実況パワフルプロ野球~あの空のムコウまで~   作:たむたむ11

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※この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません


プロローグ (挿絵あり)

 病室の窓から見る空に、燦々と輝く太陽は見当たらない。

 そこは一面雲に覆われていた。空いっぱいに広がっている雲と雲の合間だけが、僅かに陽の光に照らされ淡く光っている状況だ。

 これから夕方にかけ、熱帯低気圧の影響で嵐のような雷雨に見舞われると、天気予報では伝えられている。

 

「……母さん」

 

 一人の青年が制服姿のまま病室に入ると、雲で覆われた空を見上げベットに横たわる一人の女性に声を掛ける。

 時刻は四時、中学の授業が終わってすぐ病院まで向かったとしても随分早く面会に来たその少年の表情には、年相応のあどけなさも、笑顔もない。

 そして中性的で端整な顔に綺麗で長い髪の毛を下ろしている青年の姿は、まるで女の子の様にしおらしく見えた。

 

「あら、かわいい女の子と思ったら隼ちゃんじゃない。今日は随分と早いのね」

「じ、自分の息子の事をいきなりそんな言い方することないんじゃないかなぁ?」

 

 青年が頭を掻きながらそう呟くと、女性はニッコリと笑って答える。

 

「うふふ、ごめんね。隼ちゃん」

「それより……、今日は具合は悪くないの?」

 

 心配する青年の言葉に、青年の母親であるパジャマ姿の女性は元気に振舞ってみせる。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「ふふん、さっきまでずっと寝てたから調子はばっちりよ。

 病院を抜け出していいのなら、何時でも家に戻って夕飯の支度をしたいぐらい」

「へ、変なこと考えないでよ? 母さん」

「別に変なことじゃないわよ、愛する息子の為にご飯を作るのは当然の事だし」

「ちょ、ちょっと! やめて、母さん!」

 

 堂々といいながら起き上がり、ベットから降りようとする母親を必死に止める青年。

 そして息子をからかい笑顔を浮かべている母親、仲睦まじい親子の会話と言えばその通りなのだが、状況が状況なだけに笑えたものではない。

 青年も、そして母親も知っていた。病気は確実に進行し、タイムリミットは刻一刻と迫っている事を――。

 

 

 

 

 

 

 

 青年、片倉隼(かたくら しゅん)はその母親、片倉邑子(かたくら ゆうこ)によって育てられた中学三年生だ。

 普通の市立の中学校に通い、それなりに普通の生活をしているが。友達はあまり居らず、部活動も行っては居ない。

 その理由としては、彼ら親子が母子家庭であり、部活動や行事に掛けるお金が無いのが大きかった。

 隼は邑子が十七歳の頃。邑子と同じ学校の生徒との間に生まれた子供だったらしく、その事で当時大いに揉めてしまったそうな。

 さらにその父親は邑子と隼の事を捨ててしまい、隼が物心つく頃にはその父親は居なくなっていて全く覚えが無い。

 これは隼が邑子に父親の事を聞いても、邑子ははぐらかすばかりで全くその話を口にしようとしない。まるで父親の事を庇っているかのようでもあった。

 邑子の家族も高校卒業前に妊娠し、挙句の果てに産んでしまった隼の出生の事で邑子共々絶縁してしまい、隼は邑子の家族についても全く知らされていなかった。

 以降、経済的援助を受けられない状況の中、隼は唯一の保護者である邑子の手たった一つで育ってきた。母親の愛を一身に受けて……。

 

 

 

