実況パワフルプロ野球~あの空のムコウまで~   作:たむたむ11

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第一章 第10話「始まり」

 夢花との勝負から時は流れ、三月。

 隼は所属する中学校の卒業式を終え、母の入院する病院へと向かっていた。

 その途中、とある人物と再び顔を合わせる事となる。

 

「よぉ、待ってたぜ」

「……八剣監督?」

 

 病院前の喫煙場、煙草をふかし無表情な顔を晒しながら隼に声を掛ける八剣。どうやら、隼の事を待ち伏せしていたらしい。

 黒のスーツを着用しており、何やら大きな手提げ袋のようなものを持っている八剣。

 色黒のスポーツマンというイメージとはかけ離れたその格好に、若干の違和感を覚えた隼。

 ユニフォーム以外の姿をした八剣を見たのはこれが初めて。隼は驚いた様子でスーツ姿の八剣に聞く。

 

「なんで、病院に?」

 

 八剣は煙草を灰皿へと押し付けると、表情一つ変えぬまま答える。

 

「話がしたいんだよ。あんたと、それからあんたの母親と」

「?」

 

 どうやら八剣は片倉親子両方に話があるらしく、こうして二人が集まる所を待っていたようだ。

 普段は忙しいらしくなかなか連絡の取れない八剣だが、この日に限っては隼達を待つだけの余裕があるらしい。

 隼は火の始末を完全に済ました八剣を、病院内へと案内する。

 

「……とりあえず面会に行きましょう」

「おう」

 

 二人は病院の入り口で手続きを済ますと、邑子の待つ病室へと向かって行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、隼ちゃん。こちらの方はどちら様?」

 

 見知らぬ人物と共に現れた隼に対し、邑子は特に慌てる様子もなく楽天的に質問する。

 少なくとも黒いスーツに身を纏い、肌黒で体格の良い強面の八剣に対し動じている様子は無い。

 か弱き女性であるならば、目が合った瞬間振るえ上がってしまうような風格を持つ八剣を前にしても超然としている。

 とても肝が据えているというべきか、それともただ無頓着な性格なだけだろうか。

 セレクションの際に八剣に睨まれ、思わず竦み上がってしまった隼には複雑な心境だった。

 

(母さん、強い……!)

 

 何とも言えぬ敗北感を覚えた隼であったが、そんな事お構いなしに邑子は強面の八剣に声を掛ける。

 

「まぁ、立ちっぱなしでは何ですので。椅子にお座りくださいです」

「それはどうも」

「隼ちゃん、椅子を用意してあげて」

 

 隼は邑子の言う通りに、病室の隅に置いてあった丸椅子を用意し腰掛けた。 

 ベットに腰掛ける邑子と椅子に座る八剣、隼。互いが互いを見れる距離を作ろうと、若干位置を調節する。

 そして位置の調節が終わると、八剣が軽く咳払いをしながら邑子に自己紹介をする。

 

「……申し遅れました。私、溝浜疾風高校野球部の八剣凌生と申します」

 

 八剣が隼の進学先の指導者である事を告げると、元々明るい邑子の顔が更に明るくなった。

 

「えぇ、監督さんですか!? ……これはこれは」

 

 頻りに隼の事を見ながら、八剣に向かって何度も頭を下げる邑子。

 しばらくして、我に返ったかのようにハッとしだした邑子は慌てて自己紹介をする。

 

「初めまして、片倉邑子です。この度はうちの隼がお世話になりまして……。大変恐縮です」

「いえいえ、お気を使わずに……」

 

 双方とも丁寧な言葉使いで会話する邑子と八剣。

 八剣は持っていた手土産の一部を手に取ると、それを邑子に差し出す。

 

「隼君の卒業祝い、と言ってはなんですが……、これを」

「わぁ、ありがとうございます」

 

 差し出された箱は綺麗に包装されており、とても高級感が溢れていた。

 包装には高級和菓子店“銘菓パワ堂”の文字が印字されており、一目で中にお菓子が入っている事が分かる。

 邑子は嬉しそうに頂いた箱をベット脇のテーブルへと置くと、改めて八剣に対しどのような用件で来られたのかを聞く。

 

