少女Aの憂鬱   作:王子の犬

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約13,000字。今回も少なめです。


★15 戦いのあと

 試合が終わった。

 甲龍のシールドエネルギーは五七%まで減少しており、しのぎんは代表候補生相手に善戦したと言える。アリーナの隅で大の字になって転がる彼女に向けられた視線は友人や後輩への親愛だけではなく、競争相手の出現を意味する警戒の念が入り混ざっていた。

 しのぎんが見せた近接格闘には凄みがあった。範囲攻撃である横薙ぎを一切使わず、すべて突いた。足のくばりや腕のそなえは篠ノ之さんをして感嘆せしめるものだ。観戦した私ですら背筋が凍った。

 印象的だったのはセシリア嬢の視線の変化だった。同じ代表候補生である凰さんに向けていた目つきを、今はしのぎんにも向けている。時折(ケイ)に向けることはあっても、織斑には決して向けないものだった。好いた異性や教え子に対する情を見せることがあっても、好敵手と見なしていない。もちろん私にも篠ノ之さんにもそんな顔つきはしなかった。

 私は思ってしまった。今の織斑では凰さんどころか、小柄鎬にすら勝つことができない。気持ちですら負けているのではないか。

 とっさに横を向いた。織斑を見た。何やら考え込んでいる。アリーナの熱気を全身で感じとって、他人事のように「すごいな」とは言わなかった。

 格納庫へ直結する隔壁が開いて回収班のリカバリーが姿を現した。ドーザーブレードを装備しており、巨大な転輪付きデッキを牽引している。両肩に取り付けられた一二.七ミリ重機関銃のつや消しの黒い砲身を見るたびに、兵器色の強いISなのだと実感させられた。

 地面に降りた甲龍が小さく見える。凰さんは初めて異形を目にしたのか、顔が引きつっているように見えた。無理もない。あのかっこ悪さは折り紙付きだ。かっこ悪さは抜きにしてもかなり威圧感があった。まるで戦車だった。

 リカバリーはしのぎんを回収するために一度立ち止まって進行方向を変えようとしたけれど、甲龍が近づくのを見て気が変わったのか龍咆によって穴だらけになった場所に向かった。しのぎんのバイタルサインに異常が見られなかったことから、ドーザーブレードを使って穴の埋め戻し作業に入った。

 私は携帯端末に指を滑らせ、回収班の搭乗者欄を表示させる。霧島晴香の名があった。訪問者カウンタが申し訳程度に画面右下に取り付けられていたので視線を移すと、私でちょうど一〇人目だった。興味本位で霧島先輩の名前をタップした。搭乗時間や概要が掲載されたページをのぞき込むや、私はおどろいてしまった。

 

「ご、五〇〇時間……だって?」

「どうしたの」

 

 鷹月が声をかけながら私の手元に視線を落とした。霧島先輩の総搭乗時間を目にしたらしく、同じようにおどろきの吐息を漏らした。霧島先輩は私と同じくIS学園に入学してからISに乗り始めたとはいえ、既に代表候補生並みの搭乗時間だった。三年間で一〇〇〇時間を超える勢いである。アリーナへ視線を移し、リカバリーの操縦をフルマニュアルで危なげなくこなす姿に納得がいった。

 

「ね、あれ」

 

 鷹月が私の肩をたたいた。振り返るとアリーナの隅を指さしていた。

 凰さんがしのぎんの横に立って見下ろしている。どんな話をするのか気になった。モニターを一瞥(いちべつ)したけれど、二人の姿を望遠レンズで捉えているだけで会話の内容までは中継していなかった。

 私が残念がっていたら、鷹月が自分の携帯端末を取り出して何やら操作をしている。すぐに「できた」と小さくつぶやいてにんまり笑った。

 

「あれ中継できるよ」

 

 私は間抜けな声を出した。魔法を目にしたかのようにびっくりしていると、鷹月がしてやったりといった風情で自分の携帯端末を差し出した。画面上部にアプリ名と製作者の名前が表示されていた。「千里眼と地獄耳――競技プログラミング同好会」と書かれていた。

 音量を上げると携帯端末のスピーカーから二人の声が聞こえてきた。

 

「小柄」

 

 と凰さんが口を開いた。しのぎんは大の字になって空を見つめていた。視界に凰さんの顔が映りこんだので横を向いたら二人の目が合った。凰さんは勝利をたたえるわけでもなく、また侮蔑するわけでもなく淡々とした口調だった。

