「あー、疲れたー。」
コンビニで買ってきた夜食を机に無造作に置いて男はソファーに腰かける。
仕事の依頼が重なり随分とハードなスケジュールだったこの1ヶ月は、かつて自分が情熱をかけていたゲームの最後を見ることすら億劫にするほどのものだった。
「モモンガさんには悪いことしたなー」
この男のゲームでの名前はペロロンチーノ。決してペペロンチーノではない。
「あれ? モモンガさんからまたメッセ着てる」
もしかして新しいゲームのお誘いかなと少し期待しながら文面を確認する。
「んー……はい? …なんじゃこりゃ」
そこにはたちの悪いスパムメールかと思うほどの荒唐無稽な文面が書かれていた。
「異世界に転移…現実には戻れる…。んなあほな」
曰く、自分達のギルドが異世界に転移してNPCが自我を持って動き出したというのだ。
「でもモモンガさんってこんな冗談言うような人じゃないしなぁ」
これがるし☆ふぁーとかなら迷わずイタズラだと判断するのだがなんといってもあの真面目なギルド長だ。
「そもそも、もうログインするゲーム自体無くなってるしなぁ。むむむ」
どうしたものかと悩んでいると姉から電話がかかってきた。
「起きてるんならさっさと出なさい、弟」
相変わらず辛辣な姉だと思いながらも用件は何だと問い掛ける。
「モモちゃんからのメッセ見た?」
どうやら麗しき姉君にもこのメッセは届いていたようだ。
二人で少し話し合う。もしかしてゲームを愛するあまり少しおかしくなってしまったんじゃないかとか、時期外れのエイプリルフールじゃないかとか。
少し時間が経ったところで、ログインしてみれば判るじゃんということになったので二人とも久々にダイブしようと準備を始めた。
「もし本当に異世界だったらどうすんの? 姉ちゃん。俺はもうシャルティアとチョメチョメすることしか頭にないけど」
「黙れ、弟」
もし本当に異世界とやらになっているならハラスメントコードなど存在しない。
そんな妄想に耽りながら半ば冗談で姉弟ともども消えた筈のユグドラシルへログインしてみた。
「…マジ?」
「うっそぉ…」
かつて見慣れたはずのナザリック玉座の間。それは圧倒的な現実感をもって二人を迎え入れた。
「姉ちゃん…キモい」
よりリアルになったピンクの肉棒は五感で感じ取れるようになったいま更に気持ち悪くなっていた。
「黙れ、弟」
もはやお決まりのセリフとなったこの言葉に少し安心を覚えたペロロンチーノは回りを見渡し誰も居ないことを不思議がった。
「モモンガさん居ないなー。あ、一旦現実に戻ってんのかな?」
既に違和感なくこの現実を受け入れているペロロンチーノ。これはやはり生来の能天気さとシャルティアに会える期待からだろうか。
「アウラとマーレに会ってくる!」
そういってピンクの肉棒は駆け出していった。気持ち悪い。
「転移すればいいのに…あ、そういえば指輪モモンガさんに預けてたな」
仕方ないとばかりに自分も玉座の間を離れる。
「待ってよ姉ちゃん!」
姉のぶくぶく茶釜に追い付いた後は二人で並んで歩く。そして廊下を歩くことしばし、メイドが肩を震わせながら脇によってお辞儀をしてきた。
名前は忘れたけど一般メイドの一人だったかな?
