もうやめてあげて。
織斑モドキはしきりに
「マドカ」
「何ですか。おばさん」
「お前とは九つしか違わないんだ。せめてお姉さんと呼べ。千冬姉でもいい」
織斑先生は苦し紛れに言葉を紡いだけれど片頬が引きつり、こめかみに青筋を立てている。
「そもそも、何でこんなところにいるんだ。お前の身柄は
「研修に来た子と遊びに来たんですよー。日本って今、連休なんでしょう?」
確かに黄金週間ならば遊んで当然だろう。私がここにいるのも遊びの一貫なのだから。
「首都まで行けば……」
「ここで何でもそろっちゃうので、わざわざ行かなくてもいいかなーって」
織斑先生は急に左右に目配せする。誰かを探しているつもりらしい。
「巻紙は……お目付役は何をやっているんだ」
「週休五日制で、ちょうど今日はお休み。おばさんと違って恋人がいるみたいだから、デートでもしてるんじゃないですか?」
織斑モドキと織斑先生の間にどんな確執があったかは知らない。当てつけのように入り込むキーワードに、先生は息も絶え絶えになっていた。
私はおずおずと立ち上がって、織斑先生に声をかける。
「あのー。どういったご関係ですか? 織斑先生のご親戚とか、よく似ていらして」
織斑先生は黙りこみ、言いにくそうに表情を曇らせてしまった。私は質問が良くなかった、とすぐに思い直した。せめて知りあいとすれば角が立つことはなかっただろう。国際IS委員会が発行している公式記録によれば、先生には親戚がいないことになっているのだ。
「こいつは、親戚なんだが……そうじゃない」
「言ってること、矛盾してます」
織斑先生がうなずく。私はマドカと名乗る織斑モドキの顔をじっと見つめる。本当によく似ていて、先生を幼くした感じなのだ。織斑そっくりだと思ったのは当然だろう。
織斑モドキはひとりで得体の知れない笑みを浮かべている。
「ちょっと老けましたよね。三年ぶり……いえ、前回のモンド・グロッソ以来でしたか」
「老けてない。まだ二十四だぞ。私は」
「苦労されていると言ったら?」
織斑先生が顔を伏せて舌打ちする。
複雑な関係。私の見たところふたりの間には得も言われぬ退廃的な雰囲気が漂っている。織斑先生はすねに傷を受けたような顔つきで、先ほどからずっと私や五反田さんらの視線を気にしている。
織斑先生が突然せき払いしたかと思えば、私の耳元まで口を近づける。
「あまり言いたくないんだが……」
「む、無理しなくとも」
「実家は人間関係が複雑でな。私の実父は
今、何と言ったのか。
「意味がわかりません」
「わからなくていい。アレはイトコの娘に当たる」
「だったら思いっきり親戚じゃないですか。何でまた。いないなんて」
「納得したらすぐ忘れろ。いいな」
衝撃の告白である。織斑先生は小声で「遺伝子的には、い……いや、こじれるだけだな……本当ならハトコのはずなんだが」とつぶやいたので、私は必死に親等を数える。ほどなくして、ある事実に気づいた。
織斑モドキの言い分に従えば、織斑一夏は
「じゃ、じゃあ……織斑は?」
先生は黙りこんでしまった。
何が何やら分からなくなってくる。私はとっさに先生の言葉を受けいれ保身に走っていた。忘れよう。今耳にしたことは悪質な冗談だと。
「そうそう。先日送って頂いたサイン本。ありがとうございました。何でも
織斑先生が暗い表情を浮かべたのを察して、織斑モドキが話題を切り替えた。
きわどい話題だったのか、織斑先生の目が丸くなる。すぐに平静を取り戻し、得意げに「まあな」とだけ告げた。
私にはふたりが何を話題にしているのかよくわかっておらず、情報を持っていそうな五反田さんに顔を向けた。
「ところで、サイン本って?」
