少女Aの憂鬱   作:王子の犬

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★7 檜風呂ですよ。檜風呂!

 同好会の紹介が終わったときには腰とお尻が痛くてしょうがなかった。パイプ椅子は長時間座るのに適しておらず、お尻を包むクッションと骨組みの微妙なアーチがさらに腰を痛める要因となる。座るところが堅い椅子を所望したいところだけれど、折りたたまないと舞台下の収納スペースに格納ができないから、手軽さからパイプ椅子以外の選択肢がなかった。

 生徒会は自分が使ったパイプ椅子を収納滑車の上に積み重ねるように指示を飛ばしていた。私は自分が座っていたパイプ椅子を折りたたんで片手に持っていたけれど、織斑は余った椅子を左右二つずつ、合計四つ持っていたのでさすがは男の子という所だろうか。

 椅子を収納した生徒から解散だったので、(ケイ)や鷹月を捕まえて寮に帰ろうとしたところ、視界に水色の髪が目に入って彼女は私に気がついたのか目礼をしていた。セシリア嬢も捕まえようと考えたが取りやめた。なぜなら彼女は足取りがおぼつかない様子で何事か英語らしき言語で独り言をつぶやいていた。セシリア嬢に付き添っていた彼女のルームメイトが、私に気付いてそっとしておいてやれ、という思いを込めて首を左右に振っていた。

 これから反省会という名のお仕置きタイムだからだろう。セシリア嬢の背中は遠からずして激戦地へ赴き(しかばね)を乗り越えていく勇士のような悲壮感を漂わせていた。織斑も篠ノ之さんも何事か言葉を掛けようと試みたけれども、彼女から醸し出された微妙な空気にあてられてか結局話せずじまいに終わった。

 

「部活どうする?」

 

 先を行く谷本、鏡、布仏、岸原を捕まえ、部活紹介の記憶が鮮烈に残っていたこともあって隣を歩いていた鷹月が言った。

 私の印象に残ったのは生徒会、化学処理班、回収班、滑空部に航空部、それからロケット研と弱電研究会と競技プログラミング研究会だろうか。生徒会は学園最強とか物騒な事を言っていたのが気になって仕方がなかった。生徒会長は武闘派だが、布仏先輩が抑止力になってくれるような期待をしたいところだけれど、昼休みの件があるので頭から冷静な人間だと決めつけるには不安があった。布仏さんの姉だからしっかり者なのは確かなのだけれど、あの武闘派な生徒会長と付き合っている人間だから、いろいろ大事なところが麻痺しているに違いない。

 

「私はお姉ちゃんと一緒だよ~」

 

 先ほどまで欠伸(あくび)をしていた布仏さんが腰に両手をあてて鷹月の前に躍り出ると、少しかがんで胸を強調するようなしぐさで鷹月を上目遣いで見上げ、後ろ歩きしながらそう言った。

 

「布仏さんは生徒会志望、と。ちょっと想像できないかも」

 

 鷹月が声をおさえながら笑った。

 

「しずちゃんったら信じる気ないでしょ~。えーちゃんにかがみんまで~」

 

 布仏さんの言うことを真に受けた者はいなかった。生徒会で機敏に働く姿をどうしても想像することができずにいた私は、口元に手を当てて笑いをこらえるように布仏さんから目をそらした。

 布仏さんは眉間にしわを寄せて唇をとがらせて頬をふくらませて抗議していたが、本人が思っているほど怒りを表現できているようには思えなかった。

 鏡が照れた様子で発言した。

 

「私は茶道部をちょっと考えてる」

「私も!」

 

 谷本が声を上げた。この話題に食いつかぬIS学園の生徒がいるのだろうか、という勢いだった。岸原も目を輝かせていた。

 

「何てったって織斑先生が顧問だからね。しかもあの写真見た?」

「織斑先生の着物姿。貴重よね。もう千冬様に結構なお手前で、とか言ってみたい!」

「でも、同じことを考えている子が多そうだよね」

「倍率高そう……」

 

 鏡と岸原が不安そうな声を出す。

 

「織斑先生のことだから、入部希望が殺到することを見越して過酷な選抜試験を課しそうな気がするな」

 

 鷹月が織斑先生が取り得る行動を冷静な口調で述べた。谷本と鏡は、鷹月の予想を聞いて、うっとうめいたが、すぐに互いの目を見つめ合って鼻息荒く気勢を上げた。

 

「そうだとしてもチャレンジする価値はある!」

「そうね! 一緒に付き合うから!」

 

 織斑先生が今の光景を見れば馬鹿者とか言って出席簿で殴りつけることだろう。織斑先生の着物姿を生で見てみたい、という気持ちがないとは否定できないけれど、鷹月の予想通り苦行を課されるのは目に見えていた。

 

「鷹月さんはどこを考えてる?」

 

 岸原がはにかみながら鷹月に話を振った。私も気になったので少しだけ考える素振りをした鷹月の顔を見つめた。

 

「変化球で航空部とか? インパクトだけはすごかったから」

 

 人差し指を立てながら真顔で言うものだから冗談なのか、本気なのか判別ができなかった。

 いつだったか姉崎が航空部の部長を変人呼ばわりしていたことを思い出す。姉崎も十分に変わっていると思っていたけれど、その彼女をしておすすめできないという人物だとか。姿からして怪人なのは明らかで、悪魔に魂を売るとか口にする辺り、どちらかといえば悪の組織の親玉にしか見えなかった。たかが高校の部活風情が航空機エンジンを、しかもライトニングⅡ(F-35J)のエンジンを入手するとか、何をどうやったらそんなことが可能なのか想像もつかない。

 鷹月は彼女なりの冗談のつもりだったのか、

 

「というのはさすがに冗談で、料理部あたりを考えています」

 

 どのように突っ込めばよいか考えあぐねていた私はほっと胸をなで下ろした。

 

「あなたはどうするの?」

 

 今度は私に話が振られた。帰宅部でも良かったのだけれど、せっかくIS学園まで入学したのだから部活の一つや二つに入部してみたいのだけれど、私は既に弱電研究会の幽霊部員扱いが決まっていた。

