“夜叉姫”斑鳩   作:マルル

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今回は修羅の過去編です。
胸糞展開を含みますので苦手な方は読み飛ばしていただいてかまいません。


第三十話 後悔ばかりの人生

 修羅とは無月流の継承者が代々襲名する名前である。

 当然、斑鳩の師である修羅も若き頃は違う名前を名乗っていた。

 その名をアンヘルという。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

「ねえねえ、アンヘル兄。トレーニング終わった?」

「む、ライラか」

 

 場所はアネモネ村。アンヘルは村の外れに座り、流れる汗をタオルで拭っていた。その体はまだ小さく幼い。アンヘルはこの時、十歳であった。

 

「まだ終わってない。休憩しているだけだ。もう少し待て」

 

 アンヘルに話しかけている少女はさらに小さい。ライラはこの時七歳であった。

 

「ええ、まだなの? もう待ち飽きちゃったよ。トレーニングなんていいから遊んでよ~」

「もう少しだけだから」

「やだ。今遊んで」

 

 その後もごね続けるライラに根負けし、仕方なくアンヘルは折れることにした。

 

「わかったわかった。ほら遊んでやる。何がしたいんだ」

「やった! 肩車して走り回るヤツがいい!」

「まあ、それならトレーニングにもなるか……。ほら乗れ」

 

 ライラを肩車すると走りだす。その光景を村人たちは微笑ましく見守っている。

 

「アンヘル、ライラ。ご飯にしよう!」

 

 しばらくすると、二人に遠くから声がかかった。

 アンヘルと同年代ぐらいの少女がかごを持って走り寄ってくる。

 

「あ、お姉ちゃん!」

「おお、エドラ。もうそんな時間か」

 

 少女の名はエドラ。ライラの姉であり、ゆくゆくは村一番の器量よしになるだろうと目される可憐な少女であった。

 エドラがかごに入れて持ってきた弁当を三人で囲む。

 談笑しているとライラはうとうととしたかと思うと寝入ってしまった。

 

「それにしても、トレーニングなんてすぐやめると思ってたのに、以外と続けてるのね」

「当たり前だ。オレは強い魔導士になって悪いやつをばったばったと倒してやるんだ」

「一丁前に言ってるけどそれ、一週間前に打ち立てた目標でしょう」

「…………別にいつからとか関係ないだろ」

 

 エドラはじと目でアンヘルを見つめる。

 一週間前、凶悪な山賊が近くの山に住み着いた。村におりてきては略奪を行い、被害を出していった。ほんの短い期間ではあるが、幼い三人にとってはトラウマになりかねないほどの恐怖体験であった。

 その山賊から村を守ったのがとある魔導士である。

 丁度、村に降りてきた山賊を魔導士が返り討ちにしたのだ。それをアンヘルは目にして大きな憧れを持ったのである。

 

「とにかく、オレは強くなるんだ。あの魔導士みたいに」

「ふーん、それで? 強くなってどうするのよ」

「……そんなの知らん。強いのはかっこいいだろ」

「それだけ?」

「それだけだよ」

 

 それを聞いたエドラは呆れたように溜息をつく。

 

「ほんとバカね」

「バカとは――っておい!」

 

 エドラはアンヘルに寄りかかる。

 

「じゃあさ。強くなったら、どんなことがあっても私を守ってよ」

「お、おおお前。何を言って」

「ふふ、アンヘルってば顔が真っ赤よ」

 

 エドラはアンヘルの顔を覗き込んで笑った。間近で見るエドラの笑顔に、アンヘルはさらに顔を赤くする。

 

「ふ、ふざけるな。オレで遊びやがって……」

「だって、アンヘルってば反応がかわいいんだもん」

「む」

 

 かわいいと言われて、アンヘルは顔を赤くしながらも口をへの字に曲げる。なんとかやりかえせないものか。そう考えて、今がポケットの中の物を渡すチャンスだと思いついた。

 

「おい、エドラ。手を出せ」

「え、な、何よ。まさか虫でも握らせるつもり?」

「いいから」

「ちょっと!」

 

 アンヘルは無理矢理手をとると、その手にポケットの中に入っていたものを握らせた。

 

「やるよ、それ」

「これ、もしかして」

 

 エドラが手を開いたとき、そこにあったのは飾り気のないシンプルな造りの髪留めだった。

 エドラを恥ずかしがらせてやろうと思ったのに、いざ渡してみるとアンヘルはかえって恥ずかしくなった。エドラの顔を見れずにそっぽを向く。

 

「こ、この前町に連れて行ってもらったときに買ったんだ。ただ、どんなデザインがいいのか分かんなかったから、オレのセンスで買ったらそんなつまらないものになって――――って、聞いてるの、か…………」

 

 エドラからの反応がないため、不安になって恐る恐る顔を向ける。そこには、顔を先ほどのアンヘルのように真っ赤にしたエドラがいた。

「お、おい……」

「……ふふ、こんなことしてくれるなんて思ってもなかった。ありがとう、アンヘル。私はこのデザイン好きよ。だって、あなたらしいもの」

 

 顔を赤くしながらもはにかむエドラ。アンヘルはその笑顔を前に、二の句をつぐことができなかった。

 

 

 

 これは、何気ない日常の一コマ。かけがえなく、そして、一つの悪意で崩れ去るとても脆いものでもあったのだ。

 

 

 

 翌日、アンヘルは両親とエドラの四人で町に遊びに行くことになった。ライラも着いてくる予定だったのだが、当日の朝にあいにく体調を崩して留守番になっていた。

 アンヘルの家にある魔導四輪を使って町に向かう途中のことである。

 

「な、なんだ!」

 

 突然飛んできた火球がタイヤの一つに命中し、四輪は制御がきかずにスリップした。

 それを三人ほどの男が囲む。

 