五反田さんの目が泳ぐ。大きな書店に行くと、新刊を買って作家本人にサインしてもらうイベントが時々開催されている。ハードカバーだと一冊千数百円になることから、学生の身にはつらいけれど、普段マンガしか読まない私にはとっては縁もゆかりもない話だった。
言いにくそうにする五反田さん。私のチキンハートが無言の圧力を感じたものと錯覚して、思わず振り返ってしまった。
織斑モドキが織斑先生に腕を絡めて意地の悪そうな笑みを浮かべている。顔立ちがそっくりなので姉妹にしか見えないけれど、織斑先生は心底嫌そうな顔つきだった。
再び五反田さんを見やり、私はしつこく食い下がろうとした。
「教えてくれるとうれしいんだけど」
しかし、五反田さんは首を横に振るばかりで頑として口を開こうとはしなかった。
私はあっさりと話題を打ち切る。織斑先生に釘を刺されたばかりで、欲をかいてもろくなことにならないとわかっていたからだ。
▽
マドカさん、とセシリア嬢が呼ぶ声がした。
私は傍観を決め込んでいた兜鉢と、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた五反田さんから離れ、声の主を探して辺りを見回す。セシリア嬢らしき人物を見つけ、ふらふらと近づいていった。
「セシリアさんったら、三文小説以下なんて酷評したくせに。からかうつもりならそう言ってよね」
お色直しのつもりだろうか。水兵から黒いワンピースに様変わりしていた。豊かな金髪に縦ロールがないのが気になったけれどウィッグをつけてしまえば分からなくなる。それに私は一目見てセシリア嬢に違いない、と確信していたのだ。
言いくるめてやろう。私は性悪女のつもりで彼女の手を取る。そのまま路地に入って電信柱の影に連れ込んでいた。
「あの……どなた」
セシリア嬢はあくまでしらを切るつもりらしい。上げ底ハイヒールに胸に詰め物までして、私の妄言を再現してきたのだ。彼女の茶目っ気に感心していた。
「わたくしはマドカを探していて……あなたとは初対面なのですけれど」
「まったまたー」
私は本気だとは受け取らなかった。鷹月が潜んでいそうな場所や街の防犯カメラに向けて目を走らせる。悪いことをするつもりはない。ちょっとお話をするだけである。
「いくら子犬ちゃん並だって言ったからって、そのまま再現するとか……うわっ」
私の手が彼女の胸元に吸い込まれる。重量感が本物らしさを演出しており、セシリア嬢の本気を見てうれしさがこみ上げる。中身はシリコンジェル入りの発泡素材だろうか。肌に付けることで熱が伝わり、人肌と感触を再現するというものだ。……それにしては、十代らしく少し硬い。限りなく本物に近かった。
セシリア嬢から冷ややかな視線を向けられている。私は冗談はほどほどにと思って、すぐに手を離した。
「こんな短時間に何を仕込んだの」
「仕込んだりなんか……していませんわ!」
セシリア嬢が声を震わせる。私の手をピシャリと払って、長身を利用して上から憎々しげににらみ付けてきた。
「失礼な人! 日本の方はみんな親切だと思っていましたのに」
本当に怒っているようにしか見えなかった。とても演技に見えなかったので、ふと心配になってセシリア嬢にたずねる。
「ええっと……セシリア・オルコット、だよね?」
「人違いですわ」
彼女はカバンの中からパスポートを取り出し、私の目の前で広げてみせる。
「
紛らわしいことにイギリス国籍である。
頭の中が真っ白になった。はた目から見たら、見知らぬ外人さんの胸回りのまさぐった変態さんである。私は言い逃れできないと思い、とっさに踵を返した。
「逃がしません!」
手首をつかまれる。意外と力が強い。
「痴漢の現行犯……この場合は痴女ですか。白昼堂々と犯行におよぶとは世も末ですわね」
