一夏と更識簪は色んな事を話し合った。
共同生活を行う上で必要なこと、シャワーの使い方や着替え中の時の合図、他にも細かいことを幾つか。
それから、個人的な事について少し話をした。
「へぇ……更識さんは日本の代表候補生なんだ!」
「うん………」
「じゃあ、出来る事なら色々と教えて貰えたら嬉しいなぁ」
更識簪は、積極的に会話をするようなタイプの子では無かったが、一夏が話し掛ければ嫌がらずに応えてくれたし、国家代表候補生である事も教えてくれた。
少し緊張が見えるので、まだ打ち解けられていないだけなのかもしれない。
「あの…………さ」
「うん?」
ここで、初めて更識簪の方から話を振ってきてくれた。
信頼関係の構築は小さな事から一歩ずつ、初日から進展が見えたのは僥倖だ。
「織斑くんは…………」
「一夏で良いよ」
「え?」
「ほら、織斑だと二人いるからね?」
「あ……うん」
「だから、下の名前で呼んで貰えた方が嬉しいかなって」
「えっと……一夏、くん?」
「うん、改めて宜しくね、更識さん」
「………………うん」
話の腰を折ってしまったが、少しずつ警戒が解れていくのが見て取れた。
「それで、何かな?」
「えっと……一夏くんは…………」
しかし、更識簪はそこで言い淀んでしまい、そのつづきが中々でてこない。
「ん?」
「…………ごめんなさい、やっぱりなんでも無い」
「……そっか」
気が変わってしまったのなら仕方がない。
無理をして聞くことでも無いし、話はそこで打ち切りにした。
「じゃあ、僕はちょっと飲み物を買ってきます。
簪さんは何か飲みたい物ってある?」
「え……と、ヒーローサイダーで……」
そう言えばと部屋の奥側、更識簪のエリアを見ると、特撮やアニメのグッズが所々に配置されていた。
「好きなんだね、ヒーローが」
「う、うん……」
「オッケー、ちょっと待っててね」
自分の荷物の中から財布と端末を取り出し、部屋を出た。
○
部屋を出てから少しだけ歩いた頃、IS学園の生徒では無い女性とバッタリ出くわした。
とは言え、生徒では無いだけで不法侵入者ではない。
彼女は、この学園の教師で、しかも寮長だった。
「一、夏…………」
「こんばんは、織斑先生」
「っ……!」
教師の名前を呼ぶと、何故かその顔から動揺が伺えた。
何か、挨拶を間違えただろうか?
「…………今はプライベートの時間だ。敬語を使う必要も無いだろう」
「そうですか」
「…………」
「久し振りだね、千冬姉ぇ」
「ああ……久し振りだ、一夏」
彼女の名前は織斑千冬。
つまり、この学園の教師で、元ブリュンヒルデにして僕の姉だ。
「…………この4年間、お前の事を探し続けた」
「そうなんだ」
「だが、終ぞ見つける事が出来なかった…………今日、この日まで。
いったい、お前はどこに行っていたんだ?」
「色んな所に行ってたよ」
僕はただ、事実だけを伝えた。
「一カ所に留まっていた訳では無いから……ああ、ドイツに居たこともあったよ」
「何……!?」
「その頃、千冬姉ぇはドイツ軍で教官をやってたよね。遠目で見たけど、格好良かったよ」
「そんな……………だったらどうして声を掛けてくれなかったんだ!」
「だって、僕は別に千冬姉ぇを探してなかったし…………」
「え…………」
その言葉を聞いてか、千冬姉ぇの顔はピシッと凍り付いた気がした。
「あの頃と同じだよ、僕はただ家事をしてただけだから、僕がいなくても織斑家は成り立ってた。
実際、僕がいなくなっても、何も困らなかったでしょ?」
「何で、そんな…………っ!」
「十兄ぃは、面倒くさがり屋だけどやる気になれば料理は出来たし。
結局、料理も掃除も洗濯も、2人がお情けであたえてくれた役目に過ぎなかったんだよね」
「そんな事は、無いっ!」
織斑千冬は酷く激昂している様子だった。
興奮気味と言い直しても良い。
だから、今は何を説明しても冷静に聞くことは出来ないだろう。
そう思い、話はここで打ち切る事にした。