「それで、本日はどのような事で私たちの元へ?」

 

 質問する邑子に対し、突然隼が口を挟む。

 

「監督が僕たちに話があるんだって」

「ええ、入学前に是非ともお話して置きたいことが……」

 

 隼の言葉に相槌を打ちながら語り出す八剣、その表情が引き締まると当たりの空気が一変する。

 八剣は邑子と隼に対し、交互に視線を合わせながら本題に入った。

 

「来週から溝浜疾風野球部新入生の入寮が始まるのですが……。

 学費、生活費はご心配なく。我々で負担させていただきますので、準備の方宜しくお願いします」

 

 溝浜疾風高校野球部寮への入寮案内についてを語った八剣。片倉親子に対し、入寮の際に予定されるであろう準備を頼み込む。

 今回、隼は特待生扱いで野球部へ参加する事となる。寮に入れば生活費をも負担してもらえるとの事で、隼は入寮を決めていた。

 その事については邑子もよく隼から聞かされていたらしく、落ち着いた様子で応答する。

 

「あぁ、そういう事ですか。隼ちゃん、大丈夫?」

「うん……。一通り契約とかも済んであるし、僕の方から持ってくのは決まってる。

 家具とか他の荷物とかはお母さんでどうするか決めてよ」

 

 準備万端と言わんばかりの笑みを浮かべ答える隼。

 焦る様子の無い二人の様子を確認しホッとする八剣。

 少し笑みを浮かべると隼の肩を掴み、親指をグッと立て邑子に見せつけながら言う。

 

「隼君の事は任せてください、“野手二強”に負けない程の立派な選手に育てて見せますよ!」

「え、野手二強……?」

 

 いきなり肩を掴まれた事と、聞きなれない単語を耳にし困惑しだす隼。

 すると、何も知らない隼に対し八剣はおろか邑子まで怪訝な表情を浮かべ振り向き返る。

 

「あ、あんた同世代の“超新人世代”の事を全く知らないのか……」

「隼ちゃん、野球情勢についてはもうきっちり調べてるのかと思ってた……」

 

 高校野球関係者である八剣が知っているのは兎も角、邑子ですらその名を知るという隼の世代。

 どうやら相当有名であり。隼がその事を全く知らない事の方がおかしいという程の知名度らしい。

 甲子園常連組校の選手ですら社会現象になる程の選手は少ないというにも関わらず、一世代の選手全般が社会現象になっているという隼の世代。

 しかし、普段は参考書やプロ野球の雑誌しか野球の情報を仕入れず。ニュースもあまり見なていない隼にとっては何の事だかさっぱりわからない。

 そんな隼に対し、八剣と邑子は慌てて説明する。

 

「まずな、あんたの世代は“超新人時代”って呼ばれているんだ。

 この世代で有名なのが“魔王”、“投手四天王”、“野手二強”と呼ばれる超天才選手達だ。

 それ以外にもヤバイ奴らが集まってるから有名になったんだ」

「つまり、隼ちゃんが甲子園優勝を目指すのには、その最強世代の選手達を打ち破らないといけないって事なの。わかる?」

 

 強いだの、超天才だの、と言われ、あまりピンと来ていない隼。

 その様子をみた邑子は小さく息をつきながら、隼に分かるようプロ野球の話題を持ち出す。

 

「早い所、“投手四天王”と“野手二強”は現地点でもプロ入り確定と言われるような即戦力選手達。

 即戦力として考えても、多分ドラフト上位は固いでしょうね……」

「え……? 中学生で?」

 

 その言葉を耳にし、思わず邑子に聞き返してしまう隼。

 隼はプロ野球情勢には他の球児より詳しかった。それ故に他の人よりも余計に反応してしまう。

 隼にとって、野球の上手い下手の物差しはプロのプレイよりも上手いか下手かで見る事が多かった。

 選手特有の個性は兎も角、アマチュア野球の上手い下手など所詮はプロ以下でしかない。

 そう思っている隼は邑子の話を聞き、そんな中学生がいるものかと驚いてしまったのだ。

 しかし邑子は全く否定する気はないらしく、疑る隼に対しハッキリと言い切った。

 