 そんな隼にはとても大きな目標があった。

 それは隼がまだ幼い小学一年生の頃。母親である邑子が家計が苦しい中、初めて遊び道具を買ってくれた時の事。

 邑子はまだ、人見知りが激しく気弱だった隼に大き目のグローブとボールをプレゼントした事があった。

 隼も邑子もテレビで良く見ていた“野球”の道具。普段友達と遊ぶ事が出来なかった隼だったが、初めての野球道具に心躍る。

 まだ小さかった少年はそれからと言うものの、毎日毎日外に出かけては白球を投げ、手のサイズとは不釣合いなグローブを填めて遊んだ。

 時々邑子もそれに付き合うように、ボロボロのグローブをつけてキャッチボールをしてくれた。

 なんでも、彼女も昔高校時代は野球部のマネージャーを務めていたらしく、キャッチボール程度ならお手の物らしい。

 たとえ白球がボロボロになっても、手のサイズに合うまでにグローブが破れてしまっても。彼はずっと野球の事ばかりを考えるようになった。

 その内、毎日外で遊ぶようになってからか。彼は他の誰よりも、優れた運動神経を持つようになる。

 小学校中学年の頃には短距離走の選手となったり、水泳大会で優勝したり。体育では右に出るものが居なかった。

 しかし、隼は野球では有名になる事は出来なかった。

 なんでも、近所の野球チームに入るにはお金が必要らしく、野球一式をそろえるほど金銭的余裕は片倉家には無く、諦めるほか無かったのだ。

 それでも、邑子は隼が野球の話をするととても相談に乗ってくれた。嬉しそうにしてくれた。

 自分が野球の話をすると母親が喜んでくれる、野球が好きな母親を喜ばせてあげたい……。

 母親の優しい笑みを感じ取りながら、隼はこう思うようになって行ったそうな。

 

『僕がプロ野球選手になって、活躍してお母さんを喜ばせてあげたい』、と――。

 

 そして、隼は母親にこう言い放つ。

 

「僕、世界一のプロ野球選手になりたい!」

 

 すると、邑子は優しく返してくれるのであった。

 

「あら、じゃあ私も応援してるわね」と……。

 

 

 

 それからと言うものの、隼はそれまで以上に野球に執着するようになった。

 たとえ共に遊ぶ相手は居なくとも、誰かに笑われようともお構いなしに彼は孤独な野球をし続けた。

 邑子もそれを止めなかった。隼がどんなに野球をする事を優先しようとしても、彼女はそれを支え続けたのである。

 いつしか、隼は“自分は野球をする為に生まれてきた”と、半ば狂ったように思い込むようになる。

 こうして隼は誰からも認められる事なく、孤高の野球を続けて来た。誰に勝つことも無く、誰に負ける事も無い――、そんな野球を。

 

 だが、それから数年後。突如片倉家に悲劇が訪れる。

 それは中学三年生になり始めたばかりの六月の中旬だった。邑子が買い物に出かけた後、夜になっても戻らない事を不審に思っていた隼に電話が届く。

「あなたの母が病院に搬送されている」その様な内容の話を聞き、急いで隼が病院へと向かうと、搬送先の病院で衝撃の事実を聞かされる。

 邑子は膵臓ガンに侵されていた。それもかなりの末期症状であったらしく、一命は取り留めても完治は難しいらしいとの事。

 彼女は倒れるまでの間、隼に一切その様な素振りを見せず平然と振舞っていた。しかし、本当は病に侵されて身も心もボロボロだったのだろう。

 それでも愛する息子の為にと無理をし続けた結果、邑子は末期の膵臓ガンで倒れてしまったのであった。

 隼は焦り苦み、そして嘆いた。母が生きている間に、目標を達成する事が出来なくなってしまった、と。

 

 

 

 

 

 

「……まぁ、今日も母さんが元気そうでよかった」

 

 そして今現在、片倉邑子は病院の個室に長期入院となった。

 もう二度と病院から出られないかもしれないし、もしかしたら免疫力で回復するかもしれない。

 とにかく、彼女にとって一番大切な事は家で息子の面倒を見る事よりも、こうしてじっとベットの上で病気と戦う事なのだ。

 少しでも長く、息子と触れ合う事が出来るように。

 少しでも深く、息子の事を愛すことが出来るように。 

 邑子は何かを思いながら、しばらくの間じっと隼の事を見つめていた。

 しかし、心配そうに見つめ返してくる息子の眼差しを一手に受けると、少し後ろめたさを感じて目を逸らした。

 

「ごめんね隼ちゃん。本当は私、こんな所で寝ているわけには行かないのに……」

「そんな事無いよ、母さん。……寧ろ今までずっと苦労を掛けてきて、謝るのは僕の方だよ」

 

 落ち込んでいる母親を気遣った息子の言葉はとても純粋で、それ故に容赦なく彼女の心に重くのしかかってくる。

 微笑んでいた口元をじっとかみ締め、その表情を見られまいと窓の外を向いた邑子。彼女は震えながら、自らの息子である隼に詫び始めた。

 

