少女Aの憂鬱   作:王子の犬

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★12 くすぶる火種

 とにかく迅速丁寧な対応だった。

 先日苦情を入れたISスーツの開発元から二着目を発送したというメールが届いたのはちょうど三営業日目、つまり水曜日のことである。予期していたのではないか、と勘ぐりたくなるほど早かった。ナノマシンを利用していることから二、三日で新規製造するのは無理があるのではないか、と考えていたのであらかじめ段階的に感度を調整したものを複数種類作り置いていたのではないだろうか。製造工程などの詳しい内容は知らなかったので想像することしかできなかった。

 そして木曜日の放課後には荷物を一時預かりしていた職員から段ボール箱を受け取っていた。

 新しいISスーツが手に入ったというのに私の心は晴れなかった。運送会社の伝票の隣に貼り付けられたビニールを破ると文書が添付されていて、その中には謝辞とレポートのお礼が(したた)められていた。

 

「デザインの改善につきましては今後の課題とさせて頂きます、か」

 

 対応が早いのは好印象だけれど、当然ながらデザインの変更は行われなかった。感度三〇%アップなどという落ちはもうない、と断言したくても心配でたまらなかった。とりあえず部屋で身に着けてみて、(ケイ)や鷹月あたりに検証の手伝いを頼むべきだろう。

 私は憂鬱な表情を浮かべたまま、段ボール箱を見つめて猫背気味に元気なく歩いていたら突然声をかけられた。

 名前を呼ばれたので顔を上げると織斑が立っていた。

 

「どうしたんだよ。元気ないぞ」

「織斑……」

 

 私は気の抜けた声で返事をしていた。織斑は気さくな笑顔で、段ボール箱を見つめていた。

 

「その段ボールって?」

 

 私はいくつかの回答を頭に思い浮かべ、当たり障りのないものを選んだ。

 

「ISスーツ」

「へえ。どこのメーカーなんだよ」

 

 興味があったのか食いついてきたので、歩兵用パワードスーツのところ、と答えた。最近知ったのだけれど歩兵用だけでなく医療用も手がけているそうだが、一般にはあまり知られていなかった。

 

「ああ、あそこね」

 

 織斑は納得したらしい。

 

「メーカーに直接依頼してたんだけど、実習のスタートには間に合わなかったんだよね」

「あれ?」

 

 私の説明に織斑は首をかしげた。彼が疑問に思うのは当然のことで、私は仕方なく例のISスーツを着用して実習を受けていたからだ。

 

「実習で薄いウェットスーツみたいなのを着てなかったか」

「ちょっとした不具合があって、今日新しいの届いたんだよ」

 

 そう。実はちょっとしたどころの不具合ではなかったけれど、事情を知らない人に説明するにはこれぐらいのニュアンスにしておいた方が何かと都合がよかった。

 

「そういうことか」

 

 ふと私は例のISスーツを男性が着用したらどのような事が起こるのか試してみたくなった。男性も感度アップするのではないか。下衆な考えだけれど私や子犬ちゃんと同じような受難に遭うのではないだろうか。実際の光景を思い浮かべてみたところ、織斑の視線を意識してしまい、歪んだ想念と一緒に頭から振り払おうと努めながらも、後で質問のメールを送っておこうと心に誓っていた。

 

「あのさ」

「……なあに?」

 

 織斑の声に気付くのが少し遅れた。私は織斑を使った下衆な妄想に浸っていたことを悟られまい、と少し慌てたように愛想笑いを浮かべた。

 

「小柄と更識さんってISに乗ったらどんな感じか、気付いたことでいいから教えてくれないか」

「まあ、いいけど」

 

 私が二つ返事で了承すると、織斑は顔を明るくして笑った。なんだかんだ言って私はしのぎんと更識さんと一緒にいる時間が長いので、接点が少ない織斑が二人の事を聞くのは自然な発想だった。

 

「助かる」

 

 織斑の答えを待って、私は以前セシリア嬢とダリルさんに言われて見た更識さんの試合映像を思い浮かべた。小銃を使った高機動戦や近接武器を使った速攻、弾幕戦などと、あらゆる距離をこなすオールラウンダーという印象を持った。織斑には普段の更識さんを基準に考えて欲しくなかった。

 

「そうだね。更識さんは試合だと性格が変わるね。ほんと別人」

「……信じられないな」

 

 いぶかしむ声音だったが、私はその根拠の在処(ありか)を提示した。

 

「嘘か本当かは織斑が自分で確かめるといいよ。学内ネットワークに過去の試合映像のアーカイブがあるから、後でそのURLを送ってあげる」

「サンキュ」

 

 しのぎんについては先日聞いた話を伝えておくことにした。

 

「あとはしのぎんだけど、この前見たと思うけど……」

「ムーンサルト……だったな」

 

 月面宙返り、国内では通称ムーンサルト、正式な技名はツカハラである。

 私は織斑に耳打ちしようと近づいてみたけれど、段ボール箱が邪魔だったのでそれ以上接近することを諦めた。

 

「この前、しのぎんと一緒に回収班の試乗会に行ってきたんだけどさ。これ、先輩の受け売りなんだけど、しのぎんは物事の勘所をつかむのがものすごく上手なんだって」

 

 彼女はISに乗るために生まれてきたような人間だ。先日まで私と同程度の実力だと高をくくっていたけれど、今はしのぎんに対して楽観や油断を見せるつもりはなかった。織斑は私の言葉を吟味するようにゆっくりと口を開いた。

 

「勘所ってことは、つまりコツだよな」

「そ。コツをつかむのがものすごく早いんだよ。成長速度が速いって言い換えて良いと思う」

 

 しのぎんについては昨日の情報が過去のものになりかねなかった。先日まで素人だった彼女が情報の海を器用に泳いでいく姿はもはや化け物じみていた。私の真剣な様子に冗談ではないことを察した織斑はうなっていた。

 

「マジかよ……」

 

 織斑のために、学食デザート半年フリーパスのためにも油断して欲しくなかった。

 

「うかうかしてると喰われるかもよ」

「わかった。肝に銘じておくわ」

 

 織斑が気を引き締めたところで、そろそろ退散することにした。

 

「んじゃ。また明日」

「引き留めちゃって悪かったな」

「気にしてないよー」

 

 私はひらひらと片手を上げて自室へと歩を進めていた。

 

 

 金曜日の昼食後。セシリア嬢を恋愛談義に誘い、織斑をダシにして散々からかっていたところ、運動部組と一緒にいたはずの相川が私を呼んだ。

 

「えーちゃん。廊下で先輩が呼んでるよ」

「いまいくー」

 

