赭石のイアーティス  ───What a beautiful dawn───   作:6mol

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短い。


《鋭角時間世界 ティンダロス》

 

 

 

ふらり、ふらりと。

白い蝶を追いかけて、私は瓦礫の道を歩いていた。

アーテル姉さんのお小言が終わり、軒先きで雨を眺めていた時に見つけた白い蝶。

それを追いかけ、崩れた家の柱を橋のように渡り、転々とある瓦礫を河中の岩の様に飛び移る。

 

───何処に行くのだろう。

 

───一体私は何処に向かっているのだろう。

漠然とした疑問はあるけれど、私はその蝶に意識を絡め取られたかのように魅入られ、正常な思考ができなくなっていた。

 

呼んでいる。あの蝶は私を呼んでいるのだ。

 

───なら、行かなきゃ。

そんな理屈にもなっていない盲信を抱き、私は歩を止めずに進んで行く。

降りしきる雨の中、私は傘も差さずに白い蝶を追いかけていた。

 

「───え?」

 

そして白い蝶に追いつき、その蝶を捕まえた瞬間───

 

ぐにゃり、と。

 

視界が歪む。瓦礫が、闇が、世界が歪む。

 

「え───あ……───?」

 

三半規管が麻痺し、平衡感覚が消失する。立っていることもままならず、明滅する視界の中膝をついて俯いた。

たとえるなら、酷い立ち眩み。脳が縛り付けられる様な強烈な不快感。それは足が浮く様な浮遊感と胃を掻き毟る様な吐き気を伴っていて……一言で言って最悪だった。

 

「───っ!!」

 

それを蹲って必死に耐える……耐える。

耐える。耐える耐える耐える耐える耐える耐える耐える耐える耐える耐える。

 

───自慢ではないけれど、我慢は得意。

 

時間にして僅か数秒程だったけれど、私にとっては数十分にも感じる長い時間だった。

 

視界がだんだんと正常に戻っていき、不快感も消えて行く。

それに伴って、重くなっていた瞼が徐々に開くようになってきた。

 

顔を上げ、白い蝶がどうなったかを確認しようとして───

 

「──────!!」

 

───息を呑み、再び頭が真っ白になった。

 

「ここ……どこですか……?」

 

そう、そうなのだ。

私はユノコスの瓦礫と化した街……その中で蝶を追いかけていた筈なのだ。

周りは当然、瓦礫ばかりの……はず。少なくとも私が蹲った場所は確かに瓦礫の上だった。

けれど───

 

「建物が……街が……崩れていない?」

 

そう、私の視界に映っている景色は瓦礫の街などではない。

 

形は(いびつ)だけれど……建っている建物はどこも崩れていなくて。

舗装された道路もひび割れている訳でもなく……これも歪ではあるが崩れていない。

 

そこは、確かに『街』だった。

 

けれど、まともな『街』ではない事は歪な街並みを見ればすぐにわかる。まるで、抽象画の中にでも入り込んだかのような不思議な世界だった。

形容するなら……《尖っている》。並び立つ建物は稲光のようにギザギザに延びているし、道路も騙し絵のように角ばって歪んでいる。

 

「どこ……なの……」

 

もう一度、自分を落ち着けるように口の中で呟く。

けれど、バクバクと痛いくらいに騒ぐ心臓は全然落ち着いてくれない……落ち着いてくれる訳がない。

 

だって、いきなり、街が、世界が変わってしまうなんて。

 

───怖い。

ここはどうしてこんなに怖いの(・・・・・・・・・・・・・・)

 

わからない……ここが何処だかわからない、だから怖い……?

