斑鳩が修羅に弟子入りを認めてもらってすぐに修行は始まった。
修行は想像を絶するほどに厳しいわけではない。いずれは厳しい修行が始まるとしても、まだ八歳と幼い斑鳩に無理をさせ、体を壊してしまうわけにはいかなかった。
そのため、筋力などの身体能力の上昇は体ができてくるまでは最低限に留めて後回し。今は体力と魔力制御の向上に重点を置かれた修行内容となっている。特に魔力制御は無月流の技を習得する上で非常に重要な要素であった。
修行の難易度自体はそれほど苦でもないが、継続することが大切な地味な基礎練習である。
「これ程成長するとはな……」
修行を始めて一年ほど経過した頃、目の前の弟子の姿に修羅は驚きを隠せないでいた。
始めこそ体を本格的に動かしたこともなければ、魔法にもあまり触れてこなかった斑鳩であるから、少しのことで四苦八苦していた。その様子を見ていた修羅は正直なところあまり期待はしていなかった。
だが、斑鳩には才能があった。それに、少々頭が緩いところはあるが基本的には真面目であり努力家である。一月程で見違えるほどの成長を見せ、その後も通常よりも早いペースで修行をこなしていったのだ。
「むふ、どうやらうちの凄さに気づいてしまったみたいどすなあ」
修羅の呟きを拾ったのか、先ほどまで魔力制御の修行──自らの周りに魔力の流れを作り出し、そこに木葉を流し続けるもの──をしていた斑鳩がニヤニヤとした顔つきで修羅をみている。
その様子を見て修羅は僅かに顔をしかめた。斑鳩の悪癖の一つに、すぐに調子に乗るところがある。そのため、修羅は滅多に斑鳩を誉めたことはない。調子に乗ったところで怠けるわけではないのだが、思わぬ失敗をしやすくなるのだ。調子に乗った斑鳩が少しうざいから、という理由もなくはないが。
「……喋っている暇があるなら修行に集中しろ」
「またまた師匠ったら照れちゃって。うちには普段隠していても分かるんどす。師匠が優秀すぎるうちを心のなかでは大絶賛していることくらい」
ニヤニヤニヤニヤと笑みを深めていく斑鳩。
はた目から見ても調子に乗り出しているのは一目瞭然であり、それに比例して修羅もイライラしてくる。
「ああ、うちったら容姿もいい上に能力も優秀だなんて。でも師匠、うちが魅力的だからってまだ手を出しちゃダメどすよ。成長するまで我慢し──」
言い切る前に斑鳩の頭に拳骨が落ちた。
*******
「いつつ。あれ、うちは修行をしていたはずじゃ……」
修羅の拳骨が炸裂してから一時間ほど経過した頃、気絶していた斑鳩が目を覚ます。
「……目が覚めたか。全く、修行中に眠るとは何を考えている」
「え!? うち、修行中に寝てたんどすか!?」
どうやら記憶がとんでいるようで、修羅はまた調子に乗られるのも抗議を受けるのもめんどくさいために適当なことを言って誤魔化した。
正直、修行中に眠る暇などなく、あり得ないのだが頭の緩い斑鳩である。
「す、すみません師匠。次はちゃんとやります……」
「ああ、精進せよ」
修羅が思った通り、斑鳩は簡単に騙された。
本気で落ち込んでいる斑鳩に若干申し訳ない気持ちが沸いたとはいえ、平然としている辺り修羅の性根はひねくれている。
「それで斑鳩よ、眠るなどとは言語道断ではあるが、基礎自体は形になっている。そこで、次の段階に入ろうと思うのだ」
「次どすか!?」
聞き返す斑鳩の目には新たな修行への期待が溢れている。
先ほどまでの落ち込んでいた様子などどこかへ消えてしまい、修羅のほんの少しの罪悪感も吹き飛んだ。
修羅は一つ頷くと、二人の近くにある大きめの池を指さした。
「これを歩いて渡れ」
「わかりました。見ててください師匠! すぐにクリアして見せ──うぷっ」
斑鳩は修羅の言葉を聞いてそのまま池に突撃すると、ぶくぶくと沈んでいった。
「い、斑鳩ァ!」
修羅は慌てて池へと飛び込んだ。
*******
「なぜそのまま突っ込むのだ! バカなのかお前は!? いや、お前はバカだったな!」
「バカバカうるさいどす! 片足が沈む前にもう片方の足を踏み出す的なやつかと思ったんどす!」
「なぜそういう発想になる。普通に考えて魔力を使うだろうが!」
「そんなこと言って、師匠だって言葉が足りなすぎます! いつもいつも一言二言しか喋らないで伝わるわけないどす。もっとコミュニケーション能力を磨いてください!」
「うぐぐ……」
「ぬぬぬ……」
互いににらみ合い火花を散らす師弟。片や言葉が足らず、片や勝手に曲解する。
修行に限らず、このことが原因で喧嘩になることはしょっちゅうであった。
「はぁ……、続きするか」
「そうどすね……」
二人も馴れたものである。
早々に喧嘩を終わらせると修行へと戻ることにした。
