少女Aの憂鬱   作:王子の犬

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★4 試作機ですもの。不具合があって当然ですわ。

 教室の後方。私たちはセシリア嬢を取り囲むように並んで立っていた。

 クラス代表が織斑になりかけた流れをセシリア嬢が自ら断ち切ったまでは良かったのだが、はじめからけんか腰だったために頭に血が上って決闘を言い出す始末。セシリア嬢の言い方があまりにも辛辣だったので、取り囲むクラスメイトの中にはこころよく思っていない者がいるはずである。

 早速というか、さっきのはちょっと酷い言い方じゃない、と真っ先に(ケイ)になじられて、

 

「やりすぎましたわ」

 

 どうしてこうなった、といった風情で頭を抱えるセシリア嬢に私たちはかける言葉もなかった。

 おそらくだけれど、織斑の中でセシリア嬢の印象は高慢で勝ち気でかわいげない女、ということになっているのだろう。織斑は篠ノ之さんと話をしていて、こちらには見向きもしていない。

 

「わ、わたくしも最初はハンデなしの戦いを考えていましたの」

 

 セシリア嬢は動じない様子でいたけれど、私たちに目を合わせようとせずに、その声音は小さくかすかに震えていた。

 

「あれは……お、織斑先生が悪いんですわ」

 

 私を含めたみんなは織斑先生の名が出てきたことで、とっさに事情が飲み込めなくて意外に感じていたけれど、すぐにセシリア嬢が責任転嫁を試みようとしているのではないかと考え、

 

「何でそこで織斑先生が出るの? 納得のいく説明をお願いしたいなー」

 

 と(ケイ)は表情こそ笑っていたが冷たい声音で続きをうながした。

 

「わたくしが決闘するといったら織斑先生の目が輝いてましたわ。それを見たわたくしは、うっかり調子にのってもっとたきつけてやろうと思いつきましたの。そこで、一見するとわたくしの方が不利に見えるよう制空権を差し上げる、と言ったらとても楽しそうな顔をしていましたわ」

「そんな見え透いた嘘」

 

 誰かが口にした。突き放したような冷たい声音だった。しかし私は先ほどの織斑先生の様子を思い浮かべ、セシリア嬢が言ったことには間違いがなかったので、

 

「いや、セシリアさんが言ってること嘘じゃないよ」

 

 と擁護してみせた。私はセシリア嬢が卑怯な悪者という立場に堕ちてしまうのではないかという懸念があって、彼女をかばって見せた。

 

「いつもの織斑先生がするような表情じゃなかったよ」

 

 いつもすました表情をしているか、不機嫌そう、それとも呆れたと言わんばかりの表情を浮かべている織斑先生が楽しくて仕方がない、という様子でいたのがとても印象的だったので覚えていたのだ。周囲を見渡すと、鷹月が胸の前で両腕を組んでしきりにうなづいてから言った。

 

「私も覚えてる。織斑先生ってクールな女って感じであまり笑わないって思っていたけど、あのときは妙に楽しそうだったな」

 

 私は(ケイ)とルームメイトのためかセシリア嬢の取り巻きの一人と思われている節がある。だから私の擁護は根拠に欠けるものと思われる恐れがあって説得力が弱い。しかし鷹月は中立でしっかり者として印象づけてきているので私よりもよほど説得力があった。その証拠にみんなはまだ鮮明な記憶を掘り起こして、織斑先生の表情を思い出そうとしている。

 場の雰囲気が悪くなるような流れを変えて、セシリア嬢に勝ち気なお嬢様から、相手をおとしめる悪者のような態度をとった理由を聞きたかった。考えを変え、声色を変えた理由をこの場で問うてみたい衝動に駆られた。あの言葉は何だったのか、セシリア嬢の中で貴族のあり方という言葉として集約されたものが何であるか、しばしのためらいを経た私はそれとなく聞こうと口を開いたのだけれど、鷹月の方が少しだけ早かった。

 

「貴族のあ……」

「よりにもよって制空権はいらないって言っちゃうのはどうかと思います」

 

 横から鷹月が指摘すると、セシリア嬢はますます頭を垂れた。鷹月は制空権の意味を分かって発言しているのだけれど、他の生徒の中には聞き慣れない単語に首をかしげている者もいた。

 

「制空権ってなーにー」

 

 一人が手を挙げて質問し、鷹月が説明した。

 

「ええっと。作戦空域の支配権またはその空域における航空部隊が行動可能な度合いの事だったかな。今回の場合は織斑くんはセシリアさんの頭の上を自由に飛んでもよいことを認める権利だね」

 

 その説明で合点がいったのか、質問した生徒は相づちを打った。さすがにみんな頭の回転が速い。

 

「それってすごく不利なんじゃない?」

 

 空を飛ぶ織斑。地面から見上げるセシリア嬢。高速でかつ複雑な機動。銃を構え未来位置へ弾丸を発射する。いくら経験があるからといって簡単に打ち落とすことができるものではない。セシリア嬢が差し出したハンデの重さにみんなは気づき、普段自信に満ちた態度のセシリア嬢をして、やりすぎた、と言わしめた理由を悟った。

 みんなの視線に耐えかねたのか、セシリア嬢はばつが悪そうになって目をそらした。

 

「何も考えなしに言ったのではありません。そもそも物事を殴り合いで解決しよう、というのが男性的な発想で」

「決闘しようって言ったのはセシリーじゃ……」

 

 すかさず(ケイ)の突っ込みが入る。啖呵(たんか)を切ったのはセシリア嬢に違いなかった。それは一年一組の生徒や織斑先生が証人だった。

 

「どう対応するつもりなの?」

 

 鷹月がセシリア嬢に問う。その場の勢いがあったとしても、怒りにまかせて無謀極まりない選択をするような人間には見えなかった。今は未熟であったとしても、きっかけさえ有れば冷静な判断を下せる人材だと私は考えていた。むしろそれだけ実力があるからこそ英国本国も代表候補生として選び、専用機まで与えるほどセシリア嬢の能力を買っているのだ。

 

「考えはあるにはあるのですけれど……」

 

 セシリア嬢は鷹月の質問に対して言いよどんだ。そして助けを求めるように(ケイ)に向かって視線を寄越す。(ケイ)は酷く意地悪な表情になって、なにやら視線だけで会話をしているらしく二人は何度も軽く首を横に振ったり、縦に振ったりしている。やがてセシリア嬢が折れた様子だった。

 (ケイ)は音もなくセシリア嬢の隣に移動し、こっそりと耳打ちする。

 英語を使うものだからすべて聞き取ることはできなかった。分かったのは歴史に学べ、という言葉。セシリア嬢の目が急に活気を取り戻して、考え込む素振りを見せたので、待つ間みんなは好き勝手に話をすることにした。

 

「ねえねえ。織斑くんは訓練機で来るのかな」

「学園の訓練機といったら打鉄かラファール・リヴァイヴだよね」

「ないっしょー。たぶん織斑先生が専用機を用意してるんだよー」

「それこそないって。一介の教師にそんな権限ないない」

「打鉄に織斑くんかー。打鉄ならどちらかと言えば篠ノ之さんの雰囲気だよね」

「何でここで篠ノ之さん?」

「甲冑だけに武士かなって。篠ノ之さんったら中学で剣道全国大会覇者なんだよね」

「月刊誌に実家が道場やってたって書いてあったよ。その名も篠ノ之道場」

「よく覚えてるわー。さすが剣術マニア」

「剣術じゃなくて時代劇だって。そうそう、この前織斑くんが篠ノ之さんと幼なじみで同門だって言ってた」

 

