実況パワフルプロ野球~あの空のムコウまで~ 作:たむたむ11
5回表、一点ビハインドの状態から女子野球部の攻撃が始まって行く。
打席に立つのは四番打者、川村。女子野球部内では長距離砲として期待されている彼女だが、袰延の投球があまりにも良いため、出塁には期待できそうにないこの状況。
それでも川村は果敢に袰延の球にスイングを合わせ、なんとか塁に出ようとする。
しかしストレートを除いても、スライダー、カーブ、チェンジアップにシュート。計五球種もの球を変幻自在に繰る袰延拓哉という男と、女子野球部の選手とでは格が違い過ぎた。
袰延のストライク先行の投球を前にし、川村は長打どころか、三塁にへと力の無いゴロを転がせる事しか出来ず、ベンチへと引き返す事となる。
未だに安打どころか、出塁すら許さない袰延の投球に、焦り出す女子野球部員達。
そんな中、ただ一人だけ全く動じずに、ベンチの奥から試合展開をじっと眺めていた野口。彼が神妙な面持ちを浮かべながら袰延を眺めていると、その隣に座っていた人物から声を掛けられる。
「ねぇ……、野口君。どうすれば袰延君を打てると思う?」
「……」
何を考えて試合を見ているのか分からない男に声を掛けたのは、先程から守備でも大活躍。打席でも唯一袰延と良い勝負を繰り広げている、片倉隼だった。
隼は、何とか夢花に援護点を与える事はできないかと、その方法を探っていた。しかし、彼にはサイドスローの軟投派を攻略するための知識や経験が全くない。
打ちにくいから右打席に立ったり、相手の球質を見破ったりする事はできる。しかし具体的な配球の読み方や、緩急の対応と言った技術面では、経験不足が災いし上手くいっていなかった隼。
けれど野口ならば、それを打開できる策があるかもしれない。ダメ元でそう思った隼は、野口に対しどうすれば良いのか助言を求めたのであった。
すると野口は隼の問いに対し、首を横に振りながらもそれに応じてゆく。
「難しい所だな。あるにはあるが、一朝一夕でなんとかなる問題じゃないし、何より片倉が理解できるとは思えん」
「うーん、一応教えてくれないかい?」
どうやら野口は、既に袰延攻略に目途をつけているらしい。
しかし、仮にそれを教えた所で、隼たちにそれを実行する事はできないと考えていた。
けれど隼は聞くだけ聞いてみようと、野口にその方法を聞き出そうとする。
野口はそんな隼に対し、面倒くさそうに顔を顰めながらも、タブレットの手描き機能を使用しながらその方法を簡潔に説明しだす。
「いいか、袰延の様に左対左だと出所が見えない分、どうしても反応がワンテンポ遅れてしまう。だから球を引きつけて、肘を畳み、手首を押し込み、流れるように打つのが理想だ」
野口はタブレットを手に取りながら、袰延の左サイドスローと左打者を模した図を簡潔に描く。
左サイドスローと言うのは以前にも説明した通り、左打者から見ると、出所が見えづらい所が厄介だと言われている。その結果タイミングが取りづらくなる為、投球に対し反応が多少遅れてしまう。
その為、野口は左打者が左サイドスローを打つ際はあえて球を良く見て、引きつけてから打つようにする事が大切と言う。
引きつけてから打つというのは、即ちボールを良く見て打者の臍の前で打つという事だ。前で白球を捌くのとは違い、上体が白球に突っ込む形を取らなくなるので非常に安定した打球を打つ事が出来る。
その代わり、球を引きつけ過ぎる事により、充分に腕を振れず差し込まれてしまう可能性も出てくるだろう。
しかし袰延程度の球速ならば、たとえ引きつけて打ったとしても、打者は十分にスイングを合わせられる筈だ。と、野口はそう説明した上で、隼に対し話を理解できたかどうかを聞く。
「俺が考えてる事は以上だが……、片倉は出来ると思うか?」
「実際に目で見て、経験してみないと……、何とも言えないなぁ……」
最初に野口の言った通り、説明されてもいまいちピンとこない隼。
話を聞くのと、実際にやるのとでは、やはり大違いな様子。策はあっても実行できない事に二人は頭を抱える。
バッティングというのは野口の言う通り、一朝一夕で変えられるものでは無い。
仮に今すぐ、野口が提唱する袰延対策を溝浜疾風女子野球部に知らせて取り入れようとしても、結局は現在のフォームを崩してしまうだけで、成果は出てこないだろう。
念入りにティーバッティングやトスバッティング、マシン打撃等でフォームをしっかりと固定し、長い年月をかけてようやく自分のものになるのがバッティングと言うものだ。
