少女Aの憂鬱   作:王子の犬

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久しぶりに更新。


★19 街へGO!

 腹が減ったら戦にならぬ。

 私はきゅるきゅるとはしたない音を奏でる腹をさすりながら、寮の食堂に来ていた。入り口で凰さんを見かけたので急に中華が食べたくなり、気がついたらトレーに牛タレ丼と点心の盛り合わせ、杏仁豆腐を注文していた。

 少し時間が遅いせいか、人影がまばらだった。(ケイ)や子犬ちゃんの姿を探しても見あたらない。

 

「おっと。篠ノ之さんがひとりで晩ご飯をつついていらっしゃる」

 

 一ヶ所だけ湯気が立ちこめている。豊かな黒髪が前後に動き、点心を頬張っていた。普段姦しい人たちの姿はなく、窓に映った自分を眺めては物憂い表情を浮かべる。その姿がなんだか妙に大人っぽく、私はどきっとしてしまった。同性にときめく気はない。私はストレートなのだ、と言い聞かせる。

 

「しーのーのーのさん。相席してもいいですか?」

「ふもぅ」

 

 篠ノ之さんがうなずく。ちょうど点心を口に含んだばかりなので答えることができなかったらしい。私は愛想笑いを浮かべ、席に着く。目の前に五個入りのざるがふたつ積み上げられ、中には五色の点心が納められていた。篠ノ之さんは手を止めるなり、卵スープで流し込む。

 

「お前にしては遅いな」

「いつもはもう少し早いですからねー」

 

 いただきます、と口にして箸を進める。牛タレ丼を舌の上に置いた瞬間、得も言われぬ美味に感激する。うめえ、うめえ、とついつぶやいてしまった。

 醜態を晒したことに気づいた私は、篠ノ之さんから珍奇の視線を注がれていると思い、手を止める。すでに丼のなかは空っぽである。

 

「あっ。見ました?」

「ふもぅ……」

 

 篠ノ之さんは点心を食べることに集中している。どうやら醜態には気づいていないようだ。私はほっと胸をなで下ろして黄色い皮の点心をつまんだ。最初からカレー味を手にするあたり、食にこだわりがないのが丸わかりである。

 

「うまいっ!」

 

 さすがは凰さんちの肉まんだ。中国政府が凰さんとセットで送り込んできた野心作。安全安心な高級料理店の味をスローガンにしたらしい。私がこのメニューの存在を知ったのは先輩方が「凰さんおいしいよね」と口にするのを耳にしたためだ。てっきり凰さんが織斑に一世一代の告白を試み、あえなく受け流されたことに絶望する。自暴自棄になって姉崎たち肉食獣に体を提供したのだとばかり思っていた。もちろん気になって理由を聞き、心のなかで下衆な考えを詫びたのは言うまでもない。

 

「ふもふも……ふもっふ」

 

 篠ノ之さんが点心を頬張ったまま何事か口にする。だが、単語を聞き取り損ねてしまい解読ができなかった。しかも不敵な笑みを浮かべており、篠ノ之さんらしくないと思ってしまった。

 

「なにかあったのですか」

「ふもふもっ、ふもっふ、ふもっふ――」

 

 私がいい加減に解読したところによると、「ついに私にも運が向いてきた! どこかの企業が新製品を作って私をモニターに指名してくれたんだ!」だろうか。間違っている気がしたので篠ノ之さんの口まねをしてみたら、大筋は合っているらしい。

 

「とりあえず口の中の凰さんを飲み込んでからしゃべってください」

 

 私の声は平静そのものだ。浮かれた篠ノ之さんは貴重なので波風を立てないよう淡々と注意した。

 

「ふもも……すまんな」

 

 篠ノ之さんが私の名字を呼ぶ。あかさたなはまやらわの真ん中付近の音で始まり、歴史の教科書にも載るほど珍しくとも何ともない姓だ。篠ノ之さんが口にするとなんだか本当に古風な気がする。最近は「えーちゃん」としか呼ばれていないのだ。きちんと名字で呼んでくれるのは同学年だと篠ノ之さんやセシリア嬢くらいだった。鷹月も私の名前を呼ぶのだけれど、何かたくらみがあるのでは、と勘繰ってしまう。彼女にはあだ名で呼んでほしいと常々願っていたが、口にする勇気はなかった。

