オーバーロード ―さまよう死霊―   作:スペシャルティアイス

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第五話

王国一の戦士と言われれば誰を思い起こすだろうか?

アダマンタイト級冒険者の蒼薔薇や朱の雫の戦士を挙げるものもいるだろうが、大多数は王国に剣を捧げる戦士長、ガゼフ・ストロノーフを挙げるだろう。

筋骨隆々で黒髪の偉丈夫であり、王国の国宝の装備を身につければ、かの十三英雄に匹敵する強さといわれている。

現代の英雄と言われれば彼を置いて他にはいないだろう。

しかし、かつてその人物にやや及びもせずとも迫った剣士がいた。名はブレイン・アングラウス。

天禀たる剣腕と並の修練でかの戦士長に迫ったのだから、もしかすれば持って生まれた才覚はブレインのほうが優れていたのかもしれない。

しかし彼は、王国主催の御前試合にてガゼフに敗れた。それからは失意を乗り越え、更なる剣の高みへの道を歩み始める。

野盗紛いの傭兵団に身を置き戦の中で実力を少しずつ研いでいったのは、全てはガゼフと再戦をはたし勝利するためだ。

 

「(そんな俺が今じゃこのザマだ)」

 

拠点の突然の襲撃、彼にとってはさして心動かす出来事ではなかった。

願わくば、自分の腕をより研ぎ澄ませられる好敵手であることを期待しながら。

そして出会ったのは一人の黒い少女、いやそんな生易しいものではなかった。

 

「私が測れる強さの物差しは1メートル単位でありんすぇ。その1ミリ2ミリの違いなんて、わかりんせんでありんす」

 

化物、そう化物だ。人間では決して敵わない、それどころか抗すると思うこと自体が間違いと思うほど、隔絶した強さ。

それを前にして、今まで己が積み上げてきた努力・才能・価値観がまるでゴミや塵のように価値の無いものと思わされた。

それに気づいた時、ブレインは逃げ出した。恥も外聞もなく赤子のように顔を崩し、泣きわめいて。

殺されることももちろん怖かった。しかしそれよりも殺されることが、自分が培ってきたものが本当に、何の価値もないと断じられる気がして逃げ出した。

脱出用の抜け穴を四つん這いで、見苦しく這う。

 

「あはっはははぁぁぁぁははっはは!」

 

耳の奥に反響する笑い声が離れず、自分の眦から涙が後ろへ流れていく。化物から逃れてからも必死に走った。

走って走って限界を超えて走って、気絶した。

 

「(そうして、どうした?)」

 

何故かそこから先は記憶が曖昧だが、ブレイン自身は、今は夢を見ているのだろうと思っている。

どこかぼんやりとした思考の中で、願わくばあの化物が出てきませんように、現実よりも余裕のある心が、そんなことを思わせる。

 

「(ん、なんだ?)」

 

急に視界がひらけた。どこかの森の中だろうか、見慣れない木々にブレインは頭を傾げる。

 

「おっ、異形種プレイヤーはっけ~ん」

「よっしゃ稼ぐか」

 

声の方を振り向こうとして背中に衝撃を感じた。

振り返ると、どこか現実離れした色彩の鎧に身を包んだ剣士と魔法使いがいた。

その手に握る武器や防具は、ブレインが見たこともないほどの逸品であり、魔力が込められているのか輝きに満ちたものだった。

 

「な、なんだあんたらいきなり?!これって、PKか!」

「(な、何だ?口が勝手に)」

 

何故か自分の口から、自分ではない者の声が出た。それ以前に、ブレインは自分の体を動かせない、いや誰かに動かされているかのような感覚を覚える。

 

「というか、いきなりこれかよ!まだやり始めだってのに」

「はっ、関係あるかよ異形種が。とっとと死ね」

 

剣士が剣を振りかぶる。やる気も殺気も感じ取れぬ言動とは裏腹に、その振り下ろしはブレインがなんとか見切れたものだった。

 

「(な、なんて速さだ!気配は素人なのに、どういうことだ?)」

 

攻撃をくらいブレインの視界がぶれ、後退ったように距離が開く。

 

「く、くそが。神聖属性付与、てめえらどっちか付与魔術もちかよ!」

「てめえみたいな異形種はこうしないと倒せないからな、それとおまけだ《火球(ファイヤーボール)》」

 

もう一人の魔法使いの火球がブレインへ迫る。

それに目をつぶって備えようとするも、間に合わずに火球をその身にくらう。

 

