実況パワフルプロ野球~あの空のムコウまで~   作:たむたむ11

19 / 26
第二章 第7話「袰延②」

「うわ~、何か野球部員の目みんな死んじゃってない?」

「何か本当に強豪野球部っぽい厳格さがあるね……」

 

 釘バットを引きずりながら、男子野球部が集うグラウンドへと到着した夢花達ご一行。

 一心不乱にグラウンドで練習している男子野球部員達は、まるで軍隊の様に暑苦しくさながら本物の野球部名門の風格を醸し出している。

 しかし遠目から見ていても、一人一人の表情がとても強張っており感情の無い野球部員に異様を感じざるを得なかった。 

 女子野球部の先輩二人は淡々としながら悠々と先陣をきってグラウンドへと向かっていく中。その後ろについてきていた隼は野球部の現状を目の当たりにし、少し心が痛む。

 

(もう完全に、野球を楽しもうとする野球部じゃなくなっちゃったのか……)

 

 隼はこれまで、野球をやっていて楽しくないと思った事などこれっぽっちも無かった。

 母の為にという責任感こそ少なからずあるものの、根源は野球に楽しさを感じて動いている。

 だからこそ一人ででも野球を続けて来たし、成長してきた。

 しかし今、目の当たりにしているのは野球を楽しむ為のものではない。

 感情を捨て、ただひたすら勝ち残る事だけに精神力を費やしている冷徹無機物、機械の様な野球だ。

 華やかさなどあるわけなく、これから何が起こるか分からないような殺伐とした雰囲気は、隼の心をただただ不愉快にさせる。

 そして、そんな緊迫したグラウンドの雰囲気に対し、間髪入れず真っ先に風穴を開けたのはやはり野咲夢花だった。

 

「ねぇ、ちょっとー! 野球部の代表者出て来てくれなーい?」

 

 熱心に取り組んでいるむさ苦しいグラウンド内に、夢花の甲高い声が響き渡る。

 

「……あれは、二年の野咲?」

「片倉隼も居るぞ……?」

 

 突如グラウンドに現れた夢花の声を聞き、熱心に練習していた球児たちは練習の手を止め、どよめき始める。

 しばらくすると、奥から目つきの悪い金髪の男が三人の下へと悠々と姿を現す。

 間違いない。一週間前に隼を病院送りにし、溝浜疾風野球部を牛耳り始めた男、袰延拓哉だった。

 前回、階段から突き落とされた時の事を思い出していた隼は顔を強張らせる。

 

「袰延……」

「片倉隼、一週間ぶりだな。また野球部に顔を出したと思ったら、今度は女連れとは可笑しい奴だ」

 

 女二人の後ろに隠れる男の姿を捉えるなり、嘲るような声色で口火を切った袰延。

 言葉とは裏腹に、とても冷たい表情を浮かべ。蛇のように鋭い眼光を、ほかの誰でもなく隼に注いでいる。

 隼は何も答えず、黙り込んでいる。金属バットのケースを背負い、三人を前に泰然として構える袰延とは対照的だ。

 どう見ても歓迎されているとは言えない雰囲気の中、静寂が場を包み込む。

 しばらく経ち。膠着状態を打ち破ったのは、やはりと言うべきか、マイペースな付き人、夢花であった。

 

「ちょっと君ィ! まずは私が話をする番だよ~!」

「……誰だ、アンタ」

 

 厳つい風貌の袰延に対しても、全く引けを取らない所かいつもよりも強気の姿勢を見せる夢花。

 流石にその存在を無視し続ける事もできなかったのか、袰延も少し怪訝な表情で顔を歪ませている。

 そんな袰延に対し、夢花は自身満々に釘バットを振るってポーズを決めながら名乗りを上げた。

 

「私の名前は野咲夢花っ! 女子野球部の未来を担う、期待の二年生エースだよっ!」

 