 私はすぐ返事をして席を立った。誰が来たのか、と首をひねりながら該当しそうな人物の姿を思い浮かべた。

 

「姉崎先輩なら黄色い声が聞こえてくるはずなんだけど……」

 

 一番可能性の高い人物を想像した。しかし姉崎は用事があったら電話を掛けてくるか、一年の教室に顔を出したならばより騒然として(しか)るべきだった。出入り口のすぐ側に立っていた相川に声をかけると、彼女は腕組みしながら廊下の壁にもたれかかっている少女を指さして、

 

「ケーキよろしく」

 

 と言い残して去っていった。どうして私がケーキをおごる前提で話を進めているのだろうか。篠ノ之さんに声をかける相川の背中を見つめて、セシリア嬢か子犬ちゃんあたりに頼んでみようと宿題にすることにした。

 釈然としないものを感じながら廊下に視線を戻した。

 

「……えーと」

 

 目の前にIS学園の制服を羽織った幼児体型の中学生がいた。馬子にも衣装という言葉が思い浮かんだが、口にするのは思いとどまった。一応黄色いリボンをつけているので上級生だと判別できるけれど、身にまとっている雰囲気がこの上なく陰気だった。

 この人は顔こそ可愛いのに、どうしてこう不気味な雰囲気を醸し出すのだろうか。

 

「よう。立ち話も何だからあっち行こうか」

 

 岩崎は私の顔を見るなり顎をしゃくった。有無を言わさぬ雰囲気にあてられて後についていくと、ずかずかと廊下突き当たりの機材室へ入っていった。先客を見つけて岩崎が天使のような笑顔を浮かべて二言三言を交わしたら席を譲ってどこかに行ってしまった。

 

「……岩崎先輩」

 

 私は岩崎の好意に甘えつつ席に着いた。岩崎は両肘を机に立てて含み笑いを隠すように手を組み、前傾姿勢になった。悪戯っぽい笑みを浮かべて、

 

乙子(おとこ)さんと呼んでも良いんだぞ」

「いえ、先輩はきちんと立てないといけないので……このままにします」

 

 などと言うものだから丁重にお断りした。乙子さん、なんて話をしようものなら確実に同類と思われるので薔薇色の学園生活をこれ以上胡乱な状態にしないためにもこれだけは譲れなかった。

 

「ところで、新しいISスーツは届いたかい」

 

 私は驚いて息を呑んだ。目を丸くしていると岩崎がにやにや笑っていた。

 

「何で知ってるんですか」

「うちが出資している会社だ。問い合わせすれば一発でわかる」

 

 行動力がありすぎだろう。岩崎の出自を隠そうともしない発言を聞き流しつつ、心に(よろい)を着込むことでどんな発言を来ても良いように身構える。

 

「ところで私に用事があるんですよね」

「あの会社から私宛にある物資が届いたんだ」

 

 IS学園関係者にモニター調査でも行っているのだろうか。岩崎は続けた。

 

「ISスーツのオプションパーツとしてアタッチメントを作ってみたそうだ。ぜひ使ってみないか」

 

 私は笑顔で即答した。

 

「先輩に譲りますよ」

 

 岩崎はにっこりと外向きの顔を作ったのだけれど、私にはその表情や仕草が余計に不気味に思えてならなかった。

 

「いやいやこれでも多忙な身でね。なあに使わなくてもいいんだよ。受け取ってさえくれたらそれで」

「悪い予感しかしないんですが」

 

 決して首を縦に振ってはいけなかった。強欲な岩崎が他人に押しつけようとするくらい、ヤバイ代物だと直感が告げていた。

 私は名案が浮かんだので手を打って提案を試みた。

 

「そうだ。更識さんにあげたらいいじゃないですか」

 

 先輩から後輩にプレゼントしてあげたらいいと考えた。美しい師弟愛ではなかろうか。岩崎はため息をつき、視線を逸らした。

 

「その案も検討してみたのだが、実行に移すとまた階段から突き落とされる予感がしてね。臨死体験を繰り返すのはさすがにこりごりなんだ」

 

 生徒会長に階段から突き落とされたのを未だに根に持ってるのでは、と思ったけれど顔に出したら人生が終わりそうな気がしたので仏頂面で押し通した。

 

「……何も突っ込みませんよ」

 

 岩崎は頬杖をついて私の目を見るなり、再びにやけ面になってこう言った。

 

「賢明だな。君から篠ノ之に渡して更識にプレゼントするように(そそのか)してやると面白いことになりそうなんだが」

「……絶対突っ込まないぞう」

「出所がばれたら臨死体験か。君が更識に使えば晴れて矛先は君に向けられるから、私としては万々歳(ばんばんざい)だな」

「……ううう。胃が痛いよう」

 

 私が共犯または主犯になることを前提で話すものだから、口を挟みたくて(はや)る心をあえて抑えなければならなかった。既に生徒会長に目をつけられている身としては、要注意人物として悪目立ちするのは避けたかった。

 岩崎は真顔になって口を開いた。

 

「まだアタッチメントがどんなものか説明していない」

「どうせろくなものじゃないんでしょう?」

 

 恐る恐るそう聞くと、それまでの妖しげで陰鬱な雰囲気が跡形(あとかた)もなく消えてなくなり、(またた)く間に純粋無垢な笑みにすり替わっていた。私の薄汚れた心を浄化するような天使の笑みだった。

 

「もちろん。とりあえず放課後になったら部室に寄ってほしいな。受け取り拒否は認めないからな」

 

 再び天使は鳴りを潜めて悪魔のほほえみを浮かべて、ククク、と気味の悪い笑い声を漏らした。

 逃げられないと思って、私は観念した。

 

「……わかりました」

「じゃあ放課後にまた会おう」

 

 岩崎は席を立って鼻歌交じりに部屋を出て行った。残された私は心が折れる音を耳にしながら頭を抱えていた。

 

 

 IS理論の教科書をカバンに押し込んで、今晩開催予定のクラス代表就任パーティーのことを思い浮かべて現実逃避していると、私の携帯端末が振動した。

 画面には「放課後、航空部部室 重要!」とゴシック体で記入されていた。私は思いきり顔をしかめると、(ケイ)を呼んだ。

 すると教室から出て行こうとしていた(ケイ)が踵を返した。彼女が目の前に来ると私は拝むように手を合わせた。

 

「ごめん。先輩に呼び出し食らってた」

 

 (ケイ)は唇に人差し指を当てた。

 

