少女Aの憂鬱   作:王子の犬

9 / 25
★9 航空部へようこそ

 いつもより少し早めに登校して教室に入るなり、私と(ケイ)は世にも珍しい光景を目にした。

 篠ノ之さんが自席で頭を抱えて思案に暮れている様子だった。彼女の周囲を鷹月、布仏さん、相川、セシリア嬢に子犬ちゃんが取り囲み、好き勝手に昨晩のことを話し合っていた。

 カバンを置いて野次馬根性を隠そうともせずセシリア嬢たちの輪に割って入ると、なぜかみんなが私の顔を見つめてきた。

 

仲人(なこうど)が来たよー」

 

 相川が茶化すように言った。更識さんと篠ノ之さんの仲を取り持つようなことはしたけれど、恋愛成就の神様の役目を果たしたつもりはなかった。そもそも更識さん本人が友達になりたい、と言っただけで子犬ちゃんを除いた全員が誤解していたにすぎない。昨晩といえば、突然の告白でショックのあまり気を失った篠ノ之さんを介抱するだけで精一杯で、織斑が彼女をお姫様だっこで自室に連れ帰ろうとしたものだから、食堂中が騒然となって事態の収拾を図ることがかなわなかった。

 私は真実を知っているであろう子犬ちゃんを困惑した瞳で見つめると、彼女は私の横に立って耳元でささやきながらセシリア嬢の理解度に言及した。説明が終わってセシリア嬢を見ると、わざとらしく咳払いをしたかと思えば、

 

「わたくしは更識さんの恋路を邪魔するつもりはありませんわ」

 

 と頬を赤らめ、少し上ずった声を出しながら恥じらいの表情を浮かべ、目が泳いでいた。

 私は子犬ちゃんに向かって残念極まりない視線を注いだ。セシリア嬢は理解するどころますます誤解を深めていた。彼女がセシリア嬢に説明を試みた状況を想像すると大体こんな所だ。例のダブルベッドで子犬ちゃんに抱きつきながらピロートークを交わしていたのだけれど、愛玩動物にじゃれつくばかりでほとんど聞いていなかった、というのが相場だろう。セシリア嬢に限ったことではなくこの私ですら子犬ちゃんを見ていると、所有欲をかき立てられて抱きしめたってなで回したくなる。布仏さんが暴走するくらい可愛い女の子だ。時々布仏さんが子犬ちゃんを見る目がおかしいので彼女の貞操のためにも要注意だった。

 

「篠ノ之さんが女の子といちゃついている隙に織斑君を取ろうって魂胆だね? わかってるよ」

 

 鼻を鳴らしながらそっぽを向いたセシリア嬢を、相川が何度も肘で小突いた。

 

「ななな、そんなことはないですわ」

 

 あからさまにうろたえる姿に鷹月が目を細めて、

 

「ふーん。そうだったんだ」

 

 と言ったものだからセシリア嬢は声を荒げ、必死に否定を始めた。

 

「違います。篠ノ之さんは立ち振る舞いが凛としていてとても格好いいですから、女の子があこがれてもおかしくない、と言いたいだけですわ!」

「あこがれとかそう言う意味なら私は篠ノ之さんのお顔が大変好みです」

 

 私は常々公言していることを補足として口にした。

 

「それみなさい。彼女だって篠ノ之さんが好きだと言ってますわ」

「好みと言っただけで好きとまでは……まあ好きか嫌いか選べと言ったら好きだけど」

 

 私は淡々とコメントを入れた。恋人にしたい、とかそういう口ぶりではなかったので、この場にいるみんなはちゃんとわかってくれたようだ。

 

「私もー」

 

 布仏さんが袖に隠れた手を挙げる。とろんとした表情で今一真剣味が足りない様子だけれど、本気で好きですなどと言われてしまったら浅学非才の身では対応しきれない。

 思慮深い様子でみんなの話を聞いていた鷹月が顎に手を当てながら口を開いた。

 

「外野がいろいろ言っても決めるのは篠ノ之さんなんだよね」

 

 その言葉に全員でうなずいた。頭を抱えたまま話の輪に入ってこない篠ノ之さんに視線を落としたのだけれど、私はうっかり懐に入れていた携帯端末を取り出して、顔を上げた彼女の悩み苦しむ表情をカメラに納めていた。

 

「……お前か」

「ごめん。つい」

 

 私はすぐに謝ったけれど、いつもなら厳しくとがめてくる場面で、彼女は実に素っ気ない口調で周囲を見回したに過ぎなかった。

 心ここにあらず。そんな表現がぴったりな顔つきで真実を知る身としては心苦しく思った。

 相川が篠ノ之さんの顔をのぞき込んで、ちょうど彼女の目線の上に慎ましやかな胸を見せつけた。

 

「篠ノ之さんは中学までにこういった経験はないの?」

 

 その話には私としても興味があった。篠ノ之さんは考え込むようにして少し間を置いて話し始めた。

 

「あるにはある。しかし、男に告白されたことはあっても……女に告白された経験はないんだ」

 

 セシリア嬢と(ケイ)が互いに顔を見合わせ喜色を浮かべた。布仏さんと相川は目を輝かせた。しかし鷹月の表情が全く変わらなかった。

 相川は相づちを打ちながら興味津々な様子で告白の件を聞き出そうとしていた。

 

「そうだよねー。篠ノ之さんだもん。男の子の一人や二人に告白されててもおかしくないよね。告白にはどう答えたの?」

 

 相川が背筋を伸ばしたかと思えば腕を組み、したり顔で何度も頷いていた。

 

「もちろん丁重に断った。私みたいな無骨者と付き合っても楽しくないだろうし、それに……親が転勤族だったから付き合いだして仲良くなったとしてもすぐに別れが来る。大体ほとんど顔を合わせない女に惚れるのかはなはだ疑問でもあったしな」

「引っ越しちゃうと縁が切れちゃうからね……仕方ないか。私なんてクラスの男子に告白したことがあったけど、あっさり振られたもんね。当時ガリ勉だったってのもあったんだけどね」

「え? そんな風に見えないだけど」

 

 私が驚いて口をはさむと、相川が苦笑をまじえつつ携帯端末を取り出すと、中からある写真を表示させ、篠ノ之さんも一緒になってのぞき込んだ。

 

「髪長っ、眼鏡ダサっ」

 

 友人か誰かが自席に座る相川を撮った画像だった。中学校の制服と思われる紺色のセーラー服を着ている。目の前でへらへら笑う相川と写真の中の、他人とは積極的に接点を持つことを好まなそうな少し暗く(はかな)い雰囲気をまとった中学生が同一人物だとすぐには理解ができなかった。

