セシリア嬢が床に就くのを見届けてから眠って、あっという間に朝が来た。対戦するのは自分ではなかったけれども興奮して眠れなかった。鏡に写った自分の顔を見ると、睡眠不足で両目が血走っていた上に、見慣れた印象の薄い間抜け面があった。ジャージに着替えて
シャワーを浴びて制服に着替え部屋を出た。廊下には私と見覚えのある生徒がいたのであいさつをして、セシリア嬢の部屋に向かった。
私が見守る中
私はセシリア嬢の雰囲気がいつも違うのに気がついて、
「セシリアさん、いつもと雰囲気違わない?」
「わかりますの?」
私と
セシリア嬢はルームメイトと顔を合わせ、互いに笑顔を見せ合った。
「この子の提案で目元だけ化粧を施してもらいましたの」
「なるほど。いつもと違うと感じたのはそれか」
セシリア嬢のルームメイトが毎日化粧をしているのは知っていたし、彼女の華やかな顔立ちからむしろ化粧していない方がおかしいと思っていたけれど、セシリア嬢もしているとは思わなかった。
「これから戦いに
目に力がこもるようにお願いしました、と付け加えた。ルームメイトが胸を張っているので今回の化粧に自信があるようだ。
「セシリー食堂に行こー。もうすぐ混む時間帯だよ」
四人がけのテーブルが空いていたので定食が載ったトレーをおいてご飯に箸を付けた。相変わらず織斑と篠ノ之さんは一緒に朝食を取っていて、篠ノ之さんは眉根を寄せた不満げな表情をしている。織斑はといえばしきりに篠ノ之さんに話しかけては、
「結局一度もISに乗らなかったじゃないか」
と恨み言を吐いていた。織斑には同情していた。私が同じ立場ならば同じ文句を吐いていたに違いない。
「あっちも前途多難だねー」
「どちらにせよ一週間の付け焼き刃で何とかなるほど対IS戦は甘くありませんわ」
「さすが経験者は語る?」
「どんなスポーツでも、勉強でもそうでしてよ」
前途多難なのはセシリア嬢も一緒だろう。制空権を渡した挙げ句、戦術評価も未知数な地対空戦を企図しているのだから、強がっている割にいつもより左耳を触る回数が多かった。
「お願いがありますの」
セシリア嬢は箸を置いて改まったように背筋を正したので、私も釣られて背中を伸ばした。
「格納庫まで一緒についてきてくださいまし」
「同伴?」
「
私は
「お願いですわ。……やはり一人は不安ですの」
照れくさそうに言うセシリア嬢に、
「セシリアお嬢様、その申し出お受け致します」
「姉崎先輩のところまでは一緒に行ってあげる」
ルームメイトには席を確保する役割が与えられた。最初こそ不満そうな顔をしていたけれど、セシリア嬢が少し潤んだような瞳でお願いするものだから、感激したらしく二つ返事で了承していた。
▽
さて三人で格納庫に行くと姉崎が出迎えてくれた。いつもの白衣を羽織って、黒一色の布地に銀糸で流水の文様をあしらったISスーツを身につけ、普段はシュシュを着けている赤毛を頭の後ろで
IS学園は他に類を見ないほど美少女率が高いことでも全国的に有名なのだけれど、とりわけ温室の中でとりすました
「今日はよろしくお願いします」
セシリア嬢が頭を下げたので、私と
「おう。任された」
顔を上げると姉崎は笑顔を絶やさなかった。
「やばくなったらしっかり守ってやる」
姉崎に言われると、なぜか安心できた。彼女の背後にいる異形のISが存在感を放っていて、
「頼もしいですわ」
その声に私は、セシリア嬢が先ほどよりもリラックスしていることに気がついて、いっそう姉崎をうらやましく思った。
「あ、そうだ。オルコット君。手を出しなさい」
姉崎は白衣のポケットから紫色のお守りを取り出すと、セシリア嬢に手渡した。
「なんですの?」
セシリア嬢は手の中にある紫色のお守りの意味がよくわからずに首をかしげている。
「これな。ウェルキンから渡された、日本のお守りって奴だ。神の気を封入した