「先輩かー。それなら仕方ないね。遅れるって鷹月さんに言っておくよ」

「恩に着る。できるだけ早く戻って準備を手伝うようにするからさ」

 

 私の言葉に(ケイ)はにっこり笑った。

 

「いいって。ついでにカバン持って帰ろっか?」

「……じゃあ甘えるね。あ、教科書入ってるから重いよ」

「これぐらい楽勝だよ。先輩待たせるといけないからすぐ行ってきなよ」

 

 私はありがとう、と言ってカバンを預けて席を立った。そのまま第六アリーナへの道を急いだ。

 第六アリーナ第三IS格納庫、つまり航空部部室にして変態どもの魔窟とも言う。その入り口である青い鉄扉を前にして私は立ち尽くしていた。この場所はキャノンボール・ファストに使われるようなだだっ広いアリーナの特に奥まった場所にあって、他の部室棟と比べて規格外の広さだった。早めに切り上げて(ケイ)たちの手伝いをしよう、と念じてから鉄扉を押し開ける。重厚な音が格納庫に響き渡り、中の部員に客が来たことを教えていた。

 私は鉄扉をそっと閉じてIS格納庫に足を踏み入れた。案の定薄暗くて不気味で鉄の臭いがした。奥を見やるとレストアされた五式戦がひっそりと翼を広げ、すぐ側には玉座の王がライトアップされていた。王は首を傾け顔の骨格を露わにしながら虚ろな瞳で私を見下ろしている。王の体にまとわりついた十本以上の機械腕がうごめき、メタリックカラーの鎧の奥から傷跡のような無数の赤い光が漏れていた。

 私が光源を頼りに歩くと、骸骨のような顔が歩みに合わせてわずかに動いたことに気づいて、不意にわき起こった恐怖の感情に必死に(あらが)った。足元までたどり着いてほっと息をついたものの、今度は怪人の相手をしなければならないと気を引き締めた。

 目の前には岩崎と更識さんが投影キーボードの前で肩を寄せ合っていた。神島先輩の姿が見えないので、五式戦を振り返ったら、ときどき大浴場で見かける三組の生徒が神島先輩ともう一人の先輩に両脇を固められ、両肩をがっちり(つか)まれて今にも泣きそうな顔で助けを求めていた。

 彼女がなぜ魔窟に足を踏み入れてしまったか問いただしたい欲求に駆られたけれど、うかつに話を聞くと彼女の二の舞になりかねなかった。私は心を鬼にしてその生徒をあえて無視して、岩崎に声をかけた。

 

「先輩」

 

 声に気付いた岩崎と更識さんが私を顧みた。

 

「来たな」

 

 岩崎は相変わらず、ククク、とのどを鳴らすような不気味な笑い方をした。その横で更識さんが軽くお辞儀をしたので、私もつられて頭を下げた。

 二人を囲むように十六画面以上の投影モニターが浮かび上がっていた。半分はグラフで埋まっており、もう半分はコードエディタと思しき画面に英数字が踊っていた。常人を超える情報処理能力を有した二人はお互いに目配せすると、更識さんが立ち上がって岩崎の椅子の下から段ボール箱を取り出し、目前の丸机に置いた。

 段ボール箱の模様が昨日私宛に送られてきたものと瓜二つだった。念のため運送会社の送り状を確かめると、やはり発送元は同じ会社で同じ部署名だった。

 

「……ほんとだ。送り主が一緒だ」

 

 私は観念しながらつぶやいた。更識さんがきょとんとした様子でがっくりと肩を落とした私を見つめた。

 

「中身を見てみるといい」

 

 岩崎が顎をしゃくりながら華奢(きゃしゃ)な足を組み直した。

 私はできることなら中身を見ることなく、発送元に送り返したいと考えていた。しかし、岩崎の無言の圧力と背後から念仏のように聞こえてくる熱の入ったエンジン談義、そして更識さんの純粋な好奇心に満ちた視線を受けて、緊張で手を震わせながら半開きになった段ボール箱に手をかけていた。

 

「うっ」

 

 ビニール袋に密封されていたそれを見て、思わずうなってしまった。

 

「……これは、アウトですね」

 

 他に言葉が見つからなかった。更識さんには見せられなかった。少なくとも私をはじめとした薄汚れた心の持ち主ならいざ知らず、旧家のお嬢様に見せられるものではなかった。岩崎も更識さんほど古くはないとはいえ名家の出だけれど、どちらかといえば経済マフィアに通ずる人種なので最初から除外していた。

 

「先輩が扱いに困った理由がわかりました。受け取るのは嫌ですが」

 

 私の部屋に永久封印するのは危険すぎると直感が告げていた。(ケイ)に見つかったらただでさえ私の株が落ち気味なのに、余計に急落してしまうのは間違いなかった。

 

「拒否権はないよ」

 

 岩崎が冷たく言い放ったので、折衷案の提案を試みた。

 

「これ、送り返すとかできないんですか」

「担当者に聞いたら、差し上げます。ぜひ使用レポートを書いて送ってください。と言って押し切られた。あの担当者はできるな」

 

 あはは、と軽く笑ってみせる岩崎。諦観の念をにじませた表情から押し問答に敗北したと見て取れた。彼女は胸の前で腕を組みながら更識さんを見つめて目を細めた。

 

「私としては使ってみたい相手がいるんだが、実行すると臨死体験で済まなくなる」

「あの……何回臨死体験したんですか」

「小学校の時に一回。三ヶ月休学したよ。中学の時はちょっとした手違いで二回頭を打った」

 

 受け身を取る暇はなかったよ、と懐かしそうに物騒なことを口にした。

 

「どんだけ……」

「だから君の部屋で永久封印して欲しい」

 

 岩崎の口ぶりからして相手は一人なのだけれど、口に出すのもはばかられる人物であり、うっかり漏らそうものならば私の学園生活が終わるので意志の力で耐えきった。

 

「……これ……なに?」

 

 ずっと不思議そうに段ボール箱の中身を見つめていた更識さんが私と岩崎を交互に見やってからそう口にした。岩崎は慈愛に満ちた表情で更識さんの頭をなでると、

 

「知るのは十六歳になってからでも遅くはない。どうしても知りたかったら布仏(のほとけ)姉妹か五郎丸(ごろうまる)に聞きなさい」

「……そうする」

「よろしい」

 

 岩崎は完全に更識さんを手懐(てなず)けているように見え、今回は岩崎の判断が正しいと思えた。こんな扱いに困るものを寮生活の高校生に送るとか罰ゲームにも程がある。

 ふと私は聞き慣れない名前が出てきたことに気づいて、それとなく聞いてみることにした。

 