「違うんです。友達と勘違いしただけなんです」
私はセシリア嬢のそっくりさんに手首を引っ張られ、織斑モドキの前に戻ってきてしまった。
「探しましたわよ。マドカさん」
セシリア嬢のそっくりさんは織斑モドキの名を呼んだ。私の手首をしっかりと握りしめたまま、織斑先生と織斑モドキの前に仁王立ちする。織斑先生はセシリア嬢のそっくりさんを見て、ぽかんと口を開けてしまった。
「オルコット? ……にしては背と胸がでかすぎる」
「さっきからそればっかり」
「……先生。その人、セシリアさんじゃないですよ。そっくりなだけで」
私はケイトリンさんに同意する。顔の造りや声、そしてしぐさまでセシリア嬢と瓜二つなので間違えるのは致し方ないだろう。織斑先生の言うとおり、背と胸を大きくしただけなのだ。
「藤原。お前、何かやったのか」
「あら、あなた。フジワラと言いますの。下の名前は?」
「い、言うもんか」
言ったら名前を覚えられ、この先ずっと見えない所で陰口をたたかれる。ヘタを打ってネット上に名前が載ってしまえばそれこそ人生が終わったも同然だ。
「言ってくれたら今回のことは水に流しますわ。わたくし、約束を守る女ですから」
「先生、そんな目で見ないで。ちょっとした不幸な勘違いがあったんです。本当なんです」
「悪いことをした方はみんなそう仰いますの。さあ行きましょうか。さっき交番を見ましたの。本職の方に口を割ってもらいましょう」
ケイトリンさんが力強く腕を引っ張る。同性へのいかがわしい行為で補導される。さらし者にされるのは嫌だと思い、私は渋々本名を口にした。
「藤原絵馬です。許してください。もうしません。ごめんなさい」
「素直でよろしい」
ケイトリンさんは律義に手を離した。ほっとしたのもつかの間、今度は織斑先生が私の手首をつかんだ。
「何をやったんだ。事と次第によっては説教しなくてはならんぞ」
「だから不幸な勘違いなんです……」
私は力なく首を垂らす。ケイトリンさんの胸をまさぐった経緯を説明し、情状酌量の余地があることを主張するつもりでいた。
▽
翌日。プールを見渡せば、ちらほらと部外者がいる。織斑モドキが更識先輩と水上騎馬戦に興じており、保護者がさも不服そうに唇を尖らせているのが見えた。
「学校見学なんだって」
ほかにも防水の名刺を配って回る企業の人がいる。私も名刺をもらったので、手元に目を落とせば〈株式会社みつるぎ渉外担当 巻紙礼子〉と書かれている。ラファール社の製品保守業務やタスク社の総代理店として国内で知名度がある……と、巻紙さんは話していた。私は最近業界に入ったのでとんとこの手の話題に疎く、相づちを打っていたにすぎない。
巻紙さんは水着姿の織斑先生とふたりして白いデッキチェアに寝そべっている。双方とも日本人離れした体つきのせいか、ここは本当に学校なのかと疑いたくなったほどだ。
私は暇つぶしに来たダリルさんと鷹月にはさまれながら、ふたりの会話に聞き耳を立てる。織斑先生の密かな交友関係がうっかり白日の下にさらされるのではないか、性懲りもなく期待していたのである。
巻紙さんがパーカーの胸ポケットからタバコらしき箱を取り出す。タバコ税が高騰する昨今、未だ二箱で四百円台を維持している若葉マークが目に入った。
「学園内は禁煙だ」
織斑先生が目ざとく注意する。巻紙さんは無視してタバコを歯で加えながら、軽く笑って見せた。
「お菓子のシガレットだよ。五十円くらいで買えるやつさ」
「そんな甘いだけの菓子、よく食えるな。前に会ったとき、ダイエットとか言ってなかったか」
「ハッ。んなもん、しねえよ。普通に食って動いてこの体形だが、ああん?」
織斑先生の指先が、巻上さんの唇に触れる。
「おい。食いかけだっての」
