オーバーロード ―さまよう死霊―   作:スペシャルティアイス

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※残酷な描写に注意です


第七話

暖かな日の光と草のカーペットが続く平原に続く坂道。その小高い丘の稜線には空の蒼が、そして白い雲が浮かぶ。

やわらかな風が運ぶのは花の香り、ではなかった。

 

「ウギっ」

「ぎゃひィ」

 

もし、その丘の上から向こう側を見る者がいれば、そのあまりに酸鼻たる光景に顔を背けただろう。

ゴブリン、オーク、人間、オーガ、人喰いウルフ、レッドベア、ビッグ・コックローチetc……。

おびただしい血と体液、臓物、そして破壊された体組織だったものが、ちょっとした広場ほどの範囲にぶち撒けられていたのだから。

そしてその臓物のレッドカーペットの中心へと、己が同族か異種族かのミンチを踏みしめ、モンスターの大軍が迫る。

 

『すっげえなオイ。こんなに寄ってくるなんて狩り放題じゃねえか!』

「……いつか殺してやる、死霊め」

『オイオイ、こっちはレベリング手伝ってるのにひでえな。

……まあ、俺がお前さんの立場でも同じこと喋るだろうがね。憎まれ口叩けるなら休憩は終わりかい?』

 

聞こえた声に剣士は心中で舌打ちを一つうつ。

その渦中、群れが目指す中心には一人の男、ブレイン・アングラウスが立っていた。

全身に返り血と臓物を浴び続け、体中が変色した血や体液で穢れた黒に染まり、真新しい血の赤と虫の体液の緑を被った姿だ。

生来の青髪はどす黒い赤に染まり、目を閉じたままの抜刀の構えから微動だにしない。

 

「ギィ!?」

「キャインッ」

 

彼に躍りかかったオークと狼が、ほぼ同じタイミングで首と胴体が分かたれる。

しかし、その光景を見ても群れは止まらない。まるで食中植物に吸い寄せられる動物のように、誘蛾灯に突っ込む羽虫のように。

 

二体の亡骸の後ろに控えていたオーガが、沸き上がる感情のままにブレインに襲いかかる。

 

「?!」

 

しかしオーガの持つ棍棒がブレインに振られることはなかった。なぜならそのオーガの視界に地面が迫り、ぶつかると同時に意識が切れたからだ。

何が起こったかというと、傍目から見ればブレインが構えを解き、目を瞑ったまま歩き出したのだ。

自然体のまま、棍棒を振り上げたオーガの眼前に進み、オーガの首が飛んだ。それだけだ。

そのまま巨体のオーガが倒れこむ前に脇をするりと抜け、その後ろにいた下半身が蛇の人型のモンスター、ナーガへ近づく。

 

『スタミナ減少無効のポーションの持続時間、意外と長いのな。もろもろのポーションの効果時間は調べられたか。

でも敵寄せの魔法の効果、なかなか切れねえな』

 

牙を剥き出すナーガが、腹部を横一文字に分断される。ブレインが歩を進めると同時に、その周りのモンスターは致命の刀割の洗礼を受ける。

トライあんぐるの憑依で強化されたパラメータ、そしてそれを活かした《領域》は、尋常ならざる感覚をブレインに与えていた。

視覚を閉じているにもかかわらずそれ以上の超感覚でもって、彼の意は三次元の網目の見となる。

 

「ひぇィビ」

 

野盗らしい人間を防具ごと兜割にする。実を言うと、この時ブレインには半ば意識がなかった。

死への恐怖は首を百ほど切り飛ばした時に薄れた。千の屍体を血の海に沈めた時、いつのまにか視覚以外の何かに頼っていることに気づいた。

暁光をその身に浴びる頃には、自分の意識とは別の生き物のように腕が刀を振っていた。

考えてみれば、一昼夜過ぎて斬り合いをしているにもかかわらず、彼の神刀は折れもしなければ曲がりもしていない。

しかし、以前は輝く鋼色だった刀身は血糊と油で穢れ、血痕のような模様が染み付いた歪な刃紋が見えた。

すでに彼の意の先に刀は疾走る。

度重なる刀の振りには拍子を必要とせず、最短にして最小の労力で殺意を発す源を絶つ。

武技でもなければ、魔法でもない。ただただ斬り続けていたことによって身体が覚えた、最高の体幹のとり方。

それをなし続けている内にブレインは自覚しなかったが、彼の中の一定の上限を突破していた。

 

 

 

事の起こりは些細なことだ。

トライあんぐるに憑かれたブレインが街道を、トプの大森林西部沿いを北上していた時だった。

普段よりも多くのモンスターに遭遇したのだ。

ゴブリンやオーガはもちろん、普段は大森林に棲む大型の昆虫の魔物にまで襲われる始末。

彼らは気付かなかったが、それはなにかから逃げ出すかのような様相だった。

 