「五郎丸って?」

「学内ネットワークの管理者の一人だよ。姉崎の従姉(いとこ)なんだが、女のくせにエロ小説を集めててな」

「ああ変態なんですね」

 

 私はその説明で納得した。姉崎の親類縁者は姿形に優れていても中身が残念だという印象を持っており、私の直感は正しかったことになる。

 

「さて、君はこの段ボールを持って帰りなさい」

「拒否権を行使します」

「その権利は認めない。持って帰ってくれたらいろいろ優遇してやるよ」

 

 邪悪な牙をむき出しにして取引を持ちかけてきた。

 

「買収するつもりですか」

 

 私の声が険しくなり、身構えるのを感じ取った岩崎は、ヒヒヒ、と嫌らしい笑みを漏らした。

 

「良い取引だと思うが?」

「ううう」

 

 条件こそ提示されていないけれど、岩崎のことだからとんでもないサプライズを仕掛けてくるのではないかと私の心は(おど)った。しかし、それでは餌につられて集まってくる池の(こい)と同じではないか。

 

「更識を紹介してくれた恩を感じてるんだ」

 

 椅子から立ち上がり私の横に立つと、肩に手を回して顔を近づけてきた。

 

「ぐ、具体的な取引条件を示して欲しいです」

 

 岩崎の慇懃(いんぎん)な笑みにたじたじとなった。体を密着させてきたけれど、全く起伏がない体つきに何の感動も覚えなかった。

 

「倉持技研の工場見学ツアーとかどうだい?」

「え?」

 

 てっきり怪しげな集会に連れて行かれるかと思えば、真っ当な名前が出てきてびっくりしていた。まだ四菱なら納得できるのだけれど、なぜ敵対企業である倉持技研の名が出てくるのかが不思議だった。

 岩崎は鳩が豆鉄砲をくらったような顔つきの私を見て諭すように告げた。

 

「今度の夏休みに入ってすぐに株主向けの見学会があるんだよ。うちには株主が二人いてね」

 

 すると岩崎と一緒に更識さんが手を挙げた。

 

「更識さんも?」

「……そう……お小遣いで……」

 

 案外しっかりしていたので驚いた。倉持技研の株はお小遣いで買える程度の価格なのだろうか。更識さんのお小遣いの金額が知りたくなった。しかし一介の小市民である私は規模の大きい話になる予感がして気後れしてしまい、かろうじて相づちを打つことしかできなかった。

 

「へ、へえ」

「……一緒に行く?」

 

 更識さんが小首をかしげて私を誘ってきた。私は一旦彼女から目をそらして、したり顔でいる岩崎を見やった。

 

「ひ、卑怯(ひきょう)な手を……」

 

 岩崎は不敵な笑みを漏らし、私の心に揺さぶりをかけてきた。もう一度更識さんを一瞥(いちべつ)すると、私と岩崎のやりとりを見守っているように思えた。もはや私に退路は残されていなかった。

 

「……友だちを誘っても大丈夫ですか」

「数名なら話を通しておこう。クラス対抗戦の前後までに教えてくれると調整しやすいかな」

 

 こうして私は膝を屈し岩崎の軍門に下った。岩崎の手の平で好き勝手に転がされただけだった。

 

「この段ボール箱、持って帰ります」

「よろしく頼む」

 

 段ボール箱を抱えて出口に向かって歩き出すと、三組の生徒が神島先輩たちに言いくるめられて入部届に判子を押していた。彼女を見捨てたことを心苦しく思いつつ、鉄扉まで歩いていくと更識さんが自転車を押しながら後を付けていることに気づいた。片手でハンドルを支えながら鉄扉を開けようとしたので、脇にずれて先に更識さんを通した。

 

「更識さん、その自転車……」

「お使い頼まれた……第一アリーナのロケット研に……だから今日は直帰」

 

 ポケットからメモを取り出して私に手渡した。部品の型番らしき英数字の走り書きの後に岩崎の判子が押されていた。メモを返しながら自転車を見ると、前かごに入ったカバンと銀色のフレームにマジックで「一号・航空部備品」と書かれているのが目に入った。

 

「第一アリーナまで遠いからね。そっか。だから自転車か」

「本当はもっと楽な移動手段があるんだけど……三号はまだ慣れてなくて……」

 

 三号とはつまり、他にも備品があるということか。更識さんの口ぶりからして自転車でないのは明らかだった。

 更識さんが目礼をすると、第一アリーナへの近道であるスロープを下っていった。

 

 

 第六アリーナから連絡通路に出ると、(ケイ)としのぎんの姿があった。(ケイ)に準備の状況を聞くとどうやら終わってしまったらしい。手持ちぶさたなので私を迎えに来たと話していた。

 しのぎんはと言えば、先ほどまで少し離れたところでノート型端末を抱えた生徒と話をしていた。「悪い。待たせた」と愛想笑いを浮かべて私たちの側に寄ると、彼女の髪は少し濡れていることに気がついた。アリーナの更衣室でシャワーを浴びてきたらしい。

 私は二人が歩き出したのを見て、段ボール箱を抱えたままため息をついた。

 

「はあ」

 

 厄介な先輩に厄介な物を押しつけられて、とにかく段ボール箱の中身だけは死守せねばならなかった。そんな私の憂鬱を知らない二人は心配そうに話しかけてきた。

 

「えーちゃん、ためいき? これからパーティーなのに」

「幸せ逃げちゃうぞ」

 

 二人の声音から励まそうとしているのがわかった。その心遣いに感謝しながらも、腕の中の段ボール箱の感触にうれしさも半減してしまった。

 

「いや、もう逃げ出してる」

 

 遠い目をした私を見て、しのぎんがKに小声で話を振った。

 

「えーちゃんどうしちゃったの」

「先輩の呼び出しから戻ってきてからずっとこうなんだよ」

「先輩か……もしかして姉崎先輩?」

 

 (ケイ)が首を振った。姉崎が相手ならどんなによかったことだろうか、と思った私はつい口を挟んでいた。

 

「更識さんとこの部活だよ……」

 

 更識さんが航空部に所属していることは周知の事実なので、あえて名前を口にする必要はなかった。

 

「聞こえちゃったか。ごめん」

 

 しのぎんが罰が悪そうに頬をかいた。

 

「更識さんとこって、航空部じゃんか。やばくない?」

「へっ。今日、部員が一人増えたよ」

 

 魔窟だから入ったが最後、勧誘(洗脳)されて悪魔に魂を渡してしまう。あの三組の生徒はなぜあんなところにいたのかが大きな疑問だった。

 