 

「この前ので弱電に名義を貸してるけれど、ちゃんとしたところに入った方がいいよね」

 

 誰に言うでもなく口にしていた。

 

 

「送信っと」

 

 今日撮った写真を篠ノ之さん、織斑、姉崎の順番で送信した。一括送信にすれば楽だったけれど、それぞれのアドレスに異なる文面を作ることで、姉崎に送ったことを気取られないよう細心の注意を払った。

 

「ねっねっ。何送ったの?」

 

 (ケイ)が背後からまとわりつくように抱きついて、首元で両手を交差させて身を乗り出してきた。お互いの顔が触れあうほどの近さで携帯端末をのぞき込んできたので、織斑と篠ノ之さんのツーショットを画面に表示させた。

 

「午前中の写真。篠ノ之さんたちにね」

「あれねー。ちゃっかり織斑のアドレスを手に入れた時の」

「ちゃっかり言うな。ちゃんと篠ノ之さんのアドレスも手に入れましたー」

 

 織斑のアドレスを入手したのは、篠ノ之さんの分を入手するための布石に過ぎなかった。篠ノ之さんの最大の弱点は織斑だと言えた。一度は篠ノ之さんに断られたが、織斑は交換してくれたのに、とごねたら簡単に交換してもらうことができた。

 それに篠ノ之さんが意中の人とのツーショットを拒むわけがなかった。

 

「なになにー」

 

 一緒に遊びに来ていた布仏さんがベッドにダイブして器用に跳ね回りながら私の腰の辺りに転がってきた。端末に映った織斑を見て、

 

「おりむーだ」

 

 と聞き慣れない言葉を発したので、私は誰のことか分からず聞き返していた。

 

「おりむーって?」

「おりむーはおりむーだよ」

 

 私が首をかしげていると、鏡と谷本も寄ってきて二人とも携帯端末をのぞき込んで言った。

 

「織斑君のこと」

「なるほど。……ところで皆さんの顔が近いです」

 

 少しでも手を動かせば誰かの顔に端末が当たりそうだった。(ケイ)は何かにつけてスキンシップを図ってくるので適当に引きはがすのが面倒になってきており、最近はなすがままにさせていた。布仏さんは(ケイ)と似た性向を持っているのか体の密着度が高く、時折垂れ下がった袖口ではたいてくる時があった。

 私の言葉を聞いて鏡と谷本が一歩下がる。布仏さんは逆方向に転がって、バタフライの要領で器用に腹筋と背筋を使ってベッドのバネの強度を確かめていた。

 私たちはセシリア嬢の部屋に遊びに来ていた。正確にはセシリア嬢のルームメイトを訪ねたのだけれど、まるで誰かの一人部屋と錯覚してしまうくらい調度品がそろっていた。華美な調度品の数々を鷹月が興味深そうに眺めていた。

 セシリア嬢は反省会から解放されたばかりで疲れたような顔つきだったけれど、他人のベッドの上で談笑する私たちを見てその理由を問う。

 

「ところで、あなたたちはどうしてわたくしの部屋でくつろいでいるのかしら?」

「反省会おつかれさまー。どうだったー」

 

 セシリア嬢の質問に答える気がないのか、(ケイ)がウェルキン先輩とのデブリーフィングの結果について聞きたがった。

 

「久々に緊張しましたわ。それにたくさん宿題をもらいました」

 

 律義に質問に応じるセシリア嬢だったけれど、少しやつれたように見えるのは気のせいだろうか。みんなはあまり興味ない様子だった。鬼と呼ばれるだけの女性の話を深く聞き込んでしまうと、それならば今度はあなたがたも一緒に参加しましょう、などという流れに持ち込まれる可能性があったので詳しく聞き出すことができなかった。

 そのとき、鷹月が真顔でとんでもないことを言った。

 

「オルコットさんが子犬ちゃんを抱き枕代わりにしていると聞いて」

 

 すました顔だった。子犬ちゃんとはセシリア嬢のルームメイトのあだ名だったけれど、鷹月が冗談にならないことを冗談として捉えているところがあって油断ができなかった。今のように平然とあたかも当たり前の事のように爆弾を投げ下ろしてくる要注意人物だった。

 

「愚問ですわ。あなたがたもぬいぐるみ(テディベア)と一緒に寝た経験は一度ぐらいあるでしょう」

 

 セシリア嬢もよく言ったものだ。普段通り自信に満ちた顔つきで、鷹月に対して当然だと言わんばかりの風情で胸を張っていた。

 私は生意気だった幼い頃を思い返し、家にあったぬいぐるみを布団の中で抱き枕のように扱っていたことを思い出した。そのぬいぐるみは今でも実家の自室に存在したけれど、友人ととっくみあいをした時におなかから裂けてしまったので修繕したら一回り小さくなってしまっていた。

 

「もちろんあるけど。一応女の子だし」

 

 それに一応、と断ってしまう辺りが女として自信のなさの表れだった。

 

「私もー」

 

 布仏さんが元気よく返事をしたところ、鏡が指摘する。

 

「本音さんは今も毎日じゃない」

「それと一緒ですわ」

 

 セシリア嬢は断定口調だった。疑問を挟む余地もないらしく、可愛いものを可愛いと言わずして人生楽しいかしら、と人生論まで語り始める始末。私は子犬ちゃんが美少女であると認めてはいたけれど、それをぬいぐるみと同じ扱いにしてしまうのは人としてどうかと思った。

 

「いやいやいや。抱き心地が良いのは見た目からして分かるけれど。ええっと毎日?」

 

 私は真剣なセシリア嬢に向かって認識がおかしくないかと説いてみたが、彼女が主張を取り下げる気配はなかった。

 

「当たり前ですわ」

「そこは断言するところじゃないって」

 

 そうは言ってもセシリア嬢の部屋にはベッドが一つしかなかった。セシリア嬢がそろえたとされる天蓋付きのダブルベッドが一床あるだけで、元々存在したはずのシングルベッドは影も形も見あたらなかった。

