少女Aの憂鬱   作:王子の犬

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★2 男の子はとにかく実弾を撃ちたがるから!

 私は己の至らなさについてひどく腹を立てていた。

 最初こそつまずいたが、自己紹介は順調だったと自賛しているものの、着席時にうっかり椅子の位置を確かめる事を忘れて尻餅をついてしまった。

 (ケイ)などは、

 

「えーちゃんはおっちょこちょいさんなんだねえ」

 

 と明るく純真で無邪気な笑みを浮かべるので、周囲の失笑が気にならなくなったのは幸いと言えたのだけれど、それでも気恥ずかしさは消えなかった。

 私がオリエンテーションなど早く終わってしまえと呪いの文句を念じているうちに、山田先生が教壇でISの概要説明を始めた。

 事前課題として手渡された参考書の【はじめに】と【ISの歴史】に記された数ページ分の重要な部分を抜粋した説明で、一般的に知られた内容でもあるから、おさらいとして聞いておくとしよう。

 

「皆さんも知っているとおりISの正式名称はインフィニット・ストラトス。

 日本で開発されたマルチフォームスーツです。

 十年前に開発された当初は宇宙空間での活動が想定されていたのですが、現在は停滞中です。

 アラスカ条約によって軍事利用が禁止されているので、今はもっぱら競技種目、スポーツとして活用されていますね。

 そしてこのIS学園は、世界唯一のIS操縦者の育成を目的とした教育機関です。

 世界中から大勢の生徒が集まって、操縦者になるために勉強しています。

 さまざまな国の若者たちが自分たちの技能を向上させようと日々努力をしているんです。

 では、今日から三年間しっかり勉強しましょうね」

 

 クラス一同の元気のよい返事に山田先生は満足そうにほほえむ。しかし彼らの中でただ一人の男子である織斑が不安のあまり顔を青ざめさせていた事を、私は見逃さなかった。

 さて、次の授業までの小休止である。

 超難関で知られるIS学園に、肉親や友人の類が何らかの形で在校していることは、とても確率が低いとされていたのだけれど、先だっての織斑姉弟のような例外がいるものだと実感した。

 機密に触れられるという特典がついて、さらには生徒に巨額の教育費が惜しみなく投入されていることは周知の事実であり、何事にもまず勉学に励まねばならないと決意を新たにした。

 既に奨学金という形で某軍需企業とずぶずぶの関係にある私は、それこそ中退などという憂き目に遭ったときには、一般企業に就職したとしても毎月の給料から自動的に数万円の天引きがなされるという悲しいお知らせが待っていて、もちろん税金や厚生年金とは別会計である。多少誇張して表現するのだけれど、現在の大卒の平均初任給をもらったとしても、実家暮らしにもかかわらず手取りが両手の指で収まり、その上数本余るんじゃないかという計算になった。

 つまりどういうことかと言えば、中退したら人生が詰んでしまう。

 卒業すればお礼奉公で某軍需企業でISのテストパイロットとして優先的に採用されるかもしれない、という特典の方に目がくらんだ事実は否定できない。

 ずっと緊張したままだったので背筋を伸ばしているとあくびが出た。

 何気なく教室の様子をうかがうと、(ケイ)が猫のようにすり寄ってきて、懐き方が打算的であざとい感じがするのだけれど、彼女自身はその気が毛ほどもない様子で、

 

「ISにまた乗りたいなー」

 

 と欲求不満気味につぶやいてしなだれかかってきた。

 彼女を見ていると雨にぬれた柳が風に揺られる様を思い出し、とても同い年には見えない妖しさを醸し出していたので、ストレートの私でも変な気分になってくるのだ。私の色気が足りていない、と言えばそれだけなのだけれど、見えない何かに負けた気がするのは思い込みに違いない。

 (ケイ)が孤独にため息をつく異邦人織斑は眼中にない様子だったので、一日で友だち百人できるかなを地で行くような彼女にしては変だと思って、

 

(ケイ)は織斑に話しかけないの? 今ならチャンスだと思うんだけど」

 

 と疑問をぶつけてみると、苦笑しながら私から体を離し、指先で肩をたたいて、廊下に注意を向けさせた。

 

「えーちゃんは外の様子が気にならないのかにゃ?」

 