「どういうことだ……?」

『いくらなんでも、狩場としては最悪だよなこれ』

 

今しがた斬り伏せたゴブリンを前にブレインは訝しげに呟き、トライあんぐるもその言葉に追従する。

しかし、それぞれの真意は別物だった。

 

「(昼間の、しかも街道沿いで頻繁にモンスターに遭遇するなんぞ、そうあることじゃない。

いくら大森林の近くであってもだ)」

『(ゴブリンて……。チュートリアルダンジョンかよここ)』

 

ブレインは王国の、人間の領域では滅多にない事態に。トライあんぐるはありえないほどの低経験値と思われるモンスターに戸惑っていた。

 

『(いや待てよ。もしかしたら見た目はゴブリンでも、実際はそこそこ強いのかも)』

 

しかし憑かれている状態でのブレインの強さを思い返し、その彼が苦戦しないという事実にその可能性も低いだろうと考える。

そんなことを考えている間にも、ゴブリンの集団が再び現れた。

 

「新手かっ。一体どうなってやがる」

『おおいブレインやい、ちぃと出るぞ』

「なにを……ぐっ」

 

トライあんぐるの声に疑問を浮かべると同時に、ブレインの肉体に脱力感と疲労がのしかかる。

前に目を向けると、そこには己に取り憑いていた烙印の浮かぶ死霊が現れていた。

 

「実際に試してみないと、敵の強さってわからんしなー。まあお前さんが戦ってたのを見るに、こいつら魔法使えないだろ?」

「……確かにそうだが、ゴブリンの中には魔法を使いこなす個体もいるぞ」

「あぁ……そういやそんなのいたなぁ。ユグドラシルと同じかはわからんけど、ってなんで攻撃こないん?」

 

いつまでも自らに襲いかからないゴブリンに目を向けると、彼らは襲っていた人間から急に現れた死霊に戸惑っているようだった。

そして明らかに警戒感を抱いているようで、少しずつではあるが後退しているようだった。

 

「待て待てっ、逃げるな逃げるな!《狂気の繰言Ⅰ》」

 

実験の失敗に焦るトライあんぐるはスキルを発動させる。

異形種の一つ、狂気に喘ぐ亡霊アリップの種族スキル。その効果は周囲に狂気(バーサク)の精神異常を引き起こし、またヘイトを集める効果だ。

といっても最低レベルの精神耐性の装備ですら抵抗は可能であり、ユグドラシルのレベルなら20もあれば素で無効となる程度でしかない。

彼らが20レベルを超えるならこのスキルに抵抗できるはず、そう考えトライあんぐるはスキルを行使した。

 

「ウヌォォォォォォッ」

 

1匹のゴブリンが血走らせた双眸と凶相でもって、トライあんぐるに突っ込む。錆びたショートソードを腰だめに、まさしく捨て身といっていい攻撃だ。

 

「マジかよ……。低レベル確定ッスか」

 

落胆の声を漏らしたトライあんぐるは、その攻撃になんの構えも取らない。両腕と頭を垂らした格好に、ゴブリンの攻撃へなんの備えも見られない。

 

「(当然か。奴は不定形アンデッド。ただの武器なら倒すことは不可能だ)」

 

ブレインのその考えは当然だ。ゴーストを始めとした幽体のアンデッドには、神聖属性か炎の攻撃以外は効果が薄い。

銀でも効果はあるが、ゴブリンの持つ剣は遠目であっても銀と見間違えはしない代物だった。

そのためゴブリンの攻撃は、目の前の死霊をすり抜けて終わりと思われた。

剣がトライあんぐるに触れる。そしてそれは空を切り、勢いのままゴブリンの体もトライあんぐるに触れ、呑まれた。

 

「ア゛!?ア゛アアアァァァァァ!」

 

絶叫が響き、トライあんぐるの背中からゴブリンが躍り出た、ように見えた。しかし出てきたのは狂気に支配されたゴブリンなどでなく、枯木の棒のようだった。

 

「なにっ?」

 

その棒の先端に5つの穴、それが歪んだゴブリンの顔と理解した時、ブレインはそれがゴブリンのミイラかと気づく。

 

「(高レベルの死霊は生命力を吸うと聞いたことはあるが……)」

 

しかし、触れただけであのようなモノに変えるアンデッドなぞ聞いたことがない。

 

「イ゛ヤ゛ガァァァァァァ」

「ギヤァアアッ!!」

 

ブレインのその思考も、再び聞こえた断末摩に中断された。

 