 派手な自己紹介をかます夢花に対しても、表情一つ変える事なく毅然とした態度を見せる袰延。

 普通は釘バットを引きずりながら歩いてくる女の子が居れば、多少は脅威に思うものだ。

 けれど袰延は全くその点に関しては恐怖を感じてはいなかった。

 それだけ自分に自信があるのだろう。釘バットを持っただけの目の前の少女に対し、自分が劣勢を見せる事など無いと思っている。

 しかしそんな余裕を見せる冷静な袰延とは対照的に、グイグイと我が道を進み続ける夢花。

 袰延に対し持っていた釘バットを向けながら、袰延に対し問いただす。

 

「ええっと、良く分からないけど隼くんをひどい目に合わせたのは君だよねっ」

「ハッ、だったらどうする?」

 

 釘バットの先を向けられても、平然とした様子で気取った笑みを浮かべて見せる袰延。

 こうなってくると隼にはこの先の事が読めなくなってくる。夢花は全く行動が予測できない。

 どんな相手にも物怖じせず向かっていく事は以前から話を聞いていたが。この袰延という男は本当にヤバイ奴だ。

 急斜面の階段から人を平気で突き落とすような男なのだ。下手したら本当にこのグラウンド内に血の雨が降るかもしれない。

 しかしそんな不安げな表情を浮かべている隼と涼子、しかし夢花は非常に真剣だった。

 

「まずは、隼くんにごめんなさいをしなきゃいけないよね」

「何故こんな信念の無い奴の為に俺が頭を下げなきゃいけないんだ?」

 

 蔑んだ口調で隼の事を言う袰延。

 金銭が絡んだ野球を続け、勝つ事に拘り続けた彼にとって。隼の語る楽しい野球なんていうものは所詮、敗者が縋るものに過ぎないという考えなのだろう。

 ましては片倉隼という男はその体力の無さ故に、とても同じ野球部で活動を共にする事が出来ないという事もある。

 袰延にとっては、隼は都合の悪いから厳しい練習を強要する勝てる野球を止めさせようとしているのだと思っていたのであった。

 しかし可愛い後輩を傷つけられた夢花にとって、肝心なのはそこでは無かった。

 

「違うよっ、隼くんを怪我させた事を謝ってほしいって言ってるんだよっ?」

「……だから、何故頭を下げなくちゃいけねえんだと聞いている」

「だからさ、普通は人を階段から突き落としちゃダメなんだよっ。悪い事をしたら謝らなきゃって教わらなかった?」

 

 ムッとした表情で睨む夢花と、それとは比べ物にならないぐらい悪の貫禄を見せつけ睨み返す袰延。

 しばしまた静寂が広がる。今度は夢花も無言を貫いたまま動かない。

 すると、先に視線を逸らしたのは袰延の方だった。

 

「下らねぇ……、そんな事を言いにお前らはここに来たのか」

 

 小さくため息をつく袰延。怒りと言うよりかは呆れ果てているかのような素振りを見せつつ、釘バットを差し向ける夢花に対しこう続ける。

 

「仮に俺が悪いとしても、それを脅しにもならねぇ釘バットなんかもってきていい気になってるお前らに俺が謝るわけねぇだろ」

「むむむっ、もしや釘バットに怖がってない……?」

 

 今更ながら袰延が全くビビっていないことに気づき少しだけ動揺する夢花。

 今までの袰延の様子を見ればすぐに分かる筈なのだが、釘バットを見て戦意喪失させる作戦が成功すると思い込んでいたらしい。

 隼も涼子も呆れるしかなかったものの、袰延は突如不敵な笑みを浮かべ夢花に告げる。

 

「いくらアンタが怖い道具を持ったとしても、アンタが綺麗なままだと脅しにもならねぇ……。本当の脅しの道具っつうのは、一線を越えた物にしか成しえねぇ――」

 

 袰延はふと、持っていたバットの入れ物から金属バットを取り出す。

 その瞬間、遠目で見ていた涼子と隼の表情から血の気が引く。

 

「……ち、血が!?」

「血塗れの金属バットがボコボコに歪んでいる……!?」

 

 二人が驚いたのは袰延が取り出した妙な形に変形した血塗れの金属バットだった。

 まるで固いものに何度も打ち付けたかのように歪んだ金属バットには、何者かの血液がべっとりとこびり付いている。

 袰延は夢花が釘バットを差し向けたのと同じように、その血塗れのバットを夢花に向かって差し向けながら言う。

 

