気がつくと目の前には木々が広がっていた。
それだけしか思い出せない。それ以前に何をしてたかは思い出せない。
気がつくと僕は一人だった。
生物の気配が感じない森の中。どうしてここにいるのかすら思い出せない。
気がつくと僕は、一人だった。
「…。」
思考を最大限に活用して現状理解に努める。此処は何処だ?自分は誰だ?
「あ…。」
言葉を発することはできる。
「…なんだっけ。」
名前を思い出すことはない。いや、そもそも名前があったのかすら覚えてない。
微妙な感覚ながら手と思えるものを動かすことができる。そして視界に入った五本の指と腕。人の形をしてるなら自分は人なのだろう。
「白…。」
唐突に頭に浮かんだのは白色。あたり一面に広がる緑よりも白の印象が頭に残る。つまり自分は白色が好きだってことなのだろうか。
「そうか…。自分は、自分は此処に産まれたのか。」
感じることは自分が赤子でないこと。青年であろう姿をしている。でも人間は青年として産まれることはない。
「じゃあ…自分は、人間じゃない?」
声に出したところでわかるわけではない。でも、不思議と自分が人間だとは思えなかった。
「まず…することを決めないと。生まれたのが天命なら、従わなきゃ。まずは生きる上で必要なこと…。」
生きること。必要なのは衣食住だろうか。…森の中で住むのは厳しいなら、街を探そう。それから仕事を見つけて、幸せになる。それが天命なんだろう。
「…あ、忘れるところだった。名前くらいは付けなきゃいけないか。」
…そんなこも突然思ったところでつくようなものではない。親が子に名前をつけること、それが大変なんだと理解ができるような。
パッと浮かばないなら適当でもいいからつけるとしよう。…さっき思いついたのは白色。なら白って名前…はダメかな。もう一つ漢字をつけておこう。
「好きな一文字のもの…。数字…。零、かな。白と零を合わせて白零。よし、自分の名前は白零。じゃあ街探しをしよう。」
そっと一人の青年は動き出した。
森を抜けて幾星霜。一体いくつの冬を超えたことか。一体いくつの村を超えたことか。
街がない世界なのだろうか、森からでて見つけれたのは村のみだった。いや、街がなければ村でも全然構わないと思っていた。
が、村人に受け入れられることはなかった。村人の全てが自分の存在を認識してくれなかった。なぜ?理由は生まれる。生まれるだけで解決はされない。
声をかけた。反応されない。触れようとする。体をすり抜ける。
やはり自分が人間ではないことをもう数年前、いや数十年。はたや数百年前か。それくらいには理解出来た。
何も口にしなかった。しかし死ぬことはなかった。人間じゃないなら自分はなんなんだ?
村の人間共が口にした妖怪という言葉。最初は自分を妖怪だと思ったけど、どうやらそれも違うのか。妖怪も食べ物を食べるらしいから。
なら自分はなんなのだ?