「……そうだ!」

「えーちゃん?」

 

 私は思い出したように大声を上げた。突然生気が戻った声に驚いた二人がじっと見つめてきた。

 

「二人は夏休みに入ってすぐもう予定とか家の都合とかあったりする?」

「いやないけど」

 

 しのぎんが即答した。続いて(ケイ)が記憶の引き出しを漁っていたのか、少し遅れて答えた。

 

「帰省するよ。でも、日程を教えてくれたら調整できるかも」

 

 しのぎんが首をかしげながら私の真正面に回り込んだ。

 

「で、どうした?」

 

 私は航空部の部室で岩崎と話したことを思い出しながら、落ち着いて話した。

 

「詳細は追って伝えるけど、夏休みに入ったらすぐ倉持技研の工場見学ツアーに行くことになりました」

「へ?」

「えーちゃん、どうしたの」

 

 しのぎんと(ケイ)は要領を得ない様子だった。私はなけなしの元気を使い果たしたのか、疲れた面持ちで口を開いた。

 

「更識さん……に誘われたんだよ。一緒に行きたいなーって思って」

 

 かすかな声でこっそり岩崎の名を付け加えた。(ケイ)が私が口ごもった部分を耳敏く拾って首をかしげた。

 

「途中ちょっと聞こえなかったような……」

 

 全部は聞こえなかったらしい。私はほっとしながら二人の答えを待った。

 

「うーん。やっぱり日程次第かなあ」

「私はおっけーだぜ。家にいてもやることないし。今年は母さんが海に出ちゃってて男所帯でむさいし」

 

 さすがに(ケイ)は留学生なので飛行機の予約が絡むこともあって、即断を避けた様子だった。逆にしのぎんは快諾していた。

 (ケイ)は、頭の後ろで両手を組んで私の隣に移動したしのぎんの顔をのぞきこんだ。

 

「しのぎん。お母さんが船乗り?」

「ああ(ケイ)には言ってなかったっけ。うち、母親が海自で船長やってんのよ。父親は海保の内勤なんだけどねー。ついでにおじさんが北海道で戦車乗ってて、従兄弟は空自で飛行機をいじって、もう一人は農林水産省で漁業取締船に乗ってる。今頃小笠原諸島沖にいるはずだよ」

 

 小柄家は家族全員が公務員だった。(ケイ)がさらに話しかける。

 

「しのぎんちって軍人の家系?」

「まあ一応。祖父が海軍で鈍亀乗りだからね。祖父のお兄さんは陸軍だったけど満州でソ連と戦って死んじゃった。……ずっと気になってたんだけど、その段ボール何?」

 

 とっさに私はしのぎんから目をそらしていた。

 

「……聞かないでください」

 

 あからさまに不審な様子を見せたものだから、二人が悪戯っぽい顔つきになってしげしげと段ボール箱に興味を持ち始めた。

 

「えーちゃん?」

「……あやしい」

 

 私は二人の視線から段ボール箱を守ろうと前屈みになっていた。どうやら日頃の行いへの罰ゲームが始まっている予感がした。

 

「気になるなー」

 

 しのぎんがにやけ面を浮かべ、(ケイ)がしきりに段ボール箱と私の顔を交互に見ていた。私は目を泳がせていかにも不審者です、と公言するかのように足早になった。

 ふと二人が追いかけてこないのが気になって足を止めて後ろを顧みると、しのぎんと(ケイ)が肩を寄せ合ってなにやら話をしている。悪代官と商人みたいな顔つき顔つきだった。私は迂闊(うかつ)にも気になって仕方がなかった。

 

「あれー? ふたりでどうしたの」

 

 私の声に二人は顔を上げて、小走りになって駆け寄ってきた。話がついたのか双方ともすっきりとした表情だったので、首をかしげて再び歩き出した。すると、前方に私服の少女の姿がこちらに背を向けて辺りを見回しているのが見えたけれど、彼女は私の姿に気づいていないようだった。

 

「ごめんごめん」

「すまんすまん」

 

 (ケイ)としのぎんが陽気な声を出しながら私の横についた。私は特に気にすることもなく、腰を入れて段ボール箱を浮かせ手の位置を調整していた。私の意識は遙か前方でうろうろしている少女に向けられていて、(ケイ)としのぎんが立ち位置を変えたことに気がつくのが遅れた。

 突然、脇腹に刺激が走って素っ頓狂な声を上げていた。

 

「うひゃあ!」

 

 私は敏感な脇腹を突かれてバランスを崩しかけたけれど、足を一歩下げて何とか踏みとどまった。脇腹から伸びた手を目で追うと、背後で悪戯っぽい笑顔を浮かべる(ケイ)に気をとられた。

 

「え、(ケイ)?」

「えーちゃんごめんね」

 

 (ケイ)が謝ると、不意に手元が軽くなった。元々大して重い荷物ではなかったけれど、段ボール箱を取られたという事実は私に衝撃をもたらした。

 

「よっと。案外軽いな」

 

 しのぎんが片手で段ボール箱を持ち上げているのを見て、私はあからさまにうろたえていた。

 

「あわわわしのぎん。ちょっ中身はやめ」

「ええでないか。ちらっと見るだけだって」

 

 しのぎんは軽い気持ちなのだろう。ほんの少し見たら返すつもりなのか、無造作に蓋を開けて笑顔のまま中身をのぞいた。

 するとしのぎんはその場で硬直して黙り込んでいた。見るからに顔が真っ赤で、顔を上げるなり私のことを得体の知れない何かを目にしたかのように不審な目つきを向けた。そのまま信じられないと言った風情で見つめ合い、しばらくしてもう一度段ボール箱の中身に目を落とし、(ケイ)を呼んだ。

 (ケイ)はしのぎんの様子に不思議に思っていたけれど、押しつけられるように段ボール箱を手渡され、

 

「なになに……」

 

 と軽い気持ちで中をのぞき込んだ。

 私はしのぎんと一緒に(ケイ)の反応を待ったけれど、いつまでたっても身じろぎしないので恐る恐る彼女の顔をのぞき込んだ。突然顔を上げたものだから私としのぎんが後ずさっていた。(ケイ)は段ボール箱を私に返すなりにっこり笑った。

 

「えーちゃんってさ。大人なんだね」

 

 間違いなく誤解された。大人という単語の使い方が間違っていたけれど、訂正を求めようにも箱の中身を見られたショックで口を開けたり閉じたりするしかできなかった。ぎこちなく首を振ってしのぎんを見やると、頬をかきながら相変わらず顔が真っ赤だった。

 

