「お、お腹減った……」
修羅のもとを離れてからおよそ一日がたった頃、斑鳩は命の危機に瀕していた。
なぜなら――
「うぐぁ、ご飯がほしいぃぃ……」
そう、武器である刀を除き、何も持たないで出て来てしまったのである。
その事に気付いたのは修羅の家を出て少ししてからであった。
そうなってしまえばもう遅い。
あんな別れ方をしてしまった手前、食料を手に入れるために戻るのは恥ずかしいし、絶対にまた修羅に呆れられることになるのは嫌だった。
町にさえたどり着けば何とかなると気持ちを持たせ歩き続けて一日たった今、重大なことに気付いてしまった。
「お、お金もない……」
家にいた頃は修羅が斑鳩が修業しているうちにどこからか買ってきていた。
斑鳩も一緒に買い出しに行きたいとは言ったのだが、修羅にお前と行くと余計に疲れそうで嫌だと割と本気で拒否されて以来、地味に傷ついた斑鳩はもう行きたいとは言わず、修羅が出掛ける際にチラチラと視線を送ってアピールするにとどまった。
結局、それすらうざがられて修羅が絶対に連れていかないと変な意地を張ってしまったがために、十年間の山籠り生活になったのである。
そのため、斑鳩は町の位置さえ知らない。
道なりに進めばつくだろうという安易な気持ちで出て来てしまったのである。
そのため今度は――
「道に迷った……」
飯なし、金なし、道もわからないの三重苦。
ついに斑鳩の心は折れ、道端へと倒れこんでしまった。
斑鳩は町の幼い頃から山籠りをしていたが、基本的に修羅に養われ続けていた。
そのため急に出てきた斑鳩にはただでさえ頭が緩いのに一人で生活するための能力が欠如していた。
無月流が、師匠が人を不幸にするだけじゃないと証明したいのに、こんなところで死ぬわけにはいかない。さらに言えば飢え死にとか笑い話にもならない。
何とか気力を振り絞り立ち上がろうとした時、遠くから聞こえる音に気が付いた。
「これは、獣の鳴き声!」
瞬間、今までの衰弱ぶりが嘘のように素早く立ち上がると斑鳩は不気味に笑う。
「ふひひ、獣を狩れば良かったんどす。火は迦楼羅炎の応用で起こせば……。師匠、早速無月流はうちの命を救ってくれます!」
状況こそ間抜けだが、斑鳩は心の底から感謝し、やはり無月流は人を幸せにできると改めて思ったのだった。
そして、鳴き声の聞こえた方へと目にも止まらぬ速度で駆けていった。
*
少女は一人放浪する。
十年前に故郷を“子供狩り”によって失って以来、行方不明となった兄を探し出すために。
当時六歳ほどであった少女が一人生きていくのは過酷の一言につきる。
その過程で剣を執り、魔導へ踏み込むのは必然といえた。
現在ではとある魔導士ギルドに所属し、依頼を受けて仕事をしながら各地を巡り、情報を集め続けていた。
今回もまた、その一環としてギルドの依頼を受けてきたのだが――、
「くっ、なんという失態……」
巨大な怪物を前に満身創痍に陥っていた。
怪物はエイリナスといい、巨大なハリネズミのような姿をしていた。
今回の依頼は本来の生息地である森の奥深くから人里近くまで降りてきた一匹の個体の討伐であった。
この怪物は当然普通のハリネズミとは比べるべくもなく、針には毒があり、さらにはそれを射出することで攻撃をしてくる厄介な生物といえる。
だが、本来であれば問題なく勝てる相手であった。
事実、途中までは針の射出を重力魔法で叩き落とし、隙を見ては切り込むことで戦いを有利に進めていた。
ではなぜ現在、少女は満身創痍に陥っているのか?
油断か、否、それはありえない。
子供狩りにおいて、少女が逃げ延びたのは名も知らぬ赤毛の少女が自らを犠牲にして隠してくれたおかげである。
故に、自分の命を油断などで粗末にするようなことはなかった。
ではなぜ、このような事態に陥ったのか?
それは、もう戦いに決着がつこうとしたときであった。
突然、エイリナスが大きく鳴いた。
――まさか!?
最悪の事態が脳裏に浮かび、早急に決着をつけるべくさらに剣撃を激しくする。
突如、横合いにもう一匹のエイリナスが現れる。
――やはり、仲間がいたのか!
