実況パワフルプロ野球~あの空のムコウまで~   作:たむたむ11

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第一章 第5話「凌駕」

「用意、スタート!」

 

 八剣の構える火薬銃が空を鳴り響かせると同時に、隼は全身全霊の力を込めて前へと突き進み始めた。

 するとその途端、彼は今まで体験した事もないような激痛に見舞われる。

 足から出た危険信号が神経を伝って脳を刺激し、隼の行動を縛ろうと体全体を痺れさせて行く。

 

(ぐあっ……! こ、この痛みはっ……!)

 

 開始直後、先ほどの軽い足の捻りによる痛みとはかけ離れ、まるで雷に打たれたような衝撃を受けた隼。

 手先から足の指先までの血の気が遠ざかり、息もできないような苦しい激痛に胃の中がヒリヒリと痛みだす。

 今にも体が崩れ去ってしまわないか、と残っている意識が体を制御している中。次なる第二歩目を踏み出して行く。

 

(次踏み出すのは……、左足っ……!?)

 

 痛みで瞳孔が広がった眼で隼は足元をみつめていると、次に自分の行うであろう行動に対し、たちまち血の気が引いていくのが理解できた。

 先ほどの痛みは、左足で直接踏み出した痛みではなかったのだ。

 そして次に来るであろう痛みこそ、本当の地獄。今感じとった痛みよりはるかに上を行く痛みが隼を襲うだろう。

 既に左足は前に出ており、もう少しで地に着きそうな足を眺めているその瞬間が隼にとってはとても長く感じられた。

 まるで隼に恐怖を味わせたい何者かが時を支配しているかのように、時間の流れはゆっくりとながれていた。

 

(このままじゃ、死んでしまうっ……)

 

 この痛めた左足が地に着いた途端、自分の体がどこかへと弾け飛んでしまうような気がした隼はたちまち体を引こうとする――が。

 

(だ、ダメっ! ここで止まってしまったら、母さんに顔向け出来ない――!)

 

 隼は思いとどまった、母の顔が脳裏に浮かんだ。

 これまで苦しい思いをしてきた母親の事を考えたら、この程度で諦めることなど出来なかった。

 一瞬でパニックに陥り、そして正気にへともどった隼はその第二歩目である左足を地に着けて行く。

 

「ぐうぅ……!?」

 

 先ほどの痛みとはまるで別物の強い衝撃に、隼は情けない声を出しながら苦しみだす。

 第一歩目の衝撃はスタート時に右足を突き出させる為、左足に力を入れた事が原因で生じた物であり、大したものではなかった。

 しかし、今踏み出した第二歩目は違う。

 普段支えている物よりもはるかに重く、さらに普段の体を支えるのだけでも辛いような痛めた足に全体重をかけて踏み込むのだ。

 それはもう痛いどころの騒ぎではない。隼の眼には意味も分からずに涙が浮かび、口元からは唾液が噴き出し始める。

 だが、それでも隼は走るのをやめなかった。

 

(次は右足っ――!)

 

 第三歩目、隼は右足を踏み出し第四歩目に向けて左足を宙にへと浮かす。

 左足が宙に浮んでいる間は流石の隼も痛みは感じない。

 しかし左足が沈めばまた、あの恐ろしい衝撃が隼を襲う事となる。

 

「うううぁ……!!」

 

 第四歩目、痛みが再び隼の体に響き渡った。

 顔が苦痛で歪み、胃の中のものを今にも吐き出してしまいたくなるような悪寒に襲われる。

 まだ4歩しか歩いていないというのにもかかわらず、隼の意識は痛みにより今にも飛ばされてしまいそうになっていた。

 

(このままじゃ……、いけない!)

 

 隼は意識が霞んでいくのを抑えようと、走りながら思いっきり口の中を噛み砕く。

 残っていた意識ではうまく制御できず、頬の肉には歯が思いっきり食い込み大きな傷を生じさせる。

 炎症の心配などする余裕もない隼であるが、傷口から勢い良く流れて来る血の味と痛みは、隼の意識を僅かに回復させた。

 

(痛いっ……、けど、これなら――)

 

 隼は再び右足を前に踏み出し、そして左足をまた前に踏み出す。

 すると口内をかみ砕いた痛みがまだ残っていたのか、先ほどのような体全体に衝撃が走るような痛みは、口の傷の痛みに相殺され多少マシなものへと変わっていた。

 そして、失いかけていた意識も口の中滴る鉄の味と痛みが隼の意識を取り戻させたのであった。

 一歩、一歩、それまた一歩。隼は痛みを相殺しながら黙々とゴールに向かい走って行く。

 相殺して走れるようになったとはいえ、頭に伝わってくる衝撃とそれに対する防衛反応を抑え込むのに、隼は恐ろしい程の体力を費やしている。

 進んでいく度に霞んでいく視界、痺れて感覚が薄れてきた手足、もはや何も聞こえていない聴覚。

 隼は一人で戦っていた。自らの信念の為に、そして母親の為に――と。

 

 

 

 

 

 

「は、はえぇ!?」

「なんだ、あの走者!!」

「本当に30キロの重りをつけて走ってるのか!?」

 

 一方、その激走を間近でみていた他の受験生達、そして監督であった八剣は隼の走りに衝撃を受けた。

 その壮絶な全容を知らない部外者から見た隼の走るフォームはとても美しく、そしてとても力強い。

 何よりも、30キロの重量を抱え込みながら走る速さとは思えないような速さで走り抜けていった事は、長年たくさんの走者を育ててきた八剣ですら驚愕していた。

 

(信じられん……、あの防具をつけながらこの速さだと……!?)

