師匠と過ごした日々はとても楽しかった。
修業はだんだん辛くなっていったけど、師匠と一緒ならいくらでも頑張れると思った。
堅物で、誘惑しても拳骨を落として何もしないのはちょっと不満だったけど、そんなところも含めて大好きだった。
いつからだろうか。
師匠がいつも悲しそうにしているのに気が付いたのは。
いつからだろうか。
師匠が私を見る目に後悔の念が浮かんでいることに気が付いたのは。
いつからだろうか。
そんな師匠を救ってあげたいと思うようになったのは――
「師匠! うちは家を出ます」
斑鳩が修羅に弟子入りしてからおよそ十年後のある日の朝、突然修羅に言い出した。
「……いきなりどうしたのだ。また、突飛な思い付きか?」
この十年間で斑鳩の奇怪な思考や行動に悩まされていた修羅はまた始まったかと、内心うんざりとしつつも話を聞く体制をとった。
「いいえ、これはずっと考えてきたことどす。たとえ師匠が反対してもうちは旅に出させてもらいます」
斑鳩のまっすぐな瞳からいつもと違い、意志が固いことを感じ取った修羅は心を入れ替え問い返す。
「……なぜだ」
だが、突然旅に出るという内容に動揺があるのか口から出た言葉はこれだけだった。
「師匠はうちが弟子入りを志願したとき、うちは師匠に後悔をさせないと誓いました。だけど、今の師匠からは後悔の念が感じられます」
「む……」
斑鳩の指摘に修羅は小さく唸る。
自分としてはそんな素振りを見せたつもりはないのだが、修羅は斑鳩の言葉を否定することができなかった。
「気のせいではないのか……」
だから、苦し紛れの一言を引き出すことで精一杯だった。
斑鳩はばつの悪そうにしている修羅に対して苦笑しながらも言葉を続ける。
「それはあり得ませんよ。一体どれだけ一緒に暮らしていると思うんどすか」
修羅も無理があったのを分かってはいたので今度こそなにも言い返さずに黙りこむ。
会話が途切れたところで斑鳩は脱線しかけていた話題を元にもどす。
「師匠、うちは師匠に証明したいんどす。師匠は人を不幸にするだけじゃないんだって」
「……俺がいつそんな話をしたか」
「話をしなくとも察しはつきます。師匠はろくでもない人生を送ってきて、それをすごく後悔してることを。だから、うちがより多くの人を助けて、師匠は胸を張っていいんだって証明したいんどす」
「勝手なことを言いおって……」
修羅は苦虫を噛み潰したような顔をする。
斑鳩の隠すことなく打ち明けた本心は修羅の怒りを買った。
「確かに、俺はお前の言うとおりろくでもない人生を送ってきたし、後悔もしておる。だが、何故それをお前に尻拭いしてもらわなければならんのだ。お節介にも程がある。自惚れるな。たとえ衰えたとしてもまだまだそこらの者には負けないほどの元気はある。本当に後悔しているのなら自分でやる。お前に憐れみなんて覚え――」
「憐れみなんかじゃありません」
捲し立てる修羅の言葉に割り込みはっきりと口にする。
だが、斑鳩の目には涙が浮かんでいた。
「うちは、師匠が大好きなんどす」
「何だと……」
「ですから、うちは師匠が大好きなんどす。どうしようもなく、だから、師匠が悲しそうにしてるのは、見て、られない……」
「……」
二人の間を沈黙が支配する。
ただ、斑鳩のすすり泣く声だけがそこにはあった。
いったい、どれだけの時間がたっただろうか。
修羅はおもむろに立ち上がるとそのまま部屋の外へと出ようとする。
「師匠、どこへ?」
赤く目を腫らした斑鳩は突然の行動に困惑しつつも問いかける。
修羅は戸に手をかけたまま立ち止まる。
「……しばらく出てくる。出ていくなら早くしろ。俺が帰ってくる前には出てけ」
「――っ! はい! 絶対に証明したら帰ってきます。それまでまっていてください!」
「……ふん」
修羅が立ち去ると斑鳩も涙をぬぐい立ち上がる。
――うちが絶対に師匠を救ってみせる。
固い決意と共に斑鳩は証明の旅へと出たのであった。
とっくに日は沈み闇が辺りを支配する。
鬱蒼とした木々に囲まれた山の中、切り株に腰かける男の姿があった。
「……馬鹿者めが。心配ばかりかけおって、愛情はお前だけが持つ感情ではないのだぞ」
辺りは静寂に包まれ、冷たい風が吹いている。
「……斑鳩」
男の呟きは星々が明るく輝く夜空の中へと消えていった。