実況パワフルプロ野球~あの空のムコウまで~   作:たむたむ11

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第二章 第13話「対男子野球部編③」(挿絵あり)

 四回の裏。男子野球部も打者が一巡し、一番打者である岡島からの攻撃が始まった。

 マウンドに立つのは夢花、そしてそれをリードするキャッチャーの涼子が、キャッチャーボックスに入り、サイン交換を開始する。

 相手投手が女子野球部打線を無安打に抑えている以上、こちらも打たれるわけには行かない。

 そう思っていた涼子は、マウンドに立つ夢花にリードを示す。

 先程一球で抑えた相手に対し、涼子が要求したのはここまでまだ一球も投げていない、夢花最大の魔球だった。

 

(そろそろ相手の目も慣れて来た所で、使い始めるよ。……この冬に完成した、魔球をね)

(オッケーイ!)

 

 二巡目の攻防。ここまでフォーシームとツーシーム、そして失速するゼロシームファストを使用し、男子野球部打線をのらりくらりと躱して来た夢花であったが、それだけではすぐに対応されてしまうだろう。

 だから涼子は打者一巡したこのタイミングで、夢花に伝家の宝刀を抜かせる事にしたのだ。彼女が一番得意としている"動き過ぎる直球"を――。

 

(全力全開っ! "動き過ぎる速球(ダブルムービング)"!)

 

 彼女は心の中でその魔球の名を叫びつつ、一番打者である岡島に対し、またしてもど真ん中にその魔球を投じていく。

 

 

 

 

 一方、二打席連続でコースのど真ん中に速球を投じられた岡島。

 先程の打席、初球を打ち損じてしまった事で、夢花にナメられているのかと思ったのか。

 彼は怒りを隠し切れずに上体を捻らせると、白球目掛け思いっきりフルスイングする。

 

(また同じ手か……! 今度こそ――!)

 

 投じられる球が綺麗なストレートで無い事は分かっていた。

 しかしそれならばと、岡島はツーシームとゼロシームの二つに球種を絞り、思いっきりバットを振るってゆく。

 如何に厄介な動く速球であれど、所詮はほんの少し曲がるだけのファストボール。

 バットを振り抜けるコースに投じられているのならば、たとえ芯を少し外していても、バットを振り抜けばきちんと安打は打てるものなのだ。

 岡島は最初から動く直球狙いでスイングをした。絶好球だと判断し、思い切り振り抜いた彼の判断は決して間違いでは無かっただろう。

 けれど考慮するべきだったのだ、夢花にはまだ余力がある事を。

 

(ほれ、落ちて来たぞ……、ツーシーム!)

 

 動く速球特有の軌道にスイングを合わせ、長打を確信する岡島。

 しかし彼は確信をもってスイングをする最中、一打席目の事をこのタイミングで思い出す。

 マウンドで満面の笑みを浮かべていた夢花を――。

 そして軌道を合わせたのにも関わらず、軌道から逸れるように沈んでゆく白球を――。

 

(この状況……、もしや)

 

 ここに来てようやく、フルパワーを出して挑む事となった夢花は、自信に満ち溢れた表情を浮かべながら、打席で立つ岡島の事を見つめている。

 そんな状況に既視感を覚えていた岡島。夢花の表情を見て嫌な予感を感じたのか、彼の顔色は一気に悪くなってゆく。

 そしてその嫌な予感は的中した。

 

(な……、ツーシームが二段階変化した!?)