ここに居る選手達はいくら名門の選手とはいえ、まだまだ技術面では未熟な部分が多い高校生達である。
そんな選手が、プロ野球選手顔負けの技術を持った格上の選手を相手にするために、相応の技術で立ち向かおうとするのは、いくら何でも無理があるのだ。
「奴の配球は教科書通りの単調な配球なのは確かだが……、球のキレや精度が並大抵の投手とは違う。変化に対応できず外野まで飛ばせんようだ……」
野口も苦悩していた。いくら高校野球界でも上位の守備力と機動力を持つ溝浜疾風の野球と、袰延の繊細な投球が相性抜群とは言え、ここまで圧倒的な投球をされるとは野口も予想していなかったからだ。
袰延の配球もこの試合を通して、大分掴めては居る。しかし配球は読めていても、打者は悉く打ち取られてしまっているのが殆どだ。
結局、この五回の攻撃も三者凡退。未だに完全試合ペースで試合を進めていく袰延に対し、部員達の焦りも隠し切れないレベルにまで達している。
「なんか……、本当にヤバいんじゃね?」
「あのピッチャーの球、そこまで早くないのに全然飛ばないよね……」
女子野球部員の中に生まれる焦燥感。それは守りにも影響が出始める。
五回の裏、夢花が七番打者である田村を空振り三振で打ち取った後の事。
打席に立つのは八番打者である飯島。お世辞にも打撃成績は良いとは言えない彼を前に、夢花は打たせるピッチングを展開。そして見事、一塁手方向に緩いゴロを打たせてゆく。
「ファースト!」
夢花はベースカバーに入りつつも、一塁手である町田に声を掛け、彼女に白球の処理を任せる。
町田はそれを受けて白球に向かって前進。後は落ち着いて捕球をし、一塁ベースカバーに入った夢花に送球すればいいだけ。
しかしここで町田は試合展開から来る焦りからか、投げる筈だった白球に手を滑らせ、その場に落としてしまうという痛恨のエラーを犯してしまう。
「あっ……!」
「ド、ドンマイ!」
すぐさま部員達はエラーの町田をフォローするも、この回またしても走者を出してしまった女子野球部。こうなってしまうと負の連鎖はなかなか止まらない。
続く九番打者、西尾。夢花は一塁走者を気にしながらクイックモーションで投じて行く。
クイック自体はかなり上手く、塁に出た飯島を走らせない彼女であったが、その投じる球の質はと言うとランナーが居ない時とは別物。
球威が売りだった筈だった夢花の剛速球は、モーションにより腕を振りきれてない事で、かなり球威が低下していた。
このレベルまで球威が落ちると、流石の男子野球部でもバットに楽に当てられるようになる。この打席、夢花の投じたツーシームは、九番打者西尾にあっけなくレフト前へと運ばれてしまう。
そして一死一・二塁。この日三度目の打席を迎えた一番打者、岡島の打席。
彼には粘りに粘られるものの、夢花は何とか岡島を打ち取って二死一・二塁とする。
しかし打ち取った直後の打者、山口に対しては岡島以上の粘りを見せられフォアボール。二死満塁とさらにピンチを広げて行く。
(やっぱり、クイックモーションだと簡単に当ててくるなぁ……。けど、泣き言は言っていられない……)
四回に引き続き、再びピンチが続くこの回。涼子は焦りつつも夢花の事を信じて次の打者に望む。
通常はランナーが溜まると、投手は牽制のために、セットポジションで投げる事が多い。そしてそこからさらに素早く投球をするため、どうしてもフォーム自体が小さくなってしまいがちだ。
その為、ワインドアップから体全体を使ったダイナミックなフォームから投じる速球に比べると、クイックモーションからの窮屈な速球は、威力は極端に落ちてしまう。
その関係上、夢花は走者が居ない時はかなり有利に投球を行う事が出来るものの、一度走者を出してしまうとかなり崩れやすくなってしまうのであった。
「さて……、そろそろ、終わらさせてもらうぜ……?」
大苦戦を強いられている夢花の前に、立ちはだかるはこの回六人目のバッター、袰延拓哉。
先程は右方向に引っ張る見事な本塁打を放っていた、男子野球部打線のキーマン的存在。そして夢花バッテリーが最も戦いたくないであろう、恐怖の一年生バッターである。
一打席目は隼の好捕こそあって凡打となったものの安打性の当たり、そして二打席目は油断をついての本塁打を袰延に打たれている夢花。
塁が開いて居れば敬遠という手もあるのだが、塁は既に埋まりきっている。
これ以上四球を出す物なら、押し出しという形で相手に一点を献上してしまうだろう。
夢花バッテリーには一つしか道は残されていない、それは袰延を打ち取る事である――。
(絶対に、抑えなきゃっ……!)