 

「SNNって知ってるか」

 

 私はオウム返しになった。少なくとも奨学金出資企業ではなかった。しかし、どこかで耳にしたことがある企業なのだ。結構前に実家で読んだ新聞に載っていた気がする。単に叔父の会社がアルファベット三文字だったので勘違いしているだけなのだろう。

 

「知らない、と思う」

「私も実態をよく知らなかったんだがな」

 

 篠ノ之さんは言葉を切り、スープに口をつけた。

 

「ISコアの研究を行っている企業だ。元はうちの姉が特許を取るときの手続きが面倒だから部下に押しつけちゃおう、とかふざけた理由で立ち上げた一円企業だったんだ。会社を立ち上げるのに一〇万円くらい必要だとか言って、当時はお姉ちゃん子だった私を言いくるめ、貯金していたお年玉とお小遣いを全額巻き上げた」

「何才のとき?」

「七才だ」

 

 七才で十万円貯金。物心ついてからお年玉をもらうようになったとして、毎年二万円から三万円の計算だ。私の十倍もらっているではないか。

 貯金を巻き上げられたのであれば使っていないに等しい。千円ですら大金なのに、七才で十万円を失った篠ノ之さんの心情を想像できようか。私の手元にある金目のものと言ったら一冊十円で売れるかどうかの漫画と叔父からもらった怪しいおみやげくらいだった。

 篠ノ之さんは愚痴を続ける。

 

「『これで箒ちゃんも大株主さんだね』と笑顔で口にするのを今でもはっきり覚えている。その頃の私は姉を盲信していたからな。通帳と暗証番号を渡したらどうなるかよく理解していなかったんだ。委任の判子を押すことに同意してしまったのも事実だな。その後、二、三日してから通帳が返却された。残金ゼロだ」

「うわー……ま、まあ。結果的にプラスになったみたいだし、よかったんじゃないかな」

「いや、配当金とか一切連絡なかったのにどうして今ごろって思いが強い。株式の運用も姉さん任せだから、今どうなっているかわからない。連絡を取りたいとも思わなかったが」

 

 篠ノ之さんが点心を頬張る。凰さんがまたひとつ、胃袋のなかに消えていった。

 

「あの人のことだから正直何を考えてるのかさっぱり見当もつかん。さっきなんか倉持技研から電話があって……」

 

 篠ノ之さんが再び点心をつまんだ。

 

「ああ……篝火さんとか変わった名前の」

「ここだけの話だが……私にもくるんだ。一夏と同じようなやつが」

 

 彼女が断言を避けたことに、魚の骨が歯につまったような違和感を覚えた。普通ならISと明言するはずだ。

 

「あれ? 倉持って今、打鉄改でそれどころじゃないんじゃ……」

 

 猫の手も借りたい状況だと更識さんから聞いている。

 

「いや、倉持技研は手続きを代行するだけらしい」

「業者の人が学園に来てるもんね」

「今は期待半分、怖さ半分ってところだな。姉が送りつけてきた機体だから、おそらく十中八九何かある」

 

 篠ノ之さんはお皿一杯に盛った凰さん(点心)の衣を裂いて、肉汁を堪能した。私もたまらず、まねをしてしまった。

 

「……だめだよ。お姉さんのことを悪し様に言っちゃあ」

「いや、あの人は昔から唐突なんだ。いつも行き当たりばったりだ。家族は振り回されてつい一家離散の憂き目に……」

 

 篠ノ之さんがヨヨヨと声に出して泣きまねをする。

 

「それでどんな機体なの」

「それがよくわからない。電話だったし。紅椿(あかつばき)だとかSNN-666とか言っているのは聞き取れたんだが、その……なんだ。篝火さんはその昔、織斑家に出禁をくらった人でな。一夏と……ふもふもしたのか、ばかり聞いてくるから事実を伝えたら『よっしゃー! ガチャン』で終わった」

