自席に戻るなり疲労の色をみせた織斑に向かって、私は声をかけた。
「調子悪そうだね。夜更かしでもしたのかい」
篠ノ之さんがいないのを良いことに、同居人に対してベッドの上の戦争でも仕掛けたのか、と茶化してみた。織斑は一瞬、目を泳がせて声をかけた主を探そうと辺りを見回し、私の姿を見つけるなり頬づえをつくとタチの悪い冗談と思って、ため息とともに聞き流してしまった。この手の冗談を右から左に流されるのは今に始まったことではなかった。あからさまにやられると、私のアクリル製のハートに傷がついてしまう。
織斑はゆっくりと片目を開け、私が膝立ちになって両腕を机の上で組んであごを乗せるまで待っていた。織斑とずいぶん顔を近づけていたけれど、彼を恋愛対象として見ていなかった私は目や鼻のつくりが織斑先生にそっくりだな、とそんなことばかり考えていた。
織斑の方も私のことを妖怪か何かだと思っているらしく、もはや女子扱いしていなかった。
「ダメだ。とても声をかけられる雰囲気じゃない」
織斑と目があってにんまりと笑った。
「二組の転校生なんだけどさ。あれ、俺の幼なじみなんだよ。だから久しぶりだなって声をかけようとしたら、ものすごい表情でにらまれた」
「凰さんと、ねえ」
「俺、嫌われてんのかな」
かなり
「幼なじみってことは篠ノ之さんとも知り合い?」
織斑は篠ノ之さんと幼なじみだと確認が取れていたけれど、彼女以外にも古い付き合いの女子がいたとは初耳である。いずれ凰さんを交えてなれ
「いや、あいつが転校してから入れ替わりに転入してきたから面識はないんだ」
「ファースト幼なじみに、セカンド幼なじみかー。両手に花ですね」
篠ノ之さんが転校したのは小学校の時だと言っていたから、かなり長い年月をともに過ごしたと見えた。織斑のことだからさぞかし女子にもてたことだろう。凰さんも気になっていたのではないだろうか。
「からかうなよ」
冗談に込められた意味に気づいたのか、織斑は真っ赤になってうつむいた。
私はうぶな反応を意外に思いながら、へらへら笑って相づちを打った。
「実際そう見えるし。よっ色男」
適当にからかってやったら織斑は適当に聞き流した。むきになると私を喜ばせるだけだと気づいたらしい。
「あのよどんだ雰囲気って、やっぱり鈴が原因なのか?」
織斑も凰さんとしのぎんが宣戦布告を交わしたことを聞き知っている。それ以外に原因はなく、女子の意見を聞きたいという確認の意図を含んでいた。
「今、まさに喧嘩中だからね」
織斑はうなずいた。
「凰さんも織斑に構ってる状態じゃないと思うんだよね」
今日は二組の代表決定戦なのだ。二人の意地がかかった戦いの日だ。空気が張り詰めない方がおかしい。
「今日が試合だってのは分かるけどさ。もう少し余裕があってもいいんじゃないか。
「まあ……男の前で態度を変えたら印象悪いからね」
「何で」
「そりゃあ、織斑に近づきたいからクラス代表になりたいんだって思われたくないんだよ。自分にも機会を与えろって、積極的にアピールしてるんだよ。それが実は男がらみだった、とかないわー」
自分で口にした仮定への嫌悪感をあらわにした。私の陰険な顔つきに、織斑がうめいたので、すぐににやけ面をつくった。織斑は目を伏せてため息をついた。
「これから先、クラスメイトを敵に回して過ごしたいと思う?」
織斑は女子全員を敵に回した状況を想像したのか、身をすくませた。弱々しい声だった。
「……それはちょっと勘弁して欲しい」
「今日の試合が終われば、もう少し空気がよくなると思うから。今はそっとしときなよ」
▽
放課後の第一アリーナは人だかりができるほどに混雑していた。未だ慣れきっていない様子の一年生と比べ、上級生の足取りはしっかりしている。座席の確保にも迷いがなかった。通路を歩いていると、セシリア嬢たちはウェルキン先輩に捕まってしまった。私は先行して席を確保すると告げて先を急いだ。途中でダリルさんや弱電メンバー、それに生徒会長の姿を見つけた。しかし声をかけるには至らなかった。
