少女Aの憂鬱   作:王子の犬

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今回はISスーツがメインのお話です。

2013/3/26 冒頭部分を一部改訂しました。


転校生はセカンド幼なじみとその確執
★10 反応速度30%アップ!感度30%アップ!


 更識に恨まれるぞ――夜になって私は姉崎の言葉を思い出して真っ青になった。

 先日航空部を訪れた際に、怪人岩崎に更識家について触りだけ聞いてみたら室町時代から続く旧家だという。なぜそんなことを知っているのかと問えば、

 

「うちは幕末から明治にかけて汽船で一山当てた口でね。戦前は戦闘機や輸送機を作っていたんだよ」

「昔の財閥とかですか。歴史の授業で習ったような」

「そ。で、更識家といえば陸海軍とつながりを持っていてね。アメリカやドイツから工作機械を調達する際にずいぶんお世話になったよ」

「はあ」

「今でこそ技術立国だけど、戦前の日本は安かろう悪かろうの代名詞だったんだ。だから外国の工作機械を輸入しないと精度が悪くてね。とにかく歩留まりが悪くて……」

 

 エンジンについて思いをはせたのか、ため息をついた。

 

「更識と組んで財閥解体のどさくさにまぎれて調達費を踏み倒したり色々やったみたいだね」

 

 と彼女は苦笑していたことを思い出した。更識さんのお姉さんとのしがらみについて、彼女は決して触れなかった。仕方なく面倒なしがらみについて詳しい姉崎に教えを請うべく、震える手で携帯端末を取り出した。

 

「ハロー? ……何だ。君か」

 

 呼び出し音が数回鳴り、前回と同じように姉崎にしては不自然なくらい明るい応対で、とても上手とは言えない発音だった。すぐに私と気付いてあからさまなため息をついた。

 

「夜分にすみません。今、お話をしても大丈夫でしょうか」

「一人だし構わないよ」

 

 ゆっくり落ち着いた声だった。

 

「ありがとうございます。お話というのは今日の昼にですね。変ないたづら電話がかかってきまして、妹がどうのとか言われたんです」

「心当たりは?」

「昨日の更識さんの件ぐらいしか」

「妹君ね。霧島にケーキをおごらされたんだっけ。結局どうなった?」

 

 どうやら霧島先輩から航空部の件について結果を知らされていないらしい。渡りをつけるよう頼んだとき岩崎を苦手そうにしていたので、あえて触れようとはしなかったのだろう。私は事実を簡潔に述べた。

 

「航空部に入部しました」

「なっ」

 

 急に姉崎が吹き出した。しかも気管に入ったらしくしばらくむせかえっていた。

 しばらくしてようやく落ち着いたのか、ため息混じりに言った。

 

「……それ以外に考えられないな」

「やっぱり」

「内容からして、おそらく楯無君の仕業だね」

「あの人、旧家のお嬢様なんでしょう? どうして脅迫(きょうはく)まがいなことを」

 

 霧島先輩にしろ雷同にしろ、生徒会長に対する評価は高い。リーダーシップが高く、イベントの企画実行の手際が良いとか。あの怪人岩崎ですら生徒会長に一目置いているような口ぶりだった。しかし、私の中で生徒会長の株は暴落していた。

 姉崎はそんな私の心中を感じ取ったのか苦笑していた。

 

「人には色々あるというか――」

「もちろんそうでしょうね」

「岩崎の出自について何か聞いているか?」

「汽船で一山当てたとか、財閥解体の時に悪どいことをやったとか」

 

 これは本人からの受け売りだった。

 

「岩崎はな。ああ見えて四菱(よつびし)の創業者一族なんだよ。四菱重工とか菱井(ひしい)インダストリーとかテレビで見たことないか」

「それなら見たことがあります。自動車とか旅客機を作ってますよね。ISも一応作ってるみたいだけど」

「そうだ。X印(ばってんじるし)のロゴが有名だね」

「その話と何の関係が?」

「幕末から明治期にかけてのねたみ恨みがいろいろあるんだ。しかし問題の中心はそこではない。よく旧家のお嬢様が通う学校があってね。偶然二人は同級生だった」

「初耳です」

「同級生ならお互いの失敗をいろいろ知ってるとは思わないかい」

「でも、それだけなら私があそこまで(ののし)られる意味なくないですか」

「まあ、そうだね」

 

 姉崎にしては歯切れの悪い調子なので、言い渋る彼女に強く言った。

 

「何があったんですか。教えてください」

 

 姉崎はしばらく逡巡(しゅんじゅん)していたが、意を決したのか鋭い口調に変わった。

 

「このことは口外無用だ」

 

 私はいつになく真剣な声に身構えた。

 

「もし外部に漏らしたら、岩崎と更識の両方を敵に回して君の学園生活(じんせい)は終了だ」

 

 不穏な言葉を耳にした。怪人岩崎に目をつけられ、生徒会長にも目をつけられ不遇の人生(二年間)を送るという想像は口では到底言い表せない恐ろしさがあった。しかし、姉崎が私に漏らすのは大丈夫なのか、と考えながら、老婆心と好奇心には勝てなかった。

 

「……約束します」

 

 私は神妙な顔で答えていた。

 姉崎はうむ、と言って話し始めた。

 

「さっき同級生と言ったけど、岩崎と楯無君は小学校、中学校ともに同じ学校に通っていた。私も同じ学校なんだが、今から私の写真を送ろう」

 

 受信した画像は、ある大学の附属小学校で赤毛からして姉崎だとわかる写真だった。現在のようなアップではなく、髪を下ろした愛くるしい美少女が立っていた。鼻水を垂らしていた自分の小学校時代とあまりにも格差がありすぎて私は呆然とした。そしてなぜ、こんな可愛い子がラビリンスのように歪んでしまうのかと絶望した。

 

「知ってるか? 制服が可愛いって有名な――」

 

