪から渡される衣類を試着しながらも、どう断りの言葉を入れるべきかと一夏の脳内はフル回転する。

 

 

「あ、あの簪さん」

「どうしたの一夏くん?」

「流石に、ここまでして貰うのは申し訳無いと言うか……」

「…………」

 

 

 お礼の気持ちは充分に貰ったからと、このままでは本当に数万円分の買い物を決済しかねない。

 それを何としてでも阻止しようと、未だに品定めを続ける簪へと踏み込む。

 主に、一夏の精神衛生を保つために。

 

 

 

「一夏くんは、私の気持ちを受け取ってくれないの?」

「えっ、いや、そう言う訳じゃなくて……」

 

 

 しかし、それに対して簪さんは冷たい声と眼で返してきた。

 予想外の反応に対して一夏は思わずたじろいでしまう。

 

 

「その、これじゃあお礼の規模が大き過ぎて不釣り合いって言うか…………」

「…………じゃあ、代わりに私のお願いを聴いてくれる?」

「うん、何かな?」 

「もしも今日、一夏くんに予定が無かったら一緒に遊びに行けないかな、って」

「ああ勿論、良いよ」

 

 

 五里霧中の中に人影を見つけたような気持ちで、簪から出された提案にしがみつく。

 冷ややかだった表情も一夏が了承した事で氷解し、穏やかな笑みに戻る。

 ほっと一息をつき…………

 

 だがそこで、油断してしまった。

 

 

「じゃあ、会計もさっさと済ませちゃおうか」

「うん…………うん?」

 

 

 気がつけば、そこはレジの目の前で。

 

 

「お会計、十三万八千円で御座います」

「じゅっ──!?」

「カードで」

「はい畏まりました」

 

 

 防衛省から国家代表候補生へと支給された専用デビッドカードにより、サインいらずの網膜認証で支払いは一瞬の内に終了してしまう。

 そのまま呆然としてる間に商品は袋詰めされていき……その中の幾つかを簪が一夏へと手渡す。

 

 

「着替えたら早速行こう?」

 

 

 約14万という莫大な数字の重圧に、一夏は頷くことしか出来なった。

 

 そして、同時に思い知った。

 この相手に有無を言わさずに衝撃的なお礼を敢行するスタイルは、やはり姉妹(さらしき)なのだと…………

 

 

 

 

 

 

「ISの量子変換をそんな風に使う人なんて初めて見た……」

「まあ、正規の手段じゃ出来ないからね」

 

 

 一夏くんはさっきまで着ていた服と紙袋に納められた衣服を量子変換するとISに収納してしまった。

 本来であれば、量子変換という物は定められた素材で製造した上でソフトウェアによる同期作業を行って初めて出来ることなのだが…………何かと規格外な一夏くんにはそう言った常識は通用しないようだ。

 

 そんな一夏くんは、さっきから新調した服をしきりに気にしていた。

 摘まんでみたりさすってみたりと、落ち着かない様子で確かめている。

 

 

「うん、似合ってるよ一夏くん」

「あ……う、うん」

 

 

 普段、IS学園にいる時の一夏くんは何事に於いても冷静で、どんなに危機的な状況に陥っても顔色を崩さなかった。

 

 でも、今の一夏くんにはそんな姿が見る影もない。

 値札を見る度に眼を大きく見開いて、更に購入する品を増やしていくと目に見えて動揺し、落ち着かずに右往左往とし始める。

 何だかそれが不覚にも可愛くて、らしくもなく嗜虐心の様な物を駆られた私はどんどんエスカレートしていってしまう。

 

 気がつけば、あの購入を断念したフィギュアよりも高額な合計になっていたが……私は微塵も後悔をしていない。

 寧ろ、清々しい気分でさえあった。

 

 今までに見たことの無かった一夏くんの姿を見られたり、少しだけ優位に立てた気がして……何だか嬉しかったり楽しかったりで、彼に対してお金を使うという行為に躊躇いどころか拍車が掛かっていた。

 昔から、まったく働かずヒモと呼ばれる男性を養う女性というのが少なからずいたと言うが…………そんな気持ちも少しだけ理解できた気がする。

 

 

「よし、じゃあまずは映画を見に行こう!」

 

 

 普段から想像が出来ないくらいに声が張っているのが自分でも解った。

 今この瞬間だけは一夏くんの手綱を引けている気がして、そしてそのまま更にグイグイと引っ張って行きたいという欲求が生まれる。

 

 

「えーっと、今やってる映画は……」

 

 

 バッグから端末を取り出し、ショッピングモールの中にある映画館の上映スケジュールを表示する。

 賛否両論の実写化映画や大ヒットした深夜アニメの劇場版、日本でも知名度を抜群に獲得したアメコミヒーローのシリーズや有名俳優のコメディ等が簪にも馴染み深く、興味をそそられた。

 しかし、それを自分で独り観るのならともかく、一夏と観られるかと言えば…………それは心の内で速やかに否定された。

 

 

「あ……」

 

 

 そして目に付いたのは簪も知る著名なハリウッド女優が主演にキャスティングされたラブロマンスだった。

 上映情報と共に表示されるレビューの評価点も悪くない。

 

 

「よし、これにしよう……」

「あ、簪さん映画のチケット代金は──」

「え?」

 

 

 支給されたデビッドカードの決済情報と紐付けされた端末は技術の進歩によりワンタップで映画のチケットも購入出来る。

 一夏に降り注ぐ心の重みが更に積み重なった。




書いてたら長くなったので途中で投下してみたり。
一度振り回されると離されるまで止まらない……!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。