「まあ。サラらしい心遣いですわ」
愛おしそうにお守りを握りしめるのを見て姉崎が続けた。
「ウェルキンからの伝言。ブルー・ティアーズのお披露目だ。誇りを持って戦ってこい」
「サラの激励。確かに受け取りました」
セシリア嬢の瞳が力強く輝いた。
「当たり前ですわ。サラはわたくしが越えなければならない目標ですから」
セシリア嬢が決意を新たにしたちょうどそのとき、後ろの方から足音がしたので振り向いてみると、織斑と篠ノ之さん、そして織斑先生の姿を目にした。
この格納庫に来たという事は、試合前に回収班とあいさつを済ませておくつもりらしい。織斑は物珍しげに絶えず落ち着きなく辺りを見回していて、篠ノ之さんはさすがに動じていない様だった。そうかと思えば彼女は私の姿を見つけてたじろいだように見えたのは気のせいだろうか。
「オルコット。先に来ていたのか」
織斑先生が声をかけると、セシリア嬢が軽く会釈をした。
「ああ、お前たちはオルコットの付き添いか」
私と
「三年の姉崎だ。今回の試合の回収担当だ。よろしく」
私は姉崎の美人度を男性視点で観測できる瞬間だと思って、織斑の様子を注視していた。案の定見惚れていたので、篠ノ之さんのきれいなお顔がますます不機嫌になっていった。姉崎は織斑の様子を面白がるようにいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「君が一夏君か。さすが姉弟。織斑先生によく似ているな」
「よろしくお願いします。先輩」
姉崎が手を差し出してきたので織斑は握手をして返した。
「織斑の隣にいるのが篠ノ之だ」
「よろしく」
「篠ノ之です。よろしくお願いします」
篠ノ之さんは握手を求められたので、緊張した面持ちで握って返した。
織斑は腑に落ちない様子でしきりに姉の顔をうかがっていた。
「何だ。気になることがあるならはっきり言え」
「ISスーツ? 千冬姉……じゃなかった。織斑先生。試合に出ないのに何でISスーツを着ているのかなって思ってさ」
「織斑。回収班についてはさっき説明した通りだ」
「それはわかったんだけどさ。先輩がISスーツを着る理由を聞いていないんだけど」
「回収班には専用ISがある。見た目はアレだがな」
織斑先生は腕を組んだまま表情を変えずに言った。織斑がまだ納得できない様子だったので、私は彼の肩をつついて、姉崎の背後に鎮座する
「織斑、あれを見なよ」
「先輩の後ろにある変なのだろ」
「あれが回収班のISなんだって」
気付いた織斑はそのあまりの不格好さに絶句していた。回収班のISは班員自身が自信を持ってかっこわるい、と公言するほどの物で、織斑先生に至ってはアレ呼ばわりだった。姉崎が苦笑しているのが見て取れた。織斑がわれに返ると、姉崎は織斑先生の手を引いて、私たちには話し声が聞こえないように距離をとった。私は
「先生。彼のISは?」
「ああ、もう搬入が始まっている」
何か困ったことでも、と言いたげな様子だったので姉崎は、
「ぎりぎりですね」
と少し嫌みったらしい声を出していた。
「試合に間に合うなら問題ない」
「相変わらずそういう所がずぼらですね」
「そういう発言は倉持技研の技術者に言ってやれ」
織斑先生は気にしていたのか嫌みの矛先を開発元に転嫁してみせた。織斑先生の様子だと、倉持技研のエンジニアに来週までに機体を寄越せ、と無理なお願いを今みたいな様子で言われて、押し切られてしまったのだろうな、と思い至って名も知らぬエンジニアたちの努力に心の中で同情した。納期が繰り上がるということはつまり
織斑先生は、今頃燃え尽きているであろうエンジニアたちに手を合わせる私の姿に気付いて、考えていることがわかったのか、虫の居所が悪そうな表情をしていた。