 

 またしてもスイングの軌道上から逸れるように沈む球。それを目撃した瞬間、岡島は再び、夢花達の仕掛けた罠に自らはまってしまった事に気付かされた。

 目の前で起こったあり得ない変化に戸惑いつつも、岡島は自らが打ち損じてしまった白球の行方を確認する。

 夢花の投じる魔球のいやらしい所は、隼が打ち損じた時と同じように、金属バットの芯を外すように落ちる事で強制的にゴロを打たせてしまう所だろう。

 一塁方向に力無く転がってゆく白球。もしこれがファールか空振りだったのなら、岡島にとってはどんなに良かっただろうか。

 岡島は一塁ベースへと向かって駆け出した。しかし、フルスイングで走り出しが遅れたのもあり、内野安打は絶望的だ。

 守りにつくファーストの町田は落ち着いて打球を処理し、ベースカバーに入った夢花に送球する。

 岡島はヘッドスライディングを決めてアピールしてみるも、焼け石に水。審判は状況を判断し、冷静に判決を下す。

 

「アウト!」

「よぉし、ワンアウトっ!」

 

 打ち取った事に喜びを感じ、右腕をグッと上げてガッツポーズをとる夢花。

 一方、岡島は鳩がマメ鉄砲を喰らったような表情を浮かべながら。夢花が投じた球が一体何だったのかを考え出す。

 

(なんだあの球……、速球というか、変化球みたいな動きの速球だった……?)

 

 しかし何度答えを出そうとも、岡島の頭の中に二段階変化のムービングファストボールという結論は出なかった。

 それもその筈だ、夢花が投げるその魔球と言うのは、夢花が偶然見つけた世界中探しても見つからない唯一の魔球なのだから。

 

 

(これこそゆーちゃんの真髄、"動き過ぎる速球(ダブルムービング)"。ツーシームの回転軸をずらすようにリリースさせて失速させた球は、打者の手元でフォークの様に"落ちる"……!)

 

 岡島を打ち取って上機嫌な涼子。夢花と一緒に完成させた魔球がしっかりと決まった事が嬉しかったのか。心の中で夢花の魔球を解説していた。

 隼との対決でも見せていたこの魔球だが、この速球の最大の特徴は変化球並に球が動く、"動き過ぎる直球"という事である。

 ただでさえ動く速球と言うのは、強打者に対し非常に有効な球種だ。一打席目で岡島がそれを証明したように、僅かな変化でも、初見ではものの見事に打ち損じてくれる。

 逆に言えば、日本人投手が好んで投げているフォーシームの綺麗なストレートと言うのは、強打者揃いの米国だと全くと言っていいほど通用しない。

 日本人メジャーリーガーがこぞって挫折し、強力な変化で空振りを取る|変化球(ブレーキングボール)を習得したり、手元で曲がり芯を外す事が出来る|動く速球(ツーシーム)を習得したりするのはそれが要因だ。

 そう言った視点でこの動き過ぎる速球(ダブルムービング)を見てみると、この魔球が如何に優れて居るかが良く分かる。

 夢花の投げた魔球はツーシームの様に手元で曲がり、尚且つ打者の予想以上に変化を見せる優れた変化球でもある。

 それは正しくフォークボールやスプリットの如く、直球と思って振れば空振ってしまうような、現代の魔球。

 隼にこそ内野安打を許してしまい、打ち崩されてしまったものの。強力な魔球を習得した夢花を打ち崩すのはそう容易くはないだろう。

 しかし男子野球部には一人だけ、桁違いの選手が居る事をこの時考慮しては居なかった――。

 

 

 

 

「どういう事だぁ、そりゃ?」

 

 打席から戻った岡島が、ネクストバッターサークルへと向かう袰延に打ち取られた要因を報告した。

 すると袰延は強面をさらに顰め、怪訝そうに岡島を見ると再度訊き返す。

 

「ツーシームよりも、もっと曲がるツーシームだと?」

「はい……、なんていうかその……曲がった後、さらに落ちるって言うか……」

 

 いきなりそんな事を言っても信じてもらえないとは岡島も思っていた。しかしそれ以外に説明のしようがない。

 投じられた球は確かに速球だった、現にバットを振るうまでは完全にツーシームかゼロシームであるかを疑わなかった。

 あれは変化球ではない、岡島は説明に不満を示す袰延に必死になって説明しようとする。

 

「そりゃあもう、あり得ないレベルで落ちましたよ……、しかも速球と同じ速度で、ですよ?」

「ほう……、それがお前が打ち損じた言い訳かぁ……」

「ひ、ひいっ……」

 