 

「IS適性検査を受ける前の写真だからね。ぱっとみ地味子だったんだよ?」

 

 今の相川は一見して活発な印象を与える。喋り方もそうだし身だしなみもそうだ。

 篠ノ之さんが写真の中の相川を見て、優しい顔つきで言った。

 

「せっかく伸ばしていたのにな。もったいない」

「男の子に振られて落ち込んでたけど、IS適性で結構いい数値が出たからがんばろうって思って、思い切って切っちゃった」

「私が男だったら付き合っていたな。絶対」

 

 誰に聞かせるつもりのないその一声を聞いて、突然相川がうろたえた。どうやら篠ノ之さんと付き合う自分を想像したらしく、下衆な考えにこらえきれなくなって肩をすくめながら羞恥に顔を赤らめ、すぐに取り繕うように明るく振る舞った。

 

「篠ノ之さんみたいな男の子がいたら付き合っちゃうかも」

 

 私も相川にならってTS(性転換)版篠ノ之さんを想像してみることにした。約束の樹の下で告白する私。一世一代の告白を受け入れる篠ノ之。晴れて交際することになった私たち。悪くない想像だと思った。

 

「ということで私の意見は、付き合っちゃいなよ、です」

 

 相川はおおむねセシリア嬢の主張をより斜め上に解釈した意見を述べた。したり顔な彼女に篠ノ之さんは驚いて目を丸くしている。まるで信じていたのに裏切られたかのような顔つきだった。

 

「お、おい――みたいなこと」

 

 篠ノ之さんが私の名前を例えに挙げ、彼女の中で私の評価がどんなことになっているのか垣間見た気がしたけれど、相川の発言を補足しようと口を開いていた。

 

「百合のつぼみがゆっくりと花開く姿を見たいんですね。相川さん」

「さすがえーちゃん。理解が早い」

 

 おそらく鷹月も同じ事を考えたのだろうな、と邪推してみたけれど、彼女は素知らぬ様子で決して本性をさらけ出すようなことはしなかった。

 相川の好奇心丸出しな発言を受けて、篠ノ之さんは反応に困っているように見え、髪を指を絡めては離すというしぐさを繰り返していた。眉根を寄せる様を見れば、告白されたことを好意的に受け取っていたけれど、同性と付き合うのは抵抗がある、といったところか。おそらく友達として付き合うのが落としどころであり、更識さんはそのつもりであの告白をした。最初の「大好きです」が大いに誤解を与えてしまったことは否めなかった。悩む篠ノ之さんをずっと見ていたかったけれど、真実を知る者として誤解は解いておいてやらねばと思い、

 

「ちょっと話があるんだけど」

 

 とまず鷹月の裾を引っ張り壁際へと移動した。鷹月は小首をかしげ、要領を得ない様子だった。

 

「どうかしたの?」

「ちょっと昨日の件について訂正があってね」

 

 私は篠ノ之さんたちに見られないよう手で口を隠して声を潜めていた。身を潜めるような素振りから声を大にする話ではないと察した鷹月は、篠ノ之さんから背を向けるようにして顔を近づけてきた。

 

「更識さんが告白しちゃった件だよね。あの時私も食堂にいたよ?」

「実はですね。あの告白には続きがありまして」

 

 食堂が騒然としたので聞き取れた人がほとんどいなかった、と前置きをすると、鷹月が真剣な面持ちに変わった。

 

「更識さんは、篠ノ之さんと友達として付き合ってほしい、と続けたのです。声が小さくなっちゃって私と子犬ちゃんしか聞き取れなかったみたい」

 

 鷹月は一度うなずいてから、顔を離して振り返りながらセシリア嬢と子犬ちゃんを見やって、再び顔を戻した。

 

「オルコットさんは違うみたいだけど」

「最初の大好き発言で頭に血が上っていたみたいで……ほら、あの試合の後からセシリアさんが織斑を見る目がおかしくなっていたから」

「……なるほど。オルコットさんの様子は私も気付いていたけど、ふうん」

 

 鷹月は目を細めながら私の瞳を直視した。すべてを見透かすような視線にたじろいだ。

 

「いつも真っ先に篠ノ之さんをからかうはずのあなたの態度がおかしかったから。そうじゃないかと思ってた」

 

 再び振り返って篠ノ之さんを見やり、少し間を置いて顔を戻し、

 

「それで私にどうしてほしい?」

「更識さんと友達として付き合う、という方向に持って行きたいから手伝って」

 

 この数日で鷹月はクラス一のしっかり者という立場を築いていた。特に篠ノ之さんに対しては私が話すより、同じことを鷹月が話した方が信用されることもしばしばだった。

 

「そんなことでいいなら……でも誤解は解かなくてもいいの?」

「そのうち本人が気付くと思ってるんだけど」

「そうね。でも、案外意識し続けたら面白いことになるのかも」

 

 忍んで笑いながら、さりげなくとんでもないことを口にした。更識さんが向ける好意やひとつひとつの意識をすべて恋愛感情と結びつけ、感情の扱いに困って悶える少女の姿が見られるかもしれない、とそこまで考えていたら、鷹月は私の目をのぞき込んでにっこり笑いかけてきた。まるでその通りだと言わんばかりのいたずらっぽい仕草だった。

 篠ノ之さんの元へ向かうべく足の向きを変えた私は鷹月に呼び止められた。

 

「あなたって、篠ノ之さんのことが好きなんだ」

「もちろん好きですよ。友達だもの」

 

 その答えに鷹月は目を点にして私を見つめ、そのうちに含みのあるにやけ面を浮かべるや、

 

「応援しているからね」

 

 と背中をたたいて颯爽(さっそう)と私を追い越した。

 私は鷹月の真意を理解しかね小首をかしげていたけれど、再び輪の中に戻った彼女は二言三言雑談を交わしてから篠ノ之さんに問いかけていた。

 

「篠ノ之さんはどうしたい?」

 

 その問いに篠ノ之さんは静かに呼吸をした。

 

「私にはその気はないから彼女と付き合うのは無理だ。しかし友達としてならば違う」

 

 ゆっくり明瞭な発音だった。

 

「なあんだ。答え出てるじゃん」

 

 私が鷹月にした根回しは不要だった。篠ノ之さんなりに考えて出した結論だと思った。

 

「お友達として()()()()()ですね」

 

 わざとお付き合いを強調して、にやけ面を振り向けてからかうような口調になるよう努めた。

 