「ここは食事禁止だ。吐かれたらたまらん」
「けっ」
巻紙さんは名刺を配布していたときとは打って変わって、べらんめえ調でしゃべる。おそらくこちらが素と思われ、織斑先生が荒れていた頃のご友人なのだろうか。
織斑先生がプールを見やり、織斑モドキへ複雑な視線を向けていた。
「貴様のところは調子どうだ。タスクの警備保障に出向するとか言ってなかったか」
「……いつの話だよ」
「三年前。第二回モンド・グロッソ」
その言葉を聞きつけ、巻紙さんは髪の毛をいじりだす。
「研修込みで二年。あんまりいい思い出はねえよ。ま、出会いが会ったのは認めるが」
「出会い?」
巻紙さんが照れくさそうにはにかむ。どちらかといえば織斑先生と同じく凛とした風貌が、ひとりの女の顔に変化した。
「私の知ってるやつか」
織斑先生が巻紙さんの顔をのぞき込む。少し困ったように笑みを浮かべて、深くうなずいた。
「……スコール・ミューゼル」
「からかうのもいい加減にしろ」
あいつは女だ、と鷹月が解説する。織斑先生の唇の動きを読んだのである。
巻紙さんは円を描くように忙しなく指先を動かしている。
「あんたこそ、ついぞ浮いた話を聞いたことがねえ。未だ乳離れできねえ
「まさか。お前みたいに女に走ったやつに言われたくないな」
「話ついでに言うが、あの腐れ外道。知らないうちにガキをこさえてやがったぞ」
「ガキって……ちょっと待てえ! 聞いてないぞ!」
突然の大声に私や鷹月、ダリルさんが先生の顔を凝視する。私はチラとプールを見やったけれど織斑モドキや更識先輩が激しく動き回っていて、声に気づいた様子はなかった。
「あれ。聞いてなかったか……あっちゃあ」
巻紙さんが額に手を当て、ばつの悪そうな表情を浮かべる。
織斑先生は巻紙さんの両肩をつかんで激しく揺らした。
「その話、どこで」
「腐れ外道んとこがタスクにISを一機ばかり納品したんだよ。いずれ保守せにゃならんってことで、社長に背中蹴っ飛ばされてあいさつがてら見学に行ったら、珍しく腐れ外道本人が私兵を引き連れて説明に来てやがった。で、若い秘書がいたもんだから、名刺を配ったらあんの腐れ外道。『娘です』って写真を取りだして自慢しやがった」
織斑先生が「ぶはっ」と音をたてて盛大にむせ返った。
「何にも聞いてない。男の影すらなかったんだぞ。『ちーちゃんが結婚したらいっくんをちょーだい』なんて言ってたやつが……んだとおおお!?」
再びむせてゴホゴホ言っている。織斑先生の顔が驚愕に満ちており、この場に携帯端末があればぜひ写真を撮って残しておきたいくらいだ。
「……本当に聞いてなかった?」
巻紙さんが心配になって聞く。何度も首を縦に振る織斑先生に、頬をかきながらわざとらしく苦笑してみせる。
「っかしいなあ」
「今晩、飲みに……その辺をもっと詳しく聞かせてもらう」
するとプールの中が急に騒がしくなる。私が横を向くと、更識先輩が誇らしげに腕を突き上げている。濡れた赤いはちまきを手にしており、織斑モドキが悔しそうな顔をしていた。
数分後、織斑モドキがプールから上がる。キャップを取ると、玉の肌に水が滴った。
「巻紙。ここの設備最高。いっそIS学園に転入手続きしたいくらい」
織斑先生は無二の親友に先を越されてしまい、早期の立ち直りが困難なほどショックを受けたと見える。その証拠に巻紙さんが織斑先生の背中をさすっている。
織斑モドキの無神経な声が響いた。
「ねえ、いいでしょ。千冬おばさん。一夏もいるし」
「だめだ。その手の話は会社と相談してからにしろ。私に決定権はない」
▽
私は更識先輩にゴマを擦るべく、プールから上がったばかりのところをねらって駆け寄っていた。
