実況パワフルプロ野球~あの空のムコウまで~   作:たむたむ11

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第二章 第11話「対男子野球部編①」

「プレイボール!」

 

 審判の甲高い声が響き渡る男子野球部専用グラウンド。遂に勝負は始まりを告げる。

 先攻は女子野球部、守りに入るのは男子野球部となった一回の表。

 マウンドに立つのは男子野球部を暴力で支配したヤンキー男、袰延拓哉(ほろのべたくや)。左利き用のグローブを右手に装着し、鋭い目で打者を睨みつける。

 そして打席に立つのは女子野球部として出場している一番打者、片倉隼(かたくらしゅん)。ユニフォームは男子野球部のを使用しているがヘルメットだけは女子野球部用の物を使用していた。

 彼は打席に入る前に低く頭を下げてお辞儀をし、ゆっくりと打席へと入って行く。

 いきなり因縁の相手との対決に両者気合が入る二人。打席に立った途端、隼はいつも通り口調を強め袰延に語りかける。

 

「袰延よ……、まずは私と勝負だ!」

「ハッ、上等だァ!」

 

 蛇の様な瞳で睨みつけながら、袰延は隼の言葉に応じ身構えて行く。

 睨みつけている打席には、凄まじい轟音を響かせながら思いっきりバットを振り、空を切り裂いている隼の姿があった。

 それは遠目から見ても規格外のスイングだ。

 そのスイングにより、引き裂かれた空気が風に乗ってマウンドに立つ自分ごと打たれているような感覚に陥ると、袰延も真剣な表情にならざるを得なかった。

 

(バットの風圧がこっちまで来てるようなスイング、当てられりゃ飛ぶが……、かと言って転がさせてもあの足――)

 

 袰延は隼がどの様な打撃を見せてくるのかは知らない。

 けれど、隼には恐ろしい程の足がある事は知っていた。

 いくらクイックモーションが得意とは言っても、塁に出してしまえば隼の持つ規格外の脚力に対し対抗できるかは微妙な所。

 なるべくならば塁に出さない事に越した事は無い。

 袰延は鋭い目線を隼に向けながら、どの様に抑えていくのかを考える。

 

(セオリーで行く……、初球をアウトコース変化球でカウントを取り、二球目以後も追い込むまではアウトコースの出し入れでツーストライクを取る……)

 

 実力が判明していない隼に対し、セオリーな配球を頭の中で組み上げた袰延はゆったりと体を撓らせ左腕から白球を投じて行く。

 事前に野口が言っていた通り、袰延は非常に制球が良く有利なカウントを作り出してから本格的に仕留めに行く制球派投手である。

 初球はとにかく打ちにくいコースに投げ込み、カウントを良くしてから相手のミスを誘いだす投球は非常に完成度が高く、アマチュアの投球ではないと野口も絶賛していた。

 打ち込むのは難しいコースに投げ込んでくるとは言え、ストライクゾーンに投げてくるのは変わらない。

 だからこそ初球から打つべき、とも野口は語っていた。

 

「……!」

 

 すると左打席で構えていた隼、袰延の初球に対しいきなりバットを横に構えバントの構えを見せてゆく。

 袰延、そして男子野球部内に緊張が走る。

 

(セーフティか!?)

 

 バントとはバットを振るのではなく、軽く当てて内野をゆるく転がるようにバットを横に寝かせて打つ技術である。

 よく犠牲バントで走者を進塁させると言う様に、打力に期待が出来ない打者が得点圏に走者を進めて次の打者を有利にする為に使用する事が多い技術なのだが、走者が居ないこの場合だとその意味合いは大きく変わってしまう。