 そこにはたくさんの野次馬が群がっていたので、彼女らの声に耳を澄ます。

 

「あの子よ、世界で唯一ISを使える男性って」

「入試の時にISを動かしちゃったんだってねえ」

「世界的な大ニュースだったわよね」

「やっぱり入ってきたんだ」

「話しかけなさいよ」

「私いっちゃおうかしら」

「え、まってよー。まさか抜け駆けする気じゃないよねー」

 

 最後の発言がとても重要である。

 

「この状況で抜け駆けするとみんなからハブられる気がして、さすがに無理があるわけにゃ」

 

 私と同じ気持ちなのか(ケイ)が腕を組みながら独りごちた。

 

「よくわかりました」

「えーちゃん。試しに一号さんやってみ?」

 

 (ケイ)の口調が、命令することに慣れている人種独特の酷薄さを漂わせたのが、とても意外に感じたけれど、

 

「すみません。無理でした」

 

 と強がる気持ちなどこれっぽっちもなかった。

 異邦人織斑の懐柔は後日行うとしよう。クラスメイトAぐらいに思ってもらえるのが私の最善の立ち位置に思えた。

 まだ初日なので仲良しグループが固まっていないのだけれど、他の子とも話をしてみたいなと思うので、残りの休憩時間はクラスメイトの観察にとどめよう。

 個人的な見解を述べさせていただくと、篠ノ之さんの外見はとても好みだ。ぜひ男装させてみたいという私の下衆根性かもしれないが、初対面の人間に欲望丸出しの発言をしては私=変態という等式が成り立ってしまうかもしれないというリスクは避けるべきなので、文化祭の時までこの案を温存するべきだろう。

 

「おおおっ」

 

 (ケイ)が驚きの声を上げている。何事かと思って教壇まで視線を動かしたその先には、途方に暮れる織斑の前に篠ノ之さんが立っていた。

 

「ちょっといいか」

 

 織斑は気の抜けた声を発すると、篠ノ之さんに誘われるままに屋上へと消えていった。

 残された私たちは、彼らの姿が消えて数名の生徒が後を尾けていくのを見送り、しばらくしてから、教室は驚愕の叫びに包まれた。

 

「何ですの、今のは何でしたの!」

 

 よどみない日本語で取り乱しているのはセシリア・オルコット嬢だった。縦ロールがかかった金髪に青い瞳。美しい白い肌。紳士淑女の国、英国(イギリス)から派遣された留学生である。

 

「篠ノ之さん、だったよねぇ……」

 

 オリエンテーション中からずっとのほほんとしていた布仏(のほとけ)本音(ほんね)さんも驚きを隠すことができなかった。

 みんな一番駆けを警戒するあまり、織斑に声をかけることができなくて、私もその一人なのだけれど、誰も篠ノ之さんに注意を払っていなかった。

 みんながあっけにとられているうちに、速やかに織斑を屋上に連れだして、二人だけの空間にしけこんでしまったのだから、計算してやったのだと疑うならば篠ノ之さんはずいぶんと策士ということになる。

 真面目そうに見えて男をかっさらう手腕に恐ろしさを通り越して、尊敬の気持ちすら生まれてくる。困っているときに身近で親身に接してくれる女子がいれば、案外男はコロっといってしまうものだ。しかしながら、一年女子の大半を敵に回すことを意に介さないとなれば、篠ノ之箒という女は大物に違いないので、決して敵にしてはいけない女と覚えておくことにした。

 いつの間にかセシリア嬢の隣に移動した(ケイ)がちょっかいを出そうとしていた。

 

「セシリーってば悔しそうにして、まっさかー」

(ケイ)!」

 

 腕が脇の下から伸びていることに気がついて、(ケイ)が次にとるであろう行動を見抜いたセシリア嬢は、名を鋭く言い放ち、一瞬だけ彼女の動きを封じて、胸を両手で隠しながら身をよじって隙間を作ると、軽やかなステップで私の隣まで逃げてきた。

 

「冗談だってー」

 

 悪びれもせずに謝る(ケイ)の指先は優しくなめらかにもみしだくような動きだったので、反省の気配がないことを確かめたセシリア嬢は深いため息を吐いていた。そこで、セシリア嬢に知り合いなのかと尋ねると、彼女はさも不服そうな仏頂面になって、