「…はぁ、やっとこの体にも慣れたのか。慣れるのに何百年かかったことやら。」
居場所がない僕はとある山奥の洞穴に居を構えた。誰にも認識されずに生きるなら、むしろ生き物と接触しない生活を送りたいと思ったから。
不思議と死なない僕の体。未だに解けない謎が多く存在していた。
「…天も不可思議なことをしてくれるものだな。人間じゃないとしても、人間に認知してもらえるような存在にして欲しかったものだよ。」
慣れたような手つきで火を起こす。別に火を起こさなくても凍死することはない。月は知らぬが時は真冬。寒さすら感じない体だが火を見ると落ち着ける。
ボーッと火を見つめ続ける。眠くなることは無かった。
この何百年かでわかったことは多かった。
食べ物を必要としない。睡眠を必要としない。つまりは生物の概念から外れかけている。疲れることもない。ついでに言えば空を飛べる。
そう、なかなか便利にも思える体だった。だが、やはり僕は人間としての体の方が良かった。自分自身でも理解出来ない体は嫌だった。
さらに言えば僕は笑うことがなかった。泣くことがなかった。怒ることがなかった。感情がなかった。
「はぁー…。ダメだ、それでもわからないことが多すぎる。…季節も冬になったことだし、冬眠をするか。長き眠りでまたわかることがあるといいが…。」
そう、もう別に人間じゃないから驚くことはないけど僕は冬眠ができるらしい。ただ、生物とは少し違う冬眠だった。
春に目覚めることはない。目覚めるのは十年から百年ほどの間に起きる。最低でも十年は起きることがなかった。
そして、眠っている間に抱く疑問がわかることがある。それは思い出されるかのように、目覚めた時に鮮明に新たな記憶として刻みつけられる。
…むぅ、冬眠すると決めた時だけ不思議と睡魔が訪れる。
―青年はそこで意識を失った。
『あなたはなんでこんなところにいるの?』
『信仰心はないのに存在できるの?』
『神だと気づいてないの?』
『ねぇ、とある神社で祭神をしてくれないかしら?』
『私の夢を叶えるために必要なのよ。』
『ねぇ、無感情さん?』
意識が一気に現実世界に連れ戻される。夢の中にいたのは僕じゃなかった。誰かが話しかけてきた。そう、『誰』かが。
ずっと存在を認識されなかった自分自身に話しかけた人物がいた。それは目を開けるとすぐにわかった。
金髪を腰よりも下に伸ばした女性。扇子を広げ口元を隠す不気味な女性。そんなイメージ印象しか持つことができない女性が確かに僕を見ていた。存在を認識していた。
「見えるのか?」
「えぇ、もちろんよ。…なぜかわかってないようね、無感情の神様さん?」
「なんだそれは?」
「…いいわ、私がわかっていることだけを話してあげるわ。あなたは無感情に宿る神。無感情こそがあなた自身なのよ。そしてあなたが疑問に思っていることも解決してあげましょう。誰にも認識されない。それは人間妖怪が無感情になる時がないからよ。常に感情を抱き続ける生物にはあなたを認識することができないわ。」
…長い間抱き続けていた悩みをいとも容易く暴かれるとは。この女性は只者ではないんだろう。そして人間でもないんだろうか。まぁいい、知れることを知れるなら黙って聞くに越したことはない。
「まぁわかってるのはそれだけなのだけれどね。」
「…なんだ、そうか。」
「そうね。…それとここからは私からのお願いよ。あなた、私が受け持つ神社で祭神をやってくれないかしら?」
「構わない、が。僕じゃ役には立たないさ。無感情に宿る神が神社などで祭るなど良い事ではない。」
「違うわ。あなただからこそ頼んでるのよ。無感情に宿るからこそ、ほかの神とは違う。季節に宿ったりすると神社などで祭ることができないじゃない。…聞いてくれないかしら?」
…ふむ、まぁ悪くは無い話だな。どれもこれもつまらない日常に変化が起こるなら喜んでそうしてみたいものだし。それが吉と出るか、凶と出るか。それはそれで見物だな。
「わかった、その話に賛成しよう。」
「助かるわ。…あ、私の名前は八雲紫よ。よろしくね、無感情の神様。」
「僕にも名前はある。白零だ。そう呼んでくれ。」
「ふふ、わかったわ。じゃあ私は先に神社に行っているわ。そこであなたを祭神にする準備ができたら自然とあなたも神社に飛ばされるわ。そこでまた会いましょう。」
「あぁ、わかった。」
八雲紫はそれだけ残すと、奇妙な空間を広げた。妖術かはわからないが、妖怪であるとは確信した。妖怪が神社を持つとはな、なかなか面白いものじゃないか。
八雲紫がその空間に入ると空間も同時に消えて元の風景に戻る。
飛ばされるとは言ったが、それまでにまだ幾分が時間はあるはず。この山に無感情の神がいた痕跡だけは消しておくとするか。
重い腰を持ち上げて、炭になった木を片付け始めた。