通路の端を黄色い化学防護服で着ぶくれた幼い顔が、ぺこぺこ頭を下げながら足早に通り過ぎていく。ヘルメットに相当する部分を脇に抱えているせいか、幅を取っていて通行の邪魔になっていた。
観覧席に出ると、ちょうど織斑と篠ノ之さんの姿を見つけた私は鷹月の手を取って足取り軽やかに背中を追った。並んで席に着こうとした二人の名を呼ぶと、先に織斑が振り返った。
「隣いいかなあ」
私の名を呼んだ織斑に向かって間髪入れずに言った。二つ返事で了承したので礼を言いながら、私はセシリア嬢の顔を思い浮かべていた。つづいて鷹月が礼を言った。
「座ろっか」
鷹月に声をかける。そのときになって、彼女と手をつないだままだと気がついた。柔らかくてすべすべした手だった。
「後でセシリアさんたちが来るから。奥の三つも確保だからね」
と言って手を離す。かすかなぬくもりが残った。私は腰を下ろした。織斑は篠ノ之さんと私に挟まれる形となった。
「どうかしたのか?」
「ウェルキン先輩に捕まってる」
織斑の問いに答える。なるほど、と相づちを打つの見えた。普段のセシリア嬢を見ているとウェルキン先輩の
篠ノ之さんが体をひねって観覧席を見回していた。
「一夏の時よりもギャラリーが多くないか」
「金曜の放課後だからね」
私が言うと、後から鷹月が補足した。
「中国の第三世代機が見られるからって上級生が観戦に来ています」
織斑が感心したような声を漏らし、篠ノ之さんに習ってあたりを見回した。
わたしも後ろを顧みる。パトリシア先輩を見かけたので手を振った。彼女は隣に真昼さんと思しき上級生に手を引っ張られていた。パトリシア先輩が困惑する様子が見え、私に気がつくことはなかった。その代わり、すぐ後ろにいた岩崎が手を振ったので、うれしさと悲しさが混ざり合った複雑なものが胸を突き上げた。口の端を引きつらせたまま表情を強ばらせていたら、先日航空部の部室で見捨てた三組の生徒が神島先輩ががっちりと腕をロックされているのを目にした。その生徒は諦めきった表情で連行されていった。
「対抗戦の前に手の内を明かしてくれるとは、助かる」
篠ノ之さんが柔らかい声で言って、携帯端末を取り出して新聞部主催の対戦表を表示させた。対戦者が選択した装備について直前まで情報が開示されない仕掛けであり、観覧席からの情報提供を防止する意図があった。
「
と篠ノ之さんが含んだ笑みを浮かべた。牙を研いだ獣のように見え、真剣味を帯びた表情にぞっとした。
篠ノ之さんの口から私の名が飛び出した。はい、と返事をした。
「データ入手の準備はできているか?」
「回収班と航空部からデータを分けてもらう約束を取り付けてますよー」
「相変わらず仕事が早いな」
「そりゃあ、篠ノ之さんとセシリアさんたってのお願いですから。怪人にだって頭下げますよう」
私はしまりのない笑顔で答え、篠ノ之さんを目をじっとのぞき込んだ。
二組のデータ収集はもともとセシリア嬢が言い出したことで、私に目をつけていた篠ノ之さんが先輩方にデータ提供を頼んでくれないか、とお願いされていた。私はすぐさま姉崎に連絡を取って篠ノ之さんの意向を伝えると、データ提供を快諾してくれた。もちろんタダではなく篠ノ之さんの写真を新たに数枚提供した成果だった。だから口が裂けても取引材料のことは表に出してはならなかった。
篠ノ之さんは私の猫なで声を聞いて眉根をひそめた。
「と言っても、データ自体は学内ネットワークから取得できるんですよ。シミュレータを使えばローポリ映像で試合経過を再現できます」
「鷹月ー。いいとこ持ってかないでよー」
私が頬をふくらませて顔を近づける。鷹月の目が笑った。
▽
遅れてやってきたセシリア嬢に、私は満面の笑みを向けて立ち上がった。やや遅れて鷹月も席を立った。