 先程の打席では怒られはしなかったものの、流石に今回ばかりは何かしらの制裁があるのではと身構える岡島。

 しかし袰延は睨みつけていた視線を下に向け、何かを考えるような素振りを見せ始める。

 しばらくすると、袰延は自己解決したかのようにブツブツと独り言を繰り出すと、ネクストバッターサークルへと歩み始めて行く。

 

「ま、あり得なくはねぇか……、現にツーシームと呼ばれてる球が、スプリットみたいな落ち方をする野球選手も居るからな……」

 

 袰延はとあるプロ球団の守護神と呼ばれている選手をイメージしつつ、ネクストバッターサークルからマウンドに立っている少女を見据える。

 あのリボンの少女が、本当にそんな魔球の様な球を投げるのならば。計画無しに勝負をしに行くなどと、悠長な事は言っていられない。

 先に先手を取る事で、相手投手の勢いを削がなくては――。袰延は夢花から先制点を取るつもりで勝負へと望んで行く。

 

(つまりは落ちる球なんだろ……? そうと分かりゃ、攻略の方法はちゃんとあるぜ……!)

 

 袰延が笑みを忍ばせていると。二番打者の山口がスプリットのように落ちる魔球に手も足も出ず、またしても空振り三振に打ち取られる。

 ベンチへと引き返してゆく山口に、袰延は一言こう言い放つ。

 

「後続に伝えろ……、ここからは常に相手の守備を揺さぶり続けろ――、とな」

「は、はい……!」

 

 

 

 

 

 

 山口が焦りながらベンチへと戻って行くのを尻目に、悠々と左打席に入り、構える袰延。

 その堂々としていて優雅な構えからは、強打者特有の風格が漂っていた。

 

(さっきこの子、ゆーちゃんのツーシームを綺麗に打ち返した子だよね……)

 

 涼子はマスク越しに見る袰延から漂う強打者の風格を受け、思わず気圧されそうになる。

 袰延には先程、あわやセンター前といった安打性の当たりを目の前で打たれている。その為、この打席では最大限の警戒をしなくてはならないだろう。

 しかし、事前に打者の特徴をきちんと把握していた涼子は、ここに来て大きな壁にぶつかってしまった。

 

(そういや、この子だけ野口クンも情報集めてなかったんだよなぁ……)

 

 そう、涼子が当てにしていたのは、男子野球部一年特待生、野口一義が集めて来た情報だったのだ。

 彼とジョザがこれまで正確に集めてきた情報には、男子野球部各打者の詳しい弱点が記載されていたのである。

 打率や得点圏での打率、打者毎の得意コース、苦手コース。カウントごとの安打率や、バント成功率や盗塁の試行回数。挙句の果てにはOPSに守備指数まで。非常に細かい所まで調べ上げられていた。

 けれどただ一人だけ例外が居た。それが闇野球という非公式な活動で力をつけ、野球部を乗っ取った袰延拓哉という男なのだ。

 辛うじて投球スタイルだけは把握できた野口であるが、袰延の打撃記録に関しては殆ど裏付けも取れず、過去のデータも全く当てにならなかった。

 その為、唯一袰延だけは弱点が分からないまま対決する事を強いられているのだが、それは涼子たちにとってはかなり辛い事でもある。

 

(ゆーちゃんには悪いかもしれないけど。ここまで、ノーヒットで抑えらえたのは相手打者の弱点が分かってたから……、だろうね)

 

 涼子は理解して居た。ここまで夢花がパーフェクトピッチングで抑えてこれたのは、野口のデータがあってこそという事を。

 もしデータが無ければ、1イニングから動き過ぎる速球(ダブルムービング)を解禁しなくてはならなかった。

 しかも動き過ぎる速球(ダブルムービング)は意図的にリリースのタイミングをずらす為、投げるのには相当な集中力が居る。

 もし肩の温まっていない初回から、いきなりそんな魔球を投げようとしていたら、一体どうなっていただろうか。

 答えは明確には存在しない。結局は何とでも言えてしまうのだが、それでも確証が持てる事はあった。

 それは今以上に球数が増えていただろう、という事だ。

 

(けれどせっかくここまで来たんだ。ゆーちゃんには最後まで……、投げ切って貰わないと!)

