元姫は異世界で娼婦をしています 作:花見月
シャーレには聞かせられない話だったらしく、早々に彼女は部屋に戻らされ、私は一人で女将さんの部屋の応接スペースに通された。
館の中でも一番豪華な部屋、それが女将さんの部屋である。調度品のレベルも私達娼婦の部屋の物より更に高くて、まさに王侯貴族の部屋と見紛うばかりに豪華だ。
娼館の主人の部屋は今までにいくつも見てきているけれど、その部屋の主の性別や趣味趣向で調度品の種類や部屋の大きさ、続き部屋の数や雰囲気といったものは随分違う。
しかし、そんな部屋でも共通するものがひとつだけある。
それは鍵の掛かった薬品棚。
どんな主人の部屋にも必ず一つはあり、客や娼婦に提供するためのローションのような潤滑剤や媚薬の類の他、娼婦に定期的に支給されている避妊薬、そして完全に毒に分類される堕胎薬といった劇薬が収められている。
ただ、中には隠し扉の奥に造っている者や棚にせずに薬箱で管理している者もいて、ここにも多少の違いは出ているけれど基本的に主人の部屋にあるのは、娼館の主人以外が劇薬を持ち出さないように管理しているためだ。
そういえば、この紫の秘薬館のオーナーは別にいるらしくて、とある貴族だとか有力な豪商だとか噂話では聞いたけど、私は会ったことはない。
女将さんがしっかりそのパトロンの手綱を握っているのか、営業方針は女将さんへ完全に任せて口を出さないのかな?
スプリングの効いた座り心地の良いソファーに座り、来客用と思われる高価な茶葉を使った茶をこれまた来客用らしい薄手の白磁のカップで出され、一応礼儀として一口飲む。
あ、これかなり良いお茶使ってる。美味しいし、香りが違うもの。
てことは、かなり面倒な仕事なんだろうなあ。
瞬時にそう理解して内容によってはどう断ろうか考えながら、私がカップを皿に戻した所で、向かい側に座る豊かな金髪に目元の泣きぼくろがセクシーな女将さんが、目の前のテーブルの上にコトリとシンプルで小さなガラスの瓶を置いた。
そのガラス瓶には、オレンジ色の液体が入っている。この液体……いや、薬の正体を私は知っている。
『排卵誘発剤』――わかりやすく言えば、妊娠薬と言えばいいのだろうか。こちらでは受胎薬と呼ばれることが多いみたいだけど。
普段、娼婦が飲んでいる避妊薬の真逆のもので使用すると数日のうちに排卵を促し、子宮に着床しやすく、妊娠しやすくするという娼婦にとって迷惑極まりない薬である。
もちろん、私には全く効果はないよ?
でも、過去に身請けを企む客に何度か盛られたことがあるので知識として覚えている。
この薬も純粋に不妊治療のために発展したのなら良いのだけど、多分そんなこと無いんだろうなあ。
寝とり孕ませや妊婦プレイみたいなある意味特殊性癖のユグドラシルのプレイヤーが、作らせた薬じゃねーの? と邪推するわけで……ここでも歪みが出てるとしか思えない。
うん、私が物事を穿った目線でしか色々見てないのは認める。
「それで、面倒な仕事って、まさかコレ絡み?」
「そうなのよね。まあ、貴女なら言わなくてもわかると思うけどお察しの通り、受胎薬よ。これを飲むことも仕事の内に入っていてね」
女将さん……確か名前はリオネ? だったと思うけれど、ずっと女将さんとしか呼んでないので咄嗟に名前が出てこないが、そんな彼女は頭痛をこらえるようにこめかみを押さえる。
「とある冒険者を歓迎する宴に参加して、彼を籠絡して欲しいそうなのよ」
女将さんは溜息をつく。
「そして、子供を孕んだら身請けして、養育費も支給するらしいわ」
「はあ……?」
「だから、仕事としては良い話なの。実際、うちの上位争いしている他の娘達に話したら、割と乗り気だったもの」
高級娼婦は娼婦の中でも選ばれた者で、その待遇も素晴らしいけれど、売れなくなればどんどん落ちていくしかない。そのために落ちる前にいかに条件が良い身請け元を見つけるか考える。
高級娼婦ともなればその金額もすさまじいから、例え驚くほどの人気の娼婦でも、自力で自分を買い戻すというのはその中でも選ばれた一握りにしかできない。
つまり、そんな高額の身請け金額の高級娼婦が子供を産むだけで娼婦から自由になれる。しかも、養育費が支給されるというのは、それだけで破格である。
ただ、冒険者の子供とか、どう考えても貧乏くじだと私は思うんだけど?
それが、他の姐さんが乗り気ってことは相手の男の冒険者ランクがよっぽど良くて箔がつくのかな?