「(なっ、何故熱を感じない!………違う、これは夢だ。だから痛みや熱を感じない、のか?)」

 

交互に続く斬撃と火球が炸裂しているにもかかわらず、ブレインは何の痛みも感じない。

そして明らかに自分の記憶に無い風景と現象に戸惑うブレインだが、急に視界が暗闇になって動揺する。

 

「………やられちまったか。まあやり始めたばっかだししょうがないか。しっかし、最初からPKされるなんて、俺って運なさすぎ」

「(ぴーけー?一体どういう意味だ)」

 

そんな疑問を感じたブレインだが、足元がぐらついたかのような浮遊感に戸惑う。

意識の暗転とでもいうのか、自分の視界が他者のものということに薄々気づいていたが、急に風景が変わることにまたも驚きが浮かぶ。

今度は、しんしんと雪が降りしきる氷雪の世界だった。傾斜のある視界からどこか坂、もしくは山を登っているのだろうか。

 

「くそ、くそ、クソがァ!普通あそこまでやるか!?リスポーンキルっつったって、限度があるだろ!?アイテムぶん取られた挙句、デスペナ食らいまくってレベル10とか舐めてんのかっ」

 

男の声は怒りとやるせなさで大声になっていた。誰に聞かせるわけでもなく、独り言は溢れ出ているようだが。

 

「というか、いくら嫌われ種族っても同じ異形種からもPKやられるなんて心折れるわ!あー、いっそ転生するか?いやそれよりもレベル上げしないと………」

 

言葉が途切れる。何故かとブレインが思った時、前方から重いものが落ちたような音が聞こえた。

明青色の石の柱、かと思われたのは足だった。

体高15メートルほどの巨人、に見えたがその顔はのっぺりとしたものだ。

氷でできているらしい身体だが、少々の攻撃では傷一つつかない頑強さが、その氷結の巨人からは感じとれた。

 

「……泣きっ面に蜂ってか。よりによってゴーレム系かよぉ」

「(随分とこの声の主はのんきな奴だ。命がかかった状態でこんなとは)」

 

姿見えぬ者にブレインが呆れを抱く。

ふと、この目の前のゴーレムに自分の剣がどこまで通用するか興味が湧いた。

そして浮かんだ、敵うはずがないという諦観。

 

「(夢の中で何を考えているんだ……)」

 

ゴーレムが地響きを起こしながらがこちらの距離を詰めようとした時、ゴーレムとの間に突然、爆発による粉塵が上がった。

 

「おいそこの異形種!こっちだ、こっちに逃げろ」

 

その声に振り返る。声の主は見えないが、どうやら走りだしたようでブレインの視界の風景が急に流れだす。傾斜を下り、ゴーレムの視界の死角らしい箇所に来た時、同じ声が再び聞こえた。

 

「おいここだ!ちげえよノロマ!?後ろだ後ろこのトンチキ!」

 

その声に導かれ後ろを見て、そこにはなんの変哲もない雪の壁。

 

「偽装してンだよ!どっちにしろゴースト系なら《透過》スキルで壁抜けできるだろうがっ」

 

壁に突入する。すわ激突、という時に何の衝撃もなく風景が変わった。

洞窟らしい岩肌が奥へ奥へと続き、途中からは闇が広がる空間がそこにあった。

 

「ニヴルヘイムのこンなところに低レベルプレイヤーとは、身の程を弁えろや。てか趣味悪ィなゴースト系とは」

 

その声は存外に低い箇所から聞こえた。

横に向かう視界でブレインが見たのは60センチほどの背丈の、表情がまったく動かない二本足の犬人だった。

腹は白、それ以外が小麦色のふわふわとした体毛で、身体にはレザーアーマーの上から銀に輝く金属製の胸当てをつけた格好だ。

ゴーグル付きのヘッドギアからのぞく耳はピンと立ち、尻尾と獣特有の眼光はこちらを警戒してのものだろうか。

腰のベルトにはポーチとダガー、そして黒塗りのクロスボウをこちらに構えていた。

 

「(狗の獣人、ってやつか?だが獣人がなんでこんな立派な鎧や武器を……?)」

「その構えてる武器は、異形種狩って経験値上げるためかい?コボルトの亜人種プレイヤーさんよぉ」

「ンな面倒くさいことするかタコ。てめえがPKのアホったれだった時のためだよ。それと助けてやったのに礼の一つも言えねえとはな」

「……もちろん、感謝してる。頼むから武器を下ろしてくれないか?どうせアンデッドでもぶちぬける物騒な代物だろ」

 