「間違いないよ。おそらく、彼らが全員プロ入り届けを出していれば、必ず全員ドラフト上位で消えちゃうよ」

「……なら何故、プロに入らないのでしょうか」

 

 隼は疑問を口走らせながら、胸の中に複雑な気持ちが沸き出ているを感じた。

 自分が目指していた物であり、憧れであったプロ野球という世界。

 それを自分と同じ世代の選手達は、手に取る事が出来るにも関わらずアマチュアに居座っているというのだ。

 隼にとってはいい気分はしなかった。まるでプロ野球と言うのを甘い考えで捉えながら、ほくそ笑んでいるように思えた。

 しかし、その考えこそ間違いである事を、邑子は隼に諭すように厳しい口調で語りだす。

 

「甲子園にはね、高校野球の頂点ってのにはね、それだけの価値があるんだよ。

 中学野球でもプロ野球でも味わえない、長く険しい鍛錬の時を仲間と乗り越えて、たった一度の敗北も許されぬ闘いに身を投じ頂点を目指す。

 野球人生の中に狂い咲く瞬間はまるで蝉の人生の様に壮絶よ、それにどれだけの価値があるものか。

 隼ちゃんには分からないかもしれないけど、確かにある。高校野球にはそれだけの価値があるんだよ」

「……高校野球の頂点っていうのは、プロ野球で得れる記録よりもすごいものなの?

 僕には理解できない。三年という月日の中で活躍し記録を成したとすれば、歴代の記録との差を如何に縮める事ができるか。 

 いくら高校野球で頂点に立とうとも、プロ野球という孤高の地で記録を積み重ねなければ、名球会どころか人の記憶にすら残れない」

 

 邑子の言葉を聞いても、未だ納得いかない様子で反論する隼。

 すぐ隣には高校野球の監督が居るにも関わらず、高校野球を否定するような発言も厭わない姿勢を貫いている。

 しかし、高校野球の表舞台に立つ八剣でさえ、邑子の語りにも隼の反論にも思わず聞き惚れてしまっていた。

 聞き分けの無い隼に対し、邑子は少しムキになりながらもはっきりと言い放つ。

 

「私だって、隼ちゃんがプロで活躍できる程の才能がある事は知っている。

 けれども、だからと言って高校野球で簡単に頂点を取れる実力があるとは思ってないよ。

 少なくとも、隼ちゃんが本気で高校野球と立ち向かう事が出来ない限りは……。世代の選手についていくこともできないよ」

「僕は本気で高校野球に臨むつもりだよ。

 舞台がプロ野球であれ高校野球であれど、野球に対する思いで誰かに負ける事なんて無い。

 例え相手が誰であろうと、僕は僕の野球で叩き伏せてみせる!」

 

 双方、譲らないまま互いの目を見つめ拮抗する。

 両者とも互いの考えを認めてはいないものの、口走る言動には怒りという感情があるわけではない。

 邑子からは隼へのアドバイスを、隼からは母へ約束を守るための宣言を。

 どちらも思いやりの心から来るものがあった故に、言い合いを行っていたのであった。

 しかし、その心とは裏腹に確実に雰囲気は悪くなってしまう。

 すると、険悪になってゆく空気と暗くなる両者の表情に見かねたのか、先ほどまで片倉親子の言葉に惹かれていた八剣も制止に乗り出す。

 

「ま、まぁ……、お母さんもそろそろ落ち着きましょうや」

 

 両者の間に立ち、手のひらを立てて二人を止めた八剣。

 隼の認識不足、そして邑子の消極的すぎる発言。どちらも否定できないものの、かと言ってこのまま二人の言い合いを永遠と繰り返すわけにもいかない八剣は一度脱線しかけた話を再び元に戻すべく、再び“超新人時代”の話を語る。

 

「話を戻すが、その“野手二強”、そして“投手四天王”の一部が神奈川高校野球に参戦する。

 ……残念ながら、溝浜疾風にはそのどちらも入学はしないが、世代を代表する選手一人が加入する予定だ。

 他にも、特待生はもう一人いる。名は知られては居ないがかなりの強者であるのは確かだ」

 