 

 ここまで順調に3回を投げ終え、4回の守りも切り抜けようとしているこの夢花。

 投球の完成度では、たった一つも安打性の当たりを出していない袰延の方が上なのだろう。けれど夢花もそれに匹敵するものを持っている。

 この勝負は投手戦だ。袰延と夢花、どちらかが先に心が折れた方が敗北するのだろう。

 涼子は打席で構える袰延をじっと見つめながら、覚悟を決める。

 

(その為には、この投手……。袰延君を打ち取らなくては!)

 

 涼子は夢花に動き過ぎる速球(ダブルムービング)のサインを出す。

 コースは関係ない。まずはこの球でカウントを取り、その後は内角外角に散らしながら追い込んで、最後のトドメを魔球で決める。

 それが夢花と涼子、二年生バッテリーの必勝パターンであり、最高のパフォーマンスが期待できる作戦だった。

 サインに頷き、夢花は渾身の力を込めながら魔球を投じる。

 投じられた魔球は若干高めに浮いたような軌道を辿るも、二段階の変化で袰延の足元へと向かっていく絶妙な球となってゆく。

 

(内角低めの良い球……! これならカウントを取ってくれる……!)

 

 最高の球が投じられた事に納得の表情を浮かべながら、向かってくる白球にミットを差し出して行く涼子。

 しかし彼女は肝心な事を忘れていた。

 

 

 

 

 先ほど、袰延が打ったのは初球だった事を――。

 袰延は初見だろうが、初球だろうが容赦なく、安打性の当たりを打てるだけの"力"を持っているという事を――。

 

(言っただろ? ――力で捻じ伏せるってなァ!)

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 落ちる魔球を掬い上げるように打ち返した袰延。

 その瞬間、グラウンドには聴いた者の耳を、脳ごと破裂させてしまいそうな程の轟音が鳴り響く。

 金属製で出来たその音は、ある者には絶望を、またある者には歓喜を伝えながら、グラウンドを駆け抜けて行った。

 そしてグラウンド外へと散って行くその音を追いかけてゆく様に。弾かれた白球は大きな放物線を描きながら、呆然と立ち尽くす矢部の遙か頭上を超え場外へと消えてゆく。

 袰延は打ったのだ。初球、油断しきった相手バッテリーの意表を突く、力任せの本塁打を――。

 

「最後まで集中出来ねぇ奴が負ける、……それが勝負って奴だぁ」

 

 袰延は涼子に対し嘲笑うかのようにそう投げかけると、その場でバットを投げ捨て、ゆっくりとダイヤモンドを歩き始めてゆく。

 そしてその言葉を受け、涼子は自らの考えの甘さを痛感させられた。

 今の一打席に集中し、全力を出し尽くして自ら打点を叩きそうとする袰延。それに対し、後々の事ばかりを考え、テンポよく投球を終わらせようとした夢花涼子のバッテリー。

 優劣がつくのはおかしい事では無かった。たった数秒前、絶対に抑えなくてはいけない相手と警戒していた筈なのに、涼子たちは忘れてしまっていたのだから。

 袰延と言う人物が、どれだけ今を集中して生きているのかという事を――。

 

 

 

 

「ご、ごめんね……、大丈夫? ゆーちゃん……」

「うん、平気だよっ!」

 

 涼子はマウンドに駆け寄ると、自らのリードが悪かった事を素直に夢花に謝る。

 しかし夢花は気にしていないような素振りを見せながら、涼子の事を元気づけようとニッコリと笑う。

 

「点は取り返せばいいんだよっ、やられたらやり返すのが溝浜疾風女子野球部の信条だしねっ!」

「ゆーちゃん……」

 