「本当は、私がもっとしっかりしていれば。隼ちゃんを野球チームに入れてあげる事が出来た。

 隼ちゃんにもっと好きなものを買って上げれた。隼ちゃんにもっと美味しい食べ物を作って上げれたのに……。

 私は、私の人生に隼ちゃんを付き合わせてしまった……。ごめんね……、ダメなお母さんで本当にごめんね……」

 

 窓から見える空を見上げながら、その胸の思いを言葉にする邑子。

 彼女の見るその空のムコウには、一体何が見えているのだろう。

 

「やめてよ……、なんで母さんが謝る必要があるんだ……」

 

 震える母親の横顔を凝視することが出来ず、隼は目を逸らしてしまう。

 本当で在れば、自分が居なければ邑子がこんなに苦労をする事はなかった筈だった。

 自分さえ居なければ、邑子も両親と一緒に暮らせていけた。きちんと高校を卒業する事も出来ただろう。

 それにも関わらず、ずっと文句一つも言わず懸命に育ててくれた母親が病室で震えながら息子に謝っているのだ。

 これまでの思い、目標、そして現実が一手に隼の心を重く締め付けて行く――。

 

 しばし、静寂は続いた。

 双方何も言えず、赤い鼻の啜る音が時折聞こえてくるだけの病室。

 そこはまるで水の中、悲しみに染まる海の中。

 視界は涙で歪み、口から発しようとする言葉は掻き消され声にする事すら許されない。

 けれど、隼は言わなければいけない事があった。少ない頭脳で必死に捻り出した、母に対する答えを。

 

「あのさ、母さん……。野球の事なんだけど」

「……何だい?」

 

 頷く邑子の横顔を今度はじっと見つめながら、隼は湧き出てくる涙を手で拭きながら心に抱いていた思いを一気に吐き出す。

 

「僕、高校に進学する。プロ野球に入って活躍する所は見せられないかもしれないけどさ……。

 せめて、甲子園に出場すれば、全国テレビでも放送されるでしょ?

 ……だから、その時に僕の事をテレビで見ていてほしい」

「……」

「僕の事なら心配しなくてもいい。何が何でも、どんな手を使ってでも甲子園に行ってみせる。

 だから……、それまでは病気と闘っていてほしいんだ……」

 

 全て、語り終えた隼はじっと母親の事を見つめていた。

 母親もまたいつの間にか息子の方を振り向き、じっと見つめている。先ほどまで硬く閉じていた表情もいつの間にかいつもの優しい微笑みに変わっていた。

 

「……グスッ、ふふっ、隼ちゃんったら」

 

 邑子もまた、隼と同じく涙を流しながらそれに答える。

 

「私は死なないわ、……がんばる隼ちゃんの力をもらってるもの!

 その代わり、私からも約束してほしいことがある……。

 絶対、甲子園で優勝してね!!」

 

 その答えを聞きながら、ふと邑子と目が合ってしまった隼。鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべながら、聞き返す。

 

「え……、ゆ、優勝?」

 

 今、確かに甲子園優勝と隼は聞いた。県予選大会優勝ではなく、あくまでも甲子園優勝だ。

 最初に隼が提案したのは甲子園出場の方だったのだが、これに対し邑子は当然と言わんばかりにこう言い切った。

 

「テレビでの放送なんて、民放みれば県予選でも見れるからね~。

 なあに、今の隼ちゃんだったら甲子園優勝なんてそんなに難しく無い筈よ!

 なんたって、私の子だもの。ガン細胞すら克服する予定の……、私の子だもの」

「……うん!」

 

 

 

 

 結局、母親を元気付けるつもりだった隼だが、母親の言葉に逆に元気付けられてしまった。

 自分はこれほどまでに信頼されているんだという事が、一体どれほどまでに嬉しかった事だろうか。

 隼は最後に母親に手を振って、病室を後にする。

 一体どこまでやれるかはわからない。しかし彼にとって目標が見えてきたという事は大きな一歩となった。

 

 

 

 

「よし、やってやるぞ!」

 

 こうして、隼は新たな決意を胸に毎日の日課である練習にへと向かっていった。

 その後ろ姿を最後まで見ていた母、邑子は嬉しそうにこう呟く。

 

「フフ、あの子ったら……。

 あの人に似て単純なんだからっ♪」

 

 邑子は再び空を見上げる。そろそろ本格的に雨が降ってきそうである。

 先ほど制服姿で練習にへと向かった隼の事を気にしたりしつつ、彼女は小さくため息をついた。


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