 次いで中学時代の写真が送られてきた。片眼鏡はしておらず、できる女風の角張った細眼鏡を使用している。三つ編み姿なのだけれど写真からは姉崎が隠し持つ邪念が露程(つゆほど)も感じられないのが不思議でならなかった。しかも隣には知り合いと思しき、ブランド物のスーツを粋に着こなした初老の美中年が肩を組んで一緒に映っていた。

 

「私は地方の出ですけど、名前くらいは。あと、隣に写ってる美中年は誰ですか」

 

 美中年はものすごく好みだった。私は鼻息を荒くして姉崎に頼み込んでいた。正直なところ、紹介されたら告白して抱かれても良いと思った。

 

「父だ」

 

 前言撤回したい。姉崎の父親と不倫してくんずほぐれつ(ただ)れた関係になるのは、冗談でも考えるべきではなかった。そして思ったことを口に出した。

 

「遺伝子の不公平を感じます」

 

 私の父と言えば休日になるとひたすらテレビゲームをして、夏休みになると叔父とひたすらテレビゲームやネットゲームに入れ込んでいる人だった。正直どうやって母を射止めたのか疑問すら感じていた。私がぐうたらな父の背中を思い浮かべていると、咳払いが聞こえてきた。

 

「話を戻しても良いか」

「すみません」

 

 続けてください、という意味を込めて謝ると、姉崎は大きく息を吸ってからゆっくりと言葉を紡いでいった。

 

「二つ理由がある」

「二つ?」

「一つはいじめだよ」

 

 姉崎の重い言葉に、息苦しい胸焼けしたような不快感に襲われた。

 

「小学五年生から六年生にかけての半年間。岩崎が楯無君をいじめていたんだよ」

 

 衝撃だった。性根の曲がりくねった怪人岩崎が加害者側に立つ姿を想像するのは容易(たやす)かった。しかしながら、生徒会長が被害者になる姿をどうしても想像できなかった。

 

 今の生徒会長を見ていると、第一印象こそ悪かったけれどきちんと仕事をこなしていると感じていた。そして、いじめの標的になるような欠点が見あたらなかった。

 

「岩崎はずる賢くて性格悪いからやり口が陰湿でね」

 

 ずる賢いかどうかはともかく、変態だが頭が良いのだけは確かだった。姉崎は考え込むようにくぐもった声を出し、息を整えてから続けた。

 

「あの虚君ですらいじめに気付くまでに数ヶ月必要だった。虚君は具体的な手口までは教えてくれなかったけど、岩崎が楯無君を標的にしてから本人が気付くまでに約三ヶ月かかったらしい。クラスや周囲の大人を扇動して結果的にいじめに荷担させたようだ」

「……あの人どれだけ会長が嫌いだったんですか」

「真綿で首を絞めるようにじわじわ追い込んでいったそうだ。五年生の途中までは仲が良かった風に見えたから、なんでそうなったかは知らないし、この件で従姉が動いていたからわたしごときが立ち入ってもよい問題とは思えなくてね」

 

 一学年違ってしまえばそう感じるのは妥当だと思った。あの時こうしておけば、というたられば論は無責任でしかない。

 

「生徒会長にそんな過去があるとは……」

 

 私はふと、気になったことを口にした。

 

「でも、小六までということは、今はそんなでもないんですよね」

「今はないよ。お互いに可能な限り無視し合っている」

「無視ですか」

「そう。楯無君の方にも落ち度があってね」

「……ちなみにその落ち度とは」

「いじめの件については、双方の親が介入して手打ちになったんだけど、その後謝罪しにきた岩崎を楯無君が階段から突き落とした」

「それって」

 

 洒落になっていなかったので、姉崎なりの冗談だと思った。

 

「母校は古くて洒落た建物だったから、螺旋階段があってね。その踊り場で楯無君が本気で平手打ちしたら、岩崎がよろめいて落ちたんだよ。確か意識不明の重体だったかな」

 

 いじめた側といじめられた側が和解するのは理想論と言われているが、二人の関係が血で血を洗う抗争に聞こえた。結果的に岩崎はいじめの報復を受けたことになる。

 私はもう一度電話越しに放たれた呪詛(じゅそ)を思い返していたら、無性に腹が立ってきた。

 

「私、人でなしって言われましたよ」

 

 姉崎から教わった驚愕の真実に同情したけれど、言い方がひどすぎると思った。険しい声に気付いた姉崎は、優しい声を出した。

 

「二つ目の理由。楯無君のファーストキスの相手は誰だろうか」

 

 姉崎が電話越しに、にやり、としたのが分かった。

 

「布仏先輩とか?」

 

 子犬ちゃんに対する布仏さんの執着を見ている限り、あの巨乳眼鏡にも同じような性向があるのだろうか。そこで私は話の流れから気付きたくない事実に思い当たった。

 

「いや、まさか」

 

 私はその考えを否定しながらも、姉崎の答えを待った。

 

「そのまさかさ」

 

 ああ、やっぱりと思った。

 

「楯無君は今時珍しい純情で根っからのストレートだからね。彼女には岩崎がこう見えるのさ」

 

 姉崎が息継ぎをしたので、続きを聞き漏らさないように集中した。

 

「人の皮をかぶった悪魔」

 

 震える声で、それでいてはっきりと言い切った。そして力を抜くように間を置いて補足した。

 

「ま、推測だがね」

 

 安易に泥沼に片脚を突っ込んだ気分になり、言葉を失った。

 自分を苦しめた上、初めてのキスを奪った相手の元に妹を送り込んだ張本人に対して正気でいられるわけがなかった。

 私は声を震わせた。

 

「知っていて」

「ん?」

「先輩は知っていてそんな人を紹介したんですか」

 

 岩崎の紹介を渋っていた姉崎に頼み込んだのは私だった。姉崎は解決手段を持っていたけれど、積極的に使うことはなかった。生徒会長が姉崎を動かした人間を快く思うはずがなかった。