姉崎はどうやら厄介な事情を抱えていて、まだ織斑先生に言いたいことがあるらしく、口調こそ丁寧だったが声が険しかった。
「先生。後で
「本当か?」
織斑先生は驚いた様子で姉崎の目を見つめた。
「本当です。こんなところで嘘言いますか。何ならサファイアやケイシーに聞いてみてください」
「わかった。後でヒアリングしておこう。生徒会長にはこちらから言っておく」
「ありがとうございます」
話が終わったみたいなので、私は戻って雑談していた
「どうだった?」
と聞いてきたので、
「あまりいい話じゃないね」
「後で聞く」
「そうして」
と私は首を振って見せた。
すると姉崎と織斑先生が戻ってきた。姉崎はおもむろに後ろを振り向くと、朝から忙しそうな整備科の学生に向かって声を上げた。
「おーい。織斑先生がシゲの件を
「まじっすか」
「やったー」
「先生ありがとー」
「愛してますー」
織斑は彼女らの反応にまだ慣れぬ様子で若干引き気味だった。
「千冬姉ってもてるんだな」
篠ノ之さんにこっそり耳打ちする。すると篠ノ之さんは片目をつむったまま、
「当たり前だ」
と断言した。そして呆けた様子の
「織斑、オルコット、カタパルトデッキに行くぞ。ISスーツに着替えるんだ」
「あ、はい」
セシリア嬢と織斑が返事をした。
「お前たちはどうする」
織斑先生は私たちを見回して聞いてきたので、
「一夏についていきます」
「セシリーにはわたしがついていきます」
と篠ノ之さんと
「私は観客席に行きます」
元々格納庫までついていく約束だったから、ここで別れることにした。それに真っ先に
セシリア嬢の姿が小さくなったので、私はいてもたってもいられなくなって、大声で声を発していた。
「セシリアさん。幸運を祈ります!」
別れ際にエールを送ると、セシリア嬢は拳を高く挙げて見せた。
▽
一人格納庫に残された私に姉崎が話しかけてきた。
「観客席までの道は分かるか」
「もちろんです」
「よし」
私は
「観客席にいく前にひとついいか」
「なんでしょう」
私は首をかしげた。姉崎が浮ついていて妙に顔が赤い。女性らしい艶めいた仕草までしている。
「篠ノ之箒の情報をくれ」
「えっと……え?」
私は姉崎の言わんとしていることが理解できず、再度聞き返してしまった。先ほどまでの堂々とした態度はどこかに行ってしまっていて、遠慮や恥ずかしさのためにはっきりしない様子だった。
「いや、彼女の顔が好みなんだ」
「私も篠ノ之さんの顔は大変好みですが」
この点については断言できたけれど、姉崎の言っていることは説明になっていなかった。
「だろう? なんでもいい。好きな食べ物とか好きな人とか。写真があればなおさら良いな。もちろん
私は先輩から友人の情報を売れ、と取引を持ちかけられていることと悟った。姉崎もたいがいな人物だとは知っていた。
しかし、姉崎の申し出は魅力的ではあった。ISの習熟度を上げるには実機に触れるしか無く、搭乗時間が多ければ多いほど良かった。打鉄やラファール・リヴァイヴといった訓練機は数が限られていて、実技試験が近くなると皆こぞって利用するだろうから、一人あたりの搭乗時間が少なくなるのは明らかだった。
私は決心した。
「三つ条件があります」
姉崎のことだから後で口約束を盾にして、回収班に引き入れようと画策する可能性があったので、開口一番に条件を提示して見せた。
「私は今のところ回収班に加わる気はありません」
「構わない」
「私の口利きで友だちを乗せてあげても大丈夫ですか」
「問題ない」
「もし過去問を持っていたら融通してもらえませんか」
「もちろんだ。テスト勉強のお手伝いをしてやってもいい」
「わかりました。放課後、先輩の携帯端末にメールします」
「取引成立だな」
私は姉崎に手を差し出してお互いに強く握りしめた。
今年の一年は黒いなー、という話し声が聞こえてきたが、あえて意識の外に追いやった。