 

 篝火なる人物と旧知の仲だったという事実よりもむしろ()()()()のほうが気になる。とはいえ思い当たる行為はひとつしかないので、私はセクハラに耐えた篠ノ之さんに満面の笑みを送った。できるだけ言葉を選んだ結果、素っ気ないセリフを口にしてしまう。

 

「ふうん。ブツはいつ来るの」

「連休明けだ。実験台になる前に遊んでおけ、というあの人のメッセージだな」

 

 篠ノ之さんがろくでもない思い出に浸り、凰さんの肉まんをすべて平らげた。

 

「他人に押しつけるにはなにかと不都合がある機体なんだろう。腕の良い搭乗者は学園にごまんといるんだぞ」

 

 期待を裏切られるのが怖い。私は肉親を散々にけなす篠ノ之さんの態度からそう感じずにはいられなかった。空になった点心の入れ物を脇に避けると、篠ノ之さんが遠くを見てつぶやく。

 

「一円企業つながりなんだが、白騎士事件の後、姉が男を紹介してきたな。びっくりした。いつの間にって」

「なになに。お姉さんにもやっぱり男がいたんですか」

 

 私はにやにや笑いながら小指を立てる。

 

「いや、コレじゃない」

 

 篠ノ之さんも意味をわかっているのか、同じように小指を立てる。

 

「私は常々、姉が男に興味がないのものだとばかり思ってたんだ。人類に興味があるのかすらあやしい」

 

 食堂内に目を配り、篠ノ之さんが口にした男前の姿を探す。山田先生と目が合いそうになったが、残念なことに担任を見つけることができなかった。

 

「私からみても男前だったな。日本男児はかくあるべきとした見本のようなキリッとしたいい男だった」

 

 突然、篠ノ之さんが私に目を合わせた。眉根を寄せて首をかしげ、椅子の背にもたれかかるやため息をつく。

 

「幸せなら年の差なんてどうでもいいと思ったんだが、何のことはない。ビジネスパートナーだったよ。二人して悪い顔で、CIAとかDIA、NSAなんてのもあったな。よくわからない略語を口にしていたのが忘れられないんだが、海外ドラマでも見ていたんだろう」

 

 アメリカ中央情報局、アメリカ国防情報局、国家安全保障局。お米の国が行き当たりばったりで設立してきた組織の略称だった気がする。

 

「せっかくだからパンフレットを印刷してきた。見てみろ」

 

 私はそのパンフレットを見て心臓が跳ね上がった。何しろ叔父とそっくりな顔が映っているのだ。夏休みになると古いゲーム機を持ち寄っては父と一緒になって遊ぶ、さえない叔父がたくましい顔つきでコメントを寄せていた。

 

 

 一晩明けて黄金週間一日目である。

 私は姉崎とダリルさん、サファイア先輩――灰色の瞳の美人さん――など数名から課題の回答例見本を入手することに成功した。セシリア嬢もまたウェルキン先輩の恋愛講座に参加したあげく、紆余曲折あって同じようなものを手に入れたらしい。

 

「大きな犠牲を払いましたわ……」

 

 私の部屋に無理やり押し入って座りこむなり、よそ行きの服を着込む(ケイ)に向かって愚痴を吐いていた。

 セシリア嬢の背後に子犬ちゃんが立っており、金髪に櫛を入れている。てきぱきとした動作で髪型を整えていき、セシリア嬢は当たり前の行動のように泰然自若とした様子だ。聞けば、本国に専属メイドがいるらしい。このまま行くと、卒業と同時に子犬ちゃんをイギリスに連れ去ってしまうような気がする。あまりに得心が行く考えなものだから悦にいってしきりにうなずいていたら、セシリア嬢が胡乱な目を向けてきた。

 

「あなた。わたくしのことを今、女衒(ぜげん)か何かだと考えていなかったかしら」

「まさかー。そんな下衆(げす)なことを考えたりしないよー」

 