獣人の頭上に四角い板が浮かんだが、その意味をブレインが理解することはなかった。

だがブレインには、クロスボウを下ろした無表情の犬人が、牙をむき出して笑みを浮かべた気がした。

 

 

 

微かな眩しさを感じ、ブレインの眉間に皺がよった。うっすらと開いていく目は彼の意識が目覚めたことを表していた。

 

「ここは……?」

 

彼の最後の記憶は地べたの冷たい感触と、夜の森の風景。そして自分の矜持が折られた記憶。

今の彼は見知らぬ部屋、そしてベッドの中にいた。狭いが個室らしく、簡素な木の内装だが掃除が行き届いた清潔な空気を感じた。

ふと彼は長い、非常に長い夢を見ていた気がする。鬱蒼とした密林、雪花舞う山脈、果てなき闇が続く洞窟、陽炎くゆる砂漠、そして遙かな空へと伸びる虹の橋。

夢が現実であったかのようなぼんやりとした感傷が残り、さっと消えた。最初からそれは存在しなかったかのように、ブレインの記憶から夢の内容は影も形もなくなる。

 

「(俺は、一体どうした?)」

 

身体を起こした時、ブレインは自分の手が握る刀に気付く。神刀、ありあらゆる敵を切り払ってきた彼の愛刀であった。

 

「そうだ。俺は、化物 に」

 

そこに至り、ブレインの身体がにわかに震えだす。歯の根があわず、ガチガチと耳障りな音をかき鳴らす。

神刀を抱え込むように掻き抱く。生を失っていない安堵か、いまだ鮮明な恐怖によるものか。

もしかしたらどこかの影から、あの女の形をした化物に襲われるのではないか?そんな妄想がブレインの身体を侵す。

ベッドの中で震えるその姿は、砕けた心が軋みをあげているようだった。

 

『お目覚めかい、ニイちゃんよぉ』

「っ!?誰だッ」

 

ブレインは辺りを見回すが、人の影など見当たらない。

部屋は木造のこじんまりとしたもので、ベッド以外には窓と自らが身に着けていたものしかない。

だが確かに聞こえたのだ、男の声が。

 

『お前さんをここまで運んだ者だよ。今はお前さんの頭に直接話しかけてるようなもんだ。気にしなさんな』

「運んだ、だと?」

 

ブレインは最後の記憶を手繰ろうとする。しかしそれは、明瞭で強烈な記憶に上書きされた。残酷で冷酷で非道で、そして可憐な化け物の記憶に。

 

「っ……ぁあ」

『おいおい、いきなり泣き出してどうしたよ?』

 

滂沱と目から雫をこぼす男の様子に、声の主、ブレインに憑いたトライあんぐるは8割の戸惑いと2割の居心地悪さに声を上げる。

ゴースト系のみが持つスキル、《憑依(ポゼッション)》によってブレインに取り憑いたがゆえに、トライあんぐるの姿がなくてもブレインには彼の声が聞こえるのだ。

このスキルはユグドラシルでは主にモンスター使うものだ。敵が使えば厄介で、プレイヤーが使えば微妙になる見本のようなものだったが。

瀕死になったゴースト系モンスターが使うことが多く、効果は使用する種族とレベルで差異はあるが、使用者の1~5割の能力値を被使用者に上乗せする強化の効果。

ちなみに使用者の弱点属性ダメージを憑かれた側に与えるか、憑かれた者の戦闘不能で解除される。

使いようがあるように聞こえるが、プレイヤーが使えば単純に人手が一枠減るのでほとんど使われることがないものだ。

しかしユグドラシルではないこの世界においては、憑かれた側と会話できるという妙な効果が発生しており、使用者であるトライあんぐるも実は戸惑っていた。

 

『……うん黙っとくか』

 

シーツを被ったまま、俯いて声を押し殺し泣くブレインの姿に、沈黙を選んだようだ。声をかけても、この様子では返答がくるとは思えない。

半刻ほど経った時、涙が止まったブレインの赤い目は淀み、ぼんやりとどこかを眺めていた。

烈しい感情は流れ去り、後に残ったのは泥のように重い諦観だ。

 