ちょうど織斑モドキの騎馬を担当していた子犬ちゃんもプールサイドにいたので、競泳水着姿の彼女に声をかけた。
「さっきは惜しかったねえ」
軽くうなずく子犬ちゃん。口を開いたので耳を澄ませば「疲れた」と言っているのがわかる。彼女は更識さんに輪を掛けて声が小さく、ぼそぼそとしゃべるのが特徴である。
更識先輩が子犬ちゃんの側に来たので、私は取り巻きのなかに混ざって「かっこよかったです」と声をかけていた。少しでも心証を良くしたい。私はその一心で黄色い声をあげる。
後ろを振り向くと鷹月とダリルさんが二三、言葉を交わすのが見える。再び前を向いたとき、子犬ちゃんが集団のなかに飲み込まれてしまった。小さな体を動かして集団から抜け出そうとしている。彼女の怯えた瞳を目にして、私は注意深く周囲を見回した。
「更識先輩?」
群れの中心で更識先輩が立ちつくしている。先輩は好みの愛玩動物を目にしたかのようにうっとりとして、幸福感で満たされたような表情を浮かべていた。私は、その表情を過去に見たことがある。比較的最近のことで、偶然視界に入った布仏さんを見て「あっ」と声を上げてしまった。
更識先輩の顔をすかさず凝視する。取り巻きと思しき二年生が「なんだこの可愛い生き物は……」と口々につぶやいている。プールサイドの一角が妙な雰囲気になってきており、私は戸惑いを隠せずにはいられなかった。
更識先輩が子犬ちゃんの肩に手を伸ばしたけれど、セシリア嬢によってはばまれてしまった。昨日、私が粗相をしてしまったケイトリンさんと比べてこぢんまりとした体つきではあるけれど、十五歳だと考えればとても均整が取れていると考えて良い。もしセシリア嬢の背が伸びて、胸が大きくなればケイトリンさんみたいになるのだ。私はその気がないとはいえ、胸を揉んだら大きくなる、とかいう迷信を実行してみたくなった。
「生徒会で飼って……もとい、あなた生徒会に来ない? 今なら副会長が空いているわよ」
「……っ!」
「だめだよ。ミコちゃんは私が持って帰るんだから!」
何だか雲行きが怪しくなってきた。ちなみに「ミコちゃん」というのは子犬ちゃんの本名から来ている。両神水琴だからミコちゃんである。
誰かが手を引いて、子犬ちゃんを群れから脱出させた。見れば、緑色のビキニの上にパレオをかぶせた黛先輩の姿。血迷ってはいないと思いきや、先輩の目つきもどこかおかしいのだ。だが、完全には理性を狂わされてはおらず、更識先輩と布仏さんの防波堤になっている。
私は一歩引いて、彼女たちの狂騒を眺めようとした。ふと柔らかいものが頭に当たる。あごをしゃくって背後を顧みれば、ダリルさんの褐色の肌があった。
「混ざらないんですか?」
ダリルさんはこういったお祭り騒ぎが好きそうな手合いだ。もちろん私の勝手な決めつけである。
「ああいうのは混ざったらダメなのさ。他人様が羽目を外す様を眺めるのが楽しいんだわ」
「……澄まし顔で寄りかからないでください」
「どーして。いーじゃない。減るもんじゃなし」
「さりげなく胸元を強調されても、私……男じゃないんで嫉妬と殺意しかわきません」
私は助けを求めるように
仕方なくダリルさんを引きはがそうと冷たくあしらうことに決めた。
「女の子ならたくさんいるじゃないですか。しのぎんなんてどうです。身長や体形もほぼ一緒ですよ」
「えー。小柄は案外ごついし、勝ち気そうなところがマイナス。えーちゃんみたいに面白くないし」
「何言ってるんですか。私なんて面白くないですよ」
「まさか。冗談で言ってるんだろ?」
もしかしてこの人、私をバカだと思っているのではないか。
「見ていて飽きないんだったら……からかうもんだとばかり」
「今の本音……」
「おっといけない。うっかりしてたわ」