 と言うのも、驚異的な俊足を誇る隼が行うバントは内野安打に繋がる可能性が非常に高い。

 バントを行って内野に緩くボールを転がし、その打球を処理する間に打者が一塁ベースを踏めばそれだけで安打は成立する。

 それは以前、隼が夢花と対決した時に、足で凡打を安打にした時の様な内野に転がる鈍詰まりのゴロ。それを意図的に打つという事だ。

 もし対策を取らず、その技を隼程の超俊足が行うのならば、袰延も苦戦する事は間違いないだろう。

 隼が打席に入った直後に見せていた大振りに対し、内野の動きもぎこちなかったのもあってか、男子野球部は揃いも揃って面を食らってしまった。

 しかし、隼は結局バントの構えから身を引くと、あっさりと投じられた球を見逃してしまう。

 

「ストライク!」

(揺さぶり……、だったか……)

 

 審判のコールが鳴り響き、投じた袰延も冷静さを取り戻してゆく。

 球速も100km/hに到達していない程度の球だろうか、夢花の球に比べると明らかに遅いブレーキボール。

 袰延が投じたのは緩いカーブだった。左打席に立つ隼にとっては外に逃げていく変化の球がインローギリギリ一杯に決まる。

 

(もしくはボール球と判断してバットを引いたか……、いや、奇襲なら多少コースから外れていても当てに来るよな)

 

 袰延は隼の行動に対し疑念を抱きながらも次の球を投じる準備をする。

 隼がバットを引いた事に対し、安堵の表情を浮かべていた他の男子野球部一同は、気持ち前進守備を敷きつつ次の投球にへと備えていった。

 

 

 

 一方、完全に虚を突いていたのにも関わらずあっさりと身を引いた隼にため息をもらす女子野球部のメンバー達。味方であるにも関わらず、容赦なく隼に対し罵声を浴びせてゆく。

 

「そこは引いちゃだめでしょ、情けないよ!」

「それでも勇者か~!」

「隼君っ、男らしくないぞ~っ!」

 

 容赦ない罵声を受け、ショックを受けそうになるが今はそんな場合ではないと雑念を振り払う隼。

 今の一球をまじまじと見つめ、思った事を頭の中で整理してゆく。

 

(球の出所が見えずらい分、遅い球でも若干早く感じるかも知れないな……)

 

 夢花との対戦でもそうであったように、隼はその日初めて戦う相手の投じる一球目は振らずに確実に投球を見るようにと心構えている。

 いきなり初球に手を出して打てなかったら恥ずかしいという気持ちもあるが、実際はその投手の球筋を見て相手を知ってから勝負したいという気持ちが強いのだ。

 結果的に今回もよく球筋を見た事により、左のサイドスローの脅威を肌で感じる事が出来た隼。今度は打ち気を見せながら打席でバットを縦に構えて見せた。

 一方、いきなりのセーフティ未遂に最初は戸惑いを見せていた袰延も冷静さを完全に戻し二投目を投じる。

 

(フン……、まあいいさ。……コイツを塁に出すつもりは無い!)

 

 

 

 続く第二球目。今度もまた外角低めの変化球。

 先程は緩いカーブが投じられていたが、今度は先程よりも速い高速スライダーが投じられる。

 隼は一瞬振るかどうか迷うものの、変化球だという事が分かると分が悪いとおもったのかその球には手を出さず見逃してしまう。

 際どいコースだったものの球審の判定はストライク。

 カウントは2-0、あっという間に追い込まれてしまった。

 

(うむ……、やはり野口君の言う通り袰延君は積極的にカウントを取りに来るみたいだな……)

 

 野口のいう事を信じていなかった訳ではないものの、難しいコースに変化球を投じながら簡単にツーストライクを取る袰延に対し感服する隼。

 ここから外すか入れるかの変幻自在な駆け引きで、空振りや凡打を量産するのが袰延の投球らしいのだが、そう簡単に打ち取られるわけには行かない。兎に角、まずはバットにボールを当てる事が第一。そう思った隼は思い切って振っていく事にする。

 

(高めの球はフルスイング、低めの球は溜めて流し打つ……!)

