6月も半ばに入り、徐々に気温も高くなっていく今日この頃。
制服も生地も薄い夏服への移行期間であり、一夏もあの血塗れの制服はクリーニングに出してしまい、今は夏服の上着を着用している。
しかし、IS学園の制服が白いのはISの原典たる白騎士の影響からだと言うが、シミが出来ると中々落ちないのは勘弁願いたいものだ。
なんて愚痴を胸の内で抱きながら食堂で朝食を摂っていると、鈴木さんが寄ってきて話しかけてきた。
何というか、この流れも習慣化しつつある様な気がする。
「一夏くん、今月末の学年別対抗戦のペア決まったー?」
「ペアって?」
「あれ、もしかして一夏くん知らないの?」
意外そうな顔をしながら鈴木さんは一枚のA4用紙を鞄から取り出すと、見せてくれた。
「えーっと、学年別トーナメントの申し込み用紙?」
「うん、それと要項がくっついてるんだけどね、ココ見てみて」
「『より実戦的な模擬戦を行うため、ふたり組での参加を必須とする』…………へぇ」
どうやら、学年別トーナメントの仕様が何時の間にか変更されたようだ。
恐らくはクラス別対抗戦における無人機騒ぎが原因なのだろうが……兎も角、学年別トーナメントに出場するにはエレメントを組まなければならないらしい。
「それで、一夏くんは──」
「一夏くーん、私と出ない?」
「君さえ良ければ私と組んでくれないかな?」
「織斑くん、あたしと恋人を前提にペアになってください!」
「ウチと契約してペアになってや!」
「ちょっ、ちょっと!今は私が話し掛けてたのにーっ!」
暫くすると、ワッとまるで特売品を狙わんとする主婦の如く、女子生徒たちに囲まれた。
良く見ると、5組以外の生徒も続々と集まっている。
推測でしか無いが、女子たちの間では男子と組むことがステータスになり、他の生徒たちよりも優位に立ちたいが為にこの様な行為に打って出たのでは無いだろうか?
飽くまでも憶測の域は出ないが。
「あー……ごめん、まだペアどころか学年別トーナメントに出るか決めていなくて…………」
クラス別対抗戦とは異なり、学年別トーナメントは自由参加種目だ。
別にメリットが全く無い訳でもないが、挙げるとすればどこぞの国の軍関係者だとかIS関連系企業からのスカウトに目を付けられ、将来的な就職が有利になる……といった処だろうか。
正直、一夏としてはその辺りはどうでも良く、アピールしたい訳でも目立ちたくない訳でも無いという中途半端な状態にある。
「そっかぁ、無理強いするのは良くないよね」
「でも、もし参加する事になったら私とペアを組もうね!」
「いいや私が!」
「ほんならウチが…………って、どうぞどうぞってならんのかいっ!」
「そりゃ、ならないっしょー」
(…………随分と賑やかな事だ)
それが良いことなのか悪いことなのか、一夏にはとんと判らぬが。
だけどやっぱり、この空気を愉しいと感じることは出来ている。
そしてそれはきっと、少なくとも一夏にとっては良いことなのだろう。
○
「さて、と……」
四限までの授業が終わり、昼休みになると一夏は今日の昼食をどうしたものかと思案し始めた。
食堂で食べるも良し、購買で菓子パンを二三個買って食べる事もできる。
さてどうした物かと考えていると──
「え、一夏くん?あそこにいるけど……」
「…………?」
誰かに呼ばれた気がしたので教室のドアを見ると、そこにはクラスメイトの一人と見知らぬ一年生の姿が見えた。
暫く見ていると、クラスメイトの女子が一夏に近付いてくる。
「一夏くん、篠ノ之さんが用事があるって」
「
その名には反応したが、教室の外で待つ女子の顔に見覚えが無い────いや?
昔、どこかで見掛けた事があるような…………
記憶を探っていると、
「…………少し、来てくれないか?」
○
そして、その
「その…………久し振り、だな」
「……」
話の内容からして、やはり昔にどこかで会った事がある人物のようだ。
篠ノ之……昔……束さん…………道場?
「ああ……」
篠ノ之箒。束さんの妹だ。
彼女の顔を見たことは何度かあったが、直接会話した事は────無かったかもしれない。
そもそも彼女は織斑十春の
篠ノ之神社の境内にあった道場で剣道と称した暴力行為が行われていた際に、視界の隅の何処かに彼女がいた様な気もする。
どちらにせよ、束さんの妹で無ければ完全に記憶から消えていたかも知れない位には稀薄な関係だったと思う。
「………………何と、呼べば良いだろうか?」
それは、二人称の事を言っているのだろうか?
「お好きにどうぞ?」
「では……一夏、と呼んでも良いか?」
「ええ」
呼ばれ方に拘りは特にない。
だから、好きなように呼んで貰おうと思った。
「それで?」
「今更、虫の良い話だという事は分かっているのだが、どうしても謝りたいと思って……」
「え、何をですか?」
「…………私は、あの時……ただ観ているだけだった」
「はぁ……」
「本当に、何もしなかった…………嫌われるのを怖れて止めもせず、自分の手を汚す事を嫌い傷付けもしなかった……」
傍観者。
彼女の話から思い浮かんだワードはそれだった。
「今思えば、私は幼くて無知で馬鹿で…………いや、それは今も変わらないか……何と詫びれば良いのかも判からないのだからな…………」
「いえ、別に……」
「独り善がりな自己満足だと自分でも思う!それでも!それでも…………私は、謝りたいんだ……っ!」
そして、彼女は頭を垂れたかと思えば…………そのまま膝を地に付けて、土下座をしだした。
突然のことに、戸惑いを隠しきれない。
「ちょ、ちょっと…………?」
「すまなかった……私は、何もしなくて…………何も出来なくて……」
「…………」
「ごめんなさい…………」
さて、この状況をどうしたものか?