『落ち着いたかよ』

「……どこのどいつか知らないが、一応礼は言っとく。そのままにしてくれたほうが、よかったがな」

『あん?そりゃどういうことだよ』

「……こんな思いを抱えて生きるくらいなら、死んだほうがマシだ」

 

ブレインは強者だった。

挫折を乗り越え、練磨の日々を過ごした彼は修羅に踏み入るほどの強さだと信じていた。

しかしそれは、一度の遭遇で仮初のものだと気づいたのだ。

どんなに身体を鍛えても、人間は岩を素手で砕くことは出来ない。どんなに技術を磨いても、目にも写らぬ物体を捉えることはできない。

しかしそれを容易に、欠伸をしながらこなすモノがいた。

そんな隔絶とした絶対強者、もはや強者という理解の外にあるような存在の前では人間の、ブレインのこれまでの努力など価値の無いものと断じられたのだ。

そのことに気づいた時、ブレインは逃げ出した。

 

「なあ、なにか意味があるのか?強くなるためのこれまでの全てが、道端の石ころほどにどうでもいいもののように扱われて、それでも剣を振るうことに」

 

光のない目で呟く無精髭の男を目の前に、トライあんぐるは別のことに気づいて冷や汗を流す思いだった。

ここまでにブレインが語った、襲われたという点だ。

 

(そうだよ、ここユグドラシルみたいだからってゲームなはずがないんだ。森ん中での痛みも吐き気も、ゲーム上では感じなかった感覚が確かにあったんだから!てえことは……)

 

場合によっては『死亡』もありうる。その可能性を自覚した時、彼の感情に僅かな波が生まれた。しかしそれは本人が気づかないほどに小さかった。

 

(死にづらいって言っても、最初のこともあるしな。復活が不可能ってこともある、むしろそう考えたほうがいいか)

 

自分のようなアンデッドを蘇らそうとするものなど、いるはずがない。

 

『復活の魔法が使えれば実験できるんだがなあ。クソ、蘇生アイテムが残ってればな』

「復活の、魔法だと?」

『ああ、独り言だよ独り言。ええと、そういやあんたなんて呼べばいいんだ?俺はトライあんぐるっていうんだが』

 

そのトライあんぐるの言葉に、ブレインの瞳に僅かな感情が浮かんだ。

 

「……ブレイン、ブレイン・アングラウスだ」

『あいよブレインだな覚えたわ。とりあえずブレイン』

 

一拍して、少しだけ声音が真剣なものになった。

 

『すまん、俺じゃあ会ったばっかだしなにも言えんわ!一般的な気分転換とかしかアドバイスできん。美味いもん食ったり、遊んだりとか。

というかお前さん、友達とかいねえのか?そいつと酒飲んで騒いだりとかどうよ?』

 

そんな内から聞こえた声に、沈んだブレインの脳裏に一人の男の姿が浮かんだ。

 

「ガゼフ……」

『おお、友達がいるんならそいつんとこ行けばいいじゃないかよ。んで一緒に遊んで食って飲んで、そしてからどうするか決めても遅くねえだろ、な?』

「だが、俺は」

『あー……その、乗りかかった船だし、そいつんとこ行くくらいまでは俺がついてってもいいぜ?大概のモンスターならなんとかできるし。まあ、その間にいろいろ教えてほしいこともあるんだが』

 

その声に、ブレインの顔が上がる。

 

「お前は、一体なんなんだ?あの化物を、なんとかできるって言うのか……?」

『確実には言えんけど、単体でプレイヤーでなけれゃ、まあお前さん逃がすくらいは』

 

そう言ったトライあんぐるの声に、ブレインの顔が呆けたように固まった。

ブレインは混乱していた。もしかしたらこの声は、自分が作り出した都合のいい幻覚、幻聴なのではいかと。姿見えぬ声なぞ、質の悪い妖精か裡の狂気と相場が決まっている。

しかしそれでも、心が弱った人間はすがれるなら藁にもすがるのだろう。

そしてブレインは、何かを堪えるような、振り切るような様子で呟いた。

 

「………あいつから、シャルティア・ブラッドフォールンから逃れられるなら、俺は、あんたが悪魔であっても頼みたい」

『んんっ?シャルティア……どっかで聞いたような?あー、それで、そのガゼフとやらはどこにいるんだ?』

 

ブレインは顔を上げ、その目には僅かだが何かを思い出した色があった。

 

「……この国の王都、リ・エスティーゼだ」




間が空いてしまった……


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