事前に受けた情報では一匹のみであったからこそ、いまだ未熟な自分でも達成可能であるとふんできたのだ。
二匹を同時に相手をするにはいささか実力不足と言わざるを得ない。
だからこそ、一匹目との決着を急いだのだが、それがいけなかった。
新たに現れたエイリナスの射出する針を重力魔法で叩き落とす。
しかし、意識をそちらに割いた一瞬の隙を突き、一匹目が体当たりを仕掛けてきた。
――しまった!
思ったところでもう遅い。
勝負を急ぎ、深く切り込みすぎていた少女に避けるすべなど存在しない。
直撃を受けて吹き飛ばされる。
体当たりのダメージ事態は大したことはない。
この程度のダメージならば過去に受けたことは何度でもある。
しかし、前述したようにエイリナスの針には毒があった。
致死性では無いものの効果が表れるのは早く、手足の痺れを引き起こす。
それを体当たりによって大量の針の毒をくらったのだ。
まともに動けるはずもない。
眼前には迫り来る二匹のエイリナス。
絶望とも言える状況のなか、少女の脳裏には貧しくも兄と過ごした幸せな日々が甦る。
――まだ、死ねない!
心の奥底から気力を振り、常人ならば意識を飛ばしかねない量の毒をくらいながらも立ち上がる。
生まれてより少女は運など信じない。
今もまた、全身全霊をもってこの苦難を乗り越えるのみ!
「ああぁあぁぁああ!」
少女は知らず、咆哮する。
そして、迎え撃とうと足を一歩踏み出そうとした瞬間、
――二匹のエイリナスが切り刻まれた。
「は?」
常時であれば決して出さないであろう間抜けな声が洩れてしまう。
何が起きたのか理解できず剣を構えたまま固まっていると横の茂みから一人の女性が表れた。
「うふふ、二匹もいるとは今晩は豪華になりそうどすなぁ」
少女には意味のわからない言葉を発する女性はとても特徴的であった。
以前、ギルドの仲間に勧められて行った鳳仙花村という東洋建築の並ぶ観光地でみたことのある白を基調とした着物に身を包み、不気味に笑うその姿はまるで幽鬼のようで、伝え聞く東方の神である“夜叉”を想起させる。
その女性はゆらゆらと歩きながら倒れた二匹に近づいていく。
すると、片方が突然起き上がった。
後になって出てきた二匹目の個体だ。
元々無傷であったために、死には至らなかったのであろう。
だが、今はそんな分析をしている暇はない。
少女には覚束ない足取りで歩く女性が隙だらけに見えた。
「――危ない!」
咄嗟に叫ぶがもう遅い。
エイリナスは体に生える大量の針を射出する。
近づいていた女性が成す術もなく串刺しにされるのは想像に固くない。
しかし、
「――無月流、天之水分」
針は女性を刺すことなく、まるで避けるように軌道を変えて女性の周囲に突きたった。
「―――っ」
息を飲んだのは少女か、怪物か。
少女には周囲の時が止まったように感じられた。
その中で女性だけがゆらりと腰の剣に手をかける。
ようやく、エイリナスが意識を取り戻したように慌てて女性に飛びかかるが、
「――無月流、夜叉閃空」
居合いによる一閃。
それだけでエイリナスは真っ二つに切り裂かれて絶命した。
――美しい。
少女は目の前の光景に場違いな感動を覚えていた。
それほどまでに女性の洗練された剣の一太刀は芸術と呼べるまでの輝きを放っていた。
しかし、感傷に浸るのも束の間。
突如、女性が倒れこむ。
「なっ」
まさか、全て避けたように見えた針だったが、もしかしたらどこかしらに当たってしまい毒でも回ったのか。
心配になった少女は反応の鈍い手足を無理矢理に動かし、地面に突き立つ針を避けながら女性に駆け寄り抱き起こす。
「どうなさったんですか!?」
命の危機にあった自分を救ってくれた人を死なせるわけにはいかないと、懸命に声をかける。
「……お」
「お?」
「お腹が、減っ、た……」
ぐるる、と大きな音だけが響く。
二人をしばしの沈黙が包み込み、そして――
「えっと、あの、私の携帯食料でよければ召し上がりますか?」
腕の中の女性は大きく頷いた。
*
「いやぁ、おかげで助かりました。お腹が空きすぎて死にそうだったんどす」
空になった大量の皿を前に斑鳩は安堵とともに礼を述べる。
二匹の怪物を倒した斑鳩は空腹が限界を向かえ倒れてしまった。