「更識さんが、その、何だ。そういうのに興味があるとしても、私は友達でいるつもりだ」

 

 咳払いをした篠ノ之さんは案の定誤解したままだった。

 

 

 昼休みになって、更識さんに声をかけた篠ノ之さんは友達になる件を承諾したと簡素な言葉を伝えて、ようやく騒動にけりがついた。四組の生徒から生暖かい視線が篠ノ之さんに向けられていたけれど、気にしても(せん)ないことだった。

 廊下でしのぎんと他愛もない話をしていた私の元に一通のメールが届いた。送信者は姉崎だった。

 

「FWD――転送メール?」

 

 携帯端末に表示された文字列は誰かが姉崎に送ったメールをそのまま私に送りつけてきたことを示していた。本文の中に記された文字列を探すと、霧島晴香、という氏名が表示されていた。部活紹介の時に壇上で話をしていた生徒で、姉崎に岩崎との交渉を押しつけられた先輩だった。時々姉崎と話をしているところを見かけたけれど、飄々(ひょうひょう)としてとらえどころのない人だと記憶している。

 メールには場所と時間が記されていた。

 しのぎんが横から手元をのぞき込んだ。

 

「なになに。第六アリーナ第三IS格納庫、一七〇〇集合。追伸、岩崎に承諾をもらいました。約束忘れないでくださいね! ……って何これ」

 

 しのぎんが顔を上げて首をかしげていた。

 私はヒーロー番組の悪役がするような演技がかった笑い声をおなかから出した。

 

「フッフッフッ。しのぎん、これで更識さんのISが開発できるかもしれないのだよ。悪の組織だって巨大ロボをたくさん作ってるでしょ」

 

 悪魔に魂を売るかもしれないけれど、そのことはしのぎんに言う必要はなく、私がお墓まで持って行けば済むことだった。

 しのぎんは興味津々という様子で聞いた。

 

「それで相手は誰なん?」

「二年の岩崎先輩。航空部の」

 

 笑顔が固まった。耳敏く航空部という言葉を聞きつけた他の生徒がこっそり私を指さして何ごとかささやき始めた。体験入部等を介して先輩方から航空部にまつわる様々な噂を仕入れていたらしい。しのぎんもその一人だった。

 

「水泳部の見学で耳にしたけど。その岩崎先輩は色々な人に恨まれているみたいで、近づかない方がいいって。大丈夫なの」

「多分大丈夫……じゃない。渡りを付けてくれた先輩も苦手みたいなこと言ってた」

「そんなのに更識さんを引き合わせるか……さすがえーちゃんと言いたいところだけど今回はちょっと褒めらんないわ」

 

 私はしのぎんが驚くのも構わずに彼女の両肩をつかんだ。

 

「そこでしのぎん。一緒に()()()()()

 

 航空部にもまともな先輩はいる、と姉崎が言っていたから更識さんを送り届けるくらいはできると思った。

 しのぎんが苦渋に包まれた表情を見せ、両手を顔の前で合わせて頭を下げた。

 

「いや、ちょっと今回は遠慮しとく」

 

 予想通りしのぎんは申し出を断った。私も無理やり魔窟に引きずり込もうとするほど義理人情に欠ける人間ではなかったので、今回は素直に諦めることにした。

 

「わかった。夕方更識さんを連れて悪の本拠地に潜入します」

「おう。行ってこい。(しかばね)くらいは拾ってやるから」

 

 しのぎんの表情が段々明るくなりふざけた調子になったので、悪ノリが高じた私は演技がかった口調のまま腕を大きく広げたかと思えば、

 

「ありがとう。しのぎん!」

「お、おう! 行ってこい!」

 

 としのぎんに抱きついて、その私と同じくらい薄い胸板に顔を埋めていた。鍛え方が違うのか(ケイ)と同じように硬い筋肉で覆われた感触に驚いたけれど、顔を上げるとしのぎんがお化けを見たかのように真っ青な顔をしていた。

 

「……ふうん。早速二組の子に浮気とか、手が早いんだ」

 

 恐る恐る背後を顧みた私は鷹月の冷ややかな目つきに、恐怖漫画を読んだばかりにトイレに行けなくなった夜のことを思い出していた。慌ててしのぎんから体を離し、悪のりを恥じた私たちは何とも言えない微妙な空気をどう表現するべきか、言葉に表すことができずにいた。

 

「う、浮気とか何のことでしょうか」

 

 言いがかりをつけられている気がしていたので抗議したのだけれど、とにかく鷹月の視線が恐ろしくてならなかった。

 

「さっき私のこと――」

「いやいや、そんな助こましみたいなまねしてませんから」

 

 鷹月が言わんとしたことを先回りで否定した。いつ鷹月に好きだから付き合ってよ、みたいな軽い言い回しをしたというのか。彼女は寂しそうな笑みを浮かべてつぶやいた。

 

「残念」

 

 展開についていけず、呆然とするしのぎんに鷹月との関係を説明しようと振り返った。

 

「この子、時々冗談にならないことを言ってくるから気をつけて」

 

 しのぎんは納得していない様子だったけれど、優等生風の雰囲気を醸し出す鷹月から一歩引くように立っていた。

 

「ところで航空部に行くみたいなことを言っていたけれど」

 

 鷹月の口から意外な言葉が出て私は驚いて振り返った。相変わらずの真顔だったけれど、それでいて瞳の奥が興味津々という様子で輝いていることに気がついた。隠すほどのことでもなかったので彼女に理由を説明した。

 

「もう知っているかもしれないけど。更識さんは我が国の代表候補生で、しかも専用機が準備されています。専用機は紆余曲折(うよきょくせつ)があって開発が遅れています。そこで更識さん自身でIS開発ができないか考えました。既に搭乗者による単独開発の先例が存在することから、彼女もそれにあやかろうとしたのです。しかし、IS学園に通学しながら開発を行うのは困難でした。そのため協力者を募ったのです……とまあ、こんな感じ」

 

 目を瞬かせながら聞いていた鷹月は、顎に手を当ててしばらく考え込む素振りを見せ、伏せていた目を上げて私をまっすぐ見つめ、

 

「大体わかった。一緒に行ってあげようか」

 

 とにっこり笑った。

 

「は?」

 

 私は申し出の意味が分からず、間抜けな声を出した。背後でしのぎんのうめくような吐息が漏れ聞こえ、どうやら鷹月の正気を疑っているようだった。鷹月は人懐っこい笑顔を向けていたのが、余計に気味が悪くて、いぶかしむように見つめていたら彼女は理由を言った。