 

「IS開発にかける情熱と能力だけで見た場合」

 

 姉崎は次の言葉を絞り出す。

 

「――岩崎が最適だったから、というのは答えにならないかな」

 

 私が最適解を求め、姉崎は答えたにすぎなかった。更識さんは最初に彼女を訪ねていて、そのときに打鉄弐式の惨状を知りながら私を紹介した。私は考えた。首を突っ込まなければよかったのか、と。

 

「妹君なら心配ないよ。岩崎は仲間には優しい。それに、妹君は姉がいじめられていたことを知らないから」

「私は……」

「岩崎は妹君に手を出したりしないよ。彼女の興味の中心は常に楯無君だったから」

「でも……」

「気に病むことはないよ。もし更識さんに熱意があれば、君がいなくとも遅かれ早かれ、私が直接紹介しただろう」

「どうして」

「笑わないでくれよ?」

「もちろんです」

「在学中に更識簪の試合をこの目で見たいんだ」

 

 姉崎が弾んだような声を出した。私は更識さんが日本の代表候補生というのがどうにも想像することができなくて聞いてみることにした。

 

「先輩。前から気になっていたけれど、更識さんって強いんですか?」

「強い。とにかく強い」

 

 姉崎は断言していた。

 

「ケイシー戦で見せた、薙刀(なぎなた)上段の構えからの速攻は見事だった」

 

 うっとりするような熱い吐息が聞こえ、そこまで魅了させるような試合に興味を持った。

 

「更識さんを見ていると想像できないというか」

「そうだろうね。後で動画を送るよ」

「ありがとうございます。じゃあ……」

 

 そろそろ失礼しようかと思ったとき、さえぎるように姉崎が声をあげた。

 

「そうだ」

「何ですか」

「もう知ってるかもしれないけど、今度の日曜日に回収班の体験説明会をやるんだけど来ないか。例のISに試乗ができる。例の約束もあるから君には優先的に乗せてあげよう」

「ISに乗れるんですか!」

 

 学園には約三〇機しかISが存在しないわけだから、積極的に動かないとISに乗れない計算だった。例のISの見た目が格好悪くともISには違いないのだから、一分一秒でも長く乗りたいと考えるのは当然だった。

 姉崎は気を良くしたのか声が弾んでいた。

 

「そろそろISスーツが届き始める頃だから、いつもこの時期にやってるんだ」

「私のも土曜に届くんですよ!」

 

 奨学金審査の時に試作品モニターに応募しており、この前お知らせメールが来ていたので到着を心待ちにしていた。

 

「持ち物なんだけどISスーツは持参でもいいし、こちらで用意もする。うちのは古いせいか着心地が悪くてな」

「行きます行きます! 時間と場所を教えてくださいよー」

「後でメールを転送する。既に参加希望者が数名集まってるんだよ」

 

 ククク、と姉崎の気持ち悪い笑みが漏れ聞こえた。姉崎を間近で眺めるなら回収班に入り浸るのが一番だけれど、回収班は生半可な気持ちでいられる仕事ではないのでよほど意志が強くなければ難しいのではないか。

 

「試乗目当てか、先輩の着物効果ですね。なんとなくわかります」

「不純な動機で結構! 後輩が可愛ければ、わたしはそれで構わない」

 

 しんみりした気分が吹き飛んで、電話越しに頬をゆるめているだろう姉崎の間抜けな顔つきを想像し、通話を終えた。

 

 

 IS学園は完全学校週五日制である。保守政権が昨今の理数系離れを問題視して、土曜の半日授業を復活させる風潮の中、IS学園は条件さえ満たせば授業以外の訓練で単位が取得可能なので、特例として週五日制のまま据え置かれていた。

 ジャージ姿の私は管理人室で自分宛の段ボール箱を受け取り、伝票に奨学金出資元の企業名が記されているのを目にして、にやけ面が止まらなかった。

 自室に戻る途中、外出するつもりなのか、パーカーの上に薄手のジャケットを羽織ってチェック柄の鳥打ち帽をかぶったしのぎんに出くわした。

 

「えーちゃん、気持ち悪い」

 

 しのぎんの言ったとおり、今の私は岩崎さながらの気味悪い笑みを浮かべていた。品名はスポーツ用品だけれど、中身はISスーツだった。しかも有名スポーツメーカーにOEM供給しているメーカーで、奨学金出資元企業の製品として独自開発した最新モデルで、未だ市場に流通していない試作品だった。IS学園に通う奨学金受給者のうち、試作品モニターの応募を行った者だけにこのISスーツを着る資格が与えられていた。ISスーツは耐刃・耐弾性能が高いことからとにかく高価だったので、使用感のレポートやアンケートに答えるといった多少の手間が掛かっても無料で手に入ることはとても魅力的だった。

 

「ククク……しのぎんよ。ついに、ついに私のISスーツが届いたのよ」

 

 私のにやけ面を見て、しのぎんは口の端を引きつらせながらたじろぐように一歩下がった。しかしISスーツと聞いて興味があったのか、律義にも話を聞いてくれた。

 

「へ、へえ。どこのメーカーよ」

 

 私は奨学金出資元の企業名を告げた。正確に言えば開発元が異なるけれど、実際に発売されるときはしのぎんに言った企業名を冠すことになるから、あながち間違いとは言えなかった。

 

「歩兵向けのパワードスーツを作ってるところじゃない。よく手に入ったね」

()()()モニターに応募したんだ」

 

 しのぎんが私の弾んだ声に対して、失礼にもうめき声を漏らした。しのぎんはおじいさんである小柄(こづか)兵造(へいぞう)の著作を何冊か持っていて、先日無理やり読まされたのだけれど、特殊潜航艇の公試で問題点を洗い出し、技術者と侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を重ねたという場面を覚えていた。試作品とはつまり不具合の塊という印象を抱いているに他ならなかった。

 