「うふふふ」
「あははは」
そして姉崎と私は白々しい笑い声を上げていた。しばらくして深く礼をしてから観客席へ向けて急いだ。
▽
私は携帯端末に届いたメールを頼りにセシリア嬢のルームメイトの姿を見つけ、足早に彼女の元へ駆け寄りながら観客席上部に据え付けられたモニターを見やると、まだセシリア嬢たちは姿を見せていなかった。ルームメイトの横に座っていた鷹月が、
「遅い。何やっていたの?」
と聞いたのでセシリア嬢と一緒に格納庫へ行ってきたことを話し、
私が息を整えているとスピーカーから山田先生の声が鳴り響いた。
「皆さん。お待たせしました。今からオルコットさんの入場です」
言い終えるやいなや、セシリア嬢がカタパルトデッキから飛び出してきた。確かブルー・ティアーズのお披露目とか言っていたけれど、すべての観客に見せつけるように上空をゆっくり八の字旋回をしてみせてから、アリーナの中心に下り立った。そしてレーザービット四機を分離後、それぞれ長方形の対角になるように地面に配置して見せた。
本当にハンデをやるつもりなんだ、と前の方から聞こえてきて、私は口がにやつくのを止められなかった。
モニターにセシリア嬢の姿が映し出された。表情まではっきりと映し出した映像や、遠くから彼女の背中を映し出した映像など、様々な角度から映像が提供されていた。臨場感が出るようにISパイロットの声もマイクが拾うらしく、耳を済ませるとセシリア嬢の息づかいを聞き取ることができた。
再び山田先生の声がスピーカーから聞こえてきた。
「皆さんおはようございます。織斑君は少し発進が遅れます。もう少し待っていてください。それから今使用している通信は
次にセシリア嬢の声が聞こえてきた。
「了解しましたわ。わたくし試合前のチェックをしておきます。あまり待たせないでくださいまし」
セシリア嬢はレーザービットの制御プログラムをチェックしているらしく、四つのレーザービットを固定し、射出口の仰角を変化させながら半球を描くように動かして見せた。今のところうまく動いている様子を見てほっとしていた。どこに問題があるかどうかわからない代物を使っているので、重大な局面で不具合が露見したら、と思って心配になっていた。
鷹月がこちらを向いたのが目に入った。
「オルコットさんのあれ、あなたたちが一緒になって開発していたやつ?」
「そ。先輩たちと英国本国のエンジニアを巻き込んで作ってみました。ほとんどエンジニアと先輩がやったんだけどね」
鷹月が感心したようにじっと見つめてくるので、私は照れくさくなって目を伏せた。
「あなたって妙に積極的なのね。最初はそんな風には見えなかったけど」
「ないない。お節介なだけだって」
愛想笑いをしてみせながら、つい先ほど姉崎に篠ノ之さんを売り飛ばしてきたことを思い出して目をそらした。鷹月は意外とよく気付く子なので、事実を気取られないようにブルー・ティアーズに目を向けることにした。
セシリア嬢が装備について語っていたことを思い出すと、射撃型特殊レーザービット×四、弾道型ミサイルビット×二、
鷹月は携帯端末を操作して学内ネットワークに接続し、データベースからブルー・ティアーズの情報を取り出していた。
「オルコットさんは
まだIS戦についてよくわかっていない私は鷹月の言うことがよくわからなかったので説明を求めた。
「どういうこと?」
「ISは
「納得した」
緊迫した状況で焦るな、という方が無理がある。そういった状況に陥った場合、適切な武器の呼び出しに失敗することがあってもおかしくない。先日のウェルキン先輩のラファール・リヴァイヴも近接装備をすべて顕在化させた状態で模擬戦をやっていたので、おそらくこちらの方が一般的なやり方なのだろう。
「オルコット。待たせたな」
織斑先生の声がスピーカーから響いてきた。