 

「悪の組織に潜入するみたいで楽しそうでしょ」

 

 思わずうなずいて返すと、彼女は遊園地ではしゃぐ幼子(おさなご)のような顔つきをしていた。

 

 

 夕方。アリーナへの連絡通路。空を見上げれば講義棟の屋上に立つ生徒が、両手を広げたくらいの大きなモーターグライダーを助走をつけて空へ送り出した。太陽の下で小さな白い翼を広げたグライダーはエンジンによる航跡を引き、ゆっくり高度を保ちながら旋回している。ISも航空機も何もない空を我が物顔で飛んでいた。

 IS学園上空は学園に許可されていない航空機はいかなる所属にもかかわらず飛行禁止だった。したがって一目でグライダーと分かる形状の小型航空機を所有するのは滑空部以外にないことから、頭上を飛ぶグライダーは滑空部所有のものと推測できた。

 更識さんとは現地で落ち合う約束をしていた。彼女は訓練機を整備するために整備科が間借りしている格納庫に寄ってから第六アリーナに向かうとのことだった。私は鷹月と合流するつもりで第六アリーナの観客席を目指していた。携帯端末を取り出してアリーナの利用者目録を表示させると、そこには織斑、篠ノ之、オルコット、小柄(こづか)、そして数名の三年生の名前が表示されていた。

 目録の中にしのぎんを見つけたので、訓練機の利用者目録を表示させ、最初に打鉄のリストに目を通したら彼女のほかに篠ノ之さんの名前もあった。

 私は織斑たちの練習風景に興味がわいたので、観覧席への道を急いだ。観覧席への出入り口に到達すると風下なのかうっすらと磯の香りが漂っていた。潮風にさらされながらアリーナを見渡せば、眼下にひときわ目立つ白色のISと青色のISが空中での姿勢制御の練習を行っていた。そして彼らと行動を共にする灰色の甲冑(かっちゅう)もまた青色のISの動作をまねするかのように姿勢を変えていた。

 次に鷹月の姿を探した。織斑の練習風景を観覧する野次馬が人だかりをなしていて、その中に手帳を片手にISの動きを追う鷹月の姿があった。

 観覧席の上段通路を通って鷹月に声をかけようと試みたが、彼女の横顔が真剣そのものだったので、わざわざ集中を乱してもいけないと思って騒がしい生徒から距離を置くように一人で腰掛けた。模範演技をしてみせるセシリア嬢の動きを注視していると彼女の動きはある一点を中心とした三次元機動だと分かった。正確な垂直移動、そして正確な水平移動。そして地面に垂直な一本棒が存在したとして、その棒を中心に一定の距離を保ったまま旋回する。打鉄をまとった篠ノ之さんは素っ気ない顔をしながら、大体地面から三〇センチほどの高度を保ちながら軸運動をしてみせたけれど、高度を保持しようと意識するあまり垂直座標にずれが生じ、セシリア嬢に指摘されて頬をふくらませた。

 織斑はといえば篠ノ之さんよりも出来が悪く、軸運動をするつもりでいたけれど垂直座標が大いにぶれて上下に波打ちながら動いたものだから、やはりセシリア嬢に細かい指摘を受けてしょげかえっていた。

 

「へえ。CGみたいだな」

 

 少し前にパトリシア先輩に見せてもらった物体の三次元シミュレーションモデルをビューアを使って「ぐりぐり」動かした時と同じように見え、セシリア嬢の動きがなめらかすぎて浮世離れしているのが興味深かった。

 

「そこの一年生」

 

 私は背後から声を掛けられ、ゆっくり後ろを振り返った。

 

「隣いっかな」

「どうぞ」

 

 私は赤色のリボンを目にして、すぐに席を深く座り直して足を引いて通路に隙間を作った。三年生は私の前を横切ると、左隣の席に腰を下ろした。

 三年生はすらりと背の高い女性だった。褐色の肌にドレッドヘア。どことなく眠そうな顔つきに、たれ目で彫りの深い顔立ちに薄桃色のぽってりした唇がむしゃぶりつきたくなるような色気を漂わせていた。しかも、巨乳かつくびれた腰つきで物凄いヒップをした豊満な体つきに驚き、スカートから伸びた足は筋肉が盛り上がり強靱(きょうじん)な脚力を有すことが見て取れた。

 とにかく色っぽいのだ。正直なところIS学園の三年生は化け物か、と叫びたくなってきた。私が知る三年生と言えば似非宝塚の姉崎と巨乳眼鏡こと布仏先輩、大和撫子(やまとなでしこ)な茶道部部長くらいだ。もしも私が男なら彼女らの写真を入手して夜な夜なむにゃむにゃな妄想にふけるに違いない。

 

「ほーきれいな動きをすんな。さすが宗主国の代表候補生」

 

 隣の三年生は私がいるのも構わず、セシリア嬢の動きを見て嘆息した。セシリア嬢の事を宗主国といったので、彼女の祖国はカナダやオーストラリアあたりだろうか。

 私はアリーナよりもむしろ、彼女が気になって何度もその横顔に視線をやってはそらしていた。

 

「男の方は初心者だな。横にいる打鉄の方がよほど良い動きだわな」

 

 彼女は突然薄桃色の唇を弧のように軽く開け、下から私の顔をのぞき込んできた。

 

「私が気になるのか? ねめ回すような目つきがエロくってエロくって」

 

 彼女は、なはは、と声を上げて笑った。

 そして懐から携帯端末を取り出し、これ見よがしに操作して、ある写真を眼前に提示した。

 

「なっ!」

 

 私は絶句していた。姉崎に送った篠ノ之さんの写真だった。しかも頭を抱えながら(うれ)いを帯びた表情を写し撮ったその写真は昼休み前に姉崎へ送ったばかりの最新版だった。私は友達の写真を横流しした後悔の念で肩を震わせ、喉がからからに渇いていくのがわかった。

 

「あんた、えーちゃんだろ。姉崎に聞いたよ」

 

 教えてもいないのに私のあだ名を呼んだ。しかも姉崎の知り合いだという。恐怖と驚愕を一緒に味わい、私は動揺する心を悟られまいと必死にすっとぼけることにした。

 

「そんなわけないじゃないですか。えーちゃんって誰です? 他人の空似(そらに)では」

 

 とっさに演技するも、やや上ずった声色になってしまい、やばい、と思ったときには彼女が胡乱(うろん)な瞳を向けていた。

 

「おっかしいな。姉崎に聞いた特徴とそっくりなんだけど」

 