「性能は良さそうだけど私は遠慮するわ。試作品って何が起こるか分からないし」

「ククク……後でほえ(づら)かいても知らないぞ」

 

 私は試作品とはつまりとんでもない秘密兵器だという印象を持っており、しのぎんの印象とは真っ向から違っていた。しのぎんが高いIS操縦技術を持っているのは先日のアリーナで明らかになったことだけれど、手元にあるISスーツの高性能の前に、多少の技量差など意味がないのではないかと考えていた。

 しのぎんと別れた後、今度は鏡と出くわした。同じような会話を繰り返して大いに引かれたが、私は一向に気にしていなかった。

 

「あれ?」

 

 私は自室の前でセシリア嬢と子犬ちゃんに出くわした。子犬ちゃんが抱えている段ボール箱を見て、私が抱えている段ボール箱の模様とうり二つだと気がついた。

 

「まさか、子犬ちゃんも?」

 

 私と目が合った子犬ちゃんも驚いていた。つまり子犬ちゃんも同じ奨学金をもらっていて、同じ試作品モニターに応募していた。新作のISスーツをみんなに自慢しようというささやかな目論みが(つい)えたことを意味していた。

 子犬ちゃんはロリ爆乳なので、肉付きの薄い私の体では色々な意味で敗北を喫していた。ISスーツのカタログを眺めると、高性能な水着という感想を抱く。もちろん私もその一人で水着を着用すると体の線が出てしまい、水泳の授業のたびに、なぜ水の抵抗を受けない体つきをしているのか、と頭を悩ませた。男子の視線は発育の良い子に集中し、私はむしろ体つきをネタにからかわれる立場だった。

 悔しげに奥歯を噛む私をよそに、セシリア嬢が腰に手を当てて言った。

 

「あなた、これからわたくしの部屋に来ません? ISスーツのお披露目をしようと思って」

 

 どうせ暇なんでしょう、とセシリア嬢は言葉を継いだ。私はあまり乗り気でなかったので、ふんぞり返るセシリア嬢の横で子犬ちゃんの哀願する視線を目にしても、行くかどうかためらっていた。

 

(ケイ)が……」

(ケイ)なら既にわたくしの部屋にいますわ」

 

 セシリア嬢は迷う私の退路を断った。

 

「行きます。行かせていただきます」

 

 私が頭を下げると、セシリア嬢は当然と言わんばかりに鼻を鳴らした。段ボール箱を抱えたまま、セシリア嬢の部屋へ直行した。歩きながら子犬ちゃんに奨学金のことを尋ねると首を縦に振ったので、サイズこそ違えど同じものが入っていることは間違いなかった。

 

 

 セシリア嬢の部屋に入るとなぜか更識さんがいた。隣に布仏さんが座っていたので彼女が誘ったことまでは理解したけれど、更識さんがやさぐれた表情を浮かべ、意気消沈とした様子で乾いた笑い声を漏らしていたことに驚いていた。

 

「人生に……」

「……疲れた」

 

 段ボール箱を脇に下ろして腰を上げた私に、更識さんが疲弊した声音でつぶやいた。人生に疲れた、などというものだから反応に困って立ち尽くしていると、

 

「てひひ。かんちゃんの声まねをしてみたんだけど」

 

 と布仏さんが舌を出して悪びれない様子で私を見上げていた。私はあえて無視を決め込み、更識さんに声をかけた。

 

「大丈夫? すごく疲れた顔してるよ」

 

 更識さんは私を見上げて、大人になった悲しみを表すようにため息をついた。

 

航空部(部活)で……IS武装のレビューで……先輩たちからダメだしの嵐……」

 

 岩崎らと激論を交わしたため、気力の限界に達したらしい。すぐに壁にもたれかかってなにやら難しい単語をつぶやき始めた。死んだ魚のような目の焦点が合っておらず、第三者の目から見ても気分転換しないとだめな状態だった。さりげなく布仏さんが更識さんのちっぱいを揉みしだいていたのだけれど、完全に無視していた。

 

「うわぁ……重傷だ」

 

 思わず私は嘆息していた。精神的にぶっ壊れている更識さんから目を離し、室内を見渡すと結構な人数が集まっていた。

 更識さんや布仏さんの他には、相川、谷本、岸原、かなりん、鷹月、セシリア嬢に子犬ちゃんと(ケイ)。そして私。

 それぞれカバンを持ち寄り、相川がISスーツと思しき布きれとラップタオルを詰め直していた。

 私に気がついた(ケイ)が手を振った。

 

「えーちゃん。それ、ISスーツ?」

 

 段ボール箱を指さしたので私はにやけ顔でうなずいて返した。私の扱いに慣れてきたのか、(ケイ)はゆるんだ表情を見ても動じなかった。

 セシリア嬢が腕にISスーツを掛けながら、みんなを見渡して言った。

 

「みなさん。着替えませんこと?」

「おー」

 

 水着の試着会のノリだった。ISスーツの見た目は水着なのであながち間違った感想ではなかった。

 着替え風景と言えば、中学時代に男友達と女子の着替えとはいかなるや、について討論を行い、参加者の幻想を木っ端微塵(こっぱみじん)に打ち砕いてしまった罪深き女である私から言わせてみると、特に面白くも何ともない光景だった。

 個人的には谷本と相川、かなりんが互いの下着を見せ合って、ほとんど同じに見える胸のサイズを競い合っているのがのがせいぜいで、セシリア嬢などは早速ラップタオルを体に巻き付けて、てるてる坊主のような姿になっていた。

 そして着替え慣れているためか迅速かつ丁寧な手つきで、下着姿から一分もかからずに着替え終えてしまった。もちろん胸部や臀部(でんぶ)、下腹部など見方によっては性的欲求に働きかける部分について、まるで手品でも披露(ひろう)しているかのように一切露出がなかった。

 同性の着替え姿に欲情するとか姉崎の同類ならともかく、至ってノーマルな私たちとしては、早くお互いのISスーツが見たいので手早く済ませたかった。

 