 

 自らの関節を極限まで捻転させながら、袰延の緩急溢れる白球を待つ隼。先頭打者としてまずは塁に出る事、その思いが隼の体に力を与えてくれる。

 

 

 

 しかし袰延はそんな隼の様子を目の当たりにしてか、その場で不敵な笑みを浮かべながら三球目を投じた。

 

(顔に出てるぜ――?、ぶっ飛ばしてぇって思いがよォ!)

 

 左腕から投じられたのは先程のスライダーよりもずっと早いスピードボール。

 サイドスロー特有の外からの軌道、まるで背中からボールが襲い掛かってくるかのようなその白球は隼の胸元目掛けて突進してゆく。

 

 

 

(インコースの速球!?)

 

 インハイに投じられたスピードボールに対し思わず反応してしまった隼。極限まで捻転させた関節を一気に解き放ち、金属バットを振り抜き一閃。

 恐ろしく速いスイングは袰延が投じる120km/hにも満たない白球をあっという間に飲み込み、そのまま場外に運んでしまいそうな大食いモンスターを彷彿とさせる。

 しかし残念ながらそれは敵う事は無い。

 何故ならば、白球には大食いモンスターの胃をも引き裂く、鋭い剃刀が仕込まれていたからであった。

 

(……シュートボール!?)

 

 内角からさらに内にへと切れ込むシュート回転のボール。

 キレが良く綺麗な速球と見違えてしまうようなそのシュートの効果は絶大だ。

 変化としては手元あたりからほんの数十センチほどであろうその変化だが、回転の掛かった球は隼の振う金属バットの芯を外すのには十分だった。

 

「セカンド!」

 

 鈍づまり。高々と打ち上げられた打球に対し、捕手は二塁手に合図を出し取るように命じる。

 隼は悔しそうな表情を浮かべつつも懸命に一塁へと走って行く。第一打席目は袰延に僅か三球で抑えられてしまう形だった。

 やがて打球はゆっくりと地上に落ちてゆくが、気づけば二塁手は右翼手の守備範囲近くまで到達する。

 打ち上げられた打球をマウンドから見つめていた袰延は、その打球を二塁手がしっかりと捕るのを確認してから小さくぼやく様に呟く。

 

「あの鈍づまりを外野近くまで運ぶか……、化け物め」

 

 内野フライに打ち取ったかと思ったら、外野近くまで打球が飛んだことに苛立っている袰延。

 しかしたった三球で先頭打者を抑え込めたのは袰延も想定外だったのか、予想以上に好調の出だしに対してはこうも口にしていた。

 

「ま、三振は取れなかったが簡単に抑え込めたか……、これも経験の差って奴だな……」

 

 一方、俊足の隼はちょうど二塁を回った所で審判がアウトを告げられ、悔しそうにそのままベンチへと引き下がっていく。

 初球のセーフティ未遂で野次られ、結局三球で仕留められてしまいベンチに戻る足取りもどんよりと重い。

 するとそんな隼の姿を見かねたのか、二番打者である矢部は打席に入る前に戻って来る隼を元気づけようと思いっきり声をあげて告げる。

 

「片倉クン、ナイスファイトでやんす! 次はオイラが見せつけてくるでやんすよ!」

「矢部君……」

 

 矢部は気にしていないと言わんばかりに丸い手の親指を立て、隼の事を励まそうとする。

 隼は少しだけ心が軽くなったのか、先程よりかは軽い足取りでベンチへと駆けて行く。

 そうしていざベンチに戻ってみると、女子野球部の選手達は誰一人、隼の事を責め立てたりしなかった。

 

「三球三振じゃなくてよかったよ!」

「ちょっとピッチャーもびびってた!」

「試合はここからっ、次こそ打ってね!」

 

 同級生や先輩からの熱い叱咤激励を受け、隼も少しだけ表情が明るくなる。

 

(やはり……。皆でやる野球というのは。……楽しいものだな)

 

 隼はまた一つ、チームスポーツの面白さを知って行く。

 そして芽吹いて行くのだ。"みんなの為に勝ちたい"という気持ちが――。

 

 

 

 

 