自分のことが解るかどうか聞いてみたら涙を流しながら当然で御座います、お帰りなさいませと言われた。そういえばモモンガさんのメッセに忠誠心マックスって書いてたなぁ。
可愛いなぁと思いつつ慰めて、落ち着いたところでシャルティアを探しに行く。
と思ったところでモモンガさんの声が脳内に響いた。
「(来ていただけたんですね! お久し振りです、ペロロンチーノさん)」
随分と喜色を滲ませた声に少し罪悪感を覚えつつ玉座の間に居るということなので姉を引きずってとんぼ返りする。
「お久し振りです! お仕事の方は大丈夫なんですか?」
「久しいな、ペロロンチーノ。相変わらず変態オーラが出ているぞ?」
「凄い…! 凄いぞ! もうあんなブラック企業捨ててこっちに永住したい…!」
「うーむ、これは学会で発表したいのう…。しかしあまりに荒唐無稽。いったいどうなっておるのか」
「久しぶり茶釜ちゃん! 僕も来たよー」
玉座の間に戻ったらかつての仲間たちがちらほらと集まっていた。モモンガさん、タブラさん、ヘロヘロさん、死獣天朱雀さん、やまいこちゃん。皆メッセを見て来たんだろう。
「お久し振りでーす。皆さん元気にされてるようで」
「おひさー!」
それぞれ挨拶をしながら興奮気味にこの状況について考察をしていく。そんなことをしている間にも続々と仲間たちが集まってくる。
「うおっ! 本当だったよ…。退会してID使えない筈なのに…」
「うおーーっ! テンション上がってきたぜー!」
「異世界か…。今度こそ世界征服もありだな」
ギルド一番の問題児や悪にこだわるワールドディザスターもやってきた。
「皆さん…! 本当に会えて嬉しいです」
モモンガさんが感動したような声で皆にお礼を言っている。皆、口々に謝ったり慰めたりしている。るし☆ふぁーだけはからかっている。
そのうちNPCなどの話になり、忠誠心が異常に高いこと、インしなくなった俺達を今でも待っていることなどを聞かされた。
そこでギルドの問題児、るし☆ふぁーが「ならかっこよく帰還の演出して感動させようぜ!」と言い出し皆も楽しそうに同意した。今集まってるのは23人。全員は流石に来ないだろうがまぁそれは仕方ない。
ぷにっと萌えさんが全員に指示を出し、皆もそれに答え役割とセリフを覚えていく。久し振りの仲間たちとの交流はやっぱり随分と楽しかった。
ナザリック第9階層にある一部屋。黒曜石で作られた巨大な机を41席で囲んだ椅子がある。
つい数刻ほど前に唯一人残った至高の御方から指示があり、各階層守護者、全執事、メイド。ナザリックの主要な面子がこの部屋に集まっていた。今は座る者も居ない空席を背に、主を待っている。
「デミウルゴス、これは何の召集でありんすか? ここまで人数を集めるのはただ事ではありんせん」
「何か重大な発表でもあるのかなー」
「ま、まさか私とモモンガ様の婚約発表!? くふー!」
「それは無いと思いますよ、アルベド」
守護者達が召集の理由がわからず思い思いに推測している。
「いったい何であろうとも我らはモモンガ様に従うのみ。そろそろ静かにしましょうか」
デミウルゴスが至高の御方に醜態を見せるわけにはいかないと手を叩きながら周りを鎮める。そして程なくして死の支配者が現れた。ゆっくりと歩き、配下の者達の前に立つ。全員が頭を垂れひれ伏し、主の声を待つ。
だがこの時に限ってはいつもの様に声がかからない。全員が疑問に思いながらも体勢を維持する。
その圧倒的な支配者のオーラを前に頭を垂れ続ける。そう、彼等には支配者のーーー解りやすく言うならばギルドのメンバーの気配がある程度解るように作られている。
至高の御方を間違うことがないように。
至高の御方を見逃すことがないように。
彼等にとって至高の御方は絶対で、だからこそ。
だからこそ、例え背後に現れた覚えのある気配にも振り向くことは出来なかった。
目の前におわす唯一残ってくださった至高の御方に不敬をはたらくことは出来ない。
それも当然あるだろう。だが彼等は怖かったのだ。
命令があれば死も厭わず敵に立ち向かう彼等でも。
自害せよと言われれば喜んで即座に命を絶てる彼等でも。
たった一つの動作。首を振り向かせ背後を確認する。たったそれだけのことが出来なかったのだ。
怖いから。
期待して、翹望して、想望して、渇望して、狂おしい程に待ち焦がれた希望がただの間違いであったら?
希望と絶望は表裏一体だ。到底叶うとは思えない希望のために期待して、裏切られるのが怖かった。
だから主への不敬を言い訳にして姿勢を維持する。
本当は気付いているのに。
その幸福が信じられないから。
その希望を信じきれないから。
歓喜で涙が溢れているのも気付かずに。
それでも時間は有限だ。永遠に頭を垂れ続けるわけもなく、待望でもあり恐怖でもあるその言葉が主の口から放たれた。
「面を上げよ。そして振り向くのだ」
威厳と迫力に満ちた声。そして彼等は命令通りに振り返る。
ーーーーーその日、ナザリックに慶福の福音が鳴り響いたーーーーー