夢花は渾身のストレートをアウトローギリギリを目掛け、投じて行く。これは袰延に長打を打たれないようにするために、低めに集めようとしているのである。
しかしクイックモーションが災いしてなのか、焦りなのか。夢花のストレートは球がおじぎするように、低めにへと外れていく。
集中している袰延の選球眼は凄まじく、外れていく球に対し彼は身動き一つすら取らず、あっけなくそれを見逃すと不敵に笑みを浮かべていた。
――もはや崩れるのは時間の問題。そう思っているのだろう。
それでも夢花は、抗うのを止めなかった。
(隼君に最後まで戦ってくれって言われたんだっ……! 先輩として、こんな所で引いてはいられないッ!)
夢花の中には、先程隼の口から出て来た約束の言葉があった。
先程は恥ずかしさのあまり、隼に言葉を返す事が出来なかった夢花であったが、隼の想いは確実に夢花に届いていたのである。
後ろには隼が守ってくれている。夢花はそれに応える為に、目の前の勝負から目を背けてはいけないのだ。
夢花は折れそうになっていた心を持ち直す。そして渾身の力を込めて、涼子のリード通りに白球を投じて行く。
セットポジションからのクイックモーション、窮屈なフォームではあるがきっちりと腕を振り抜いた。
集中力を極限まで引き出し、涼子の構えた所通りに投じられてゆくゼロシーム。袰延はタイミングを図りながら、白球に対しスイングを合わせに行く。
袰延のバットは夢花の球を確実に捉えていた。しかし、夢花の想いが勝ったのか、ライナー性の当たりも打球はそれ程勢いも無く、三塁手坂本のグラブに収まりスリーアウトとなる。
「くッ……。さっきの打席とは大違いじゃねぇか……!」
結局袰延は白球こそ捉えたものの、あと一歩伸びが足りずにサードライナーで終わってしまう。
満塁のチャンスで打ち損じた袰延はがっくりと項垂れる。
一点リードの状況であれど、袰延は集中を乱してはいなかった。しかしそれでも打ち取られたのは、夢花がここに来て尋常じゃない程集中し始めた事だろう。
先ほどは集中力の差で本塁打を放つ事に成功した袰延だが、ここは素直に負けを認めベンチへと引き返して行く。
「よしっ、抑えきったぁ……!」
「ナイス夢花!」
緊迫した状況で、見事強敵である袰延を打ち取る事が出来た夢花に、チームメイト達も拍手喝采を浴びせて行く。
しかしターニングポイントを切り抜けた事で、風向きが変わってくれるかと言えばそんな事は無かった。
相変わらず打線が機能していない女子野球部。袰延は七番打者、西山をショートゴロに抑えると、続く長瀬をキャッチャーフライに。そして夢花をサード方向へのファールフライであっけなく切り抜けて見せる。
その球数、僅か六球。この六回までに、僅か四十五球しか投げていない袰延は、全く表情に披露を見せてはいなかった。
対する夢花は序盤こそまずまずのペースで投球をしていたものの、四回から続いている揺さぶりや粘り打ちで、球数を多く投げさせられている。
夢花は五回終了地点で七十一球。まだ六回を投げて居ないにも関わらず、長い間投げ続けた事により、その表情から疲労しているのが見て取れた。
続く六回裏も夢花は四球や単打で塁を埋め、またしても何とか無失点で切り抜けたものの、この回の地点で球数は九十球を超えてしまう。
「やはり、私が何とかしなくてはなるまい――」
そして迎える七回表の攻撃。打席にはまたしても、人が変わったかのように集中しながら、片倉隼が構えている。
彼は右打席で打つ事を諦めたのか、再び左打席に立つと野口の言った事を思い出しながら袰延の球を振るう。
(引きつけ、肘を畳み、手首を押し込み、流れるように打つ――!)
