少女Aの憂鬱   作:王子の犬

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★20 女教師の密会

 昼食をフードコートでとることになった。全員が完食しており、のんべんだらりとおしゃべりに興じている。

 私は腰の後ろに荷物を置いたまま、セシリア嬢の顔をじっと見つめる。

 

「……何も出ませんわよ」

「最初から見返りなんか期待してないよ。さっきさあ、本屋に行ったんだけどね」

「あなたのことですから、どうせマンガを物色していたのでしょう?」

 

 セシリア嬢の言葉にぐうの音も出なかった。彼女はまるで、マンガの山を見た母親が「捨ててもいい?」と聞くときと同じ表情を作っていた。夢と希望と願望が詰まった青春の一ページなど、冷徹な現実主義者であるセシリア嬢にとっては取るに足らないものに違いない。

 私はセシリア嬢が言ったとおりマンガしか読まない、そこらへんにたくさんいる非文学少女である。

 なので、奥歯をかみしめて出鼻をくじかれまいと必死に話題を続けようとした。

 

「セシリアさんにそっくりな人を見かけたんだよね。ちょうどセシリアさんを縦に引き延ばして、巨乳にした感じ」

「他人の空似ではありませんこと。人種が違ってしまえば、微妙な違いなんて分からないものです。単に金髪だったから……その類ではなくて?」

 

 私は胸の前でボールをつかむようなしぐさをしてみせた。鷹月が大きさを聞いてきたものだから、素直に応じる。

 

「多分。子犬ちゃんと同じくらい」

「G……と」

 

 全員の視線が子犬ちゃんの胸元に集中した。本人は手で胸を隠そうとするのだけれど、脇が締まって大きさがよけいに強調されてしまう。

 

「ヒールだったから背丈が大きく見えたのかもしれないけれど。……そうだねえ。織斑よりも背、高かったよ」

「……それがどうかしたのですか」

「セシリアさんってお姉さんいたっけ?」

「わたくしは一人っ子ですわ」

「前に言ってたね。それにしては似すぎてたんだよね。しぐさとか話し方とかそっくりだったし」

 

 私は思い出したことがあって手をたたいた。セシリア嬢のそっくりさんには連れがいたのだ。

 

「五反田さん」

「な、なんですか」

 

 五反田さんは声をかけられるとは思っていなかったのか、肩を震わせ、恐る恐る私に目を合わせる。

 

「織斑の背を縮めて小六女子っぽくしたのがいたんだけど。織斑に妹がいたり……織斑先生に隠し子がいたりしない?」

「あそこは姉弟だけだったと思います。うちによく食べに来てたし」

「うち? 家族ぐるみでお付き合いとか?」

 

 五反田さんが残念そうに笑った。

 

「だったらよかったんですけどねー。うち、食堂やってて、ひいきにしてもらってたんですよ」

「なるほど」

「まだ見込みはある……と」

 

 相づちを打つ私の横で鷹月がぼそぼそとメモを記している。私の声まねをしており、いかにも好みそうな言葉を選んでいた。

 

「オルコットさんのそっくりさんって、もしかしてドッペルゲンガーでは?」

 

 鷹月がコーヒーを飲み干してから、口から出任せを言う。姿形が違うので、自分と瓜二つの人間が多数の人物に目撃されるという条件を満たしていない。今回の場合は、姉か親戚、母親あたりを疑って然るべきだ。(ケイ)の話によればセシリア嬢は両親と死別している。閨閥(けいばつ)……ではなく、親戚が多数いるらしいのだけれどセシリア嬢と年が近い者はいないらしい。

 

「ちょっと違うんじゃないかな。金髪の外人さんってだけでも目立つし。どっちかって言うと、()()()()だね」

 

 自分でも適当なことを言っていると自覚がある。けれど、その場の勢いで口をついて出てきたものだから、自分でも発言の意味をよくわかっていなかった。

 

「クローン説を提唱しますか。その根拠は」

「うっ」

 

 冗談として流されるはずが、鷹月は意外にも真面目に切り返す。相手を見誤ったか……と、私は半ば自嘲する。一度広げた風呂敷をたたまなくてはいけない。中途半端に話題を振ってしまった報いである。

 私は愛想笑いを浮かべながら、必死に頭を働かせた。

 