「みなさん。ISスーツのお披露目です。最初にわたくしから」

「あれ? 織斑くんと試合したときと違う」

 

 谷本は私の眼前に切れ上がった形の良いお尻を向けながら、セシリア嬢の下腹部を指さした。

 確かに以前は青一色のスクール水着のような姿だったけれど、今回は下腹部に模様が入っていた。メーカーからの直接供給品らしくスポンサーロゴが目立った。

 

「あら、いいところに目をつけましたわね」

「渡航する前にISスーツのカタログモデルの仕事をしたときにいただきましたの。スポンサーのロゴが入ってますでしょ」

 

 谷本がうらやましそうな声を上げた。

 

「いいなー。モデルとか私もやりたいよー」

 

 セシリア嬢が勝ち誇るように胸を反らしてみせ、着替え終えたばかりの岸原がお腹のロゴを突いていた。

 ふと、いつもなら谷本と一緒に話に絡んで来そうな布仏さんの姿を探してみたら、彼女も既に着替え終わっていたけれど、壁際で無気力な更識さんに構っていた。

 

「かんちゃん。かんちゃん。手ー上げてー」

「……本音……」

 

 更識さんをISスーツに着替えさせるべく部屋着を脱がせようとしていた。更識さんは布仏さんのなすがままにさせていたけれど、自分から動こうとする気配はなかった。

 見かねたかなりんが甲斐甲斐しく働く布仏さんに言った。

 

「本音。本人に着替えさせたら?」

 

 すると布仏さんは腕を組んで考え込み、更識さんを一瞥(いちべつ)するとやはり目が死んだままだった。

 

「更識さんはいつもこんな感じなの?」

「いつもはもっとてきぱきしてるんだよ。今日は目が死んでるけど本当なんだよ~」

 

 必死に自分の主人を擁護(ようご)してみせる布仏さんだったけれど、当の更識さんはゆったりした動作で服を脱ぎ始めたに過ぎなかった。かなりんの視線はダメな子を見るように哀れみと厳しさが入り混ざった複雑なものだった。布仏さんは失墜(しっつい)しつつある更識さんの地位を復権するべく、重大な決断をしていた。

 

「むむむ。寝ぼけているみたいだよ」

 

 脳を使いすぎて疲弊しているのだから、布仏さんの観察に間違いはなかった。

 

「かんちゃん。いつものするよ~。いい?」

「……まっ」

 

 急に更識さんがあわてた。布仏さんは返事を待たずに行動に出ていた。

 更識さんは「待って、人前だから」とか小さくつぶやいていた気がするのだけれど、それ以上声を上げることができなかった。布仏さんが更識さんの両肩をつかんで密着し、唇を押しつけていたからだ。

 

「へ?」

 

 かなりんは布仏さんの行動をかろうじて認識していたけれど、完全に混乱してしまって呆然と立ち尽くしていた。

 次に岸原が布仏さんを指さして言った。

 

「大胆ー」

 

 岸原と話していた鷹月は、振り返ってその光景を見て眉根をひそめただけで、私を見るなり何が起こったのか状況説明を求めてきた。

 谷本と(ケイ)はにやにやしているだけで、セシリア嬢は「まあ」と声を上げて顔を真っ赤にしている。

 

「相川、相川、こっちこっち」

 

 私は相川の肩をたたいて振り返らせた。相川は布仏さんと更識さんの姿を見るなりとても嬉しそうな顔になって、

 

「ちょっとー決定的瞬間見逃しちゃったじゃない。篠ノ之さんが怒っちゃうよ」

 

 と大好きです事件のことを思い出してにやけ面を作った。

 

「……ぷはっ」

 

 更識さんは唇を離されると、先端をとがらせた舌先を伝って唾液が床に落ちたので、あわてて口元を腕でぬぐっていた。周囲の視線を気にしてか、恥ずかしそうに布仏さんをにらんだけれど、当の実行犯はのほほんとして動じた様子はなかった。

 

「起きた~?」

 

 要するに目覚めのキスだった。しかも舌を絡める深い方という。更識家は一体どうなっているのか。旧家だから変なしきたりが残っているのか、と邪推し、私はふと下衆な考えを思い浮かべた。生徒会長と巨乳眼鏡のキスシーンを想像してみたけれど、

 

「ないない」

 

 と笑ってしまった。

 

「……本音……」

 

 更識さんの目に生気が戻るのを見て、布仏さんが抱きついた。

 

「よかったー正気になったよ~」

 

 布仏さんのやり方には大いに問題はあったけれど、普段控えめで少し大胆な更識さんが戻ってきてよかった。とはいえ、何とも言えない微妙な空気が漂っていたので、セシリア嬢が手をたたいて注意を引きつけた。

 

「みなさん。今のことは見なかったことにしましょう。いいですわね」

 

 セシリア嬢は更識さんに向かってしきりに目配せしていたので、明らかに篠ノ之さんに気をつかっているように思えた。

 

「そうしてくれると助かる~」

「オルコットさん……」

「篠ノ之さんにばれたらまずいもんね」

 

 最後に相川が舌を出しながらしたり顔で言った。あわててみんなの顔色を見やると、岸原とかなりんに谷本、そしてセシリア嬢がばつのわるい表情を浮かべていた。

 

「どーよ」

 

 沈黙を打ち破るように着替え終わった相川が胸を反らしてみせた。小柄で胸も小ぶりだが、女性らしい線が出ていて、下衆な考えだがむっちりとしていて抱きしめたくなった。

 デザインは学園が指定した標準モデルだった。ダークグレーでハイネックのノースリーブにローレグ、脚部装甲着用のためISスーツのセパレートタイツが膝から足首を覆うという出で立ちで、学園の割引が適用されるため、かなり安価に入手が可能なモデルである。その代わりにセシリア嬢のような派手さはなかった。

