★16 わかってると思うけど、男の子は(以下略
黄金週間を間近に控えたある日。
IS学園入学後、初めての連休ということも手伝って、私を含めた一年生の雰囲気がどこか浮ついたものになっていた。とはいえ、風の噂で山田先生や後藤先生らが連休中の課題を山盛りで用意している話が流れていて、休日の計画を練りながらも課題でどれだけの時間を費やす必要があるのか予測を立てたい一心で、課題内容の発表を心待ちにしていた。
私は朝の日課となったランニングに汗を流していた。折り返し地点である砲陣地は目の前だった。赤茶色にさびついた短十二センチ砲が放置されており、数十年にわたって風雨にさらされて朽ちかけていた。学園島がその昔、旧日本軍の基地であったころの名残であった遺跡は戦争という
ランニングのペースを
最近になって気付いたことだけれど、三組の生徒をよく顔を合わせた。誰かと思えば
「えーちゃん。本当にタイムよくなってるね」
「うへへ。私を甘く見てもらっては困るね」
砲陣地の側で携帯端末を触っていた
「帰りは軽く流すからね。前半がハイペースだったから疲れたまってるでしょ」
「……助かる」
私は
▽
私は食堂で井村先輩を捕まえることに成功した。
井村先輩と一緒に食事をとっていた雷同を拝み倒すことで先輩の口を割らせた。去年、クラス対抗戦を投げた一年三組に何が起こったか、というもので食事中に聞くべきではなかったと後悔している。
私はクラスメイトに情報を開陳する楽しみを胸に秘め、だらしない笑顔を浮かべながら登校した。一組の教室に入ると、いつもなら元気いっぱいで織斑やセシリア嬢に絡んでいた相川が顔面蒼白で頭を抱えていたのでぎょっとした。視野の裾では布仏さんが垂れ下がった袖を子犬ちゃんの体に巻き付け、朝の恒例となったお肌の触れ合いに勤しんでいた。もちろんセシリア嬢の刺々しい視線を巧みに回避しながらだということを付け足しておかねばならない。
私は
「相川ー。恋の悩みですかー?」
いつもの癖で相川を茶化した。相川は両手を頭から離して、ゆっくりと顔を上げた。
「えーちゃん。クラス対抗戦最下位クラスの罰ゲームってあったじゃない。そのリーク情報が来たんだけどさ……」
「嘘っ」
私がクラス中に広めようとしていた話ではないか。いくらなんでも耳が早すぎる。内心の焦りを表に出すことなく平静を装った。
「本音がお姉さんから教えてもらったんだって」
「で、罰ゲームってどうなの」
「部室棟の掃除とかありえないよね」
相川の答えは予想通りだった。これで井村先輩の話の裏が取れたことになる。相川は真っ青な顔で拳を握りしめた。
「……あ、織斑君おはよー」
入り口を振り返ると、織斑と篠ノ之さん、そしてセシリア嬢がつづけて教室に入ってきた。織斑は私を見つけるなり声をかけた。
「どうしたんだ?」
「クラス対抗戦最下位クラスへの罰ゲームの内容が分かったんだって」
そういうと織斑は気のない返事をした。織斑も罰ゲームの噂を聞きおよんでいたけれど、日々の勉学と鍛錬に忙しいせいか、あまり興味を示さなかった。
教室の後方で谷本が織斑を呼んだ。
「あ、織斑くーん。ちょっと聞きたいことがあるんだけどー」
織斑は心当たりがあるのか、「あっ」と短く声をあげ、素早い動きで篠ノ之さんに手を合わせた。
「すまん。箒、多分ノートの件だ。谷本のところに行ってくる」
「ああ」
織斑は篠ノ之さんの返事を聞くなり、慌てた様子でカバンからノートをひっつかむと谷本の席に向かった。その背中を見送った篠ノ之さんが自席にカバンを置いて、素っ気ない顔つきで相川の横に立つ。わざとらしく咳払いをしてから、腰をかがめて話しかけた。
「それで相川。なぜ、そんなに落ち込んでいるんだ」
「その罰ゲームってのがね……」
緩慢な動きで顔を横向けた相川が小声でつぶやく。すると篠ノ之さんの顔が瞬く間に青ざめていくのが分かった。
「それは本当なのか」
篠ノ之さんの問いに相川が神妙な様子でうなずいた。
「本音が……生徒会情報だから間違いないって」
リーク元が巨乳眼鏡なら確度の高い情報なのは間違いない。あの超有能な先輩が誤った情報を流すとは思えない。正しい情報に訂正する、などと面倒なことをするはずがないからだ。この時期に情報を流したのは浮ついた雰囲気を戒めるために違いない。
篠ノ之さんが腕を組んで嘆息した。仁王立ちしながら片目で織斑を見やった。
「……一夏には是が非でも頑張ってもらわないといけなくなったな」
