猛毒の沼の佇む聖女アストラエアと彼女の膝枕で眠るユイ。その姿は見る者を感動させる。キリトもこの二人の姿に、心の奥底で感動していた。そして、アストラエアの口から放たれる残酷な現実。全てを救うことなど、夢物語に過ぎなかった聖女アストラエアの救済の旅の顛末。一心に救いを求めるがゆえに、聖女アストラエアは目の前の苦しむ人たちを見捨てる事が出来ず、彼女は人であることを捨ててしまった。簡潔に自らの一生を語る聖女アストラエア。儚さを纏う彼女の語りに、感動しない者はおらず。キリトとアスナはあまりに残酷な物語に涙を浮かべる。アストラエアは、アスナの涙を拭きそっとほほ笑んだ。
「私は後悔などしておりません。私は、私の救済の道を貫いて死ぬことが出来たのですから。しかし、ガル様には酷い事をしたと思っています。私の様な未熟な小娘の御守りを任されたばかりに、道半ばで倒れたのですから。悔やんでも、悔やみきれません」
今まで穏やかな口調で話していたアストラエアが初めて声を荒立たせる。自分が未熟なばかりに将来を約束されたガル・ヴィンランドと姉セレンを巻き込んでしまった事を、彼女は悔やんでいた。
アストラエアの隣に立っていたセレンが、アストラエアの発言を取り消すように言う。彼女やガルにしたら自分達の存在を否定されている様な物だからだ。二人の任務は聖女を守ること、守るべき人から心配されては、誇り高い神殿騎士の精神をけなされたのと同じだ。
キリトとアスナは、アストラエアとセレンの覚悟や使命感が自分達にどうにか出来る者ではない事を悟る。背負ってきた物も、覚悟もキリトとアスナは二人の足元にも及ばなかった。
「・・・パパ?ママ?」
そこで今まで眠っていたユイが寝ぼけ眼をこすりながら起きる。そして、キリト達を改めて見つめ喜びの声を上げる。
「パパ!ママ!やっと来てくれた!」
アストラエアの膝を離れ服を汚しながらアスナに抱きつく。アストラエアはその光景を見て、本当に望まれていたのは自分ではなく、彼らだった事に気付く。自分は単なる母親代わりだった事を。しかし、それでも彼女の心のよりどころだった事は変わらず、彼女の癒しになれたことが、アストラエアの救いだった。
「キリト様、アスナ様、ユイ様。私はこの離れる事は出来ません。3人で、外に出てください」
「・・・・・アストラエアさん。どうしてもだめなんですか」
「はい。ここにいて、飢え、病、疑心に囚われた哀れな子供たちを愛するのが私の仕事です」
「・・・・分かりました。ウルベインさんにはそう言っておきます。どうか、お元気で」
ユイを抱えながらキリトはどこか悲しそうな表情でアストラエアの元を後にする。彼には、一つの事に執着する自分が哀れに思えたのだろうか。今となってはそれを知ることは出来ない。アストラエアは、そう物陰に隠れる影にそう言った。
「実際、哀れだろう。見えもしないものにすがって、最後には疫病とソウルの業という毒を撒き散らして死んだんだ。悲しい美談だ」
物陰から現れた禍々しい風貌の鎧、ユルトはそう言いながらアストラエアの前に立つ。
「貴方からは諦めと血のにおいがします」
「当然だ。貴公ら、優雅で信心深い生活とは無縁な生活を送ったからな」
「なぜあなたはそうも人を殺せるのですか」
「金と自分の証明」
「私はあなたを否定しません。それだけの苦しみをあなたは感じたはずですから」
「本当に貴公は高潔だな。どこかの生臭坊主を殺す方が何倍も気が楽だ」
「あなたの望みは」
「いい加減にこの虚構の世界にも飽き飽きした所だ。私はこの世界を終わらせる」
「その為に私が必要なのですね」
「正確には貴公の持つデモンズソウルだ」
「人であることを止めるとしても、それでも欲しますか」
「初めて人を殺した時より人など止めている」
「いいでしょう。私のソウルが、この世界に縛られた可哀想な魂を解放すると信じて」
「・・・」
聖女の体にユルトの手が入り込む。一瞬アストラエアに苦痛の表情が現れるがすぐに消える。そして、ユルトがゆっくりと手を引き抜くと手のひらには青白く光る淡い光の球が握られていた。
「純潔のデモンズソウル。確かに頂いた、貴公の死は無駄にはせん。そなたの信じる神のもとで私がこの世界の神を殺す瞬間を待て」
ゆっくりとソウルの残照を残しながら聖女アストラエアは倒れていく。その顔には一切の迷いは無くただひたすらに穏やかな死に様だった。
「かたき討ちはしなくていいのか。貧金の騎士」
「アストラエア様が望んだ事だ。私が邪魔をする理由は無い」
「ではどうする。いつまでもここで死者の弔いをするか」
「守るべきものを無くした今、私はまだ心の整理がついていない。整理がつくまではここで二人の墓を守る」
「憐れだな」
「そうだな。私は憐れだ」
ユルトはセレンとの会話が終るとすぐに場を去る。
「安らかに眠れ、血濡れの聖女よ」