「あ、アンヘル。怖いよ……」

 

 震えるエドラの手を力強く握る。

 

「あいつら、山賊だ。逃げ延びたヤツがいたんだ……」

「おい、てめえら降りてこい。その四輪はオレたちがもらう」

「わ、わかった。言うとおりにするから手を出さないでくれ」

 

 アンヘルの父はすぐに言うとおり車を降りた。母とアンヘル、エドラもそれに続く。

 

「よしよし、話がわかるじゃねえか。それでいいんだ」

 

 山賊たちの一人が運転席に乗り込んだ。そして、

 

「よし、問題なく動くな。それじゃあ、てめえら。そいつらを殺しちまえ」

 

 山賊の慈悲のない命令が下される。

 

「待ってくれ! 言うとおりに渡したじゃないか!」

「ああ? 誰も渡したら助けるなんて言ってねえだろうが」

「そ、そんな……」

 

 山賊の二人が近づいてくる。それに、父が飛びついた。

 

「逃げろお前たち! ここは私がっ――ああああああああ!」

 

 山賊に飛びついた父は一瞬にして火だるまにされる。襲撃時に飛んできた火球から分かる通り、山賊たちの中には魔導士がいたのだ。

 アンヘルにも火球が飛んでくる。その前に立ちふさがったのは母だった。

 

「あっ、ああああ!」

 

 目の前で悲鳴を上げる母。その光景をアンヘルは呆然として見ていた。

 

「に、逃げてアンヘル。エドラちゃんを守るの…………!」

「――――!」

 

 その言葉に、右手に感じる温もりを思い出す。

 

「あ、アンヘル……」

 

 泣いているエドラを見て、今やらなければならないことがようやく分かった。すぐに、両親に背を向けると走り出す。

 

「おじさんとおばさんが――――」

「うるさい! 今は逃げることだけ考えろ。お前は必ずオレが――」

 

 しかし、子供が逃げられるほど甘くはない。逃げ出してすぐ、アンヘルは後頭部に衝撃を感じてそのまま倒れ込む。なにか、硬い鈍器で殴られたのだ。

 

「アンヘル!」

 

 暗くなる視界。エドラの悲痛な叫びだけが聞こえてくる。

 

「いや、離して! アンヘル、アンヘルゥゥウ!」

 

 今すぐに立ち上がり、山賊たちをぶちのめしてやりたい。だが意に反して体は言うことを聞いてはくれない。

 

(エドラ、オレはお前を――――)

 

 そして、アンヘルの意識は暗闇の中に落ちていった。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

「うわああああ!」

 

 悲鳴と共にアンヘルは起き上がる。

 

「ハア、ハア。ゆ、夢……?」

 

 一瞬、甘い考えが脳裏をよぎる。しかし、次の瞬間に響いてくる頭の激痛が、先ほどの一幕が現実だったことを思い知らせてくる。しばらくもだえ苦しんだ後、少し痛みが薄らぎ周囲の状況が見えてくる。

 襲撃にあったのは昼間だったはずだが、日は暮れてあたりは薄暗い。

体中に纏わり付いている土。そして、自分のいる場所だけが窪んでいることに気がついた。そういえば起き上がった拍子に何かを払いのけた。あの感覚は確か土のようだった。

 

(オレは埋められていた……? 死んだと思われたのか。いや、オレが息を吹き返したのか)

 

 そこまで考えて気付く。薄暗くて見にくいが、アンヘルの埋まっていたであろう穴から布きれがのぞいていた。すすけているが、衣服の一部のようだ。

 

(まさか…………)

 

 アンヘルは血の気が引いていくのを感じた。そして、布きれを掘り起こしていくとそこに埋まっていたものが見えてくる。

 

「あ、ああ…………」

 

 そこには焼け焦げ、かすかに面影を残すだけとなった両親の遺体があった。

 

「――、――――!」

 

 泣き、叫び、嘔吐する。

 やがて嘆き疲れたアンヘルの体は独りでにに眠りに落ちていった。

 

「これは、丁度良い拾いものをしたものだ」

 

 薄れ行く意識の中で、聞き慣れない男の声がした気がした。

 

 

 

 アンヘルが目覚めるとそこはベッドの上だった。

 辺りを見渡しても見覚えはない。少なくともアネモネ村の家ではない。

 部屋の扉が開き、初老の男が入ってくる。

 

「目覚めたようだな」

「……誰だ」

「ふん、命の恩人に随分な物言いだ」

 

 男は部屋にあった椅子を引いてベッドの脇に腰掛ける。

 

「……なんで、オレを助けた」

「なに、丁度よかっただけだ」

「丁度良かった?」

 

 怪訝そうに眉を寄せるアンヘルに、男は腰に差した刀を引き抜いた。

 

「我が名は修羅。最強の魔法剣術、無月流の継承者である。この使い方を貴様に教えてやろう」

 

 そういって、修羅と名乗る男は笑う。その男の言葉に、アンヘルは聞き捨てならない言葉を見つける。

 

「最強、剣術?」

「ああ」

 

 アンヘルは、山賊に襲撃された折のことを思い出す。悲しみも、己の無力さへの怒りを前にかすんでいった。

 

「強く、なれるのか」

「なれなければ死ぬだけだ。また、新しい継承者候補を拾ってくるまで」

 

 男の物言いはアンヘルを突き放すようであった。これで怖じ気づくようであれば大して期待はできないだろう。事実、アンヘルの前に攫ってきた子供は修行中に死んだり、苦しさのあまり自殺する者もいた。

 しかし、アンヘルは違った。男の言葉に怯むことなく、その瞳に強い意志を湛えて見返した。

 

「上等だ。必ずその力、オレの物にしてやろう」

 

 これは期待できそうだ。男はにやりと笑うと刀を鞘に戻す。

 