「片倉よ、袰延の球。対峙してどの様に感じた?」

「野口君……」

 

 一方、ベンチから対決の様子を見ていた野口は隼に対し、袰延との対決に何を感じたかを問いただす。

 

「最後のシュートのキレが凄かった、……三球ともいいコースに投じられて、私では歯が立たなかった」

「そうか……」

 

 野口は少しだけ違和感を感じながらも、隼の言葉を聞き袰延が本調子で投げれている事を把握する。

 しかしまだ対決は始まったばかり。一回目の勝負は完全に負けを認めてしまった隼であるが、このままでは終われない。

 勝つためには袰延の球を打たなくてはいけないだろう。

 相手の自滅が期待できない以上、どうやって打つかを考えなければ攻略の道は無い。

 今の所は球がそれほど速くない事以外は何も隙が無い袰延拓哉という投手。けれど隼は思考を停止するつもりは無かった。

 

「だが、手が届かないという訳ではないさ。私に経験が足りないのであれば、この試合中にそれを補うまで……、それに――」

「……それに?」

 

 隼が何を感じたのかを聞き出そうとする野口。

 彼は打席で袰延と対峙し、袰延拓哉という男がどういう人物なのかと言うのを懸命に探っていた。

 そして戦いの中で隼は袰延の敵意剥き出しの瞳の中に、ふと負の感情が渦巻いているのを感じて何かを察したのである。

 隼は今、袰延の闇を払うべく熱意を燃やしていた。

 自分たちが野球を出来なくなるかもしれない、という事も忘れ――。

 

「彼は何かに怯えながら野球を行っている。だから心に余裕を感じられない……。私が本当に正しい野球を証明しなくてはいけない――」

「……ふっ、勇者らしい台詞だな」

 

 野口は重い空気を吹き飛ばすかのように鼻で笑うと、大真面目に語る隼に対し茶化すようにこう言い放つ。

 

「しかしその口調は何だ? そう言えば俺と初めて会った時も、そんな大真面目な口調だったな」

「……忘れてくれ」

「それにたまに一人称が私になるのも面白いな、……そっちの喋り方の方が女子委員長っぽい喋り方でお前の見た目にピッタシだぞ?」

 

 隼は揶揄う野口に対し、大きくその場で項垂れると、暫くの間何も語らずに手で表情を隠すようにし乙女の様に座り込む。

 女っぽいと言われるのが余程恥ずかしいのか、表情を隠そうとしている指の合間からは顔を真っ赤にさせているのが見て取れる。

 暫くして、試合前にもチームの輪を乱しかけた野口に対し恨み辛みを込めながら、隼は一言こう吐き捨てて行く。

 

「の、野口君……、君データは読めても、空気は読めないよね……」

「何の事だ?」

「……」

 

 そうこうしている間に、二番打者である矢部も三番打者として打席に立った町田もあっけなく打ち取られてしまい一回表の攻撃は終了する。

 思わぬ所に敵が居る事に頭を抱える隼であったが、気を取り直して行かなくては体力が持たないだろう。

 点が取れないならせめて、点を取られないように心掛けなくては。そう思い隼は黄色のグラブを手に持ちセンターへと向かっていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 一回裏、マウンドに立つのは女子野球部期待の二年生エースであり、現在は女子野球部の責任者も兼任している野咲夢花。

 制球には未だ難こそあるものの、投げる球は袰延よりも速い剛速球だ。そう簡単に打たれる事は無いだろう。

 隼はセンターの守備につきながら、夢花の投げるマウンドを見つめる。

 そこにはいつもの天真爛漫なリボンの少女が、投球練習で相方である長瀬涼子のミットに剛速球を放っているたくましい姿があった。

 果たして、本当にこの人にマウンドを任せてもらえるのだろうか。

 そんな事を考えながら中翼手の守備位置に立ち尽くす隼。

 すると投球練習で全球投げ終えた夢花がいきなり振り返り、チーム全員に対し聞こえるよう守備に向かってこう叫びだす。

 

