少女Aの憂鬱   作:王子の犬

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★24 某国のVIP

●   7

 

 少年Aへの変身から丸一日が経っていた。姉崎が発した箝口令(かんこうれい)は今のところを有効に機能しており、彼女の影響力の強さを目の当たりにした。

 メールで茶道室に来るように連絡があり、またしても「Dunois」着用を求められた。三すくみの腹の内が読めなかった私は唯々諾々(いいだくだく)として従ったのだ。

 

「そろそろハードルを上げてもいいんじゃないか?」

 

 三すくみの最年長者が悪辣(あくらつ)な笑みを浮かべなら、円陣を組む若いふたり(M子・鷹月)に持ち掛けた。

 いつの間にか学園に溶け込んでいるM子が私を見る。鷹月はM子が持参したサイン入り小説を読み進めながら話半分に聞いていた。

 

「断固反対します。……あのーお三方。私の話、聞いてます?」

「もちろん。傾聴してはいたよ。では、ハードルを上げる、に賛成の人は挙手願います。反対なら手を下げて」

 

 鷹月が間髪を()れず挙手した。視線は文庫本に注がれたまま動いていない。

 ——こ、このやろう。

 M子は姉崎と鷹月のふたりを交互に眺めてから、私に戸惑いの視線を投げかけてきた。

 私はと言えば、どんなことをしてでも彼女らの悪だくみを阻止したい。(ひとみ)に力を込めて察してくれることを望んだ。M子は挙げかけた手をゆっくり下げはじめる。彼女はいやがっている他人の気持を察してくれる良い子なのだ。膝に落着した指先を見て安堵のため息をついた。

 

「やっぱり賛成で」

「えええ!?」

 

 ——だましたな、M子!

 

「よし。三対一でハードルを上げる、で可決した。これにて閉廷する。それでは諸君。解散だ。アリーナで会おう」

 

 姉崎がそう言い終えるや私は、再び姿見の前に立たされた。

 黒目黒髪の割と……いや、かなり……端正な顔立ちですらりとした華奢な体つきの少年が映っている。

 

「自信を持ちたまえ。この学園には男に飢えた女も少なからずいよう。君なら織斑一夏君の牙城を突き崩せるだろう」

「そんな自信持ちたくないですよ!」

 

 声を荒げて抗議する。その実、認めたくなかった。もしかしたら男に扮した方が人々の印象に残るのではなかろうか。他人様が聞けば笑ってしまうような悩みだけれど、思春期まっただ中の女子にとっては人生のテーマとなりうることであった。

 姉崎が携帯端末を取りだして耳に当てた。彼女が発した言葉に激しく狼狽してしまった。

 

「やあ。昨日の今日で申し訳ないのだけれど茶道室まで来てくれると助かる。ああ。よろしく」

 

 私は通話を阻止すべく飛び上がろうとした。だが、思ったように身体が動かない。制服の裾をM子がつかんでいた。私はつんのめって地面に倒れ込み、悔し涙を流す。

 そして三すくみ以外の声を聞いて、身体中が粟立った。うろたえて情けない声をあげて後ずさる。

 

「けけけK!?」

 

 姉崎が携帯端末をしまった。昨日、「Dunois」を着用した結果に対して箝口令(かんこうれい)を敷いた女のやることか。私は上級生に憤怒の念を送りつけたにもかかわらずあっさりかわされてしまう。

 

「あれれー。えーちゃんみたいな声が聞こえたんだけど。先輩、彼女がどこに隠れたか教えてくれませんか?」

 

 私は気づかれまいと願って顔を伏せる。

 Kは読書にいそしんでいる鷹月の前に立って表情を窺う。能面が一番似合うやつの顔色を確かめてどうするんだ。事実、鷹月はKを無視した。

 M子とは接点がないので話しかけにくいのだろう。再び姉崎を見やって答えを求める。

 姉崎が鷹揚なしぐさで身じろぎし、睛を静かに私の立ち姿へとずらした。

 Kは何気ない素振りで左右を見まわした。あたかも私の存在に気づいていないかのように押し入れや(ふすま)の裏を探し始めた。

 ……もしかして本当に気づいていない?