「そうだね。死ぬほど頑張ってくれないと私たちが困る」
さりげなく相川が独善的な発言をした。この罰ゲームは人としての尊厳に関わるため彼女たちの身勝手とも思える発言に、私は大いに賛同していた。
篠ノ之さんは相川を目をしっかりと見つめ、お互いの意思を確かめ合った。
「部室棟の掃除は嫌だ」
「ふっふっふ。さすが剣道部。事の重大さを分かってますな」
「ソフト部こそ分かってるじゃないか」
相川と篠ノ之さんは互いに不敵な笑みを交えながら、しっかりと両手を握りしめた。二人とも運動部に所属していることから、この罰ゲームがいかに残酷であるかを理解していた。
「おはよー」
岸原とかなりんが教室に入ってきた。二人は私たちの姿を認めるなり、「なになに」と興味津々と言った風情で自席にカバンを置いた。
「クラス対抗戦について話をな」
篠ノ之さんの答えに、岸原が眼鏡の奥の瞳を輝かせた。篠ノ之さんの仏頂面はいつもの事なので、岸原は特に気分を害した素振りは見せなかった。
「例の罰ゲームなんだけど……部室棟の掃除なんだって」
幾分回復したものの青ざめたままでいた相川に変わって、私が答えた。
「掃除? それがどうしたの」
岸原が首をかしげる。彼女はIS学園に入学するだけあってそこそこ運動はできるが、運動部出身ではなかった。そのため問題の重大さを理解できなかった。
「優勝して特典を手に入れたい。だが、絶対最下位になってはならない。絶対にだ」
篠ノ之さんが強い口調で断言してから、谷本と話をする織斑を
鬼気迫る雰囲気に圧倒されたのか、岸原とかなりんが思わず後ずさっていた。かなりんが恐る恐る口を開いた。
「そ、そんなにヤバイの?」
私は真剣な面持ちで深くうなずき返した。井村先輩が食事中に話すべきことではない、と前置いたぐらいの魔窟だ。有り体に言えば、とにかく汚いのだ。
「ああ。……一度、部室棟をのぞいてみると良い。異性の目から解き放たれたが故に大変なことになっている」
私は挙手をした。
「今朝、井村先輩に聞いたんだけど、部室棟って去年掃除しているはずなんだけど……」
相川と篠ノ之さんが疑いのまなざしを向けた。私は一瞬だけ楽観的観測を抱いたもののすぐに自信がなくなってきた。たかだか一年で散々な状況だと考えたくなかった。しかし相川と篠ノ之さんの反応を見る限り、楽観的観測は簡単に砕け散るような気がしていた。
「え。去年掃除したの? あれで?」
案の定相川がおどろきの声を発した。彼女の反応からして、去年のクラス対抗戦の後、一年三組総出で掃除をしたものの、その後一度としてまともな掃除を行わなかったのではないだろうか。私は確信めいた瞳で相川を見つめた。
「その先輩、去年の三組だったから間違いないよ」
「はは……」
篠ノ之さんは哀愁を帯びた笑い声をもらす。私たちは下馬評最下位の織斑の背中に熱い視線を送った。
▽
クラス対抗戦の本格的な対策は明日に持ち越しとなったので、私は一足早く寮に帰っていた。部屋着という名のジャージに着替え、売店へ行こうと思って廊下をうろついていた。
談話室の表示が目についたので何気なく扉を開けた。室内には洒落たソファーやテーブルが置かれていてちょっとしたサロンのようになっていた。数名の生徒がいて、顔つきからしておそらく上級生だと思われた。壁にもたれかかってぼんやりと眺める。自販機の側に見覚えのある顔を目にした。
「姉崎先輩だ……」
赤毛が目立っていたので小さな声でつぶやいていた。姉崎の隣にはダリルさんや学内ネットワークの在校生代表候補一覧で目にした顔もいる。対IS戦闘の巧者であり、学園側の要求する技術水準を満たした化け物たちがいた。とはいえ、全員美人なのが憎らしい限りである。
私は彼女らに聞いておかなければならないことがあった。ちょうど関係者がそろっている機会を逃してはならないと思った。
決意を心に秘め、姉崎たちの元へ向かった。
上級生の一人が私の接近に気付いて顔を向けた。彼女を視野の裾に留め置きつつ、深呼吸してからこう言った。
「お疲れ様です。お姉様方」
そのまま自分のフルネームを口にしてから続けた。
「腹を割ってお話しませんか?」
ダリルさんが顎を上向け、のけぞりながら私を見てきた。上級生の視線が一斉に集中する。全員ジャージ姿なのが惜しいところだけれど、体つきも大人っぽさがにじみ出ている。たかが一、二年の差でこれほどまで発育の違いが出ると思って少しねたましい気持ちになった。