「よかろう。だが覚悟せよ。無月流を習うが最後、太陽の下どころか闇夜を照らす月の光も浴びられぬ。甘い考えを持ったままでは地獄をみるぞ」

 

 その言葉の意味をアンヘルは理解することができなかった。

 翌日から修行が始まる。修行は苛烈を極め、血反吐に塗れたことは一度や二度ではすまない。それでも、あの日の無力さへの怒りがアンヘルを奮い立たせた。

 

 

 

 

 そして、修行を開始してから十年余りが過ぎる。

 

「ここまでか……」

 

 男は力なくベッドに伏せっていた。アンヘルはその横に佇んでいる。

 

「無月流の技は全て教えた。これからは貴様が修羅を名乗れ」

「はい」

 

 ベッドに伏せながら、男は息も絶え絶えに言葉を発する。アンヘルは無感情に頷いた。十年余りをともに過ごしながら二人に親愛の情というものは微塵もない。男にとってアンヘルはただ無月流を継承するという義務を果たすための道具であった。最初は近づこうとしてみたアンヘルも、そういうそぶりを見せる度に痛めつけられれば、男との間に絆をつくろうなどという考えを諦める。

 

「甘い考えなど捨ててしまえ」

 

 これが男の口癖であった。

 ただ、それでも無月流を教えて貰った恩がある。それなりに手をかけて見晴らしの良い場所に綺麗な墓をたてて供養した。

 そして、アンヘルは男を供養したその日から、修羅を名乗ることになる。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

「今回も大層な活躍だったみたいじゃねえか! 先代の修羅はもう越えちまったんじゃねえのか」

「やっぱり無月流の使い手は違うねえ。今度オレにも教えてくれよ」

 

 修羅に野卑な声が次々とかかる。それを修羅は相手にした様子もなく静かに椅子に腰をかける。

 場所はボスコのとある闇ギルド“巨象の牙(エレファントファング)”。その根城であった。

 なぜ修羅が闇ギルド“巨象の牙”に所属しているのか。それは簡単なことであった。

 師である先代修羅がこの闇ギルドに所属していたのだ。拾って連れてこられた場所が既にボスコであったらしい。

 修羅も修行の一環として仕事に連れて行かれることになる。わずか十二で犯罪に手を染め、人も殺した。嫌がればまた先代修羅に痛めつけられる。

 

『甘い考えなど捨ててしまえ』

 

 その度に、また男の口癖を聞いたものだ。

 もはや悪事に手を染めることについて修羅は何の疑問も覚えない。ただ仕事でしているだけのことであり、またその生き方以外は知らなかった。

 

「またそうやって無視をして。ちょっとぐらい答えてあげたらどうです?」

 

 机を挟んで修羅の向かいに、同年代くらいの男が腰をかける。男の名はアキュー・ゲッタ。修羅とコンビを組んでいる男だ。

 

「嫉妬交じりのからかいなど、相手にしてなんになる」

「そういう態度をとるから、ギルドでハブられていくんですよ」

「私にはどうでもいいことだ」

 

 やれやれとアキューは肩をすくめた。修羅にとって、アキューと言葉を交わすことも億劫だったが、それでも腕っ節しか取り柄のない修羅にとって万事をそつなくこなすアキューはなにかと便利であるために手を組んでいるのだった。

 

「そうだ、実はデヴァン様からあなたに依頼があるらしいですよ」

「デヴァン……、確かお前のお得意様か」

 

 アキューは修羅と仕事に出るかたわら、ルウォッカ商会の若き跡取りであるデヴァンの屋敷に足を運んでいた。修羅は興味がなかったため、一体アキューが何をしているのか聞いたことはなかった。

 

「急だな。私との間に接点などないだろうに」

「接点なら私がいるじゃないですか。修羅さんのことを話したらぜひとも暗殺を依頼したい人がいると」

「暗殺か……」

「お嫌ですか?」

「何を今更。人なら既に何人も殺してきた」

「そうですよね。特に修羅さんは実力があるだけに、血なまぐさい仕事が多いですもんね」

 

 アキューは何が面白いのか、にまにまと笑っている。その顔を見ているのが不快で顔をそらした。

 

「詳しい話は直接会って話がしたいそうです。ということで明後日にデヴァン様に会う予定になっていますからよろしくお願いしますね」

「分かった」

 

 修羅は頷くと席を立ち、そのままギルドを後にする。その後ろ姿をなおもアキューはにまにまとして見送っていた。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 約束の日、修羅はアキューに連れられてデヴァン邸に赴いた。

 

「やあ、君が修羅くんか。話はかねがね聞いているよ」

「よろしくお願いいたします」

「はは、闇の連中は野蛮な輩が多いイメージだが、君は随分と礼儀正しいね。アキューくんのお友達というだけある」

 

 内心、お友達という言葉には首を横に振りたかったがぐっとこらえる。

 多少の雑談の後、仕事の話に移る。その間、修羅は適当に相づちを打つだけで雑談も仕事の話もアキューが主に煮詰めていった。

 そして、ようやく話が一段落した頃だった。

 

「そうだ修羅くん。君、僕のコレクションを見てみないかい」

「コレクション、ですか……」

「ああ、長年。それこそ十代のころからアキューくんと集めてきたんだ」

 

 修羅はデヴァン邸に赴く前、アキューとの会話を思い出す。

 

 

『おそらく、デヴァン様はあなたに自慢のコレクションを見せたがるでしょう』

『興味が無いな』

『まあ、そう言わずに。デヴァン様の趣味はとても公に出来る物ではありません。しかし、せっかくのコレクションは自慢したい。なので、闇の者と関わればまず間違いなく自慢してきます』

『だから、興味が無いと言っている』

『それが、デヴァン様はコレクションにかける情熱が大きいだけに、今の修羅さんのような態度をすれば機嫌を損ねてしまいます。今後の仕事のためにもどうか話を合わせて頂けませんか』