ダリルさんが白い歯を見せて笑い出す。私はむっとして見せたけれど、ダリルさんにはまったく気にした素振りがない。狐につままれたような気分になってきたところ、誰かが私の肩をたたく。
「サファイア先輩。この人、持って帰ってください……ってアレ」
横向く私に、サファイア先輩がある一点を見つめて指さした。黛先輩とセシリア嬢の影で怯える子犬ちゃん。彼女に迫ろうとする更識先輩と布仏さん、その他である。指先が示す場所をじっと見つめる。
「何を……あ」
そもそも競泳水着風のワンピースだから、胸がはだけるなんてことは決してあり得ない。けれど、見えているものはしょうがない。
「オカシイ。ビキニなんか着てなかった……」
なになに、とダリルさんも興味本位で便乗する。鷹月も好奇心丸出しで集まってきた。
「変態」
情け容赦ない一言だ。肩先が完全に透明になり、胸元が半透明になってしまっている更識先輩を見て、鷹月は率直な感想を述べる。半裸の女の人に迫られたら、それはもう怖いに違いない。私は、道理で子犬ちゃんが怯えた顔を浮かべるわけだと納得する。
「誰か教えてあげないんですか?」
鷹月が先輩方の顔を見回す。ダリルさんとサファイア先輩は首をかしげて、むしろ何でそんな質問をするんだと言わんばかりだ。上級生が役に立たないと見切りを付けた彼女は、私を見つめ、両肩に手を置いた。
「自分でやんないの」
今の振りからして、先輩の静止を顧みることなく水を差しにいくものとばかり思っていた。鷹月の他力本願振りに開いた口がふさがらない。
私は頼みの綱の織斑先生を見て、すぐさま役に立たないと感じ取った。巻紙さんと話し込んでおり、しきりに独り身を嘆いている。仕方なく本来の責任者に目をやる。読書家を決め込むお姉さんに泣きつくしかなかったのである。
私は力なく落ち込んだ織斑先生の前を横切った。デッキチェアの上で体育座りをしてみせる姿に少しだけ驚きながらも、今そこにある危機から脱せねばならないという使命感が、失意の女教師を無視させるに至らしめた。
「五郎丸さん。五郎丸さん」
姉崎似のお姉さんが顔をあげた。私の顔を目にするや「何かあったのか」と問いかけてくる。
「緊急の用件です。アレを見てください」
「……痴女がいます」
鷹月が余計な一言をつけ加える。本当は状況を楽しんでいるのではないだろうか。いや、そうに違いない。
Tシャツにハーフパンツという出で立ちの五郎丸さんは、私の深刻そうな表情を見つめ、鷹月の茶々を無視してくれた。
「ええっと……うん」
どうやら納得したようだ。すぐさまくたびれた文庫本を閉じ、立ち上がる。すらっと背が高く、ほぼ素顔なのに色気がある。元の顔立ちからして男を引き寄せる何かがあるのだろう。
私たちは彼女の後に続いた。
▽
なぜ誰も指摘しないのか。
私は全員の視線が子犬ちゃんに向かっているからだと結論づける。神棚に飾っておきたくなるくらい可愛いのはよくわかる。
水に濡れたから魔性が強化されているに違いない。当てずっぽうだけれど私のなかでは確信に満ちていた。残念ながら鷹月相手に意見を表明しても一蹴されるのがオチだ。彼女はセシリア嬢に負けず劣らずの現実主義者なので黙っておくに越したことはない。
「お嬢様」
五郎丸さんが人混みに割って入る。背が高いから頭ひとつ飛び抜けてよく目立つ。私も体を差し入れた。
更識先輩は五郎丸さんを見て、少し間をおいて私にも気がついた。
「今、取り込み中だから後にして」
「緊急の用件なので」
五郎丸さんが真剣な瞳に、更識先輩が手を止めて大きく息を吐いた。
「続けなさい」
「では……とても申しあげにくいことなのですが、お嬢様の玉のお肌が露わになっております」
「嘘おっしゃい」
本当に気づいていないのだろう。更識先輩は首をかしげて、五郎丸さんを凝視する。