「だめだこりゃ。10レベルもないわこいつら」

 

折り重なったミイラの上で、トライあんぐるは天を仰いだ。

その姿と行為は恐ろしいはずなのに、ブレインに恐怖の感情は浮かばなかった。

度重なる異常事態に慣れが生じたのか、あまりに近すぎる死の気配に感覚が麻痺したのか、もしくはその両方か。

 

「化物め」

「そりゃご覧の姿だからな。数時間前まで人間でした、って言って信じてくれるか?」

「まさか」

 

ブレインは歩を進めながら、トライあんぐるの言葉を無表情で切って捨てる。

 

「だよなあ。……もしかしたら、こっちが現実ってくらい今がしっくりしてるわ」

 

呟きながら、己が記憶と現在の姿の齟齬にトライあんぐるは居心地悪さを感じた。

 

「レベルは上がらんからどうでもいいけど、こんなの倒してもドロップも期待できそうにないかなあ」

「ドロップ?何を言ってるんだ?」

「えっ?だってモンスター倒したらアイテム落とさないの?素材とかポーションとか」

「そんなわけあるか。冒険者なら、倒した一部をギルドに持ちこんで報奨金に換えるだろうが」

「……マジだ。金すら落ちてねえ」

 

地面にへばりついて貨幣を探す死霊の姿に、ブレインの目に呆れの色が浮かぶ。

 

「なあブレインよぅ。ここの敵ってどれもこのくらいの強さか?」

「……ゴブリンは、単体としては弱いほうだろうが集団で襲われれば危険だ。ゴブリンよりも危険なのはいるが、突出した強さのモンスターはいないはずだが」

「そうかー。でもこんだけモンスターが沸くのに、放っておくにはもったいない気も」

 

そこでトライあんぐるは顔を上げる。紅の眼はキラキラとゆらめき、その視線の先にはブレインがいた。

その様子に、自分にむけられる視線に、ブレインは嫌な予感を覚える。

 

「ブレイン。強敵を乗り越えるには、レベリングが必要だと思わないか?」

 

そう告げた死霊の両手には、赤く輝く魔封じの水晶と黄銅色のポーションが握られていた。

 

 

 

夕方であった。橙を溶かし、ぼかしたかのような空の下で、刀を杖代わりに立つブレインがいた。

深呼吸すると、肺に血生臭いはずの空気が満ちる。はず、と言ったのは、既に彼の鼻は何も感じなかったからだ。

そして強化された体力と精神力でもカバーできない疲労が、彼の身体を崩れ落ちさせた。

 

「……クソ、死霊め」

 

臓物の丘に、意識が完全に途切れたブレインが倒れこむ。

その周りは、死臭とモンスターの残骸で地獄ができていた。空と大地、そしてそれに挟まれた世界は、全てが紅に染まっている。

 

「おつかれさんだわ。まあこんだけ殺りゃあレベルも上がっただろ」

 

ブレインから這い出たトライアングルが虚空から手を引き出す。その手には黄金色のポーションが握られていた。

そしておもむろにその大瓶の中身を、倒れこんだままのブレインに傾けた。

 

「補充できそうにないモンだが、まあ言い出しっぺだし面倒は見るさ」

 

中身が空になった所で、トライあんぐるの姿が再び消える。

そして身を起こすブレイン。今の彼は繰糸に操られた人形のようなものだ。

そして血塗れの姿のままに走りだした。

 

しばらくすれば辺りは闇が支配していた。鳥や生き物の鳴き声も聞こえず、モンスターにも遭遇しない。

 

「(多分、ブレインが殺し尽くしたんだろうな)」

 

そのおかげで無事に進んでいるので問題はないのだが。ブレインの身体を動かすトライあんぐるは、現在進行形で森を進んでいた。

 

「(この森を抜けてしばらく進めば、なんとか候爵領とやらの開拓村があるんだったか)」

 

ブレインに聞いた地理では、たしかそのような感じだった気がする。

アンデッドであるトライあんぐるは疲労を感じない。他者の肉体を乗っとっていてもそれは同じだ。

しかしそれで肉体の疲労がなくなったわけではなく、使い潰すつもりでなければ適度に休憩を入れなければならない。

そうして感じない疲労を気にしながら歩いていると、進む先から呼吸音が耳に届いた。

隙間風のようなか細い音だ。そして、憑依中でも感じる死の気配。

 

「(用心はするか)」

「誰か、いるのか……?」

 

茂みの先には、木にもたれ掛かる二つ足の蜥蜴、息も絶え絶えのリザードマンがいた。

此処に来て初めてのリザードマンということもあってか、ブレインの姿で興味深そうに観察するトライあんぐる。

乾いた血の下には無数の疵痕が見え、片方の肩先から腕はなく、その両目は閉じられたままだ。

 