「セシリア嬢の財産を乗っ取るつもりだったとか。もともと大金持ちさんだったセシリア嬢が万が一死亡したときに備えて予備のクローンを作っておいたんだ。一人っ子で女性だから、若年で経験が浅いうちなら傀儡にすることもできる。でも、結局何にもなくて作ってみたけれど使い道がない。いつでも交換できるようにセシリア嬢の活動拠点の近くに配置した……というのはどう」

 

 セシリア嬢が深いため息をついた。

 

「三文小説以下の出来映えですわ」

「うぐぐ」

 

 私は酷評されて歯ぎしりする。恥ずかしい。みんなの視線が痛いのだ。そんなとき、机に突っ伏した私の頭脳に天啓が降りてきた。舌の根が乾かぬうちに考えを口にする。

 

「じゃあ、今度は織斑妹モドキで」

「どうぞ」

 

 セシリア嬢が淡々とうながす。私は根拠もなく勝ち誇ったような顔つきで全員を見回し、もったいぶった口調で語りはじめた。

 

「織斑先生は世界大会優勝者で、しかも篠ノ之博士のご友人と来ている。ちょっと前に禁止されちゃったVTシステムは世界大会入賞者の動作をまるっとコピーして、まったく同じ動きを再現したら楽勝だよねっていうものだった」

 

 セシリア嬢と(ケイ)が首を縦に振った。さすがは代表候補生と代表候補生の候補生だ。これ以上口にすると、ネットニュースをちらっと見た程度の知識だとばれてしまうので深くは追求しなかった。

 

「織斑先生の遺伝子をどこかで入手して、同一遺伝子の個体を作って雪片みたいな反則武器を入手しようとした。何て言ったってこの業界の人気ナンバーワン。しっかりCMにも出ちゃってるんだよね。七年前に」

 

 しのぎんが「あーそれ覚えてるわ」と相づちを打った。

 

「あの、千冬さん……本人の前でその話題について言っちゃだめですよ。黒歴史だって愚痴をこぼしてましたし」

 

 千冬十七歳。織斑先生は若気の至りだと認識しているらしい。チラと鷹月を見やれば、彼女はちゃっかりメモを取っていた。

 

「あれだね。とりあえず数打ちゃ当たると、たくさんクローンを作ってみてそのうち一体が偶然この建物にいたってのはどうかな」

「ハア……」

 

 セシリア嬢が辛辣なため息をつく。

 

「ありきたりなSF以下ですわ。根拠どころか説得力も感じられません。今時はやりませんわよ、それ」

「うぬぬぬ」

 

 

 昼食後は自由行動である。セシリア嬢と(ケイ)は子犬ちゃんを連れて買い出しの続きに行ってしまった。しのぎんと鷹月はセシリア嬢たちを観察して遊ぶ、と語っていた。残った私と兜鉢、そして五反田さんは手持ちぶさたできょろきょろしている。

 

「いた、いた。五反田さん、あれだよ」

 

 私は向かいのショーケースを指さした。織斑モドキは服屋のガラスに背中を預け、顔を横向けて誰かを凝視している。黒いジレにカーディガン、パンクロック風のプリーツラップスカート。ヒールで五センチはかさ上げしている。暗めのアイシャドウが入っていて、余計に目つきが鋭く感じた。一見、今年中学に上がったばかりだとも思える。しかし、顔つきからしてお近づきになりたくない雰囲気があった。

 

「あれ、ですか。びしっと決めてる」

「そう。あれ」

 

 織斑モドキが何を見ているのだろう。少し興味が湧き、視線の先をこっそりと追った。そこには織斑先生と思しき横顔がある。しかも、品の良さそうな男と一緒だ。テーラードジャケットを羽織った二十代後半の男性である。

 

「ちょっ……ええええええ!」

 

 私はとっさに口を押さえていた。隣で兜鉢(カバチ)が、私が何に驚いているのか知りたがっている。

 

「ち、千冬さんが男の人と……ええええええ!」

 

 今度は五反田さんだ。

 

「いやいやいや、()()千冬さんが? 身持ちの堅い人ってうわさだったのに」

 