 基本的には水着に似た見た目なので体の線が出てしまう。IS学園だと実技で基礎体力作りが課せられるためか、全員引き締まった体つきをしている。そこはかとない色気を感じるのは、旧スクール水着と似たデザインのためか、それとも臀部と太股が露出するためか。

 

「びっくりした。かなりん、案外大きい」

 

 かなりんはいつもの制服姿を見る限り、相川に岸原や谷本と比べると胸のサイズが小さく見える。しかし、実際には彼女らよりもサイズが大きく、ISスーツ越しに見るとそのスタイルの良さが目立った。胸元や下腹部を隠すような恥じらった仕草なので谷本にまとわりつかれていた。

 私は彼女らをぼんやり眺めながら、子犬ちゃんと梱包を解いていた。段ボールを開けると、プリンターの両面印刷機能を使って打ち出したコピー用紙をファイリングしただけの冊子が出てきた。子犬ちゃんの方を見るとやはり同じだった。

 冊子を開くと、

 

「信号の伝達効率を劇的に改善! ナノマシン配合で最大三〇%の反応速度アップ! 耐刃・耐弾性能は三%アップ!」

 

 といった宣伝文句が書かれて、ISスーツを取り出す前にさらに冊子をめくっていくと、全身水着のようなイラストがかかれ、二〇代と思しき女性の写真付き着用手順が書かれていた。

 まさか、と思い中身を取り出すと、上半身は半袖で下半身は足首まですっぽり覆われており、脇下から下腹部にかけてオレンジ色のライン取りがなされていた。

 

「うわっ。ぱっとしない」

 

 立ち上がって眼前に広げてみると、競泳水着ではなくフィットネス水着と表現すべきもので男性の視線を気にしなくとも良い安心デザインだった。

 露出箇所は二の腕から下、首から上、足首より下だった。私と子犬ちゃんは互いに顔を見合わせていた。もっと可愛いものを期待していたので残念な気分だった。しかし意外と手触りがさらさらしていて、ずっとなでていても飽きなかった。

 見た目は着るのが難しそうに見えたが、上下セパレート型なので普段着の要領で身につければよかった。

 岸原のラップタオルを借りてジャージを脱いだ私は、ショーツを脱ぎ捨て先にボトムだけ履き替えた。

 水着の突っ張る感じが嫌なんだよ、と考えながら足を通して見て、

 

「ななな、なんだコレ。めちゃくちゃ着心地が良い!」

 

 と未知の感覚に驚きの声を上げていた。子犬ちゃんも同じだったらしく目を見開いている。

 着用感はほぼ無いと言え、肌を締め付ける感覚がない。実際には体の線に沿ってぴったり張り付いているように見えていたが、肌感覚はまるで裸体のようだった。

 入試で借りたISスーツはもっとスクール水着を着るような、繊維で締め付ける感覚があったけれど、今身につけている試作品は肌になじむというか、締め付けるという単語すら思い浮かばなかった。

 トップを身につけたらどんな感覚なんだろう、と期待に胸を躍らせながら、ジャージを脱ぎ捨て、てるてる坊主の要領でラップタオルを首もとで止めて、ブラを外した。そしてISスーツのトップに両腕を通してもぞもぞしながら最後に頭を通して着替え完了である。ラップタオルを畳みながら快適すぎる着用感に感銘を受けた。

 

「これがナノマシン配合の力か……」

「大丈夫? 酵素配合みたいなこと言っているけど」

 

 うっとりする私と子犬ちゃんの様子に鷹月が心配そうに声をかけてきた。風呂場で裸体でいるような感覚と、乳の重量が首や肩に掛かることなく、適切なフィッティングで選んだブラを身につけているかのような安心感に包まれた。

 外見はフィットネス水着なので色気もへったくれもないけれど、この着用感は癖になった。私の中でこのISスーツへの評価はうなぎ登りで、夏場下着の代わりに身につければいいじゃないか、ぐらいの勢いだった。

 

「えーちゃん。これはまた、なんとも微妙な」

 

 私のフィットネス水着まがいのISスーツを見て、(ケイ)が話しかけてきた。

 

(ケイ)こそ、なんとまあ派手な」

 

 (ケイ)もISスーツの着用を終えており、グレーを基本色としたデジタル迷彩柄だった。デザインはセシリア嬢や相川たちと変わらない。しかし、(ケイ)の鍛え抜かれた太股が露わになっていて、相川などはうらやましそうな視線を注いでいた。

 

「あら。(ケイ)ったら、ストレートアーム社のデジタル迷彩モデルじゃない」

 

 セシリア嬢は型番まで続けて言い、筋肉には興味がないのか趣旨を理解しているためか、ISスーツについて触れた。カタログモデルをやっているだけあって、一目見るだけで型番まで見抜く当たりが驚くに値した。

 

「相変わらずスタイルだけは素晴らしいですわね」

(ケイ)がクラスの中じゃあ、一番モデル体型なんだよね」

 

 セシリア嬢と私が(ケイ)の体つきを褒めた。

 胸はないけれど背が高く、しっかりくびれている。

 (ケイ)はセシリア嬢と一緒に扉付近へ歩いていった。奥で二人でじゃんけんをして順番を決めているらしかった。(ケイ)が勝ったらしく、腕を組んで勝ち誇っていた。

 

「じゃあ、ちょっとやってみようかな」

 

 (ケイ)はそう言ってから息を吸い、視線を前方に定め、軽く顎を引いて背筋を伸ばした。彼女らしくない口元に笑みをたたえた小悪魔な顔つきになってストライドを大きく踏み出した。つま先で進行方向を定め、腰が体の中心になるよう意識を集中し、接地している側の脚は決して曲げない。正面から見ると両脚の内股がこすれるほど接近しながら、前後に交差しているように見える。いわゆるモデル歩きだった。