 

───違う。

本当は、ここが何処だかわかっている(・・・・・・)

 

確かに造形は邪神めいて歪んでいるけれど……その街並みを私が間違えるはずがない。

 

あそこの角は、そう、パン屋さんだった。

その隣は、花屋さん。そしてその次は、紅茶屋さん。

パン屋さんと花屋さんの店主2人はお互いに愛し合っていて……いつ結ばれるのかと女子学生たちの間では有名だった。

 

ああ───やっぱり、そうだ。

だって、私の立っている大通りの果てに大きな影が見えるもの。

あれは……

 

「─────《ツァト・ブグラ》」

 

バロック式大高楼。

まるでこの大洞窟を支えている柱のような大建築。三角卿の設計した碩学機関。

今のユノコスにはもう、無くなってしまった筈のそれ。《抜け穴(サルース)》へと落ちていった都市の象徴。

 

それが、ある。つまりこの街はやはり────

 

 

 

「《中央機関街(エンジン・シティ)》……?」

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

「─────いない」

 

エドがフィリアの家に戻って来ても、そこには誰もいなかった。

まともに機能していない屋根の所為か、寝床、そしてテーブルのあるかつてリビングと呼ばれていた部屋以外は全て雨で濡れている。

 

ざわりとした悪寒が奔り、ひび割れた窓から意味もなく外を見た。

その悪寒は……焦燥の類か。

 

先程ウェストと相対した時から、彼の感情制御はどうにも不調だった。

だが彼女の言葉が真実ならば、止まっている場合ではない。

このままならば彼女は戻れなくなる(・・・・・・)

 

そうなれば─────

 

「─────そうなればなんだという」

 

たかだか幼気な少女が一人、大洞窟の霧に散るだけだ─────

 

自分が焦る様な事など何もないではないか、と、エドは我にかえった。それは、極めて自然な思考だろう。

いつも通りの光景だ。いつも通りの事象じゃないか。

 

なぜ焦る?たかだか他人、少女が一人消えるだけだ。

 

まとまり始めたその思考。大洞窟に生きるものならば至極当然の考えで。

そうだ……諦観しろ。

諦めなければならないんだ。希望など抱いてはいけないんだ。

 

しかし、その時雑音(ノイズ)が走った。

それは亀裂だ。思考を傷つける小さな亀裂。

 

なぜだ、どうして─────

 

 

 

─────おはよう、エドさん─────

 

 

 

─────なぜ。

 

 

出会ったばかりの少女の笑顔を思い出す───

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

─────トコトコ、と。

踏みなれない道を歩いていく。

昔は歩いていた道、今はもう歩けないはずの道。とりあえず、あの大高楼を目指して。

 

不思議な世界だ、恐ろしい街だ。今もまだ身体が恐怖に震えてる。手だって小刻みに震えているし、動かしている足も竦んで今にも立ち止まってしまいそう。

 

人が1人もいないゴーストタウン。前なら絶対にあり得ない。だって、中央機関街はいつも喧騒湧き出す活気でいっぱい。

それが、さらに恐怖を思い起こさせる。

 

「誰かいませんか!」

 

そう叫んでも、かえってくる返事はない。

奇妙な街並みとユノコスとの共通点といえば、相も変わらずに漂っている《青い霧》のみ。

 

─────その時、私は失念していた。

 

《青い霧》が漂っているという事は『あれ』が来る可能性もあるという事を。

 

ユノコスを破壊した『あれ』が、《抜け穴》へ消えていったという話を。

 

『あれ』は《抜け穴》の中に消えていった……

そしてこの街は……かつて《抜け穴》へ落ちていった街。

 

それの意味する事はつまり─────

 

 

『Aaaaaaaaaaaaaaaaaaa─────』

 

「─────!!」

 

大きな破壊音、鼓膜を切り裂く叫び声は後方から。

振り返る、振り返る。

 

そして私が見たものは、その巨大な異形の怪物が先程のパン屋と花屋を破壊している所だった。

崩れる店先と、理不尽な暴力の園。

 

─────嘘だ……そんな。どうして……

 

「《霧の災厄(マリ・クリッター)》……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────死の鬼ごっこが始まった。

 

 

 


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