 

 隼がコースの半分あたりに差し掛かった際、八剣は手にとっていたストップウォッチを覗き込む。

 そこにはデジタル数字がちょうど6秒に切り替わった瞬間が映し出されていた。

 その記録に八剣は驚愕というよりも、困惑する。

 

(あれ……? 計るタイミング間違えたのか……?)

 

 そう思ってしまうのも仕方のない事である。

 なにせ片倉隼という男は、30キロの重りを装着した状態で50mを6秒近い記録で走り抜けていると言うのだ。

 それはとても尋常ではない事。何もない状態でさえその速さを記録するのも難しいというのにも拘わらず、目の前で走っている隼はそれをやってのけている。

 最初はまるで可愛い女の子のようだと隼の事を見ていた八剣であったが、目の前で起こった現実が走る隼の姿を恐ろしい化け物に変えさせた。

 

 

 

 

 

(なん……で、やんす……?)

 

 一方、先ほどまで隼と一緒にいた矢部も隼の走りを見て呆気に取られていた。

 怪我を負い、重たい防具を体に纏い、苦しそうな表情を浮かべながら走っている隼の姿は、先ほどまで一緒にいた男とはまるで別人のように思える。

 先ほどまでの冷静で、穏やかな少女のような気配は感じ取れず、その表情には戦士の貌が浮かび上がっているようにも感じられた。

 

(片倉クンの気迫が伝わってくるでやんす……。

 まるで……、いや、そんな事があるわけないでやんす……。それよりも……!)

 

 この時、矢部は何か思い当たる節があったようだが今はその考えを捨てた。

 それ以上に気になることがあったからだ。

 矢部は隼の動きを見ていて、隼がどんな状況になっているのかいち早く気づいてしまう。

 

「このままだと、片倉クンがヤバいでやんす!」

 

 皆が速さに圧巻されてる中、ただ一人隼の身に気遣って彼の元へと走っていく矢部。

 しかし矢部がコースに侵入してもなお、他の人間は隼がどのような状況で走っているのかを全く気づけないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 50mを過ぎた頃、隼の意識はもう殆ど残っていなかった。

 気力と想いだけが足を動かしていた。視界はぶれて当てにならず、体があるのかもはっきりしていない。

 微かに残っている意識は自らが走っているのかどうかだけを意識するようになり、他には何も考える事が出来ない。

 それは体が起こす防衛反応に対しても同じ事のようで、隼は足の痛みも体の苦しみも感じてはいなかった。

 そして無意識中に自らの体のリミッターを解き放ち、痛みや防衛反応を遮断したのである。

 口元から血が流れ始め、焦点の合わない目で必死に探りながら真っ直ぐに走る隼。すると、何やら目の前に何かが映り始めた。

 

(白黒の服……、監督――?)

 

 それはゴール地点でストップウォッチを手に持ち、隼が来るのを待ち構えている監督の姿だった。

 気づけば彼はゴールまで残り20mの所まで近付いていた。ゴールが見え始めた事で一時的に隼の思考回路が回復する。

 たった数秒間で地獄のような苦しみを受けた隼であったが、ようやく見えてきたゴールに対し、彼は心の中で少し安堵した。

 

(よかった――、これで――)

 

 だが隼が喜んだのも束の間。安堵の表情へと切り替わる彼の体は、突如バランスを崩しそのまま前のめりに倒れこんでしまう。

 

(……あ、あれ?)

 

 わけも分からず倒れこんでしまった隼。

 左足の痛みを再び感じ始めた事で、自分が今まで無意識状態で走っていた事に気づく。

 緊張のとれた体が隼の意識を確かなものにしていくのと同時に、それまで封じてきた他の物も溢れ出した様だ。

 倒れこむ隼は再び起き上がろうと地に手を掛ける。

 しかしその途端再び視界がぼんやりとしだす、甦る左足の痛みや疲労を一手に受けた事でまた意識が遠ざかる。

 必死に起き上がろうとする隼であったが、もう重たい体を動かすほどの気力を残してはいなかった。

 

(――そう……だった)

 

 彼は薄れゆく意識の中、自らの体質に涙する。

 

(体力、自信無いんだった――)

 

 

 

 

 そして隼の意識は完全に途絶えた。

 ゴールまで残り10メートルも無い所で、隼は力尽きたのだ。

 倒れこむ隼を前にどよめく受験生一同。そんな中、駆け寄ってきた矢部はすぐ様監督に声をかける。

 

「片倉クンが倒れたでやんす! 救急車でやんす!」

「お……、おう!」

 

 隼が目の前で倒れたのに対し、しばらく動揺して棒立ちとなっていた八剣。

 しかし駆けつけた矢部に指示されるとすぐに校舎の方へと向かって行く。

 一方、矢部は真っ先に隼の元へと駆け寄ると、間髪入れず彼に声をかける。

 

「片倉クン! しっかりするでやんす!」

 

 矢部が見た隼は、先ほどまでとは比べ物にならない程ボロボロであった。

 血に濡れた泡を吹きながら、体中から汗が吹き出し呼吸もおぼつかない状態で倒れこむ隼。

 左足は捻った足首が真っ赤に腫れあがっており、矢部も思わず竦み上がる。

 

(まさか……、その足でここまで走ってたでやんす!?)

 

 言葉を失ってしまう矢部。彼は改めて隼に対し敬意を示すようになる。

 そして数分後、救急車によって隼は運ばれていった――。

 

 

 

 

 

 片倉隼――記録なし。失格。




ややスランプ気味ございます……。
後々文章を修正するかもございます!

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