そこを居合わせた少女から携帯食料を分けてもらい、空腹を誤魔化すとぜひ命を救っていただいたお礼がしたいというのでこうして町まで連れてきてもらい、食事をご馳走になったのである。
「いえ、命を救っていただいたことに比べればこれしきのことは当然です」
正直、空腹で周りが見えていなかった斑鳩としては礼と言われてもなんのことかわからず携帯食料を分けてもらっただけで十分だと言ったのだが、少女が頑なにお礼をさせてくれるよう頼むので折れたのであった。
「しかし、どうして空腹であのような森のなかにおられたのですか?」
その質問に斑鳩は動揺し、冷や汗を流し始める。
――お金も食料も持たずに家を飛び出したあげくに道に迷って死にかけていました。
なんて恥ずかしくて言えない。
いかにも馬鹿丸出しで、自覚がないとはいえ、命の恩人となっているのにこんなことをいったらカッコ悪い。
「えっと、その、旅をしていたのですけど、お金を落としてしまって、食料も尽きてしまいまして、何とか財布を探そうとしていたら獣の声が聞こえたんどす」
嘘をついて誤魔化そうとするがそれでも十分カッコ悪い。
それでもありのまま話すよりはましであろう。
「なるほど。しかし、そのおかげで私は助かったということ。縁というのはどこでもつながっているのかわかりませんな」
どうやら少女も納得したようである。
それからしばらく談笑をした。
少女は外見から年下で十四、五歳といったところだろう。
しかし、口調は固く、もっと砕けてもいいと斑鳩に言われるが、これが素なのだ、といい直ることはなかった。
どうやら、大分大人びているようである。
「しかし、お金がないとなればこれからの旅はどうされるおつもりですか?」
そろそろお開きかといったところで少女が疑問に思っていたことを問う。
旅をしているともなればこの町で職についているわけでもないだろう、すると、当然この先のことも考えねばなるまい。
この疑問を突きつけられた斑鳩は目に見えて分かる程に動揺し、先程とは比べ物にならない程に大量の冷や汗を流す。
今が何とかなったことで安堵し、何も考えていなかった。
現実を突きつけられ、お先真っ暗な状況に絶望する。
「まさか、何もあてがないのですか?」
「いやぁ、元々どこかしらの魔導士ギルドへ加入しようと田舎から出てきたので、加入さえすれば結構腕も立つし、稼げるとは思うんどすが……」
これは嘘というわけでもない。
魔導士ギルドへ加入し、依頼をこなしていけば、有名になって無月流の名を広めることになり、同時にその名声こそ、人を幸せにできるという証明になるだろうとの考えあってのことだ。
しかし、どうやら話に聞くとこの町には魔導士ギルドはないという。
「でしたら、私の所属しているギルドはどうでしょうか?」
「え、いいんどすか?」
「はい、“
「ぜひお願いします!」
降って湧いた提案に全力で頭を下げる斑鳩。
少女は命を救っていただいた礼だからとあわてて頭をあげさせようとする。
その中で斑鳩は一つのことに気が付いた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。うちは斑鳩と申します。あなたは?」
「こ、これは、命の恩人に名乗らないとはとんだ無礼を申し訳無い」
頭を下げると、恐縮しながら少女はみずからの名を告げる。
「私の名前はカグラ・ミカヅチと申します。どうかこれからもよろしくお願いいたします」
こうして、斑鳩の新生活が始まったのであった。
今作における無月流の技の解説をのせます。
原作に登場してる技も少し改変が入ってると思います。
というより原作を読んでも夜叉閃空がどういう技かいまいちわからなかった。
〇夜叉閃空(やしゃせんくう)
斬撃の衝撃波を飛ばす。衝撃波を飛ばすのは魔力を使ってるけど、空間を越えて切り裂くのは単純に修羅や斑鳩の技量。
〇天之水分(あめのみくまり)
自らの周囲の魔力の流れを操作し、さらに質量を持たせる。これにより、威力が弱ければ魔法、物理ともに流され、斑鳩には届かない。威力が高い攻撃は防げない。また、効果範囲内は全て斑鳩に知覚されているため、死角からの奇襲にも対応できる。習得難度が高く、修羅には戦いながらの展開は不可能。斑鳩は夜叉閃空を使わない状態の間合いよりも一回り大きいくらいが効果範囲。ただし、効果を探知のみに使用するならばさらに広げることができる。