 的確な指摘を受けるや即座に愛想笑いを浮かべる。ちなみに女衒(ぜげん)とは花街の娼婦などを斡旋(あっせん)する仲介業者のことだ。

 大体すぐ考えていることを見透かされるあたり、私は底の浅い人間なのだ。

 

「で、セシリー。おめかししてるけど、やっぱり外出?」

 

 (ケイ)の言葉を耳にするやセシリア嬢が鼻を鳴らす。

 セシリア嬢は水兵風のシャツとズボンを身に着けている。白と青のコントラストを意識したのだとか。私の耳元で子犬ちゃんがぼそぼそと言っていた。

 

「買い出しに行きますの。クラス対抗戦に学年別トーナメント、その後すぐに臨海学校。忙しくなるのは目に見えていますから、行くなら今しかないと思いまして」

「なーるーほーどー」

 

 (ケイ)が相づちを打った。私は珍しく制服とジャージ以外の服装に身を固めた同居人を見て、へらへらとした口調になる。

 

「そんな格好してるんだし、当然(ケイ)も行くんだよね」

 

 (ケイ)は裾をふくらませたズボンを履き、Tシャツの上に薄いカーディガンを羽織っている。奇をてらった服装に感じる。本人いわく、顔の作りがよいのは何かと便利だとか。私にはまったく縁のない話だった。

 私も色違いのカーディガンを借りて自前のジーンズをはく。クローゼットからスニーカーを取り出していた(ケイ)が何を思ったのかキャスケットを投げて寄越した。

 これは一緒に来いという意思表示なのだろうか。

 

「当然、えーちゃんも来るんだよね?」

「行きます」

 

 即答だった。私は野暮用を思い出し、かつ市井の人間がセシリア嬢を見てどのように反応するのか見てみたかったのである。

 

 

 みんなが同じことを考えた結果、当初考えていたよりも大所帯になってしまった。兜鉢(カバチ)が地元のショッピングモールを案内するのだと珍しく張り切っていた。そして母校の後輩と会うんだとか。

 私は照りつける日差しで吹き出た汗をぬぐい、足を止めて玉石混合の集団を顧みる。いつの間にか鷹月やしのぎんも集団のなかに混ざっていた。

 

「ごめんね。人数増えちゃった」

 

 兜鉢が赤毛の少女に手を合わせて謝っている。私のように入学後初めて外出するような生徒が混ざっており、土地勘のある人間を求めていたら自然と大所帯になったと説明する。

 

「いいですよ。元はといえば、私が先輩に無理言って誘ったんですから」

「蘭ちゃん……ありがとう」

 

 兜鉢が振り向きざま、私の顔を見るや交渉成立したことを告げた。

 その後、兜鉢の後輩が自己紹介する運びとなる。

 

「聖マリアンヌ女学院三年、五反田蘭です。今日はよろしくお願いしますっ」

 

 兜鉢が鼻高々と悦にいった表情を浮かべる。聖マリアンヌ女学院――いかにもミッション系お嬢様学校と言った風情。「兜鉢様、ごきげんよう」みたいな日常風景だと邪推するのだけれど、現実のお嬢様がアレだったので大きな期待を抱いてはいけない。

 

「なんと」

 

 彼女がIS学園を志望校に挙げたので驚いてしまった。五反田さんなりの打算が働いたのか、いろいろな話が聞けて好都合だと考えたのだろう。歩きながらいろいろ質問している。

 ショッピングモールまで徒歩で移動だった。私は先輩方の生態を正直に話してよいものか本気で思い悩んでいたところ、五反田さんと会話していた兜鉢の口から聞き捨てならぬ発言が飛び出す。兜鉢が私のことを同じ部だと口にしたのだ。私は航空部に入り浸っているが、正式には弱電の正式メンバーと茶道部の幽霊部員を掛け持ちしているにすぎない。兜鉢には更識さんなるとても優秀な部員がいる。どうせならそちらを話題に出すべきではないのか。

 

「私、こいつと同じ部活じゃないから」

 

 念を押してみると、兜鉢が目を丸くする。両肩を震わせるほどびっくりしていた。

 