 再び携帯端末に目を落としてから、間近で私の顔をのぞき込むと、腕に柔らかく弾力に富んだ豊満な胸が押しつけられているのがわかった。私は焦る心を落ち着かせようと深呼吸をしつつ取り繕うことを止めなかった。

 

「ドドドッペルゲンガーっているじゃないですか。世界には同じ顔をした人が三人いるって言いますし」

 

 まるで説得力のない言い方だった。彼女は私の右肩をしっかりとつかむと、左手で携帯端末を操作して私の間抜け面を表示させていた。

 

「ついでにあんたの写真ももらったんだ。あれー? 同じ顔に見えるけど?」

 

 姉崎が待ち受けに使いたいという理由で撮影した最近の写真だった。隣に(ケイ)がいる上、髪型も一緒でいくら印象が薄い顔立ちと言っても、ここまで証拠を見せつけられてはすっとぼけるのは無理があった。

 

「……すいません」

 

 観念した私はしょんぼりと肩をすくめて謝っていた。

 

「一年生、嘘はいかんよ。()()

 

 すると彼女は眉根を寄せ、鋭い目つきで凄んで見せたので、肝を冷やした私は体を震わせて小さくうめき声を上げていた。どういうわけか、すぐに彼女の怒りの空気が霧散したので少しだけ頭が回るようになった私は姉崎との関係について聞き出そうとした。

 

「あの先輩、先輩もやっぱり」

 

 彼女が私の言葉をさえぎった。三年生だから先輩と呼ぶのは自然だし、彼女の名前を知らなかった。もしかして言い方に誠意がこもっていなかったのだろうか。

 

「ちょっと待った。私のことはダリル・ケイシーだから、()()()()()と呼んでくれ」

 

 R行の発音が日本語とずれていたのだけれど、妙に「さん」を強調していた。名前で呼べと希望しているのだから素直に従うことにした。

 

「だ、ダリルさん。篠ノ之さんが目当てなんですか」

 

 姉崎に送った篠ノ之さんの写真を持っていることはつまり、彼女も同性を性的欲求の対象に見ることができる人種だということだった。これが何を意味するかと言えば、現在私は貞操の危機に瀕していることに他ならない。

 

「うんにゃ。この写真は篠ノ之束博士の妹がどんなかなと思ってもらっただけ。私はストレートだよ」

 

 その言葉にほっと胸をなで下ろした。IS操縦者が篠ノ之さんのお姉さんに興味を持つのは自然だった。何と言ってもISの生みの親でその実妹となれば、織斑みたいなイレギュラーが存在しなければ好奇心の対象に据えられるのは話題性から言って篠ノ之さんだと考えるのが自然だった。更識さんも生徒会長の妹という立場なのでIS学園の中では話題性があっても、謎のベールに包まれた創造者と比べたら一枚も二枚も劣る。

 

「よかった……喰われるのかと思ってました」

 

 ダリルさんは急に何かを思い出したのか、相づちを打つと聞き捨てならない言葉を発した。

 

「あ、思い出した。試しに女と寝てみたことはあったわ」

「へ?」

 

 女と寝た、とはつまり同性と同衾(どうきん)したということであり、その意味するところは同性間の性愛を経験したことに他ならない。ダリルさんの口調はうっかり家に鉛筆を忘れました、と同等の軽い言い方だったので、私は言葉の意味を理解することなく危うく相づちを打ってしまうところだった。

 ダリルさんは気品こそ感じられないが、仕事ができる女性のような雰囲気を(かも)し出したかと思えば、すぐに打って変わって物欲しそうな獣の目をした。もちろんその瞳に浮かぶ欲望は性欲である。

 私は百獣の王ににらみつけられた小動物のようにその場から動けなくなってしまった。手のひらが汗で濡れて気持ち悪いのだけれど、完全に肩をロックされていて逃げ出すことができなかった。

 肌を密着させているためか、ダリルさんの膝下から香水の匂いが漂っている。気を紛らわそうと、良い匂いだな、と一瞬意識をよそに飛ばしていたらダリルさんの指先が顎に触れた。

 

「割と端正な顔立ちだから、何、とって喰うつもりはない。ちょっと気持ちいいことするだけだって。日本人の肌触りは好みの部類だから。丁寧に扱うよ」

 

 人差し指で私の顎を上向けると、首をかたむけて口づけを交わすようにゆっくりと顔を近づけてきた。私はなす術なく体を震わせるだけで、妖艶な瞳に(とら)われたまま男を知らない唇を奪われようとしていた。

 もうだめ、と私は観念してまぶたを閉じて唇に重ねられるだろう、ダリルさんの薄桃色のふくらみの柔らかさを想像し、突如として沸き起こった胸のときめきに困惑しながらもその瞬間を覚悟した。

 

「……なんてな。そんなおびえなさんな」

 

 肩から手を放し、優しくガラス細工に触れるような丁寧さで髪の毛を撫でてきた。体を離して座席に深く座り直したダリルさんに疑いの眼差しを向けた。

 

「本当にストレートなんですよね?」

「女と寝たのは本当だけど。でもそっちの気がないってことがわかった。だから手え出したりしないって」

 

 軽く笑い飛ばすような言い方だったので好奇心に正直な人だと思った。暗に性愛も好奇心の対象にすぎないと言っていた。

 底抜けに明るい雰囲気を漂わせながら再び肩に手を掛け、私の頭を胸元に引き寄せたものだから、今度は後頭部に色香漂う柔らかい凶器が押しつけられた。その感触は私の体では決して再現できないものだった。

 

「とりあえず同じ釜の飯を食うんだ。仲良くしような! 後輩!」

「よ、よろしくお願いします……」

 

 ダリルさんの明るさと勢いに引きずられながら私は神妙な面持ちで返事をした。

 

「うむ。後輩は素直でないと。どっかの生意気な後輩に見習わせたいな。ナハハハ」

 

 上機嫌で肩を何度も強くたたいてきたので、苦笑するたびに彼女の胸に後頭部がめり込んでは跳ね返された。

 ダリルさんは私を抱きかかえたままアリーナを眺めているらしく、女同士で密着して暑くないのかと思い、咳払いしてから再び腰かけ直した。

 するとダリルさんがアリーナの隅っこを指さして大声で騒ぎ始めた。

 

「バカだバカがいるぞ」

 

 乱心したのか、と失礼なことを考えながら彼女が指し示したものに向けて視線を滑らせた。ちょうどセシリア嬢たちとは対角線上に位置する壁際だった。そこには助走をつけ、倒立前転を三回繰り返すと、前方へ流れる運動エネルギーを殺すことなく機体のバネを使って、大きく斜め上に飛び上がった打鉄が月面宙返り(ツカハラ)を決めて両脚を揃えて着地し、余韻を残しながら両手を大きく広げてY字の姿勢をとっていた。