「見なかったことにするわ。その、さっきは悪かった」

 

 申し訳なさそうに謝ってくるので、私は穴があったら入りたい気分だった。

 

「女の園で欲求不満だったんだね……。何だったら格好いい男の子紹介するよ?」

 

 (ケイ)の好意がうれしかった。しかし、私は静かに首を振った。

 

「……気持ちだけ受け取っておく」

 

 私が呆然と立ち尽くしていた。そんな私に二人は優しく肩に手を置いて声をかけてくれた。

 

「本当にごめん」

「寂しくなったら言ってね。できるだけ相談に乗るよ」

 

 

 例のISスーツのアタッチメントと言えばナノマシンが封入されていて信号伝達速度を劇的に向上させていることは間違いなかった。段ボール箱の中身は形状を変えることで入力情報の取得を試みた物である。特定用途に限定した形状から医療用だと推測できたものの、積極的に利用したいかと言われたら私は利用したくない、と答えるだろう。十五歳の浅学非才の身であり、人生経験が豊富になってからお世話になるかもしれないと感じていた。だから私はその時が来るまで、段ボール箱をクローゼットの奥深くに永久封印しなければと心に誓った。

 前方には第一アリーナへつながる分岐路が見えた。

 

「あ、織斑」

 

 ちょうど織斑たちが分岐路から連絡通路に入るところだった。自主練帰りのためか、篠ノ之さんと一緒に歩きながら話をしており、距離が離れていることもあって私たちに気づいた様子はなかった。相変わらず二人は仲が良いと感慨深く眺めていたら、今日はいつもと様子が違っていた。

 

「……篠ノ之ちゃんと更識ちゃんだね」

 

 (ケイ)はそう言って口元に手を当てて意味ありげに含み笑いしだした。しのぎんが棒読みの台詞を吐いた。

 

「うわーいちゃついてるよ」

 

 私が目をこらすと防風壁の切れ目から自転車を押した更識さんの姿が見えた。どうやら篠ノ之さんが仏頂面で説明を試み、更識さんがたどたどしく具体例を挙げて補足しているらしい。更識さんが横を向いて口を開いているときに限って織斑が納得したようにうなずいているのが見えた。

 

「しのぎん。構図のとらえ方がまちがってるよ」

 

 この機会にしのぎんたちの認識を改めようと思った。更識さんの告白にまつわる一連の騒動は下火になっており、入学当初クラスに溶け込めていなかった彼女もクラスメイトに話しかけられるようになっていた。時々恋愛話になると、更識さんは篠ノ之さんとどうなったのか必ず聞かれていた。更識さんとしては友だち関係が「うまくいってるよ」と答えるので、周囲との認識のギャップからお付き合いとして「うまくいってるよ」として脳内変換されていたという驚愕の事実に気づいたのは大好き事件の翌日のことだった。

 

「いや、えーちゃんみたいに状況を正確に把握してるのって鷹月さんぐらいしかいないって」

「まあ鷹月なら……。子犬ちゃんも事実を知ってますー」

 

 鷹月には事情を話して理解を得ていたから(ケイ)の発言は半分正しいと言えた。

 しのぎんが人差し指を天に向けて、得意げに語った。

 

「あれだ。織斑が篠ノ之さんと更識さんを侍らしているように見えるだろ? 実は違うんだよ。世間的にはこう見えるのさ」

「どう見えるの?」

 

 私が口を挟むと、しのぎんは胸の前で両腕を組んで原野こそから声を出した。

 

「篠ノ之さんが織斑と更識さんを(はべ)らせてるんだよ。更識さんと当たり前のように一緒に帰ってるし。いや……二股だな」

 

 案の定誤解していた。私は深いため息をつくと、

 

「それ、篠ノ之さんの前で言わない方がいいよ」

 

 と呆れたように注意した。

 

「もちろん。私はえーちゃんと違って分別があるから大丈夫。それにみんなだってそう思ってるんだよ。誤解は誤解のままなんだ」

 

 失礼なことを言われた気がしたが、私はあえて訂正を求めなかった。勘違いしているかのような仮説を提唱し、それがあたかも真実であるかのように振る舞うことで、過敏に反応する様子を面白がっているだけと自分を納得させた。

 (ケイ)がしのぎんを補足するように言葉を継いだ。

 

「相川ちゃんとかかなりんもずっとそんな感じだね。山田先生もそう思ってるみたいだし。織斑先生は生徒のやることだからって面白がってる。篠ノ之ちゃんと更識ちゃんって時々お風呂場で二人でいること多いんだけど、無言で見つめ合ったりするから二人の妖しい空間に入れないんだよねー」

 

 相川は確信犯なのだけれど、かなりんは真に受けやすいので後でさりげなく誘導尋問しておく必要があった。私は(ケイ)がしのぎんに向かって偽情報を吐いたので即座に訂正した。

 

「布仏さんとかセシリアさんとか普通に割って入ってるよね? あと鷹月も。だめだよ。事実を曲解したら」

 

 口酸っぱく言い聞かせるつもりだった私の言葉を右から左へと聞き流したしのぎんは、頭の後ろで腕を組みながら私に顔を向けた。

 

「ところでえーちゃん。ずっとスルーしてたんだけど、木陰(こかげ)の不審者は誰だい?」

 

 そう。先ほど見た私服の少女が植え込みに身を隠して織斑たちの様子をうかがっていた。最初織斑の追っかけか、と思いきや彼の希少価値はISの特殊性とIS学園という閉鎖空間特有のものだと気づいて考えを改めた。では、呆然とした背中は寂しさすら感じさせるのはなぜだろうか。

 

「私もあえて口にしなかったんだけど」

「どこ?」

 

 (ケイ)は気づかなかったらしく私に位置を聞いてきたので、正面脇の植え込みを指さした。

 

「あれ」

「子供……じゃないよね」

「どう見ても私らと同い年ぐらいだよ」

 

 岩崎や子犬ちゃんと同じくらいだろうか。岩崎のような幼児体型でないのは本人にとっても救いだろう。

 相づちを打っていたしのぎんが、得意げに言った。

 

「道に迷ったとか」

「多分ね。でも学園って一般人は立ち入り禁止なんだけどなあ。あ、織斑に熱い視線を注いでるように見えなくない? 昔の女かな」

 

 私はうっかり根拠のない推論を口にしていたけれど、意外と面白い仮定ではないかと思い直した。なぜなら(ケイ)としのぎんの目が輝いたからだ。

 

「痴情のもつれ、かな」

 

 すかさず(ケイ)が弾んだ声で私をフォローした。

 しのぎんはそんな(ケイ)を見て、顔を寄せて小さな声で話しかけた。

 