「えーちゃんって部員じゃなかったの!」

「ちょっと待てい」

()()先輩と普通に話してたし、よく部室で見かけるからてっきり仲間だと思ってたのに」

 

 私たちの不毛な言い争いを見て、五反田さんがぽかんと口をあけた。学園内の勢力分布に関わる話なので部外者の彼女には理解が難しい話だろう。兜鉢は学園の少数勢力に与しているが、私はどちらかといえば中立のはずだ。生徒会長に目をつけられているので自信がないのだけれど。

 改めて五反田さんを一瞥する。兜鉢を捕まえてひそひそ話をしているのが目にとまる。彼女はおしとやかそうできれいな子だと思う。だが、私のなかでお嬢様とはすなわち腹黒さんという図式ができあがっている。この一ヶ月で鍛えられた眼力によると、彼女は自分を演出していると見た。もちろん単なる言いがかり。当てずっぽうである。

 

「私の顔に何かついてる?」

 

 兜鉢に声をかける。(ケイ)がキャスケットを渡したのは、まさか寝癖がついたままなので目立たないようにという配慮なのだろうか。その前に子犬ちゃんに見てもらったので大丈夫なはずだ。私は帽子を浮かして後頭部を触った。

 

「いやっハハハ」

 

 兜鉢の笑い声がわざとらしい。私から目を逸らして言い訳を口にする。

 

「印象論について思うところがあって……」

 

 どうせ他の面子よりも見劣りするとでも率直な感想を述べていたのだろう。集団のなかにセシリア嬢を放り込めばどうなるのか容易に予想がついたではないか。道行く人々がセシリア・オルコットに注目する。子犬ちゃんも爆弾級の破壊力だけれど、背丈が小さいので埋もれがちだ。セシリア嬢と手をつないでいるので、ほほえましく見えるかもしれない。

 急に肩をたたかれたので急いで振り向く。しのぎんが無言で首を左右に振った。何か共感することがあったのか。ニヒヒ、と笑うしのぎんの意図を理解するべく、私は思考の海に溺れていった。

 

 

 休日と重なっていることもあり、人通りは大したものだ。比較的近くにIS学園が存在するので、近年になって外資系の店が増えた。碧眼や灰色の瞳など多種多様な国家、人種を見かけると五反田さんが解説した。

 

「連休なめてたわ……」

 

 しのぎんが続けて、うへえ、と口にする。

 だだっ広い駐車場を横目に複合施設の中に入る。少し歩かなければならないものの駅に隣接した百貨店よりも品ぞろえが歴然としている。受験で上京したときは、食品売り場と本屋に寄ってみたのだけれど、そのときはずいぶん多種多様な商品を扱っていると感じた。

 私の目的は水着だ。各部の大きさは去年と大差ない。明日の件があるのでぜひとも新調しておきたい。曲がりなりにも受験勉強のおかげで手つかずの軍資金が残っている。男に見せるものではないけれど、同性の目のほうが気になった。スクール水着で来るやつはよほどのずぼらなのか、あるいはからかわれるために行くのだ。そして連休後もなにかにつけて話題にのぼることだろう。何と恐ろしいことか。

 

「目的地に行ったらその後は昼食以外は自由行動。いいですか」

 

 五反田さんがセシリア嬢らに告げる。買い出し目的で外出した者ばかりなので、店が多くてはすべて回れない。各々自由に任せるべきとの判断だ。特に不満を口にすることなく水着売り場に移動する。

 少し歩かねばならず、五反田さんが私の横を進む。

 

「ところでえーちゃんさんは一組なんですよね」

 

 あだ名にさん付けである。私は「あっ」と声をあげ、まだ自己紹介をしていなかったことに気づく。

 

「えーちゃんはあだ名でね。ちゃんと」

 

 私は自分の名前を口にする。そのうち「そんな名前だっけ?」とかすっとぼけるやつが出てくるに違いない。

 

「――という名前があってね」

「わかりました。ちゃんと名字で呼びます」

「そうしてくれると助かる」

 