 

「あたしの勝ち。実力がわかったでしょ」

「……ああ。私の負け。完敗。やっぱ強いわ。めちゃくちゃ強かった」

 

 しのぎんの言葉を聞いて、凰さんが両手を腰に当てて慎ましやかな胸を張って見せた。

 

「これが代表候補生よ」

 

 凰さんの言葉を聞いてしのぎんがしばらく笑い声を上げた。笑いながら瞳に悔しさの色が浮かんだ。しばらくして突然鋭い眼光を向けられた凰さんの表情が真剣みを帯び、しのぎんが口を開くのを待った。

 

「次は勝つよ」

「馬鹿言わないでよ。次にやるときはあたしも強くなってるから。アンタに勝ち目はないわ」

 

 凰さんは再戦を誓う姿に口の端をゆるめた。力強い声音だった。

 

「ハハハ、そのときにはもっとうまく、もっと強くなってるから。今度は凰が勝つとは限らないよ」

「……その自信はいったいどこから来るのよ」

 

 凰さんが呆れたようにうめいた。そして膝を折って手を差し延べる。しのぎんがきょとんとした。凰さんの意図を悟るまでにしばらく時間がかかって、不意に破顔した。

 

「凰っていいやつだったんだ」

 

 その言葉に凰さんの顔が真っ赤になった。しのぎんの顔を直視できないのか、目を背けながら照れていた。打鉄の手が触れ、しっかりと握りしめる。そのまま助け起こしながら不機嫌そうな声で言った。見るからに照れ隠しだった。

 

「……呼び方。鈴音(リンイン)で良いわよ」

(しのぎ)って呼んでくれよ。しのぎんでも構わない」

「なら鎬にするわ」

「……残念だな」

 

 「しのぎん」と呼んでくれなかったことが不服だったのか唇をとがらせた。

 

「そういえばさ」

「ん?」

 

 凰さんの言葉にしのぎんが不思議そうな顔をした。

 

「どうやって龍咆を避けてたのよ」

 

 なんだそんなことか、としのぎんが言った。にっこり笑って、

 

「大したことじゃないよ。後でゆっくり教える」

 

 もったいぶるような口ぶりだった。

 凰さんは「そう」とだけつぶやいて、おもむろに打鉄ごとお姫様だっこした。

 

「え……鈴音! 何をするつもりなんだよ!」

 

 しのぎんの慌てるする声を聞いて、凰さんが意地悪な笑みを浮かべた。

 

「アンタ動けないでしょ。あたしがピットまで送ってやるから感謝しなさいよ」

 

 

 凰さんがしのぎんを抱きかかえて飛び上がる姿を見届けた私は、席を立った織斑と篠ノ之さんに向かってカタパルトデッキへ行こうと誘った。純粋にしのぎんをねぎらう気持ちが大きかった。つぎに心を占めていたのは織斑が幼なじみに会えずに悶々としていたことから、彼の欲求不満の解消を手伝ってやろうという老婆心の発露だった。私の提案に断る理由がなかったこともあって、二人は快諾した。そして面白そうだから、という理由でセシリア嬢や鷹月たちもぞろぞろと私の後を追った。

 

「ぴんぽんぱんぽーん。第一アリーナの使用につきまして化学処理班ならびに回収班からお知らせいたします。第一アリーナの使用は本日二〇〇〇まで一般生徒の使用を禁止いたします。アリーナを使用したい生徒は他のアリーナを使用するようにお願いいたします。繰り返し化学処理班ならびに回収班からお知らせいたします。第一アリーナの使用は……」

 

 場内の構造は第三アリーナとそっくりだったので道に迷うことはなかったけれど、途中で姉崎の声で放送が流れた。よく通る美声だったことに複雑な思いがこみあげてきた。

 デッキへと続く扉が見えた。扉の向こうは普段電子ロックがかけられている。今は開放されていたので、上背がある織斑と(ケイ)が背伸びをしたけれど、まだ凰さんたちは姿を見せていなかった。

 

「しのぎんたちまだきてないねー」

「少し待つか」

 

 織斑の言葉にうなずき、デッキの入り口を見回した。あたりには私と同じことを考えた先客が詰めかけていた。二組の生徒がいるのは納得がいく。凰さんとしのぎんのクラスメイトが二人を出迎えるのは当然だろう。三組の生徒が二、三人いた。四組の生徒もいる。

 

「更識」

 