 セシリア嬢が顔を上げるのを待って、鷹月が聞いた。

 

「そこでトリガーハッピーなオルコットさん。実際戦ってみたらどうなのでしょうか」

「聞き捨てなりませんわね。わたくしはトリガーハッピーではありません」

「言い直します。実際戦ったらどうなるのでしょうか」

 

 真顔で言うものだから笑うべき所なのか判断しかねた。セシリア嬢も真顔で言い切った。

 

「接近戦ならばわたくしの勝ち目はありませんわ」

「え」

 

 みんなが驚いている。私も驚いた。セシリア嬢は気位が高いから、圧勝ぐらいは言ってのける、と思っていた。威勢が良く素人の織斑を歯牙にもかけない様子だったので、制空権を失っても自分の勝利を疑っていない位のつもりだったけれど、その予想があっさり覆されたのがとても意外だった。

 セシリア嬢は顔を上げて鷹月や(ケイ)、みんな、そして私を見て一度咳払いした。

 

「情報開示許可が出ているのでこの場で言ってしまいますけれど、わたくしのブルー・ティアーズは射撃戦を得意としていますの。敵がこちらの位置を知らない、あるいは敵に位置を知られている場合は彼我の距離が遠く離れていることを前提にしていますから、接近戦では他のISや支援車両、それに歩兵と連携して、というのが原則。単独行動中に懐に入り込まれたらわたくしでは勝ち目がありませんわ」

「つまり織斑くんの方が強いってこと?」

「彼の実力がどこまでか分かりませんけれど、接近戦ではそうなりますわね。ネットに落ちている動画を参照していただけるとおわかりになると思いますが、ブルー・ティアーズが接近戦で使える装備はインターセプターと呼ばれる近接ショートブレードのみ。打鉄が相手の場合、様々な装備が選択可能です。たとえば槍やロングブレードなどの装備の方がリーチが長いので、彼にも勝機がありますわ」

 

 私は(ケイ)と互いに顔を見合わせた。まるでセシリア嬢は接近戦が苦手のような口ぶりである。それならばお互いの近接武器では届かないような位置にいたらどうなるのだろうか。

 鷹月が同じ事を考えていたのか言葉を続けた。

 

「距離が開いていたら?」

「射撃戦ならわたくしの方が上手ですから、近づかれる前に撃ち墜としてみせますわ。とにかく接近させなければよいのです」

 

 セシリア嬢はみんなの顔をチラと眺め、すぐに自信に満ちた声音を発して胸を張ってみせた。

 織斑に接近戦を許さない、と暗に宣言しているわけだけれど、その自信の根拠がどこにあるのか。私たちは織斑の事を何も知らないのだ。それどころか、織斑先生が使用許可を出したアリーナがどのような設備か、IS学園そのものですらよく分かっていなかった。

 私は袖口を少しずらして、視線を左手首につけた時計に落とした。休み時間が残り少ないことを確かめ、口を開いた。

 

「はい。私から提案」

 

 みんなの視線が一斉に集まったので、私は続けた。

 

「そこで皆さんにお願いがあります。

 われこそはと思う人は織斑くんのサポートに回ってあげてください。そうでなくとも授業で分からないことを教えるとかトレーニングに付き合うでもいいです。学校生活に慣れなくて大変だと思うけどクラスのためだと思ってお願いします。残りの人はセシリアさんをサポートします。彼女はずいぶんクラスになじんでいるのでみんな気にしなくなってきているけれど、留学生ですから細かな所で不便を感じているかもしれません。こちらも有志で構いません」

 

 セシリア嬢をダシにして織斑と仲良くするチャンスだと言った。今のまま何もしなければ篠ノ之さんの総取りで終わるのは目に見えているからだ。気心知れた幼なじみと数年たって再開し、見違えるような美少女になっていたのだから、私が織斑ならばなんとしても落としてみせる。下衆な考え方だけれど初心だから手取り足取り私好みに仕込んでみせよう。

 私の邪な考えに気付いたのか鷹月がじっと見つめてきたので、その眼力に負けまいと見返した。そして最初に鷹月が私の考えに賛同の意を示した。

 

「もちろんそのつもり」

 

 一拍遅れてみんなも、当たり前だと言わんばかりの笑顔で答えた。

 

「もちろんだよー」

「ねー」

 

 しばらくなにがなんだか分からない様子を見せていたセシリア嬢だったけれど、やがて得心がいったのか、突然顔が真っ赤になった。傍目からみても落ち着かない様子だったので、(ケイ)がにやにやしていた。

 

「こ、こちらからもお願いしますわ」

 

 おそるおそるといった風情だけれど美人の留学生にお願いされるのは、胸がときめくものだ。悪い気はしなかった。以心伝心というやつで私たちはまったく同じタイミングで声をそろえた。

 

「まかせて!」

 

 授業開始のチャイムがなってすぐ、織斑先生から弟に専用機が与えられるのだと告げられた。理由は、

 

「予備の機体がない。だから学園で専用機を用意するそうだ。本来なら専用機は国家あるいは企業に所属する人間しか与えられないが、お前の場合は状況が状況なので、データ収集を目的として専用機が用意される」

 

 ということらしい。

 周囲がざわついて、わたしも専用機が欲しい、という声がまばらに聞こえてきた。政府の支援がついたんだ、とも聞こえてきた。素直に言ってうらやましい。打鉄は無骨で野暮ったいし、ラファール・リヴァイヴは特筆すべきところがない。専用機がデータ収集を名目にしているのでどんな不具合が潜んでいるのか分からない不安を差し引いたとしても、自分が特別視されている気分になれて気持ちよいだろう。駄作機をつかまされる危険もあるけれど。

 それにしても織斑先生の口ぶりからして、ISの男性搭乗者に対して裏でとんでもないお金が動いているのがわかって、私は素直に浮かれることができなかった。セシリア嬢を一瞥しようとしたところ、手前で鷹月がなにやら思案顔をしているのが見えた。そして鷹月がふと何かを思いついたように手を軽く上げた。

 

「あの先生。篠ノ之さんは、もしかして篠ノ之博士の関係者なんでしょうか」

 

 まさか、あるいは、と思っていた事だけれど、みんな織斑の一件や篠ノ之さんの近寄りがたい雰囲気に聞けずじまいの事で、大体篠ノ之などという名字が津々浦々に散らばっていると考えようもなく、十中八九そうなのだろうと期待して耳を傾けた。

 織斑先生は山田先生と一瞬だけ目配せしてから答えた。

 

「そうだ。あいつは篠ノ之の妹だ」

 

 教室が一斉に騒がしくなった。織斑だけでなく篠ノ之博士の血縁者もクラスにいるのだ。もちろんセシリア嬢といった外国の代表候補生もいる。私はとんでもないクラスの一員になったのでは、と驚きを隠せなかった。

 

「篠ノ之博士って世界中の国や企業が探しているんでしょ」

 

 岸原さんの高い声が聞こえてくる。

 

「どこにいるのか分からないの?」

 

 篠ノ之さんの隣の席にいた生徒が聞くと、こらえかねた様子で突然篠ノ之さんが一喝した。

 

「あの人は関係ない!」

 

 クラスの浮ついた雰囲気が篠ノ之さんの一言によって一蹴された。古傷に触れられたくない、と言った風情で篠ノ之さんから鋭い刀剣のような殺気が放出され、私を含めてクラス中が息をのんだ。

 澄んだ、ゆっくりとした声音で、篠ノ之さんは言った。

 