はじめから織斑の横はセシリア嬢に譲るつもりでいた。セシリア嬢の隣に子犬ちゃんが座るから、奥に向かってちょうど二つずれた形になる。ちなみに
私の意図に気づいたセシリア嬢は優雅な振る舞いで、ありがとう、と告げ、柔らかい笑みを浮かべながら織斑の隣に座った。そして子犬ちゃんがセシリア嬢の隣にくっついた。
最近のセシリア嬢はウェルキン先輩に入れ知恵されたのか、気取らず、しとやかで上品な雰囲気を醸し出すように努力していた。すぐかっとなるところを注意されたらしい。ウェルキン先輩が男の落とし方までレクチャーしているらしく、ときどき姉崎や五郎丸さんを講師に招いていると聞いて、セシリア嬢が危ない方向に歪まないか心配になった。
「まだ大丈夫ですか?」
セシリア嬢が少し慌てた様子で織斑の方を向いた。
「まだだ」
織斑の言葉に、セシリア嬢はほっと胸をなで下ろした。ずいぶん長くウェルキン先輩と話し込んでいたので、既に始まっているものと気が急いたらしい。篠ノ之さんが携帯端末を触って天候の概況を読んでいる。空は青く、大陸から前線が降りてきているとはいえ、急変するにはほど遠い。
「登録武器のデータ来てるよ」
と鷹月が言った。彼女の携帯端末に映し出された対戦表には、しのぎんと凰さんの機体データ、そして登録武器の名前が書かれていた。
「どんな
織斑が興味津々な様子で篠ノ之さんの手元をのぞき込んでいる。セシリア嬢は気安い様子の織斑に見えないようにむっと頬をふくらませていた。
私は鷹月の手元をのぞき込んだ。しのぎんの打鉄の装備は次の通りだった。槍、アサルトライフルならびに
「出てきましたわ」
セシリア嬢の声と重なるようにして観覧席が騒がしくなった。私は視野の上部に映りこんでいたモニターを見やると、見慣れた灰色の甲冑が目に入った。
「剣は使わないんだな」
篠ノ之さんが寂しそうに言った。剣術をたしなむだけあって人一番剣に思い入れがあるのだろう。しのぎんは打鉄の標準装備である刀型近接ブレードの代わりに槍を選んでいた。
「なあ。小柄の打鉄っていつも箒が使ってるのと微妙に違わないか?」
織斑はモニターの拡大映像を見つめて、篠ノ之さんの肩をたたいてから画面を指さした。
そう。腰部のハードポイントが増設されていた。おそらく整備科に頼んで取り付けてもらったのだろう。実体化した二本のショートナイフが腰に納まっていた。
「そのようだな。うむ。槍とナイフか」
篠ノ之さんが考え込むような素振りを見せた。するとセシリア嬢が声を上げた。銃剣に目をつけたらしい。
「銃剣っていつの時代……」
私がげんなりとした様子でつぶやくと、セシリア嬢が急に声の高さを変えた。目元に笑みをたたえて、優雅なしぐさで髪をいじった。
「あら、祖国も少し前まで白兵戦で銃剣を使っていましてよ」
英国はISが発表されてからも、時々紛争地帯で銃剣突撃を成功させていた。しかし現代戦では銃剣を使う場面が極めて少ないため、米国陸軍はとっくの昔に伝統的な銃剣術訓練を廃止している。
私はしのぎんが何かしらの格闘技の類をかじっていてもおかしくない、と考え直した。家族のほとんどが国防関係の仕事に就いているので護身術を習っているとあたりをつけた。
しのぎんはアリーナの真ん中に立って、手を閉じたり開いたり、腕を回したりしている。
観覧席が騒がしくなった。
「お出ましですわ」
「あれが、鈴……か」
「一夏さんは特によく見ておきなさいな。どちらが代表になっても対処できるようその動きを目に焼き付けなさい」
凰さんがピットから出てきた。紫と黒に彩られた第三世代機
逆に打鉄はしのぎんのしなやかな筋肉がアクセントになって、武骨さをより強調していた。
モニターにはグラウンドの中心で向かい合う二人の姿を映し出している。
凰さんは
▽