 

「昔、取引先のパーティで知り合ったのですわ。不愉快ですけれど」

 

 と親の敵を見たかのような風情で舌打ちした。何かあったのか、と思ったけれど、他人の領域に入って無理矢理に聞き出すのは失礼に当たるので、この場で話題を打ち切って、その代わりに織斑を観察した成果についてみんなで議論したいと考えた。

 

「さっきの織斑の様子なんだけど、篠ノ之さんに声をかけられてほっとしてなかった?」

 

 私の意見に(ケイ)が頷いた。

 

「わたしもえーちゃんと同じ意見ー。旧知の仲って感じだったよね」

「千冬様以外の姉妹、親戚とか」

「千冬様に織斑くん以外に親戚っていたっけ。選手時代の公式データにはそんなことのってなかったよー」

「あ・や・し・い、ですわ。状況証拠以外にも情報が欲しくなりますわね」

 

 みんなの食いつきが良いので、私は誇らしげに胸を張った。

 二人の後を尾けていった生徒が戻ってきたら何か聞けるのかもしれないけれど、セシリア嬢が言うように邪な推論に必要な材料がほしいというものだ。

 観察による情報収集にも限界がある。しかし、織斑を観察し続けるということは常に彼を意識し続けなければならないことであり、まさしく変に意識しているなどと、恋と愛の区別を知らない未熟者であるわれわれの勘違いを煽るに違いない。

 篠ノ之さんと織斑の接点について知らねばならないという意見が、われわれ全員で一致した見解であり、まさか男女の仲ではあるまいと思いたいのだが、何しろ情報が少なすぎる。

 誰か、情報をもって参れ、と叫びたくなるのだけれど、現実には誰かが織斑と口をきかねばならないのである。

 クラスメイトという利点を持ってしても、生粋の日本人だが目立ちたがり屋ではない私は、誰かが言わねばならないその一言を口にしていた。

 

「織斑に声をかけたい子は挙手してほしい。自薦他薦は問わないよー」

 

 みんなで支援するから、と言葉を足すと、全員がうなずいたので不服はないと考えてよかろう。

 誰が手を挙げてくるか楽しみである。

 私は議長になったつもりで、クラスメイトの反応を待った。

 いってみたら、いきなさいよ、とお互いに譲歩しあう、見慣れた光景が繰り広げられていて、誰も言い出さなければ、だったらあなたがやればいいじゃない、と丸投げされる前にこちらから指名してやるつもりだった。

 

「はーい。セシリーがいいと思いまーす」

 

 元気の良い声がして、みんなが(ケイ)とセシリア嬢を交互に見やった。

 

「なんのつもりですの」

 

 厳しくとがめる声。もしかして(ケイ)が苦手なのだろうか。

 

「ここは英国の代表候補生として、わたしたちに手本を見せてほしいなあ、と」

 

 周囲がにわかに騒がしい。そういえば、という声が聞こえてきた。

 

「オルコットさん、あなたしかいないの!」

 

 鷹月が神に祈るかのような切実とした口調でセシリア嬢に頼み込んだので、他の生徒も後に続けと言わんばかりにすがりついた。

 

「お願い、セシリアさん」

「クラスのために、みんなのために!」

 

 最初はとまどっていたセシリア嬢だったが、誇らしげに腕を組んで仁王立ちになり、

 

「そ、そう……。そうこなくてよ。

 わ、わたくしに任せておきなさい。わたくしがお二人の関係を聞き出して見せますわ!」

 

 みんなのヨイショに気を良くしたのか、高らかに汚れ役を買って出ると宣言してみせた。

 あまりのチョロさに涙を禁じ得ない。これからはチョロコットさんと呼びたくなる光景だった。

 

 

 初めての授業は、事前課題の参考書の内容をなぞるものだった。

 今のところ座学ならついていけると実感したものの、実技の方は早くも不安である。オリエンテーションにて織斑先生が速成教育をする、と宣言したものだから、どんなスパルタ教育が待っているのか考えるだけでも恐ろしい。