 隼は入学の事でいろいろと事前に聞かされていたが、他の特待生の事について聞かされた事は無かったので少し反応する。

 以前、隼は再セレクションを受けていたものの。実際は最初のセレクションの地点で、参加者の中から十名合格を出していたらしい。

 本来の特待生予定二人を合わせると合計の人数は十二人。

 例年入部する部員数の定員となるのだが、隼は十三人目として異例の入部を果たすことになっていた。

 特待生ではないが、特待生制度と同じような対応を取られる“一番打者”。

 これは最初のセレクション時に知り合った男、矢部明雄がその称号を獲得したとは聞かされていたが、他二名の特待生についてはこれが初めてだった。

 

「その選手とは……?」

 

 隼はその人物について聞き出そうとする。

 すると八剣は少し面倒くさそうな表情を浮かべつつも、隼に対し説明を開始する。

 

「投手四天王の一人、福岡を支えた名捕手って所だな。

 “黄金の左腕”猪狩守(いかり まもる)。“球帝”山口賢(やまぐち けん)。“狂戦士”一二三四五六(ひふみすごろく)。そして、“侍”こと福岡治巳(ふくおか はるみ)

 投手四天王と言われる曲者揃いの四名だが、その内の福岡を四天王にまで育て上げた捕手。そいつが入部する予定だよ」

「ああ、あの背の高いキャッチャー君の事ですね」

 

 八剣の話に対し、反応したのは隼ではなく邑子の方だった。

 名前を出さずとも選手の事が伝わってしまうように、“超新人世代”とは世間にとてつもない影響を与えている。

 しかし隼はというと、少しややこしい言いぐさに苦戦し、あまり理解できていないようであった。

 このままさらに説明すると日が暮れてしまうだろう。そう思った八剣はそのまま話を進めることにした。

 

「後は俺が地方の中学から見つけてきた投手だ、

 知名度は無いがなかなか見ない天才肌を感じ取ったからスカウトした、彼も期待できる」

「つまり、今季の新入部員は期待できる……。と捉えて宜しいのでしょうか?」

 

 隼が八剣に聞くと、彼は即答した。

 

「ああ、お前を含めて過去最強のチームになるだろうな」

 

 八剣は自信満々に答えていた。過去最高のチームになる事を確信していたからである。

 余程自信が無ければ、このように即答する事は出来ないだろう。

 隼の表情にも少し笑みが零れる。共に強豪校相手に立ち向かうであろう、頼りがいある仲間がいる事が嬉しいのだ。

 いつの間にか、八剣のファインプレーにより暗かった雰囲気が明るくなっていた。

 しかし、再び浴びせかけられる隼の質問により、明るい雰囲気の世界が突如静まり返る。

 

「それはそうと……、“投手四天王”でもなく“野手二強”でもなく一つだけ違うのがありましたが……。

 “魔王”ってなんでしょう?」

 

 隼の問いに、邑子も八剣も声を詰まらせる。

 八剣も反応に困るような表情を浮かばせていたのだが、邑子に至っては少し体が小刻みに震えているように見えた。

 まるで怒っているかのように。先ほどの言い争いでも見せなかった怒りの感情に体が震わせているかの様な印象を受け、隼は戸惑う。

 

(あれ……? 何か悪い事でも言ったかな?)

 

 様子のおかしい母、邑子の事が気になる隼であったが。普段とは違う邑子の表情を目の当たりにし、詳しい事を聞く勇気が湧かなかった。

 それは八剣には気づかない程の些細な表情の変化であったが、隼はその表情の変化に違和感を感じていた。

 隼が邑子に気を取られている中。しばらく掛ける言葉に迷っていた八剣が遅れて隼の問いに答えて行く。

 

「実は俺もハッキリとはわからねぇんだ、噂だけが有名になっててな……。

 去年の中学軟式野球の大会でいきなり現れて、弱小校を全国優勝させた規格外の化け物投手らしい」

「弱小校を優勝……、その“魔王”がですか?」

「さあな、俺も聞いた話だからそいつがどんな奴かは知らないんだ」

 

 隼が八剣に“魔王”と呼ばれる人物についてさらに聞こうとするが、八剣は確証が持てないらしくハッキリとは言わなかった。

 ただ何となく分かったのは、その“魔王”と呼ばれる人物が、得体の知れない人物である事ぐらいだろう。

 一体何者であって、どのように凄い選手なのか分からないまま会話が進まなくなる両者。ふと隼は邑子の様子を確認する。

 

(……母さん、大丈夫かな?)