「みんなー! 打たせていくから、守備よろしくねーっ!」

「「お~っ!」」

 

 力強い声を受け、隼もそれに負けないように腕を高々とあげて答えようとする。

 しかしまだこの状況に慣れていないのか、少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめながら小さい声を上げていたのを夢花は聞きのがさなかった。

 明らかに緊張している。夢花はそう思ったのか、あまり声をあげていなかった隼の方に向かってこう言い放ってきた。

 

「隼君、声が小さいっ!」

「は、はいっ……!」

「私の後ろは任せるからね~っ! もう一度みんな気合入れて~っ!」

「「お~っ!」」

 

 これぞキャプテンシー、と言わんばかりにチームを盛り立てていく夢花。

 水を差すばかりの野口とは違い、こちらはチームの士気を高める太陽のような存在。

 隼の雑念はものの見事に吹き飛ばされた。今はこの大切な先輩の背中を守るべく動かなくては。

 その意志が、その決意が、隼の神経を研ぎ澄まさせていった。

 

 

 

 

 こうして夢花は男子野球部を相手取り、投球を開始する。

 一回の裏、打席に立つのは男子野球部一の出塁率を誇る一番打者、岡島。

 俊足は勿論の事、選球眼と状況に応じたバッティングをする事に定評のある打者であり、そのポテンシャルは神奈川県内では非常に注目されている厄介な相手だ。

 塁に出れば俊足で掻き乱してくるのは勿論の事、守備でもその機動力を生かした抜群の守備範囲を誇る要注意人物である。

 事前に野口が集めた情報を整理し、打者毎の特徴を頭の中に入れていた捕手の涼子、夢花に対しサインを出す。

 夢花はそのサインに応じ、第一球目を投じて行く。

 

(さて、野咲夢花か……。男子野球部内でも噂は知っているが、一体どんな投球をするのか……)

 

 打席に立つ岡島は名門女子野球部のエースに対し、身構えながらその投球を待つ。

 やるからには絶対に勝たなくてはならない。例えそれが誰を相手にするとしても、試合に出る以上は力の出せる全てを出し尽くさなくてはならない。

 ここ数日の間に、彼らは袰延に勝つ事の重要性、そして試合に出続ける事への心得を叩きこまれていた。

 例え野咲夢花が相手だとしても、全力で捻じ伏せて行かないといけないだろう。

 岡島は左打席でバットを構え、夢花の投球を待った。

 狙いは勿論速球、男子野球部も噂で夢花が速球しか投げれない事は知っている。

 どんな形でもその速球にバットを当て、塁に出なくてはならない。

 マウンドで高々と足を上げ投球フォームへと移る夢花を前にし、岡島は強い気持ちを持ちながら打席に望む。

 しかし投じられた球を見てバットを振るった途端、その強い気持ちは瞬く間に萎んでいってしまう。

 

(きたぞ――! って……、ええっ!?)

 

 たしかに岡島は夢花の速球を捉える形でバットを振るった。初球ど真ん中の絶好球、スイングしない方がおかしいようなコースに投じられたその球を、岡島はバットを振り抜いて打ち砕こうとした。

 しかし岡島にとって誤算だったのは、野咲夢花の見た目からは想像もつかないような速度と球威ある球が投じられた事。

 そしてその速球が綺麗なバックスピンを描く"真っ直ぐ"と呼ばれるストレートでは無かった事だろう。

 振るったバットはど真ん中の速球に差し込まれ鈍い音を立てる。それと同時に詰まらされた白球は二塁側を守っている一年生の茅野の下へと力強く転がって行く。

 

(思わず、手を出してしまった……!)