「私はあの人じゃない。教えられることは……何もない」

 

 私はそれ以上追求する声を上げられなくなってしまった。教室内に居心地の悪い雰囲気が生まれて、下手な質問すらできなかった。

 一瞬の沈黙があって、何気ない仕草で織斑先生が窓の外を見た。

 

「山田君」

 

 織斑先生が落ち着いていた表情にもかかわらず、いつにない鋭い声を放った。

 

「十分遅れだが始まったぞ」

「え? 今からですか!」

 

 山田先生がびっくりしたような声を上げて慌てて窓へ身体を向けたので、全員が窓の外へと注意を向けた。

 変化は小さなものだった。わずかだけれど、大量の空気を強引に吸い込む、途切れない音が聞こえてくる。

 圧縮された空気がノズルから放出されるようなかすれた音から、だんだん音が大きくなり、何かが回転を始める振動がして、カチカチ、と窓ガラスが窓枠ごと小刻みに震えているのが分かった。

 大気が切り裂かれるような騒がしさ。地震ではない。耳が遠くなったかのように轟音に埋もれて周囲の音が聞こえにくくなっている。

 この音は、まるで航空機のエンジン音だ。

 

「先生。学園の上空は学園に許可された航空機か、学園のIS以外飛行禁止では?」

「よく勉強しているな。もちろん外の騒音は学園が許可したものだ」

 

 山田先生が補足した。

 

「織斑先生。今日は航空部がエンジンの燃焼試験をするそうですよ。先月申請が出てました。明日はロケット研です」

「あいつらか」

 

 織斑先生は慣れている様子でこともなげに言った。あまり耳にしない部活名だったので、クラスメイトの一人が大声で質問した。

 

「航空部ってなんですかー?」

「うちの部活だ。正式名称は……ええっと山田君」

 

 織斑先生は航空部の名称を失念したらしく、少し考えてから山田先生へ振った。山田先生はよどみない口調で答えた。

 

「正式名称は航空機とその内燃機関を愛でる部活動です」

 

 なんだそれは、とクラス中が反応に困って複雑な顔をしている。まさかロケット研とは、宇宙開発を視野に入れたロケットエンジンの研究と惜しみない愛を育む会、などというのではあるまいな。液体燃料を使うか、固形燃料を使うかで派閥ができているのでは? と疑いたくなってきた。

 

「来週織斑とオルコットの対決の後、昼から講堂で部活紹介が行われる。そのときに詳しく聞いてくれ。それとアリーナを使用したい者は申請の手順と書式を教えるので後で職員室に寄るように。以上だ。山田君、授業を始めてくれ」

 

 

 放課後になってセシリア嬢がアリーナの使用申請に行くと言い出したので、私も一緒について行くことにした。(ケイ)はセシリア嬢のルームメイトを捕まえ、乳枕だー、などとのたまっていたら鷹月に注意され、一緒に勉学に勤しむことになった。

 そして職員室までの道すがら、私は山田先生の授業を振り返った。

 

「ISはパートナーとして認識しろ……か。セシリアさんもそうなの?」

 

 無機物に対して愛をささやけ、とまでは言わないにしろ、一時的に体を預けるものだから、もしかしたらISコアに対して信頼感のようなものを抱くのかもしれない。愛剣や愛銃のように切っても切り離せない関係なのかもしれなかった。

 

「そうですわね。ブルー・ティアーズはわたくしのパートナーに違いありませんわ。身体の一部と言って良いのかしら。面倒を見るようになってからもう長いですもの」

「そういうものなんだ」

「あなたもISに慣れていくうちに分かるようになりますわよ」

 

 セシリア嬢は左手でさりげなく髪を持ち上げて耳をあらわにすると、耳たぶにシンプルな青色のイヤーカフスがはめられていた。セシリア嬢の赤らんだ白い耳に澄んだ青がとてもよく似合った。

 

「わっかわいい」

「でしょう? わたくしのお守りですわ」

 

 私がはしゃぐのを見て、セシリア嬢は再びしとやかな仕草で耳を隠した。もっと眺めていたいのに残念、と頬をふくらませると、セシリア嬢はかすかに口元をゆるめて笑った。

 職員室へと入室し、私たちは織斑先生の姿を探したのだけれど、どこにも見あたらなかった。代わりにいつも織斑先生が持っているはずの出席簿を、胸の前で抱えていた山田先生が私たちに気付いた。

 山田先生の幼げな顔立ちが花が咲いたかのように明るくなって、私とセシリア嬢の名を呼んだ。

 山田先生の席に歩み寄ると、椅子ごとくるりと振り向いて私たちの顔を見上げた。

 

「もしかしてアリーナの使用申請ですか?」

「そうですわ」

 

 すぐに山田先生は身体をひねって机の左側に置かれたキーボードを操作して、学内ネットワークから申請書式の説明資料をダウンロードして私とセシリア嬢の携帯端末へと転送する。

 続いてターミナルコンソールにコマンドを打ち込み、アリーナ予約状況を表示するためのアプリを起動させ、その画面を右隣に置いていた大きめのモニターへ映し出した。

 

「アリーナを使いたい日時に希望はありますか?」

「できればこれから使いたいのですが」

 

 セシリア嬢がそういうと、山田先生は再び端末に目を落として、今日の放課後の項目を拡大表示して見せた。

 

「うーん。今日は先客がいますね」

「先客?」

 

 私はモニターをのぞき込むと、そこにはサラ・ウェルキンの名が登録されていた。

 名前からして留学生だけれど、一年生にはそのような名字の生徒はいないので、おそらく先輩なのだろう。

 

「まあ、サラでしたの」

 

 するとセシリア嬢は知己を見つけてうれしそうな様子だったので、私は聞いた。

 

「お知り合い?」

「この方は私の先輩でイギリスの代表候補生ですわ」

「そうなんだ。やっぱり強いのかな」

「格闘戦では本国の代表候補生の中でも頭一つ抜き出ていましたわ。このわたくしも彼女に操縦の手ほどきを受けていましたから」

「何かすごそうだね」

「ええ」

 

 私がセシリア嬢と話をする間も、山田先生は空いている時間を探していた。

 

「オルコットさん。明日の放課後だとちょうど空いていますね。今から予約しておきますか?」

「お願いしますわ」

「わかりました。登録しておきます。あと申請の仕方と注意点なんですが……」

 

 山田先生は私とセシリア嬢にアリーナの学生による使用申請について説明を始めた。要点をまとめると、学校行事や授業で使用する場合を優先とし、個人またはグループで使用する場合はIS操縦資格を持つ教員の許可が必要になるということらしい。許可を受ける際、できれば織斑先生や山田先生が良いが、もし捕まらなければ他の先生でも構わないということだった。

 

「アリーナの観客席は開場時間内であれば全面貸し切りの時を除いていつでも入れます。これから用事でアリーナに向かわなければならないのですが、お二人も来ますか?」

 

 山田先生に誘われて私とセシリア嬢は顔を見合わせた。セシリア嬢に行くか、と問うと、もちろんですわ、との答えが返ってきたので、私は先生の申し出を快く受けることにした。

 

「私たちもいきます」

「わかりました。ちょっと準備をするので廊下で待っていてください」

 

 職員室前の廊下に出て五分ほど雑談していると、山田先生が紙袋を抱えて姿を現した。

 

「お待たせしました。行きましょう」

 

 山田先生がそういって私たちを先導する。私は紙袋が気になって、中に何が入っているのかを尋ねた。

 

「先生。その紙袋は何なんですか?」

 