 五反田さんの雰囲気からして浮いた話がひとつもなかったようだ。うちの担任にはレズ説、バイ説、ショタ説、実は彼氏持ちだとさまざまな憶測が飛び交っている。その中でも決定的な証拠をつかみつつあるのだ。私はにわかにやる気を出した。

 

「後をつけよう」

「こんな面白そうなこと、放っておけないもんね」

 

 兜鉢が明け透けにものを言う。

 

「あっ外に行くみたい」

 

 織斑モドキも先生の後を追うようだ。こちらに気づいているのかどうか定かではないけれど、私たちは興味本位で彼女を追いかけていった。

 行き先は小洒落た喫茶店。世界規模で店舗を展開しており、コーヒーがほかの店よりも若干割高だ。と言っても、個人経営の喫茶店と比較した場合、さほど値段に差があるわけではない。

 私たちは織斑先生はもちろんのこと、織斑モドキに見つかりたくはなかった。ヘタに見つかって絡まれたら、彼女にボコボコにされそうな雰囲気なのだ。この場にしのぎんがいたら心強かっただろう。残念ながら別行動だった。

 

「デートの予感!」

 

 兜鉢の声が弾んでいる。五反田さんが隣で「よくないですよ……」と、先輩を引き留めようと袖を引っ張る。

 

「あ、曲がった。店に入っていった」

 

 織斑モドキも何食わぬ姿で同じ店に消えた。

 私は後ろを顧みて、五反田さんの及び腰と野次馬根性丸出しの兜鉢を見比べる。この場には三人いる。次の行動について多数決をとれば勝利は間違いない。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 兜鉢がうなずいた。五反田さんが文句を口にしている。しかし、葛藤に付き合っている暇はないので、私は兜鉢とともに喫茶店のオープンテラスに腰を降ろした。

 

「ちょっと勝手に」

 

 五反田さんだ。私はあごをしゃくり、視線を誘導する。窓際の席に織斑先生の横顔があり、小さなテーブルを挟んで男性との会話に興じている。だが、織斑モドキの姿を見失ってしまった。私はテーブル席できょろきょろするのは良くないと思って、懐から取り出したチケットを五反田さんに手渡す。

 

「ホットのラテにエスプレッソショット、ショートで」

「私も」

 

 兜鉢も同じチケットを持っており、二枚重ねて渡した。一枚は兜鉢の分、もう一枚は五反田さんの分だろうか。

 

「これ……」

 

 五反田さんは手渡されたチケットに目を落とし、しばらくして顔を上げた。私はにこにこしたまま、チケットの出所について言及する。

 

「とっても親切な先輩からもらったんだよ」

 

 岩崎の顔を思い浮かべ、心にもないことを口にしてしまった。航空部製ISの試験に参加する見返りとしてこのチケットがあった。悪い人ではないから当たり障りのないことを言っておくが吉だろう。長いものに巻かれるのだ。

 

「わかりました。目的を達したら引き返す。いいですね?」

「もちろん」

 

 私は薄い胸を叩く。ゴツン、と音がするのも構わず胸を張り続けた。

 

「じゃ、お願いね」

 

 五反田さんは手を振る兜鉢に向けて、大きなため息をつく。渋々といった風情でレジカウンターの列に並んだ。

 

「例の彼女はどこに行ったのか、分かる?」

「それなんだけどさ」

 

 兜鉢が隣の席に座って口ごもる。いきなり肩をたたいて、背後に注意を向けるように促した。

 何だろう。その場で腰をひねって顧みると、織斑モドキが座っていた。ストローに口をつけ、頬を凹ませている。向かいの席にはカバンが置いてあり、彼女のしぐさから待ち合わせしているようにも見て取れた。ホイップクリームを吸い込みながら、しきりに織斑先生の様子をうかがっている。

 

「う、後ろにいた……」

 

 私は小声になって兜鉢に顔を寄せた。

 

「あの子さっきから人を殺しそうな目つきで先生と……連れの人をにらんでるんだけど」

 

 兜鉢が相づちを打つ。

 

「えーちゃん。嫉妬と考えるのが妥当なんじゃないかな」

「カバチさん。その心は」

「先生の彼氏さんが、あの子のお兄さんなのよ。大好きな()()ちゃ()()を取られて怒り心頭。休日のデートをストーキングしてあわよくば邪魔してやろう……ってね」

 

