天地がすがすがしく明るい空気に満ちる中を、磯の香りに誘われるまま、島と本土をつなぐモノレールを遠目に眺めながら、桜が咲き誇る間道をゆっくりと走っていた。
山吹にアケビ、庭桜といった植物たちを目にしながら、腕に巻き付けた携帯端末が今私たちがどこにいるかを教えてくれる。
隣を走るのは
早朝のランニング。学生寮の付近の道を覚えるために軽く流すつもりだった。
学生寮まで戻ったころには息があがっていて、一階の談話スペースにおかれたソファーに背中を預け、呼吸を整えながら携帯端末を指でタップすると、案の定復路のタイムが予定時間よりも早まっていたので、どうやらペース配分を誤ってしまったらしい。
ハンドタオルを取り出した
入り口にジャージ姿の生徒が他にもいて、頬が上気しているところから察するに彼女らもランニング帰りなのだろう。途中で見かけなかったのは別のコースを選択したためか。
「えーちゃん。部屋に行こうよ。柔軟するよー」
自室で柔軟を終えてベッドにうつぶせた私は、昨日のお節介を思い出して、つくづく生きていることはすばらしいと神仏に感謝した。
篠ノ之さんが有段者だったことをすこぶるうれしく思った。
というのも、木刀が眉間に触れる直前で寸止めしてくれたおかげで、恐怖のあまり腰が抜けただけで済んだのだ。篠ノ之さんが真っ赤な顔でばつが悪そうに物資を懐にしまったので、私は達成感に満たされながら無事床に就くことができたのである。
下手を打ってIS学園の敷地内で死者が出たなどと言ったら、前代未聞の不祥事として全世界から非難の的にされるか、あるいは両親に多額の示談金が提示されて闇へと葬り去られるに違いない。
「おまたせー。シャワー空いたよー」
シャワーを終えた
織斑と同じくらいかそれ以上の背丈に、均整が取れた体つきをうらやましく思う。胸もおしりも大して大きくないのだけれど、同じ女性とは思えないほど長くすらりと伸びた足、しなやかな細腕、しかも鍛え上げられた筋肉の上に適度の肉をのせた理想形で、ところどころに生傷のあとがあるのにまったく気にならない。
制服を身につけて
「おはよう篠ノ之さん」
私は昨日の件もあってか、いささかぎこちなくあいさつをしたのだけれど、篠ノ之さんは私に声をかけられてびっくりとした様子で目を丸くした。憂鬱な表情で髪をもてあそびながら小さな声で朝のあいさつを返した。
「おはよう……」
「昨日はごめんね。あれからどうだった?」
「どうもこうもない。お前のせいで変に……その、意識してしまって……」
目をそらして口ごもる篠ノ之さん。何度も髪に指を絡めてはほどいてを繰り返している。
この様子ならば織斑は一線を越えるようなことはしなかったのか、と感心したけれど、少し残念ではあった。
「お、お前のせいだぞ。……あいつの顔をまともに……見られなくなった」
頬を染めてつぶやく様子に、策士疑惑をかけていたことを棚に上げて、初心な反応が実にかわいらしい子だと胸を打たれ、いつもの下衆の勘ぐりではなく純粋に彼女の恋心を応援したいという気持ちがふつふつとこみあげてきたのだった。
私には男と付き合った経験はないけれど、少しばかりの勇気を与えるくらいならできると思って、篠ノ之さんの目をまっすぐ見つめて、
「篠ノ之さん。いいかな」
「何だ」
「男の子を落とすのはココしだいだよ」
とにっこり笑って、その左胸を人差し指で小突いてみせた。
するとどうしたことか、耳まで赤くなった篠ノ之さんは、私の人差し指から無理に逃れようとして体勢を崩し、後ろに倒れかけたので、思わずその手首をとって引き寄せていた。
篠ノ之さんを抱きかかえるように受け止めた私は、突然のことに舞い上がってしまって、かわいい、と思って抱きしめたくなったのだけれど、彼女の肩がかすかに震えたことに気がつくや、すぐに体を離した。
シャンプーの残り香が鼻をくすぐる。案外締まった体つきをしているんだな、などとぼんやり考えていたら、突然一二〇五室の室内から織斑の声がしたので、私と篠ノ之さんは真っ赤になったままお互いに半歩ずつ距離をとった。
「すまん箒。待たせた……あれ?」