私は間を置くつもりでゆっくりと全員の顔を見回した。部屋の奥に外側に跳ねた水色の髪をした上級生がいて、何事かと思ってこちらを振り返ったその人は生徒会長だった。彼女は私の顔を見つけるなり、いきなりにらみつけてきた。航空部の一件でよく思われていないのは事実だった。共犯の姉崎が奥を見やって「落ち着くように」という身振り手振りを示した。
今頃生徒会長の頭の中では、衝撃の瞬間が昨日のことのように再生されているのだろうか。
「話ってなんだい」
ダリルさんが代表として口を開いた。中には初対面の先輩の方が多かったから、ダリルさんが話を聞いてくれるのがありがたかった。私はありったけの勇気を振り絞ってにっこりと笑った。
「先輩方、お風呂まだでしたよね。篠ノ之さんの噂について話を聞きたいと思いまして」
売店から戻ったら大浴場に向かうつもりでいた。別にここで話をしてしまっても不都合はなかったけれど、風呂ならダリルさんや姉崎が変なまねをすることはないだろうと高をくくっていた。
「裸の付き合い、か。よろしい」
いつの間にか生徒会長をなだめすかした姉崎が毅然とした口調で言った。
言わんとすることをくみ取ってくれるのがうれしかった。姉崎が分かっていれば簡単に話が進むと考えていて、実際その通りになった。
姉崎が留学生に向かって私の言ったことの真意を伝え、うなずく姿が見えた。
ふと視線を落とす。向き直ってソファの背もたれに胸を押しつけたダリルさんがにやにやと嫌らしい笑みを浮かべていた。
「……ダリルさん?」
嫌な予感がした私は、じっとダリルさんを見つめた。すると彼女は急に男を知らない
「そんなに私の裸が見たかったなんて……このおませさんめ」
予想外の反応に私は呆然としてしまった。
▽
大浴場。
学年ごとに入浴時間帯が決まっているけれど、部活やISの搭乗訓練で帰宅が遅くなることがあって、時々一年に割り当てられた時間帯に上級生が混ざることや、上級生の入浴時間帯にわれわれ一年生が混ざることがあった。
だから上級生がいても特に注意を払うことはないと思っていたのだけれど、少しだけ誤算が生じていた。とにかく姉崎が目立っていた。中身は私の薄汚れた心が可愛いと感じるくらい真っ黒に汚れている割に、外見は一級品だった。お姫様やフロイラインと口走っても違和感がないのがまねできないところだった。逆に肌の色からしてダリルさんの方が目立つかな、と思ったけれど
私はすばやく服を脱ぎ、一足先に手ぬぐい片手に大浴場へ足を踏み入れた。時間帯からして一組と二組がほとんどのはずだったけれど、並んだカランの一番手前に
風呂桶と風呂椅子を持って後ろを通り抜ける際、つい気になって胸のあたりを一瞥した。分かりきっていたことだけれどふくらみがなかった。よく更識さんや凰さんが胸部の発育を気にする光景を目にする。その悩みがとても
そのまま檜風呂の近くで、彼女とできるだけ離れたカランを選んで風呂椅子を置いた。掛かり湯を済ませようとお湯を取っていたら、騒がしい声がしたので入り口に顔を向けた。ちょうど先輩方が姿を見せた。
姉崎、ダリルさん、いつも一緒にいる灰色の瞳をした美人さん、といった順番で出てきた。姉崎が上品なしぐさで私の隣に座った。ダリルさんと私の間に壁を作るような位置だった。私は姉崎の心遣いに感謝した。
さて掛け湯を済ませたら檜風呂である。私は暖まってから体を洗うのが習慣になっていたので、手ぬぐいをよく絞ってから首にひっかけて立ち上がった。
「先に風呂に入る口かい?」
姉崎が尋ねた。クレンジングオイルを手にとってふたを開けるのが見えた。
「はい。先輩は?」
「わたしもだが、他の者が落ち着いたら後を追うよ」
「わかりました。待ってます」
そのまま檜風呂に向かった。先客はしのぎんと凰さんだった。二人と正対する場所にセシリア嬢と子犬ちゃんもいた。
「あら。あなたも来てましたの」
「セシリアさんこんばんは」
セシリア嬢にあいさつをする。私に気付いた子犬ちゃんがこちらを向いて小さな声であいさつを口にした。そのままセシリア嬢の肩に小さな頭を預けた。
私はしのぎんの隣に腰を下ろした。正面を向くと、セシリア嬢と子犬ちゃんの奔放なふくらみがお湯の中に浮いていた。二人とも同い年とは思えない大きさだった。いつも重そうにしていて、子犬ちゃんなどは重力から解き放たれてとてもうれしそうだった。