 

 

 アキューに視線をむければ小さく頷く。仕方ないと内心で溜息を一つ吐き出した。

 

「分かりました。ぜひとも拝見させて頂きたい」

「はは、そうこなくてはね。では早速案内しよう」

 

 道すがら、デヴァンはコレクションについて語り出す。

 

「僕はね、特殊性癖なんだ」

「はあ」

「人間の女性よりも人形の女性に興奮する。でもね、それでも何か物足りなさを覚えていたんだ。そして、ある日気付いた」

 

 デヴァンの足が、とある一室の扉の前で止まる。

 

「僕はね、人形のようになった人間が好きなんだよ」

「これは……」

 

 デヴァンが開け放った扉の先。その光景を見て修羅の表情が嫌悪に染まる。

 そこにあった、否。いたのは着飾られた幾人もの女性。長身の女性、ふくよかな女性、スレンダーな女性、グラマラスな女性。様々な女性がうつろな表情で飾られている。

 

「ああ、なんて素晴らしいんだ! ここにいる女性たちは今もなお生きているんだ。だというのに、人形と変わらない価値しかない。なんと惨めで美しいことか!!!」

 

 デヴァンの頬は興奮で赤らみ、目は燦然と輝いている。コレクションに気を取られて修羅の表情が見られなかったことが幸いか。

 

「ここにいる女性たちは……」

「みんなアキューくんの毒で意識を奪っているのさ。アキューくんは毒のスペシャリストだからね。肉体の成長を止めてしまう副作用もむしろ好ましい――て、君には説明しなくても分かることだったね」

「…………」

「尋ねていたのはどこから調達したのかってことかい? それなら奴隷を買っただけだよ。さすがに、攫ってくるのはリスクがでかすぎる」

 

 デヴァンは修羅の反応などお構いなしにコレクションの自慢をし続けた。修羅は既に後悔していた。多少関係を悪化させてでも来るべきではなかった。

 

「さて、君には特に僕が気に入っている人形を見せてあげよう」

「……はい」

 

 はやく終わってしまえ。そう念じながらデヴァンに着いていく。部屋の先にあるもう一つの扉の前に立つ。

 

「ここは僕の寝室さ」

(もったいぶらずにさっさと開けろ……)

 

 冷めた表情で、焦らすようにゆっくりと扉を開くデヴァンを眺めていた。そして、ついに扉が開き――――。

 

「これが、僕のお気に入りさ」

「――――あ」

 

 そこにいた少女を見て、修羅の脳内は白く染まっていく。そこには、

 

「ふふ。今のままでも可憐だが、将来美しくなっただろうと想像させる少女。そんな彼女が成長を止められ人形のように生き続ける。なんとも興奮するだろう?」

「あ、あ――――」

 

 見間違えようもない。それは、十年以上前に山賊に攫われたはずのエドラその人であった。

 修羅の記憶にあるよりもいくらか成長している。当時、十歳であったはずだが見る限り十四か十五といったところか。それでも修羅同様、本来ならば二十を越えていなければならないはずだ。

 そんな彼女が虚ろな目をして、大きなベッドに腰掛けていた。しばし、呆然とした後に気付く。エドラが頭に身につけているものに。

 

「あ、の、髪留め、は…………」

「おお、やはり君も気になるかね」

 

 思わず修羅の口から漏れ出た言葉に、何を勘違いしたのかデヴァンはペラペラと喋りだした。

 

「あんな面白みのない髪留めなんか取り上げてしまいたいんだけどね。心は奪っているはずなのに、あの髪留めを取り上げようとすると途端に暴れ出すんだ。仕方ないから放置しているのさ」

 

 やれやれとデヴァンは肩をすくめてみせる。

 

「おそらく、男からの贈り物だろう。まだ多少なりとも意識が残っていた頃は、しきりにその男の名前を呼んでいたっけ」

「……その」

「まあ、想い人がいるはずの少女が壊され僕に抱かれる。そんな趣向も悪くないかと今では思えるようになったけどね」

「その、男の名前は……なんと」

 

 震える喉から、修羅は言葉を絞り出す。

 

「ああ、確か――――アンヘルとかいったような」

 

 

 

 自分で自分が分からない。

 溢れ出る感情に、我を失うことは初めての経験だった。

 修羅が正気を取り戻したとき目にしたものは、床に倒れ伏せたデヴァンとアキュー。血に染まった己の両拳。そして、虚ろな目で修羅を見つめる少女であった。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 修羅はあの日、エドラを抱えて逃げ出した。

 デヴァンからも、ギルドからも見つからないように遙か遠くへと逃げた。

 道中、どれだけ話しかけてもエドラが反応してくれることはなかった。

 

「なぜ、私はもっと早くに……」

 

 どれだけ悔いても、悔やみきれない。

 確かに十歳のころに袂を別ったエドラを、手がかりもなしに探すことなど不可能に近かった。それでも、探そうともしなかったのはとっくに諦めていたから以外のなにものでもない。

 

「私は何をしていたんだ! 何のために力を求めたんだ! 力を得て何になったというのだ!」

 

 慟哭する修羅。それを見つめるエドラの虚ろな瞳がさらに心をかき乱す。

 そして旅の途中、修羅の心をさらに乱すことが起きる。

 

「う、うぅ……」

「エドラ!」

 

 無感情だったエドラ突然呻きだす。慌てて連れて行った病院で思いがけない事実を突きつけられた。

 

「どうやら妊娠しているようです」

「…………は?」

 

 逃避行で修羅はエドラと交わったことなど一度も無い。間違いなくデヴァンの子であった。

 

「エドラさんはまだ歳も若いですし、体力もかなり低下しています。産めば命の保証はできません」

 

