福岡
街はパニックに陥っていた
「逃げろー!!爆撃機だ!!」
「ウチの飛行機は何してんだ!」
福岡市民は大慌てで逃げ惑う
その上空では・・・
「すばしっこい野郎だ!!」
アメリカ兵が銃座で零戦を狙っている
その横を零戦がかすめる
ドォウ!!!
「ウワッ!!エンジンをやられた!」
20mmでやられたエンジンは自動消火も意味が無いほど燃え、B-17はみるみるうちに高度を下げて成竹山へ突っ込んでいった
「フクオカ上空に到達を確認!!」
「コース良し!」
「爆弾投下!!」
ガコン!!
ヒュルルルル・・・
大勢のB-17から投下された爆弾は福岡に吸い込まれる様に落ちていった
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福岡市はこの空襲で600人程の死者を出した、高高度の爆撃で爆弾が風で目標から逸れてしまったのと
焼夷弾などではなく、只の爆弾だった為火災がそこまで無かったのが幸いだった
爆撃隊の方にも被害がないわけでもなかった執拗な日本軍の攻撃により
半分程の部隊が何処かしらには被害を受けているという感じであった
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この空襲は当初は中国国民党が行った物だと考えていたが、成竹山へ落ちたB-17の搭乗員を捕虜にした際
その搭乗員がアメリカ人だった事
から国民党というよりアメリカ軍が
爆撃を行っていたという事がわかった
日本に戦線布告してない筈のアメリカ軍が爆撃機で攻撃してきたことについて帝国政府はアメリカに説明を要求した
この事についてルーズベルト大統領は彼らは義勇軍であり、我らのアメリカ軍とは何ら関係無いと弁解した
しかし明らかに非戦闘員に向けての攻撃に世界のメディアは少なからず
取材をしこの事を記事にした
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その中でも朝○新聞などの日本の新聞が
(これはアメリカによる国際条約を無視した騙し討ちだ!)
(この事は絶対に忘れるな!)
(今こそ横暴なる欧米へ怒りの鉄槌を!)
このように新聞は国民を煽り立て
政府も日米交渉において雲行きが怪しくなり 、8月1日にはアメリカは日本に対し石油禁輸措置等の経済制裁を行った、近衛内閣は米国に対しての国民感情の悪化が制御しきれなくなっていった
そして遂に・・・・
ーーー1941年8月8日ーーー
大日本帝国政府はアメリカ合衆国へ宣戦布告した
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ドイツのとある研究所の視聴覚室
そこにはベルクマンの姿もあった
そしてその部屋の壁に掛けられた幕に映されていたのは、広大なロシアの森に湧き上がるキノコ雲であった
どうも最近就職し、忙しくなり投稿ペースがガタ落ちになりそうです