28話 夏のデッドライン
「ん……ふぁぁぁ……」
急に意識が覚醒し、微睡みの中で両腕を天井へと延ばすと、思わず欠伸が漏れ出した。
ショボショボする眼を擦りながら時計の画面を探すと、液晶には【06:27】という数字が刻まれていた。
「まだこんな時間なのぉ……?」
昨夜は動画を見ず早めの時刻に寝たので、遅寝早起きの習慣の反動がこの様な形で表れてしまったようだ。
幾ら早く起きたからと言って、このまま二度寝してしまえばそれはそれで酷い目に遭いそうなので自重した。
「…………一夏くん」
昨日のトーナメントはちょっとした事故で中止になってしまったが、その戦闘技術には舌を巻くばかりだった。
速度や即応性など機体自体の性能にも目を見張る処は多かったが、それを苦も無く扱う織斑一夏とは、一体どの様な訓練を受けてきたのか……
4月にISを初めて触れたとは思えない実力だし、何より彼は…………山嵐に酷似した武装を使用した。
その事について問い詰めたいとは思っていたのだが、どうも昨夜は一夏も疲れている様子だったので、遠慮して自分も早く寝ることにしたのだ。
「お、起きてるー?」
小声で、コッソリと声をかける。
こんな早朝から起きている可能性は低く、もしも起こしてしまえば非常に申し訳ない。
しかし、一夏が起きる様子はなかった。
「疲れてるのかな…………あれ?」
簪は少し違和感を覚えた。
ちょうど一夏を挟んだ向こう側なので初見では気付かなかったが、一夏の胴の辺り、そこが妙に膨らんでいる。
まるでぬいぐるみでも抱えている様な……簪は、一夏が寝入っているのを良いことに、コッソリと近づき、布団を捲ってみた。
そこには、一夏に抱きつき身体を丸めながらスヤスヤと寝ている全裸の少女が────
────全裸?
「きゃあああああっ!!」
「ぬおおおっ!?」
大きくて弾けるような悲鳴に、全裸の少女は飛び起きた。
それでも尚、覚醒する様子を見せない一夏は肝が据わってるのか、それともよっぽど疲れているのか……
「へ…………変態っ! 侵入者! 変質者っ!!」
「何っ、侵入者だと?! どこだっ!」
「あなたです! あなたっ!!」
ズビシっ!と全裸の少女を指差しながら指摘する。
そもそも他人の、しかも異性のベッドに侵入している全裸の少女が変態で無いのなら何を以て変態を定義すれば良いのだろうか?
「失礼な。 私はただ、嫁を起こしに来ただけだ」
「嫁……?」
嫁、息子の妻や新婚の女性を指す語、若しくは妻の同義語。
女編が使われている事から判る通り、女性に対して使われる言葉だ。
ああいや、そうなると婿が男に対して使われているのだからそれは当てはまらなく…………って、そうじゃなくて。
この変態、もとい、少女の言葉の使い方はどうやらその“嫁”が本来意味するものとは異なっているようだが……?
「日本では気に入った異性を『嫁にする』のが一般的な習わしなのだろう?」
「それは違うよっ!!」
「何っ?!」
弾丸で撃ち抜くように、速攻で否定する。
サブカルチャーを親好する日本人として、海外のそのような誤った解釈は正さねばならない、という決意が溢れ出ていた。
「『嫁』に出来るのはね、架空の、アニメやゲームの女の子だけなんだよ!!」
「な、なんだとー!?」
より正しく言えば、それは『二次嫁』の事であり、現実の女性を『嫁』にする事はできる。
だが冷静では無い簪にはそこまで説明できていなかった。
因みに、女性が男性キャラクターを『嫁』と称する事は許容されるケースが多い。
「で、では私は一夏の事を何て呼べば良いんだ……?」
「えーっと…………『ご主人様』かな?」
「む……聴いたことがあるぞ、日本には『家長制度』と言うものがあって、妻や子供は夫に絶対服従しなければならないと…………」
「合ってる、のかな?」
家長制度とは太平洋戦争以前の戸籍や家督制度のことである。
そもそも、昨今の女尊男卑の世の中でそんな事を口走れば袋叩きにされかねない為、ほぼ死語になっている言葉だ。
確かに夫の事を主人や旦那と呼ぶのはその名残だが、簪が『ご主人様』と言ったのは『二次嫁』の対義語が思い浮かばなかったので咄嗟に口から衝いて出たものでしかない。
これも、一概に間違いとは言えないのがオタク文化の闇の深さだ。
「ならば尚更、私にはご主人様を起こす義務がある」
「そっ、それが何で裸なの!?」
今更の指摘である。
「日本では伴侶を起こすとき、この様なやり方が一般的なのだろう?」
「その間違った知識を貴女に植え付けたのは誰っ!?」
サブカルチャーなら『萌え』と称される行為だが、現実でやれば『イタい』行為である。
ただしイケメンと美少女に限り赦される。
この場合、ラウラ=ボーデヴィッヒが後者にあたる為、簪は危機感を抱いているのだ。
「これは私とご主人様の問題だ、口出ししないで貰おうか」
「はっ、はあっ!?」
簪は、この事態をどうすれば良いだろうかと一生懸命に考えた。
「だ、駄目! 一夏くんは私のご主人様だからっ?!」
簪は こんらんしている!