 篠ノ之さんが眼鏡をかけた生徒に声をかけた。更識さんは篠ノ之さんの顔を見るなり、表情が華やいだ。

 

「……箒……さん」

 

 なぜか織斑が胸に手をあててどぎまぎしていたので、セシリア嬢が戒めるべく肘で小突いた。織斑の気持ちは分かるつもりだった。更識さんが篠ノ之さんに向ける目つきは友人に対するものではなく、愛情に近い感覚を抱いてしまう。篠ノ之さんが反応に困るくらいの懐きようだった。正直事情を知らない人が見れば誤解してもおかしくなかった。私はふと、織斑に小言を言うセシリア嬢に視線をずらした。彼女の隣には子犬ちゃんがべったりくっついている。その姿が主従関係に見えてしまうのはセシリア嬢の支配欲の賜物(たまもの)に違いない。

 

「ティナ」

 

 (ケイ)が更識さんの隣にいた少女に声をかけた。彼女の名はティナ・ハミルトンと言って、金髪碧眼というノルディック・ブロンド(北欧のブロンド)を体現しており、私と(ケイ)が手持ちのお菓子を献上したことで仲良くなった生徒だった。代表候補生の選考中ということもあって、似たような境遇の(ケイ)に興味を持っていたという。

 

「ルームメイトの出迎え?」

 

 と(ケイ)が言った。ティナは凰さんのルームメイトということもあって、一連の騒動の一部始終を聞き知っていた。

 

「まあ、そんなところ。あと、簪が来たいって言ったからというのもあるけどね」

 

 そう。ティナは四組で更識さんのクラスメイトだった。クラス対抗戦では補欠としてエントリーされていて、更識さんが不調だったり急病の場合は彼女が代わりに出ることになっていた。ちなみに三組の補欠は兜鉢(かぶとばち)(しころ)という一見しただけでは読み方が分からない名前だった。

 

「ふうん」

 

 私が生返事をしてから、思いついたことそのまま口にした。

 

「ねえねえ。凰さんと更識さんが戦ったらどっちが勝つと思う?」

 

 今回の試合結果によって下馬評が二組、三組、四組が()(どもえ)の頂上決戦という記事に差し替えられるような予感がしていた。先日凰さん本人が三組のマリア・サイトウよりも強いと自分で言っていたから気になった。

 

「ティナー。それ気になるよー」

 

 (ケイ)も舌足らずな口調で言ったので、視線を宙に向けて、すぐに私に目を戻してから口を開いた。

 

「簪かなあ」

 

 四組だからそういう反応を示すのは予想済みだった。

 

「その心は」

「IS搭乗者の勘」

「根拠になってないよ」

 

 すかさず(ケイ)の突っ込みが入った。

 

「簪ってあんなんだけど、やるときはやる子だよ?」

 

 半目になって篠ノ之さんと初々しい恋人同士のような素振りでたどたどしく会話する更識さんを指さした。篠ノ之さんまで赤くなるのは傍目から見てまずいと思った。突っ込み役の織斑がセシリア嬢とばかり話をするものだから、二人の醸し出す面はゆい雰囲気に耐えられなくなってティナに顔を戻した。

 

「それは認める。凰さんが更識さんのことを警戒していたから」

「こちらとしても半年間デザートフリーパスが欲しいからね。お菓子もいいんだけどね。たまにはデザートが欲しくなるのよ」

「ティナの目的はそれ以外にないでしょ」

 

 食い意地の張ったティナに向かって(ケイ)がため息をついた。

 私は二人から目を離し、もう一度あたりを見回した。青色以外のリボンが目に入った。知り合いの上級生がいないか、目をこらしてみたら邪悪な黄色の存在に気づいた。冷や汗をかきながら勇気を振り絞って顔を確認した。案の定岩崎と神島先輩だった。三組の生徒も諦めきった表情で一緒にいる。彼女らの周囲だけ人が寄りついていない。存在感だけは大人顔負けなのだけれど、岩崎が醸し出すいかにもな悪の親玉っぷりと神島先輩のマッドサイエンティストらしさが際だって、明らかに浮いていた。

 

「あの人たち何でいるんだ……」

 

 私が額に手を当てて黙り込んだ。「どうしたの」と鷹月が心配そうに声をかけてきた。私はうつむきながら人差し指を岩崎たちに向けた。「なるほど」と鷹月が相づちを打つのが聞こえた。

 

「悩んでばかりだと大きくなれないぞう」

 