 雑魚寝している雰囲気がない上、ダブルベッドには枕が二つ並べてある。抱き枕代わりとは言わないまでも床を共にしているのは状況的に明らかで、困ったような視線を子犬ちゃんに投げかけても明るく純真で無邪気な笑顔を見せるだけで、否定する要素はないと見えた。出会ってさほど日にちが経過していない。セシリア嬢を懐かせてしまった子犬ちゃんという存在がまぶしく感じたけれど、それ以上にいつの間にかベッドから降りて彼女に抱きつく布仏さんが気になって仕方がなかった。

 

「せっしーの言うとおりだよ~。こんなにふわふわしてるのに抱かないのはもったいないよ」

 

 同性がくんずほぐれつ乱れている横で平然と宿題をやっていたことがある私だったけれど、いつも眠たげな布仏さんが悪巧みをする顔つきをしていたのが気になって、さりげなく携帯端末のカメラアプリを起動し、その様子を動画で一部始終を撮影するという、姉崎の不届きな想念が乗りうつったかのように邪な思いつきを実行に移していた。われながら性根が腐っていると言えたけれど、性分だから仕方がないのだと自分を納得させていた。

 子犬ちゃんの隣に立っていたセシリア嬢は、布仏さんがじゃれつく様を心なしかうっとりしながら眺めているように見えた。続いて鷹月の顔を眺めると、彼女も布仏さんと子犬ちゃんの状況に気付いていたのだけれど、特に気にしている様子もなく調度品を手にとっては元に戻している。普段冷静な鷹月からすればおふざけに見えたようだ。私に絡むのが飽きた(ケイ)は鷹月に調度品の解説を行っていた。

 布仏さんは顎を子犬ちゃんの肩に乗せ、片腕をすくい上げるようなしぐさで胸に置き、もう片方の手に腰にやって制服のボタンを外している。相変わらず袖口が垂れ下がっていて手元が見えないのだけれど、袖の中で器用に指先を動かして、制服を脱がしにかかっているのは明らかだった。

 布仏さんは時折これ以上ないほど邪念に満ちた表情を浮かべ、それでいて無邪気を装った笑みを浮かべながらじゃれついていて、いつしかベッドの前まで来ていたので、私は場所を空けるようにして立ち上がった。子犬ちゃんの上半身をベッドに押し倒した布仏さん。既にブレザーの前がはだけていてブラウスが露わになっている。他人の服を脱がし慣れているのか、手つきがなめらかで迷いがなかった。リボンに手をかけた。指先が見えないのが惜しいと思った。

 反応に困って谷本と鏡に視線をやれば、二人は顔を赤らめながらも期待半分羞恥半分と言った風情で眼前で繰り広げられる布仏本音の所業を凝視していた。同性と言えどプロレスごっこに興味があるらしかった。

 とはいえ私も谷本らと同じくカメラを回していることを忘れ、その動きに魅入られ、また感心していた。

 布仏本音はマウントポジションを奪取するのが上手だった。

 

「すご……」

 

 鏡が独り言を漏らす。口に両手の指先をあてていて、瞬きをするのも忘れているようだった。

 

「かんちゃんもこうされるのが好きなんだよ~」

 

 布仏さんは他にも毒牙にかけた女がいると自白していた。青色のリボンがゆっくり滑るように引き抜かれ、合わせて拘束から解放された時に発する甘い吐息。子猫が鳴くようなか弱い声に私と鏡、谷本は不意に耳元に息を吹きかけられたかのような異様な感じにあてられ背筋に寒気が走るのを自覚した。布仏さんはゆっくりと私たちに顔を向けると、普段はぼんやりとした彼女らしくない妖艶な表情を見せ私たちを誘うかのようだった。袖に隠された指先が子犬ちゃんの胸の上をなぞると、一度のけぞり、そして頬を上気させた子犬ちゃんの瞳が潤んだ。少女の顔ではなく女の顔になりつつあった。

 体の芯からわき起こる情動に戸惑っているのか押し殺した声が漏れたところで、私は布仏さんが悪ノリしていることを感じ取って、浅学非才の身で一線を軽く踏み越えてしまうのは一五歳としてどうかと思った。

 

「谷本。鏡。そろそろ止めますか」

「……う、うん」

 

 二人とも見入っていたようで私の言葉に気がつくのが少しばかり遅れた。

 谷本と二人がかりで布仏さんを引きはがし、鏡が子犬ちゃんを助け起こす。

 

「もうちょっとだったのに~」

 

 何がもうちょっとなのか、私は想像するだけで顔が真っ赤になった。まさか布仏さんも姉崎と同類なのかと疑いたくなってきた。いつか布仏さんの経験の履歴を探ってみたいと心に強く願って、カメラの撮影を停止した。

 慌ただしく携帯端末を制服のポケットに収めようとしたところ、不意に鷹月と目があった。鷹月はすべてを見通したかのような瞳になってほほえんだのを受けて、私は先ほどの布仏さんの悪ノリの一部始終を記録媒体に焼き付けたことが発覚したのではと思って背筋に冷や汗が伝った。私の心配をよそに鷹月は親指で扉の方を指し示した。声に出すことなく唇の動きでこう言った。廊下に二人、聞き耳を立てている、と。

 (ケイ)も鷹月が伝えたことに気付いたらしく、驚いた顔をしていた。鷹月は扉に近づいた形跡がなく、先ほどまで(ケイ)の解説を興味深そうに聞き入っていたからだ。

 鷹月への疑惑の追及をすると、逆に私が先輩の意向に従って裏でいろいろ動いているのがばれてしまいそうだったので、とりあえず足音を立てずに扉の前に立ち、廊下で聞き耳を立てていた不届き者に天誅を下すべく扉を開け放った。私のために犠牲になってくれと心から願い、どんなを言い訳をするのか楽しみに思った。

 

「えーちゃん……あのね」

 

 岸原が聞き耳を立てたそのままの姿勢で目を丸くしていた。かなりんも同じ姿勢だった。

 