わけの わからない ことばを くちばしった!
「何だと、泥棒猫めっ!」
「私は元々一夏くんと同室だもん! 勝手に入って来たのはそっちでしょ!」
「むむむ……!」
「ううう……!」
一体、何を争っているのか簪本人にも分からなくなっていたが、何故だか負けたくないという感情が湧き起こって来た。
だからか、二人の行動もドンドンとエスカレートしていく。
「一夏くんは貴女なんかに渡さないっ!」
「ほう……私と勝負する気か?」
そして何故か、簪は右手を、ラウラは左手を抱き込むように掴んでしまう。
それも力強く、愛おしそうに。
「うぁー…………なんのさわぎー?」
「ぬっ!?」
「あっ!?」
流石に、至近距離でこれだけの騒ぎを起こせば、誰であろうと目を覚ます。
一夏は目を細めて眠そうにしながら周りを一瞥してから口を開いた。
ら口を開いた。
「ねむいんだからぁ、しずかにしてよぉ……」
「ご、ごめんなさい……」
「すまなかった……」
どことなく不機嫌な声に簪とラウラは抱きついたまま謝罪した。
でも、離さない。
「んぅ…………」
そしてまた、一夏も肝の据わったことに、そのまま何事も無かったかの様に目を瞑ると、そのまま意識を手放した。
「…………寝ちゃった?」
「…………みたいだな」
「これ以上は、流石にね?」
「う、うむ、自重しよう」
こうして、その日の朝はラウラが全裸のまま自室へ戻ることで終局を迎えた。
「なんだか、疲れちゃった…………」
途方もない疲労感を覚えた簪は、一夏に抱きついたまま二度寝してしまう。
○
「とりあえず、話は聴いておいたわ」
「そうですか」
その日の昼、一夏は生徒会室の奥にいた。
生徒会室は二つの部屋がぶち抜かれたような構造になっていて、表側が応接室、カーテンと壁を挟んで執務室に区切られている。
一夏が居たのはその執務室の方で、表側からは見えないようになっていた。
「キミが直接応対してあげれば良いのに」
「昨日の今日ですよ? 嫌に決まってるじゃないですか」
一夏は楯無の話を半分聞き流しながら、書類に書き込みと判を押していた。
それらはシャルル=デュノアに関するもの。
内訳は、名義の変更とクラスや寮の転出届など……
つまり、改めてシャルロット=デュノアとして入学し直し、今までと別のクラスと寮の部屋を用意するための手続きに勤しんでいたのだ。
「それにしても、意外だなぁ……」
「何がですか?」
「キミがここまで熱心に頑張ってあげてる事がよ」
「まあ………生徒会を頼れと言ったのは僕ですからね」
思い起こすのは、昨日の大浴場での会話。
一夏は生徒会副会長としてなら相談に乗れると、断言してしまった。
だからこうして、生徒会副会長としてその仕事に従事しているのだ。
「一夏くんってさ、もしかしてツンデレ?」
「ありえません」
バッサリと即断する。
ツンデレと言うのは、簪さんの視ているアニメに出てくる『べ、別にアンタを助けに来たわけじゃ無いんだからね!』なんて台詞を言うキャラクターのことだろう。
断じて違う。
「ああ、でもツンデレってより一夏くんはクーデレって感じね!」
「話、聴いてます?」
「何ていうのかな……『仕方ないからやっておきました。別に、自分の為ですから』とか言っちゃうみたいな?」
「…………」
どうしよう、何だか心当たりがある気がする……
と言うか、たった今やってる行為がそれに該当するのではないだろうか?