 兜鉢はしたり顔を浮かべている。

 私は能面になって素っ気ない感想を口にする。

 

「普通」

「ちょっと。その反応はないと思うんだけど」

 

 兜鉢が不満そうに唇をとがらせた。

 

「さっきオルコットさんに酷評されたからその仕返しのつもりなんじゃ」

「まさか。私がそんなことすると思う? 善良な一市民なのに」

「……ふうん」

「うわっ、その目つきは信じてないな。いつも巨悪に立ち向かっているじゃないか」

「どっちかっていうと悪の親玉に取り入る、日和見市民な気がする」

「ひどい。カバチは私のこと、そういう風に見ていたんだ」

「客観的に見てそうでしょう。四菱系列の信奉者って思われてるって。……私もなんだけど」

 

 まったく反論ができない。答えに窮した場合はいきなり怒り出してけむに巻くか、まったく異なる話題を振って話をうやむやにしてしまうにかぎる。

 

「おっと。先生が何かを取り出したぞ」

「どこ」

 

 出任せを言ったつもりが、本当に織斑先生がカバンから封筒を取り出したので面くらった。封筒を受け取った男性が笑みを浮かべており、ねぎらいの言葉をかけているようにも見える。

 

「何言ってるかさっぱりだ。こんなときに鷹月がいれば……」

 

 そう。鷹月がいれば読唇術を駆使して会話の盗み聞きし放題である。残念なことに彼女はしのぎんと一緒にいる。

 男性が席を立つ。礼を言って、ちょうど出口で五反田さんと肩を並べ、そのまま店舗から出て行ってしまった。

 

「先輩方。飲み物です」

「ありがとう」

 

 フタ付きの紙コップを受け取る。私は憂いを帯びた表情で織斑先生を振り返った。先生は頬杖をついてため息を吐く。ストローに口をつけ、もう一度嘆息する。横を向いて窓の外を眺め、再び視線を正面に戻す。カバンから手帳を取り出し、机に広げた。

 

「あの……先輩方。さっきの人。千冬さんの男友達じゃないんですか?」

「それじゃつまんないよ」

 

 兜鉢が本音を告げ、五反田さんがあきれた顔つきになる。

 

「社会人だもの。男の人とお付き合いしててもおかしくないよね、蘭ちゃん」

「兜鉢先輩は無理やり恋愛に持ってくわけですか。ここから千冬さんが見えますけど、恋人を想う視線じゃないと思うんだけどなあ」

「なになに五反田さんは彼氏」

 

 私がからかおうとしたら、五反田さんが眉根をひそめたのであわてて撤回する。

 

「……がいるわけないか。本命がいるもんね」

 

 織斑先生は黙々と手帳に何かを書き殴っている。もしかして恨みつらみをぶつけているとかではないだろうか。

 

「千冬さん、真剣な顔で何か書いてますよ」

「そうだね」

 

 私はあいづちを打った。顔を戻し、正面に座った五反田さんを見つめる。飲み物に口つけた彼女は、私の視線に気づいて急に胡乱な顔つきに浮かべた。

 

「で……先輩こそ付き合った経験は?」

「ないない。私、もてないし」

 

 事実である。軽く笑いながら答えてみたものの、五反田さんが信じたようには見えなかった。

 

「ふうん」

 

 五反田さんが嘆息する。

 男友達が多かっただけだ。年齢を鑑みて社交辞令のように「彼氏さんは?」と聞いてきたのだと思われる。私はそれなりに整った顔立ちらしいので、いてもおかしくないそうだけれど、いないものはしょうがない。

 私はひとりでラテをすすっていた兜鉢を巻き込むことにした。こいつの外見を言葉に例えるなら、ゆるっとふわっとして、それはもう男に好かれそうな体つきだ。それだけにISスーツ映えする。私や五反田さんなどとは大違いなのだ。

 

「カバチさんはいたんじゃないの」

 

 兜鉢は、心ここにあらず、と言わんばかりによそ見していた。急に話を振られてきょとんとする。しばらくして、私の意地悪な顔つきに気づくや顔をそらす。

 