 そう修羅に告げる医師の視線は冷たい。医師からすれば、修羅は怪しいことこの上なかった。

 しかし、今の修羅にそんなことを気にしている余裕はない。

 

「エドラ、話がある」

「あ、あぁ…………」

 

 エドラは微笑んで自らのお腹をさすっていた。エドラが感情を見せるのは再会して以来初めてのことであった。それだけに、これから告げる言葉を想うと心が苦しい。

 

「その子供は、おろしてもらう」

「あ、あ……?」

 

 修羅の言葉に反応を示したのも初めてのことである。その反応が、泣きそうな揺れる瞳で見返すものだったことに泣きたくなる。

 

「仕方ないんだ。その子を産めばお前がもたない」

「い、いや、いや」

「分かってくれ。お前のためなんだ!」

「いや、いや!」

 

 お腹の子供をかばうように、エドラは修羅に背を向ける。明確な拒絶の意思。

 

「エドラ…………」

 

 その背中を見て、修羅は何も言えなくなった。

 それから何日も説得を試みたが、一向にエドラの態度は変わらない。だんだんと修羅はやつれていった。

 ある日、耐えかねた修羅は思わず怒鳴ってしまう。

 

「なぜだ! なぜそんなに産みたがる! 死んでしまうかもしれないんだぞ! そんなに、そんなにあの男の子が産みたいのか!!」

 

 そこには、嫉妬も含まれていたのだろう。怒鳴って冷静になると、己がしでかしてしまったことに青ざめる。

 

「あ、す、すまない。私はなんということを……」

 

 思わず修羅は一歩後ずさる。そんな修羅をエドラはきょとんとした表情で見つめると、かつてを思わせる微笑みを浮かべた。己に向けられた笑顔など、それこそアネモネ村以来である。

 一瞬、見とれてしまう修羅。しかしエドラが発した次の一言で、頭を殴られたかのような衝撃にみまわれる。

 

「こ、ども、うむ。わたし、あんへる、こども」

「――お、お前」

 

 修羅はその場に崩れ落ちる。顔を伏せて泣く修羅に、エドラがそっと寄り添った。

 エドラはいまだ正気でない。お腹の子供をアンヘルの子供だと思っている時点でそれは確かだ。そんな状態で、子を産むことだけに己の意思を見せるのだ。

 悩みに悩んだ末、修羅はエドラが望んでいるとおりにすることにした。

 出産には修羅も立ち会った。痛みと必死に戦い、お腹の子をこの世界に産みださんとするエドラ。その様子を見て直感的に分かってしまう。

 ――エドラの命は失われてしまう。

 それが分かっていても修羅にはなにもできない。手のひらに食い込んだ爪が肉を破り、血を流す。

 やがて、赤子の泣き声が響き渡る。

 エドラは子と修羅に暖かな微笑みをそそぐと、静かに永き眠りについたのだった。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 エドラの死から八年が経つ。

 今、修羅は辺境の村で農作業に従事してひっそりと暮らしていた。

 

「おとーさん、仕事終わった?」

「ああ、丁度一区切りできたところだ」

 

 子供はアミナと名付けられ、修羅のもとですくすくと育った。その容貌はかつてのエドラを思い出させる。

 

「じゃあ、あれ見せて!」

「あれか、全く。アミナは変わり者だな」

「そんなことないもん!」

 

 修羅は家からかつて使っていた刀を持ちだした。そして、家の裏に回るとそれを構える。アミナは地面に座り、期待を込めたキラキラとした瞳で見つめている。

 

「――はっ!」

 

 修羅は剣を抜き放ち、華麗に舞った。アミナはそれを笑顔で食い入るように見ている。

 しばらくして、一通り舞を踊ると修羅は刀を鞘に戻す。

 

「すごい、すごーい!」

 

 アミナは手を叩いて喜んだ。その様子を見て、修羅は柔らかく微笑む。

 修羅は荒事から離れてなお、十のころから半生をともにした刀を手放すことはできなかった。農作業をするかたわら、時折家の裏で剣を振っていた。

 それがアミナに見つかったのが三年前。一通り剣を振り、鞘に戻したところでアミナが見ていることに気がついた。

 

『アミナ。そこで何を――」

『――きれい』

『む』

『すっごーい! おとーさん、なにそれ。とってもきれいだったよ!』

 

 思いがけない言葉に驚いたことを覚えている。それ以来、アミナにせがまれては剣を振った。時が経るにつれて、だんだんと舞のように、魅せる動きになっていく。アミナは三年間、飽きることなく修羅の剣をねだり続けた。

 アミナの為に剣を振る。それは、修羅にかつてない充実感をもたらした。それこそ、修行をしていたころや、闇ギルドに所属していたころとは比べものにならないほどに。

 

「おとーさんもういっかい!」

「だめだ、今日はもうおしまい。夕飯をつくらなくては」

「えー」

「わがままを言うな。また明日見せてやる」

「ぜったいだよ! やくそくだよ!」

「分かっている」

 

 修羅は微笑んでアミナの頭を撫でた。

 それは穏やかな日常の風景。二十余年を経て再び手に入れた平穏だった。修羅の心に刻まれた深い傷も、時間と共に癒やされていく。

 

 

 

 ――しかしまた、そんな日々も長く続くことはなかった。

 

 

 

「ううむ、心配だ」

「もう、お父さんってば! 私ももう十歳なのよ。お留守番くらいできるよ!」

 

 さらに二年が経過した。家の玄関で修羅はうなる。

 近頃、近くの山に外から来た魔獣が住み着いた。追い出された獣が畑の作物を食いあさり、多大な被害をだしている。そこで、村人たちは修羅にどうにかできないものか相談したのだ。修羅がアミナに剣を見せているのは有名になっており、近頃ではアミナ以外の見物人も増えたほどだ。