 ダリルさんは腹を抱え足をばたつかせていた。

 

「なんつーバカ」

 

 うひゃひゃ、とずっと笑いっぱなしだった。

 視野の裾で鷹月を含めた生徒がダリルさんの大声に気付いてこちらを振り返ったけれど、私はあえて織斑たちの様子をうかがった。

 織斑たちは動きを止め騒がしくなった対岸を見つめてならが呆然としているのがわかった。他の三年生たちも床運動を見せつけた打鉄を無言で見つめていた。

 その打鉄周辺の観覧席では一年生と思しき少女たちがやいのやいのと騒いでいた。誰の仕業かと思って目をこらしてみると、その打鉄はもう一度挑戦するのか、滑るような動きでスタート地点に戻っていった。

 そして見覚えがある横顔に思わず声を上げていた。

 

「し、しのぎん……」

 

 打鉄は再び同じ動作を繰り返した。回転時の軸ずれを修正したのか先ほどよりも技が大きく見えた。

 

「お、知り合いかい。あのバカの名前はなんつーか教えてくれんかね」

「一年二組小柄(こづか)(しのぎ)……です。私らはしのぎんって呼んでます」

 

 ダリルさんへの受け答えも魂が抜けたような声を出した。しのぎんは秘匿回線で話をしているのか何度かうなずいたり首を横に振ったりしている。もう一度同じ動きを行い、さらに動きの切れが増した。

 私がしのぎんの動きに釘付けになっていると、ダリルさんは陽気に笑いながら席を立った。

 

「いやあ、いーもんみたわー。ちょっくらフォルテのやつ(生意気な後輩)に教えてやるか。ISでツカハラを決めた一年生(バカ)がいるって。一年生(えーちゃん)、邪魔したな」

 

 高らかに笑い声を上げながらダリルさんは観覧席から姿を消した。

 

 

 さて時刻は一七〇〇になった。ダリルさん(変な人)に捕まったおかげで精神的にとても疲れていた。

 第六アリーナ第三IS格納庫への入り口には、げっそりとした様子の私の他に、腕組みをしながら通路の壁にもたれかかる鷹月と忙しなく視線を動かして挙動不審な様子の更識さんがいた。

 通路には誰もいない。時折スーツ姿の職員が自販機を利用するくらいで薄暗い通路は不気味な雰囲気を漂わせていた。

 私たちは誰一人言葉を発しなかった。先ほど鷹月と更識さんが簡単な自己紹介をしていたくらいで、それきり通路は静まりかえっていた。何か話題をふろうか考えを巡らしたその矢先、連絡通路側から足音がしたので一斉に音がした方へと振り返った。

 足音は二つ。暗がりからゆっくりと姿を現したのは黒髪ロングの生徒とおかっぱ頭の生徒だった。二人とも黄色いリボンをしていて、おかっぱ頭の方は抜き身の刀剣のごとく鋭い目つきをしていた。黒髪ロングの立ち位置は日当たりが悪く顔がよく見えなかった。

 

「あらら。物好きが三人もいましたか」

 

 黒髪ロングが胸の前で腕を組みながら、私たちを値踏みするように視線を向けてきた。

 

真宵(まよい)さん。事前に話した人数と違ってますけど構いませんか?」

「部長は気にしないから大丈夫」

「わかりました」

 

 黒髪ロングは隣に立っていたおかっぱ頭の先輩に話しかけ、了承を得ると更識さんの側に歩み寄ってようやくその顔が明らかになった。

 

「あなたが更識さんですね。はじめまして。回収班二年の霧島です」

 

 微笑みながら柔らかいしぐさで握手を求めてきたので、

 

「どうも。一年の更識です」

 

 と更識さんが小さな声で答えながらおずおずと手を重ねていた。

 

「そちらは?」

 

 そう問いかけてきたので私は自分の名前を告げた。

 

「あなたが班長のお気に入りの……」

 

 霧島先輩は姉崎に気に入られているとか大変聞き捨てならない言葉を口にした。

 続いて鷹月が歩み出て、

 

「一年の鷹月です。今日は付き添いできました」

 

 とあいさつしてから目礼をした。

 おかっぱ頭の先輩は付き添い、という言葉に反応し残念がった顔をした。

 霧島先輩がおかっぱ頭の先輩を指さして紹介しようとたけれど、機械じみた淡々とした声がさえぎった。

 

「こちらは――」

神島(かみしま)真宵(まよい)です。航空部副部長の仕事をしています」

 

 よく見ると左の目尻の下に泣きぼくろがあった。彼女はよろしく、と淡々と告げて目礼をした。

 

「真宵さんったら、そんな素っ気ない」

 

 霧島先輩は航空部副部長のあいさつに不満があったのか、丁寧口調のまま猫なで声ですがりついたものの彼女は完全に無視していた。

 航空部副部長とはつまり、悪の女幹部といったところか。表情を全く変えない冷血少女だから博士ポジションだと勝手に決めつけていた。

 

「部長のところに案内します。ついてきてください」

 

 神島先輩が関係者専用(STAFF ONLY)と描かれたボーダーシャツを着た男性をあしらった絵が描かれた扉をあけて、中に入ると奥に青色の鉄扉が見え、目線の高さに「航空部部室」と書かれていた。

 さらに重苦しい音を立てながら鉄扉を開けると、回収班が使っているIS格納庫と同じく薄暗い通路からは想像もできないほどの空間が広がっていた。回収班と異なるのは整備科の生徒が一人も見あたらないことだった。

 

「中は広いんだ」

 

 鷹月が天井を見上げながら感嘆の声をもらした。

 私と更識さんはおっかなびっくりと言った風情で格納庫を見回すと、奥に航空機らしき影が見えた。気になって前を歩く神島先輩に尋ねた。

 

「先輩。あの飛行機っぽいものは何ですか?」

「飛行機っぽい……?」

 

 鷹月も気付いたのか奥に視線をやると、やはり彼女も驚いたらしい。古そうな航空機でプロペラがあった。

 神島先輩が足を止めると、機械的な仕草で振り返って私の顔を見つめてきた。反応に困って霧島先輩の顔色をうかがうと、なぜか苦笑していた。再び視線を戻しても表情がほとんど変わらないのだが、気を悪くしているのだけは分かった。

 