試合開始のブザー音が鳴り響くや、打鉄の膝関節が曲がり、刹那の時を経て脚部が爆発的な加速を生み出した。甲龍のハイパーセンサーは接近をとらえ、拳の距離に入り込まれる危険を感知した。凰さんはISコアによる回避運動の勧告を却下し、口元を
怖い。
攻撃性をむき出しにした二人が怖かった。
二人の意志で至近距離の格闘戦が成立していた。生身の人間くさい動きが、ISコアにより
攻撃半径が大きい双天牙月では矛先よりも内側に入り込まれているため、柄を二つに割って青竜刀として扱い、横薙ぎの一撃は風を生んだ。重く鈍い一撃は外れるが、即座に武器を引き寄せる。甲龍のハイパーセンサーは打鉄が個人の技量を引き出す最良の器であることを理解していた。それ故に脳髄に警告を発し、凰さんはそれに応えた。
打鉄の攻撃はためるように出だしが遅く、それでいて到達が早い。拳にぶれがなく意思伝達のプロセスをすべて省いているかのようだ。ISコアによって反応速度が増大していたとはいえ、打鉄の攻撃は人間に当たれば致死のそれだった。
拳を握る。決して振りかぶらない。コンマ数秒の動きがハイパーセンサーに検知され、意志決定の材料に使われる。だから腕は折りたたむ。視覚情報から攻撃の意図を寸前まで隠す。ナイフは肌に添え、白肌に赤い傷をつけることを意識した。シールドバリアによって阻まれるが、切り刻む姿を明確に想像できている。
ダメージ総量は小さい。しかし
チラと横に視線を向けると、篠ノ之さんが身を乗り出して目を輝かせていた。無手の間合いであり、地を
しのぎんの顔に余裕はなかった。派手さはないが、緊迫した攻防がきわどい動きを誘った。
打鉄が足を踏みかえた。甲龍がぬっとせり上がったように見えた。青竜刀を強く握り、間髪入れず打ち抜く。と思うと、次にその体が沈み込むように地面を走ってきた。打鉄のISコアがアラートを上げる。しのぎんの胴を襲ってきたのは鈍い色の刃だった。
打鉄が初めて右足を引いて、青竜刀をかわす。剣圧でシールドエネルギーが削り取られる。軸足だった左足を小さく前に出す。そして右足を強く踏み込むと同時に、ナイフを顔面に鋭く突きだした。凰さんの動きが一瞬止まって、すぐさま足を引いて間合いを外した。
「今の突きはわざとだな」
「ですわね」
篠ノ之さんとセシリア嬢がお互いにうなずき合った。織斑は顔をしかめている。
「えげつない。小柄のやつ、何の
ISは人間が動かしている。人体はシールドバリアで保護されているとはいえ、防衛本能による反射を抑制することは不可能だった。
凰さんは抗議の声を上げる暇がなかった。しのぎんが間合いを取らせなかった。思考を言語に組み替える余裕はなく、甲龍のISコアは胴体を狙う突きを感知し、主に向かって警告を発した。
これ以上の近接戦闘は危険と判断したのか、甲龍はスラスターを噴射して一気に後ろ上方へと飛んだ。一瞬遅れて打鉄も追った。地面を蹴り、スラスターを噴射して推力を得る。モニターに凰さんの顔が映り、口元に不敵な笑みを浮かべた。両肩の
大きな土煙を立てながら転がっていく打鉄を追い撃つべく、甲龍の肩部の球体がもう一度発光した。再び破裂音が聞こえた。直撃したらしく土煙がL字を描いた。
「なんだあれは」
観覧席上部に据え付けられたモニターを見ていた篠ノ之さんがおどろきの声を上げた。
「衝撃砲ですわね。空間自体に圧力をかけて砲身を生成。余剰で生じる衝撃そのものを砲弾化して撃ち出していますの」
「要するに空気砲か。ドカン! と言わないだけの」
セシリア嬢の答えを聞いて、あごに手を添えた織斑が言った。私も青狸が出てくる児童向けのアニメ映画で定番となったひみつ道具を想像していた。
「あなた方にはその例えの方がわかりやすかったですわね。あの空気砲はブルー・ティアーズと同じく第三世代型兵器ですわ」
甲龍の武器情報では龍咆と書かれていた。
▽
土煙が立とうがハイパーセンサーは正確に相手の位置をとらえていた。煙の中から姿を見せた瞬間を狙うべく、甲龍の両肩が発光した。と思いきや、スラスターを噴かして