「それで、歩くってどうやるんどす? 足の裏に魔力を集めてどうこうみたいな?」
「違う。先程やっていたことを使うのだ」
「むむ」
斑鳩は首を傾ける。先程やっていたことといえば周囲に魔力の流れを作り出す修行だ。
それをどう応用すればいいのか思いつかない。
「う~ん。すみません師匠。全然分からないどす」
「……まあ、いい。そうだな、実際に見た方が早かろう」
修羅は手招きをすると斑鳩を呼び寄せ抱き上げた。
「ちょちょっ! し、師匠何してるんどす!?」
「……静かにしてろ」
突然の行動に斑鳩は顔を朱に染めてじたばたともがくが、修羅は目もくれずに池の方へと踏み出した。
池が近づくにつれて斑鳩の期待は高まっていく。
水面の上を歩くのはどんな感覚なのだろうか。どんな方法を取ればそんなことができるのだろうか。と、色々と想像を膨らます斑鳩だが、修羅が池へと足を踏み出した瞬間感じたものは浮遊感だった。
「へっ? ──きゃあ!」
修羅の体が池に落ちて沈む。てっきり水面の上を歩くものだと思っていた斑鳩は、想定外の感覚に目をつむり、柄にもなく可愛らしい悲鳴をあげてしまう。
その様子に、ククッ、と修羅が笑い声を漏らした。
「師匠! 何しとるんどすか。全然歩けてないじゃないどすか」
期待を裏切られた思いで抗議をすると、修羅は下をみるように促した。
そこには、修羅の体と水の間に不自然な空間が存在した。
「これって──」
「ああ、先程のように魔力の流れを作り出し、水を押しのけている」
木葉と違い水ははるかに重い。その難易度は確かに高いだろう。だが、それだけだ。
水面を歩くことを期待していた斑鳩は少なからず落胆した。
「そう、不服そうな顔をするな。これならばどうだ」
修羅は斑鳩の表情に気がつくと、さらに歩を進めていく。
池とは言ってもかなり大きめなため、歩みを進めるにつれて水深が深くなっていき、最終的には完全に水の中へと入ってしまった。
「うわあ……」
斑鳩が感嘆の声をあげる。
修羅を中心に、池の中にドーム状の空間ができあがる。そこから濡れることなく池の中の様子が伺えた。斑鳩は普通に生きていればまず体験することはないだろう状況に、先ほどまでの落胆など忘れて楽しんでいた。
目を輝かす斑鳩を見て修羅も悪い気はしない。
「楽しんでいるところ悪いが斑鳩よ。この修行は何のためにあると思う?」
「何って……魔力制御のためって師匠が言いなはったんやないどすか」
今さら何を言い出すのかと、斑鳩は怪訝に眉をしかめる。
「……まあ、その通りではあるのだがな。それと同時に無月流の技の一つを習得するための前段階でもあるのだ」
「本当どすか!?」
いままで基礎ばかりで技のわの字も聞かずに修行を続けていたため、斑鳩にとってその言葉は驚きだった。
「ああ、そうだ」
一つ頷くと、修羅はおもむろに手を動かし始める。
「周囲に漂う魔力に流れを与え」
操る領域を水中まで伸ばす。今度は水を押しのけるのではなく、水自体を操り、手の動きにあわせて水の流れを変化させる。
「その領域の存在する全てを感知し」
修羅はそっと周囲へと気を巡らせる。魔力を流し、その流れを阻害するものを感じ取る。
「あらゆる障害を受け流す」
そして、近くにいた体長二メートルほどの怪魚に向けて流れをぶつけ、触れることすらなく水底へと叩きつけた。
そして、修羅は濁った水の中へと手を入れると、意識を失った怪魚を取り出した。
「──無月流、
「すごいすごい! 師匠、これが無月流の技なんどすね!」
修羅が予想していた通りに斑鳩がはしゃぎだす。無月流の技を自分が使いこなす姿を想像して興奮しているのだ。
「ああ。だが、これも無月流の技の一つにすぎない。そして技のどれもが習得するには並大抵ではない努力が必要で、使いこなすにはさらなる修練が必要だ」
そう言う修羅も、天之水分に関して使えることには使えるが、使いこなしているとは言いがたい。今みたいにゆっくりと気を集中させなければ使えず、実戦では使い物にならないだろう。
最強となるべく初代が世界中の技術を取り込んだ無月流の技は難易度が高く、全ての技を極めた者は歴代の担い手を見ても初代のみである。修羅と言えども実戦レベルで使えるのは二つか三つほどだ。だが、斑鳩にはそのようなことは教えない。
才能に溢れ、必死に努力する斑鳩ならばあるいはと期待をかけずにはいられなかった。
「ええ! もちろん承知しとります。見ていてください。見事に無月流を使いこなして見せましょう!」
どこから来るのか分からない自信をもって、断言する斑鳩についつい笑みがこぼれてしまった。
──だが、同時に斑鳩へと無月流を教えてしまった後悔もまた、修羅の心を覆っていたのである。