横を向くと、しのぎんと凰さんが正面を凝視している。気になって視線を追ってみると二人の胸部に落ち着いた。失礼、と心の中で謝りながら二人の胸部に目を落とした。
「あの二人と比べちゃいけないよ」
私はお節介だと思いつつ、優しい顔つきになって首を振って見せた。ついでに言えば篠ノ之さんや布仏さんの胸部も凶暴極まりないものだ。私が男の子だったら興奮して夜寝付けなくなってしまうことだろう。
凰さんが険しい表情で奥歯を強くかみしめた。
「あんなの反則じゃない……」
凰さんの嘆きが漏れた。両手で自分の胸を抱え込むと、肌と手のひらの間にできた空間の広さに涙した。しかし大丈夫だと言いたい。男は胸の大きさだけでは女の価値を決めたりはしない。しかし価値を計る要素の一つには違いなかった。
「子犬ちゃん、いつも言ってるよ。肩がすごくこるんだって」
慰めるつもりで凰さんに言った。私もしのぎんと同サイズなので人の事は言えないけれど、少なくとも肉の凶器を受け入れるだけの度量を持っているつもりだった。
「そんなことわかってるわよ。でも現物を見せられるとうらやましくなっちゃうのよ」
「分かる。その気持ちすごくよく分かる」
凰さんの言葉にしのぎんが同意する。
「なー、えーちゃん。子犬ちゃんのブラのカップサイズって知ってる?」
しのぎんが横を向くなり言った。気になるのか凰さんも嘆息しながら私の顔を見つめた。
「知ってるけど」
「ずっと気になってたから教えてほしいなあ、と思って」
「それ……気になるわ」
私の気のない返事に二人が食いついた。私は快く応じることにした。
「一言で言えば、
もったいぶったしぐさでブラサイズを告げた。
「
しのぎんがショックのあまりうめき声を出した。凰さんは正面を向いて子犬ちゃんの胸元に鋭い視線を向けた。
「何よ。結局反則じゃない」
視線に気付いたセシリア嬢が私に向かって「なにごとですの?」と聞いてきた。
「正確な数字は分からないよ。重量感を確かめたかったら直接揉んでくるといいよ。多分セシリアさんが怒るけど」
私の発言を耳にしたセシリア嬢が子犬ちゃんの危機を感じ取り肩を抱き寄せた。その様子を見た凰さんが私に声をかけてきた。
「ねえ。あの二人、いつも一緒にいるけど、どんな関係なのよ」
いつかは聞かれるだろうな、と思っていた質問だった。友達同士でつるんでいるにしては、セシリア嬢たちの距離が近すぎるのだ。私はしのぎんと顔を見合わせた。
「うーん。ルームメイトかつ、いけない関係かなあ」
ルームメイトとだけ言ってもまず信じることはない。何かを隠しているように思われるに違いない。それならば、誤解が深まる前提で馬鹿正直に答えるのがよいと判断した。
「その……お姉様とか言っちゃう関係……とか?」
凰さんが珍しくおびえた表情を浮かべ、何度も正面の二人に視線を送っている。凰さんの挙動不審な姿に子犬ちゃんは首をかしげるばかりだった。
「あながち間違いとは言えないんだよな……」
しのぎんが複雑な表情で独りごちた。私も正確なところはわからない。おそらく真実に一番近づいているであろう鷹月女史の姿が見あたらないのでコメントを控えた。
特に訂正しなかったせいか凰さんの二人を見る目つきが変わった。凰さんも同性間のあれこれに寛容な口なのだろう。いや、自分に害さえなければ気にしないだけかも知れなかった。
▽
「待たせたな」
良い具合に凰さんの誤解が深まったところに姉崎たちが姿を見せ、湯船に足を入れた。浴槽に少しぬめりがあるので、慎重な足取りで私を取り囲むように腰を下ろしていった。
凰さんがその顔ぶれにおどろいて目を丸くした。残念な中身を知る私と違って、彼女たちのカタログスペックと戦績しか知らないので無理もなかった。
「それで話とは何かね?」
姉崎が私に向かって話しかけた。あのクレンジングオイルは何だったのか、と私は姉崎の地顔を見て思った。
「上級生の間に流れている篠ノ之さんの噂についてですよ」
私はさりげなく隣を陣取ったダリルさんをにらみつけるようにして言った。
しのぎんや凰さんがきょとんとしている。噂の確認が目的なので、篠ノ之さんの姿がなければ他は気にしなかった。
「のぼせないようにしたいので手早く済ませたいです」
「……まあ。その件についてわたしにも責任の一端があるからな。もちろん神仏に誓って
姉崎が憎らしいほど厚かましい発言をした。扇動はしていないけれど、暗躍していないとは一言も触れなかった。面の皮の厚さだけは学園随一ではないか、と思っているだけに美貌の下で何を考えているのかわからなかった。