 入試の模擬戦試験は、緊張でよくわからないまま終わってしまった。素人にISを着せて、とりあえず戦おうか、などと言われてまともに動かせるわけがない。記念受験のつもりだったけれど、その時はまちがいなく不合格だと思ったから、学園から分厚い通知書が届いても何かの罰ゲームかと疑ったくらいだった。

 一通り説明を終えた山田先生が猫なで声で質問はないか、と織斑に問う。彼女はIS操縦者として先輩にあたるので、初めての男子の後輩に期待しているのではないかと推察する。私も部活の後輩にはよく構ってやったもので、先生だから、と強調したくなる気持ちに大いに共感できた。

 織斑は一度教科書に目を落としてから山田先生を見上げ、元気よく先生と一声発したので、彼女はどんな質問が来ても答えてあげましょう、と豊満な胸を張った。

 

「ほとんど全部分かりません」

 

 期待外れとはよく言ったもので、案の定織斑が降参したのだが、事前課題をこなす前に同じ説明を受けたとしたら織斑と同様の反応するに違いない。

 

「全部ですか……」

 

 とはいえ山田先生の落胆する心中が手に取るように分かる。すぐに彼女は、他にも同じような生徒がいるのではないか、と周りを見渡し、

 

「今の段階でわからないという人はどれくらいいますか?」

 

 と挙手をうながした。

 一人も手を挙げない。平均的な難度の問題だが、問題数と比べて解答時間が短すぎるために、一つミスをすると取り返しがつかなくなるという、あの入試を突破した優秀な生徒たちのことだから、この反応は当然と言えた。

 山田先生の目が泳いでいる。副担任の焦燥を感じ取ったのか、時間割の前で足を組んで座っていた織斑先生が席を立って、出席簿を片手に弟の机に歩み寄った。

 

「織斑、入学前の参考書は読んだか」

「えーと、あの分厚いやつですか?」

「そうだ。必読と書いてあっただろう?」

 

 織斑は言いにくそうに下を向いていたが、意を決して姉を見上げる。

 

「間違えて捨てました」

 

 すぐさま織斑先生が出席簿で弟の横っ面を張った。動作に迷いがない。どうやらこの答えを予期していたらしい。

 大きな音がしたけれど、痛そうにしていないところから察するに、手加減を心得ているように思えた。姉弟でなかったら体罰で騒がれそうなところだけれど、身内の恥さらしを何とかしたいという織斑先生は心中穏やかではないのだろう。

 

「後で再発行してやるから。一週間以内に覚えろ。いいな」

「いや! 一週間であの厚さはちょっと」

「やれと言っている」

 

 織斑先生は暗に反論は認めない、と鋭い表情で言い切った。

 騒ぎの主は観念したのか、背を丸めて頭を垂れた。

 さて、織斑がらみの一幕があったものの、その後の授業は滞りなく進んだ。チャイムが鳴って休み時間になると、セシリア嬢が席を立った。

 私を含めたクラスメイトは篠ノ之さんが頬づえをついたまま窓の外を眺めていることを確かめてから、セシリア嬢に向かってうなずいて見せた。

 

「セシリー、グッドラック(Good luck.)

 

 (ケイ)は見事なクイーンズイングリッシュを口にして、らんらんと目を輝かせてセシリア嬢を送り出す。

 ふん、と鼻を鳴らして(ケイ)から視線を外し、堂々とした足取りで教壇前の織斑席へ向かった。

 それにしては、まるでこれから織斑にけんかを売りに行くような調子だった。

 

「ちょっとよろしくて」

 

 織斑は頬づえをついてシャープペンシルをもてあそんでいたが、セシリア嬢に声をかけられてもぼんやりとした様子で、眠たそうな表情で振り返った。

 気が抜けた声を漏らし、興味ないと言わんばかりの風情がセシリア嬢の気に障ったらしい。

 

「まあっ、なんですの、そのお返事!

 わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるというのではないかしら?」

 

 高圧的に話を進めようとするが、織斑はなぜ自分が話しかけられたのか飲み込めていない様子で、

 

「悪いな。俺、君が誰なのか知らないし」

 

 と素直に答えたところ、セシリア嬢は息をのんで絶句した。

 するとすぐに威圧するように机を叩いて、身を乗り出して織斑に向かってまくしたてる。

 

「わたくしを知らない? セシリア・オルコットを?