しかし、アウトコースやインコースに小気味よく決めてくる袰延を相手に、急に打席でバッティングスタイルを変えようとしても無理があった。
先ほどとは違い、完全に崩れていた隼のバッティングフォームでは、袰延の球を当てる事すらできず空振り三振。
結局、隼は三打席連続で袰延に打ち取られてしまう形となってしまう。
(やはり野口の話を聞いただけでは何とも……)
隼は自身の経験不足を呪いながらも、ベンチへと引き下がって行く。
続く打者は矢部。前の二打席では全く良い所なく凡退している、男子野球部員ながらも頼りない男である。
「ガチガチ、……で、やんす」
矢部は何故かガチガチと口にしながら。身もガチガチに震わせ、打席へと向かってゆく。
(ふん……、片倉は抑えた――。後は他の雑魚をやれば俺の勝ちは決まりだ……!)
この時、袰延は峠は越える事が出来たと言わんばかりに安心してしまった。ここまでどんな状況でも集中し続け、表情を崩さなかった袰延であったが、明らかに表情に安心している様子が見てとれた。
そんな袰延に更に追い打ちを掛けるように、味方守備から甘い言葉がかけられてゆく。
「袰延さん! 完全試合ありますよ!」
「狙っていきましょう!」
こうなってしまうとチーム全体は士気が上がるどころか、完全に弛緩しきってしまう。
けれど、ここまで無安打無失点、走者一つ出してない袰延の投球に期待しない方がおかしい話だった。
袰延はガチガチに震えている矢部の胸元に、安易な対角線投球、クロスファイアーを決めようとした――。その時である。
「――引っかかったでやんす!」
ビン底メガネの奥で光らせていた目を見開かせながら、矢部は袰延の初球を、力強く振り抜いた金属バットで捉えて行く。
打球は三遊間を一瞬で抜く、強烈なゴロだった。レフト前へと転がった為に矢部は二塁まで進塁する事は出来なかったものの、これまで無安打に抑えられていた女子野球部員の歓声はすさまじかった。
「きゃあああああ、打ったああ!?」
「矢部君、かっこいい!!」
「矢部君ナイスバッティング!!!!」
一塁ベースの上、照れる表情を見せていた矢部。この瞬間、彼はファインプレーを何度もしてのけた隼と同じぐらい、輝いていた。
矢部がガチガチに震えていたのは演技だったのだ。
隼と言う強大な打者を打ち取られ、後続が絶望している様を見せつける事で、相手の油断を誘った矢部なりの策であったのだ。
ここまで全く良い所が無かった、というのもあってか、完全にその術中に嵌ってしまった男子野球部員。
矢部は右打者、左サイドスローが放つ球の出所を見極めやすい打席で彼は"教科書通りの配球"を待ち望んでいた。
待っていたのは勿論、インコースへのストレート。いくら対角線直球で威力があるとはいえ、変化球でも何でも無い120km/hのストレートを打つのは、矢部にとっては造作もない事だったのだ。
「ふっふっふ、オイラだって腐っても"一番打者入学"でやんす! 甘く見られたくはないでやんす!」
「……フン」
ようやく、塁に走者を進める事が出来た女子野球部。そして完全試合を逃した事で、少しだけ意気消沈する男子野球部。
しかし、袰延は全く落ち込む様子を見せなかった。むしろ、たった一本の安打に喜んでいる女子野球部を激しく軽蔑していた。
(何がナイスバッティングだぁ……? たった一本、打っただけだろう?)
袰延は小さく息をつくと、何事も無かったように次の打者を抑える事に集中する。
矢部に打たれた事は水に流さなくては、次の打者からはきちんと集中すればそれでいい。と、袰延は自分に言い聞かせ、切り替えて行く。
しかし袰延はこの時、自らが犯した重大な問題に気づいていなかった。
この出塁により、片倉隼という強敵が四度目のバッターボックスに立つ事が確定した、と言う事を――。
次回、ちょっと遅れますございます