「なーんだ。そんなことかい」
ダリルさんが浴槽に腕を投げ出しながら口を開いた。そして私の前に身を乗り出すとしたり顔でこう言った。
「ぶっちゃけレズビアンなんだろ?」
「セシリア君は
突然名前を出されたセシリア嬢がぽかんとした様子で何度も瞬きしていた。私は姉崎の肩越しに手を合わせて謝った。うっかり姉崎に口を滑らせてしまったからだ。
「そしてわたしはこの意見に賛成だ」
根拠のない
「それ、自分の性癖と重ねているだけじゃないですか」
突っ込みを忘れてはならなかった。鷹月と違って前振りがあるだけ対応が楽だった。
「れっきとしたストレートですよ。同性の友達が少ないから慣れてないだけです」
姉崎は持論を力説する私を見るや胡乱な顔つきになった。まるで信じていない目つきだった。
「客観的に言わせてもらえば、三年生に関してはケイシーが言うようなビアン説が有力だ」
「だろ!」
ダリルさんが訳知り顔で相づちを打った。
「じゃあ二年生はどうなんですか」
「いいッスか」
灰色の瞳をした美人さんがいかにもやる気のない素振りで手を挙げた。他に二年生がいなかったので、ダリルさんにとやかく言われないよう先に動いたと見える。
「サファイア。続けてくれ」
姉崎が続きをうながした。
「二年生は特に何もないッスよ。篠ノ之箒って誰? ぐらいの認識ですよ」
「へえ……」
私は意外に感じた。二年生も姉崎やダリルさんみたいな人たちばかりだと思っていた。霧島先輩とかパトリシア先輩みたいな人が珍しいと考えていた。
「やっぱり姉崎先輩たちがおかしいんですよ」
私の発言は人格否定と取られてもおかしくなかった。しかし、姉崎は眉根を動かすことなく言った。
「二年生の間では楯無君が人気なんだ。ほぼ独占状態だと思ってる。特に薫子君などは楯無君が好きで好きでたまらない口だね」
「それ。男同士の友情をBL目線で見るのと一緒ですよ」
姉崎がしたり顔で言ったものだから、私は鋭く批判をした。
「クラスメイトから時々後藤×織斑とか織斑の誘い受けとかも聞くッスよ。
「やめてくださいよ。BL発言禁止!」
私は美人さんのBL発言を聞くや、沈黙を守っていた三年生の目が
「織斑先生がうちの従姉とそのネタで真剣に話をしていたのだが……」
姉崎がぽつりとつぶやいた。五郎丸さんがその手の話をするのは一向に構わなかった。山田先生との話で時折登場するのでどんな人物かは伝聞でしか知らなかったけれど、残念な人物だと確信している。しかし、相手が織斑先生というのは初耳だった。
「そのお話はまた今度じっくり
私はちゃっかり姉崎の手を取って目を輝かせた。
姉崎は私の有無を言わせない様子に気圧されたのか、ぎこちないしぐさでうなずき返した。姉崎を黙らせた私は上級生の顔を見回して続けた。
「とりあえず皆さんに言っておきたいことがあります。篠ノ之さんはストレートなんです。恋する乙女なんですよ」
例え信憑性が低いと思われていても事実を伝えなければならなかった。
ダリルさんが不意を突いて首に腕を回して、自分の体へと私の頭を抱き寄せた。支えのなくなった私の頭が彼女の鎖骨に当たって止まり、肩に褐色の乳房が触れる。すべすべとした感覚に「わっ」と声を上げてしまったけれど、姉崎や美人さんが気にした素振りはなかった。
「そいつら同室なんだろ?」
ダリルさんが言った。私に確認するよりはむしろ、他の上級生に向けて発していた。私は顎を上げて上向いて抗議の声を上げようとした。と思うと、ダリルさんの手が私の慎ましやかな乳房をわしつかんできたものだからそちらに意識が行ってしまった。
「しかも幼なじみときた」
姉崎がダリルさんの発言に対してうなずいて返した。そのままダリルさんは真剣な面持ちで、ふにふにっ、と音を立てるような感じで私の胸を優しくもみし抱く。顔を赤らめながらも声を上げようと体をひねった。
「やっちまってんだろ。幼なじみといえど男と女。そういうことがあってもおかしくねーよ。妊娠しなけりゃ問題ねーだろ」
さりげなく乱暴な口調で暴言を吐いたので、ぽかんとしてしまった。するとダリルさんの拘束が解けたので、顔を横向けて美人さんを見る。興味なさそうにあさっての方向を見ていた。
「……とダリルさんが嘘つきましたけれど、あの二人はそんなことしてませんよ。今の発言が本人の耳に入ったらどうするつもりだったんですか」