 修羅として、村に迎え入れてもらった恩がある。協力に否やはないのだが、アミナを一人残していくことが不安であった。

 

「早く行った行った!」

「分かった。分かったから押すな。いいか、何か困ったことがあればすぐにお隣さんに言うんだぞ。それから――」

「もう何回も聞いたよ! いいから行ってってば!」

 

 修羅を外に押し出すと、玄関がぴしゃりと閉められる。

 

(仕方ない、すぐに片付けて帰ろう)

 

 溜息を一つつくと、足早に山へと向かっていく。

 そんな修羅の背中を、昏い笑みで見送る男たちがいた。

 

 

 

 修羅はさして苦労することなく魔獣の首を落としてみせる。

 しかし、修羅の表情は暗く、怪訝そうに眉が寄せられている。

 

「なんだ、この獣は……」

 

 野生動物特有の気配が感じられない。人間になれている様子さえあった。

 

(何か嫌な予感がする)

 

 魔獣の死体をそのままに、急いで村に戻ろうとしたときだった。

 

「煙だと……?」

 

 村の方角から煙が立ち上る。修羅はすぐさま駆け出した。そして、視界が開けた見晴らしの良い場所に出たとき、絶句することになる。

 

「村が燃えている!?」

 

 山を必死に駆け下りる。村に辿り着いたとき、そこで見たのは地獄のような光景だった。

 燃える家々。

 鳴り響く悲鳴。

 転がる死体。

 下卑た多くの笑い声。

 

「貴様らァァァァア!」

 

 下郎どもを斬るために、刀を引き抜かんとしたその時である。

 

「待ってください」

 

 聞き覚えのある声がそれを遮った。

 

「貴様、アキュー!」

「十年ぶりですね、修羅さん」

 

 ニタニタと笑みを浮かべるアキュー。十年を経てなお、その笑みの嫌らしさは変わらない。

 

「復讐に来たか。ならば私を直接襲えばいいであろうが!」

「そんなことをしても返り討ちにあうだけでしょう。あなたの実力はよく知っていますから。ですので、人質をとらせて頂きました」

「まさか、貴様――!」

「ええ、あなたの娘さんは預かっていますよ。分かったならば、大人しくすることです」

「ぐ――!」

 

 アミナの姿は修羅の目が届くところにはいなかった。いれば夜叉閃空で賊を斬り殺して救出したものを。さすがにアキューはよくわきまえている。

 

「後、一つ補足です。復讐したいのは私ではありません。私としてはさほど気にはしていません」

「なんだと。ならば、まさか……」

「そう、ワシだ」

 

 一人の男が、燃えさかる家の間を悠然と歩いてくる。

 

「貴様、デヴァン……」

「十年、随分と探したぞ」

 

 デヴァンの雰囲気はがらりと変わっている。十年前よりも威厳というものが備わったようだった。

 

「執念深いことだ」

「当然であろう。十代半ばに奴隷市場でエドラを見たとき運命を感じた。当時のワシでは手が届かぬ高額を必死に捻出して買い付けた。意識を奪ってなお手放さない髪留めも、エドラを尊重してそのままにしてやった。私がどれだけエドラに尽くしてきたと思っている!!」

「人形にしておいて尽くす、か。随分と歪んだ愛もあったものだ」

「黙れェ!」

 

 デヴァンが修羅の顔面を殴りつける。アミナを人質にとられた修羅は甘んじてそれを受け入れた。

 

「十年。再びエドラをこの手にせんと探し、ようやく見つけたと思えば、とうの昔に死んでいるだと!? ふざけるな! ふざけるなァ!」

 

 何度も何度も、デヴァンは修羅の顔を殴りつける。唇は裂け、顔全体が腫れ上がっていく。やがて疲れたのかその手を止めた。

 

「はあ、はあ。おい、お前ら」

「へい」

 

 デヴァンに促され、村を襲っていた賊が修羅を囲んだ。賊は修羅を見て酷薄な笑みを浮かべる。

 

「私はどうなってもいい。だから、アミナは助けてやってくれ」

「それはこの男たちに聞くんだな」

「へへ、ようやくこの時が来たぜ」

「なんだ、貴様ら。私を知っているのか?」

「ああ、ようく知ってるぜ!」

「がっ!」

 

 賊の一人が修羅を殴る。デヴァンの拳とは比べものにならない威力であった。

 

「オレはてめえに兄貴を殺されたんだ!」

「――――!」

 

 その言葉に、息が詰まる。

 

「オレは息子を殺された!」

 

 さらに別の男の拳が修羅の腹部を撃ち抜いた。

 “巨象の牙”に所属していたとき、血なまぐさい仕事ばかりをしていた。殺した数だけ恨まれる。当然のことであった。何人もの男たちが怨みを口にし、修羅を痛めつけていく。

 

「くく、随分と怨みを買っているようだな。お前に復讐ができると呼びかけたら、こんなにも人が集まったぞ」

「…………私はどうなってもいい。報いはうける。だが、アミナは関係ない。解放してやってくれ」

「うるせえ! 兄貴を殺しておいて――へぶ!」

 

 賊の一人を頭突きで黙らせる。

 

「もう一度言う。アミナは関係ない。村人もだ。これ以上の蹂躙はやめてくれ」

「…………」

 

 いたるところを晴れ上がらせ、血に濡れながら周囲を睨み付ける。その鬼気迫る様子に囲んでいた男たちは押し黙った。

 

「……わかった。貴様の娘の無事は保証する」

「そうか、なら、いい」

「やれ、貴様ら」

 

 デヴァンに促されて再び暴行が再開された。やがて、修羅は力尽きて地面に倒れ込む。

 

(すまない、アミナ。私はここまでのようだ……)

 

 息も絶え絶えで視界もかすむ。死の足音が聞こえてくる。しかし、突然暴行はやみ、修羅の命を奪うことはなかった。

 