 不意に耳元から聞き覚えのある声がした。鷹月とは声質が異なった。艶めかしいというか、色っぽいというか、とにかく高校生らしくない。嫌な予感がして恐る恐る首を回すと、神秘的で秘密めいた瞳が楽しそうに笑っていた。魅惑的な口元、そして褐色の肌に豊満な体つきをした三年生だった。彼女の隣にはリボンから二年生だと分かる、白い肌に灰色の瞳をもった美人さんが呆れたような風情で腕を組んでいた。その冷ややかな目つきに背筋が震えた。

 

「ダリルさん……」

 

 私が名を口にするや、髪の毛をもみくしゃにしてきた。ものすごく上機嫌なのがわかった。この人がこの場にいるということは、何かしら面白そうなものを目にしたからに違いない。

 

「なんでいるんですかあ」

 

 何となく理由を聞いて欲しそうな素振りだったので、期待に応えるつもりで口を開いた。すると待ってましたと言わんばかりにダリルさんの表情が明るくなった。

 

「この前えーちゃんにしのぎんを紹介してもらったろ? 彼女がお姫様だっこで連れ去られたから気になって来ちゃったんだよ」

「そういう理由でしたか」

 

 面白そうだったから。それ以外に理由はなさそうだ。両手で髪を直し、鷹月に乱れていないか聞いてみたら首を振ったので、ほっとため息をついた。ダリルさんが続けた。

 

「あんだけ本気でタイマン張って、その後にお姫様だっこと来た。あいつらどういう関係だって気になったんだ」

 

 そう言ってからナハハ、と声高に笑いながら私の肩に腕を回した。

 奔放な体をこれでもかと押しつけてくる。腕に弾力に富んだ胸が当たるのが気になって仕方なかった。

 

 

「ようやく出てきた」

 

 相変わらずダリルさんの過剰なスキンシップの被害に遭っていたわけだけれど、私はこういう人なんだと諦めていた。

 

「鈴!」

 

 と織斑の声がしたので部屋の奥を見やった。二組担任の先生と一緒に凰さんとしのぎんが姿を見せた。クラスメイトがわっ、と声を上げて二人を取り囲んだ。

 

「小柄ーよくやった」

「凰さんもすごいよー」

 

 などといった声で埋め尽くされた。そこには二組を覆っていたぎすぎすとした雰囲気を感じることはなかった。

 しのぎんは白い歯を見せながら照れた様子で頬をかいていた。凰さんは手のひらを返したような歓迎の雰囲気にきょとんとしていた。ダリルさんのような、生暖かいにやにやした視線も多分に含まれていると感じとってしまったのは私の心が汚れているせいだろう。

 二組の輪の中に、上級生が一人混ざっていた。よく見れば、ICレコーダーを握った手を突き出していたので新聞部だと推測した。新聞部には薫子さん以外にも何人か在籍している。今頃薫子さんはISの整備に駆り出されているはずだった。この上級生は特徴からして下馬評を担当している先輩に違いなかった。

 上級生は努めて冷静な声で言った。

 

「お疲れ様です。凰さん、小柄さんをどのように評価しますか」

「試合中何度かひやりとさせられる場面がありました。聞けばISに乗り始めて一ヶ月も経っていないとか。今後が楽しみです」

 

 しのぎんに対して率直な感想を口にした。ダリルさんが隣でうなずいていることから、無難な答えだと分かった。

 

「二組のクラス代表は?」

 

 今度はしのぎんに聞いた。

 

「私は辞退します。今から凰が代表です」

 

 そういう約束ですから、としのぎんが付け足した。凰さんがおどろいたようにしのぎんの横顔を凝視している。派手に喧嘩を買って、潔く身を引いた。しのぎんの性質の良さのあらわれだった。

 

「ありがとうございます」

 

 と上級生が言った。

 

「鈴音。お前って(おとこ)らしいんだな」

 

 不意にしのぎんが口を開いた。私が次の言葉を待っていると、

 

「惚れそうだわ」

 

 しのぎんが他人をからかうような顔つきを見せた。すぐに先ほどのお姫様だっこの意趣返しのつもりだと分かって、周りも承知済みらしく茶々を入れずに静観した。

 

「ヤバイ。告ってもいい?」

「ば、馬鹿じゃないの! 惚れるのは構わないけど。あ、あたしにその気はないからねっ!」

 