いい加減暴言に慣れてきたのか、私は素早く反論できるようになっていた。
相変わらず美人さんが入り口に顔を向けていた。すぐ側に見覚えのある背中があった。誰かと思えば篠ノ之さんだった。彼女は私に気付くなり言った。
「私がどうかしたのか?」
どうやら途中から聞かれていたらしい。私は焦る心を押し隠しながら愛想笑いを浮かべると、姉崎が顔を近づけて、篠ノ之さんに見えないように真っ黒な笑みを浮かべてささやいた。
「わたしがごまかしておくよ。その代わり貸し一つだ」
▽
姉崎の計らいで篠ノ之さんの噂について上級生と好き放題話していたことはうやむやになった。凰さんとしのぎんは姉崎の鬼気迫る雰囲気に圧倒されて首を縦に振るだけだった。私は姉崎に貸しを作ってしまい、またもや上級生に頭が上がらなくなってしまった。またろくでもない頼み事を押しつけられそうな予感がして今から不安になった。
ダリルさんには勝手に胸を揉んだ件について厳しくとがめたら、ナハハ、と明るい笑い声を上げて「減るもんじゃねーし、いいじゃん」で押し切られてしまった。揉まれ損だと思って肩を落としていたら、別れ際に美人さんがこっそり耳打ちをしてくれた。
「これからもっと激しいセクハラが待ってるから覚悟した方が良いよ」
「か、覚悟しておきます」
美人さんは同情の目つきで肩に手を置いて嘆息しながら、私に「がんばれ」と激励してくれた。いい人には違いなかったけれど、だったら止めてくれよ、と心の中でぼやいた。
「じゃ!」
美人さんが
マッサージチェアが空いていたので一五分ほどお世話になってから自室に戻ろうと腰を上げた。廊下をふらふらと歩いていたら、部屋着に着替えた凰さんがボストンバッグ片手に一〇二五室の前に立っているのを見かけた。首をかしげて眺めていたら、ノックをするや、そのまま上がり込んでしまった。
幼なじみ同士つもる話もあるのだろう、と思って特に気にとめていなかったのだけれど、すぐ近くにしのぎんがにやけ面を浮かべていたので声をかけてみた。
「しのぎんったら何してんの」
「おう。えーちゃんか」
しのぎんが緩んだ表情で返事をした。噂好きの奥様のような素振りで手招きをした。不思議に思いながらも通路に背を向けて顔を近づけた。
「さっきえーちゃんと先輩たちが織斑君と篠ノ之さんが同室だって言ってたろ。それで鈴音が怒り出しちゃってね」
「ダリルさんがやった、やらないって戯れ言を吐いていたよね」
キシシ、と声をあげてしのぎんが嫌らしい笑みを浮かべた。
「それを真に受けた鈴音が、織斑の部屋に行くんだって聞かなかったんだよ。だから今頃修羅場だぜ」
私が面倒くさそうに眉根をひそめるのを見て、しのぎんが私の両肩に手を置いた。
「四組のハミルトンも一部始終を聞いていたから、もうすぐ野次馬を引き連れてくるはずなんだ」
「またろくでもないことを……」
私は額に手を当てて嘆息した。織斑争奪戦はここに来て
「なあんだ。えーちゃんもいたんだ」
背後から突然声をかけられたので、びっくりして振り返ると
「これはまた皆さん。おそろいなんですね」
「ほんと。あいかわらず耳が早いというか……そういうところがえーちゃんらしいよね」
「今すぐ鈴さんを止めてくださいまし!」
セシリア嬢が肩を怒らせて足早に向かってきた。子犬ちゃんがメイクボックスを片手に小走りでついてきていた。
「お。来たな」
しのぎんが言った。横を向くと相変わらずにやけ面のままだった。完全に面白がっていた。
「凰さん止めなくて良かったの」
「鈴音が私たちの言うことを素直に聞くと思う?」
私の質問にしのぎんが首を振る。凰さんに唯我独尊的なところがあるから、自分の勘に従って突っ走る傾向があると認めていた。
ため息をつきながら仕方なく
「セシリアさん。セシリアさん」
私が顔を真っ赤にして憤慨するセシリア嬢に近づいて声をかけると、血走った目でにらみつけてきた。
「何ですの」
「どーんと構えて大丈夫なんじゃない? 織斑って年上好みだし」
ダリルさんの指摘は割と的確だと思っていた。セシリア嬢が年上好み、という言葉に過剰反応を示した。織斑先生があられもない姿で弟にまたがって乱れる姿でも想像したのか、彼女は耳まで真っ赤になって両肩を震わせた。
「ななななんてことを口にしますの!」
思い切り動揺していた。私は心の中で「チョロいなー」とつぶやいた。
ふと肩を突かれたので振り返った。腰の後ろで手を組んだ