「あんたの釘バットよりも、こっちの方が綺麗だろ?」

「……ッ!」

 

 流石の夢花でもこれには少し引いているのか、引きつった表情を浮かべる夢花。

 そしてそれを嘲笑うかのように見つめる袰延。彼はふと視点を隼の方へと向けるとわざと聞こえる様に大きな声で血の理由を語り出す。

 

「たしか昨日だったか、この野球部の事をチマチマと覗き回ってたネズミを排除したのはな」

「なっ……!?」

「たしかジョザって呼ばれてたなぁ、野口の優秀な部下だと聞いてたが、所詮は野口の犬ッコロだ。俺の敵ではない――」

 

 ジョザが袰延に倒されたと聞いた瞬間、隼は居てもたってもいられなくなり、ふと袰延の下へと飛び出して行く。

 互いにバットを構えている二人の下へと一瞬で駆け寄る隼。彼は袰延の冷酷なその瞳に改めて問う。

 

「ジョザさんをやったのかっ……!」

「おいおい、別に殺してなんていないぜ? 俺はただ注意しただけだ、隠れても無駄だって事を体に教え込んだだけさ」

「……ッ、ならば私も容赦はしないッ!」

 

 息を荒げながら精一杯表情を強張らせ、その場に袰延を睨みつける隼。

 袰延は嘲笑を抑えると、再び小さく息をつきながら興奮気味の隼に対し冷酷な表情を浮かべながらこう言い放つ。

 

「――あんまり、頭に乗るなよ?」

 

 その瞬間、一週間前に矢部を捉えた時と同じ袰延の回し蹴りが隼目掛けて降りかかる。

 隼はとっさに反応する、しかし袰延の脚は確実に隼の額を撃ち抜こうとしていた。

 しかし、袰延の脚が隼を捉える事は出来なかった――。

 

「残像か」

「矢部君の技だよ、……体力さえきちんと残してれば、貴方の蹴り等簡単に避けれる」

 

 袰延に対しそれを見せつけるかのように、残像を残す華麗なスウェーで蹴りを躱す隼。

 それは以前、矢部が使用していた残像が残る動きを模倣したものだった。

 しかし袰延もさほど驚いてはいないらしく、避けた隼に対し今度は血塗れのバットを片手でスイングしぶつけようとする。

 

「――ッ!!」

「……捕まえたよ」

 

 しかし今度は一瞬で距離をつめた隼。バットを振り回そうとした腕を直接掴み、行動を封じる事に成功する。

 これには少し驚いたのか、蛇のように鋭い眼を大きく開き隼の事を見る袰延。

 隼の表情からは怒りの感情がまんま表立っており、その左手は固く握りしめられている。

 そして隼は袰延に対し、矢部やジョザに手を掛けた事に対する報復を行おうと握りこぶしを振りかざす。

 

「袰延君、君を斃すッ!」

 

 隼は思いっきり、握りしめた左拳を袰延の顔に目掛け振り抜いてゆく。

 矢部やジョザに対する怒りを、この手で晴らさずには怒りを抑えきれなかった。

 しかし、袰延が隼に対し攻撃が当たらなかったように。また隼の攻撃も袰延に届く事は無かった。

 

「――なっ!?」

「……?」

 

 袰延に攻撃が当たらなかったのは、隼が攻撃を外したからでも袰延がその攻撃を見て避けたからでもない。

 隼の腕は振りかざされたまま動かなかった。振り抜く事が出来なかったから、袰延に攻撃は当たらなかった。

 そもそも、攻撃が出来なかったという表現の方が正しいだろう。

 隼の左腕は掴まれていた。小さい手が隼の手首をがっちりと掴み離さない。

 

「痛いですよ、野咲先輩……」

 

 そう言ったきり、固く口を一文字に結びながら俯く隼。左手を掴む夢花の表情も真剣だ。

 隼が袰延を殴ろうとした瞬間、咄嗟に夢花は隼の左手首を掴み制止したのであった。

 袰延が正しくないのと同じように、暴走し正しくない事をしようとしている隼を止めるかのように。

 

「その左手は、殴る為にあるものじゃないよっ」

「っ……」

 