 

 苦虫を噛んだような表情を浮かべ、バットをその場に置き一塁ベースへと駆け抜けて行く岡島。

 しかしきちんと振り抜いたため球の勢いは死んでいなかったのか、二塁を守る茅野のグラブに収まるのにはそれ程時間は掛からなかった。

 内野安打を考えるまでも無く、茅野がゆっくりと一塁手に白球を投じ、それを捕った一塁の町田が審判にアピールを済ませると塁審は高々と宣言した。

 

「アウトォ!」

 

 夢花がマウンドに立ち、岡島も打席に立ってからアウトが成立するまでの間は僅か三十秒。

 袰延がたった三球で先頭打者を仕留めたと喜んでいた所に水を差すかのような、まさかの一球アウトを見せつけた夢花・涼子バッテリー。

 一番打者である岡島に見せた球は以前、隼に対しても一球目で仕掛けていた"動く直球"、ツーシームファストだった。

 隼は初球を振らない事によりそのタネを見破っていたが、普通はこの岡島の様に楽に打ち取る為にたった一回だけ使用できる戦法だ。

 今回はそれがきちんと決まって嬉しかったのか、夢花も小さくその場でガッツポーズを浮かべていた。

 

 

「ふっふっふ~! 女の子だからって、力がないわけじゃないんだよ~っ!」

「くっ……!」

 

 悔しそうに打席を立ち去って行く岡島。

 彼が打てなかったのも仕方ない、夢花は隼と初めて戦ったあの時よりも成長していた。

 一年の頃は平均球速120キロ後半だった速球は、下半身をこの冬には常時130キロを超える速さの球を投じられるようになった夢花。

 最高球速も二年春の地点で138キロ、男子でもそうそう投げられない剛速球を見につけた彼女は自信に満ち溢れていた。 

 今の自分ならば隼と再び対峙したとしても、バットに触れる事すらさせずに退ける事ができるのではないか……、と。

 

 

 

 一方、ベンチへと引き上げていく岡島に対し、ネクストバッターサークルへと向かう袰延は出会い様に問いかけてゆく。

 

「今のはツーシームか?」

「た、多分、そうだと思います」

 

 一瞬、袰延が怒っているように見えて表情を引きつらせながら答える岡島。

 袰延は思い通りに行動しない相手に容赦がなかった、少しでも逆らえば必殺の蹴りが飛んでくるだろう。

 もしかしたら自分があっけなく打ち取られた事で袰延の逆鱗に触れ、そのまま蹴り飛ばされてしまうのではないかと岡島は警戒する。

 しかし、袰延は別に最初から怒ってなどいなかった。

 

「そうか、分かった」

「えっ……?」

 

 予想以上にあっけなくその場から解放され、身構えていた岡島は間抜けな表情で袰延を見つめる。

 袰延もそのまま準備へと向かっても良かったのだが、訳も分からずと言った表情の岡島に対し、彼は一言だけ激励の言葉を投げかけた。

 

「敵の奇策に嵌った位で悔やむな、そんなん失敗じゃねぇよ。……テメェには、"次"があるんだからな」

「は、はい……!」

 

 袰延は岡島にそれだけを告げると、金属バットを手にネクストバッターサークルへと向かっていく。

 勝負はまだ始まったばかりである、例え一打席を落としたとしても次がある。

 しかし、その次がなくなってしまったとしたら袰延はどうするのだろうか。

 袰延は考えないようにしていた。もう先に進むしかないのだから。もう後戻りはできないのだから――。

 

(俺に負けは……、許されない)

 

 彼がそう決意したその直後。二番打者である山口が三振に打ち取られ、あっという間に袰延の出番が回って来た。

 ネクストバッターサークルでバットを振るっていた袰延は、打席に立つ前に大きく息をつくとマウンドに立つ少女を睨みつける。

 名門女子野球部の肩書きだの、過去の因縁だの、そんなものはどうでもいい。

 肝心なのは今を生きる選手なのだ。死ぬ物狂いで信じる未来を目指し、過去を振り返らずに突き進む事なのだ。

 それを証明するために、袰延は負ける訳にはいかなかった――。

 

(如何に速かろうが、如何にキレが良かろうが、そんなもんは関係ねぇ……)

 

 勝負を仕掛けたのは一球目だった。

 特に何か考えて打席に立ったわけではない、先程岡島から聞いた事を参考にしたわけでもない。

 ただ一つ言える事があるとしたら、袰延は集中していた。

 この場に居る誰よりも勝ちたいと願い、絶対に夢花の球を打つという強い気持ちを胸に。袰延は投じられた一球に全ての神経を集中させていたのだった。

 

 

(どんな相手も力で捻じ伏せるまでだッ!)