こんな依頼が来るんだから、ミスリル以上……やっぱり、例のアダマンタイトになった漆黒の英雄しかないよねぇ。
確かに、これは私に対してなら、面倒で良いお茶も出したくなる。
つらつらと思考を走らせ、げんなりとしながらカップを手にとってお茶を飲んだ。
「それなら、そういう案件は、私が断るっていうのもわかってるよね?」
「んー、でも相手はあの漆黒の英雄よ?」
やっぱり。
シャーレさんや喜べ、君の予言通りだった。
「だ・か・ら・ね? 籠絡するしないはともかく、前提が間違ってるの。私、子供は産めないよ?」
避妊薬を長期に渡って飲み続けると子供が産めなくなるというのは、一部の高級娼婦にとっては常識だ。
ここまで言えば相手は勝手に勘違いしてくれるので言葉は続けない。
「ああ、別の所でも娼婦をしていたと言っていたし、薬を長く飲み過ぎたのね」
都合よく解釈してくれた。
もちろん、子供が産めないのは"人間の"という冠がつくので文字通りの意味じゃない。
だって、私が孕めば子供は確実にハーフデビルだろう。
「そういえば、貴女の本当の歳は幾つなのかしら? 18歳って触れ込みだけど……子供が産めないほど薬を飲んでるってことは、見た目通りの年齢ってわけじゃないでしょう?」
「フフ、いくつだと思う? まあ、見た目は公称通りなんだから良いじゃない」
「『公称』ね。まあ、稼いでくれるなら何歳でも良いわって言ったのは私だから、言う気がないなら聞かないでおくわ」
魔法詠唱者って長生きらしいから……と、女将さんは小さくつぶやいた。
恐らく私には聞こえてないと思ってるんだろうけど、そういう小さな声程よく聞こえるものですよと。
まあ確かに、有名所だと帝国の切札とか言われてるフールーダなんちゃらとか言う魔法詠唱者はかなりのお歳なんだっけ?
本当の年齢言ったら、どんな驚きを見せてくれるのかな? とも思うけれどあえて聞き流しておく。
波風立てるのは好きじゃないし。
「話はこれで終わりでいいのかしら? それなら、断るってことでよろしく」
「ところが、そうも行かないのよね。ほら、貴女って冒険者ではないけれどラケシルも認める魔法詠唱者でしょう? だから、名指しの指名入りなのよ」
「名指しって……子供産めないのに? それ説明したら、諦めるんじゃないの」
「子供は別に孕まなくてもいいの。この都市に居着く理由になればいいそうだから」
ああ、だから籠絡しろってことなのね。
でも、私がやる必要性を感じないし、何より彼には相方の美人さんが居たはず。
そんな相手に色仕掛けが効くとも思えない。
「あのねえ。私、今の予約分でここ辞めるつもりなのよ? 余計受けられないでしょう」
「ああ、そうだっけ……でも、困ったわ。貴女みたいな黒髪で象牙色の肌の南方タイプの娘は居ないし……絶対、貴女が選ばれるだろうってアインザックのお墨付きなのに」
何と言われようと私は宴に出るつもりはない。
プレイヤーらしき人物と会うなど冗談ではないのだ。
「
「そこまで言われたら仕方ないわね……本当に残念だわ」
悩ましくため息をついた女将さんを見ながら、私はカップのお茶をきれいに飲み干して、皿に戻して席を立った。
――――これで、あの話が終わったのであれば、本当に色んな意味で楽だったのにと今になって思う。
「え……ビッ……いや。あ、飴姫……!?」
その漆黒の甲冑を身につけた男は私を見るなり、そう叫んだ。
ああ、やっぱり、貴方晒しスレ御存知でしたか。というか、言うに事欠いてビッチ飴って言いそうになったでしょう? 言わなかっただけ褒めてあげるけど。
「……なんの……ことでしょう?」
頑張れ表情筋。にこやかな笑顔を浮かべつつ、頬が引きつる。
ああ、本当にどうしよう……。
ええ、私。実は、どうやらその例の宴とやらにいます。正確にはいたんだと今、気が付きました。
ちなみに会場は、都市長の屋敷。
身内のみを集めたささやかな宴……ってことになっている。
ラケシルから都市長主催の
いや、そこでちゃんとパーティの内容を確認しなかった私の落ち度か。
しかもね、今回のドレスは以前に仕立屋ネアンで新調したチャイナドレスである。
濃紺の深いスリット入りの豪華な金糸の小花刺繍が入ったドレスに、パーティだからと生足を隠すためのシフォンスカートを合わせたマーメイドスタイル。
運が悪いことに、このデザイン何気に晒されたスクリーンショット画像のドレスと色違いなだけ。
そう、こんな変わった形のドレス身につけてるの私しか居ないわけですよ。
チャイナドレスのデザイン自体、この世界には存在しないようなものだからね。
……だって、知らなかったんだよ!?
普通はきちんとしたドレスコードが必要なパーティに冒険者を呼んだりなんてしませんよ?
精々、室外の警備程度。中にいるとかありえないし。
ラケシルに連れられて開催者の都市長に挨拶しに行ったら、さり気なく都市長の護衛についていたのが漆黒の英雄だったなんて……