「こ、これはクラスメイトとして常にアンテナを張って人間関係の把握をしているのであって……」

 

 二人ともなぜ分かったと言わんばかりに驚いていた。私も鷹月の潜在能力の高さに驚いていた。天誅を下すなどと意気込んでみたけれど、最初からそのつもりはなかった。固まっている岸原はともかく、しどろもどろに取り乱すかなりんがかわいそうになってきた。腕を組んで、沙汰を言い渡す、などとかしこまった口調で言って提案をしてみることにした。

 

「岸原、それにかなりん。とりあえずお風呂に行くけどついてくる?」

 

 

(ひのき)風呂ですよ。檜風呂!」

 

 IS学園の大浴場を利用してもう何度目になるか分からなかったけれど、鼻孔をくすぐるさわやかな檜の香りに感動せずにはいられなかった。実家から街外れのスーパー銭湯まで自転車を一時間程こぐ必要があったため、冬場は利用を控えていたのだけれど、寮に備え付けの大浴場まで歩いて十分とかからない。この世の天国とはどこか、ここにあった。

 留学生を大量に受け入れることを意識していたのか、お風呂の入り方のイラストが目にとまり、目をこらして解説文を探すと数カ国語が併記されていた。カランからお湯を取って掛かり湯を済ませた私は一人檜風呂に直行し、湯に体を沈めたときに先客だった二組のクラス代表と目があって、お互いに軽く目礼しあった。入り口側に身を乗り出して、更衣室からセシリア嬢たちが出てくるのを待った。

 すると二組のクラス代表が肩がぶつかり合うぐらいの距離まで近寄ってきて、手ぬぐいを湯船の(へり)に置いてから、天井を見つめながら口を開いた。

 

「一組。今日クラス代表を決めたって聞いたよ」

「しのぎん……もう二組に話が伝わってる?」

「ばっちり。三組や四組の連中も知っとるわ」

「話が早いね」

「で、どっちになったか教えなさいな。織斑君? オルコットさん?」

「まだ本決まりじゃないの。たぶん決まるのは明日かな」

「オルコットさんが勝ったのに?」

 

 ウェルキン先輩が知ってるぐらいだから、他の組に結果を知られていてもおかしくなかった。織斑の行動は目立つから他クラスが情報収集しているものと考えるべきだった。

 

「明日かー。焦らすなあ」

 

 こちらとしてもセシリア嬢が織斑に経験値を積ませるために代表を辞退する可能性があるから、明日になるまでわからなかった。クラス代表が決まった瞬間から彼女の性格からして対IS戦のデータ収集が始まると考えるべきだろう。いや、明日からと悠長なことは考えずに先週の時点でセシリア嬢と織斑の両方の可能性を検討しているに違いない。

 彼女は軽くかけ声を発してから湯船の縁をまたぎ、手ぬぐいを肩に掛けた。女っ気がないベリーショートの彼女だったけれど、私とほとんど大きさが変わらぬ胸のふくらみに安心感を覚えた。

 

「じゃあお先ー」

「ほいなー」

 

 私は適当なかけ声で応じた。掛かり湯を終えたセシリア嬢が入れ替わるようにして湯船につかった。

 セシリア嬢は私が親しく話をしていたのを目にしたようで、興味深そうな様子で顔を寄せてきた。

 

「今の方は?」

「二組のクラス代表。小柄(こづか)(しのぎ)

 

 隣のクラスだからISの合同実技訓練でもあれば接点が持てるのだけれど、今のところ座学の授業ばかりだから知らないのは当然だった。私は長湯だったので他のクラスと鉢合わせることが多かったために偶然知り合ったくらいだ。二組と三組は専用機持ちがいないので入試時の実技テストの結果でクラス代表を決めたと聞いている。

 

「あら、小柄海軍少佐のお孫さんですか」

「セシリアさん、知ってるの? 彼女って有名人なの?」

 

 セシリア嬢が戦史叢書(せんしそうしょ)におけるマイナー将官を知っているとは驚きだった。

 

「一応は。有名なのは彼女のお祖父様ですわね。小柄海軍少佐は呂号潜水艦艦長として日本の戦史叢書に記録されているくらいですもの。わたくしとしましては呂号はともかく特殊潜航艇なんて代物はナンセンスですわね」

 

 私は小柄鎬本人から直接聞いたので概要くらいは知っていた。学園島にその昔海軍基地があって終戦直後に基地への入り口を爆破した。小柄海軍少佐は基地で特殊潜航艇を使った機雷敷設の研究をしていた。もしかしたら旧海軍の甲標的丁型、つまり特殊潜航艇蛟竜(こうりゅう)の残骸が残っているかも知れないという話だった。小柄鎬のおじいさんの血と汗の結晶よりも不発弾が出てくる可能性の方が高いと思っていたけれど、島の南端にかけて学園の拡張工事を行っているので、そのうち基地への入り口を掘り当てるのではないか、と楽観的に考えていた。

 私は立ち上がり、湯船の中で揺らいでいるピンク色の手ぬぐいを目にすると、セシリア嬢に向かって上半身をかがませて人差し指を立てながらこう言った。

 

「一つ忠告。手ぬぐいは湯船の外に置くこと」

「わたくしとしたことが、いけませんわね」

「じゃあ私体洗ってくる」

 

 セシリア嬢が手ぬぐいを湯船から出すのを見届けてから、私は風呂イスと湯桶(ゆおけ)を手にとって洗い場に向かった。

 (ケイ)や谷本たちを見つけて、空いていたカランの前に風呂イスを置いて陣取った。大浴場のカランは実家の近所の銭湯と同じく湯と水の出口が異なっていた。銭湯を利用したことがないか、または留学生はこの違いに戸惑うこともあるけれど、銀色のレバーの一部に色がついているのですぐに慣れてしまう。目線の高さにある各カランに備え付けの固定式シャワーのレバーを回して水の勢いを確かめてからレバーを元に位置に戻して、カランを押して湯桶に湯をためながら湯気につつまれた同級生の姿を気にしていた。