 殴るためにあるのではない。

 隼は、ハッと我に返った。

 ……ここで怒りに身を任せ、制裁を加えたとして。それは、袰延がした事と何が違うと言えるだろうか。

 あまつさえ、自己満足の暴力で元の野球部が戻ってくるかと言えば。そんな事は、あり得ないのだ。

 頭から血が引いていき、沸騰した感情が静まっていく。

 隼は、振り上げた拳をゆっくりとおろした。

 夢花は左手首を掴んでいた手を緩めると、今度はその掌を優しく包み込んだ。

 

「隼君のお母さんの為に、大切にしなくちゃ……、でしょ?」

「はい……」

「後は、私に任せて」

 

 そう言うと夢花は隼の左手から手を離し、再び袰延の前へと立つ。

 夢花が止めて居なかったら、間違いなく隼の鉄拳を喰らっていただろう袰延。

 その表情には焦りや恐怖などは無かったものの、余裕をかましてふんぞり返っていた彼の様子はそこには無かった。

 袰延は怪訝そうに表情を顰ませながら、隼を止めた夢花に対し訊く。

 

「どういうつもりだ、俺を潰しに来たんじゃないのか?」

 

 袰延の目線には夢花が持つ釘バットに目が行っていた。

 決して恐ろしいという訳ではないが、目の前にいる少女はこれを振るって自分にいう事を聞かせようとしていると思っていたからだ。

 しかし、夢花は端から釘バットで誰かを傷つけたりしようとは考えていなかった。

 

「違うよ、私はただ君に謝ってほしかっただけだよ。それで隼君と仲直りしてくれれば、監督も帰って来るからね」

「ハッ……、その釘バットは飾りか――。だが、俺が謝らないと言ったらどうするんだ?」

 

 口調こそ馬鹿にしたかのような口ぶりを見せている袰延だが、先ほどよりも真剣に話を聞こうとする姿勢の袰延。

 しかし夢花はその問いには答えず、質問に質問を返す形でこう答える。

 

「なら君はどうすれば私の言う事を従ってくれるのかな?」

 

 意味深長な事を突然言い出す夢花、その狙いは一つだった。

 

「俺は俺より弱い奴には従わない、俺より実力のねぇ奴の命令なんて絶対に聞くことは出来ねぇな」

「じゃあさ、こう言うのはどう?」

 

 袰延が思い通りの事を口走ったのを聞き、いつものように不敵な笑みを浮かべる夢花。

 夢花は釘バットを再び袰延へと向け、隼と涼子が聞いている中で、自信満々にこう提案する。

 

「私達率いる女子野球部と、君の率いる男子野球部。勝った方がどっちかの傘下につくって言うのは、どう?」

「ちょっと、ゆーちゃん!?」

 

 いきなりの提案に、まず一番最初に声を上げたのは女子野球部の仲間であり、夢花の親友でもある涼子であった。

 ここに来るまでの間、涼子は夢花にただついていっただけだけであり、具体的にどういう事をするのかは聞かされていなかった。

 まさか女子野球部と男子野球部で戦う事が夢花の策とは思いもしなかったのだ。

 これには涼子以外にも、隼も袰延も驚きを隠せない。

 

「野咲先輩……、本気ですか?」

「……正気か?」

「それが一番分かりやすいからねー。監督が居ないんだからどんな事やっても、こっちは怒られ無さそうだし。しばらくは私が監督代わりに采配してもダイジョーブそうだしねー」

 

 夢花は監督が居ない事で、その代わりになる存在は自分しかいないと思っている節があるようだ。

 他の三年生女子部員も監督が居なければ練習をまとめる事も出来ない、それなら夢花自身で監督をやってもなんの問題も無い。

 何故かそんな発想に至ってしまった夢花。そんな監督代理を謳う彼女が、何と後輩の為に女子野球部の命運をかけて勝負を行おうと言うのだからぶっ飛んでいるとしか言いようがない。

 夢花はふと思い出したかのように、袰延に対し一言だけ重要な説明を加える。

 

「あ、でもさ。その代わり隼君は今日から私の権限で女子野球部員だから。女子野球部メンバーに入れさせてもらうからね?」

「えっ、僕女子野球部員になるの!?」

「男子野球部じゃしばらく練習させてくれそうな雰囲気じゃないしねっ、いいよね?」

 