 しのぎんの冗談を真に受けたのか、凰さんの顔が真っ赤だった。凰さんはしばらく気になって仕方がなかったのか、ちらりちらりとしのぎんの顔を見つめては目を逸らすことを繰り返した。そんな様子に我慢できなくなったのか、しのぎんが腹を抱えて声を上げて笑った。落ち着いたところで、舌を出して言った。

 

「さっきのお返し」

「冗談になってないわよ」

 

 凰さんが整った眉を寄せて唇をとがらせた。表情に険しさがなかった。どうやら好意を向けられるのはまんざらでもないらしい。転入してから敵地で孤立していたから、照れた笑顔がよかった。

 私はダリルさんにのしかかられたまま織斑の横に移動した。灰色の瞳をした美人さんもついてくるのだけれど、ダリルさんを引きはがす意図はないのが残念だった。織斑は外国人と肩を組んだ私を見て目を丸くした。

 

「どんな状況なんだよ……」

「この人は妖怪みたいなものだと思っていいです。私はそう思ってます」

 

 織斑にダリルさんに対する認識を伝えた。織斑はさんざんな説明に納得しかねる様子だったけれど、美人さんの冷ややかな視線を浴びて口を差し挟むのを控えた。

 私は織斑を見上げ、隣に移動する。体を回した勢いを使って背中をたたいた。

 

「凰さんに声をかけてきなよ。今だったら大丈夫だよ」

 

 しのぎんが凰さんを認めたのだから、二組の気持ちが暖まっているはずだ。「お、おう」と織斑がつぶやく。

 

「ついでに喧嘩を売ってきてもいいよー」

 

 織斑をリラックスさせようと私が余計な一言を投げかけた。隣でセシリア嬢が堂々と腕を組んで首を縦に振った。セシリア嬢は「へっ?」と間抜けな声を出した私の手を取ってこう言った。

 

「鈴さんはわたくしの敵ですから。宣戦布告は必須ですわ」

「セシリアさんが何をおっしゃっているのか、さっぱり分かりません」

「ですから、鈴さんは一夏さんの幼なじみ。箒さんと同じ立場にいるのです。先ほど一夏さんとお話しをしたらとんでもない事実が発覚しましたの」

「その事実とは」

「食いつきましたわね?」

 

 口角をつり上げ、腹の中で黒い策謀に興じるような表情を見せた。セシリア嬢は私の隣にダリルさんがいることや、灰色の瞳をした美人さんの存在を完全に無視していた。私は気のない素振りで頬をかいた。

 

「いや……まあ。興味あるから」

「よろしい。言いましょう。一夏さんは鈴さんが嫁に来ることを承諾していますの」

 

 セシリア嬢が爆弾を投下した。ダリルさんが息をひそめながら目を輝かせたのが分かった。

 

「はあ? 今朝、織斑と話したけどそんなことは一言も口にしてなかったけど」

 

 鈴はさ。俺の彼女なんだ、と織斑の口まねをしてみた。(ケイ)が割と似ていると褒めていたから本物に近いはずだった。

 

「とか言うならわかるよ。いくら何でも発想の飛躍じゃない?」

「一夏さんが鈍感なのは周知の事実。箒さんに聞きましたけれど、先日あなたが渡した()()、未使用だそうですわ」

()()とは戦略級重要物資のことですか」

「それ以外にないでしょう。アタッチのことですわ」

 

 それを聞いて私は肩をすくめた。ダリルさんが吹き出して頬に唾がかかった。恐る恐る灰色の瞳の美人さんを見上げたけれど、彼女は無表情を崩さなかった。

 

「セシリアさん。そういうことは堂々と人前で言わない方が……」

淑女(しゅくじょ)のたしなみですわ」

 

 私の忠告を斬って捨ててしまった。耳元でうひゃひゃ、と笑うダリルさんが鬱陶(うっとう)しくて仕方がなかった。セシリア嬢は人差し指を天に向け、顔を目と鼻の先に近づけた。熱い吐息が頬に当たる。

 

「鈴さんはこう言ったそうです。毎日料理を食べさせてあげる、と」

「それってまさか……」

 

 私はおどろきの声を上げた。お風呂ですか、ご飯ですか、それとも私になさいますか、と言ったに等しい発言で、少なくとも私には恥ずかしくて言えない台詞のひとつだった。私は興味津々と言った風情で目を輝かせた。

 

「で、織斑はどう返したの」

「ああ。鈴の作る料理か。楽しみだな。いいぜ。毎日食ってやる、と言ったそうですわ」

 