「織斑、出ろ」
「待ちわびていましたわ」
もう一方のカタパルトから織斑らしきISが射出された。モニターを見ると
仕方なくアリーナを飛び回る白式に目を向けると、織斑は恐怖感を感じることなくアリーナ上空を飛んでおり、彼の専用機は白というよりくすんだ灰色に見えた。
織斑は無意識に白式のPICを使って滞空しながら地面を見下ろし、逆に彼を見上げているセシリア嬢を見つけてこう言った。
「お前は飛ばないのか?」
「制空権をあげると言いましたわ。わたくしは地面からあなたを見上げますの。そしてセシリア・オルコットの名にかけてあなたを撃ち落として見せますわ」
セシリア嬢の物言いは落ち着いていて澄んだ声色だった。
「上等だ」
織斑が不敵な笑みを口元に浮かべたのを見て、セシリア嬢は眼球を動かしてシステムメニューからある項目を呼び出していた。そして芝居がかった大げさな調子で織斑に宣告する。
「そうそう。あなたに最後のチャンスをあげますわ」
「チャンスだって?」
「わたくしが勝利を得るのは自明の理。今ここで謝るというのなら許してあげないこともなくってよ」
「そういうのはチャンスとは言わないな」
「そう? 残念ですわ。それなら……」
双方の機体のステータスを表示したモニターを見ると、白式の欄に警告という文字が表示された。そして不快なブザー音が鳴り響く。耳にする者に危機感を与える目標補足時の警告音だった。鷹月やセシリア嬢のルームメイトは驚いた様子でいて不快に顔をしかめている。
セシリア嬢は口を半月型に開いて薄笑いを浮かべた。織斑が慌てた様子で左右を見回して、それからセシリア嬢の仕業だと気付いた。
「レーダー照射ですわ。絶対防御をまとわない通常兵器ならこれで撃墜扱いですわね」
その様子を見て鷹月がため息をついていた。
「オルコットさん。悪ノリしてるね」
「やっぱり?」
「事情を知らない人がこの映像を見たら悪役にしか考えられないわ」
とっさに織斑は防御態勢を取っていたけれど攻撃は来なかった。しかし鳴り止まないブザー音と視野で点滅する警告という文字に不快な感情を露わにした。
その間にブルー・ティアーズはスターライトmkⅢを無駄のない動作で構えて白式を照準に納めて見せた。
「さあ踊りなさい。わたくし、セシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でる
それが試合開始の合図だった。
▽
最初に見たのは
白式のハイパーセンサーが一斉に警告音を発し、織斑の知覚領域はISコアによって本来人間が感じるはずの何十倍もの速度で押し寄せた情報の渦に一瞬だけパニックに陥った。システムが強制的に知覚領域を拡大させてようやく、情報の過多に慣れない頭脳は熱を帯びるに至った。織斑は何が起きたのか分からなかった。突然大量の汗が吹き出し、警告という文字の処理をするだけで眼球が異常な速度で動いているのだけは知覚できた。強烈な頭痛と高揚感、そして心拍数の増加に
一体何をされたのだ――理解しようにも情報処理が追いついていない。ISコアによる脳組織への浸食が起き、五感が鋭敏化し、時間の流れが異常に遅く感じられるようになった。全身を襲った焼け付くような痛みに似た衝撃は、つまりISのハイパーセンサーによってデジタル情報に置き換えられた、システムが
織斑は数秒の時を経て光学兵器が原因だと知覚する。その最中でもレーザーによって熱された微粒子が大気中の元素と化学反応を起こして大量のエネルギーを放出、すなわち爆発が起こっていた。
アリーナがどよめきに満ちた。
英国が開発した光学兵器のえげつなさを知らしめたのである。光を見た瞬間に攻撃が到達しているのだから打つ手がないと思考停止に陥るのが道理だったけれど、織斑はどうやら違ったらしい。