 

 “魔王”の話題が始まってから暫くの間、隼の目には取り乱している様に見えていた邑子の表情は落ち着いた様であった。

 話題が進まなくなってからは、普段の落ち着きを取り戻していた様である。

 一体、先ほど見せた表情とは何だったのだろうか。隼は気になりながらもそれを聞く勇気はやはりなかった。

 その時、八剣が唐突に席を立ちこう告げる。

 

「では、話は終わりましたので私はここらで失礼させてもらいます」

「え……、あ、はい!」

「隼君、期待しているからな……、では!」

 

 伝えるべき事は全て伝えた八剣。最後に片倉親子に対しお辞儀をし、勢いよくその場を去って行く。

 突然の出来事に対し、呆気に取られ流されるまま八剣を見送ってしまう隼。八剣にはまだまだ聞きたい事が山ほどあった。

 しかし、あと一週間もすれば高校の寮に入る事となる。

 その時はまた、その“超新人時代”の話を聞く事になるだろう。

 隼はその場で大きく頷きながら、自分自身にエールを送る。

 

(頑張れ自分……、例えどんな相手が来ようとも乗り越えて見せろ……!)

 

 そんな隼の姿を、邑子は少しだけ心配そうに見つめていた。

 その姿に何かを映しながら、感じながら――。声も掛けれずにじっと見つめていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして、あれから一週間が経過した。

 

「さて、ここが溝浜疾風野球部の寮か……」

 

 荷物を持ち、誰よりも早く颯爽と寮の前へと姿を現したのは、片倉隼であった。

 気づけば、入寮予定時刻の一時間前に彼は溝浜疾風高校の野球部寮の前に来ていたのである。

 予定よりも一時間早い登場。流石に他の入部予定の選手達もまだ来ておらず、隼自身も早く来すぎてしまった事を気にしていた。

 

「……やっぱ、まだ早かったかな?」

 

 前日から既に住んでいた家の契約を打ち切り、ネットカフェのナイトパックを利用して夜を明かした隼。

 ナイトパックの利用時間は八時間、前日の夜十時に利用し始め、ネットカフェを出たのはまだ早朝の五時。

 ここの寮へと来る途中、いろいろと寄り道はしていたものの、それでも大して時間を潰すことが出来ず目的の寮へと到着してしまう。

 暫くの間、空を見上げながら時間を潰して居た隼。その間、隼はこれから住むであろう寮の生活を頭の中で描く事にした。

 

「一体、どんな人と一緒になるんだろうか……」

 

 寮生活を思い描く中でもっとも気になる事は、やはり共に寝泊りをする仲間の事であった。

 事前に聞いた話では、寮の部屋決めは毎年法則が決まっている様であり、一部屋三名で構成されているらしい。

 それ以外には特別法則は無く、学年も成績も関係なしに部屋が割り当てられる筈。

 つまりは完全なランダム、もしかしたらセレクションの際に知り合った矢部や他の選手らとも同室かもしれないのだ。

 隼は期待に胸を膨らませながら、頭の中で理想の生活を思い描いていた。――その時。

 

「おおっ、隼君だっ! 早い!」

 

 不意に後方からよく知る人物の声が浴びせかけられ、隼はその場を振り返る。

 現れたのは数か月前、一打席勝負で見事勝利したものの物理的に隼を圧倒した投手・今は期待の二年生エースの野咲夢花であった。

 物理的に倒された隼であったが今では完全にまた和解しており、以後も何度か連絡を取り合う仲となっていたものの、いきなりの登場に驚いてしまう。

 

「もう……、いきなり大声で脅かさないで下さいよ」

「でもこんな早く来るとはおもわないじゃん?」

 