 私のなかに希望が生まれ()でようとした矢先であった。

 

「先輩。文化祭の出し物は男装関連ですか」

「そんな感じだ。一回生の頃からの伝統だからな」

「ふうん。この前やまやが悪い伝統だってこっそりぼやいてましたよ」

「そいつはな……言っておくが、悪いのはみっちょん先輩たちだ」

「ふーん」

 

 Kは興味なさそうに唸った。

 姉崎が制服が入った紙袋をKに手渡す。Kは袋の口を広げて呟いた。

 

「これ。えーちゃんのだ。うーん、困ったな」

 

 私の所在が知れず心配している。私はここにいるよ。心のなかで三回口ずさんでから顔を上げた。

 初々しい笑顔を浮かべながらKに向かって歩く。だが、彼女は私の瞳をのぞきこんでから首を傾げてしまった。

 こめかみに手を当てて考え事をする。

 しばらくして確信に至ったのか、よりにもよって鷹月に教えを請うた。

 

「え!!」

 

 Kが素っ頓狂な声をあげた。軒を木霊し、さすがのM子も振りかえったほどだ。

 あまりの驚きように私は思わず吹き出しそうになった。

 Kは大股で歩み寄ると、私の頬をつかんで上下左右に引っぱった。

 

「いひゃい。いひゃい」

 

 放したかと思いきやもう一度つかんで左右に伸ばした。

 

「けけいいひゃいとゆってるじゃないかぁ」

 

 全身をくまなく触診し、ある部分に触れるか触れないか悩んでから、あんぐりと口をあけて姉崎たちを顧みた。

 

「特殊メイクだ! だって……」

「だって?」

 

 思わず聞き返してしまった。

 

「だって、えーちゃんの顔が記憶に残ってるんだものっ! ちょっとすごくない!?」

「待てぃ」

 

 なんだその理由は。もっと別のことに驚いてしかるべきだ。今までどのようにして私を認識していたというのか。詳しく説明を求めたい。

 

「声とか言動とか仕草は覚えてるけど、顔の造りが……なんていったらいいのかな。究極の普通? 時間が経つとすっぽり抜け落ちちゃうんだよね。もちろんえーちゃんは大切な友だちだと思ってる。でもこればっかりはね」

「だったら、い、今は」

 

 目尻に力をこらしてみたが、なぜかKは直視を避け続け、ついには背中を向けてしまった。

 

「いやー普通、普通。普通のお顔だよ」

 

 回りこんで目を合わせようとしたが、やっぱり視線を外そうとする。鏡を見た感じ悪くないと思っているのだけれど、やはり没個性的なのだろう。

 

 

 

 

 クラス対抗戦前日。一年生は午後の授業が免除となった。各クラス代表は学園が指定したアリーナで最終調整を行う運びとなっており、一組には第一アリーナがあてがわれた。二組は第二アリーナ、三組は第三アリーナの優先使用権が払い出された。四組だけが、不思議なことに第六アリーナを使うことになっていた。

 第一アリーナは教室から近い。私たちは昼食をとってから移動した。

 本来ならば授業を行っている時間なので山田先生が生徒を引率する。四つ辻でしのぎんら二組の生徒たちと別れた。

 観覧席にたどり着き、各々勝手に座席を選んだ。

 

「皆さんに大事なお話があります」

 

 セシリア嬢と雑談に興じていていると、山田先生が急に真剣な顔で声を張り上げた。傾注を促すべく手を叩く。織斑先生を真似したのか少しだけ遠くを見通すような目つきになり、かすかな沈黙が私たちの注意をひいた。

 

「対抗戦では、公式の、新聞部主催以外の賭け事は禁じられています。違反した場合、重い罰則が適用されます」

「たとえば、どんなー」

 

 誰かが尋ねた。

 私は制服姿のまま背中を丸めた。硬いプラスチックの背もたれが身体に合わなかったからだ。両脇に座ったKとセシリア嬢がお行儀良く姿勢を正している。

 