僕としては、別に怒ってもいないし非礼を詫びて貰いたい訳でも無い。
薄情かも知れないけれど、今さっきまで篠ノ之箒という人間の存在さえ忘れていた位だ。
だから、こうして土下座をしてまで謝って貰っても気が晴れる訳では無いし、寧ろ心苦しささえ感じてしまう。
「……それで、良いんじゃないでしょうか?」
「え…………?」
「上手く言えないんですけどね、謝罪って相手が許してくれるかどうかじゃなくて、その気持ちを見せるって事が大事だと思うんですよ」
「…………」
「だって、許すかどうかって本人の気持ちですし、それをどうにか自分の思い通りにしようって言うのは何か違うような気がして……
だから、今の謝罪に申し訳ないって気持ちが籠もってれば、それで大丈夫だと思いますよ?」
顔を上げて、暫く呆けた顔で此方を見上げていた。
かと思えば…………急に眼に涙を溜め、声を出さずに泣き出してしまう。
「えっ、えっ?!」
「まさか、優しく説教をされてしまうとはな…………これなら、まだ罵倒してくれた方がどんなに気が楽だったか」
「えっと……ごめんなさい?」
「違う…………悪いのは私だ。
ああ、私は何と惨めなことか…………何と、思い上がった……」
そして、大粒の涙が眼から溢れ出して滴り落ちていった。
…………謝られていたのだから、悪いことはしてない筈なのに、何故か罪悪感さえ覚えてしまう。
「ああ、すまない…………謝りに来たのに寧ろ気を悪くさせてしまったな……」
「いえ…………」
「どうやら、私には謝る資格さえ無かったようだな…………わざわざ呼び出す様な真似までして、本当に迷惑を掛けてしまった」
それから、逡巡するように口を閉ざしてから俯く。
そのまま暫くそうしていたが、また視線を戻し語り始めた。
「迷惑なだけかも知れないが、何か私に出来る事があったら声を掛けてくれ。
全身全霊で、何としてでも完遂する所存だ」
「あ、はい」
凄い気迫で言うものだから、思わず頷いてしまった。
その後も頻りに謝罪の言葉を述べると、彼女から先に屋上を後にした。
○
隣のクラスだったから、一夏くんが誰かに先導される様に屋上へ向かう姿は教室の中から偶然、見えた。
何て表現したら良いのか分からないけど、一夏くんを連れ出した女の子は……雰囲気がちょっと普通じゃなかったし、どうしてわざわざ屋上まで連れて行くのだろうかと、気になった。
そして、尾行するように二人の後を追いかけて……悪いことだとは分かっていたけど、私は身を隠しながら聞き耳を立てた。
『すまなかった────ごめんなさい』
「謝ってる……?」
女の子の話している言葉から察するに、彼女は一夏くんの昔からの知り合いのようだ。
そして、その昔の事について、何か謝罪をしている。
だけどその詳細までは、分からなかった。
「………………」
暫くして、女の子の方から先に屋上を離れた。
私は見計らい、階段を下りて廊下に差し掛かった所で話し掛ける。
「あの…………」
「ん?」
「ちょっと、お話し良いですか?」
「構わないが……あなたは?」
「私……織斑一夏くんのルームメイトで、更識簪といいます」
「!……そう、か」
「その、悪いとは思ったんですけど、さっきの話を聴いてしまって…………」
「…………」
「一夏くん、昔に何があったんですか…………?」
私の話を聴くと、まるで見定める様に私の顔をジッと見てきた。
「何故、そんな事を聴く?」
「先日…………一夏くんのお兄さんとドイツの代表候補生の人が戦っている中へ割り込んだ時、一夏くんの眼がとても冷たくて……」
「ああ……君は、あの時に助太刀に入った…………」
「あの場に、いたんですか?」
「私は、その時も傍観者だったな……」
○
それから、場所を移してから篠ノ之箒さんは昔の一夏くんの事を話してくれた。
道場での暴力や、一夏くんがお兄さんと比較され続けたこと…………
そして、学校でも独りぼっちだったこと等、篠ノ之さんの知りうる限りを。
「何故、一夏に暴力を振るっていたのか……それは今の私にも判らない。
顔が似ていたからなのか、それとも一夏の何かに嫉妬したのか……」
「…………」
それは、とても悲しい話だった。
少しだけ……ほんの少しだけ、一夏くんの気持ちがわかる気がする。
私も、お姉ちゃんと比較されて、そして周りにからは“更識楯無の妹”としか見てもらえなかったから。
でも一夏くんはそれだけじゃなくて、当のお兄さんから暴力を振るわれ…………存在を否定された。
「それじゃあ……一夏くんはお兄さんを恨んで──」
「いや……一夏は、織斑十春を怨んではいないだろう……」
「え…………どうして?」
「そうだな……例えば、道すがらに対面から走ってくる見知らぬ者と出会い頭にぶつかったら、どうする?」
何となく、駅の中で誰かとぶつかる所を想像した。
そうなったら、私は…………
「えっと、無視すると思います」
「そうだろう、小言の一つでもぶつける事もあろうが、まさか殺意を抱く者はそうそういまい」
「…………じゃあ」
「織斑一夏にとって、織斑十春とは路傍の石に過ぎない」