私がすぐにモニターに視線を動かすと、白式は光を避けようと空域で複雑な機動を見せながら逃げ惑っていた。ブルー・ティアーズが白式を捕捉し、スターライトmkⅢによる一方的な砲撃を加えていた。
白式のステータスモニターはゆっくりではあったが、シールドエネルギーの値が下降し続ける兆候を示していた。射撃を繰り返すレーザービット。常に三基が攻撃を加えており、一基が沈黙して砲身の冷却を行っていた。絶えずレーザーにさらされていて、その証拠に白式の装甲が爆発し続け、スピーカーから織斑の焦る声が聞こえてきた。
白式が高度を下げようと試みればスターライトmkⅢの砲撃が足下をかすめてうかつな飛行ができない。高度を上げても砲台が追尾する。次々とシールドエネルギーが削られていく。
厄介なのは固定砲台と化した四基のレーザービットが威力を落としてでも攻撃範囲を広げていることだ。ある空域をなめるように走査することで必ずISの巨体のどこかにレーザーが当たるように計算されていた。
白式の動きに無駄が多いことから織斑が操縦に慣れておらず、機体に振り回されていいることがわかった。時折スピーカーから織斑の苦悶の声が聞こえ、急激な知覚領域の拡大に伴う発汗などのバイタルサインに異常値が見られた。未知の感覚に戸惑っているようにも見えて、先生方は何もメッセージが発していない事から通常起こりうることなのだと考えていたのだけれど、織斑の表情は苦痛と焦燥に
操縦補助機能や慣性制御装置によって、IS搭乗時間がたった一時間未満の素人にもアクロバティックな三次元機動を可能にさせた技術は認めよう。しかし本来ならばISの操縦は、どんな車両や航空機と同じく、徐々に慣らせていくのが正道であり、模擬戦とはいえ素人に対IS戦を許可する辺り織斑先生のやっていることは無茶苦茶だった。
弟だからということで能力に対して身内の色眼鏡で見ているのだろう。織斑はIS使用に伴う脳領域の拡大のおかげで、端正な顔面が汗と涙と鼻水でめちゃくちゃな状態だった。瞳孔が完全に開ききっていて正視に耐えない。身の毛もよだつブザー音、脳内を跳ね回っているだろう警告という文字。
セシリア嬢の攻撃手段は戦術思想から戦闘機並びに爆撃機、弾道弾を相手取った地対空防御戦闘を意識した一連の技術群を対IS戦に無理矢理当てはめたものだった。データ収集を兼ねた実験的な戦闘ということもあって、通常兵器ならば攻撃の意思を失う程度の威力にすぎなかった。開始からずっとロックオンされ続けるというのは本職の戦闘機パイロットでも精神を
それでも織斑は諦めていなかった。刀身の長い近接ブレードを顕在化させて接近を試みる。一週間ずっと一刀の間合いに踏み込むことだけを訓練してきたのだ。刀の間合いまで接近し斬撃を加えることだけを考えているように見てとれた。
織斑を一方的になぶっているレーザービットの方は迎撃システムの制御プログラムをたった一週間で構築したので粗が目立っていた。ピンポイント射撃の実現を学生風情が数日で構築するのは土台無理な話で、とにかくシールドエネルギーを削ることに専念した。結果としてレーザーの減衰率が大きくなり貫通力はほぼ無くなった。本来であれば考慮しなければいけない条件が大量に存在していたけれど射撃管制系のモジュールも機能を絞り込んで使っている。よく学生風情が開発に取りかかることができたというもので、なぜなら言語の壁を突破できる人材が手元にいなかったら着手すら不可能だっただろう。ブルー・ティアーズは日本での販売を考えていなかったらしく、付属マニュアルはすべてヨーロッパの言語表記だった。本国のエンジニアに日本語を話せる人がいなかったため、エンジニアの解説を
セシリア嬢は地対空迎撃システム構築に当たって各種ビット操作における問題点を明らかにした。