「過去、最も重かったのは……」

 

 停学一週間、と。

 

「いきなり脅すとかやめてよぅ。やまやったら」

 

 櫛灘さんが茶化したけれど、山田先生は表情を崩さなかった。事実じゃないか、と皆のなかで緊張が高まり、単なる注意だと思っていた生徒たちが顔を見合わせる。

 一試合でプレミアム食券三年分の電子マネーを稼ぎだしたと言っていたので、かなりの金額が動いていたようだ。

 創立当初のIS学園は現在よりも殺伐としていて毎月のように転校する生徒がいたという。ISの運用法が手探りであった時代の出来事であり、入試が異常なまでに難しくなった背景には、初期にやらかした何かが積み重なっているのだろう。

 

「くれぐれも認可されていない賭け事には手を出してはいけませんよ。メッ、ですからね。では解散」

「えー!? ここまで連れてきたのにつき合ってくんないの!?」

「……先生には()()()()()()があるんです」

「あっ! ちらっとISスーツが見えた!」

 

 山田先生が急に襟を直した。顔を赤らめる仕草に私でさえからかいたくなったほどだ。

 

「織斑クンとイチャイチャするんだー。やらしぃなあ」

「櫛灘さん。意識させようたってそうはいきませんよ。解散ったら解散ですっ!」

 

 

 

 山田先生がピットに向かった後、座り心地のよい椅子を探していた私は背もたれのない長椅子に腰を下ろした。アリーナの天蓋が開放されていて、五月晴れの青い空にISがかき鳴らす重厚な金属音と、クラスメイトたちのお喋りの声が高く響いた。

 女教師と男子生徒がフィールド上で相まみえる。ラファール・リヴァイヴの素っ気ない濃緑色と陽光で銀色に輝く白式の姿が対照的だった。クラスメイトたちから離れた席で携帯端末をかざす生徒を見つけ、他のクラスの偵察隊だと推測する。織斑も偵察を受けるほどには警戒されているのか……と思うと、なんだかうれしくなった。

 

「えーちゃん。えーちゃん」

 

 肩をつつかれて振りかえると、Kが携帯端末を出すように求めてきた。

 

「仕方ないなあ」

 

 私はニンマリと口元を緩めながら最新式の携帯端末を取りだす。先日壊れてしまった端末だが、支給されたのは前よりも一世代か二世代ほど新しい機種だった。一番気に入ったのはツルツルなのに手が滑らないという点だろう。背面パネルや側面には特殊な塗料が塗布されていて、好きな画像や色合いを指定することでどんな表現も可能だとか。迷いに迷った挙げ句、白一色にしてしまった。

 

「先生が言ってたのって、ここの事を指しているんだと思うよ」

「薫子さんのとこじゃないの?」

 

 画面に指を滑らせながら、言われた通りに操作する。新聞部のページの隅に薄墨色のボタンが隠れていた。あらためて沿革を読むと、イベントが開催されるたびに学園中からアクセスが集中するので、回線を増強しながらコンテンツを充実させていったようだ。画面を遷移するとゴシック体で書かれた()()()()()()なる文字列が目に入った。管理者は青島美鶴。最終更新日は三年ぐらい前だ。説明文を読んでいくとISを用いた学校行事が対象で、お金の代わりに食券を賭ける、とあった。

 Kが眉を曇らせて画面を閉じようとする。

 

「待って。K、全部読み終わってない」

 

 応用編を流し読みすると、株式市場の信用取引と同じような仕組みが備わっていることがわかった。少ない食券でよりグレードの高い食券や多数の食券を借りて、賭けに参加できるのだ。当たれば大きな利益が得られる。借りた食券を必ず返さなければならないけれど、利益さえ出すことができれば微々たるものになる。ただし、損失が出ても返済が発生する。我々は学生の身だ。手持ちの食券を充てるか、身体で……奉仕活動で返さねばならなかった。

 

「これは……ちょっと手が出ないなあ」

 