 「えーちゃん」は名前をもじったものだ。小学校に上がったばかりの頃は名前で呼ばれていたのだけれど、小学校を卒業する頃には男子にもあだ名でしか呼ばれず、神社や寺に行くと毎回からかわれた。

 

「で、聞きたいことはなにかね?」

 

 私は先輩面して肩をよせる。すぐ調子に乗るのが私の悪い癖で改善するつもりがないので一生直ることはないだろう。

 

「ま、予想はつくんだけどね」

「その……一夏さんは今」

 

 一夏の名前を出すなり顔を真っ赤にする。思ったとおり一夏絡みの質問だ。私は少しだけ意地悪をしてやろうと思った。悩み多き中学生には少々刺激が強いと思うけれど、誰しもいずれ通る道だ。

 

「事実を言えば誰とも付き合っていない。けれど、同棲(どうせい)中ではある」

「どう……せい?」

「ひとつ屋根の下に男女が寝泊まりしている。これを同棲と言わず何と呼ぶ」

 

 五反田さんは私が冗談を言っていると思い、先輩に助けを求めた。肝心の兜鉢は横で苦笑しており、その表情から事実だと悟る。

 

「織斑は紳士だから安心していいよ。その子とは何もない」

「えぇ……そうなんですか……アハハ」

 

 危うく織斑は鈍ちんと言いかけたけれど、そこはぐっとこらえた。

 

「あっ。ここがお店です」

 

 五反田さんが一歩前に飛び出し、流れるような動きで回れ右をする。所狭しと陳列された水着に目を向ける。これこそ学園島を飛び出してわざわざ出かけてきた理由なので、私が最初に足を踏み入れた。少し冒険してみました、という程度の勇気をみせたい。セパレート水着のコーナーへ直行する。

 まだ話したりないのか五反田さんがついてきて隣に並んだ。

 

「……さっきの続きなんですけど」

「ふむふむ。何が聞きたいんだい」

「今、一夏さんがいいなーって思ってる人とか」

「うーん。どのくらいのいいなー?」

「キュンって来るぐらいで」

「うちの副担任かなー。もうね、ここが反則でさ」

 

 女郎花(おんなえみし)のカスケードフリルを手に取り、自分の胸にあてがった。

 

「織斑先生よりもおっきくてね。反則だよねー」

「千冬さんよりも……」

「童顔で大人のお姉さんがいたら、男なんてコロっと行っちゃうだろうねー」

 

 私は五反田さんの胸のふくらみをチラと盗み見る。びっくりしたことにトップとアンダーの差が私よりも大きい。セシリア嬢と比べると幾分か小さい。先ほどから相づちばかり打っていた兜鉢は意外にも発育がよく、セシリア嬢と同等かそれ以上だった。

 水着を棚に戻し、肩を落としてショックを受けている五反田さんをなぐさめる。

 

「胸に目が行くのは男の本能なんだし。ライバルは多いけど、織斑ならチャンスはあるよ。私の見たところ、織斑はド」

 

 五反田さんが耳まで真っ赤になり、初々しい反応があまりにまぶしいので声がしぼみそうになった。

 

「イなわけで自分から女に告白した経験はないんじゃないかな」

 

 五反田さんが腕を組んで口をへの字に曲げる。眉根を寄せ、思い当たる節があったのか、すがるような目つきで私の瞳をのぞき込む。

 

「織斑は難攻不落の要塞(ようさい)なんだよね。凰さんとかに露骨に言い寄られても気がついた素振りがないくせ、言動は女心をくすぐるでしょ? いい雰囲気で誘われたらなんとなーくやっちゃって、なんとなーく付き合って別れてってパターンになるもんだけど、浮いた話がない。そこが気になったんだけど……あれ?」

 

 周りに人が増えている。しのぎんに鷹月がいる。背伸びして(ケイ)を見つけ、彼女は私に気づいたのかしたり顔で試着室を指差す。試着室は大人が三人くらい余裕で入室できる広さだった。セシリア嬢が子犬ちゃんを連れてカーテンを閉じる。

 顔を戻した私に、続けて、続けて、としのぎんが促す。

 