「濃い死臭、思ったから、死神が迎えに……来たと」

「死神じゃなくて悪いな、期待に添えなくて」

 

天気の話でもするような気安さのブレインの声音に、目を閉じたままのリザードマンがくぐもった笑い声をあげる。

 

「ゲホ…ゲガッ……。罰が、下っ…た。仲間を見捨て、逃げて、誇り高き“鋭き尻尾”(レイザー・テール)の名に、泥をつけた」

 

喀血し、か細い呼吸音を繰り返しながら紡ぐ言葉は独り言に近かった。

 

「仲間を見捨て、ねぇ。大方、強いモンスターに襲われてパーティーを囮にしたとかか?」

「そう、だな。そんな…だ」

 

か細い返答のリザードマンが顔を上げた。その目の光は弱々しく、既に見えていないようだった。

瀕死の個体なぞ普段ならともかく、日を跨いだレベリングの後のトライあんぐるにとってはめんどくさく感じる筈だった。

 

「オマエが誰か、わからない。でも頼み…ある」

 

大方、助けてくれといった内容だろう、そうトライあんぐるは考えた。

その答えへの返答に、ブレインのポーチに忍ばせたユグドラシル製の適当なポーションを使おうと思っていた。

助けてと請われて、自分が助けられる立場なら別に構わないと思っているからだ。

それは優しさゆえ、ではなく無関心からくる消極的な自己愛の独善だが。

アンデッドの精神構造に近づいたにもかかわらずこのような態度なのは、このトライあんぐるの生前?がよほど面倒な性格だった証拠かもしれない。

 

「殺して、くれ」

「……そうきたかい。楽になりたいのか」

「違う」

 

今際のリザードマンの怒気がトライあんぐるへ発せられた。その気迫に、トライあんぐるの心に小波が生まれる。

途切れ途切れのリザードマンの話は、彼の部族の伝承に、後悔を持って殺された魂は邪悪な悪霊となり蘇るというものだった。

トライあんぐるには、その話と殺害の嘆願がどう繋がるのか理解できなかった。

 

「死ぬこと、避けられない。逃げたオレは、祖霊になれない…。なら、悪霊になって、戦場にいく。今度は、逃げない……戦う」

 

トライアングルにとって目の前のリザードマンも、吸い殺したゴブリンも人間も、差異はそれほど無いはずだった。

ただ、状況によっては助けもするし殺しもする。

場合によっては、気に入っているブレインを殺してしまう未来があったかもしれない

 

「……」

 

トライあんぐるには、この目の前のリザードマンを無視することはできなかった。

既に意識は無いようで、消えそうな生の灯火が揺らめいているのだろう。

ブレインの身体で、トライアングルが腰の刀に手をかける。抜き払った紅刃の照り返しが、脈動のように感じられた。

リザードマンの心臓と思われる箇所に刃を突き付ける。その姿は素人丸出しの、腰の入っていない構えだった。

 

「死んでも戦う、ってあんたの気持ちは理解できないけど、為したい、為さなきゃならんことがあるってのはわかった」

 

刃を握る両手に体重をかける。

 

「手伝うよ。理屈じゃないんだろうな、こういうの」

 

そう言い聞かせながらトライあんぐるの脳裏に浮かんだのは、かつてのユグドラシルで疎まれるようになったきっかけ。

刀を納めると、ブレインの身体が倒れこんだ。そして浮かび上がる、死霊の王エザーホーデンの幽姿。

そして、穢れたトライあんぐるの靄手が絶命したリザードマンに触れる。

 

「中位アンデッド作成《ゴースト》」

 

すると宙空から暗黒の瘴気が立ち上り、屍を包み蠢き始める。

屍体は風化したように塵となり、靄と混じり合って下肢のないリザードマンの骨格の靄を形づくる。

双眸に黄色い燐光が灯り、顎を大きく開き咆哮を上げた。渇望・怨嗟・後悔・絶望の叫びは、再び現世に顕れえた歓喜へと変わる。

それが止むと、亡霊はトライあんぐるへと平伏した。言葉は発せられないが、その態度は死霊の本能を抑えることに成功したのかもしれない。

 

「お前のやりたいことをやれ。今度は後悔を残さず、その身体を使い尽くしな」

 

再びリザードマンの霊が吠えた。

承諾と感謝。アンデッドには似合わぬその感情を確かに感じながら、トライあんぐるは背を向けた。

迷える亡霊が迷わぬように、その想いに殉じ、逝けるように祈りながら、その亡霊の気配が遠ざかっていくのを感じていた。

 


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