「それはもう、ばっちりと。こんな童話があります。裸の王様。下を見ると不幸になります」
楯無は怪訝な顔をして顎を目一杯引いた。私の位置からでも目が点になって、顔が青ざめていくのがわかる。
「もしかしてそういう趣味……」
思わず口に出してしまった。先ほどから鷹月が変態とか痴女とか連呼するものだから、口が軽くなっていたのだ。ゴマをすった意味が無くなると危機感を抱いて、わざとらしくすっとぼける。
「違う! さっきまで水着を着ていたはずなのに、どうして!」
私は原因究明のつもりで聞いてみた。
「騎馬戦までは付けていましたよね。競泳水着風のワンピース」
「つけてたわよ! 今もこうして着けてるの。ホントだって!」
五郎丸さんの「裸の王様」発言は言い得て妙である。へその辺りまで透けている状況で、水着を着用していると発言されても対応に困ってしまう。
「それって、自分にしか見えない水着じゃなくて」
鷹月が背後に立って私の口まねをした。更識先輩は首を激しく振って鋭い一撃から逃れようとする。
「本当のところ、教えてください」
今度は私の発言だ。鷹月がさりげなくタオルを献上している。用意のよさに呆れながらもしっかりと点数を稼いだ彼女をにらみつけた。鷹月はしれっとした様子で「そこの親切な人から」と手を振る織斑モドキに目礼する。
サファイア先輩がゆっくり歩み寄る。あわててタオルを巻きつける同級生に、残念そうな視線を投げかけた。
ぼそぼそと釈明を始めた先輩の声を聞き取ろうと、私と五郎丸さんが顔を近づける。
「本当はISスーツなの。光学迷彩機能を使えば水着にもできますよってうたい文句の。四菱ケミカルからぜひ試してくださいって言われてたし、ずっと忙しくて水着を買いにいけなかったから……」
「私か
「子犬ちゃんに裸で迫るのは正直どうかと思いました。子犬ちゃんの魔性にやられたのはわかりますが、そういうのはせめて風呂場でやってください」
私は率直な気持ちを口にして、さりげなく布仏さんを見つめる。モノトーンのワンピースだが胸元が少しきつそうだった。
「え、えーちゃん。どうして私を見るの~」
「前科があるし。さっきも無理やり迫ってたし……」
「ミコちゃんを見てるとほわーんとして、とろ~んな気分になってくるんだよ。不可抗力だから止めらんないよ~」
視野の裾で、セシリア嬢が布仏さんを擁護するように力強くうなずく。
近くにいた黛先輩が舌を出して申し訳なさそうに苦笑した。
「両神さんと一緒にいると変な気分になるから近づきたくなかったんだけど……更識さんを、生徒会長を責めないであげて!」
更識先輩がISスーツだと言ったのが妙に引っかかった。私はこっそり耳打ちする。
「更識先輩、その水着、もといISスーツって四菱ケミカル、ですか? この前、私も新しいのをもらったんですけど」
「その通りよ……後で文句言わなきゃ」
「その苦情。私が書きましょうか」
顔を離すと、更識先輩が私を見て首をかしげる。他人の苦情を代筆する意味がわからない。更識さんは親切心の裏を探ろうと眉根をひそめた。
私は説明が必要だと思って、もう一度耳元に口を近づける。
「忘れたんですか。あの人、四菱ケミカルに顔が利くって」
「恩を売る気……いや、あいつならあり得る!」
うっかり四菱のご令嬢の耳に入るなんてことがあるかもしれない。大企業ならば顧客情報をしっかり管理するはずだから、漏洩の可能性は限りなく低いけれど「あの人ならやりかねない」という共通の先入観があった。
「この後すぐにでも」
「……た、頼むわ」
更識先輩はわずかに逡巡していたけれど、確信めいた顔つきで交渉成立の握手を求めてきた。
21話目にしてようやく本名が出る。これぞモブクオリティ。