廊下に現れた織斑は篠ノ之さんの様子に首をかしげている。そして私の姿に気がついて少し考え込む素振りを見せてから、ああ、と声を漏らして私の名前を呼んであいさつをした。
私はすぐあいさつを返して、ふとした疑問を口にした。
「名前を覚えてくれてたんだ」
「まあ、ね。印象が強かったからさ」
織斑は頬をかきながら言いにくそうに答えた。私は昨日の失敗を思い出して、急に恥ずかしさがこみあげてきたので、きびすを返して
数歩進んだところで、私は篠ノ之さんに念を押しておこうと思って足を止め、振り向きざまに、
「それじゃあね篠ノ之さん。がんばってね」
「それが余計だというのだ!」
と去り際の余計な一言に、篠ノ之さんは声を荒げて怒鳴った。
子犬のような生徒はセシリア嬢と
セシリア嬢と比べても小柄で、とにかく子犬っぽい雰囲気をまとっている。クラスに一人はいそうな少し落ち着きのない女の子。目が大きくて日本人形みたいに色白で癖のないまっすぐな髪。ローティーン向けファッション誌のモデルとしてやっていけそうな華やかな顔立ちなのに、なぜかとある部位が気になってたまらない。あまりにも大きいので思わずつばを飲み込んでしまった。一度気になったら顔よりもその下に注意がいってしまって、そこから目を離すことができない。腰なんてセシリア嬢よりも細いのに、出ているところは出ているときて、この子は本当に同級生なのか疑わしく思えてきた。何を食べたらそうなるのか。誰か教えて欲しい。
金髪に対する過剰なスキンシップにこらえかねたか、セシリア嬢の肩が怒りで小刻みに震えている。見かねた私は背後から
「
縦ロールを引っ張って離してを繰り返していた
「ちぇー。縦ロール面白かったのに」
「人の髪をおもちゃにしないでくださいまし」
セシリア嬢が頭を振り、手の甲で金髪を払った仕草は、化粧品メーカーのシャンプーのコマーシャルみたく堂に入ったものだった。
「あなたって人は小さい頃と何にも変わってないのね」
「えー。変わったよ-。背も伸びたし。いっぱい勉強したよ。それに大人っぽくなったと思ってるんだけど」
「わたくしが言いたいのは立ち振る舞い方の事ですわ。少しは自重しなさい」
「きーをつけまーす」
と
「幸せ逃げるよー」
と
▽
食堂にて私は三角巾を巻いた品の良さそうなおばさまから朝食を受け取って、先んじて席を確保した
窓辺に近い円形のテーブルに
私はセシリア嬢に遅くなった事について詫びをいれた。
「ごめん。待たせちゃった?」
「わたくしたちもさっき席についたばかりですわ。気になさらないで」
セシリア嬢は同意を求めるようにルームメイトに視線を流すと、彼女もうなずき返した。
私は手を合わせて、いただきます、と言い終えるや、早速箸をとって魚の塩焼きをつつき、セシリア嬢は器用に箸を使って白米を口にしている。
もぐもぐ食べながら、何気なく中央のテーブルを眺めていると、篠ノ之さんが私に気付いたらしく、不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。織斑の姿を認めて近づこうとした他クラスの生徒が、その近寄りがたい雰囲気を敬遠して、右へ左へとそれぞれのテーブルに散っていく。私はそんな篠ノ之さんをぼんやり見つめて、美人さんは怒った顔もきれいなのですね、と感慨にふけった。
みそ汁をすすってお椀を置いた私は、セシリア嬢に話題をひとつ振ってみることにした。
「セシリアさん」
「何ですこと?」
「織斑が入試で教官倒したって本当かな」
「事実なら運が良かっただけですわ。ブリュンヒルデの血統とはいえセンスを受け継いでいても技術は素人なのですから。対IS戦をセンスだけで勝てるなら誰も苦労しません」
セシリア嬢はお茶を一口すすってから、自信を持ってそう言い切った。そして思い出したように私の目を見た。
「あなた。日本人は銃に慣れていないと聞きましたけれど」
「ないない。近所の男の子がおもちゃの拳銃持って走り回っていたのを見るくらいで」
「入試の模擬戦はどう乗り切ったんですの」
「入試の時は、打鉄って言うんだっけ? 初めてIS着てよく分からないまま会場に放り出されたら、試験官のISが銃を構えて戦えって言うんだもの。銃口がこっち向いているのを見ただけでさ。足がすくんで指一本動かせなかったからね。何で私が受かったのか今でも不思議だよ」