「あれが何か分からない? 陸軍最後の制式戦闘機を? あの空冷発動機を搭載したために図太くなったエンジンカウルに、末期戦で物資が欠乏している状況でも性能を発揮した五式戦を見分けがつかない? まだ甲型乙型の違いが分からないなら許せますが……あなた本当に日本人?」

 

 人が変わったように早口で言葉を放つ姿に、私は涙を浮かべて鷹月や霧島先輩に助けを求めた。挙げ句の果てに日本人かどうかまで疑われる始末。目つきが鋭いのでにらまれると余計に迫力が増した。

 涙目で再度奥にある飛行機らしき物体を見ると、濃緑色で翼に日の丸が描かれているので旧日本軍の装備とまでは分かったけれどそれ以上はさっぱりだった。大体、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)一式戦闘機()の違いも分からない一般人に見知らぬ飛行機の機種名を当てろとか無茶にも程があった。

 

「リクグンキサイコウ。クウレイエンジンサイコウ」

 

 突然霧島先輩が万歳しながら片言で呪文を唱え始めた。鷹月と更識さんが気でも狂ったかと言わんばかりに呆れたような視線を投げかけていた。霧島先輩は外野を無視して万歳を繰り返しながら、私の首根っこを捕まえると、顔を寄せて小声でとりあえず同じ事を言え、とささやいた。神島先輩が怖かったので仕方なく霧島先輩の後について万歳しながら呪文を唱えた。

 すると瞬く間に神島先輩から発せられた怒気が静まっていくのが分かった。そして神島先輩はうっとりとした様子で奥の飛行機を眺めた。遠く離れた恋人を見つめるかのような表情に私たちは大いに引いた。

 

「やはり晴香は分かってます。陸軍機のエンジンは信頼性こそが第一です」

 

 私は悟りの境地に至った。この人変態だ。姉崎が航空部にはまともな人もいると言っていたけれど、そんな人物は見あたらないではないか。

 

「それで、その、何で五式戦がここにあるんですか」

 

 航空部だから航空機が好きなのは分かる。末期戦がどうの、と言っていたからろくな物ではないのだろう。

 神島先輩は私を見てこう言った。

 

「学園島の掩体壕に放置されていました。爆撃を食らった上に土砂崩れで埋もれていたのが工事中に見つかりまして、うちの部の先輩方が掩体壕付近の地下通路から翼を取り外した予備機を発掘して、ニコイチでレストアしたそうです」

 

 先輩から聞いた話ですが、と言葉を継いだ。

 今度は霧島先輩が口を開いた。

 

「ほらIS学園ってさ、島全体が本土決戦のために陣地化されていて、肝試しの会場なんだけど学園の裏側に火薬式カタパルトが存在するって話を聞いたことがある。カタパルトで五式戦や(つるぎ)、それに桜花を射出して特攻させるつもりだったとか。訓練中に事故死したパイロットや爆撃で死んだ兵士が化けて出ると先輩が噂していましたね」

 

 おびえた更識さんが私にすがりついてきた。しのぎんから、おじいさんが戦艦の余剰砲弾を島に運び込んだという話も聞いているから余計に気味が悪かった。

 

「霧島。白菊や梅花を忘れているぞ」

 

 奥から響いてきた声の主を探すと、この世のすべての悪を具現化したような邪悪な空気をまとった陰険な顔つきをした少女が、五式戦の横からのっそりと姿を現した。小柄で寸胴のためか起伏がまったく感じられない体を制服で覆い、白衣を身につけ詐欺師めいた笑みを貼り付けた怪人がいた。更識さんよりも背丈が低く感じられ、見るからにマッドサイエンティスト風の雰囲気を漂わせていた。

 

 

 航空部部長岩崎(いわさき)乙子(おとこ)と名乗った悪の親玉は椅子に座りながら投影型ディスプレイを十画面以上開いて忙しなく作業をしていた。十本におよぶ精密作業用機械腕が目前のISを弄り回している。

 更識さんは真剣な面持ちで眼前の怪人と、透明の壁で覆われた隔離部屋に据えられた玉座に息を潜める怪物(モンスター)を見ていた。

 白式やブルー・ティアーズを見てきたせいか両手両肩両脚を機械で覆う、いわば体の一部を強靱化し機能を補う形が一般的だと思っていた。

 しかし眼前にある玉座の怪物は搭乗者の全身を特殊な繊維を編み込んだ装甲で覆ったフルスキンタイプで足がなかった。背後を顧みると、五式戦の展示の脇に、銀色のエンジンと思しき物体が並び、そのエンジンカウルと思しきダークグレーの装甲が安置されていた。さらに奥には五式戦と同時代のデザインと思われる航空機が何台か並んでいた。

 

「それで用件は何だっけ」

 

 岩崎は私たちに一切視線を向けることなく事務口調で言い放った。手の動きがまったく鈍ることなく、メカニカルキーボードの小気味良いクリック音が格納庫にこだましていた。私と鷹月、そして霧島先輩は並び立ちながら一歩前に踏み出した更識さんに視線を集中させた。

 

「私の専用機……打鉄弐式を完成させるのを……手伝ってほしい」

 

 更識さんは怪人岩崎の存在感に圧倒されながらもゆっくり明瞭に言葉を紡いでいた。無謀なお願いだと分かっていたけれど岩崎を頼るほかなかった。しかし、岩崎の返事は拍子抜けするほど軽いものだった。

 

「いいよ」

「え?」

 

 更識さんが目を丸くし、驚きの声を上げた。私たちが落ち着くのを待って岩崎が口を開いた。

 

「ただし条件がある」

 

 岩崎はキーボードから手を放し、投影型ディスプレイを点灯させたまま椅子を一八〇度回転させた。

 

「条件……?」

 

 更識さんが聞き返すと、岩崎は愛らしい顔つきをして一本ずつ指を立てて見せた。

 

「一つ、入部すること。二つ、エンジンに愛を注ぐこと。三つ、悪魔に魂を売ること。この三つさえ守れば、われわれの頭脳と人脈と設備を自由に使わせてやる。IS開発のハード、ソフト両方のノウハウもくれてやる!」

 

 三つ目の条件は具体性がなくはなはだあやしかったけれど、条件としては破格だろう。その証拠に更識さんは不審に思いながら岩崎を見つめ、

 

「……それだけでいいの?」

 

 と言った。岩崎は両手を膝において更識さんを見上げた。

 

「もちろん。ついでに言えば君のISをほんの少し触らせてくれれば満足だ。変なことをするつもりはない。()()()の好奇心だと思ってくれればいい」

 