 しかし夢花が気丈に振舞う姿を見て、涼子は少しだけ胸が苦しくなってしまう。

 夢花は表情には出さないものの、明るく振舞おうとする彼女の声は、微かに震えていた。

 女子野球の世界では、ホームランを打たれるという事は滅多にない。柵越えを狙えるような、素早いスイングの出来るバッターが、圧倒的に少ないのだ。

 仮に狙って本塁打が打てる選手が居たとしても、それは名門女子野球部レベルに一人いるかいないかと言う世界である。

 さらに夢花の動く速球は性質上、球威がある為に強打を打たれても柵越えはしない事が多いのだ。

 これが男子と女子の力の差なのか、と。夢花は心に深い傷を負わされてしまったのである。

 一方、他の女子野球部員にも、焦りの色が見え始める。

 

(いくら守っても、ホームランを打たれちゃ意味が無い……)

(これ以上の失点は防がなきゃ……)

 

 焦りは焦りを生む、とはまさにこの事だった。

 涼子がキャッチャーボックスへと戻り、再び4回裏の守備が始まる中、とにかく揺さぶれと指示を受けた四番打者、川嶋の打席。

 川嶋は初球、いきなりセーフティバントの構えを見せ、女子野球部員一同を警戒させる。

 

(なっ……!?)

(セーフティ!?)

 

 一塁手の町田と、三塁手の坂本が前に出る。

 セーフティの処理は一塁線に転がされた場合は一塁手が、三塁線に転がされた場合三塁手が行うのがベター。

 そしてそれ以外をバッテリーや二遊間が臨機応変に対応するのがバント処理の基本と言える。

 しかし、内野手が前にへと出たとたん。川嶋はバットを引いてヒッティングの構えに戻り、白球に合わせバットを振るう。

 

「バスター!?」

 

 突然のヒッティングに驚く女子野球部員一同。

 川嶋が見せた、一度バントの姿勢を見せてからのヒッティング。

 それは野球用語では"バスター"と呼ばれており。バント処理特有の前進守備の隙をつくことで、本来安打になるはずがない打球を、無理やり安打にするというポピュラーな奇策の一つである。

 通常、ゴロやライナーが定位置での守備において、内野の合間を抜けて安打となる"ヒットゾーン"は限られている。

 打球の早さや、打球の高さ、野手ごとの守備範囲等にも影響されるのだが。平均的な"ヒットゾーン"は一二塁間に約10%、二遊間に約10%、そして三遊間に約10%と、全体を見ると三割程度存在するとの事。

 一見少ないようにも思えるが、見方によれば強いゴロを打つ事で、なんと三割近く安打が期待できるという事。指導者がよく『転がせ』という指令を出す意図は、実はこういう所にある。

 しかし、バスター打法だとそれがどうなるだろうか。

 ランナーが居ない場合、または一塁にランナーが居る際にバントシフトを取ると、一塁、三塁手がホームベース寄りに前進する。そして二塁手が一塁ベースをカバーし、遊撃手も二塁ベース付近まで詰め寄るのが基本である。

 その結果。二塁手が居なくなった一二塁間はそのシフトを敷いている限り、ゴロを転がせば確実に安打となる"ヒットゾーン"となってしまうのだ。

 さらに二塁ベースのカバーに入る二三塁間も、遊撃手が二塁ベースに寄る必要がある為、多少"ヒットゾーン"を広くせざるを得なくなってしまう。

 その際、バッティング時に影響するヒットゾーンの増加は全体でおおよそ25%程。定位置時のヒットゾーン30%を足せば、フェアグラウンド内の55%がヒットゾーンとなりうるのである。