 イギリスの代表候補生にして入試主席の、このわたくしを!」

 

 セシリア嬢は金髪碧眼の絵に描いたような美少女で、男ならば一目見たらその姿をまぶたに焼き付けようとするのが道理だと思うのだが、それを知らないと言うのは、本当に余裕がなかったのだろう。

 

「あ。質問いいか」

 

 その声を聞いて、鼻息荒ぶるセシリア嬢が口をつぐみ、一息おいてから、

 

「下々の者の要求に答えるのも貴族のつとめですわ。よろしくてよ」

 

 と息巻いた。

 織斑は真剣な面持ちでセシリア嬢を見つめて、ゆっくりと口を開いた。

 

「だいひょうこうほせいって、なに」

 

 しばしの間。セシリア嬢が織斑が言いはなった単語をゆっくりかみ砕きつつも、額から冷や汗が流れ落ちるのを止められなかったようである。

 私は高圧的な態度で接するセシリア嬢が、実は舞い上がって目的を見失っているのではないかと感じていたのだけれど、織斑は予想の斜め下を行く逸材であると感じ、成り行きを見守ることにした。

 

「信じられませんわ!

 日本の男性というのはみんなこれほど知識に乏しいものなのかしら。

 ……常識ですわよ。常識」

 

 どうやらセシリア嬢は下手な冗談と受け取ったらしい。

 

「で、代表候補生って?」

 

 そんな織斑に代表候補生について解説するセシリア嬢の背中に、英国旗がたなびく幻が見えたのは気のせいだろうか。しきりにエリートを強調するけれど、織斑の横顔はたるんだ間抜けな様子で、本当にISに興味がないといった風情である。

 

「バカにしていますの」

 

 真面目にとらえない様子に、セシリア嬢の声音が一段と冷えこんで、織斑が口答えするものの、その言葉ですらセシリア嬢の揚げ足を取ろうとしたようにも感じ取られ、後は惰性で進んだ。

 

「大体何も知らないくせによくこの学園に入れましたわね。唯一男でISを操縦できると聞いていましたけど期待外れですわね」

「俺に何かを期待されても困るんだが」

「まあ、でも、わたくしは優秀ですから、あなたのような人間でも優しくしてあげますわよ。

 わからないことがあれば、まあ泣いて頼まれたら教えて差し上げてもよくってよ。

 何せわたくし、入試で唯一教官を倒したエリート中のエリートですから」

「俺も倒したぞ。教官」

「はあ?」

「倒したっていうか、いきなり突っ込んできたのをかわしたら壁にぶつかって動かなくなったんだけど」

 

 別に大したことではない、と言わんばかりの様子にセシリア嬢は激高する。

 

「わ、わたくしだけと聞きましたが」

「女子では、というオチじゃないのか」

「あなた! あなたも教官を倒したって言うの!」

「落ち着けよ、なあ」

「これが落ち着いていられ――話の続きはまた改めて。よろしいですわね」

 

 チャイムが鳴ったのを機に肩を怒らせて歩き去るセシリア嬢だったが、クラスメイトの不満げな視線に気付いて、一度教壇を見やって織斑がぼうっと前を眺めている事を確かめてから、両手を顔の前で合わせてごめんなさいと身ぶりで謝った。

 人選ミスをしたのは間違いない。(ケイ)などは親指を下に向けて拳を上下に振って見せ、山田先生たちが姿を見せるまで唇をとがらせてぶーぶー言っていた。

 

 

「これから寮まで引率します。用事がある生徒以外は先生についてきてください」

 

 放課後、特に用事がない私は、学生寮まで引率する山田先生についていくことにした。

 見取り図が配布されていたとはいえIS学園の敷地は広大であるから、初めての場所で迷子にならないとも限らないので、初日から織斑の後をつけていくようなまねは控えたかった。

 それにしても広い。日本のどこにこれだけの敷地が確保できたのか、いささか疑問が募ったが、施設を使う身としては豪華さがまぶしすぎるというものだ。

 いったい何畳あるというのだ。二人部屋ということを差し引いても、実家の私室より一人あたりの面積に差がありすぎて泣きたくなってくる。国や学園の補助が入っていなかったら家賃が大変なことになっていたのではないか。