 すると山田先生は、紙袋の中を私とセシリア嬢に見えるように広げて見せ、その中にはさまざまな包装紙にくるまれたお菓子の箱が入っていた。

 

「これはですね。旅行に行ってらした先生方のお土産です。アリーナに詰めている生徒や職員にお裾分けしようと思いまして」

「東京土産とか北海道土産とかありますね」

「そうですよ。外国籍の先生もいらっしゃるので空港土産もありますよ。織斑先生はもらっても食べずにいつも私に寄越すんです。だからついつい二人分食べてしまって……が気になっちゃうんですよ」

「へえ……」

 

 さっきまでずっと山田先生を見つめていたセシリア嬢が不意に手を延ばして、先生の肌艶のよいほっぺに人差し指を埋めて見せ、

 

「柔らかいですわ」

 

 そう言って指先でつまんで引っ張ってみせるので、私は思わず苦笑した。

 

「お、オルコットさん。あわわ」

 

 生徒の奇行に、山田先生の処理能力が追いついていないらしい。赤くなりながら困惑する山田先生の目は、なんとも言い表しがたいようなやるせない哀願の色を帯びて、私に救いの視線を寄越してきた。

 

「ぷにぷにですわ」

 

 それはもう自由自在に頬の肉が形を変えていくのである。私は一緒になって触りたい気持ちをぐっとこらえた。

 

「あわわ」

 

 哀願するような切羽詰まった顔になったので、さすがに放置するのは悪い気分になって、

 

「セシリアさん、(ケイ)みたいだよ」

 

 そういって暗に戒めると、セシリア嬢はすぐに手を離した。

 

「オルコットさん。もうっ、先生をからかうのはやめてくださいね!」

 

 山田先生は紙袋を持たない方の手でさすり、頬をふくらませて見せたのだけれど威厳よりもむしろ小動物的な愛らしさの印象が先行してしまい、私はずっと苦笑しっぱなしだった。

 

「あまりに肌艶が良かったものですから。赤ちゃんのほっぺみたいでしたわ。先生はきれいな肌ですわね」

 

 何食わぬ顔でほめる辺りがあなどれないと思った。山田先生は怒るどころか、照れたように咳払いを始めた。

 

「せ、先生をからかわないで欲しいです」

「十代のようなきれいな肌をしていますもの。先生とおつきあいされる殿方がうらやましいですわ」

 

 恥ずかしげなくリップサービスを言う姿は私には真似できないものだった。セシリア嬢が年上の女性を手のひらで転がす幻が見えた。山田先生は面と向かってそう言われ、苦笑して、唇の端をかすかに動かしてから、頬を上気させてなまめいた目つきをしてみせた。

 

「とりあえず今回は見逃しますよ」

「ありがとうございます」

 

 とセシリア嬢がかしこまって言ってみせた。

 アリーナの入り口まで来ると、壁のモニターに二体のISの姿が映し出されていた。

 ラファール・リヴァイヴにはサラ・ウェルキン。もう一体の打鉄には神島という名の生徒。両名共に二年生で、前者は三〇ミリ機関砲一門、近接ブレード×二、背面のアタッチメントにアサルト・ライフルという出で立ち。そして後者は手持ち盾、フルオートのアサルト・ライフル、腰にブレード×二とハンドガンという装備だった。

 

「始まっていますね。さあ、まずは観客席に行きましょう」

 

 山田先生にうながされるまま、私とセシリア嬢はアリーナの観客席へ続くスロープへと足を踏み入れた。

 

 

 まるで膨大な音の奔流だった。

 彼我の距離はアリーナのグラウンドをめいっぱい使っていたが、打鉄は中央付近で盾を構えながら力をためるようにして降りたんでいた脚から運動エネルギーを放出した。機関音とともに跳躍、さらにもう一歩跳躍しながら次第に距離を詰めていった。アサルト・ライフルによって形造られた弾幕をものともせずに駆け抜けた。

 被弾する。盾の耐久値が削り取られる。構うものか。接近してしまえば得物が長いこちらが有利。打鉄のパイロットは思考する。

 打鉄の意図に気付いたのか、サラ・ウェルキンはラファール・リヴァイヴのアサルト・ライフルでは勢い付いた打鉄を止められないと悟って射撃をやめた。しかしあきらめたのではなかった。手段を変えたのだ。無駄のない優美な動作で長大な砲を構え、照準の中に打鉄をとらえた。

 そして射撃を開始する。ラファール・リヴァイヴの三〇ミリ機関砲が猛然と火を噴いた。

 今までにない重い音がアリーナを支配した。

 打鉄の足が一瞬だけ止まった。盾から伝わる衝撃は重く鈍く響いた。跳躍の方向を変える。着弾しても盾の傾斜角にさえ気をつければ弾丸が弾かれるはずだ。打鉄のパイロットの思惑は図にあたった。ジグザグに複雑な動きを描くことで三〇ミリ機関砲の照準がわずかに逸れ、自動照準機が彼我の距離を計算し微調整を行うコンマ数秒の時間差を埋めることはできなかった。

 しかし、サラは自動照準機の予測演算アルゴリズムを変更して難なく対応する。

 再び打鉄は被弾し、盾の耐久値が減少し始める。打鉄のパイロットは唇をかんだ。対応が早い。相手のパイロットは優秀だ。火力戦に持ち込まれてはいけない。このままジグザグ機動で進みアサルト・ライフルを撃ち続ければ手を変えてくるはずだ。

 サラは自機の位置を変えなかった。位置を変えれば火力が無駄になることを知っていた。三〇ミリ機関砲はアサルト・ライフルと比べて大口径大火力だったがその分集弾率が悪かった。元々戦闘機に搭載されていた機関砲を流用したにも関わらず射撃管制プログラムを学園が一から構築しなければならなかったために無理が生じていた。散布界が広いために位置を変えると再計算が生じる。しかも予測演算アルゴリズムのマニュアル切り替えが必要になるため、パイロットの経験値がそのまま命中率に反映された。

 三〇ミリ機関砲の欠点は打鉄のパイロットも知っている。だから盾を構えたまま突っ込んでくるのは自明だった。打鉄はシールドバッシュを狙い、よろめいたところをブレードで攻撃する腹か。乗ってやろうじゃないか。サラは砲撃を続けながら近接ブレードの固定器のロックを解除し、武器を持ち替えるために砲撃を止めた。

 熱され湯気が立つ銃身。銃身保護のため冷却の必要性が生じたこともあってか、サラは躊躇無く拡張領域(バススロット)へ転送した。

 三〇ミリ機関砲の砲撃が途切れた。打鉄のパイロットは三〇ミリ機関砲が量子化される様を見て、意図を悟られたことに気がついた。それはこちらが仕掛けた喧嘩にサラが乗ったことを意味していた。

 いける。あの、サラ・ウェルキンを潰せる。打鉄のパイロットは口元に浮かぶ笑みを抑えられなかった。同時に油断はミスを誘発した。視野に残弾数を示すゲージが赤く変色したことを見落とした。それは一瞬の視線の動作の遅れに過ぎなかった。何も音がしない。なぜ、と何度もトリガを引いたにもかかわらずスイッチ音がするだけで発砲できない。すぐに残弾がゼロだと気付いてマガジンを取り替えようと試みたが、時すでに遅くラファール・リヴァイヴの接近を許し、慌てて盾を構えたのもつかの間、眼前に迫った深緑の装甲に色を失った。全身に強い衝撃が走った直後視界が回転したことに混乱したが、腹部に走る強烈な痛みによってすぐ自分に何が起きたのかを理解した。