煙の一部が盛り上がり、打鉄の
打鉄はアサルトライフルを手に持っていた。自動照準機を使い標的に向かって弾丸をばらまいた。自動照準機は目標の現在位置に向けて射撃が行われる。この性質を利用することでISコアは弾丸が撃ち出された直後、ハイパーセンサーが弾丸の種類と特性、初速、大気の状態を瞬時に検出し、演算器により弾道予測を算出する。可能な限り引き延ばされた思考は、極めて短時間に回避の判断を下した。単に自動照準機を利用するだけでは、相手に被弾を強いることは不可能だった。しのぎんは予測演算アルゴリズムの適切な切り替えに慣れていないらしく、
大火力を持たない打鉄は接近する以外に勝ち目はなかった。その事実を凰さんも認識していて、龍咆の連射性に富んだ低威力砲弾を使って進路妨害を積極的に行った。試合は凰さん優位に進み、だんだん一方的な内容に変わっていった。
龍咆には死角が存在しない。飛行中でも攻撃可能なため、ハイパーセンサーが相手の位置を検知している限り、どこに逃げようとも不可視の砲弾を放つことが可能だった。しのぎんは打つ手がなく、じわじわとなぶり殺しにされるのを待つだけだった。龍咆回避のため複雑な機動を描いているように見えて、無意識にワンパターンになりがちだった。被弾により打鉄が墜落し、地面を転がる展開がさらに二度続いた。
単調な試合展開に気が早い者は席を立った。
「あれ。小柄の動きがよくなってないか?」
アリーナに背を向けた上級生が横を通り過ぎる。そのとき
「ステータスモニターを見てくれ。シールドエネルギーの減少が止まった」
私は織斑に言われるままモニターを見上げる。表示された残シールドエネルギーは五〇%になっていた。破裂音が聞こえ、龍咆の高威力砲弾が撃ち出される。地面を揺らすだけで、金属の悲鳴は聞こえなくなっていた。
甲龍の肩が発光すると、バレルロールや急減速、急加速を織り交ぜた打鉄の数瞬前の位置に着弾する。まるで凰さんの予測した打鉄の軌道をしのぎんが読み切っているかのようだ。打鉄の手にはアサルトライフルが握られていなかった。代わりに槍が実体化していた。
「接近する気だ」
私は言った。同じことを他の生徒も口にしていた。階段を上った上級生が振り返った。
焦れる凰さんの顔と、凄絶に笑うしのぎんの顔がそれぞれモニターに映る。龍咆の砲弾を回避した際の動きがどんどん小さくなっていた。凰さんの攻撃パターンがしのぎんには見えているかのようだ。
「慣れたんだ」
私のつぶやきに、セシリア嬢が振り向いた。
「慣れたとは? 確かに、見違えるように動きが良くなりましたけど」
「しのぎんは物事の勘所をつかむのがうまいから。たぶん、凰さんの癖を覚えたんだと思う」
「癖ですって!」
私の予測にセシリア嬢が声を上げた。信じられないといった風情でバレルロールをしながら直進する打鉄へと視線をずらした。鷹月にどんな癖なのか、と聞かれて首を振った。
表情に気持ちの高ぶりが出やすいから、顔つきやしぐさを観察していたのかもしれない。試合までの七日間、しのぎんを支援するクラスメイトが凰さんの試合映像を分析し続けていたので、もしやと思った。
打鉄は槍をしっかりと抱え、弾丸のように高速で飛来した。体当たりするつもりなのか、自然としのぎんの口から気合いの叫びが漏れた。甲龍は回避行動を取るが、旋回半径が大きく、小回りの利く打鉄に回り込まれる。上向きに渦をえがいた機動は、はじめは甲龍が上の高度を保っていた。が、何度か旋回が続くうちに打鉄が甲龍の頭に覆いかぶさっていた。
スラスターから放出される推進エネルギーと大気がこすれ合ってけたたましい音が聞こえた。凰さんの耳をISコアから発せられた警告音が刺した。衝撃を警戒した。
「つかまえた!」
「何を」
しのぎんの鋭い声が聞こえ、つづいて鈍い金属を打ち合わせるような物音が場内スピーカーから響いた。