 夢花は驚く隼の様子をニヤニヤ見つめながら、距離を詰め寄る。

 最初に出会ってから早半年ほどが経過しているが、未だ隼は夢花には驚かされてばかり。

 初めは夢花の女性とは思えない身体能力から始まり、病院での出来事、速球、そして二段ムービング。

 溝浜疾風高校に入れば、これから夢花と出会う事がもっと多くなる事だろう。

 隼は不安に思う反面、次はどの様に驚かしてくるのか若干楽しみにしている部分もあった。

 夢花は隼の肩を軽く叩きながら、堂々と胸を張って言う。

 

「これからは私は同じ高校の先輩だからねっ! 私の事は野咲先輩と言いなさいねっ!

 ……あと先輩には逆らっちゃいけないんだからねっ!」

「い、いきなり何を言い出すかと思えば……。わかりました、野咲先輩」

「その代わり、何か分からない事があったら頼っていいからねっ!」

 

 そう言いながら、力任せに隼の肩に掛けた手に力を入れる夢花。

 後輩というものが出来て相当うれしいのか、それとも彼女なりのスキンシップなのか。夢花は隼の体ごと押さえ込むつもりで力を入れていた。

 しかし男女の差なのか、身長の差なのか、精々隼の体を揺らす事が関の山だった夢花。次第にムキになり始めいつの間にか本気で押し倒そうとし出す。

 

「ちょ、ちょっと……、野咲先輩っ……! 何をしようとしてるんですかっ……!」

「う、うるさいっ! 先輩として力を示させなさいよっ……!」

「どういう理由ですか、それ……!」

 

 あまりに自分勝手で意味の分からない理由を掲げ、隼を押し倒そうとする夢花。

 しかし足腰がしっかりしている隼をその場から動かす事もままならず、早々と息を切らしてしまう。

 押し込む事が出来ないと悟った夢花。夢花はムッとした表情で隼を睨みつける。

 

「というよりも、危ないですからそろそろやめましょ……ね?」

 

 ムキになっていた夢花を宥めようとする隼。

 最初は面白半分で隼にちょっかいを出そうとしていた夢花だったが、完全にスイッチが入ってしまいもう収集がつかない。

 そしてついに夢花は実力行使へと移る。

 

「こうなったらっ……、えいっ!」

「え……、ちょ!?」

 

 落ち着かせようとする隼の制止を振りほどいた夢花。

 そしていきなり彼女は助走をつけ、隼の胸元に頭から突っ込んでゆく。

 

(避けるしかないな……)

 

 勢いある助走と頭から突っ込んでくる夢花を前にし、隼は危険を感じ身を引こうとする。

 いくら夢花の小さな体とはいえ、全力で来られたら防ぎようがない。

 そう思い隼は後方に引いてそれを避けようとした――が。

 

「――おわっ、溝!?」

「きゃあっ!?」

 

 後方に体を引いた途端、虚空に足を踏み入れていた事に気づいた隼はバランスを崩し転倒してしまう。

 隼が身を引いた先には大きな溝があった。そしてそこに足を踏み入れ、そのまま落っこちてしまったのだ。

 そして隼に標準を合わせていた夢花も。隼に覆い被さるようにそのまま溝へとダイブする。

 鈍い音を響かせながら、そのまま倒れ込む二人。しかし、今回は倒れ込んだ後もすぐに相手を思いやる程度には余裕があった。

 

「いてて……、野咲先輩大丈夫ですか……?」

「うぅ……、大丈夫だよ……」

 

 幸い、隼の持っていた荷物がクッションとなり、両者とも大した怪我は無く、意識もはっきりしていた。

 自身の状態を把握した隼は、荷物が潰れる前に急いで立ち上がろうとする。しかし体が思うように動かない。

 

「んんっ……? って、何してるんですか!」

 

 ふと隼が瞳を開けて上を見上げると、隼の体の上に座り込み、満面の笑みを浮かべ勝ち誇っている夢花の姿があった。

 思わず隼も大きな声を上げると、夢花は嬉々とした様子で答える。

 

「これで上下関係がハッキリしたねっ! 隼君っ!」

「……だ、だから、何で、そうなるんですか!」

「えーい、反抗するなーっ!」

 