発端は本国でサラ・ウェルキンが搭乗する第二世代の量産機であるメイル・シュトロームと対戦した際、ビットをすべてたたき落とされ、挙げ句の果て接近戦に持ち込まれてなすすべ無く敗北した事である。戦闘技能に隔絶した差があったというのも理由の一つであるが、一人の人間が一度に一つの武器しか扱うことができない、というごく当たり前の問題が明らかになった。
そのため泥縄式でブルー・ティアーズ型二番機のサイレント・ゼフィルスにビット自動制御プログラムの実装が急がれ、開発に人員を割かれたことから本来配備されるはずの実弾装備の開発スケジュールに大きな遅延が発生していた。
一番機であるブルー・ティアーズには引き続きテストベッドとしての役割を持たせて、英国本国から戦術の研究を行うように指示されており、自動化プログラムの実装がオミットされてしまった。そんな経緯があって今回の迎撃システム開発につながったのである。
複雑な制御を組み込む時間がなかったので楽をするために空域を平面で四分割し、低中高と三つの高度を設定し、ちょうど箱の中に標的が収まると判定できたらその箱の中に攻撃を集中させる。死角を少なくするために三点から照射する。セシリア嬢はスターライトmkⅢの砲撃とミサイルビットの操作に専念する、というのが今回の作戦の骨子だった。
織斑が低空への侵入を試み、レーザービットに設定した射撃高度よりも下に出ようとした。垂直に近い角度での急降下だったけれど、セシリア嬢にとって直線機動を読むのは
「足下がおろそかでしてよ。まず左足!」
スターライトmkⅢの砲撃が白式の左足に被弾し、シールドエネルギーが大きく減少した。
「このブルー・ティアーズを前にして初見でこうまで耐えたのはあなたで二人目。ほめて差し上げますわ」
「そりゃどうも。って俺以外にもいるのかよ」
織斑はまだ顔色が悪いままだったが、減らず口がたたけるほどに回復しており、モニターのバイタルサインは平常値の範囲まで下がっていた。
「ようやく慣れてきた。くそっ千冬姉のやつ、ISに乗るのがこんなに苦しいのなら最初から教えてくれりゃいいのに」
織斑は頭を振って、直後にスターライトmkⅢの三連撃を避けてみせた。近景と遠景の双方のモニターを見比べて分かったことだけれど、織斑はセシリア嬢の腕の動きだけを見ていて、砲身に対して注意を向けることすらしていなかった。眼球の動きは異常な速度を保ったままだった。
「わかったぜ。お前のライフルは三発以上連射が利かない。連続して三発撃ちきってしまうとエネルギーチャージが起きて攻撃ができない。そうだろ」
モニターに白式の後ろ姿が写った。種明かしをしながら忙しなく手甲に包まれた左手が閉じたり開いたりしていた。
「このレーザー兵器だってそうだ。攻撃範囲が広いだけで致命傷を負わせられない。ダメージを負わせること自体が目くらましだって種はとっくにバレバレなんだよ」
織斑の推測はほぼ合っていたけれど、セシリア嬢は余裕の笑みを絶やさない。言葉をつむぎながら眼球だけを動かしてウェポンメニューを開く。装備の拘束を解除し、
「あなたにそんな無駄話をしている余裕があって?」
「何だ、と」
突如として腰部付近に浮遊させていた筒状射出口が正面を向き、セシリア嬢の背後に噴煙をまき散らした。そして初速三〇〇メートル毎秒もの速さで弾頭が射出され、白式に向かって加速を始める。弾頭の後部に搭載されたエンジンから甲高い音が発せられ、私が耳をふさいだのもつかの間、人間の知覚よりもはるかに高速化されたISコアの演算装置は弾頭の威力がそれまでのレーザーとは比べものにならないことを予測し、織斑の心に宿った恐怖を検知するよりも早く、白式のスラスターを急作動させた。
そこから展開された追撃はミサイルに搭載されたCPUとISコアとの一騎打ちであり、織斑の意識は介在せぬものであった。白式はバレル・ロールしながら急上昇し、スプリットSで進行方向と高度を転換し、オーバーシュートの直後に