「よし、そろそろいいだろう。おい、連れてこい」

「へい」

「…………?」

 

 デヴァンの命令で男の一人が離れていく。

 

「ただ殺すだけでは生ぬるい。貴様には生き地獄を味あわせてやろう」

「な、なにを――」

 

 そこに、遠くから子供の泣き声が聞こえてくる。

 

「おどうさん、だずげてええ!」

 

 引きずられるように少女が一人連れてこられた。既にその姿には暴行の跡が刻まれていた。

 

「貴様らァァァァア!」

 

 それを見た瞬間、修羅の頭が沸騰する。体の痛みも忘れて飛びかかろうとするも、簡単に男たちに取り押さえられてしまう。満身創痍で刀もすでにその手にない。

 

「アミナの無事は約束するのではなかったのか!」

「なんでワシが貴様のような下郎との約束を果たす必要があるのだ?」

 

 怒りに染まる修羅を見下ろし、デヴァンは嘲笑う。抵抗する力を奪ってから娘を連れてきて、目前でいたぶってやろうというのである。なんたる外道であることか。今すぐ細切れにしてやりたいが、そんな力は残っていない。唇を噛み切り、無理矢理冷静さを取り戻そうと努力する。今の修羅がアミナを助けようとすればデヴァンを説得する以外に道はない。そして、交渉のためのカードは一つ存在している。

 

「待て! アミナは私の子ではない! 私がエドラを連れ出したとき、既に妊娠していたんだ。アミナは間違いなくお前の子だ!」

「……それがどうした?」

「――は?」

 

 しかし、説得はあっけなく失敗した。

 

「貴様の手で育てられた娘なんぞいらんわ。大体な、ワシが何年エドラと一緒にいたと思っている。エドラが妊娠する度、ワシはおろさせてきたのだ」

「なん、だと……」

「エドラが欲しいのであって子が欲しいのではない。むしろ子供など邪魔なだけだ」

「貴様は! 貴様はァア!」

「クハハハハ! せいぜい、娘が死んでいく様を無様に見ているがいい」

「いやあああ! やめてえええ!」

「アミナ! アミナァァア!」

 

 それから始まったのは地獄すら生ぬるい魔の狂宴。

男たちは笑いながらアミナをいたぶる。かん高い少女の悲鳴が響いた。修羅は喉が張り裂けても、血反吐を吐きながら叫び、血涙を流しながら、どうすることもできずに地に押さえつけられる。

やがて、アミナの声は途切れ、ぴくりとも動かなくなった。同時に、修羅も身動き一つしなくなる。

 

「娘は死んだか。だが修羅の方は生きているな。おい、拘束して適当な建物に閉じ込めておけ」

「殺さないんですかい」

「ふん、この程度で満足できるものか。連れて帰り、さらなる生き地獄を味合わせてやる」

「へへ、そりゃあいい。オレたちも楽しみにしてますぜ!」

 

 そういって、修羅とアミナに暴力の限りを尽くした男たちはその場を後にする。

 

「――おい、アキュー。分かっているな」

「はい。この村は賊によって襲われた。そこにたまたま通りがかかったデヴァン様が私兵を用いて討伐した。このシナリオでよろしいですね」

「ああ、それでいい」

「では」

 

 翌日、築き上げられた死体の山には村人だけでなく賊の姿もあったと、ボスコ警備隊の記録には残されている。

 

 

 

 すっかり日が暮れた中、アキューはひとけのなくなった村を歩く。そして、修羅が閉じ込められているであろう家屋に視線をやった。

 

(修羅さん、あなたは良い金づるであると同時に行き先が楽しみな人でした。根は善良なくせに闇で生きることしかしらない男。まあ、想像通りろくなことにはなりませんでしたね。此度の狂宴、実に楽しませて貰いましたよ)

 

 アキューは気味の悪い笑みを浮かべると、デヴァンの命令をするべく足を進めた。

 

 

 

 深夜、修羅はふらりと起き上がる。立ち上がるだけで、全身が悲鳴をあげる。だがそんなもの、今の修羅には気にもならない。

 天之水分を索敵用に展開。見張りはどうやら扉の外に二人だけ。部屋にあった椅子を壊し、足になっていた棒を手にする。

 見張りは椅子を壊したときの音に気付いて部屋をノックしようとした。

 

「無月流、夜叉閃空」

 

 満身創痍。得物もただの棒切れ。それでも、壁ごと雑兵を斬るくらいわけは無い。ゆっくりと部屋を出る。廃墟と化した村の様子を伺うがデヴァンもアキューも、抵抗する気力などないものと甘く見ていたのか見張りは少なかった。

 目的の場所はすぐにわかった。後でまとめて処理するつもりなのか、死体が一箇所にまとめられている。積み重なる村人たち。

 

「すまない。私のせいで……」

 

 彼らは不審な男だったであろう修羅を迎え入れてくれた。農作業を一から教わった。剣舞に拍手を送ってくれた。なんの罪もなかったというのに、今は物言わぬ骸と化している。

 

「怨みはあの世に行ったとき、いくらでも聞こう。だから今は……」

 

 死体の山をかきわける。そして、すぐに見つけ出した。

 

「…………アミナ」

 

 全身痣がない所はなく、四肢も歪に折れ曲がっている。なんとも痛ましい姿であった。

 

「――――!」

 

 叫びそうになるところを必死に堪える。しばらくして息を整えると、修羅はアミナの遺体を抱き、村人たちの遺体に一礼すると山の中へと消えていく。

 翌日、修羅の脱走を知ったデヴァンが怒り狂ったことは言うまでもない。

 

 

 

 どれだけの時間歩いただろうか。生い茂る木々に、衣服や皮膚を切られた回数ははかりしれない。靴もすりきれ、足はボロボロになっている。

 