 なんとか夢花の下から抜け出そうと抵抗する隼を、再び力で押さえ込んで行く夢花。

 今度は体勢が上下である以上、そう簡単には抜け出す事は出来ない。

 絶体絶命のピンチに追い込まれた隼。しかしその時、もはや完全に悪ふざけが過ぎていた夢花に天罰が下る。

 

「朝っぱらから男の子押し倒して何してるんだ、野咲」

「わわっ!? 監督!?」

 

 慌てふためきながら隼の体から飛び降りた夢花。すぐ目の前では騒ぎを聞きつけやって来た八剣の姿があった。

 先ほどから大きな声を上げ続けていたからなのか、気づけばそこには軽く人だかりが生まれている。

 すると、途端に恥ずかしくなったのか。夢花は急いで隼から離れると顔を真っ赤にして逃げ出してゆく。

 

「ち、ち、違うの~っ! うわ~ん!」

「全くなんなんだ、あいつは……」

 

 呆れた顔で走り去る夢花を見つめる八剣。

 夢花の姿が見えなくなってからしばらくして、彼は溝に倒れ込んでいる隼に手を差し伸べる。

 

「すまないな、あいつの暴走癖には俺も参ってるんだ」

「い、いえ……、監督が謝る事ではないですよ」

「あいつ、同級生にもあんな感じに振舞うんだ。あいつなりのスキンシップなんだろうけど……」

 

 溜息まじりに夢花への愚痴を零す八剣。その表情からは夢花が相当手を煩わせていた事が伺えた。

 何にせよ、いくらスキンシップとは言え力任せに押し倒したりされたら溜まったものではないだろう。

 型に囚われず自分に正直な夢花の生き方に憧れる隼であったが、被害者の辛辣な表情を目の当たりにし、複雑な気分になる。

 しかし、八剣もなんだかんだでそんな夢花の事を認めていた。

 

「まあどんな相手にも引けを取らず、真正面から向かっていくってのはかっこいいんだけどな。

 今時、真っ直ぐだけで格上の相手に食らいついて行ける選手なんてーのはなかなか見られねえもんだよ」

 

 夢花と言ったら勿論、様々な使い分けが出来る速球だ。それは夢花も自負している。

 けれど変化球を全く習得しようとせず、小さい体で速球を投げ続けていれば、普通ならすぐ底が知れ攻略されてしまうだろう。

 変化球とは逃げ道でもある。速球だけでは抑える事が出来ない相手に対し、軌道・緩急・変化等で自身の投球にアクセントを加えて相手を惑わす。言わば強弱の弱なのだ。

 かつての速球だけで勝負するのが主体だった時代から、変化球を重要視するようにもなった現在。

 殆どの投手が速球以外にも、それぞれ得意な変化球を持つようになり日本の野球は格段に進化した。

 その一方で、投手が進化するように打者も進化した。速球だけで打者を抑え込める時代は、もう終わりを迎えようとしているのかも知れない。

 しかし、夢花は速球に拘った。自分の最も得意とする速球を極めるべく、速球を使い続けていたのだ。

 自分に正直で、それでいて理想を語り続けれるだけの強さを持つ。

 そんな夢花の生き方に八剣も、チームメイトも、そして隼も。惹かれていたのかも知れない。

 だからこそ八剣はそんな夢花の為に頭を下げる事が出来るのだった。

 

「ま、片倉よ。あいつもお前の事を大切な仲間だと思ってああ言う態度を取ってるんだ。

 嫌ってやらないでかまってやってくれよ」

「いえいえ、分かってますから……、大丈夫ですよ」

 

 隼が夢花を嫌っていない事を八剣に告げる。

 隼にとって夢花は複雑な片倉家の事情に付き合ってくれる良き理解者であり、大切な友達という認識があった。

 だからこそ、多少の暴走があってもそれを受け止めるぐらいの余裕は無くてはならないだろう。

 その隼の温かな想いを理解し、八剣は豪快に笑い声を上げながら隼の頭をなでる。

 

「はっはっは、関心関心。それでこそ俺の見込んだ奴だ!」

 