 当たり前のことだけれど風呂場は全裸なので全員の体つきが一目で把握できる。私の貧相とは言えないまでも発育途上の体つきと比べてしまいたくなるのは女の(さが)というものではないか。一五歳という少女の身空、発育が早い遅いがわかるというもので、視野の裾に映りこんだ布仏さんが頭を洗っているのだけれど腕の動きに合わせて豊かな乳房が弾んでいた。

 うかつなことに彼女の幼い言動から意識の外に追いやっていたのだけれど、布仏さんはあの巨乳眼鏡の妹だから当然巨乳ということを見落としていた。谷本や鏡が私と似たり寄ったりか若干大きい程度だったので、それぐらいなのだろうという希望的観測が現実から目を背けさせていたに違いない。私は不毛な思考の無限ループに陥っていると感じて、右隣の(ケイ)を見つめて精神的安定を図ることにした。乳房の大きさは遺伝と努力で決まる。スタイルの維持は努力で決まる。

 湯桶を持ち上げ頭から湯をかぶった。私は頭から洗う習慣なので、備え付けのシャンプーを手に取ってよく泡立ててから、泡を頭皮になじませるようにして洗っていった。実家から持ってきたお風呂グッズが存在したのだけれど、シャンプーなどは備え付けの方が良いものを使っており、また肌に合ったこともあってすぐにこちらに切り替えていた。髪がしっとりしてまとまりが良くなったのでお気に入りだった。機会を見つけて織斑先生にどんな品を使っているのか聞き出さねばなるまい。

 シャワーのレバーを回し、ほどなくしてお湯が降ってきた。時間をかけてシャンプーをすすいでいると、どうしても(ケイ)の体が目に入ってしまった。まず腹筋が割れている。以前からスタイルが良いのは知っていたけれど、こう直接目にすると胸よりも腹に意識を向けてしまう。(ケイ)を横目に眺めながら、私は彼女について知り得る情報が意外に少ないことに思い至った。アジア系の血が入っていることは確かだけれど、日本人ではないことは確かだった。セシリア嬢の知り合いな上、見事なクイーンズイングリッシュを話すことから上流階級か少なくともそれ相応の教育を受けていることは確かだった。そうでなければ鷹月にセシリア嬢の部屋の調度品を解説できないからだ。ウェルキン先輩を知らなかったから英国以外の国から来たことは間違いない。留学生にはセシリア嬢とパトリシア先輩の二種類がいる。前者は他国の代表ならびに代表候補生。後者は単なるIS好きが高じて本当に留学してしまった人たち。(ケイ)がどちらに分類されるのかさっぱりつかめなかった。そこまで考えて、私はコンディショナーに手をつけていた。

 コンディショナーもすすぎ終わって、ボディシャンプーを泡立てていると、体を洗い終えた布仏さんが泡がつくのも構わず子犬ちゃんに絡んでいた。子犬ちゃんは岸原とかなりんの間にいたのだけれど、二人とも形を変えて暴れ回る乳に目を奪われているのか止めようとしていない。鷹月の姿を探したが、彼女は湯につかっていてこちらを気にする素振りもない。

 私は岸原たちの気持ちが分からないでもなかった。子犬ちゃんは敏感な体質らしく布仏さんの動きにいちいち反応するから見ていて楽しい。しかもクラス一の爆乳である。篠ノ之さんを超える重量感に圧倒されつつ、布仏さんが胸を揉みし抱く様は小麦粉をこね慣れた熟練のパン職人、あるいは手打ちそばやうどんの職人さながらであり、同性の私ですら彼女の職人めいた手つきに下衆めいた劣情を喚起させないこともなかった。

 そこにセシリア嬢が現れた。よく磨き上げられた形の良い肌を露わにして、彼女はまるでお気に入りのおもちゃを取り上げられたときのように不機嫌な様子で布仏さんを見下ろしていた。

 

「彼女に何をしていますの」

「せっしーも堪能しようよ~」

「えっちなのはいけないと思いますわ」

 

 静寐(しずね)からこう言えばよいとアドバイスを受けました、と言葉を足した。これだけ騒げば鷹月が気付いてしかるべきだけれど、そのアドバイスはどうかと思った。真顔で言うものだからセシリア嬢が真に受けてしまったではないか。

 いつの間にかセシリア嬢の後ろに回り込み、布仏さんを警戒する子犬ちゃん。立て続けに過剰なスキンシップを試みられたら警戒しない方がおかしい。

 

「この子の体を自由にしていいのはわたくしだけですわ」

 

 ルームメイトの所有権を主張するセシリア嬢がさりげなく問題発言をしたけれど、所有されることに異論がないのか子犬ちゃんは首を大きく縦に振った。二人の姿は信頼関係よりは従属関係が築かれているようにしか見えなかった。布仏さんは私と同じ感想を抱いたのか、悔しそうに挙げた拳を振り下ろした。

 

「ずるいよ~せっしーの方がえっちなこと言ってるのに~」

「負けを認めなさい」

 

 セシリア嬢が布仏さんの肩に手を置いて勝者の風格を漂わせていた。しばらくタイルの上にへたり込んでいた負け犬の布仏さんがいつもと変わらぬゆっくりな動作でシャワーのレバーを回して、湯を浴びていた。

 

 

 翌朝のSHR(ショートホームルーム)の結果、一組のクラス代表は織斑に決まった。セシリア嬢は織斑の経験値底上げと白式の情報収集のため、織斑先生に代表辞退を申し出ていたらしい。私としても特に異論がないので、クラスで全面的に支援しようと結論づけた。

 他のクラスの子に情報を売れると考えた浅はかな輩に一言申し上げたい。二組と三組は情報収集に血道を上げている。クラスメイト程度の情報などたかが知れていて、とうの昔に調べ上げていることだろう。しのぎんら二組の耳の早さがある意味脅威で、素人集団が経験者と戦うためにクラスの結束を固めているらしい。訓練機でも準備次第で専用機に対抗が可能なので、そこに一筋の希望を見出しているのだろう。