セシリア嬢のルームメイトも私と同じような内容だったのか、何度も首を縦に振っていた。ふと気になって
「はーい。銃撃ったことあるけど」
と意外な言葉を口にした。けれどもセシリア嬢の反応は違っていて、
「あなたなら当然でしょう。
眉間にしわを寄せてむしろ撃った事がない方がおかしい、と言わんばかりの様子に私は驚きを隠せなかったので、
「
とおそるおそる聞いてみると、あっけらかんとした様子で胸をたたいて見せた。
「昔じいさまに頼み込んで一発だけ猟銃撃たせてもらったけどさ。ドン! って音が怖かったのなんの。ものすごい衝撃で腰が抜けちゃったよ」
「そう。おじいさまはお元気?」
「ぴんぴんしてるよー。元気すぎて殺しても死なない気がするね」
セシリア嬢はそんな
お茶を一服するためにセシリア嬢から視線を外す。周囲が妙にうわついた雰囲気を醸し出しているのが気になって食堂中を見回したら、みんなの視線が中央のテーブルを注がれていることがわかった。
織斑がしきりに、ずっと仏頂面のまま箸を進める篠ノ之さんをなだめようとしていたので、募る好奇心に負けて私も聞き耳を立ててみることにした。
「いつまで怒っているんだよ」
「怒ってなどいない」
「顔が不機嫌そうじゃん」
「生まれつきだ」
篠ノ之さんが不機嫌になるようなまねを織斑がやらかしていたのだろうか。彼女が怒っているのは昨日の一件も絡んでいるので少し申し訳なく思う。
魚の塩焼きを何気なく口にした織斑は舌鼓を打って、その気持ちを素直に篠ノ之さんに告げる。
「箒。これうまいな!」
前後して、やっぱり彼も強いのかな、という声がこちらにまで聞こえてきた。
織斑も同じ声に気付いたのか一瞬だけ後ろを振り返ったかと思えば、すぐに篠ノ之さんを名前で呼んだ。
「なあ箒」
「名前で呼ぶな!」
織斑が懲りない様子だったので、篠ノ之さんが机を強くたたいて鋭い口調で抗議した。突然の音に私もびっくりしたものの、それ以上に先ほどまで織斑に注意を払っていなかった生徒からの注目を集める結果となった。
「えっと、篠ノ之さん」
篠ノ之さんの刺すような視線に耐えかねたのか、織斑が頭をたれて降参した。
ふと入り口の方から歩み寄るのは、黒髪ロングで顔の左側を二本の赤いヘアピンで髪を留めたのが特徴の鏡さん、髪の毛を後ろで二つに結って長いおさげにした谷本さん、キツネらしき動物を模しただぶだぶ着ぐるみを身につけた布仏さん。彼女ら三人は一度足を止めて互いに顔を見合わせてどの席に座ろうか相談している様子だったけれど、場所が決まったのかお互いにうなずきあってまっすぐ中央のテーブルへと歩いていった。
みんなの視線が集まる中、あろうことか篠ノ之さんの隣ではなく織斑の隣を陣取った。
「織斑くん、隣いいかな」
「ああ。別にいいけど」
織斑が快諾すると布仏さんが谷本さんと手を打ち合った。
織斑は篠ノ之さんの困ったような表情に気がつかないまま三人が席に着くのを待っている。
「私も早く声をかけておけばよかった」
と誰かが嘆く。
まだ焦る段階じゃないわ、という声は大多数の女子の気持ちを代弁しているかのようだった。
三人は織斑の朝食の量に気付き、中でも布仏さんがびっくりした様子で、
「織斑くんって朝すっごいたべるんだ」
と口にしたので、織斑はそのことを不思議に感じたのか女子はどうなのか、と逆に問い返したら、鏡さんと谷本さんは苦笑しながらお互いの顔を見合わせた。年頃の女の子なので理由は聞かなくとも分かるというもので、織斑はわざと意地悪な質問を返したのかとうがった見方をしてしまう。
「おかしよく食べるしー」
布仏さんが思いつく理由を挙手しつつ脳天気な口ぶりで答える。
その間篠ノ之さんは不機嫌な様子で残った朝食を口に運び終え、先に行くぞ、と席を立ち、トレーを持って足早に去っていった。
三人と織斑は篠ノ之さんの後ろ姿を見送ってから朝食へと視線を戻し、谷本さんがみんなが気にしていた問題に触れた。
「織斑くんって篠ノ之さんと仲がいいの?」
「お、同じ部屋だって聞いたけど」