 灰色の瞳をした美人さんが人垣に分け入ろうとして押し返されている織斑の背中を顧みた。唇をわずかに開いたけれど、側に鷹月がいないので何を言ったのかまでは分からなかった。

 

「……それって、完璧アレじゃないですかー」

 

 私は頬を赤らめて気色ばんだ。織斑にそんな甲斐性があったことにおどろいていた。中学時代は方々に首を突っ込んでは恋愛相談を受けていたけれど、恋愛話をするのは好きだった。好物と言って良かった。セシリア嬢が忌々しそうに凰さんをにらんだ。

 

「さて。今回の問題点は一夏さんが嫁に来い、と言ったも同然であると認識していないことですわ」

「ちょっと待ってよ。織斑は凰さんを受け入れたんでしょ。それおかしくない?」

「男子小学生が遠回しな告白に気づくと思いますの」

「うーん。気づくんじゃないかな。でも女の子って早熟だからなあ。男子でもその手の話題が好きなおませさんなら……あ!」

「今、一夏さんに対して大変失礼な想像をしたと思いますけれど、まさしくその通りですわ」

「ちっと口挟んでもいーかー」

 

 とダリルさんが挙手した。真剣みを帯びた表情がとてもうさんくさかった。

 

「どうぞ」

 

 ダリルさんが織斑を指さしながら言った。

 

「あの男がお前さんの想い人っつうので合ってるか」

「……ま、まあ。その通りですわ」

 

 頬を赤らめて言いよどむセシリア嬢を見て、ダリルさんがまじめな顔でうなずいた。そして私に声をかけた。

 

「えーちゃんは?」

「恋愛対象として見てません」

「こいつはっきり言いやがった。まあいいや。あいつを狙ってる女はどれだけいる?」

「態度に出しているのはわたくしを含めて二人。そしておそらく凰鈴音も」

「三人か。後一人は」

「あちらに」

 

 セシリア嬢が篠ノ之さんを指さした。するとダリルさんが目を丸くして、短いおどろきの吐息を漏らした。すぐにいぶかしむような視線をセシリア嬢に向けた。

 

「篠ノ之箒? 彼女、レズビアンじゃなかったっけ」

「ちょっ……」

 

 そんなことになっているのか、と私はおどろきを隠せなかった。上級生の篠ノ之さんを見る目がどんなことになっているのかすぐにも確認する必要があった。噂が一人歩きして大変なことになっているのは間違いなかった。

 

「わたくしは両刀使い(バイセクシャル)だと考えていますの」

「それなら納得だわ」

「セシリアさんにダリルさん……憶測で納得しちゃだめですよ」

「えーちゃんは頭かてえなあ。別に女と寝たって減るもんなんてないんだし。意外とできちゃうもんだ。避妊しなくていいのはホントに楽なんだぞ」

「それは分かってますが、実際やるのは別です」

「おいフォルテ。一回えーちゃんを教育してやらにゃならん。お前もつきあえ」

 

 ダリルさんが灰色の瞳をした美人さんに向かって暴言を吐いた。貞操の危機に直面した私は必死で身を守るべく声を上げた。

 

「何を教育するつもりですか! 断固拒否します!」

「嫌ッス」

 

 灰色の瞳をした美人さんがダリルさんの暴言を冷たく拒否した。

 

手前(テメエ)……先輩の言うことは聞くもんだろうが」

 

 歯ぎしりするダリルさんを捨て置く美人さん。ダリルさんの扱い方をよく心得ていた。

 

「ちぇっ。私一人でやるわ。後で混ざりたいって言ってもやらせねーからな」

「大丈夫ッス。二人ともお幸せに」

 

 二人で、とは何か。美人さんに見捨てられたのは間違いない。貞操の危機が続いていた。ダリルさんはいらつきを表すかのように膝をたたいてから、セシリア嬢に自分の考えを言った。

 

「私の見立てだと……あの男、年上好みだぞ」

 

 セシリア嬢が目を見開いた。

 

「こ、根拠はなんですの」

「勘……つうか、織斑先生を見てたらな。あんだけかっこいい姉がいりゃあ、重ねちまう」

「て……て、て敵は……本当の敵は織斑先生だというのですか……まさか、し、シス」

 

 ダリルさんの確信めいた物言いにセシリア嬢が激しく動揺する。私は出任せを口にしていると思って冷ややかな視線で見守った。

 