 一限の座学を終えた私はたまには織斑に絡んでやろうと思い立ち、教壇の前に向かうと織斑先生と軽く言葉を交わす弟がいた。家事洗濯がどうのと話しており、織斑先生が社会人の余裕で「当たり前だ」と言い切っていた。

 

「隣人と懇意にしているからいろいろ教えてもらっている」

 

 そう言って話を切り上げた織斑先生の後ろ姿を見送って、再び目を戻すとSHRの時とは違う表情で余裕を無くしている織斑の姿があった。

 篠ノ之さんが織斑に近づく私をにらみつけているのを無視して、にやけ面のまま教壇の前に立ったものの、彼は考えに没頭していて気付く気配もない。できるだけ織斑の焦りを助長するような言葉は何か、黒い笑みを浮かべながら言葉を選んで、その耳元でささやいた。

 

「愛しのお姉様がついに弟離れしたとか?」

 

 織斑は突然顔を上げて私を霊能力者の類でも見たかのようにとても驚いていた。今時二槽式洗濯機よりも全自動の方が安く入手できるのだから、家事をして姉の手助けをするのが弟の生き甲斐とはいえ、全自動洗濯機に嫉妬する織斑もどうかしていると思うのだが、私はあえて彼の言葉を待った。

 

「どちらの隣人かが問題なんだ」

 

 織斑は真剣な面持ちだった。織斑宅がどんな位置にあるのか分からなかったが、とりあえず隣人の候補がいるらしい。

 

「隣の源田さんか? それとも草鹿さんか? くそう! どっちだ! 待て待て、職員室の隣の席の可能性もある。敵は山田先生か?」

 

 どうやら全自動洗濯機ではなく、隣人に敵意を燃やしているようで、織斑は必死の形相で私を空気のように扱いながらも独り言を続けていた。家事洗濯ぐらいでここまで動揺する弟も珍しい。話を振ってしまった手前、私は織斑とかみ合っていない会話を続けた。

 

「愛しのお姉様を取られて悔しいのでございますね? わかります。そろそろきれいなお姉さんから離れて大人の一歩を踏み出さなければならないと頭の隅で考えているのではありませんか。どうですか。幸い美少女よりどりみどりのIS学園。いい加減男が一人なのは慣れたことでしょう? そろそろ戦略的敗北を喫さなければ日本人とは言えないのではございませんか?」

 

 私は妖気をまとった得体の知れない老婆のようなしわがれた声になるよう努めた。うさんくさい声音に気付いた織斑の顔は怖じ気づいたように真っ青になっている。

 

「おい。戦略的敗北ってなんだよ……負けてるじゃないか」

「それはもう人生の墓場ですよ。うひひ」

「嫌だー。俺はまだお父さんになりたくない」

 

 織斑は頭を抱えて心底嫌がる様を見せて話を合わせてきた。そろそろ篠ノ之さんが止めに来てくれる頃合いだった。

 

「貴様、一夏に変なことを吹き込んで楽しんでいるな」

 

 私の頭からコツン、と軽い音がした。

 

「ばれました?」

 

 私は篠ノ之さんに頭をはたかれて、全く反省の色を浮かべることなく振り向きざまに舌を出しながら猫なで声を発していた。話のゴールを設定していなかったから、誰かが止めるか予鈴がなるまでぼけ続けなければならなかったけれど、篠ノ之さんのことだから好きな男が他の女と親しげに話をするのはさぞかし悔しいはずなので、彼女が取り得る行動は考えなくても分かるというものだ。

 

「ちょっかいをふっかけてきた理由を言え」

 

 篠ノ之さんは不機嫌な顔つきで命令口調で説明を求めてきたので、私はありったけの誠意とお節介の気持ちをこめて満面の笑顔を浮かべながら、愛の告白をすることにした。

 

「もちろん。篠ノ之さんが困ってる顔を見るのが好きだからに決まってるじゃないですかー」

 

 そう言われて篠ノ之さんは本気で憂鬱(ゆううつ)な表情を浮かべた。

 

 

 授業を終え寮に戻った私と(ケイ)は今日習った事柄の復習を兼ねて議論を行っていたところ、扉がノックされたことに気付いた。一瞬(ケイ)が腰を浮かせたのを制して私が応対に出ることにした。

 扉をあけてすぐに目にしたのは、珍しい組み合わせだった。

 

「よっ」

「……お久しぶりです」

 

 しのぎんこと小柄鎬と昨日篠ノ之さんが助けた少女だった。二人とも制服のままだった。

 

「邪魔するよー」

 

 私が少女に目礼を返したのもつかの間、しのぎんが勝手に部屋に上がっていた。(ケイ)と波長が合うのか二人はハイタッチしている。

 少女を一人で廊下に立たせるのも失礼だと思って、部屋に招き入れることにした。

 しのぎんは食器棚を開けて急須を取り出して、ポットにお湯が入っているかを確かめていた。寮の部屋はセシリア嬢のように手を加えていない限り画一的なので、どこに何が入っているか探し当てるのは容易だった。

 

「お茶の葉使っていー?」

「封があいている方なら使っていいよ」

「煎茶ね。ふうん。去年の一番茶か」

 

 湯飲みを用意するしのぎんの横を通り過ぎ、少女はベッドの側で正座した。イスを使っても良いと言ったが、彼女は頑なに首を振り、慣れているからの一点張りで正座を続けた。

 そんなやりとりを続けているうちに、湯飲みを四つと急須をのせたお盆を持ったしのぎんが現れた。

 

「お茶いれてきたよ」

 

 それぞれに湯飲みを渡してお茶を注いでいたしのぎんは、湯飲みを置いて少女の隣に腰を下ろすとあぐらをかいた。

 

「それで何の用」

 しのぎんにぞんざいな口調で言い放った。お茶を入れてもらったとはいえ、あぐらをかく様に遠慮の心を感じなかったからだ。

 

「こっちは彼女を案内しただけさ。彼女と直接顔を合わせたのは今日が初めてだから」

 

 (ケイ)はお茶をすすって私としのぎんのやりとりを眺めようと目論んでいた。

 