織斑がISコアから白式のコントロールの奪還に成功したときに先読み合戦に勝負がついた。コントロールを奪い返した事はつまり、
しかも四発のうち一発は不発弾で、衝突によって弾頭が自壊し、アリーナに黒と緑と灰色の内部部品と琥珀色のオイルをまき散らしていた。観客席を覆う防御壁にも破片が当たっては跳ね返っていった。
私は爆発に包まれた白式を眺めながら粘つくようなミサイルの機動に対して、とっさに板野サーカスという言葉を思い浮かべていた。
「終わった」
私はそう呟いていた。アリーナの上空に黒い爆煙が立ちこめ、白式がいたはずの場所は炎を上げて燃えている。ISには絶対防御があるとはいえ、三度も派手な爆発をしたのだからシールドエネルギーは残っていないだろう。そろそろ回収班の人たちが動くのではないか。
頭を振って戦績を確かめようとモニターを見上げると、白式のシールドエネルギーは未だゼロには至っていなかった。目を丸くして、爆煙が晴れるのを待った。
白式の形状が変わり、灰色ではなくその名が示すとおり白い装甲が太陽の光を受けて輝いていた。
「
鷹月が呆然とした様子で言葉をつむいでいた。その言葉は既に授業でおさらいしており、ISの
「無茶苦茶だ……」
私は驚きを禁じ得なかった。試合開始当初の織斑の苦悶に歪んだ表情を思い出した。戦闘を続けながら最適化が行われたという。どれだけの手順をスキップしたのかわからない。本来は専門家の管理下で数日掛けてゆっくりと行われる最適化をものの数分で終えた。時間を掛けるのはISだけでなく、パイロットの五感を含めた脳領域の拡大と最適化が行われるためだ。IS学園出版の資料集にも小さな文字で記されており、鷹月も織斑の脳に過剰な負荷が加えられた事に思い至って顔をしかめた。織斑先生がとった行動は弟を殺しかねなかった。
「これからは俺も俺の家族を守る。とりあえずは千冬姉の名前を守るさ。弟が不出来できちゃ格好がつかないからな」
織斑がなにやら格好つけたことを口にしていたが、思考停止から回復したセシリア嬢が攻撃を再開し、ミサイル射出に伴う金切り音が邪魔で何を言っていたのかすべて聞き取ることができなかった。
レーザービットも攻撃を再開し、白式の機動を
携帯端末を操作すると、
「見える」
白式は雪片弐型を振りかぶり、自らを捕捉した弾頭を真っ二つに切り裂いてみせた。起爆前に切り裂かれた弾頭は炸薬とエンジンの液体燃料を空中に散布しながら慣性のまま落下していった。
セシリア嬢はミサイルを無効化されたのでレーザービットの攻撃対象を切り替えた。しかし、すべての照射角度が本来想定していたものよりもばらけてきており、白式のハイパーセンサーによって隙間を算出されてしまっていた。降下する白式はレーザーの帯の合間を縫っていて、観客席の生徒たちはその機動を注視して誰も声を発しようとしなかった。
「しまった。砲身が!」
セシリア嬢はレーザービットの攻撃範囲に隙間ができた原因を瞬時に察知していた。スターライトmkⅢに連射制限が掛けられたのと同じ理由だった。すなわちレーザー発生時の熱負荷に砲身が耐えきれずで熱ダレを起こす問題である。急造の地対空迎撃システムではこの事に気付いていたけれど開発着手に当たってパラメータの実装を見送っていて、熱ダレに関するデータが不足していたこともあって本国のエンジニアに問い合わせする相談をしていた。
スターライトmkⅢで砲撃を加えたが、シールドエネルギーを削りきれない。肉薄する織斑の勢いが
「やらせるものですか!」
「いける!」
織斑が
対するセシリア嬢は膝を落とし、刃が身体を
そして結果が分からぬまま試合終了のブザー音が鳴り響いた。白式の残シールドエネルギーがゼロになっておりステータスモニターが赤く染まっていた。
「織斑機