騒がしかったはずの食堂が静寂に包まれたので、みんなが次の言葉を待っているのが分かった。
三人も目が輝かせて織斑が口を開くのを待つ。
「まあ幼なじみだし」
大したことではないと言わんばかりの口調だったけれど、驚きと悲喜こもごもの声が漏れ聞こえて食堂全体がにわかに騒がしくなってきたところで、三人は一斉に顔を見合わせて、
「幼なじみ!」
と見事に息を合わせた。
私は心の中で拍手する自分を思い浮かべた。セシリア嬢が引き出せなかった情報をいとも簡単に聞き出してしまった。私の中で鏡さん、谷本さん、布仏さんの株がうなぎ登りとなり、もし困ったことがあったら手助けしてやろうと心に誓った。
それに引き換えセシリア嬢はどうだろう、と彼女に流し目を送った。
「な、何ですの」
微妙な視線に気がついたセシリア嬢は、私が深いため息をもらしたことに対する不服を口にしたが、既に事情を理解していた
「納得がいきませんわ……」
と虚勢を張る気力も失せたように語尾がしぼんでいき、しまいにはがっくり肩を落としてうなだれてしまった。
それにしても幼なじみとはまた絶妙な立ち位置ではないか。気心知れているだけに肉親の次に身近な存在だから、もしも織斑が他の女の元へ走ったとしても、その恋が破れる事あれば幼なじみの元に帰ってくる。もしも失意にうちひしがれたら同情し、優しく慰めの言葉をかけてやることで、彼は自分の居場所に気付いて幼なじみを友ではなく女として見るようになり、いつしか二人は互いの情欲を求め合う、というストーリーを思い描き、今はまだ、と秘めた心がいじらしくて私の胸も切なくなってきた。
がんばれ、と私は篠ノ之さんに向かって激励していた。
「ああ。小学校一年の時に剣道場に通うことになってから四年生まで同じクラスだったんだ。
でも、あんまりよく覚えていないんだよな……昔のこと」
織斑は騒がしさから一人取り残されたように、誰に聞かせるともなく遠くを見ながらつぶやいていた。
思い出に浸る織斑の表情は憂いを帯びているようにも見て取れた。私は視線の先に何があるのかとても気になったけれど、いつの間にか移動してきたジャージ姿の織斑先生が時計を見つめる姿が目に入った。
織斑先生は大きく息を吸ってから、手をたたいて食堂に残る生徒の注意を自分に向けさせた。
「いつまで食べている。食事は迅速に効率よくとれ。
私は一年の寮長だ。遅刻したらグラウンド十周させるぞ」
全体を見回して、凛々しい顔つきで食事の手を止めていた生徒を注意した。
織斑は姉の姿を驚いたように見ていたけれど、すぐに何かに納得したのか一人でほほんえでいた。
▽
ホームルームの時間。織斑先生が教壇に立って全員が着席していることを確かめ、一斉に全員の視線が集まったことを感じ取ってか鋭い目つきのまま口を開いた。
「これより来週行われるクラス対抗戦に出るクラス代表者を決める。
クラス代表者とは代表戦だけではなく、生徒会の会議や委員会への出席など、まあクラス長と考えてもらって良い。
自薦他薦は問わない。誰か居ないか?」
時期からしてクラスの代表者を決めるのは予想がついたけれど、聞き捨てならない単語も耳にした。代表戦とは何か。言葉からしてISに乗って他のクラスの代表者と戦え、ということだろう。当然経験者を選ぶのが筋だし、他のクラスもIS搭乗経験者を出してくるのは容易に想像がつく。四組にはわが国の代表候補生がいると聞いたから間違いなくその子が選ばれるだろう。つまり私のような素人がISに乗っても勝ち目がない。良心的に考えて英国代表候補生のセシリア嬢を推薦するのが妥当、と考えていたところ、一人の生徒が挙手したので誰の名前が出てくるのか期待して待った。
「はい! 織斑くんを推薦します」
想定外の名前が出たので私の目が点になった。私は心の声で織斑を選ぶ発想はおかしいだろうと抗議する。今朝セシリア嬢が言っていたではないか。ブリュンヒルデの血統とはいえ技術は素人だと。確かに入試の試験官を倒したのは学年に二人しかおらず、我が国の代表候補生も試験官に勝てなかった事を考慮すると、四組の代表候補生よりも二人の実力があると考えられるけれど、本国で訓練を積んだセシリア嬢なら納得できようものなのに、ISにまるで興味ない様子だった織斑に期待をかけるとはどうかしているのではないか。