 タックルにより突き飛ばされ、砂煙立ててグラウンドを転がる打鉄に対して、サラは容赦なくアサルト・ライフルの弾丸をたたき込んだ。

 ――などと頭の中で勝手に解説しながら戦いの様子を眺めていたのだけれど、実際には()()()使()()()()()()()()()()のである。

 観客席の上方に設置された多面モニターには実際の映像をそのまま映し出したものと、リアルタイム演算による特殊効果が付加された映像が映し出されていて、現実のアリーナでは空薬莢が飛散するような事は決してなかった。

 

「あれ?」

 

 私は首をかしげた。ふっ、とか、くっ、とか、せいっ、とか威勢のよい気合いとか叫んでいたり、やりますわね、みたいな余裕ぶった戦士らしい文句が聞こえてきそうな白熱した試合なのは認めるのだけれど、マズルフラッシュや噴煙とかそういったものはなかった。あるのは銃を構え発射するポーズと被弾して衝撃で肩などがわずかに後ろにはねたようなポーズ。迫真のパントマイムを見ている気分になってむなしくなった。さすがに格闘戦になると得物を持ってやり合っていて興奮するよりむしろ安心した。

 私はなんともやりきれなくなって、目尻から大きな涙の玉を転げ落とした。失望し、乾いた唇で苦笑して山田先生にすがるような目つきで説明を求めた。

 

「先生……訓練って、これじゃないんですが。結構期待していたのに」

「そういう感想がくると思っていました。今から説明しますね!」

 

 下の段にいた山田先生は大きな胸の前で腕を組んで私を見上げた。

 

「学園の訓練機にはIS演習モードという機能が組み込まれています。実技演習などでは実際の装備を使用してISの訓練を行っていくのですが、もしも実弾を使った訓練のときに事故があったらいけませんよね。そうかといって経験を積まないと実地で使い物にならないというジレンマがありますね。そこでIS演習モードでは、IS使用者があたかも実戦のように感じるように設計されています。攻撃する側が銃を構え、狙いを定め、トリガを引く動作を行うと、攻撃される側は被弾を判定したら実際に被弾したときと同じような衝撃を搭乗者にフィードバックします。攻撃が当たったら痛いことを搭乗者に思い知らせるのも目的の一つですね。それに学園内に設置されたスーパーコンピュータとリンクしているのでISのシステムの管理や動作記録のライブラリ化を行ったり、試合記録を解析して無駄な動作や判断ミスがなかったか検討を行ったりするのにも役立ちます」

 

 確かにそうだ。平坦な画面でFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)をやるよりは実践的な訓練ができるのは理解した。そうはいっても、特殊効果ありと特殊効果なしの画面を見比べるとあまりに寂しいものがあった。

 

「でも実弾を使うのが一番いいんですよね。細心の注意を払って訓練すれば……」

「……と思いますよね」

 

 山田先生がため息混じりに答えて目を伏せた。その様子にただならないものを感じて後ずさりしてしまった。

 

「何かあるのですか」

 

 その真意を聞き出そうとした。山田先生は模擬戦に集中していたセシリア嬢に目を向けた。

 

「オルコットさん。空薬莢を一つ一つ手で拾って回収したいと思いますか?」

 

 自分に対する問いだと気付いたセシリア嬢が即答した。

 

「面倒ですわ」

 

 私は小さく挙手した。

 

「先生。その質問の意図はなんでしょうか」

「実弾を使うとものすごくお金がかかるんです」

 

 山田先生がまじめくさった顔で言うものだから、私は鳩が豆鉄砲をくらったような間抜けな顔になって、何度も瞬きをしてみせた。

 

「世界中から膨大な予算(税金/献金/資金)が投じられているのですが、それも無尽蔵ではありません。ISには自動修復機能があるとはいえ、修理にも予算が必要です。打鉄やラファール・リヴァイヴであれば装備も量産されているので比較的手頃な価格でそろえられるのですが、たとえばオルコットさんのブルー・ティアーズのような専用機だと部品の共通化がなされていなかったり、ブラックボックスになるとそれこそ総取替ですから人件費や輸送費もばかになりません。新品で武器をそろえるのもなかなか難しいこともあって、訓練機の中には中古の武器をIS用に改造したものが含まれています」

 

 私は中古の武器と聞いて、中学の夏休みに実家に遊びに来た叔父が父と古いゲーム機を持ち寄って航空機でのドッグファイトに興じていたことを思い出した。私はまさか、と気付いてその思いつきを口にした。

 

「あの三〇ミリ機関砲ってもしかして」

「はい。フランス空軍のラファール(Rafale)から取り外したものを融通してもらいました」

 

 装備を揃えた人は狙ってやったのでは、と頭が痛くなってきた。

 

 

「それでは回収班がいるIS格納庫に行きましょうか。早くこのお菓子をお裾分けしなくっちゃ」

 

 こっちですよー、と山田先生が手招きするので、私は名残惜しそうにモニターを見つめるセシリア嬢の手を握って引っ張った。ほどなくして関係者専用(STAFF ONLY)と描かれたボーダーシャツを着た男性をあしらった絵が描かれた扉があり、中に入ると奥に青色の鉄扉が見えた。

 そのまま招かれるようにIS格納庫へ入っていたのだけれど、思いの外中は広く、おそらく整備科の学生だろうか、つなぎを着た同年代の少女たちの姿が散見された。

 

「これは壮観ですわ」

 

 セシリア嬢が光に満ちた格納庫を見て感嘆の声を上げた。ISの設備といえばほとんど自動化されていて人間が直接作業を行う姿を見るのはまれだからだ。もちろん、それなりに設備投資がなされたところばかりが映像として外部の人間に提供されるため、そんな印象を持っているというのが正しい。私はどちらかといえば倉庫に機材を並べただけの印象を持った。

 山田先生はというと左右を見回して誰でも良いから生徒を探しているようだった。

 すると整備科の学生が私たちの姿に気付いたのか、油で汚れたつなぎを身につけたままこちらへ駆け寄ってきた。

 

「あー山田せんせー。お疲れさまー。なんですーその紙袋ー」

「先生たちからのお裾分けですよ。ほら」

 

 と紙袋の中身をあけて整備科の生徒に見せると、満面の笑顔になってはしゃぎ声を出した。

 

「うちらに? いいんですかー?」

「普段いろいろ無理を言っているお礼ですよ」

「とかいってー最近せんせー、ほっぺぷにぷにしてますよー」

「え? そんなことありませんよ。気のせいです」

「はいはい。せんせーありがとうー」

 

 マカデミアンナッツを見つけ、箱を振って音を確かめ、せんせーの差し入れは甘味ばっかなー、と口にするのが聞こえた。

 

「こちらこそ。ところで姉崎さんはいますか?」

「姉崎っすか。奥にいるんで呼びますねー」

 

 その生徒は後ろを振り向くと大きく息を吸って声を張り上げた。よく通る声だったので、目的とする人物らしき姿が私たちの方を振り向いたのがわかった。

 

「姉崎ー山田せんせー来たけん。相手したったってー」

「今行くわー。少し待てー」

 

 姉崎と呼ばれた生徒は学生服の上に白衣を羽織り、片眼鏡(モノクル)をかけ、長い赤毛をアップにして花をあしらったシュシュで止めている。背丈は(ケイ)と同じくらいで、宝塚にいそうな細面でいまいましいくらい粋な麗人だった。

 

「姉崎ー。山田先生からお裾分け。後でみんなでたべよー」

 