 しかも55%のヒットゾーンの内訳は大半が一二塁間寄り。つまりバスターを決めてから、右方向に転がす事さえ出来れば、非常に高い確率で安打を打つ事が出来るのだ。

 バスターの構えから強打を打つのは実際難しい、けれどフェアゾーンに転がす事が出来る、高い技術を持つ打者が振るうとどうなるだろうか。

 四番に選ばれた男子野球部員の川嶋は、バッティングではチーム屈指の実力者だった。

 バントは勿論の事、内外の打ち分けやきわどい球のカッティング等もこなせる曲者として、チームでは名を轟かしている。

 左打者であった川嶋は二塁側に打球を転がそうと、素早く前でボールを捌く様にバットを振るって見せた。

 結果は見事大成功だった。一塁手の町田も、一塁カバーに入ったセカンドの茅野も白球には手が届かず。ライトの矢部の下へと白球は転がってしまう。

 

 

 

「よし、ナイバッチ!」

「続けー!」

 

 一塁上にようやく走者が立つ四回の裏。ようやく出たランナーを前にし、まるで魔法が解けたかのように勢いづく男子野球部の面々。

 走者が出ると勢いが出るのが、俊足揃いの溝浜疾風野球部の特徴だ。持ち前の機動力は確実に、相手投手を追い込んでゆく。

 

(と、とにかく慎重にやらなきゃね……!)

 

 夢花は一塁走者の川嶋に対し、何度も牽制を仕掛ける。

 決して大きくリードはとってはいないものの、一塁走者の川嶋も溝浜疾風野球の申し子。当然機動力を活かした攻撃を行ってくるだろう。

 夢花と涼子は慎重に走者の出方を伺いながら投球に入ってゆく。

 しかしクイックモーションからのぎこちない投球では、男子野球部を相手にするのには明らかに球威が足りなかった。

 

「ひあっ!?」

 

 初球を投じた夢花が金属音に怯え小さく悲鳴を上げる。

 クイックモーションから投じたフォーシームは一球は丁度ど真ん中。鈴木はあまりの絶好球に振らざるを得ない状況となってしまい、バットを振り抜いた。

 すると打球はまたしても一二塁間へ。今度はセカンド茅野の頭上を超える、右中間を抜ける長打となってしまう。

 

 

「片倉クン、急いで取るでやんす!」

「わ、わかったよ!」

 

 一番の俊足である隼に、フェンス際まで転がった打球を任せた矢部。

 隼は転がっている白球を直接左手で鷲掴みながら、すぐに現在の状況を確認する。

 一塁走者は二塁を回り、三塁へと到達。長打を打った鈴木も既に二塁へと駆け出しているとしているこの場面。

 投げるのは中継か、二塁か、それとも本塁か。隼はどこに送球すべきかを考えた。

 

(もしかしたら二塁は間に合わないかも……、ならせめて……)

 

 目測で二塁に投げても間に合わないと感じた隼。

 隼は三塁走者が帰塁するという、最悪のケースを避けるべく無我夢中に、ホームを守る涼子に向かって白球を投じる。

 けれど普通ならば、フェンス際から本塁へと送球しても、俊足ランナーである川嶋をホームで防ぐ事は出来ないだろう。

 事実、川嶋も確信をもって三塁ベースを回ろうとしていた。普通ならこのタイミングで本塁でクロスプレーになる事は無いだろうと思っていた。

 しかしその時、突如男子野球部側のベンチから、途轍もない程の轟音が球場全体に響き渡る。

 

「川嶋ァッ! 走んじゃねえ戻れェェエ!」

「!?」

 

 名指しで叱りつけられた事に怖気着いた川嶋。彼は急いで走るのを止め、転びながらも三塁ベースへと戻って行く。

 叫んだのは袰延だ。彼だけは、センターを守る隼が"普通ではない"事にいち早く気づいていたのだ。

 袰延の予想通り、隼の脅威的身体能力は俊足という形だけではなく、その肩にも宿っていた。

 一歩助走をつけ、全身の関節と筋肉を捻転させてから白球を放った隼。その白球は糸を引くかのような鋭いレーザーとなり、瞬く間にミットを構える涼子の許へと向かって行く。

 そして涼子のミットに突き刺さった白球は、とんでもない轟音を鳴り響かせた。

 

「なっ……!?」

「爆音!?」

 

 走者である川嶋も、隼の全力送球を初めて受けた涼子も、これには驚く以外に他なかった。

 球場に居る全ての選手達の度肝を抜かす、その轟音。女子野球部員はおろか、男子野球部員ですら見た事もないレーザービーム。

 それはまるで一筋の流れ星の様。一瞬で現れ、ミットの中へと消えてゆく。そんな送球を目の当たりにし、袰延はわなわなと身を震わせた。

 

(やっぱ――、そう来たか……!)