「わたしもそれがいいと思います」
この流れはおかしい。いつものように学級委員を押しつけるのではない。対IS戦をやれなどと、あんな怖い目に遭わせるなんてできっこない。仮にもクラスメイトの織斑くんに、どうか死んでください、なんて言えるわけがない。自分と織斑くんの立場を置き換えて考えてみたら、すぐにわかることなのに。
「お、俺?」
推薦を受けた理由がわからない、といった風情で織斑は動揺を隠そうともせず、推薦者たちの顔を交互に見て、最後に織斑先生の顔をすがりつくように見上げたが、
「他にはいないのか。いないのなら無投票当選だぞ」
と他の候補者を募るだけで助け船を出すことはなかった。見捨てられた事を感じ取った織斑の顔色がオリエンテーションの時と同じような青に染まった。
「ちょっと待った。俺はそんなの納得が」
場の流れを変えようと織斑が抗議のために立ち上がったけれど、反対の声が上がろうはずもない。
私は意を決してセシリア嬢を推薦しようと、膝においていた手を机の上に出したちょうどそのとき、誰かが机に拳をたたきつけたので、驚いて弾かれたように音がした方を向いた。
「納得がいきませんわ!」
セシリア嬢が激しい怒りをあらわにして椅子を蹴って立ち上がり、語気を強めて織斑先生をまっすぐにらみつけてた。対する織斑先生は場の雰囲気に一石を投じたセシリア嬢を見て笑みを浮かべるだけだった。
「そのような選出は認められません」
抗議を続けようと二の句を継ごうとした織斑は、背後からの怒声を聞いて虚をつかれたように口をあんぐりとあけて振り返った。
偶然私の視界に、額に手をあてて顔を伏せた
「セシリーのやつ。完全に血がのぼってら」
その声に、このまま行けば昨日の二の舞になるのでは、と私は危機感を募らせた。
「男がクラス代表なんていい恥さらしですわ。
このセシリア・オルコットにそのような屈辱を一年間味わえとおっしゃるのですか!
大体、文化としても後進的な国に暮らさなくてはいけないという事自体、私にとっては耐え難い苦痛で……」
「イギリスだって大してお国自慢ないだろ。世界一まずい料理で何年覇者だよ」
肩を震わせて声高に力説する姿に、織斑がたまらずかみついた。
「おいしい料理はたくさんありますわ。あなた! わたくしの祖国を侮辱しますの!」
織斑が激高するセシリア嬢をにらみつけ、二人の対立によってクラスの雰囲気は次第に張り詰めたものに変わっていった。
織斑先生は沈黙を守っており、目を輝かせながら口論の行き着く先を見守っていた。
「決闘ですわ」
「ああいいぜ。四の五のつけるよりわかりやすい」
鷹月席の隣に移動したセシリア嬢は相手を射殺さんばかりの視線を送り、織斑に人差し指を突きつけて見せたので、
「やっちゃったか」
とその様をのぞき見ていた
私は混乱した頭でどうやって事態の収拾をつけようか考えを巡らせたけれど、解決策を思いつく前にセシリア嬢がプライドの高さを鼻にかけたような物言いで火に油を注いでいった。
「わざと負けたら私の小間使い……いえ、奴隷にしますわよ」
あんまりな言いように顔をしかめた織斑だったけれど、突然余裕の笑みを浮かべて、
「ハンデはどのくらいつける」
というものだから、セシリア嬢は毒気を抜かれたような吐息を漏らして、
「あら、さっそくお願いかしら」
と慈悲に満ちた面持ちでほほえんでみせたものの、織斑はセシリア嬢が発した言葉の意図を理解していなかったらしく、
「いや、俺がどのくらいハンデをつけたらいいのかなって」
とそれが当たり前であるかのように言ったので、ISに対する無知にクラス中が笑いに包まれた。
「織斑くん、それ本気で言っているの?」
「男が女より強かったのってISができる前の話だよ」
「もし男と女が戦争したら三日もたないって言われているよ」
私は口論の落とし所に悩んでいたばかりに笑いの波に乗り遅れてしまった。
織斑は自分の発言を笑い飛ばされたことに戸惑っていたが、ISを使えるのが原則女性だけであることを思い出して肩を落とした。