 整備科の生徒は紙袋を抱えて姉崎と入れ替わるようにして去っていった。

 姉崎は白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、私たちの身体を値踏みするように見回し、リボンに目をとめ、顎に指先をそえた。

 

「青色。一年生か」

 

 ハスキーで艶のある声音。山田先生を見下ろしてにっこり笑った。

 

「やまやのクラスメイトかな?」

「そうですよ。姉崎さん。来週の月曜私のクラスで模擬戦をやることになりました。そのごあいさつをかねて来ました」

「なるほど。この子たちが。紹介してくれるんだよね」

「ええ。そのつもりでしたから。こちらはセシリア・オルコットさん。そしてこちらが」

 

 私の名前を言った。山田先生に名を呼ばれたので姉崎に、どうも、と軽く会釈すると、切れ長の瞳を細めて愛想良く笑い、握手を求めて片手を差し出してきた。

 

「よろしく。三年の姉崎だ。回収班の班長をしている」

 

 最初にセシリア嬢、次に私が握手をする。硬い手をしている。姉崎は両手を広げて大げさに笑った。

 

「君がセシリア・オルコットか! ウェルキン君から聞いているよ! 専用機を任されるほど優秀だそうだな!」

 

 先輩の顔は満面の笑みと言った風情で、演技がかかったいんぎんな物言いだった。人に構うのが好きな性質らしく楽しげな様子だった。

 

「中を見ていくかい?」

「よろこんで」

「お願いします!」

 

 私には姉崎の申し出を断る理由はなかった。IS格納庫を直接見る機会がそう何度もあるわけではないと感じていたので快く受けることにした。姉崎が言った回収班が何か、というのも気になった。

 格納庫をうたっている割に打鉄もラファール・リヴァイヴの姿もない。あるのは姉崎が妙にうれしげな表情で足を止めて見上げている黒い両手両肩が不自然に盛り上がった奇妙な物体ぐらいだった。

 姉崎はもったいぶるような素振りで言った。

 

「うちのIS(リカバリー)だ」

 

 秘蔵のお宝を見せるかのように、興奮したもったいぶった言い方だったけれど、

 

「か、かっこわるい」

「気味が悪いですわ」

 

 回収班のISを見た感想はあんまりなものだった。セシリア嬢などは余りに現代の美的感覚からかけ離れた姿に顔をしかめている。私も正直言って打鉄についてずいぶん地味な印象を持っていたのだけれど、目の前の無機物に対しては、生理的な不快感がこみ上げてくるのを止められない。

 山田先生は慣れているらしく平然としていて、私が反応に困っていると、

 

「外見はよくないですが、乗員保護を目的としたISですよ。対IS戦でシールドエネルギーを失った場合、絶対防御も発動しません。生身の人間が戦場に放り出されることになってしまいます。こういった時が一番負傷する危険性が高まります。そこで回収班が出動し速やかにパイロットやISを回収、保護を行うんです」

「見た目はアレだが、硬くて大きくて壊れない。これでも一二〇ミリ滑腔砲を持っていて、時々自主トレに駆り出されることもあるんだ。学内ネットワークに動画をアップしているから暇な時に見て欲しい」

「回収班って先輩の他にもいるんですか?」

「いる。三年は私を含めて四名、二年が三名だ。専用ISに乗り放題だから優遇されていると思うのだが、なぜかこいつだけは人気がない」

 

 それは人気がないのも納得だ。重装甲のISなんて、とても流行るとは思えなかった。ISの外見は重要だ。姉崎に至ってはピント外れの呟きを漏らしていて、なぜ人気がないのかわからないと言った風情で、私とセシリア嬢はお互いの顔を見つめ合って姉崎の感覚がおかしいことを確認し合った。

 

「駆逐艦並みに忙しくて危険だから車曳(くるまひ)きとまで呼ばれているのがいけないのか……しかし、わたしたちがいないと試合が回らないのだが」

 

 山田先生が姉崎に尋ねた。

 

「来週の月曜は誰が乗るんですか? 午後から委員会や部活紹介ありますけど」

「わたしだ」

「班長自ら」

 

 ローテーションを確認したかったらしい。山田先生がメモを取っていた。

 

「いや、活動紹介を後輩に丸投げしたおかげでわたしが一番暇になった」

 

 今度は私が質問をした。

 

「回収班ってどんな仕事なんですか?」

「君か。さっきやまやが大体説明してしまったがな。回収班の仕事について簡単に言うとだな。模擬戦や試合でシールドエネルギーを失ったISとその搭乗者を回収し無事に安全圏へ待避することだ。この大きな防盾とデッキが搭乗者を守るんだ」

 

 異形なのは機能を重視した結果なのか。腕が六本もあるのは、二本では足りないと判断されたためか。

 

「こいつは元々軍事用に開発されたISだからシールドエネルギーのリミッターが存在しなくてな。普通はリミッターをかけるんだが、絶対に壊れてはならない役目を担っている関係で制限自体がオミットされた。馬力と信頼性だけなら学園に存在する全ISの中でも飛び抜けているだろうよ。その代わりと言っては何だが、絶対に誰も怪我をさせるような事態にはさせない」

 

 姉崎は私に顔を近づけて目をまっすぐ見つめた。あまりに真剣な表情だったものだから胸が熱くなってきた。

 

「どうだい。うちに来ないか。うちにくれば看護大への推薦権も得られるぞ」

 

 さりげなく新人の勧誘を行うあたり抜け目がなかった。山田先生が歩み寄ってきて、

 

「姉崎さん。勧誘活動は解禁日を待ってからにしてくださいね?」

 

 と有無を言わせぬような口調で圧力をかけてきた。課外活動に関して新人勧誘の制限がかかっているのだろうか。

 

「言葉の綾ではないか。うちは万年人手不足でね。いつも誰かを誘っているんだよ。やまやは厳しいな」

「私は全然厳しくなんてしてないですよ」

「ノーカンにして欲しいな。あははは」

「うふふふ」

「この人たち怖い」

 

 山田先生が初めて教師らしい威厳をまとっているように思えた。せっかく視線で火花を散らせていたところへセシリア嬢が割って入るようにして声をかけた。

 

「先生。アリーナのモデリングデータを学生に提供できませんこと?」

 

 モデリングデータを寄越せという。先ほど先生がISの動作を解析している、と言っていたのだから存在してしかるべきなのだけれど、

 

「一応大丈夫ですけれど」

 

 と山田先生はセシリア嬢の意図を掴みかていたのか、歯切れの悪い返事だった。しかし、姉崎の様子は違っていて、

 

「オルコット君はシミュレーションに興味があるのか? 最近の一年生は熱心だな」

 

 と言って目を輝かせたので、山田先生が雰囲気に気圧されてか一歩後ずさった。

 

「姉崎さん?」

「回収班で使っているデータを提供しよう。なんならロケット研が公開している弾道弾シミュレーションもつけるぞ」

 

 畳みかけるような口調でデータの提供を約束した。

 

「助かりますわ」

 

 セシリア嬢から感謝の言葉を引き出した姉崎は胸を張ってはにかんだ。

 

「美人に感謝されるのは良いものだな」

「姉崎さんもきれいだと思いますよ」

 

 セシリア嬢に世辞を言われて、姉崎は艶めいた表情をするので何故かときめきを感じてしまった私は目を伏せて、気の迷いだと唱え続けた。

 

「わたしはバイだから同性もいける口でね。この学園はきれいどころがそろっているから目の保養になる」

 