 

 もし川嶋が走っていたとしたら、この"普通"ではない"流れ星"は、確実に川嶋を刺し、その俊足ごと貫き通していただろう。

 強面で滅多に動じない袰延ですら、その額に冷や汗を滲ませざるを得ない隼の身体能力。

 自らの本塁打で先制する事こそできたものの、袰延は隼という異質な存在に焦りを感じていた。

 

(俊足、守備範囲に、そして肩……。テメェは本当に人間なのか? 片倉隼……!)

 

 もはや、隼がファンタジーの世界から来た、本物の勇者だと言ったとしても何の不思議でもないその実力。

 それでも袰延にも意地がある。例え目の前にいるのが伝説の勇者だとしても、自らの持つ悪の信念で立ち向かわなくてはならない。

 袰延はさらに決意する。絶対にこの試合、負ける訳にはいかないと――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、鈴木にはヒットを打たれ、ツーアウトのまま続く四回の裏。

 しかし、今の隼が投じたレーザービームは、確実に相手の勢いを削ぎ、何処か落ち着きのなかった夢花を立ち直らせた。 

 

(隼君が頑張ってるんだっ……、私もやらなきゃ……!)

 

 相変わらずぎこちないクイックモーションだが、それでも動き過ぎる速球(ダブルムービング)の威力は変わらない。

 続く六番。流れを掴むことに失敗した伊藤は、夢花の球をあっけなく打ち損じて、スリーアウト。

 この回は本塁打により一点を取られ、その後直ぐに連打を浴びてしまった夢花だが、何とか傷口を広げずに切り抜ける事に成功した。

 大きく息をついてから、次の回に備えてベンチへと戻ろうとする夢花。

 すると戻り際、彼女の後ろで幾度もファインプレーを見せていた隼が、そんな夢花に対し声を掛けてきた。

 

「ナイスピッチです、野咲先輩っ!」

「隼君……」

 

 しかし隼の言葉を素直に受け取る事が出来ず、目を背けてしまう夢花。

 それどころか夢花は、隼が失点した自分を気遣い、心にもないお世辞を言っているのかないかと疑ってしまう。

 誰だってこんな一点を争う試合で、無様な姿を晒せば心配な気持ちになるのは仕方ない。

 いつもは隼に対し、余裕の笑みを見せつけながら先輩面をしている夢花。

 しかし実際は、追い込まれればパニックに陥ってしまう、か弱い女の子なのだ。

 そして夢花は隼に失望されるのを恐れていた。だからこそ、隼が活躍している中、自分が足手まといとなってしまう事を何よりも嫌っていた。

 隼の見方として、対等に渡り歩いて行きたい。そんな想いが夢花の胸の奥を締め付ける。

 

(私は……、誰かに守られるだけなんて……、絶対に嫌だ!)

 

 けれど、そんな夢花の気持ちを知ってか知らずなのか。いつもは夢花が浮かべているような、ニッコリとした表情で微笑みかける隼。

 その面影に隼の母親である邑子の面影を感じとり、一瞬戸惑ってしまう夢花。

 隼は先日夢花が諭してくれた時の事を、そっくりとお返しするような形で、優しく夢花の肩に手を掛け正面から向かい合う。

 

「えっ……、あ、あ、えっ?」

 

 肩に手を掛けられ、見つめている隼との距離感が急激に縮まっていくのを感じ、戸惑いを隠せなくなった夢花。

 普段は自分がやっている事だが、いざ他人にされると如何に恥ずかしいものであるか。夢花は恥ずかしさのあまり目を背けそうになる。

 それでも夢花は背けたくなる気持ちを堪え、顔を赤らめながらもじっと隼の事を見つめ返す。すると隼はまるでいつもの夢花のように、笑みを浮かべたまま語り掛けてきた。

 