「元々、傷だらけの身だ。いまさらどんな傷も関係あるまい」

 

 歩く。歩く。綺麗に整えられて立っている石が見えてくる。石には、エドラの名前が刻まれていた。

 

「すまない、エドラ。お前が命を賭して産んでくれた子を、私は守ることができなかった」

 

 そこは、エドラの墓だった。修羅自身で立てた墓。故に場所を知っているのは修羅ただ一人。デヴァンたちも、この墓の情報を得ることは出来ないだろう。

 

「せめて、アミナはお前と一緒に眠らせてあげようと思う」

 

 疲労しきった体をさらに酷使してアミナの遺体を埋葬し、石に新たにアミナの名を刻んだ。修羅は完成した墓の前で立ち尽くす。

 

「何が力だ! 何が無月流だ! 何一つ守れたためしがない……。いや、一つだけ守れているものがあるか」

 

 修羅は自嘲の笑みを浮かべた。

 

「これだけの目にあって。私は生きのさばっている。己の命だけは守れるらしいぞ。ハハ、大切な人は守れないくせに! 不幸を呼び込むくせに! 私の命だけは守ってしまう! ああ、なんと身勝手な力であろうか!!」

 

 そして、崩れ落ちるように膝をついてうなだれた。

 

「すまない。すまない。本当に、すまない――――」

 

 そうして、いつまでも修羅は謝り続けたのだった。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 数ヶ月後、アネモネ村。

 村唯一の食堂“イチリン”を経営しているライラは、入り口の扉が叩かれて怪訝に思いながらも扉を開いた。

 

「誰だい。今は営業時間外だよ」

 

 そこに立っていたのは見覚えのない男であった。見るからに怪しい。不審に思っていると男が懐に手を入れる。警戒して身をすくめるが、男が差し出したのは飾り気のない古びた髪留めだった。

 

「なんだい、これ。……昔どっかで見たような、ないような」

「受け取れ」

「あ、ちょっと!」

 

 その髪留めをライラに無理矢理握らせると、背中を向けて去って行こうとする。

 

「いったいこれはなんなのさ!」

「エドラの形見だ」

「――――え?」

 

 思いもよらない言葉にライラは絶句する。そして、もう一度手のひらにある髪留めを見た。確かエドラ姉が行方不明になる前日、アンヘルから貰ったプレゼントを自慢していた。それは確か、飾り気のない髪留めで――。

 そこまで考えて、先ほど見た男の顔にかつての幼なじみの面影を思い出す。

 

「あんた、まさかアンヘル兄か」

「そんなもの、とうの昔に捨てた名だ」

「ちょっと待ちなよ! 三十年以上音信不通で一体何をやってたんだい! あの時、あんたらの身に何が起こったというんだ!」

「どうでもいいことだ。みんな死んだ。私だけが生き残った。それだけだ」

「ちょっと、いい加減に――――」

 

 ライラは修羅を追いかけて捕まえる。なにがなんでも問いただしてやろうと、そう思ってのことだったが。

 

「あ…………」

 

 その表情を見て何も言えなくなる。先ほどは気づかなかったが、目は虚ろで表情もまるでない。死人が歩いているようにさえ思えた。

 

「……もういいか?」

 

 掴んでいたライラの手をやんわりどけると、再び背を向けて歩き出す。

 何か言わなければ、もう二度と会えなくなる。ライラは直感的にそう思った。そして、思っていることをそのままぶつけてやることにした。

 

「――何があったか知らないけど、困ったことがあればいつでも帰ってくるんだよ! あたしはあんたの幼なじみで、ここはあんたの故郷なんだから!」

 

 一度、修羅の足が止まる。そして、少しの後再び歩き出した。今度は後ろ手に手を振りながら。

 

 

 数年後、修羅とライラは再会することになる。

 ある日、修羅は突然訪ねてきて言った。

 

「今度から、近くの山小屋に住むことにした。金は払うから食料や日用品を買い付けておいてくれないか。定期的に取りにこよう」

「それはいいけど、なんでまた」

 

 ライラの問いに、修羅は少し照れくさそうに顔をそむける。

 

「なに、少し子供を育てることになっただけだ」

「…………は?」

 

 その言葉はあまりに予期しないものでしばし呆けてしまったのを、ライラは十年経っても忘れることはなかったという。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 修羅が何気なく立ち寄った旅館が炎に包まれる。修羅が気付いて起床したときには、とっくに手遅れだった。

 

(随分と鈍ったものだ……)

 

 かつてであれば、襲撃があった段階で起き出していただろうに。

 

(それにしても、我が身は不幸を呼び寄せる。これも、背負った深き業のせいであろうか)

 

 修羅は襲撃した闇ギルドの構成員を、旅館を徘徊しながら斬って捨てた。多少は生き残っている人間がいたことは幸いか。

 そして、修羅は最後の生き残りを見つけ出す。

 それは十にも満たない少女であった。どうやら両親を殺されてしまったらしい。その姿になんとなく、かつての自分を思い出す。

 

「憐れな子だ。両親も死に、これからは生きずらかろう。死にたいのなら介錯ぐらいはしてやろう」

 

 それは突き放すようで、修羅の優しさだったのかもしれない。

 修羅は刀の柄に手をかける。娘が望むのであれば苦しくないよう、本当に介錯するつもりであった。しかし、

 

「――きれい」

「なんだと?」

 

 修羅は驚きに目を見開いた。修羅の瞳が揺れる。

 

「とてもきれい。今までに見てきた何よりも……」

 

 修羅の手が震える。もはや、修羅に目の前の少女を斬ることなど不可能であった。

 

「……気が変わった。名前はなんという」

 

 修羅の問いかけにゆっくりと、少女は己の名前を口にした。

 

「斑鳩。うちの名前は斑鳩です」

 


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