「気持ち悪いよ」
「そんなえーちゃんにプレゼント」
はい、と言って小さな箱を差し出す。背後でセシリア嬢が息を飲む声が聞こえた。
「ど、どこでそんなものを……」
戦略級重要物資、もとい明るい家族計画である。篠ノ之さんが使い切ったら渡そうと思って買い込んでいたもので、決して自分のために入手したのではなかった。
外のドラッグストアに行けば普通に手に入るので、外部に男がいる生徒が連休前に買っていく、とバイトのお姉さんが話していた。
「行ってきなよ。えーちゃんにしかできないことなんだよ」
そう言って私の手を取って箱を乗せた。私が呆然としながら手元に目を落とす。
「へー。それ、本当に渡してたんだ」
いつの間にか横に並んでいたしのぎん手元をのぞき込みながら感心したような声を出した。
「えーちゃんのそれ、武勇伝になってるぜ。一つ屋根の下の男女にアレを渡しに行くとかできないって」
私は恐る恐る顔を上げて
「も……もしかして、私に行け、と?」
一〇二五室を指さすと、
私は奥歯をかみしめておののいた。期待と
▽
鍵がかかっていました、という私の願望はあっさりと打ち砕かれた。
「お、お邪魔しまーす……」
申し訳程度に小さな声を出して室内に足を踏み入れた。奥から騒がしい声が聞こえてきたので、良い具合に盛り上がっていることが分かった。開いた扉から次々と野次馬たちが侵入した。鷹月やティナ、更識さんと言った場の空気を読む技に長けた者ばかりだった。ちなみにセシリア嬢は廊下で
抜き足、差し足、忍び足の要領で気配を殺して進む。
「とにかく! 部屋は代わらない! 出て行くのはそちらだ! 自分の部屋に戻れ!」
「ところでさ、一夏。約束覚えてる?」
「む、無視するな! ええい、こうなったら力ずくで……」
激高した篠ノ之さんがいつでも取れるようにベッドの横に立てかけ合った竹刀を握る。
「あ、バカ――」
織斑が慌てて篠ノ之さんを呼び止めた。と同時に私が顔を出す。篠ノ之さんと目が合って、彼女はつま先を凰さんに向けたところでおどろいて静止した。
「じゃ、邪魔でした?」
私は無理やり笑顔を作って、ありったけの勇気を振り絞って話しかけた。振り向いた凰さんが目を丸くしているのが分かった。視線が痛かった。唯一、織斑だけがほっとしたように嘆息した。
「ア、アンタたち……」
「凰さん、凰さん。ちょっとこちらに来て欲しいんだな」
私がぎこちない口調で手招きをする。更識さんとティナが顔を出していた。
水を差された形になってしまい、不機嫌な様子で凰さんが私たちと一緒に廊下に出た。なぜだか篠ノ之さんも仏頂面のままついてきたので、私は足を止めて話しかけた。
「織斑と一緒でもいいのに」
「ふん! お前が戯言を吹き込まないか心配してついてきてやってるんだ」
篠ノ之さんがぷいっと顔を逸らす。
「そう? なら別にいいけど」
私はろくでもないことを言うつもりでいたけれど、あえてそれを口にすると面倒くさそうな事態に陥りそうだったので素っ気なく対応した。
廊下に出ると、荒ぶったセシリア嬢が真っ先に口を開いた。
「よかった……。止めてくださいましたのね」
「いや、まだ止めていないって言うか。またおっぱじめるかもしれないんだよね……」
私の意味深なつぶやきを耳にしたセシリア嬢が再び激高した。
「あなたは敵でしたのね! ゆ、許し――ンググ」
つかみかからんばかりの勢いで足を踏み出したセシリア嬢を
私は
「な、何よ」
凰さんがややうわずった声を出した。私は緊張のあまり顔が真っ赤になって、もじもじと忙しなく手足を動かしていた。
篠ノ之さんを見やる。彼女は半目になって胡乱な顔つきになった。
私は心臓の鼓動が早まっていくのが分かった。プレッシャーに押しつぶされそうになり、逃げ出してしまいたかった。だが、それは許されなかった。クラスメイトたちにチキン呼ばわりされるは嫌だったし、何より凰さんへの使命感に燃えた。
私は凰さんの目を真っ正面から見つめて、恐る恐る口を開いた。
「お、織斑と同室になるってことは……」
恥ずかしさのあまり、途中で口ごもってしまった。すぐに凰さんが強い口調でとがめた。
「うじうじしないで最後まで言いなさいよ」
腕を胸の前で組み、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「じゃ、じゃあ……言います。織斑と同室になるってことは……その……一発必中決めてハニートラップ?」