 まず怪しい。食券をどこから借りてくるのかが明記されていない。管理人が実在の人物であるかもわからなかった。

 観覧席に少女たちの笑い声が飛ぶ。山田先生のラファール・リヴァイヴがいつもより速く飛んでいた。織斑のISも徐々に速度を増していく。私はあっ、と声をあげた。

 白式が手にしていた零落白夜を落とし、地面にぶつかる前につかんだ。一瞬注意が得物へ逸れてしまったことで弾幕を張る隙を与えてしまった。

 ——選択肢が限られすぎているのは痛いなあ。

 私は携帯端末をポケットにしまいこみながら思った。剣道経験者である織斑が「竹刀落とし」を知らぬはずがない。

 しきりに動き回る山田先生は、普段授業で見せるおっとりした姿とは異なる。間合いを詰められるのを恐れながらも織斑の運動方向に制限を加える。傍から見ていると常に山田先生の制空下にあるので、徐々に行動範囲を狭めていった。早くしなければ進退窮まってしまう。私は目を凝らして白式の軌道を追った。と、スラスターが急熱して膨大な赤外線を放射し始める。甲龍(シェンロン)戦でしのぎんが使った瞬時加速の予兆だと悟ったけれど、いきなり織斑の身体がすくい上げられて地面に落下した。

 山田先生が動きを止めてアドバイスを告げた。織斑が神妙な面持ちでうなづいている。個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)なので拡大映像を見ても具体的な内容まではわからない。

 わかる人に聞こうと思ってセシリア嬢を探す。席を立ったらしく姿が見えない。段上に目を走らせると、見知らぬ少女が興味深そうにフィールドを眺めていた。

 少女はアイボリーのリセエンヌ風ワンピースを着こなし、膝上五センチのスカートが清楚さを際立たせている。偶然にもセシリア嬢とはタイプの異なる美少女を前にして、振りかえった姿勢のまま固まった。

 

「えーちゃん?」

 

 Kの声が届いていない振りをした。少女の顔貌(かおかたち)は見たことがないものだ。金髪を後ろで縛っており、真剣な目つきなのに柔和な雰囲気をにじませている。学園の生徒ではない……と察するまでに長い時間がかかったように思えた。

 少女は私に気づいてにこやかに手を振った。感激した私は、軽く笑みを浮かべて小さく手を振り返す。気恥ずかしさが遅れてこみ上げてきた。

 

「……あの子、だあれ」

 

 やっとのことで声を絞り出す。薄ぼんやりとしながら私が示した方向を、Kも見ようとした。

 けれども間に合わない。金髪を留めた髪飾りと可愛らしい後ろ姿、ほっそりとしたふくらはぎだけを捉えた。

 

「さあ。誰だろう」

「そっかー。ありがと」

 

 首をかしげたKに向けて礼を言ってからフィールドに向きなおった。

 IS学園は来客が多い。M子や自称侵略者なんてのもいるのだ。しかし警備員が身元不明の人間を通すはずはない。少女は某国のVIPかもしれない。VIPの子女を大人の毒手から遠ざけるためにIS学園へ送り込むことだってあるのかもしれない。実際、セシリア嬢という貴族がいるわけなのだから。

 私は少女の美しい顔を思い浮かべて、痺れたような熱にとらわれていた。一瞬だけでも見つめられて幸福だった。篠ノ之さんやセシリア嬢とも異なる魅力に惹かれてしまう。

 

「Kさん」

 

 頬を叩いて気合いを入れ、改まった態度で同居人を直視する。

 

「急に真面目な顔で……どうしたんだい」

「この学校、かわいい女の子ばっかりだよね?」

「……」

 

 Kが返答に困っている。変なことを言った自覚はあるけれど、真実を見つめる勇気も必要だと思う。

 言い忘れていたと思ってつけ加える。

 

「もちろんKもかわいいよ」

 

 戻ってきたセシリア嬢がそのセリフを偶然聞いてしまい、恐ろしいものを見たかのように表情を強ばらせている。

 私は姉崎から呼び出しの電話が鳴るまで、自分の言葉を何度も反芻(はんすう)した。熱が身体の芯に溜まっていき、いつしか羞恥の炎となった。

 

 

 


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