「それとな。先輩のアドバイスっつうか……黒はだめだってんだ」

 

 ダリルさんが伏し目がちに言った。「何を言って」と私はつぶやき、灰色の瞳をした美人さんの視線を追った。

 セシリア嬢が自分の胸を抱き、恥じらうあまり涙目になって身をかばうように一歩後ずさった。IS学園の冬服だと下着が透けることはないはずだけれど、いったいどうやって透視したのだろうか。

 

「ななな何でわかったんですの!」

「簡単な推理だよ。下着の色は合わせるもんだ。下が見えたなら上も同じ色してんだろ」

 

 残念な発言を聞いてしまい、「うわあ」と声を上げてしまった。私はダリルさんとセシリア嬢を交互に見やった。

 

「黒なんざ着けても色気がたらねえ。一〇代なら()にしとけ。男にとっちゃ、()()()()()()()()()()。経験者が言うんだ。信じて損はねえぜ」

 

 したり顔でいるダリルさんの姿がおっさんのそれとしか思えなかった。この人は口を開くべきではないと切実に感じた。エキゾチックな雰囲気が台無しだった。それがわかっているのか、傍らにたたずんでいた灰色の瞳をした美人さんは呆れを通り越して顔色一つ変えていなかった。

 

 

 私はショックのあまり子犬ちゃんにもたれかかったセシリア嬢を尻目に、織斑たちの元へ歩いていった。

 すると新聞部の上級生が一年生のクラス代表がそろっていることに気づいて周囲を見回していた。三組のマリア・サイトウの姿は見えなかったけれど、補欠の子がいるらしく彼女らの所信表明がどんなものか興味を持ったように表情を明るくする。彼女は明快な性質を持った黛薫子とは異なり、理性的だが陰のある女として知られていた。そして一年生のクラス対抗戦の下馬評は彼女の受け持ちだった。

 凰さんと織斑の話が切れたところを見計らってその上級生は声をかけて新聞部だと名乗った。

 

「織斑君。クラス対抗戦に向けて一言コメントをお願いします」

「俺ですか」

 

 凰さんとの話に夢中になっていたのか、声をかけられた織斑の両肩が大きく震え、ゆっくりと新聞部の上級生と目を合わせた。彼の隣にいた凰さんが堂々としていたこともあって、織斑の動揺は一瞬だった。真剣な顔つきになって息を吸い、一度目を伏せてから再びまっすぐ前を向いた。鷹揚(おうよう)な素振りで一言一句はっきりと口にした。

 

「胸を借りるつもりでがんばります」

 

 事前に考えていたのか無難な返事だった。もしも薫子さんが彼女の立場なら、「全勝優勝をします、なんてかっこいいこと言うじゃない」などと面白おかしく記事のねつ造をすると宣言してしまうものだけれど、彼女はそうでないらしい。

 つぎに三組の兜鉢を呼んだ。私は兜鉢なる生徒の顔を知らなかった。三組とは風呂場で顔を合わせるくらいで、それほど親交があるわけではない。それに補欠になるくらいだから、それ相応に実力かIS適性が高いのだろう、と私は高をくくっていた。

 兜鉢は緊張からぎこちないしぐさで上級生の前に姿を表した。身長は私と同じくらいで卵形の顔に太めの眉毛。ふんわりとほつれたランダムカールしたロングヘア。髪の色素が薄くベージュに近く、柔らかい髪質だと推定した。彼女の姿に私は見覚えがあった。

 

「どうしたの?」

 

 ダリルさんを引きはがした鷹月が脂汗をかく私の顔をのぞき込んだ。彼女は先日、怪人に洗脳された哀れな一般人だった。胃のあたりにうずくような苦しさがわき起こって、彼女の顔を直視できなかった。私は伏し目がちに顔を背け、鷹月に抱きつくように体重を預けた。「やっばあ」とつぶやいた。

 

「ちょっと航空部の部室で……うっ」

 

 クローゼットの奥に封印した段ボール箱のことを思い出してしまった。あのときは彼女に構うどころではなかった。チラと壁際に視線を移すと、壁にもたれかかった岩崎と神島先輩がインタビューに答える後輩の姿をにやにや笑いながら見つめていた。身内には優しい人たちなので、一見後輩のためを思って一緒についてきたように思うけれどその実、逃げ出さないように監視の目を向けているに過ぎない、というのは私の考えすぎだろうか。疑惑を胸にしまいこんで、もう一人の後輩である更識さんの姿を探した。