 両刀使いとか聞き捨てならない言葉を耳にしたが、気のせいだと思うことにした。

 

「それと決まりだから言っておく。データの外部ネットワークへの持ち出しは厳禁だ。あらゆる媒体で禁止だ。もし持ち出したときは」

「分かっていますわ」

「ならばよし」

 

 姉崎が釘を刺した。合格通知と一緒に細かい文字で情報漏洩インシデントに関する条項が書いてあったような気がするけれどはっきりと覚えていない。過去の先達が色々やらかしてくれたおかげで、個人情報保護規定の条文が試験に出るようにまでなった私たちの世代ならば、少し気をつければ問題ないだろう。

 

「もうひとつお願いがありますの」

 

 セシリア嬢は遠慮する素振りを見せなかった。姉崎は後輩の申し出を最大限かなえてやろうという気持ちになっているように見えた。

 

「言ってくれ。できる限り対応しよう」

「それでは。プログラミングができて物理学に詳しい先輩はいらっしゃらないですか? 少しお聞きしたいことがありますの」

 

 何かを制御しようという心づもりなのだろうか。姉崎は記憶を探っているらしく思案顔になった。

 

「それだと一番適しているのは航空部の部長だが……あいつは正直一般人におすすめできない。人として。それに航空部とロケット研は今燃焼試験で手が離せないからな。整備科のシゲぐらい? あ、だめか。彼女、更識(生徒会長)に目を付けられてて、妹のためにーとかせがまれてとっくの昔に拝み倒されていたからな」

 

 姉崎は助けを借りようと後ろを向いて、山田先生からもらったお土産をテーブルに並べている整備科の生徒に向かって大声で聞いた。

 

「おーい、プログラミングができて物理に詳しい奴っていたかー。シゲ以外でー」

「ちょっシゲさん以外ですかー」

「そーだー」

「二年の航空部部長はどっすかー?」

「お前なー。純粋な一年生にあんな変人を紹介する気かー」

「ですよねー。ちゃんといますよー」

「誰だー」

「弱電にいるアメリカ人留学生ですよー」

「弱電研究会? アメリカ人?」

「そっすよー。二年一組のテイラー、パトリシア・テイラー」

「……だそうだ」

 

 セシリア嬢の希望に沿う人材がいたことも驚きだったけれど、それよりもむしろ米国籍の留学生がいたことも驚きだった。IS学園のような施設はないけれど、保有コア数からIS操縦者育成の手段を自前で用意していそうに感じていたからだ。

 

「ありがとうございます」

 

 セシリア嬢が丁寧にお辞儀した。

 

「後で彼女の連絡先を調べて送る。学園から支給された端末を出してくれ。アドレスを交換しよう」

 

 姉崎とセシリア嬢はお互いに四角い携帯端末を取り出してアドレスを交換した。私も手をあげて、自分もアドレスを交換したいことを告げると快く応じてくれた。画面に姉崎の名前が表示されている。女性にしては変わった名前なので、私はつい声に出してしまった。

 

「姉崎(まもる)ですか」

 

 中性的な名前である。姉崎は中指の腹で片眼鏡(モノクル)の位置を直すと、

 

「男みたいな名前だろう? 両親は男を望んでいたのだがあいにく女の身で生まれてしまってね」

 

 と寂しげな口調で言った。女であることを悔やんでいるかのような口ぶりだった。セシリア嬢は懐かしそうな、それでいて羨望のまなざしを向けると、

 

「女でも男でも言いような名前をつけた。よい両親ではないですか」

 

 と穏やかに言った。姉崎は頬をかきながらセシリア嬢から視線を外して上を向いた。

 

「気に入ってはいるがね」

 

 そうつぶやく間も、セシリア嬢は姉崎を見つめて目を反らそうとはしなかった。

 その後私たちは山田先生からお菓子をいただき、他の回収班のメンバーや整備科の先輩方とあいさつしてから帰途についた。

 アリーナから外に出ると日が暮れていて部活動の片付けをしている生徒を横目に、セシリア嬢と並んで寮を目指していた。私は携帯端末をもてあそび、アドレス帳をスクロールさせながら回収班の先輩方の姿を思い浮かべながら言った。

 

「姉崎さん、いい人だったね」

「ええ。とりあえず問題点を解消する目処がつきましたし、久々にサラに会えて良かったですわ。あの打鉄の操縦者も荒削りですけど筋が良かった」

 

 観客席から見た模擬戦の様子を思い浮かべる。今日見たラファール・リヴァイヴの動きは嫌になるくらい洗練されていて、格闘戦に入ってからは鬼のように強かった。そしてびっくりしたのが、格納庫に顔を出した先輩方の姿だった。姉崎が目の保養になると言ったのは正鵠を得ていたのだ。

 

「ウェルキン先輩? きれいだったよね」

「さすがイギリスの代表候補生ですわ。文武両道かつ眉目秀麗を地でいっていますの」

 

 ふと疑問が生じた。ウェルキン先輩も代表候補生なのに専用機を持っていない。四組の代表候補生やセシリア嬢は専用機持ちなのにおかしいのではないか。代表候補生になれば専用機がもらえるのではないのか。

 

「あれ? セシリアさんも代表候補生だよね。何でウェルキン先輩は専用機持ちじゃないの?」

「一言で表せば、サラは英国の専用機が必要とする能力を持っていなかった、ということになりますわね」

「あれだけ強いのに? 格闘戦が始まったとき先輩の取り巻きがめちゃくちゃ騒いでいたのに?」

「サラは優秀でしてよ。こと格闘戦に関してはわたくしよりもずっと上。今日の打鉄のパイロットですらわたくしよりも技量で勝っていますわ」

 

 そこまで言ってしまえるものなのか。ウェルキン先輩に対する瞳は憧れと対抗心が入り混じったものだった。同じ飯の釜をくっていただけあって自分との差を知り尽くしているのかもしれなかった。

 

「なぜサラではなく、私に専用機を与えられたのか、その理由を楽しみにとっておいてくださると助かりますわ」

「ずるい」

「そう?」

 

 セシリア嬢は夕日を背にして意地悪な笑顔を見せた。私が解答をせがむと軽やかなステップで私の前を駆けだしたので、すこし驚いて私も足を早めた。

 

「ちょっとでも教えて」

「いやですわ。秘密があった方が格好いいでしょう?」

 

 

 翌日の放課後になって一度寮に戻った私や(ケイ)、ルームメイトはセシリア嬢から手伝いを言い渡されて、アリーナの土を踏んだ。

 私たちよりもやや遅れて姿を現したセシリア嬢は、青い旧型スクール水着と似たISスーツと呼ばれる服装を身につけていた。私はISスーツと言う着衣があまり好きではなく、身体の線がそのまま出てしまうので他人の前で着けるには少々勇気がいった。ただ汗の吸湿性は抜群で他の女子の目を気にしないでよいのならば、夏場に下着の代わりに身につけて登校したいくらいだけれど、その一線を越えてしまうのは女子としてどうなのだろうか。

 相変わらず白衣に身を包んだ姉崎の横に、見慣れない生徒の姿を見つけた。黄色のリボンからして二年生だと検討がついたけれど、その生徒は(とび)色の癖毛に浅黒い肌、彫りが深く一見して日本人ではないとわかった。おそらくは昨日、セシリア嬢が協力を仰げないか頼んでいた先輩なのだろう。

 姉崎はなにやら一方的に話し込んでいて、彼女の背中を何度もたたいていた。

 

「先輩」

 

 私が声をかけると、姉崎は唇だけ薄ら笑いした様子で機嫌がよいのか再び隣にいた生徒の背中をたたいた。

 