「ないって。まあ……そりゃあ告白されたことならあるけど」

「うっわ。自慢」

「えーちゃん。違うの。あれよ。女子校だったからお約束のって言うか……」

「それこそないと、思いたいんだけど」

「男の子なら小学校のときに何回か。これでもこっちから男の子に告白したことあるし」

「……え?」

「でも、告白だと受け取ってもらえなかったの。当時、わたしの周りの子もそんな感じだったし」

 

 急に顔を赤くする兜鉢を見て演技ではないと感じた。私はコップを置いて最後まで聞くことにした。

 

「誰? 小学校なら話せるんじゃ」

「学区は違ったんだけどね。小学校のとき、地元の大会に出た友達を応援しに……あっ、その子は剣道をやってたんだけど」

 

 私は剣道と聞いて、つい篠ノ之さんを思い浮かべる。全中覇者の古強者だ。小学校の頃から大会にも出慣れていたはず。地元に電話したとき、剣道経験者に箒の話をしたら名前を知っていてびっくりしたくらいだ。

 

「そのとき会った男の子に……ついその場の勢いで……」

「大胆だねえ。もちろん、名前くらいは出せるよね」

 

 すると、五反田さんが私の名前を口にする。

 

「もう、そのくらいで止めてあげませんか」

「五反田さんは誰か知ってるの?」

「知ってますよ。うちの地元じゃあ、その人、わりと有名だし」

「まさか織斑……じゃないよね」

 

 私はすぐさま兜鉢の顔色をうかがった。一瞬目が泳いで、突然アハハハと笑い出した。間違いなく図星である。

 

「先輩は小学校のとき隣の学区だったんです。隣町だけど学区自体は接していたんです」

「……それは悪いことを聞いた」

「いや、いいの。若気の至りっていうか。そんな感じだし」

「あの鈍ちん。小学校の頃からすけこましだったか」

 

 私は大きくうなずいて、五反田さんを見つめる。兜鉢も私にならって後輩と目を合わせた。

 

「な、なんですか先輩方」

「私が提案したプランを実行してみる?」

「……最低ですね」

 

 私は予想通りの言葉と冷たい目線に満足して、兜鉢を見やった。

 

「地元ってことは、その大会に篠ノ之さんも出てたの」

「友達が準決勝で当たって、篠ノ之さんの二本勝ち。篠ノ之さんが転校したときは、『勝ち逃げされた』って怒ってたなあ。まあ、その友達は篠ノ之さんに勝ったことないんだけどね。去年もやっぱり準決勝で負けちゃったし」

 

 兜鉢が一息ついてラテを飲む。

 

「去年? 篠ノ之さんが転校したのって小学校じゃ?」

 

 篠ノ之さん本人から小学校の途中で転校したと聞いている。そうでなければ、ファースト幼なじみ、セカンド幼なじみなんて状態にはならなかったはずだ。

 

「もちろん全国大会。その子、去年、県で個人優勝してるけど」

 

 世間が狭すぎる。織斑の女性関係はともかく、篠ノ之さんの威光が全国に轟いている。IS以外でも彼女は有名人だった。

 

 

 ふと織斑先生を見れば、席から姿を消していた。他愛もない話で盛り上がっていたら見失ってしまったのだ。私はとっさに後ろを振り返り、織斑モドキがまだいることを確かめてほっとする。彼女が動いていないということはつまり、織斑先生はまだ店内にいるということだ。

 

「そろそろ退散したほうがいいんじゃないですか」

 

 五反田さんが時計と織斑先生の席を交互に見比べている。

 

「いや、もうちょっと」

「千冬さんに見つかったら……」

 

 五反田さんが「言わんこっちゃない」と続ける。背後に気配を感じ、恐る恐る顔を戻すと、織斑先生が腕を組んで立っていた。

 

「うげッ」

「千冬さん、お久しぶりです。かれこれ一ヶ月ぶりになりますね」

「どうも」

 

 三者三様の反応だ。織斑先生はあからさまに嫌そうな反応を見せた者に対して鋭い眼光を飛ばす。

 

「見覚えがあると思ったら、お前らか」

 

 私ひとりならば周囲の風景に溶け込むことは造作もないけれど、この場には五反田さんがいる。彼女の赤毛はとても目立つ。私はしどろもどろになってその場を取り繕うとした。

 

「奇遇です。先生っぽい人を見つけたんで気になって追いかけてみたら、まさか本当に先生だったとは」

「わざとらしいぞ、藤原」

「いやもう、勘弁してください。ちょっとした出来心なんです」

 