 

「更識さんなら、ほら。あそこにいるよ」

 

 鷹月が指さした場所を見た。(ケイ)の後ろ姿が目に入り、隣にはティナがいて、さらにその隣に更識さんがいた。更識さんと一緒にいたはずの篠ノ之さんは織斑と彼女との間に立っていた。

 インタビューが終わったのか、兜鉢がそそくさと三組の生徒たちの群れの中に消えた。

 新聞部の上級生が更識さんの前に移動した。どんなことを話すのか興味があった。とっさに鷹月の手をとって早足で人混みをかき分ける。鷹月がいれば更識さんの声を聞き漏らしたとしても唇の動きを拾ってくれることを期待していた。

 (ケイ)とティナが留学生ということもあり、謙虚なことに彼女たちのまわりに少し隙間があった。その隙間に半ば強引に体を滑り込ませた私は、鷹月の体をたぐり寄せると抱きかかえるような姿勢になってしまった。

 

「あぶないったら」

 

 バランスを崩しかけたところを(ケイ)が背中を支えてくれたので、衆目の前で恥をさらすような事態は避けられた。

 

「……助かったよ。(ケイ)

「えーちゃんって。おっちょこちょいだからね。わたしが見てあげないとすぐころんじゃうんだから」

 

 (ケイ)はティナに向かって言った。私よりも(ケイ)の方がしっかり者なのだとティナに自慢する意図が透けて見え、頬をふくらませた私は先ほどの失態を記憶から消そうとICレコーダーを突きつけられた更識さんに意識を向けた。

 

「最後に四組から一言お願いします」

 

 更識さんの目が泳いだ。篠ノ之さんが隣にいたせいか、何かを言いかけて口をつぐんだ。もしかしたら、月並みな言葉を吐こうとしたのかもしれない。そうすると織斑や兜鉢とかぶってしまう。現在の下馬評によれば四組優位だから、少しは調子の良い言葉を吐いてもいいのかもしれない。実際、新聞部としてはトトカルチョのレートに関係することもあって面白いコメントを待つ気持ちが強いと考えられる。では、どのような言葉が適当なのだろうか。更識さんにも自己顕示欲があるだろうから、もしかしたら思い切ったことを言うかもしれない。告白騒動に至ったのも彼女が勇気を出したからだ。

 上級生は静かに更識さんの言葉を待った。

 

「……す」

 

 声が小さく聞き取ることができなかった。上級生も同様らしく首をかしげた。鷹月も同じだった。

 不意に更識さんがしのぎんに顔を向けた。目が合ったのか、何度もまばたきする彼女に向かって笑いかけた。つづいて視線を動かす。その先には岩崎たちがいた。ククク、と不気味に喉を鳴らす怪人と氷のような無表情の女幹部をまっすぐ見つめた。

 私と同じように更識さんの視線の先にあるものに気づいて、目を向けた生徒がいたけれど岩崎の姿を見つけるなり目をそらす者がほとんどだった。(ケイ)やティナなどはきょとんとしていた。

 鷹月も私の視線を追っていた。岩崎の唇の形が変わった。すぐさま更識さんを見たら、彼女は力強くうなずいて、何度も深呼吸を繰り返した。

 鷹月に岩崎が何を言ったのか分かったか、と目で訴えかけた。鷹月は首を振り、「君は」までしか分からなかったと答えた。

 更識さんが上級生に顔を向けて言った。

 

「……四組が優勝します」

 

 突然空気がかたまった。ティナだけは当然と言わんばかりにうなずいていた。

 

「……更識。それってあたしに勝つってこと?」

 

 と凰さんが聞いた。突然の宣戦布告に笑顔を凍り付かせていた。

 

「ちなみに何勝するつもりでしょうか」

 

 上級生は動じることなく質問を続けた。

 

「……全勝です……」

 

 クラス対抗戦は総当たり戦だから三戦をこなす必要がある。それを全勝すると言い切った更識さんに周囲は沸いた。

 

「ありがとうございました」 

 

 上級生はICレコーダーの停止ボタンを押した。そのまま群衆に埋もれていった。

 

 

 




【補足】クラス対抗戦の試合形式について
アニメ第三話にてクラス対抗戦のトーナメント表を映し出す場面があります。念のため原作第一巻を確認しましたが、リーグマッチとあるだけでどんな形式なのか明確にされていません。アニメは解釈の一つだと考え、本作では総当たり戦を採用しました。

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