 

 打席で夢花の球を捉える袰延は体全身を上手く使って力いっぱいスイングをする。

 袰延に対し、投じられた一投目は外角低めのフォーシームファスト。綺麗な糸を引く直球だった。

 それを袰延は芯できちんと捉える。金属の心地よい音が球場内に響き渡る。

 

「――ッ!」 

 

 打球に反応した夢花がグラブを頭上に差し出すも、コンパクトに打ち返された打球は夢花の頭上を越えるラインドライブとなってセンター方向へと抜けて行く。

 センター前ヒット。誰しもがその美しいセンター返しを見てそう思ったに違いない。

 ただ二人、エースである野咲夢花ともう一人の人物を除いては――。

 

 

「アウトォ! スリーアウト、チェンジ!」

 

 塁審の声にざわめく両陣営。

 打った袰延も、間近で打たれるのをみていた涼子も、そしてライトからその様子を見ていた矢部も誰しもが疑わなかったセンター前ヒット。

 しかし、その打球は実際にセンターのグラブにきっちりと収まっていた。

 センター前に落ちるかというような打球に即座に反応し、右腕に装着したグラブで悠々と待ち構えていたかのように捕球したのは勿論この男しかいない。

 

「よし、ちゃんと捕れた……!」

 

 片倉隼はグラブに収まったボールをしっかりと確認して、ガッツポーズ。

 実戦初の守備機会で無事に打球を取る事が出来、笑みを浮かべて喜ぶ隼。

 夢花だけはきっと取ってくれると信じていたのか、余裕の笑みを浮かべていたが、他のメンバーは一斉に隼に向かって褒め称える言葉を掛けてゆく。

 

「片倉クンすごいでやんす! いつからあんな前進守備を敷いてたでやんす?」

「すごいよ勇者君! よくあの打球を取れたね!?」

「隼君、ナイスファイト!」

 

 褒められて少しだけ照れるようにして顔を赤らめる隼、しかしその反応からしても当人は全く事の凄さに気付いていないらしい。

 本来ならセンター前に落ちる筈のその打球に反応できる驚異の反射神経に。

 そしてそれに難なく追いつくスピードが如何に異常であるかという事に――。

 

 

 

 

(クソッ……、どこまで化け物ぶりを見せれば気が済むんだッ……!)

 

 夢花からヒット一本をもぎ取ったつもりでいた袰延は、そんな隼の様子を遠目で見つめ、その場で大きく舌打ちをしてからベンチへと引き下がって行く。

 打席では打ち取ったものの予想外のパワーに驚かされ、守れば絶対に安打だと確信した打球を何事も無かったように捕球される。

 もはや理不尽としか言いようのない身体スペックを見せつけられ、苛立ちを隠せない袰延。

 しかし相手がたとえ化け物だろうが負けを認める訳にはいかないのだ。

 自分の正しさを認めてくれない相手を。自分の邪魔になる存在として立塞がってくる相手を。違う信念を持って勝負を仕掛けて来た相手を、袰延は打ち破らなくてはならなかった。

 

(俺は俺の夢を叶える為にここに来た――! 絶対にテメェなんぞには負けねぇ!)

 

 間もなく始まる二回表、再びマウンドにへと立つ袰延の表情はさらに厳しくなってゆく。

 結局、一回は両チームとも無得点に終わった男女野球部合戦。互いの執念が火花を散らす白熱の攻防戦。

 果たして先に点を取るのはどちらになるのだろうか。それは神のみぞ知る事なのであった――。

 


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