「なんか、そう考えると途端に可愛く見えてきたなー」
「って、何してるんですか?」
「キメてんのよ♪」
作業をしている右手では無く、反対の左手を掴みあげるとそのまま捻りだした。
所謂、関節技と言うやつで、本来想定された可動域から大きく外れた方向に動かされ、ギシギシと変な音が聞こえる。
痛みは無いが、何だかくすぐったいと言うか、違和感がある。
──ガクンッ!
「がくん?」
「あっ」
急に、左肩に力が入らなくなった。
見てみると、脱臼しているようで、左腕がブランブランしている。
それを見て慌てた楯無だったが、直ぐに関節をはめ直してくれた。
「何するんですか?」
「ごっ、ごめん! 全然痛がらないから加減がわからなくて…………」
確かに、痛いと悲鳴をあげられた方が躊躇してストッパーになるかもしれない。
だが、痛くないものは痛くないのだ。
「って言うか、こんな簡単な関節技ぐらい回避してよ……」
「無茶言わないでください、僕は格闘技の経験も無いんですから」
「え…………あんなにISで強いのに?」
「ISと生身じゃ別物でしょ」
そもそも、ISで近接格闘戦を行うときはISがモーション・アシストをしてくれるから、頭の中で想像した通りの動きが実際にできるのだ。
対して、生身で同じ事をやろうとするには自分の肉体がどこまで動くのかを把握したり、その動きを繰り返して咄嗟に行えるように訓練しなければ“技”にはならない。
IS戦では生身とリーチが異なり、格闘技はあまり役にたたないと考えた一夏は、生身での戦闘技術を有していないのだ。
「それに、必要無いでしょう。 ISならパワーだけでなく反射神経も向上してくれますし」
「いやいや、学外に出た時とかに襲われたらどうするのよ?」
「学外…………?」
「一年生は来週、臨海学校があるじゃないの。
学園の外では基本的にロックが掛けられて、ISは展開出来ないわよ?」
「あっ」
そう、一年生は7月の頭に臨海学校がある。
正式には校外特別実習と言い、ISを狭いアリーナでは無く、実際に運用される事が想定される海上で実地訓練を行うというものだ。
何故陸上では無く海上なのかと言えば、国土が狭く建築物の密集した日本では、模擬戦の流れ弾によって周辺住民に危害を与え兼ねない為、そういった配慮から海上で行うのだ。
配慮から海上で行うのだ。
「ISの保護機能が無いと暑さで死ぬ……」
「そこなの!?」
些細な問題であるように聞こえるが、無汗症の一夏にとって猛暑は天敵である。
これがやっかいな話で、熱さは感じないのだが暑さは人一倍感じるのだ。
そもそも、一夏は元来暑がりであり、この無汗症との相性は最悪で、場合によっては本当に死へ直結する。
「そんな事よりも一夏くんは身体を鍛えた方が良いと思うのだけど?」
「僕にとって暑さは本当に死活問題なんですよ……」
汗っかきなのに汗をかけないという矛盾。
人間というのは発汗が無ければ体温は直ぐに上昇してしまう生き物だ。
41度で痙攣が起こり、42度では細胞が破壊されていく。
意識障害で終わればまだ良いが、高体温が維持されれば中枢神経や心臓、肝臓、腎臓などの臓器に致命的な障害が起こり、最悪の場合は死亡する。
「会長の力で部分展開の許可って降りませんか……?」
「え、臨海学校の時? 流石に生徒会の力でも司法には勝てないわね…………」
「………………」
「ちょっ、何よその冷めた目は?!」
「いいえ、別に何でも無いですよ?」
「今、絶対に目で『この無能め』とか言ってた!
わかった、いいわよ! 更識楯無の名にかけて、部分展開の許諾を絶対に得て来ようじゃないの!!」
更識楯無がそう高らかに宣言すると、そのまま生徒会室を飛び出して行ってしまった。
「別に煽ったわけじゃないんだけどな…………」
因みに、更識楯無はその後、本当に一夏のIS部分展開の許諾を得てきてしまった。
しかも、内閣防衛省大臣の判付きの。
余談ではあるが、この承諾の見返りとして生身での訓練やその他諸々の要求をされたが、流石に断るのもどうかと思い、了承した。