「おう。君たち。紹介する。彼女が二年のテイラーだ」

 

 何と言うか惜しい。きちんと髪をとかして眉の手入れをして、薄化粧でもすればたちまち凛々しさが出るのにもったいない。自信なさげな雰囲気は、守ってやりたくなるではなく、相手によってはいらだちを覚えさせるものに感じた。姉崎やセシリア嬢はまったく気にする素振りを見せず、あいさつが終わるのを待っていた。

 

「パ……パトリシア・テイラーで……す。よ……ろしく」

「昨日連絡したオルコットですわ。今日はよろしくお願いしますわ」

 

 私たちもセシリア嬢の後について自分の名前を言った。

 

「えっ……と……頼ま……れたもの……の構築が終……わってい……ます。す……ぐ作業に取……りかか……れるよ……うにし……た」

 

 留学生同士が日本語で話をしているのは不思議と新鮮な光景だった。声が小さく滑舌が悪いためか、聞き取るのが難しかったが、この場にいる顔ぶれはそのことを特に気にかけた様子はなかった。

 

「素晴らしいですわ」

「い……え。お気……遣い無……く」

 

 姉崎は観客席の防護壁の傍まで歩いていき長机に置いた端末を開いた。パトリシア先輩がおずおずと長机を指さした。

 

「データ取得……前にブルー・ティ……アーズとの接続チェッ……クをお願……いします」

「ええ」

 

 セシリア嬢が量子化されていたブルー・ティアーズを顕現させ、その身に鋼鉄の装甲を着けてみせた。

 そういえばセシリア嬢が専用機(ブルー・ティアーズ)を使うところを初めて見た。青を基調とした洗練された姿。無線通信による意思疎通で自走機動を取ると思われる六本の羽。胴部の装甲が薄く見えるのはISの生体保護機能が充実している証左で、見た目よりも丈夫だった。四肢を強化する事からISがパワードスーツの流れから派生したものだと分かる。

 パトリシア先輩は端末を置いた長机に移動し、端末の前に立った。そのまま私たちが画面をのぞき込むのを背にしながら学内ネットワークを経由して、アリーナの立体モデルを表示させた。立体モデルを取り囲むように六つの窓が開かれていた。

 パトリシア先輩が手を挙げて人差し指を立てる。合図なのだろうか、セシリア嬢は彼女がブルー・ティアーズと呼んだ羽のうち一基を空中に浮遊させる。すると窓の一つに座標と思われる数値が表示され、画面の範囲外へと流れていった。そしてセシリア嬢が遠隔操作する(BT)の動きに合わせて立体モデルに光の軌跡が描かれた。

 

「オルコットさんが羽を飛……ばして空間座標を計測し……ます。一度……通過した場所は……今のような……感じで立体モデルにプロット……されます。私たちは羽……の軌跡を確認して、もし通っ……ていな……い場所があった……らオルコットさんに教えてあげ……てください」

 

 パトリシア先輩がたどたどしく説明するが、操作がほぼ自動化されていてモニターに表示される数字とプロットされた点を見つめるだけでいいと聞いて安心した。私と(ケイ)がモニターをにらめっこして立体モデルに色が付いていない場所を指示する役目らしい。

 セシリア嬢のルームメイトだけあらかじめ別の役割を任されているらしく、端末とキーボードを脇に抱えてアリーナの真ん中へ駆けていった。

 

「先輩は見ないんですか?」

 

 私が声をかけると、パトリシア先輩は隣のパイプ椅子に腰掛けて、もう一つの端末を開けて仕様書らしきドキュメントファイルを展開していた。

 

「オルコットさんから依頼……されたコーディングが途中……なので今のう……ちに終わ……らせてし……まいます。隣に……いるので分から……ないこ……とがあった……ら遠慮無く聞……いてく……ださい」

「なるほど」

「わかったー」

 

 私と(ケイ)は交代でアリーナの使用可能時間いっぱいまで、モニターとセシリア嬢への指示を続けた。

 その後、ブルー・ティアーズに組み込むデータの確認や動作試験、セシリア嬢の練習もかねて、順番で打鉄に乗ってテストに付き合った。セシリア嬢曰く、作戦空域に対する地上兵器による迎撃というのが今回の方針らしい。英国本国のブルー・ティアーズ開発陣から制空権を奪取された状態を想定するのもよいだろう、という話が出ており、ブルー・ティアーズを固定砲台化するための戦術と支援プログラムを寄越してきたというのだ。迎撃に関する基礎概念は既に構築されていたとはいえISを軸とした兵装で実現するのは初めてらしく、データ取得を目論むだけに時々怪しい動きをするなどとぼやいていた。

 パトリシア先輩がコーディングに勤しんでいたのは、本国のエンジニアが書いたプログラムだと初日に取得した空間座標がそのまま使うことができない、とわかったので仕方なくインターフェースをスクラッチビルドする羽目になったのだという。一週間で形にはしたのだけれど、たぶん本番でも不具合が出るに違いない。

 明日のクラス代表決定戦に備えて早めに修羅場を後にしたセシリア嬢はルームメイトと私をつれて、自室に戻っていた。

 椅子に腰かけるなりすぐ、私はパトリシア先輩の受け売りの懸念を口にした。

 

「ブルー・ティアーズとのリンク……なんかたくさんバグが残ってそうなんだけど」

 

 一応動く。本来ならば十分な時間と人材を使ってやるべき作業を学生が数日で動くようにはした。姉崎やパトリシアをはじめとする先輩方の能力と支援によるところが大きかった。

 残っていそう、と推測の形でセシリア嬢に伝えたのだけれど、実際は残っていた。今も、パトリシア先輩や姉崎が声をかけた他の弱電所属の生徒が既知のバグを突貫で潰している最中だった。協力に当たっていろいろ怪しげな約束をしてしまったのでその点不安ではあったが、学園生活の一環としてあきらめていた。

 セシリア嬢は不安の欠片すら見せなかった。あるがままを受け入れている、そんな調子だった。

 

「試作機ですもの。不具合があって当然ですわ。わたくしのブルー・ティアーズで得たノウハウを二番機が、そして量産機が受け継いでいくんですの。わたくしのブルー・ティアーズはなるべくしてなった欠陥機ですわね。それに織斑君も専用機、つまり試作機。しかも当日に届くみたいな事を言ってましたから、フェアではなくて?」

 

 私は織斑に同情していた。ここ数日セシリア嬢に付きっきりだったので、鷹月や布仏さん経由で織斑の状況を教えてもらっていたのだけれど、ISに関してはろくに訓練も実施していないらしい。勝負勘を取り戻させるために篠ノ之さんが竹刀でどつき回しているとか。

 セシリア嬢のルームメイトが慣れた手つきでカップに紅茶を注ぎ、どうぞ、と真っ白な器を寄越した。私は紅茶を口にして一息つき、ご褒美などと言ってルームメイトの頭をなでるセシリア嬢を眺めた。子犬みたいに懐いているので微笑ましいと感じていた。

 

「明日は自信あるの?」

 

 愚問と言われるかもしれないけれど、私はセシリア嬢の意気込みを聞いてみたかった。

 

「なぜそのような質問を?」

「篠ノ之さんが織斑を鍛え直しているみたいだよ」

「愚問ですわね。私が勝ちますわ」

 

 セシリア嬢が言うと本当に勝ってしまう気がした。ただし、セシリア嬢が企図する戦いはあの日、サラ・ウェルキンが見せたようなものではなかった。

 


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