私はつい余計な勘ぐりをしてしまいクラスメイトが使った、この男が女より強いという論理に対しておかしいと思ってしまった。
ISは世界で最大四六七機存在して、ISを使えるのは原則女性だけ。世界に数十億いる女性のうちISを使えるのはごく少数で、そのすべてが何らかの組織によって管理されている。ISを使えない女性や私たちのような未熟なIS操縦者が男たちに勝てるとどうして言えようか。仮に私が自由自在にISを使いこなすことができたとして、今はISに対して通常兵器による攻略は不可能という常識がまかり通っているけれど、この常識を絶対に覆すことができないと決めつけるのは浅慮に過ぎる。
私たちはまるで、ISという得体の知れない魔法の杖を振りかざして悦に入るだけの虎の威を借る狐だ。
それに男と女が戦争したら、というのは極端な仮定の話で、実際には
「むしろ、わたくしがハンデをつけなくてよいのか迷うくらいですわ。
日本の男子はジョークセンスがあるのね」
セシリア嬢はあえて猫なで声を出すことにより、あえて織斑を逆上させるような発言を行った。
私は助けを求めて
「織斑くん、今からでも遅くないよ。ハンデをつけてもらったら?」
織斑は両方の拳を強く握りしめるあまり小刻みに震えていたので、彼の一つ後ろの席に座って丸い眼鏡をかけた岸原さんが見かねて提案したものの、頑なに意思を変えるつもりはないと宣言してみせた。
「男が一度言ったことを覆せるか。なくていい」
「えー。それはなめすぎだよ」
岸原さんはしきりに後ろの様子を気にしていたけれど、セシリア嬢は彼女の顔を一顧だにしなかった。
双方が対決の意思を固めたところで、織斑先生が楽しくてたまらないといった様子で、クラスメイトを見渡してから異論がないことを確かめる。
「話はまとまったな」
しかし、セシリア嬢は思案に暮れる物憂げな顔になって、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、
「この選択は貴族のあり方として正しいのかしら」
と自問しているのを偶然耳にした。鷹月も聞き取ったらしく、不思議そうにセシリア嬢を見上げている。
「それでは勝負は次の月曜。第三アリーナで行う」
織斑先生が話をまとめようとしたところを、セシリア嬢が張りのある声で遮った。
「先生。ちょっとよろしくて」
「オルコット。何だ」
織斑先生はにやけ顔のまま話の続きをうながした。
「やはりフェアではありませんわね。私は経験者ですからISの扱いには一日の長がありますの。
織斑くんは素人でしょう? ですから……そうですわね。制空権を差し上げます」
セシリア嬢は先ほどと打って変わって努めて冷静な声を出していながら、私はほっとするよりもむしろ、明らかに雰囲気が異なる様に薄ら寒さを感じずにはいられなかった。
「待てよ。俺はハンデなんかいらないって言ったんだ」
織斑は前言撤回する意思はない、と繰り返した。
セシリア嬢は反論は認めないと言った風情で、
「しつこいですわね。素直にもらっておきなさいと言いましたの。それに、これはわたくしの心構えの問題ですわ。それとも何か? 本当はもっとハンデが欲しいのではなくて? 膝が震えていましてよ?
土下座しながら僕には覚悟が足りませんでした。だからもっとハンデをください! と泣きながらすがりついてきたら考えてやらないこともありませんけれど」
とあからさまに演技がかった物言いで織斑をあざけるように見下ろした。うっすらと口の端をつり上げ、悪意に満ちた顔つき、それでいてまるで獲物を見定めるような残酷な目つきのセシリア嬢に、私はおびえていたのである。
「ああ。それでいい。負けて泣いても俺は慰めてやらないからな」
織斑は強がって言い負けまいとしたけれど、セシリア嬢は鼻で笑って返したにすぎなかった。
二人の険悪な雰囲気に、私は頭を抱えてしまった。
「よし。織斑とオルコットはそれぞれ準備をしておくように」
織斑先生が淡々とした口調で言い終えて出席簿を脇に抱えると、ちょうど終わりのチャイムが鳴って、ようやく緊張を解くことを許されたクラスメイトたちはひどく疲れた顔をしていた。