「私も彼女とは昨日が初めてで名前知らないし」

「じゃ、自己紹介しようか。私は二組の小柄鎬。しのぎんと読んでくれ」

 

 しのぎんは場を仕切りたがる性質らしく勝手に話を進めていた。

 次に私が名乗った。しのぎんが勝手に補足して、えーちゃんと読んでやってくれ、と少女にあだ名を教えていた。

 私は(ケイ)の自己紹介を改めて聞いて、一人驚きの声を上げていた。

 

「えっ。(ケイ)って留学生だったの?」

「アイルランドね。イギリスじゃないよ。最初の自己紹介の時に言ったんだけどな。さてはえーちゃん聞いてなかったね」

 

 しのぎんと少女は最初からわかっていたようで、私のように露骨に取り乱した声を上げることはなかった。

 確かに留学生だと思っていたけれど、ハーフかクォーターだと勝手に思い込んでいたのは否定できない。自己紹介の時は上がりまくっていてクラスメイトがどんなことを話していたかほとんど覚えていなかった。それに加えて(ケイ)があまりにクラスに馴染んでいたので国籍がどうとかまったく気にしていなかった。

 (ケイ)のあきれたような視線に観念してうなずき返した。

 

「やっぱり。えーちゃんはおっちょこちょいさんだよ」

 

 羞恥で顔が赤くなった。私が少しだけ思い込みが激しいところがあるのは昔から自覚していたことだった。

 

「最後は……私ですね。……一年四組……更識(さらしき)(かんざし)……です」

 

 更識といえば生徒会長と同じ名字である。更識などという名字が日本にいくつも存在するとは思っていなかったので、単純に妹か親族のどちらかだと考えるのが自然だった。

 

「生徒会長の妹さん?」

 

 私が疑問を口にすると、少女――更識さんは首を縦に振った。

 

「更識って四組のクラス代表で、しかも代表候補生の専用機持ち」

 

 今度は(ケイ)が驚きとともに更識さんを指さしていた。更識さんが(ケイ)を見て、寂しそうにほほえんでから首を左右に振った。

 

「まだ専用機は……ないです」

「あれれ? 去年の情報では日本の代表候補生用に倉持技研が専用機を開発していると聞いていたのに」

 

 (ケイ)が首をかしげていた。初めて耳にした情報だったので私としのぎんはお互いに顔を見合わせた。

 

「しのぎんの方がISに詳しいけれど、そんな情報を耳にしたことはありました?」

「私はね。二組のクラス代表を務めてはいるが、君が言うほど詳しくないんだ」

「知らないんですね」

「わかってくれてうれしいな」

「白式の件と……陸自の打鉄改の改修とタイミングが重なって……人手不足」

 

 つまりブルー・ティアーズの実弾装備と同じような状況になっていると言えた。こちらは機体自体の開発スケジュールが遅れているから状況はより深刻だった。

 

「だから……自分で少しでも……開発できるか考えた。あの人がそうしたから……」

「じゃあ誰かに開発を手伝ってもらえば。整備科とか」

 

 私は更識さんが自分で先に進めようという意志を感じ取ったので、深く考えずに口にしていた。

 

「ISを開発できるほど……スキルがある人なんて……それに整備科は……ちょっと遠慮したい」

「何で?」

 

 そう聞いたところ更識さんは言いにくそうに目を伏せた。姉の目、と微かにつぶやいたけれど最後まで聞き取れなかった。仕方ないので困ったときは他人に頼るのが一番だと考え、努めて明るい声を出した。

 

「物は試しだよ。とりあえず姉崎先輩に聞いてみる。あの人は顔が広いから」

 

 どこかにそんな変人が転がっているかもしれない、と私は考えていた。

 更識さんはあまり期待していないのか、軽くうなづいたかと思えば、ポケットから携帯端末を取り出し、画面を操作して写真を表示させた。

 

「……今日うかがったのはこちらが本題です。皆さん、この写真を見てください……」

 

 織斑と篠ノ之さんのツーショットだった。篠ノ之さんの恥じらいの表情が秀逸なその写真を見て、私は思わずうめき声をあげてしまった。私の心を覆った邪念を具現化したそれは、本来手に入れるべきでない人物の端末に表示されていた。なぜだ、なぜこの写真がここにあるのだ、と私は心臓の鼓動が早まっていくのを抑えられなくなっていた。

 

「あっその写真」

 

 (ケイ)の言葉に私は焦った。(ケイ)は私を見つめてしばらくして、事情を察したのかへらへら笑って、「分かってるから」と曰くありげにつぶやいた。私が何を分かったのか気になって(ケイ)を見つめ返していたのだけれど、心にやましいところがあって直視し続けることができなかった。

 

「知り合いの先輩に分けていただきました。篠ノ之箒さんという名前だとか」

 

 先輩とは姉崎以外にいないではないか。

 

「一組の篠ノ之か。なにこの美少女。織斑君と一緒とかうらやましいねー」

 

 しのぎんが端末をのぞき込みながら舌打ちをした。

 

「……本来なら先に一〇二五室に訪ねるのが筋なんですが……先ほど行った時には誰もいなかったので……先にこちらを訪ねました……」

 

 先に篠ノ之さんを訪ねたと聞いて心臓が飛び出すのかと思うほどに慌てた。今頃織斑と篠ノ之さんは道場かアリーナのどちらかにいるはずだった。もし一〇二五室に篠ノ之さんがいたら彼女のことだから写真の出所をたずねるだろう。更識さんが姉崎と答えるだろうから確実に私が写真を流したのだと明らかになる。一度警戒されたら、信用を取り戻すまでに非常に時間がかかる上、私の立場が悪くなるのは道理だった。喉が渇く。震える手でお茶に口づけながら、更識さんの言葉を一言一句聞き漏らさない覚悟を決めた。

 

「篠ノ之さん……それと織斑さんのことが……知りたいと思って……」

 