(ケイ)を見てると本当に留学生かどうかわからなくなってきた……」

「いや、そこツッコミどころ違うから」

 

 話が逸れそうだったので釘を刺すと、しのぎんは頭を振って投げやりな口調になった。

 

「えーちゃんに賛成。織斑君って一応格好いいから」

「へえ。しのぎんでもそう思うんだ」

 

 しのぎんが女の子らしい発言をしたので感心した。

 

「えーちゃんは?」

「タイプじゃないんだよなあ。篠ノ之さんが男の子だったらなあ。人生って残酷だよね」

 

 しのぎんが聞き返してきたのでクラスメイトにはいつも言ってることを伝えていた。しのぎんが真顔で言う私を見て、

 

「えーちゃん篠ノ之さん大好きだよね」

 

 とため息混じりに言ったものだからこう答えた。

 

「うん。好きだよ」

 

 しのぎんと他愛もないやりとりを交わしていたところ、(ケイ)が声を上げた。

 

「あ、昔の女が今の女を見送った」

 

 (ケイ)は木陰の少女が昔の女で、篠ノ之さんを今の女と仮定していた。

 

「更識さん、思いっきり気付いてるみたいだよ。さっきから何回も振り返ってる」

 

 (ケイ)の残念そうな顔つきから言って修羅場を期待していたと見え、私はため息混じりに彼女の顔をのぞき込み、

 

「彼女気配に敏感なの。織斑は鈍感だけどね」

 

 としたり顔で言い放った。

 

「うわー思いっきり篠ノ之ちゃんをにらんでるよ。怖いよ」

 

 その割に(ケイ)は面白がっていた。私も流れに乗ろうと考えたことをそのまま口にした。

 

「織斑あ、せめて男女関係は清算しようか」

「えーちゃんに賛成」

 

 しのぎんはしきりにうなずいていた。(ケイ)が前方を指さして私を顧みた。

 

「で、あの子。ショックで突っ立ったままだけど。どうする?」

「声かけとく?」

 

 私はしのぎんの方を向いて言った。

 

「それとなく織斑との関係を聞き出せるといいな」

「決まりだね」

 

 二人も同意を示すようにうなずいた。野次馬根性をむき出しにして首を突っ込むつもりだった。私は段ボール箱を抱えたまま、地面に転がっていた小石を不機嫌そうに蹴り飛ばした少女の元に向かった。道すがら、(ケイ)の顔つきや雰囲気が変化していく様を目撃してしのぎんと一緒に驚いていた。いつもは舌足らずに話をするものだから、中学時代の雰囲気が抜けきっていない私たちと大して変わらないのだと勝手に思っていた。気がつけば隣を歩く(ケイ)はまるで優等生そのものだった。同室になってそこそこ日にちが経過していたけれど、彼女のことを未だよく知らなかった。

 私は段ボール箱を抱えたままいかにも偶然通りかかった素振りで、髪を左右に結んだ幼さの抜けきっていない雰囲気の少女に向かって声をかけた。

 

「もしかしてお困りですか?」

 

 声に気づいて振り返った少女は、鋭角的でありながらもどこか(あで)やかさを感じさせる強い瞳の持ち主だった。

 

 

「ここから先が本校舎一階総合事務受付です」

「ありがとう。助かったわ」

 

 私は優等生面をした(ケイ)を視野の裾にとらえながら、受付の前まで少女を案内していた。

 織斑との関係については聞き出すことができず、当たり障りのないことを会話を交わしたに過ぎなかった。学校の雰囲気や行事といった内容に触れた程度だった。礼を言う少女に向かってにこやかにほほえみながら、できるだけ丁寧な言葉を選ぶ。

 

「いいえ。通りかかった縁です」

「いずれ同じ学舎(まなびや)切磋琢磨(せっさたくま)する間柄になるのですから。これぐらい当然ですよ」

 

 (ケイ)が私の言葉を補足するように告げた。しぐさの端々に気品を漂わせ、優雅な物言いに私は気が気でならなかった。幸い初対面のおかげで化けの皮がはがれ落ちていない。少女は(ケイ)の顔をじっと見つめ、考え込むような素振りを見せたので私としのぎんは互いに目配せしながら様子を見守った。

 

「あの……どこかで会わなかった?」

 

 少女の問いに大して(ケイ)は首を振った。

 

「あなたとは初対面のはずですよ」

「でも、確か去年の親善試合の時に……いえ、他人の空似かも」

 

 引っかかるような言い方だったけれど、そのまま少女はお辞儀すると受付へと歩み去っていった。

 私はその後ろ姿を見送ってから足下に段ボール箱を置いて壁際にもたれかかった。すぐ側に職員室があったので、あたかも用事があって廊下で先生を待っているような雰囲気を醸し出したので、(ケイ)としのぎんも私に習って壁際に立った。

 (ケイ)はわずかに首を傾けて受付を見やり、懐かしむような風情で小さな声でつぶやいた。

 

(ファン)……中国か」

 

 (ケイ)らしくない鋭い視線を向けている。私は不思議に思って聞き返していた。

 

「中国?」

 

 (ケイ)は私を見ると目を丸くして罰が悪そうに顔に手を当てたかと思えば、

 

「あっちゃー聞かれちゃったかー」

 

 取り繕うように苦笑いをした。しのぎんと二人で見つめていると、

 

凰鈴音(ファンリンイン)。中国の代表候補生。この前本国のIS委員会と話したら、彼女がこの学園に転入してくるって教えてもらったんだよ」

 

 委員会に怒られるから口外しないでね、と付け加えた。

 IS委員会と聞いてしのぎんが、「へえ」とつぶやくと驚いたように目を丸くした。

 

「時々(ケイ)の情報網がわからなくなるよね。でも、初対面って言ってなかった?」

「えーちゃんほめないでよ。一応国費留学だからね。でも初対面なのは本当だよ」

 

 (ケイ)はほめ言葉と受け取ったのか、口の端がゆるんで先ほどまでの優等生面はどこかに行ってしまった。

 

「留学生に見えないけどね」

 

 うれしそうに相好を崩した(ケイ)に向かってしのぎんが茶化した。(ケイ)は頬をふくらませて仏頂面になって、ぷいと横を向いてしまった。

 

「んもう。しのぎんったら」

「あはは。冗談だって」

 

 しのぎんが笑ってごまかしたが、機嫌を直すには至らなかった。

 

「えーちゃんよりも成績いいんだよー。これでもー」

「それ本当?」

「イエス」

 