 扉から窓に向けて一本の線上を歩く。

 私たちの前まで来ると、太股を強調するように右脚に重心を寄せて、自由に動かせる左足をつま先立ちにして、それを左右交互にやってみせた。セシリア嬢と交替する前に、口を開けて笑顔を見せると、私に見せつけるようにウインクをしてみせた。大げさな動作にもかかわらず、あざとさを感じなかった。

 (ケイ)の姿が消え、続いてセシリア嬢もモデル歩きで姿を現した。

 ストライドを大きくするために肩と尻を大きく動かすので、どうしても露出した臀部と太股に目が行ってしまう。セシリア嬢が私たちの前まで歩み出ると、目を潤ませるように細めて子犬ちゃんに向けて投げキッスをした。振り返り様に金髪をたくし上げて、潤んだ瞳を流し目することで私たちの視線を釘付けにしてから歩き去っていった。

 同年代とは思えない大人っぽさだった。

 (ケイ)やセシリア嬢が学園生活では決して見せない顔つきに、私は胸がどぎまぎするのを隠しきれなかった。

 

「モデルみたい!」

 

 谷本が声を上げた。

 

「どうだったー?」

 

 (ケイ)が顔を出すといつもの緩そうな表情をしていた。モデル歩きしていた同一人物とは思えなかった。

 

「すごく良かった。なになに、ファッションショーとかやったことあるの?」

 

 岸原が鼻息荒く食いついたので、(ケイ)は普段通り朗らかな笑顔のまま首を縦に振った。

 (ケイ)の後ろからセシリア嬢が姿を現すと、岸原に補足説明を行った。

 

「ストレートアーム社のIS関係のカタログにこの子、出てますわよ」

「嘘っ」

「えーちゃん。失礼だなあ」

 

 セシリア嬢の言葉が信じられず、驚きがとっさに口に出てしまった。(ケイ)が頬をふくらませたので岸原がくすっと笑った。

 

「いや、なんて言うか、色々負けてる……」

「えーちゃんと子犬ちゃんのだって、一応最新版なんだよね」

「試作品だよ。一応歩兵向けのパワードスーツを作ってるメーカー」

 

 更識さんや鷹月がどこの会社か分かったらしく相づちを打った。布仏さんや谷本たちにひそひそと教えてやると、みんな納得したように手を打った。

 

「えーちゃんって顔もスタイルも悪くないんだから、もっと自信持っても良いのに」

 

 (ケイ)は人差し指で胸を突いた。

 私は(ケイ)に言い返そうと口を開いた矢先、肌に強烈な刺激が走って、脳が()ぜるような未知の感覚を体験した。

 

「……ひあっ」

「えーちゃん?」

 

 変な声を出した私を不審がる(ケイ)

 

「まさか」

 

 先ほどから段ボール箱の中から取り出した冊子に目を通していた鷹月が何かに気付いたのか、私の背後に回り込んて両腕の下からすくい上げるような仕草で胸に触れた。

 鷹月自身はいたって真面目なので、もみ上げるような手つきは何らいやらしいものではなかった。しかし普段ならばくすぐったい程度で鷹月の手を払って終わるはずが、今回は違った。

 私が身につけているISスーツは信号の伝達速度が三〇%増加しており、ISスーツに織り込まれたナノマシンによって着用者の感度も三〇%増しになっていた。つまり、とても感じやすい体になっていた。

 

「ひぅ、ら、らか、たかつき、やめっ……じょう、だん……ってない」

 

 私らしからぬ嬌声(きょうせい)だった。はっきり言って気持ちよい。他人に胸を揉みしだかれる行為がこれほど快感に感じることなのか。感じすぎて頭がおかしくなりそうだった。

 鷹月はもう一度ささやかな胸を揉みしだき、同じ反応が返ってくることを確かめると、谷本と岸原を呼び出してこう言った。

 

「脇の下と脇腹を頼みます」

 

 はじめはきょとんとしていた二人だったけれど、すぐに内容を理解して両手の指を不規則に動かして私の体に飛びついてきた。

 

「くすぐっちゃえ」

「えーちゃん、ごめんなさい」

 

 と谷本と岸原は笑いながら脇の下をくすぐったり、脇腹を突いてきた。

 

「うひゃっはははは! やめっ、やめて、感じすぎて、やばっ」

 

 私がこそばゆさに悶絶していると、隣では大変なことが起きていた。

 最初は更識さんと子犬ちゃんが小さな声で話をしていた。そのうちに更識さんですら子犬ちゃんの頭をなで出して、さらさらした髪の感触を楽しんでいた。

 

「かんちゃん。子犬ちゃんのこと気に入ったんだね~」

「本音……この子……可愛い」

「そうだよねー。そうだよねー。めちゃくちゃ可愛いよね~」

 

 子犬ちゃんが更識さんにしっぽを振る幻影が目に浮かぶ。周囲の人間の理性を狂わす様はもはや魔性と言い換えてもよかった。既に英国の代表候補生が魔性に狂わされ、彼女をお持ち帰りしているのだけれど、当のセシリア嬢は(ケイ)と話をしていて更識さんや布仏さんの様子に気付いてはいなかった。

 

「家で……飼ってみたい……な」

「そうだよねー。そうだよねー。じゃれあってもみくちゃにしてみたいよね~」

 

 なぜ今まで子犬ちゃんが平穏無事に過ごせたのか謎だった。電車に乗ったら真っ先に痴漢に狙われるタイプで、おどおどしているし、声も小さい。嵐が過ぎ去るのを耐えて待つような子だ。とびっきり下衆な考えが頭に浮かんだのだけれど、岸原の指が脇腹に吸い込まれた私は奇声を上げて、その考えも吹き飛んでいた。かなりんが腰を曲げて心配そうに私を見下ろしているので、できれば助けて欲しかった。私が哀願するようにかなりんを見上げると、彼女はチラと鷹月の顔色をうかがって手出し無用と判断してしまった。一組の中で鷹月の評価がどうなっているのかアンケートを採りたいくらいだった。