 技術者という言葉を強調していた。その言葉は岩崎と同じ技能を持つ更識さんにとってはそこはかとない甘美な響きだった。更識さんはその言葉を何度も反芻(はんすう)した。

 

「……技術者……」

 

 岩崎は上機嫌で、体に似合わず大きな声で正確な発音をした。

 

「私には四菱(よつびし)系のISやうちがねかっこ仮名かっことじるの開発で得たノウハウがある。更識さんの専用機である倉持の第三世代がどんな機体か心が(おど)っている」

 

 岩崎の影に潜んでキーボードを乱打していた神島先輩が横槍を入れた。

 

「部長。訂正してください。航空部が開発しているのは次世代主力IS、つまりIS-FXですよ」

 

 岩崎が愛らしい顔立ちのまま頬をふくらませ、コケティッシュな雰囲気に思わず表情をゆるませてしまいそうになったけれど、怪人のことだから演技に違いないと思って踏みとどまった。岩崎は神島先輩の指摘をとがめるように言った。

 

「真宵、いい加減部長の私が決めた開発コードネームで呼べよ。その呼び方は次期主力戦闘機導入計画(エフエックス)のパクリじゃないか。この戦闘機かぶれめ」

 

 不意をつかれ岩崎の言葉に同意してしまった。なぜだか五式戦に異常な愛情を注ぐ神島先輩の方が怪人に見えてきた。更識さんは彼女らのやりとりが途切れるのを見て、たどたどしく口を開いた。

 

「私が……更識家なのは……気にしないの?」

 

 どうやら更識家は名家か旧家らしく、なにやらしがらみがありそうな雰囲気だった。しかし岩崎の方はまったく動じた気配がなく、更識さんをまっすぐ見つめると、慎重に言葉を選びながらゆっくりと諭すように言った。

 

「気にしない。私など岩崎だぞ。君のお姉さんの一族に金の亡者呼ばわりされているが、ISというのは色々入り用だ。金と人脈はあるに越したことはない。私は己の欲望に正直に生きているだけだ。君だって日本の代表候補生として、誰よりも欲望に正直に生きている存在ではないか。私は元来競技者という存在は欲深い生き物だと思っていたが間違っているか?」

 

 更識さんは首を振った。

 

「君はもう十分悪魔に魂を売っている。そう見えるよ」

 

 岩崎は席を立つと、寄り添うように更識さんの隣に立って肩に優しく手を置いた。小悪魔のような顔つきをしていた岩崎が、魅力的に輝いて見えた。それどころか背中に天使の羽のような幻影すら見えた。

 

「どうだい。入部してわれわれを利用してみないか?」

 

 そう岩崎は優しく言った。そしてどれくらい時が経ったのか、更識さんは覚悟を決めたらしく力強い顔つきで首をゆっくり縦に振っていた。

 すると岩崎は控えていた神島先輩に歩み寄ると、感情を抑えた事務的な声で入部届一式を要求した。

 

「真宵。入部届と朱肉、三文判にボールペンを寄越せ」

「部長、ここに」

 

 入部届を受け取った岩崎は先ほどとは打って変わって慇懃な笑みを浮かべ、更識さんに入部届とボールペンを差し出した。

 

「じゃあ入部届を書こうか。右上に今日の日付を書いて、学籍番号に氏名と連絡先を記入すること。連絡先は学園支給の携帯端末で構わない。できたらメールアドレスもあるといいな。ああ、住所は寮でいいよ。実家でも構わないけどね。緊急連絡先はできれば実家の番号がいいね。更識家なら代表番号を電話帳に載せていたはずだったからでそれでいいよ。うん。入部先は正式名称でお願い。航空機とその内燃機関を愛でる部活動だね。そう。ちょっと長いんだ。最後に印欄にはんこを押そうか。霧島に連絡を受けたときに三文判を入手しておいたんだ。朱肉もあるよ。ぐいっと行こうか。ぐいっと」

 

 言われるがままに三文判を押して入部届が完成した。そして何回か入部届を振ったり光に透かしたりしてインクが乾いていることを確かめた。私はぼんやりと速乾性のインクかな、と考えているうちに、

 

「真宵。入部届に疎漏はないか」

「問題ないですね。これなら先生も受け取ってくれるでしょう」

 

 航空部の部長と副部長は悪巧みをするような顔つきで肩を寄せ合って入部届を眺めていた。そして互いにうなずきあい、岩崎が青い鉄扉を勢いよく指さした。

 

「よし。行ってこい!」

「部長。不肖神島、顧問の先生の所へ行って参ります!」

 

 神島先輩は更識さんの入部届を受け取ると、袖机の引き出しから取り出したクリアファイルに挟み込み、それを小脇に抱えると肘を上げて陸軍式の敬礼をして踵を返した。そして足早に青い鉄扉の向こうへ消えた。

 眼前の岩崎、もとい怪人は慇懃な雰囲気をかなぐり捨て、得体の知れない邪悪な雰囲気を漂わせながら、更識さんの肩を抱いて、

 

「さあ……共に怪物(フランケンシュタイン)を作りあげようではないか! クハハハ!」

 

 と玉座の怪物を指さして高笑していた。

 

 

 翌日、昼食をとるためいつもの四人で食堂のテーブルを囲んだ私の元に電話がかかってきた。慌ててポケットから携帯端末を取り出して画面を見ると、そこには非通知の文字が表示されていた。戸惑いながらも恐る恐る電話に出た私だったけれど、すぐに軽はずみな行動を後悔した。

 

「この人でなし……よくも妹を! この恨みはらさでおくべきか――」

 

 見ず知らずの私に向かって恨みがましく呪詛(じゅそ)をまき散らす。私は怖くなって途中で通話を切っていた。

 

「えーちゃん、電話?」

 

 顔を強ばらせたことに気付いた(ケイ)が心配した面持ちで話しかけてきたので、努めて明るく振る舞った。

 

「なんか非通知でいたづら電話がかかってきた。学園から支給された番号なのに」

 

 私は再び振動し始めた携帯端末を膝の上に置いて、どのように対処するか考えを巡らせていると、(ケイ)が自分の携帯端末を取り出してあるメニューを開いて見せた。主に着信拒否といったセキュリティ周りの項目が並んでいた。

 

「だったら非通知着信拒否にしときなよ」

 

 何度か指で画面を軽くタップしており、(ケイ)に感謝しつつ私もその動きに習った。

 

「ありがと。そうする」

 

 

 




次回から原作の「転校生はセカンド幼なじみ」の内容に触れていきます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。