打鉄の手が紫色の腕装甲をつかむ。つかみながら逆落としをかけた。甲龍の体が地面を激しく打った。盛大な土煙が立ち上った。
打鉄はPICを使って衝撃を殺しながら付近に着地した。甲龍のシールドエネルギーが尽きていないことを承知していたのか、しのぎんが打鉄のスラスターを噴射して急接近した。
モニターには甲龍が移動した形跡はなく、地面に手をついて起き上がろうとしていた凰さんは脳髄を駆け巡るアラート音にはっとした。刹那の時間も意識を飛ばしてはいけなかった。
打鉄が踏み込んだ。立ち上がろうとする膝を立てた甲龍につま先が向けられ、爆発的な速度で腰のひねりが加えられ、脇を締めた両腕が伸びる。穂先が
不安定な背面をPICで制御し、完全倒れるのを防ぐ。
打鉄の腰が深く沈む。小幅に足を踏み出し、鋭く腕を引く。と思えば次の突きを放った。
凰さんは回避を選択しなかった。怒りをはらみながら照準を至近距離に迫った打鉄に向けた。肩が光った。破裂音が聞こえ甲高い金属的な音がした。つづいて鈍く激しい音がアリーナの壁から聞こえた。
左スラスターを急噴射させて緊急回避した打鉄が壁に衝突していた。槍の柄が途中からちぎれ飛び穂先が消えていた。
観覧席の視線が空中へと向けられた。モニターのカメラがそれをとらえ、私の目も自然と回転しながら宙を舞うそれを見つめた。折れた穂先が観覧席のシールドに衝突し、「キャアアア!」と観覧席から悲鳴が上がる。不快な反響を残して勢いよく跳ね、地面に突き刺さった。
▽
「……箒」
織斑が顔を横向けた。篠ノ之さんが唇の両端をつり上げ、胸に熱いものがこみ上げたのかうずうずしたように肩を揺らした。
名を呼ばれたことに気がつかないまま唇の形を変える。声に出すことなく、心に浮かんだ言葉を口にしているかに見えた。ふと鷹月が耳元に顔を近づけ、髪が触れたくすぐったさに篠ノ之さんから注意が逸れた。どうしたの、と声をかけると、鷹月がささやいた。「やりたい。戦いたいって」
篠ノ之さんを横目に忍び見る。ふたたび鷹月に戻し、おどろいた。
唇を読んでいた。さらに私の心まで読んだのかと思ってぎょっとしたら、鷹月がウインクしてアリーナへと目を戻した。
「小柄のシールドエネルギーは四〇%を切った。鈴は六〇%か」
織斑がステータスモニターを見上げて言った。セシリア嬢がうなった。
甲龍が高度を取り、よろめきながら体勢を立て直した打鉄に向けて龍咆を撃った。
「鈴さんは二度と格闘戦を許さないでしょうね」
セシリア嬢が冷静な声で、凰さんの気持ちを代弁した。踏み込みを意識した近接格闘の危険を認識したらしく、しのぎんを見る目は素人に向けるものではなかった。
アリーナへ視線を戻すとふたたび凰さんが試合の流れを牛耳っていた。
甲龍の動きが龍咆の特性である全方位攻撃を利用し、虚実を織り交ぜたものに変わった。位置を変える素振りを見せたと思いきや、連射性を高めた低威力砲弾で進路をふさぎ、スラスターの推力が変位したところに本命の高威力砲弾を撃ち込んだ。大気を擦過し、破裂音が聞こえて打鉄のシールドエネルギーが三〇%まで下がった。甲龍のISコアが衝撃で弾き飛ばされ地面を転がる打鉄の進路を計算し、姿勢制御の暇を与えないよう砲弾を撃つ。凰さんの視線は冷徹そのものだった。
砲弾が外れた。しのぎんは吹き飛びそうな意識をつなぎ止めながら、PICを利用して慣性を殺した。地面に向けてスラスターを噴射し、まっすぐ上に向かって飛んだ。
しのぎんの瞳に力があった。試合を諦めていない。
折れた槍を量子化し、入れ替わりに実体化したアサルトライフルには銃剣が取り付けられていた。しのぎんが射撃が下手なことは明らかで、当たらないと割り切ったのか弾丸の浪費を避けた。横ロールしながら飛んでいた。背を向けた凰さんを追撃する気持ちを見せた途端、甲龍の肩が光った。すんでの所で砲弾を避けたが距離を詰めるには至らない。