 どこぞのホテルのスイートなのか、と私は驚喜していた。

 荷物を置いた私はベッドに腰掛けてルームメイトを待っていると、

 

「ここかー」

 

 と(ケイ)がドアを開けて入ってきた。

 私は改めて部屋割りを見なおし、どうやって読むのか分からない名字の生徒が(ケイ)であることに初めて気がついた。

 

「えーちゃんじゃないですか。二組にも同じ名字の子がいたから、てっきりその子だと思ってたよ。よかったー」

 

 内装をじろじろと見回してから学生カバンを壁際に置いて、

 

「これからはルームメイトだね。よろしく」

 

 と握手を求めてきたので、私ははにかみながら小さな声で、よろしく、と答えて握り返した。

 (ケイ)の手は見た目と比べて皮膚が硬くなっており小さな切り傷の痕がたくさん見受けられ、案外苦労人なのかな、と思った。

 

「トイレは室内にないんだねー」

 

 (ケイ)がシャワー室をのぞき込みながらスイッチ類を指でなぞっている。

 

「そーだ。さっき聞いたんだけど。織斑の部屋なんだけどさー。篠ノ之ちゃんと同室なんだってーすごいよねー」

「そうなん、だ……。それって」

 

 私の頭にひらめくものがあった。部屋割り表をひっくり返して、篠ノ之の文字を探した。一二〇五室に織斑の文字もあった。これはつまりむにゃむにゃな状況である。

 織斑は参考書の再発行してもらいに行ったはずだから、到着が遅れるはずなので、たまらなくなった私の決断は早かった。

 

「売店の場所わかる?」

「んー? 一階のロビーと寮のそばに一件あったけど。外の方が大きいし、ドラッグストアも兼ねていたみたいだからそっちがいいんじゃない?」

「ありがと」

 

 (ケイ)は首をかしげていたもののすぐに合点がいったのか、相づちを打って性根の曲がった意地悪なにやけ顔に変わった。

 制服のまま早足で飛び出したが、どうってことはない。織斑と篠ノ之さんが同室になったので、下衆の勘ぐりをした私は、ベッドの中の戦争においてもっとも重宝されるという戦略級重要物資を入手すべく、見取り図を片手に売店に向かった。生理用品の隣に置かれていたそれは、片手に収まる程度の小さな箱にすぎなかった。

 私は早速一箱十二個入りのそれを手に取って、絆創膏と一緒にお金を払った。

 十五歳のいたいけな少女と自他ともに認める私ではあるが、実はかの戦略級重要物資の補給活動に携わったのは初めてではなかった。私は年頃の男子と寝所をともにした経験が無く、生涯をともにしたいと感じた男性以外に体を開くつもりはなかったのだけれど、中学時代の同級生に強く請われてドラッグストアまで付き合ったことがある。

 売り子のお姉さんの営業スマイルに胸を痛めたが、これぐらいの犠牲はつきものだと考えた。現実に事故が発生してからでは遅く、われわれの育成には世界中から巨額の資金が注ぎ込まれているので、これは万が一のための保険(ポカヨケ)なのだ、と自分自身を納得させる。

 私には懸念があった。織斑の外見はいい男である。中学時代ならば恋愛の話題の中心にすえてあれこれ語り合うこともできたかもしれない。

 篠ノ之さんが手を出す分には特にややこしい問題が起こらないのだけれど、もしもセシリア嬢に手を出されたら日英戦争が起きかねず、殴り合いに勝てたとしても、我が国は尻の毛までむしり取られている状況を容易に想像することができる。

 学園側は国際問題に発展しかねない状況を作り出していることに気付いていないのか、あるいは、気付いているのか全く意味がわからない。篠ノ之さんは策士だから、織斑先生と裏取引した可能性が大いにあり得る、と勘ぐりたくもなった。

 肩で息をしながら寮に戻ったところ、廊下で部屋着に着替えた(ケイ)やセシリア嬢、鷹月らその他のクラスメイトに出くわしたので、これから篠ノ之さんをたずねるつもりだけど一緒にこないか、と誘ってみると、面白そうの一言で全員の意見が一致した。セシリア嬢も、「け、(ケイ)がろくでもないことをやらかしたらいけませんから、わたくしもついていきますわ」と金髪を優雅にかきあげながら答え、見え透いた好奇心を隠そうと強がっていた。