 そしてしばらくの間、隼の頭を撫で続けていた八剣。

 突如頭を撫でるのを止め、荷物を持ったまま立ち尽くしている隼に対し、八剣は提案する。

 

「まだ早いけど、お前だけ先に入寮しておくか?」

「え、いいんでしょうか?」

 

 思ってもみなかった提案を受け、隼は嬉しそうに表情を輝かせる。

 来るのが速く、あと一時間程も時間を潰さないといけない状況だったからなのか、早く寮に入れることはとてもうれしい事だった。

 八剣はその言葉を聞くと、途端に張り切りだし始め隼の背中に手を掛ける。

 

「ああ、ここにずっといるのも嫌だろう!

 そうと決まればさっさと行くぞ、お前の入居先へ!」

「え……、あ、はい……」

 

 いきなりテンションが高くなる八剣、隼を目の前の寮とは真逆の方向に連れ出そうとする。

 最初は黙って八剣についていく隼であったが、次第に寮が見えなくなり始め、想定の場所とは全く違う所へ連れ出す八剣に危機感を覚え始めて行く。

 そこで鼻歌交じりのハイテンションで歩いていく八剣に対し、隼はもう一度確認する。

 

「あの……、寮って先ほどの場所では……?」

 

 しばし高揚した気分のまま硬直する八剣。彼は無言のままその場に立ち止ると気まずそうに隼を見つめる。

 隼が言う通り、男子野球部の指定寮は先ほどの場所で間違いなかった。

 途中で何故か夢花に出会ったものの、間違いなく先ほどの場所が男子寮であった筈。

 気まずい雰囲気が広まっていく中、八剣はついに重い口を開き始める。

 

「……前にも言った事だが、今年はお前を含めて十三人の新入部員が居る。

 県外からも足に自信がある奴らがこぞってやってくる溝浜疾風の野球部は、その殆どが寮生となり生活する。

 俺が毎年十二人しかとってないのは、寮に収容できる人数を調整する為でもある」

 

 八剣の説明を聞いた途端、急に何かを察した隼は血の気が引いたように顔を青ざめさせた。

 遠ざかって行く男子寮、突然耳にした寮の定員の話題、そして向かっている先に見えた建物。

 それらの情報をつなぎ合わせた隼は、茫然としながらも八剣に確認した。

 

「もしかして……、僕はあそこに住むんですか……?」

 

 震える指先が示していた建物は、男子寮と同じ造りの小さなアパートだった。

 高校の敷地内でグラウンドからもそんなに離れては居らず、おそらく既に何人も暮らしているのだろう、外から見ただけでも生活感を感じられるオシャレなカーテン、洗濯物、そして楽しそうな喋り声が聞こえてくる。

 最初はいくらなんでも冗談だろうと思っていた隼であったが、八剣の真面目な顔と次第に距離が近づき異様な風景を目視すると頭がおかしくなってしまう。

 そして、そんな混乱状態の隼に八剣はとどめを刺した。

 

「ここがお前の住む……‟颯春寮(そうしゅんりょう)”だ。

 野球部女子寮だが夢花と涼子が面倒を見てくれるそうだ……、ってどうした! 片倉ァ!」

「みんなひどい……、僕が女の子みたいだからって……」

 

 隼は混乱した頭をショートさせてしまい、その言葉を最後に力尽きその場に倒れこむ。

 あの時、夢花が男子寮に来ていたのは事情を知っていた彼女が待ちきれずに先に待っていたからなのだという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてこの日から、片倉隼の全国制覇を目指す戦いは始まるのであった――。




第一章、これにて終わりでございます!
最後の話だけ詰め込みすぎてやばい時間がかかったでございます・・・
猪狩君と山口さんは名前だけ登場ございます。二人とも投手四天王の中では上位でございます!
一週間でなんとかしようとおもったら8日もかかったございます・゚・(ノД`;)・゚・
というわけで、隼君も高校入学しましたございますので次から第二章、チームメイト周辺が始まりますございます!
矢部君や曲者揃いの特待生2名、それから先輩にコーチ。そして夢花ちゃんと涼子ちゃん!
第二章もよろしくございますございますです!



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