凰さんは無制限機動を利用した一撃離脱を選択していた。すべての動きが罠となり、攻撃の糸口となる。チャンスだと思わせる。勝利を意識させ、気が緩んだ瞬間にしのぎんの喉笛にかみついて肉を食いちぎる。観覧席で見ている私ですら冷や汗をかいた。気持ちを強く保たねば疲労感に飲み込まれる。
打鉄の旋回半径が小さくなった。増速し、低威力砲弾の中へ突っ込んだ。しのぎんの意図は追いすがって突くことだ。条件を成立させるためには格闘戦に持ち込むしかなかった。だが、どうやって条件を満たすのだろうか。旋回半径を小さくしながら接近する方法は警戒する凰さんの前では無意味だ。凰さん自身に格闘戦を繰り広げる意思がない。一撃離脱を図ってシールドエネルギーを削り、しのぎんの心が折れるのを待つ算段だ。
わっと会場が騒然となった。しのぎんが手札を切った。
織斑が身を乗り出した。
「
誰かが言うのを耳にした。「スラスターから放出されたエネルギーを一度内部に取り込み、圧縮して再度放出する技ですわ。放出の際に得られた慣性エネルギーを利用して爆発的に加速しますの」とセシリア嬢がすかさず解説した。
凰さんの視野にアラートメッセージが表示される。一瞬のうちに目が見開かれ、弾丸と化した打鉄に対し、反射的に体をひねって回転した。身一つずらして腕の装甲が打鉄の袖をこすり上げる間、凰さんは瞬きすらしない。口の端をつり上げ凄絶な笑顔を浮かべ、超至近距離から龍咆の高威力砲弾を撃ち込んだ。打鉄の右脚を覆う
しのぎんは追撃を警戒してPICを使って転がる向きを変える。案の定、破裂音がして本来の進路だった地面がえぐれた。
私はステータスモニターを見た。打鉄のシールドエネルギーは残り一五%まで落ち込んでいた。甲龍も無傷とはいかなったらしく先ほどよりもシールドエネルギーが微減している。
「小柄はまだ諦めていないぞ」
と篠ノ之さんが言った。その目は回避を続ける打鉄へと向けられていた。
しのぎんの打鉄は傷だらけだった。甲龍を追うべく空に上った。
打鉄の頭を押さえるべく、甲龍が高速で飛来した。龍咆の高威力砲弾を撃ち込んで、さっと駆け抜けた。しのぎんは瞬時加速を緊急回避に利用したが、左右非対称となった装甲によって生み出された空気抵抗によって姿勢が崩れた。思いもよらぬ方向へ曲がった。結果的にそれが正しかった。
しのぎんが本来指向した位置に砲弾が通過した。大気が歪んだ。しのぎんの体におののくような緊張が残った。気を引き締め、口を真一文字に引き結んだ。
甲龍が位置を変えた。打鉄よりも高度を取り、逆落としを仕掛ける。双天牙月を構え、殺到した甲龍が低威力砲弾を連射し、打鉄が上に逃げるのを許さなかった。そのため高度を落として逃げるしかない。だが、凰さんはその動きを読み切っている。瞬時加速による緊急回避ですら考慮に入れた捕食者の顔になっていた。
打鉄は背面に向かって飛行しながらアサルトライフルの弾丸をばらまいた。甲龍が勢いを殺すことなくバレルロールした。目標を見失った弾丸は大気を切り裂いたに過ぎなかった。逆に低威力砲弾が打鉄のシールドエネルギーを削った。残り一桁になった。
甲龍が追う。このまま勝負が決まるのか、それともしのぎんが状況打開の秘策を見せるのか。観覧席は静まりかえった。
打鉄の左スラスターが一瞬噴射した。それに合わせて甲龍の体が流れる。だが、すぐに右スラスターを噴射し左四五度斜め上方へロールしながらせり上がる。彼我の高さが逆転した。打鉄が眼下の甲龍に銃剣の切っ先を向け、失速した勢いを瞬時加速で補った。目にもとまらぬ速さで刃が殺到する。つぎに灰色の体が凰さんの視野いっぱいにせまったと思った瞬間に、体を反転し勢いづいた双天牙月で斬りさげた。肩が光る。落下する打鉄に高威力砲弾が撃ち込まれた。
試合終了のブザー音が鳴り響いた。推力を失った打鉄が地面にたたきつけられた。ステータスモニターが赤く染まっていた。
「小柄機