「必中? ハニートラップ?」
予想外の発言だったのか、凰さんが首をかしげて聞き返してきた。私は目を泳がせながら鷹月たちを見やると、彼女は意味を理解したのか口を押さえてうつむきながら笑いをこらえていた。更識さんも意味が分かったのか耳まで赤らめていた。
私は覚悟を決めた。
「ふぁ凰さん。わ、わかってると思うけど男の子はとにかく実弾を撃ちたがるから! 男の子と同室になりたいってことはつまり、やりたいってことだよね! だめだよ! 安全装置だけはつけなきゃ!」
私は手に持っていた箱を差し出した。凰さんがあっけにとられるのが分かった。
「……アンタ、何を言って」
恋愛巧者のダリルさんは当たらなければよい、と格言を残した。最後の一言を付け加えるべく、深呼吸をした。
「だから! 妊娠して国際問題だけは……ね?」
篠ノ之さんが目を丸くしながらも感心しているのが分かった。口を真一文字に引き結び、頬が緩みそうになるのを必死にこらえていた。
「え? に、んしん?」
凰さんが穴があきそうな勢いで私の顔を凝視する。押しつけられた箱を見下ろして言葉の意味を理解しようと脳をフル稼働させた。
背後から、ククク、と忍び笑いが漏れ聞こえてきたが気にしなかった。ここは凰さんから目を逸らさない努力をする場面だった。
「あ……」
箱が示す用途を理解した凰さんの顔が瞬く間に耳まで真っ赤になった。今ごろ心臓の音がうるさいくらいに響いているはずだ。体が
セシリア嬢の怒りの視線が私の背中に突き刺さった。振り向かなくとも分かった。敵に塩を送るな、と言っていた。
私は達成感に浸って野次馬達に顔を向けた。ある者は気恥ずかしさで顔を背け、ある者は爆笑し、ある者は艶々とした表情で親指を立てて賞賛していた。
「なあ。ちょっと扉の前からどいてくれないか。開けられない」
篠ノ之さんの背中から織斑の声がした。
「待て。すぐにどく」
篠ノ之さんが扉から体を離した。織斑が顔を出した。真っ赤になった凰さんを見つけるや、心配そうに声をかけた。
「鈴。どうしたんだ。熱でもあるのかよ」
凰さんの両肩が跳ねた。ぎこちなく振り向いて笑顔を作ろうとしていた。織斑に箱を見せまいと背中に隠した。
「な、何でもないわよ!」
「そうか」
凰さんがうわずった声で返事をしたので、織斑は安心したのか優しい表情を浮かべた。
「そ……それでどうしたのよ」
「そうだった。さっき鈴が約束覚えてるかって聞いたろ」
「う、うん。覚えてる……よね」
小さな声だった。真っ赤な顔のまま、ちらちらと上目遣いで織斑を見つめた。
「ああ。――おごってくれるってやつだろ」
織斑が自信に満ちた笑顔を向けた。とっさに横向くと、セシリア嬢が複雑な表情を浮かべているのが見て取れた。篠ノ之さんがいかにも残念そうな顔つきで織斑を見た。
「……い、一夏のバカっ! バカっバカっ!」
凰さんは怒りで両肩を震わせながら、激しい口調で織斑をののしった。
「どうしたんだよ。……もしかして俺、間違ったことを言ったのか?」
「そうよ! 最っ低! この朴念仁! アンタなんか犬にかまれて死ねッ!」
凰さんは織斑に近づくなり、膝を上げて勢いよく織斑の右足を踏み抜いた。私は思わず目をそらした。
「
織斑が悲鳴を上げ、足を抱えてうずくまった。
凰さんは荒々しく扉を開けて一〇二五室に入っていった。
織斑が痛みに耐えながら立ち上がって篠ノ之さんに話しかけた。
「俺、まずいこと言ったのか」
織斑の自覚のなさに篠ノ之さんが目を丸くしたかと思えば、不機嫌そうに鼻を鳴らして顔を背けた。
再び勢いよくドアが開く。中からボストンバッグを持った凰さんが出てきた。
「鈴……?」
自分が何を言ったのか分かっていない織斑は、凰さんから怒りに満ちた視線を向けられて戸惑っていた。
ボストンバッグを床に置いた凰さんが涙を拭くと、目元を赤くしたままにっこりと笑った。
「良かった。機嫌、直してくれ――ウグッ」
凰さんは右膝を抱え込むように上げ、軸足となった左の膝を曲げながら蹴り足に体重を乗せる。腰を回転させながら膝のスナップを利かせ、上から下へたたき落とした。左すねに見事なローキックが入る。織斑の膝が抜けて姿勢が崩れた。
「これ、あたしを泣かせた分だから」
凰さんが冷たく言い放った。そしてボストンバッグを手に取ると、肩を怒らせたまま自室へと去っていった。
定番イベントは外せませんね。