 私は人を射殺さんばかりの眼光に屈し、早々に白状した。先生の目つきは他人を殴ったことがあるものだ。もしかしたら中学高校では荒れていて、その鬱憤をISにぶつけていたのではないだろうか。

 五反田さんと兜鉢に助けを求めたけれど、前者は冷ややかな視線を送り、後者は苦笑するだけだ。つまり、味方はどこにもいなかった。

 

「つけるならもっと工夫しろ。同じ店に入るとか、なってないぞ」

「……怒ってないんですか。彼氏さんとのデートを見られたこと」

 

 織斑先生が目を丸くした。私が口にした言葉を理解できなかったようだ。

 

「もう一回頼む」

「デートだったんですよね」

 

 織斑先生は頬をかいて、急に相好を崩す。

 

「ハハハっ。そうか、お前らにはあれがデートに見えたのか」

 

 おかしそうに笑う織斑先生に、私は首をかしげた。

 

「違うんですか?」

 

 織斑先生は急に押し黙って真剣な表情を浮かべ、恥ずかしそうに髪をいじり始めた。

 

「うん。私の大事な人だ」

 

 五反田さんがむせ返るのを耳にする。私は目を丸くして、「面白くなってきたぞ」と心のなかでほくそ笑んだ。

 

「どこまで行ってるんですか。あれですか。もちろんあれなんですよね」

「一緒に夜を過ごすくらいなら、な」

 

 来た。大人の関係、というやつだ。私は目を輝かせ、安堵(あんど)のため息をつく。それを見た織斑先生は、あきれたような口ぶりになった。

 

「……お前なあ」

「よかったです。先生が男性に興味があることがわかって」

「ひっかかる発言だな。覚えておくぞ」

「ややや、やだなあ。もう」

 

 再び射抜くような視線を向けられ、私は再びごまかす。あわてる私を見て、織斑先生が急に吹きだした。

 

「冗談だ。あの人とはビジネスの関係だよ。言わば大事な顧客だな」

「うえっ……そうなんですか?」

「ああ。今の仕事に就く前からやってる副業でな……ま、アルバイトみたいなもんだ」

 

 もちろん学校の許可をもらっている、とつけ加える。

 

「副業?」

「かれこれ十年くらい続けている。他言無用だぞ? 波風立てられても困るからな」

 

 しかし、人の口に戸は立てられないのだ。私は言いたくてうずうずしていた。

 

「もしも口にしたら岩崎と姉崎に申し送りしておく。いいな」

「……言いませんよ」

「私は約束を守る子が好きだぞ」

 

 言ったら容赦しない、と暗に口にしていた。織斑先生の副業は他人様に言えないことなのか……と、私は思わず身震いする。織斑先生はなぜか顔を赤らめている五反田さんと、素知らぬ顔で聞き耳を立てていた兜鉢を見るや同じように釘を刺す。

 

「五反田さん、どうしたの?」

 

 不審な反応だ。普通は震え上がるものだけれど、彼女は何か知っているのか、私と目を合わせようとしない。

 話が途切れたところで織斑先生が踵を返した。

 

「門限は守れよ」

 

 捨て台詞を残して去ろうとする、ちょうどそのとき。背後から荒々しく席を立つ音。織斑モドキが先生の前に立ちふさがった。

 

「お前はっ……」

 

 織斑先生はひどくうろたえていた。動揺する先生の姿を初めて見た気がする。

 

「久しぶりです。千冬お」

 

 彼女が放った言葉は、織斑先生の胸を鋭く貫いた。

 

「――さん」

 

 織斑先生はこれ以上動揺を悟られまい、と慇懃(いんぎん)な笑みを浮かべる。彼女は何を言っているのか。内心ではひどくあわてているはずだ。

 

「聞こえなかった?」

 

 思わず、織斑先生が吐血する妄想をしてしまった。私は先生を擁護しようとしたけれど、それを言ってしまえば織斑モドキの言葉を認めてしまう。だから絶対に口にしてはいけなかった。先生はまだ二十代前半なのだから。

 

「もしかして私のことを忘れたの? マドカですよ。()()()()()()

 

 織斑モドキは不敵な笑みをたたえていた。

 

 

 


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