「あの時、こうやって野咲先輩が味方で居てくれるって言ってくれたから、こうしていま僕は先輩と一緒に試合する事ができるんです。だから……」

 

 隼はそう口にしながらもう一歩踏み出すと、瞬きの量が増える一方の夢花との距離をさらに縮めながら続けて言う。

 

「野咲先輩が僕の事を守ってくれたように、僕も野咲先輩を守ります――。だから野咲先輩も、最後まで僕達と一緒に……、戦ってくださいねっ!」 

「しゅ、しゅんくん……!」

 

 目を潤ませながら、隼の事を見つめる夢花。

 もはや胸のモヤモヤは隼の笑顔に吹き飛ばされてしまった、隼は確かに気を遣える優しさを持つが、決してお世辞で心無い事を言う人物ではない。

 隼は本当は夢花よりも純粋なのだ。そしてそんな純粋な隼だからこそ、夢花は手を差し伸べて、対等に渡り合いたいと思ったのだ。

 それを忘れて隼の事を疑ってしまった事を、夢花は少し後悔した。

 しかしそんな後悔すら小さく見えてしまう程、たった一つの感情が夢花の顔いっぱいに広がっている。

 隼はここでようやく、夢花がおかしいという事に気づいた。

 

「の、野咲先輩……? 顔真っ赤ですけど……」

 

 すると夢花は今にも噴火してしまいそうな火山のように、小刻みに表情を震わせると、目を背けながら答える。

 

「だ、だって……。みんな、見てるんだよ――?」

「えっ……?」

 

 隼はその言葉でようやく事の重大さに気づき、周りを確認する。

 そこにはニヤニヤ見つめてる仲間たちが居て、夢花と同じように顔を赤らめながら見つめる仲間たちも居て、そして涙を流しながら隼に向けて何かを訴えかけるような素振りのメガネ男がいた。

 彼は単純に、夢花がしてくれた事をそっくりそのまま返し元気づけようとしただけであり、決してそれ以上の事をしようとした訳ではない。

 急いで夢花の肩から手を離す隼。しかしこの状況では言い逃れ出来ないと感じたのか。今度は彼がパニック状態にへと陥ってしまう。

 

 そんな隼と夢花に対し、女子野球部員達は甲高い声でヤジを飛ばし始めた。 

 

「ヒューヒュー!」

「お熱いぞー!」

 

 ある者達は喜々とした表情を浮かべながら、傍から見た二人の関係を野次り、盛り上げようとする。

 

「百合カップルかな?」

「禁断の愛!?」

 

 そしてある者は、見た目だけならどう見ても、女の子同士のカップルとしか思えないその関係を指摘しニヤニヤと笑みを浮かべる。

 

「片倉クンだけ……、ずるいでやんす!」

 

 そしてあるメガネは相変わらず涙を頬に滲ませながら、隼に対し何かを訴えかけるかのように見つめていた。 

 この状況に耐えきれなくなったのか、隼は急いで夢花の肩に手を戻す。

 そして今度は自分から彼女に縋りつく様に、夢花に対し弁明を求めて行く。

 

「こ、これは違……、違いますっ! の、野咲先輩もなんか言ってくださいっ!」

 

 しかし噴火しそうな火山の様な表情を震わせている夢花は、隼に対しプイと顔を背けながら、不貞腐れたようにこう吐き捨てた。

 

「……隼君の、……バカぁっ」

「の、野咲先輩っ!?」

 

 いよいよ試合も折り返し地点に差し掛かろうとしている、この男女野球部戦争。

 男子野球部には点を奪われ、味方には野次られ、色々散々な夢花。

 しかし、その不貞腐れた表情の中には、今まで夢花が感じた事の無かった、ある一つの感情が芽生えてはじめていたのであった――。


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