「じゃあ千冬姉ぇ、もう行くか──」
「…………怨んで、いるのか?」
「え?」
「お前を4年間見つける事ができなかった私を……っ!見捨てたと思って、怨んでいるのか?」
「嫌だなぁ、千冬姉ぇ……」
本当に、何の冗談だろうか。
そう言えば、偶に千冬姉ぇはこうやって笑わしてくれたことを思いだした。
「僕が千冬姉ぇを怨んだり何か思ってる訳無いじゃない」
「一夏…………」
「じゃあ、僕は用事があるから、これで」
「ああ、解った。またいずれ、話そう」
そうして、千冬姉ぇは見送ってくれた。
○
「よっ、と」
適当な窓から乗り出し、壁を伝いながら登ると寮の屋上へと辿り着いた。
ここは立ち入り禁止の場所だったが、今からやることを考えれば、その方が都合が良かった。
私物である端末を取り出し、とある人物の端末へコールをする。
そして殆どラグもなく、その通信に応えがあった。
『もしもし、カモシカ~!やあやあいっくん!愛しの束さんだよ!』
「こんばんは束さん、昨日ぶりだね」
『そうだねぇ、もう一日も経っちゃったのかぁ…………』
通信の先は、篠ノ之束さん。
あのISの開発者にして、僕の保護者のような人。
この2年半は束さんの庇護下にいたのだから、その表現もあながち間違いでは無い筈だ。
どうして一夏がIS学園に入学する事になったのか、その原因の大分を束さんが占めていた。
何気なく《いっくんって小学校中退だよね》という会話から始まり、それを肯定すると《一度、学校にきちんと通っておいた方が良いよ》という鶴の一声で、入学が決定した。
わざわざ戸籍や学歴を改竄してまで。
『学校生活は楽しいかい?』
「んー、まだ初日だからねぇ……」
それから、今日あった事を話す。
クラス代表に選ばれた事や、女子と同室になったこと…………
『むっ、大丈夫いっくん?襲われたりしてない?』
「普通、逆なんじゃないかな?」
『そんな事無いよ、女の園のメスは獣だからねぇ』
IS学園のOGである束さんが言うと、何だか信憑性がある。
まあ、無防備になりすぎない様に気をつけておこう。
「ああ、それと……面白い事でも無いけど、織斑先生と今さっき会ったよ」
『あー、ちーちゃんどうだった?』
「普通だったよ、4年間どこに行ってたんだとか聞いてきたけど」
『そっかそっかー』
軽く流す辺り、束さんもその辺はどうでもよさそうだ。
確かに、毒にも薬にもならない話題だった。
『あっ、クーちゃんがいっくんとお話ししたいって!替わるねー』
『もしもし、一夏様……』
「ああ、もしもしクロエ。そっちはどう?」
『ええ…………一夏様が一通り家事を仕込んでくださいまして助かりました。そうでなければ、今頃……』
「まあまあ」
クロエ=クロニクル。束さんの拾ってきたドイツ人の少女だ。
実行犯は一夏だが、そこは問題では無い。
クロエは当初、軟禁生活が長かったら為か、家事どころか日常生活にも支障を来す程だったが、最近では一夏も料理や基本的ながら家事を教え、まともに生活出来るようになっていた。
だから、今夜の束さん達の夕食もカップ麺や黒炭では無い筈だ。
「時々抜け出して顔を出しに行くから、心配しないでよ」
『はい、解りました』
「帰るときには何かお土産を買っていくよ、何が良い?」
『私は……一夏様と束様がいるだけで充分です!』
「…………そっか」
取りあえず、何か美味しい物でも買っていく事を胸の内で勝手に決めた。
三人で食べられるようなお総菜か、ケーキが良いだろうか?
『それじゃあいっくん、何か困った事があったら直ぐに連絡してね~
あっ、毎日掛けてきても良いんだよ?』
「なるべく細かく連絡を入れるようにするよ」
『オッケー!じゃあ、おやすみなさい』
『おやすみなさいませ』
「うん、おやすみ」
通信が切れるが、余韻に浸るように暫く端末を耳元に付けたままにした。
見上げて、満天の星空と月を眺めてから、屋上から元の窓へと降りたった。
「さて……ヒーローサイダーを買ってから帰らないとね」