 

「……抱きしめても……いいよね」

「そうだよねー。そうだよねー。私の物にしてみたいよね~」

 

 いくら正気に返ったとはいえ更識さんは航空部で侃々諤々の議論を終えた後であり、精神的にぶっ壊れたままだった。少しだけ大胆な顔をのぞかせた彼女は、ゆっくりとした動作で包み込むように子犬ちゃんを抱きしめていた。普通ならここで終わりなのだけれど、子犬ちゃんも三〇%感度アップのISスーツを身につけていたのである。

 

「あったかい……」

 

 更識さんは慎重に抱き寄せながら、互いの頬をくっつけた。さらに体を密着させて全身で体温を確かめようとした。

 しかし、子犬ちゃんはただでさえ感じやすい子だった。人差し指で背中をゆっくりなで下ろすだけで嬌声を上げるような敏感体質で、そんな子が私と同じISスーツを着ている。

 

「うっひゃはははは!」

 

 私は谷本の絶妙な指遣(ゆびづか)いに負けて笑い声を上げた。こそばゆさが治まるとそれきり、二人のくすぐりが止まっていた。

 荒い息づかいのまま体を起こして子犬ちゃんの方を見た。

 

「え……?」

 

 更識さんは背中から腰にかけて優しくなでたに過ぎなかった。驚いてすぐに体を離したのだけれど、子犬ちゃんは自分で体を抱きしめるように手を交差させて、荒々しい息を放っていた。そして鼻で泣くような微かな吐息を漏らした後、強すぎる刺激に子犬ちゃんの目が潤んでいた。

 何が起こったのか私には理解できた。強すぎる快感に脳の処理が追いつかないのだ。自分の体の変化に戸惑いながら、未知の感覚を受け入れつつある子犬ちゃんは、身に秘められた魔性を開花させつつあった。

 全員の視線が艶やかな姿に集中しており、鷹月ですら口をあんぐり開けたまま動かなかった。

 私ですら理性の屋台骨がぐらつくのが分かった。そして女の顔をのぞかせた子犬ちゃんの熱っぽい視線に布仏さんの理性が崩壊した。危機を察知したセシリア嬢がすぐさま動いた。

 

「ふわふわ~」

 

 布仏さんは子犬ちゃんの正面から抱きつき、顔を爆乳に埋めている。確かにあれは気持ちがよい。(ケイ)などは乳枕などといってよくやっているが、(ケイ)はそれ以上手出しをしないので子犬ちゃんも安心して枕代わりにさせていた。谷本や相川も好奇心に負けて乳枕を体験していた。しかし、布仏さんは簡単に一線を越えてくる危険人物なので、決して体を触らせなかった。

 普段ならもう少し抵抗するのだけれど、感じすぎてなすがままになっている。そこにセシリア嬢が憤怒の表情で布仏さんの後ろに立っていた。

 

「何をしていますの」

「せっしーも一緒にやろうよ~」

 

 理性が壊れた布仏さんは、指を伝う度に女の声を上げる子犬ちゃんの艶姿を楽しんでいた。セシリア嬢は嫉妬心を隠す気がないのか奥歯を噛みしめていた。

 

「この子を自由にしてもよいのはわたくしだけ」

「え~。せっしーばかりずるいよ~」

「ダメですわ。彼女はわたくしのものになると誓いましたの。だから守ってやるのは当然のことでしょう?」

 

 私は所有欲を隠そうともしないセシリア嬢を呆然と見ていた。そして気がついた。セシリア嬢の理性はすでに崩壊しているのだ、と。

 布仏さんは頬をふくらませだだっ子のような口調で言った。

 

「いいもん。いいもん。子犬ちゃんもかんちゃんみたいにするから~略奪してやるんだ~」

 

 子犬ちゃんを抱き寄せると唇を奪おうと顔を近づけ、直前でセシリア嬢を振り返って思わせぶりな笑みを作った。

 

「なっ!」

「てひひ。奪っちゃえ~」

 

 セシリア嬢が止めに入るのも構わず、布仏さんは女の顔をしてみせた。

 

「そうはさせません!」

 

 セシリア嬢は二人の間に腕を差し込み、無理やり布仏さんとの隙間を作ると今度は体を入れた。布仏さんはしつこくに子犬ちゃんの唇をねらったのだけれど、セシリア嬢は「奪われるくらいならいっそ」と業を煮やして自ら子犬ちゃんの唇を奪いに行った。

 そして歯が当たったのか、ガキリと音がした。

 

「うわっ。痛そ」

 

 私とかなりんは思わず目を背けた。子犬ちゃんの目の前で布仏さんとセシリア嬢が口を押さえて悶絶していた。布仏さんは唇の裏側を切ったらしく血が(したた)っており、更識さんがあわててティッシュを手渡していた。

 

 

 自室に戻るなり、机に段ボール箱を置いて、無言で(ケイ)袖机(そでづくえ)を漁った。

 

「え、えーちゃん。そこ、わたしの机」

(ケイ)、ノート端末借りるけどいい?」

「いいけど……怒ってる?」

 

 ()しくもしのぎんが言った通りになった。ナノマシンで感度アップすることはつまり衝撃とか着弾のショックも増幅されることになる。場合によっては気を失うかショック死する可能性すら考えられた。そのため調整できないか意見を具申するつもりだった。

 

「メーカーに文句を言ってやる」

 

 着用時の肌触りや感触はこれ以上のものはなかった。あの着け心地を維持すればどんなに値段が高くとも確実に売れる。せめてさじ加減というものを考慮して欲しいところだった。

 私は(ケイ)の袖机から、無駄にでかい外付け人間工学キーボードを取り出し、ノート端末に接続して猛然と打鍵音をかき鳴らした。

 

 

 




2013/3/26 冒頭部分を一部改訂しました。
同日付の活動報告にて差分の情報を掲載致しました。

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