 私の命運を決める手綱をつかみなら、更識さんがはにかみながら言葉を続けた。篠ノ之さんの名前を先に口にしたと言うことはこちらが本命で、織斑はついでだろうと考えた。彼女は気付いていないと思うけれど、今口にしたお願いを決して断ることができないと確信に至るほど、その写真は私に対してのみ絶大な影響力を持っていた。

 

「実は……私は中学の時に剣道部に……入っていました。でもISの搭乗訓練を優先させていたので……あまり部活に出ていませんでした……」

 

 中学生で代表候補になるほどだから本人の素質以上に搭乗時間も多いのだろう。部活との両立はまず不可能と考えるべきだった。

 

「……うちの中学の剣道部は団体が強い学校だったので、……三年の時、私は補欠として一緒に全国大会に行ったんです……」

 

 その大会ならば篠ノ之さんが個人の部で優勝を果たしていたはずだった。

 

「……うちの中学で一番強かった人が準優勝で……優勝者が篠ノ之さんでした……この前も助けてもらって……彼女のことが知りたいんです……」

 

 写真が大事なのか、愛おしそうに携帯端末を抱きしめる。その様子を見ていた私の心臓も締め付けられた。

 

「そうは言ってもこっちも知り合って一週間ぐらいだから、私の知識量なんてそこで駄弁るしのぎんと大して変わらないよ」

「えーちゃんは薄情だな。まどろっこしいから直接話ができるようにお膳立てしてやれよ」

 

 しのぎんが勝手に文句を垂れたけれど、(ケイ)が彼女の意見に賛同した。

 

「しのぎん頭が良い」

 

 彼女は平らとは言わないまでも自己主張が薄い胸を張ってみせた。

 

「そうなると夕食時だね。篠ノ之さんに話を通しておかないと」

「えーちゃんさすが」

 

 (ケイ)が私の背中をたたいた。(ケイ)の笑みを素直に受け取るほど余裕を持ち合わせていない私は、胸に手を当てて未だ緊張状態にあることを確かめた。

 私の焦燥に気づきもせず、しのぎんは屈託のない笑顔を浮かべていた。

 

「更識さん。近いうちに夕食時に篠ノ之さんと話ができるようにセッティングするね。そのとき織斑も一緒だろうからそのときに適当に質問して」

 

 私がそう言ったら、更識さんは目を潤ませ上目遣いで見上げてきた。そのとき更識さんの手から滑り落ちた携帯端末がカーペットの上を転がったけれど、私はそちらに視線が行ってしまいたくなる欲求を自制しながら胸をたたいて見せた。

 

「……ありがとう……」

「準備ができたら連絡するから端末のアドレスと番号を教えてもらえないかな」

 

 更識さんとお互いの携帯端末の情報を交換し合った。

 すると、(ケイ)としのぎんが手を挙げていて、私がいぶかしんで見ていたら、

 

「私にも教えて」

 

 と言ってきたので更識さんと見つめ合ってお互いに苦笑しながら端末を差し出した。

 目的を果たした更識さんが立ち上がったので、私は彼女を引き留め、急須と湯飲みを回収してキッチンへ誘った。

 

「ところで更識さん。その写真をくれた先輩って」

「……姉崎先輩です」

 

 湯飲みを流しにならべて、お盆を棚にしまい込む。そして写真の入手手段について聞き出すことにした。

 

「どうやって手に入れたの?」

「情報を……姉の情報を売りました……」

 

 姉ということはつまり生徒会長の情報を売ったという。更識さんは悪びれなく舌を出したのを見て、私は目を丸くした。

 

「……大したことは言っていません。姉崎先輩が私を同好の士がどう、とか言っていましたけど……あ、ごめんなさい」

 

 更識さんは振動する携帯端末を取り出して耳に当てた。

 

「もしもし……本音? 今、……号室にいる。うん。わかった」

 私は更識さんが電話に出ている間、急須のフタを開けてまだ使えるお茶の葉を乾燥させることにした。

 更識さんは話が終わったのか携帯端末を懐にしまった。

 

「……すぐに迎えの者が来ます」

 

 と更識さんが言うので、再び居間に戻るとIS談義に華を咲かせていた。キッチンで聞いていた限り、第二.五世代がうんぬん陸自の打鉄改とかデュノア社のラファール・リヴァイヴ・カスタムについて話をしているらしかった。

 (ケイ)はカタログスペックを暗記しており、しのぎんが最近更新された事柄について指摘している。

 しばらく聞き入っていたのだけれど、ノックする音が聞こえてきたので席を立って扉を開けると、布仏さんの姿があった。

 

「かんちゃんはいますか?」

 

 簪だからかんちゃん、と思い至って、更識さんのことを言っているのだと気付いた。

 

「更識さんが言っていた迎えの者って布仏さん?」

「そーだよ~。私はかんちゃんの付き人なんだよ~へへ」

 

 付き人というお話の中の職業だと思っていた。布仏さんが屈託無く笑いながら言ったのだけれど、私は振り返りながら少しだけおなかに力を込めて声を出した。

 

「更識さん。布仏さん来てるよー」

 

 するとしのぎんが頭を出して、次に更識さんが顔を出した。布仏さんに目を戻すと、更識さんの足音が近づくにつれてうれしそうに手を振っていた。

 

「本音。迎えに来てくれて……ありがとう」

「どういったしまして。戻ろー」

 

 脳天気な声を出す布仏さん。更識さんは部屋を出ると、私の正面に立って軽く礼をした。

 

「……連絡待ってます」

「任された」

「じゃあねー」

 

 布仏さんと更識さんがいなくなると、しのぎんが後ろに立っていたので、私は驚いて声を上げていた。

 

「悪い。驚かせちゃったか」

 

 部屋の奥から、しのぎんかえるのー、と(ケイ)の声が聞こえてきた。

 

「私も戻るわ。邪魔したな」

 

 しのぎんはそう言って自室に戻ってしまった。

 騒がしいのが一人減って室内に静けさが満ちた。私は壁に背もたれながら、携帯端末に表示された更識簪の文字を目で追いながら、

 

「宿題をつくっちゃったな」

 

 とつぶやいていた。

 

 

 


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