 突如夢花に女子野球部に入部させる事を宣言された隼。

 いくら見た目が女性寄りで、しかも女子寮に住んでいるとは言え、これでも男子としてのプライドを持っていた隼にとっては少しだけ心に来るものがあった。

 そんな事はつゆ知らず、袰延に対し交渉を持ちかけつつ勝負を受けさせようとする夢花。

 袰延は冷たい表情を浮かべながら、一回だけ首を縦に振る。

 

「……構わん、だがコイツ一人だけで勝てるとでも思っているのか?」

「私達だって充分強いよ、それに君を納得させるにはそれ位じゃないとね」

 

 自信満々にそう答える夢花。

 しかしいくら名門女子野球部とは言え、男子との差を埋め切れているかと言えばそうでもないだろう。

 それでも、隼を救うためにはこれしかないと自信を持っていた夢花に迷いは無かった。

 袰延はそんな夢花と隼の様子を見て、小さく息をついてからこう答えた。

 

「いいだろう……、ただし勝負は三日後だ。……新年度が始まる前に、この問題を終わらせようか」

「分かった、三日後ね」

 

 袰延にとってもこれできっちりと勝負がつけられるのであれば、都合が良い事には変わりない。

 それに野球部の監督が消えた事は袰延にとっても問題に感じている節がある。

 もしこの戦いで女子野球部もこの手中に収めれば、本業である監督も隠れている場合ではなくなるだろう。

 そして監督をも従わせたその時こそが、この野球部を真に支配する事が出来るのだと、袰延は思っていたのであった。

 袰延はバットをケースにしまいながら、 最後に野咲達に場所と日時を告げ野球部の練習へと戻って行く。

 

「場所は三日後の午前九時、溝浜男子野球部のグラウンドで行う……、せいぜい、足掻いてみるんだな」

「わかった、じゃあいい試合にしようね」

 

 夢花は最後にその場を去ってゆく袰延に声を掛けながら、隼と涼子を連れ、その場から離れて行ったのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へへへん、ねっ隼君。やっぱ私がついてきてよかったでしょっ?」

 

 袰延との交渉を終え、寮へと戻った隼一行。

 夢花はぐったりとベットの上で座り込んでいる隼に対し、胸を張りながら先輩面を見せびらかしていた。

 もしあのまま隼一人で野球部に乗り込んでいても、結局は暴力沙汰は避けられなかっただろう。

 隼は夢花に助けられたのだ、そして袰延と決着をつけるチャンスを得たのも、夢花がきちんと交渉してくれたお陰だった。

 

「野咲先輩……、止めてくれて、ありがとうございました……」

「ふっふっふ、未来あるかわいい後輩の為だもん、それ位は当然なのだよっ」

 

 隼の感謝の声を前にし、とてもご満悦の様子を見せる夢花。

 感情的になり、一番やってはいけない事をやろうとしていた隼を諫めてくれた。

 その小さな身体からは想像もつかない程、力強く握りしめられた隼の左手首には、微かにまだ温もりと痛みが残っている。

 野球部を救えるのは自分しかいない、そう思っていた隼であったが。自分にはとても心強い味方が居る事にようやくこの時気づいたのであった。

 涙こそ流さなかったものの、嬉しい気持ちと恥ずべき気持ちが混ざり合い、少しだけ頬を赤らめる隼。

 夢花と涼子はそんな隼の気持ちを察してか、そんな彼を奮い立たせようと声を掛けて行く。

 

「でもここから始まるんだからね、勇者片倉隼君が野球部を支配した袰延君に勝って野球部を取り戻すストーリーはねっ!」

「男子野球部に勝つためには、あくまで隼君が頑張らないとね」

 

 二人の気遣いに対し、隼は大きく首を縦に頷きながら力強く立ち上がる。

 

「……はいっ!」

 

 今はまだ、一人では進み方も分からない勇者である。

 けれど勇者には自然と、頼りになる仲間が集っていくものなのだ。

 仲間に背中を押されても構わない、何故ならその先陣を進めるのは勇者である片倉隼、ただ一人なのだから――。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。