「言い寄られてもわかんなかったんじゃないかなー。もしくは女の基準値が織斑先生になっちゃってて、あれ以上の逸材を探し求めているとか。要塞攻略法は包囲持久戦なんだけど、みんな同じこと考えるから、いつか織斑が女に目覚めたとき手遅れになっているかもね」

 

 五反田さんの顔色が瞬く間に青ざめていく。学年が異なり、学校も違う。同じ土俵にすら立っていない時点で、要塞が難攻不落であり続けることを願うしかない。

 

「難攻不落と言っても、ほとんどの場合、要塞のなかの人が自分から打って出るから攻略されちゃうんだよね。一応、机上の空論なんだけど、織斑と一緒にいられる解決策があるんだけど。……聞きたい?」

 

 五反田さんの首が上下に揺れた。しのぎんと鷹月は私がなにを言わんとしているのか、お見通しらしく意地の悪い上品ぶった笑顔を向ける。

 

「ん?」

 

 鷹月が私の名字を呼んだ。相変わらずどんな言葉が飛び出してくるのか予想できず、つい身構えてしまった。

 

「先ほど聞いた話では、五反田さんのお兄さんが織斑君と仲良しだとか。この情報は使えるよね?」

「まあ。かなり」

 

 間違いない。鷹月は確信犯だ。私の考えの斜め上を行く恐ろしいやつだ。

 

「四つ案があるけど、最初に究極の方法から。耳貸して」

 

 五反田さんの肩をつついて顔を近づける。「子供を作るんだ」と小さな声で耳打ちし、世間話に戻る。

 

「そして責任を取らせよう。うまくいけば法的手続きを踏んで一緒にいることができます」

 

 兜鉢からの視線が痛い。私が何を告げたのか理解しているようだ。我ながら最低な発言だと自覚しているのだけれど、机上の空論だから致し方ない。そのうち誰かが実行するんじゃないかとうがった見方をしている。ひねくれた発想なら鷹月にお任せしたいところだけれど、彼女は私よりも要領がいいのでそんな機会は一生訪れることがないと頭の片隅に留め置いた。

 

「一度は……その……考えましたけど……」

「だよねえ。考えるよね」

「ハードルが高すぎて……」

「机上の空論で選択肢のひとつと思ってくれたらいいよ。次なんだけど」

 

 鷹月の助言を利用して場合分けをする。

 

「お兄さんと織斑先生をくっつけなさい。そうすれば義兄妹でいられる。大丈夫。織斑先生二十四才だし、今高一なら八、九才差だから年の差婚で問題なし」

「うちのお兄にそんな甲斐性があればいいんですけど」

「まーそうなるよね。個人的にはわりといい案だと思ってるんだけど」

「三番目はなんなんですか」

 

 三番目はかなりひどい。私は口にしてよいものか迷い、決断する。

 

「世間的にはまだ一般的ではないけど、五反田さんが織斑先生とくっつく。織斑は優しいから姉が茨の道を歩んだとしても受け入れてくると思うよ。憶測だけどね」

 

 五反田さんが激しくむせ返った。性別の垣根を越えた空論だから当然だろう。無理を通しすぎて道理もへったくれもない。次の四番目はもっとひどいので、肉親の前で口にするのはどうかと思う。

 

「四番目は察してね」

「……いや、なんか予想がつくんでいいです」

 

 しのぎんが笑いながら背中をたたく。鷹月も一緒になった。私が唇をとがらせて振り返ったら、鷹月が口に手をあてて小刻みに肩を震わせていた。

 肝心の五反田さんは乾いた笑い声をあげて、水着を取っては戻してを繰り返している。

 

「終わり。私も水着選びに戻るけど……しのぎん。いくらたたいても何も出やしないよ」

「えーちゃんは期待を裏切らない。私が見込んだだけのことはあるっ」

 

 不本意な見込まれかただ。

 

「ところで四番目って?」

 

 しのぎんが首をかしげる。鷹月が耳打ちするなりしのぎんが噴きだしてしまった。私は気にせず水着をいくつか手に取り、試着室に向かった。

 

 

 


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