 しのぎんが(ケイ)の発言を聞き返すと、明確に肯定の答えが返ってきた。しのぎんは視線を私に向けて事実なのか聞いてきた。

 

「能ある鷹は爪を隠すって言うでしょ」

「……事実です。むしろクラスで五本の指に入ります」

 

 私が事実の裏付けを行ったにも関わらず口をぽかんと開けていた。どうやら(ケイ)のことをバカだと思い込んでいたらしい。IS学園の生徒は基本的に頭の回転が速いけれど、留学生組は多少言語の不自由があるとはいえ論理的思考力は総じて高い傾向にあった。しかも国費留学組はその名が示すとおり所属国の政府が授業料などを肩代わりしている。国家として税金を投入する価値があると認められた生徒であり、しかも(ケイ)は多重国籍保持者だった。つまりアイルランド人でありながらイギリス国籍とアメリカ国籍を持っていた。もし彼女に実力と資格があるとすれば、国籍を有す三国のうちどこか一国の代表または代表候補生となり得る可能性を持っていた。

 

(ケイ)ってただのIS好きだと思ってたわ」

 

 しのぎんはぴしゃり、と自らの額をたたいた。

 

「でも可愛い子だったよねー」

 

 (ケイ)は普段のぼけっとした声音でしのぎんの脇を肘で突いた。

 

「美少女なのは認めるな。ああいう適度に毒がある子供らしさは重要だと思う」

 

 そう言って私は段ボール箱に足が当たってしまい場所がずれてしまったので、引っ込めようと腰をかがめた。股の下に段ボール箱を引きずってから顔を上げるなり、

 

「うちの学園は顔偏差値が高すぎると思うんだ」

 

 と常々疑問に思っていたことを言ってみたら、二人が素っ頓狂な声を出した。

 

「えーちゃんがそれ言っちゃうんだ」

 

 (ケイ)がいきなりジト目になってつぶやくと、しのぎんが(ケイ)の肩に軽く手を添えて首を振った。

 

「えーちゃんはね。やることなすこと残念で印象薄いから自分の価値が分かってないんだよ」

「しのぎんー」

 

 私は抗議するつもりでぶうぶう文句を言ってから不機嫌さを示そうとそっぽを向いた。

 (ケイ)が「ねえねえ」と私の肩をたたいて受付を指さした。

 

「事務の人がこっちを見つめてるよー」

 

 そう言われて(ケイ)が指し示すままに視線をずらした。事務室の扉が開放されていた。事務員が冷めた様子でこちらを凝視していたものだから、思わず私に向けられていると勘違いして自分の顔を指さした。事務員は首を振った。私はほっとして、今度は(ケイ)の番だと思って横を向いた。

 すると視線に気がついた(ケイ)が慌てて自分の顔を指さした。再び事務員は首を振ったので、(ケイ)はほっと息を吐いた。そしてしのぎんに顔を向けた。

 

「え、私?」

 

 しのぎんが人差し指を自分に向けると、事務員が首を縦に振った。いったい何のことやら、と三人で顔を見合わせていたら、先ほどの少女が強い足取りでまっすぐしのぎんに向かって歩いてきた。

 

「私の方に向かってくるんだけど……」

「本当だ。立ち話してたの聞かれちゃったかなあ」

 

 (ケイ)が小首をかしげた。確かに少し騒がしかったかもしれない。多少距離が離れていたので安心して喋り散らしたのがいけなかったのだろうか。こちらに非があるのであれば謝らなければならない、と身構える。それにしては妙な雰囲気だった。少女はあからさまに不快を表すのではなく、怒りの矛先を収め損なって八つ当たりするかのような雰囲気を漂わせていた。

 

「アンタが二組のクラス代表ね?」

「そ、そうだけど」

 

 少女は受付を済ませる前の丁寧な雰囲気が消えて、好戦的な態度に変わっていた。そのせいか少し剣呑(けんのん)な口調に聞こえた。しのぎんは状況を飲み込めなくて、ぎこちない仕草で答えた。

 

「あたしは凰鈴音(ファンリンイン)。来週から二組に転入することになったわ。よろしく」

 

 凰さんが握手を求めてきたので、しのぎんは「私は小柄(こづか)(しのぎ)。よろしくな」と答えて握り返した。

 手を離すと、凰さんは値踏みするようにしのぎんを見つめ不敵な笑みを浮かべると、腰に手を当てて言った。

 

「早速で悪いんだけど二組のクラス代表を譲ってくんない?」

 

 友好な雰囲気が冷水を浴びせかけられたかのように急速に冷めていった。

 私は急展開にあっけにとられていた。すぐに我に返って説明を求めようと恐る恐る声を上げたのだけれど、

 

「それって……」

「はあ?」

 

 不機嫌さを露わにしたしのぎんによって(さえぎ)られてしまった。

 苛立つしのぎん向かって凰さんは(きびす)を返しながら、

 

「あたしにクラス代表を譲れっていうの。来週の月曜に答え聞かせてもらうから、考えておいてね」

 

 と爆弾を落としてからその場から去っていった。

 

「おい。待てって」

 

 しのぎんが大声を出すと、凰さんは立ち止まってこちらを振り返ると、「月曜にクラス全員の前で決めるから」と言い残し、そのまま校舎の外へ姿を消した。

 私は凰さんの背中を呆然とした面持ちで見送っていた。いったい何が起こったのかわからなかった。首をかしげて、困った様子の(ケイ)と目を見合わせた。

 

「くそ!」

 

 その時になってしのぎんが壁に拳をたたきつけた。突然降りかかった理不尽さに怒りを覚えて心穏やかではいられなかったと見える。

 職員室から二組の担任の先生が出てきて、私たちを見つけてにこやかに歩み寄ってきた。先生は肩を震わせるしのぎんに気がつくなり、心配そうに声を出した。

 

「こ、小柄さん?」

 

 しのぎんの目つきが鋭さを増し、けんか腰だったので先生はひどく動揺しながらも落ち着かせようとした。

 

「何があったの?」

 

 本人の口から事情を話させて頭を冷やそうと試みており、横から私が口を挟もうとしたところ、しのぎんはゆっくりと顔を上げて先生に向き直った。

 

「先生。私、来週あたり大げんかするんで後始末とか手続きとかいろいろ、よろしくお願いします」

 

 太く低い声音で告げてから、深く頭を下げた。

 

「え? けんか? 話が見えないんですが……え?」

 

 先生はしばらくうろたえていたけれど、気持ちを切り替えに成功したのか毅然(きぜん)とした表情で何があったのか、私に説明を求めてきた。

 

 

 


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