 早速一二〇五室へ行くと、ドアにいくつか穴が空いており、何をどうすればこうなったのかさっぱりわからない。

 気を取り直して篠ノ之さんを呼び出し、木刀を片手に廊下に出た彼女に向かって、群衆が取り巻く中でその物資を渡した。

 

「何だ、これは」

「篠ノ之さん。よーく聞いてね。これは大事なことだから」

 

 不審に思う篠ノ之さんを無視して、私は箱を空けて、数珠つなぎになった中身のうち、一つをちぎって彼女の目前に掲げた。

 

「篠ノ之さん。女の子にとって、とーっても大事な事だから」

 

 大事なことだから二度言って強調する。私の顔はリンゴみたいに真っ赤になっていて用意してきた言葉を口に出そうと、何度も深呼吸してみせた。

 

「た、弾込めの前に安全装置をつけなきゃダメだよ!」

 

 意味が分からなくてきょとん、とする篠ノ之さん。周囲の様子をうかがったところ、内容をすべて知っていてにやにやする(ケイ)に、全身の血が沸騰したかのように朱色に染まっていくセシリア嬢がいた。理解が早くてよろしい。さすが貴族として英才教育を受け、代表候補生として訓練を受けていただけのことはあると感心した。

 ここが勝負所と踏んで言葉の飽和攻撃で同意の言葉を得なければならない。知識(火力)はこちらが上だと思いたい。

 

「十代の男の子はとにかく実弾を撃ちたがるから! 学生で夢をあきらめるなんて!

 安全装置なんて不要だよって言いくるめられて許して一発必中して夢をあきらめるなんて、退学する篠ノ之さんを私は見たくない!」

 

 私は目に涙を浮かべて言い切った。自由自在に涙を流すことができるからこれくらいの演技は造作もない。隠語を連発するのは恥ずかしいのだけれど、結婚できる年齢に達していない私にはこれが精一杯なのだ。言わんとしていることは伝わったに違いない。

 

「退学? だから何を言って」

 

 私の必死の努力もむなしく篠ノ之さんは内容を理解できていなかった。

 

「えーちゃん、だめだよ。はっきり言わないと! 篠ノ之ちゃんは純粋(ピュア)なんだから!」

 

 (ケイ)がふがいないと言わんばかりに両手を大きく左右に広げて、大げさに首を振った。セシリア嬢や鷹月などは目を伏せながら口を手で押さえ、体を小刻みに震わせ、笑いをこらえている様子だった。

 

「何のことだ」

 

 篠ノ之さんはなおも食い下がる。無知を装い自分をかわいらしくみせる様には心底ほれぼれするのだけれど、まさか素なのでは、と一瞬だけ思いもしたが、篠ノ之さんの演技に騙されまいと踏ん張る。

 

「篠ノ之さんは織斑と同室になっちゃったとはいえ、年頃の男の子を部屋に連れ込むなんて!

 ……そういうことはするな、という方が無理なんだろうけれど、私にできることはこれを渡すことくらいだと思ってる。

 これ、絶対必要になるよね?」

 

 私は大層下衆な勘ぐりをする女だ。

 十五歳の浅学非才の身で国際問題に立ち向かっているのだが、ここまでするのは理由がある。

 中学時代、仲が良かった同級生から検査薬の結果が陽性だったことを打ち明けられ、渋る同級生を引きずって怒る親御さんを説き伏せて一緒に産婦人科の待合室までついていったことを未だ鮮明に覚えている。

 中学生ならプラトニックな付き合いまでにしておきなさい、と折に触れて忠告したけれど、深夜に鳴り止まない携帯電話の着信音に起こされて、この世の絶望を一身に背負ったかのような表情で相談されるのはとても心臓に悪かった。

 しばらく沈黙が訪れて、ようやく私のいらぬお節介に気付いたのか、篠ノ之さんは声を荒げた。

 端正な顔が白から朱に染まり、羞恥と怒りが混ざっている事がはっきり見て取れる。

 

「馬鹿なのかお前は!」

 

 いきなり木刀を振りかざし、照れ隠しにしては本気で面を打ちこんできた。有段者が殺気を込めて放った一手はまさしく私の眉間へと吸い込まれていった。

 


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